13 開門
***
ぎい、と見上げるほどの大きな門が開く。
立派な門も、守る者がいなければ容易く開く。感慨もなく、ぼうっと見つめて静かに歩き出す。
何か志があったはずだ。
何か、ひっ迫する事情を持っていたはずだ。
男の形をした物は、開け放たれた門を前に既視感を抱いた。
門だ。
空いた、丸い穴。
気持ちが悪い。気持ちが悪い。
だが許可をされていない。ぐるぐるとあがった得体のしれない物体が、喉の形をした部分から下で行き場をなくしている。
何か忘れている。何か、なくしてしまった。
だがちっとも思い出せない。頭に思考の一つさえ浮かばない。
あれをくぐるまで、あったものはすでになくなったのだ。それを疑問に思う気もちすら、どろどろと溶けてなくなった。
「アぁ、あ゛……ウゥ」
規則正しい、間違いない順番で手足を動かす。かつての己とは似ても似つかない歩き方で進む。
立派な衣装。美しい見た目。生まれ変わった己の姿は、果たして己と言えるのか。
けれど、考える頭なんて残っていない。塗りつぶされる恐怖と命令だけで動いている。
「門ヲ、開ケヨ。あけ、あけて……増ヤす。ふやす。ふやす」
命令された言葉を繰り返して、仕草だけは一等美しく進む。
西の門から離れて、歩き出す。男の後に、ぽつぽつと胞子が実り地面から植物が萌え出た。
次は北だ。
それから東、南。最後は。
暗い街道を一人で歩いて、先を進む。美しい孤独な行進の後をつけるように、小さな芽が追いかける。
「あら。アンタ、いい男じゃない。一人で寂しそうね」
立ち止まる。
赤いドレスの派手な女。濃い化粧をして、真っ赤に塗りたくった唇が大きく弧を描いている。
「美しい相手で美しい次代を。これもまた素晴らしいことだわ。ねえ、そう思わない?」
そう言って、女は男にしなだれかかった。
「あたくし、悪いやつに追いかけられているの。ねえ、一緒に逃げてくださらない」
真っ赤な唇を寄せて女が笑う。耳障りだ。女の笑い声が恐ろしい。年嵩の高慢な女が、男を見て声をかけてくるだけで、恐ろしかった。
「ねえ」
さらに身を寄せた女に、とうとう男は手を伸ばした。衝動的に首を絞める。
「ぎっ……ぐ、う、このっ」
女が男の手を引っ掻く。口から吐き出た液が、指先から滲む血が男に新しい色をつけた。
浴びた箇所が熱い。溶けるようだ。
はやく、はやく消さなくては。壊さなくては。
そう思った。だから、一層、力を入れる。
それこそ、抱きしめるように。強く。
強く。
***
「エーリオーナ・イスルが門を開けた?」
ディアデムタルの街はどこも騒然としていた。
夜中に開け放たれた西門から、続々と生き物たちが乗り込んできたのだ。明朝に異変に気づいた兵が慌てて閉じたが、かなりの数が流入してしまった。
ただ、幸いにも小物ばかりだったので、西門については民間で対処が可能だった。だが、それよりも悪いことがあった。
西門に駐屯していた兵が一人残らず消えていたのだ。
あの様子のおかしい遺体と同じように、一部分を残してきれいさっぱり無くなっていたのである。
そしてそれをした犯人は、西門の近くで無残な姿になっていたイスルとされた。門にぶつかったような姿で倒れ伏しており、彼女がしたのだと居合わせた者が判断したのだ。
「そもそも、ネルソン叔父の殺害容疑で拘禁されていたはずだろ」
テトスは前を早足で進むトルマンに並んだ。
西門に続いて北門を開けようとした痕跡が見つかり、急きょ招集がかかったのである。
辺境の街の中でも一番防備が厚いのが北門側だ。なぜなら、一番襲来が多い土地だからで、簡単に開けられないよう魔法道具や仕掛けを二重三重にしているのだ。
「イスルは異形の異能持ちだ。あの女、拘禁室の壁を溶かしてすり抜けやがった」
「なんだそれ。そんなのありかよ」
「出蘆教の生まれだったのも隠してた。あれの扶養者が白状した。無機物を溶かす毒を吐くそうだ」
「便利なもんだな」
言いながら北門に向かう。すでに部隊が集まっている。
「このことはジエマさんや母様は」
「まだ知らんだろう。二人は今、カイデン様の離れ屋敷にいる」
「伯父上の? え、俺は」
「テメェは呼ばれとらんわ。所帯持つなら、しっかり働け」
「早く済ませて行くのは?」
「無事に終わるならな」
「よしわかった。先行く」
返事をもらうやいなや、テトスは大股で進んだ。部隊が集まっているところに混じって、声をかける。
「チャジア家のテトスだ。俺は何すりゃいい」
「ああ、テトス、お前は北門を登ってあたりを見てくれ。お前が一番早いだろ」
取りまとめていたのはハトゥリーだ。鳥の鉤爪となった腕を器用に動かして、調書を取っている。
ほかにも見知った顔もいた。傭兵部隊だけでなく、辺境学園で外回りを好む生徒も混じっているようだ。こそこそとテトスを見ては、めいめいに驚いたり身構えたりとしていた。
「わかった」
しかしそれにいちいち反応するのも面倒だ。
辺境の学園でのテトスの態度は、あまり近寄りがたいものではなかったという自覚もある。
短く返事をして、足に力をいれて北門に向かって跳躍した。
(上空、異常なし。門の上、死体がいくつか)
衝撃を殺して着地をすると、手早くテトスは検分を開始した。
(こういうとき、魔法痕跡を追えるナーナがいたら便利なんだがな)
魔法道具で地道にするしかない。傭兵部隊御用達の道具の一つに、どんな魔法を使ったか大まかにわかるものがある。他者を害する呪いかどうかを判別する程度のゆるいものだが、情報を集めるには必要だ。
高い場所では遮るものが限られているため、風が強く吹く。
今日は一際強く吹く日のようだ。
道具を手放さないように気を付けてあちこち見て歩くが、呪いらしきものは見当たらなかった。少なくとも悪意ある魔法を放った存在はいないようだ。
(じゃあ、未知の危険生物か何かか? そんなことあるか?)
ごう、と風が吹く。
手で目元を庇う。そこに、小さな花弁が当たった。
「なんだこれ」
小さな花が強い風で飛ばされたのだろうか。テトスの手に、五つの丸い花弁を持つ白い小花が萼ごとある。
(花は詳しくないが、このいじましくも美しい感じはジエマさん。あとで見せてさしあげよう)
なんとなく連想してしまったので、テトスはズボンのポケットに小花を入れた。
「テトスー! どうだー!?」
ハトゥリーの大声が聞こえる。北門のてっぺんから身を乗り出して、テトスは手を振った。
一方その頃。
ジエマは屋敷を出て、にわかに騒がしくなった街に首をかしげていた。
カティナはそれを見て、確認してくると言ってジエマを近くの店に預けて走っていった。荷物番も頼まれたので下手に動くわけにはいかない。
店は、一番街近くにあるため庶民向けというより高級志向のものだ。軽食が取れるが、お客は今のところジエマしかいない。店主はカティナに金銭を気前よくたっぷり渡されたのか、愛想よくメニューを渡してきた。
(何かがあったみたい)
鐘の音はならないが、なんだか不穏な事態のようである。
辺境の土地はまだ不慣れなことも多く、ジエマにはてんでわからない。
(テトス様は忙しくしてらっしゃるのかしら。お怪我がないといいけれど)
街が騒がしいとあちこちに引っ張りだこになるようで、文字通り飛び回っているのを何度か目にした。ただ、ジエマを見つけるたび簡単に話してその時々に贈り物を渡して「いってきます」と去っていく。
出会った時から相変わらずの様子は、ジエマの不安を和らげた。だが、それで職務は大丈夫なのかという心配も抱かせた。
店の中からは外の様子が見えない。ドアを閉じて締めきれば、よくデザインされた箱の中身のような店だった。
(……そうだわ、手紙)
待っている間に手紙を読んでしまおう。
ジエマはカイデンから渡された手紙を取り出して広げた。
母の字だ。それだけで、じんわりと胸が熱くなった。次の紙をめくれば、今度は父の字。兄に、弟まで。家族全員の手紙がそこにあった。
(ああ……)
みっともなく泣いてしまえれば、どれだけ楽だろう。
どれもジエマの身を案じて、それぞれ良い方向になるよう懸命に動いているのが読んでわかった。
繰り返しゆっくり読んで、丁寧に畳んで手紙をしまう。
(大事に持っていなくては)
新しい宝物だ。ジエマがレラレの一員であった証であり、つながりだ。
そうしたところで、ふと視線を感じた。
ジエマが座った席の近くに、老婦人が立っていた。黒い喪服に身を包んだ気品ある姿をしている。店内でも長いつばの帽子をかぶっているが、それも真っ黒。
額のあたりからは黒い薄絹が垂れて、顔がよくわからない。
だが、じっと見られているとジエマは気づいた。
「ごきげんよう」
そっと挨拶をすると、老婦人は静かに問いかけた。
「見ない顔だ」
「はい。最近、都から参りました」
「嫁入りか」
「はい。不肖の身ではありますが、尽くそうと思っております」
口調は居丈高で威圧感すらある。薄絹の奥の瞳は、じっとジエマを見据えている。
(一番街はお偉い方々が住んでいらっしゃる土地だったはず。きっとそこからいらしたのね)
あくまで従順にジエマが答えると、老婦人はしばらくジエマを見つめてまた問いかけた。
「故郷の家族は」
「すでに縁はないものとしております」
「夫は」
夫。
ジエマは面食らいそうになったが、表に出さないように静かに楚々と微笑んだ。
「仕事に出ております」
「お前、窮屈でないの」
「いえ……自由だと言われております……?」
「自由と」
沈黙が降る。
老婦人はまた身じろぎもせずにジエマを見下ろしている。そらさずに微笑み返していると、老婦人は身を翻した。
「つぎの鐘の音で外に出るといい。運が良ければ免れよう」
そう言うなり、老婦人は勝手知ったる風に店の中を歩くとカウンターの中に入っていった。
(お店のご婦人だったのかしら……?)
奇妙な老婦人だった。ジエマがカウンターを見つめても、老婦人も店主さえも現れない。
そうこうしている間に、大きく鐘の音が鳴り響いた。
忙しなくつんざく、空気を裂いて通り抜ける金属を叩く音。
襲来の鐘の音だ。
続けて、派手な爆発音がいくつもとどろいた。
慌てて店から出た先で、ジエマは吹き飛び倒れる義母を見つけて息をのんだ。「助けて」と泣く人の声に、辺りを見回す。
どこからともなく上がる悲鳴、崩れる街並み。
お守りを服の上から確かめる。そして、いざというときの魔法道具も。
何かがやってくる。良くないものだ。
うめき声とともに現れたものを前に、ジエマは唾を飲み込み立ち向かった。




