6 休憩中の歩み寄り
獣除けの対策をして、食事の準備をする。
準備といっても、朝方に学園で用意していた軽食を包んだものだ。あとは適当に簡易調理セットを用いて作った。
こういう時に魔法は便利だ。煮沸する時間を短くでき、飲用水もすぐ手に入る。
手伝いを申し出たジエマの働きも、テトスが予想していた以上に素晴らしいものだった。学園で講義課題として出ることもあるが、実際にやるとなると話は別だ。
ジエマはまるで何度もこなしたことがあるように手際よく取り組んだ。テトスから見ても、手慣れていると思うほどだった。なので、食事の傍らでテトスは素直に称賛した。
「手際が良いですね」
その言葉に、ジエマは食事の手を止めた。仕草は相変わらず品が良く、美しい。
テトスが勧めた背負子の座椅子に腰掛けず、同じように地べたへ腰を下ろしたのは意外だった。
箱入りのお嬢様なのに、ジエマの知識と経験はどこかちぐはぐだ。
旅姿もこなれている。スカートをそのままズボンにした形に、なるべく肌の露出をさけた長袖に丈夫なブーツ。色合いもデザインも地味に抑えた素朴なもの。
新鮮な気持ちで改めて眺めながら、テトスはたずねた。
「訓練でもされたのですか」
わずかにジエマが微笑んだ。
「はい。幼いころから、いざという時のためと」
「となるとレラレ家では普通のことだった?」
「いいえ。私だけですわ」
ジエマは両手でスープカップを持ち直すと、静かに答えた。
「ここはもう、辺境領地になるのでしょうか?」
「いや、あー……ここからでも見える壁があるでしょう。あの先です」
テトスが方向を指すと、ジエマの首も同じ向きに動く。
「随分と長い壁のように見えますわ」
「壁は何代か前の領主様が、領地の線引きに造ったそうです。このあたりは、宙ぶらりんの空地ですね。今は誰の手も入っていないので、辺境までの緩衝地帯とでもいいますか」
「あっ、それは私も聞いております。亡き貴族家の土地だったものが、権利が曖昧になってひとまずの国預かりと」
じ、と壁のある方向を見てジエマはしばし沈黙した。
「では、ここはもう学園や中立特区ではないのですね」
「そうですね」
テトスが肯定すると、ジエマは「それなら」と呟いた。
「これより先は、私は最早レラレの者ではありません」
どういうことか聞く前に、言葉が続く。
「もし、不測の事態によって予知能力者が家を離れることがあったなら。籍を抜き、その家に存在しなかったことにしなければならないのです」
「では、もう」
「きっと対処はされているのでしょう。都住まいで異能があると、それも予知だと露見するわけにはいきませんもの」
だから、ただのジエマになった。そう言いたいらしい。
「チャジア様」
「はい、なんでしょう」
居住まいを正して、ひどく真面目な顔をしている。膝に置いた手は握りしめられ、緊張しているようだ。
テトスもつられて体ごとジエマのほうに向けて、先を促した。ジエマはわずかに視線を揺らしたが、すぐに気を取り直すように緩く頭を振って口を開いた。
「チャジア様は、私を連れ出しました」
「そうですね」
「いかなる理由があれ、そのことには責任が伴うはずですわ」
「その通りです」
「で、ですので! 責任を取っていただかなくてはなりません!」
「はい、もちろん」
即答すると、ジエマは数秒沈黙して首を傾げた。頬に手を当てて、不思議そうに目を瞬かせている。
「あら……? ええと、責任は」
「元々そのつもりでしたが、予想より貴女の立場は大変だ。出先での居場所については任せてください」
「あの、えっと」
ジエマは、ハッと表情を変えると急いで自分の荷物を探った。背負子と共に置いていた鞄から、封筒を取り出す。
それを持ち寄って中身の紙を出すと、テトスに向かって広げてみせた。
「これは、以前に私とチャジア様が契約したものです。母から送られてきましたの」
「ああ、懐かしい契約ですね。ナーナのせいでなくなりましたが」
「なくなったこととはいえ、一度は連なった関係でありましたから、この度のことで再び母が」
これは押しつけの悪いことなのだと言わんばかりに手を震わせて、ジエマは一生懸命頑張っている。テトスにはそう見えた。
きっと本人にとっては脅しのつもりなのだろう。
(自分の身の安全を買うために、これをしろと言われたんだろうが……)
ジエマの手元にある紙へと目を向ける。
これは過去、ジエマが呪いにかけられたときに行った契約書だ。
呪いを解除するため、縁づいたとされる証明が必要だった。そのために用意したもの。技術の発展目覚ましい昨今では、古式ゆかしい婚約誓書である。
(あの時は仮発行して、それを足がかりに俺を介して解呪って流れだったな)
無事解呪が叶った後で、なかったことにされていたはずだった。
(……これ、出せば成立するか? いや、待て。もう印がある)
わずかにもたげた邪心を置いて、誓書下部にある証印を見る。
どこからどう見ても、公式な役所の証印だった。
「んん?」
覗き込んでよく見ても、受理したとされる証印である。
仲介人に、都貴族のなかでも最上位のカロッタ家の名前も印もある以上、偽装は考えられない。
「これは、いつ」
「トバツェリが傾いた知らせを受けてすぐに、再度提出したそうですわ」
行動が早い。過去にそういったことがレラレの歴史であったのだろうか。
ジエマはテトスにそれを見せながら、つばを飲み込むとキッと表情を改めて言った。
「申し訳ないことと存じております。ですがこれより先、チャジア様は私をこの書の通り扱う責任が生じているのです」
ジエマの整った淡い桃色の爪先が、婚約条件の細かな文章を示す。
確かに、ジエマの身柄を保護するといった事柄がいくつか書かれている。とはいえ、テトスにとっては当たり前のことばかりで拍子抜けしてしまった。
「俺は喜んでその任を受けますよ。ただ、辺境での立場を固定してしまって、ジエマさんはいいんですか?」
「私、ですか? 私は」
言葉を区切って、ジエマは目を伏せた。のろのろと誓書をおろして胸に抱きかかえる。
その様子を見るに、まだ整理がついていない事柄なのだろう。それを察して、テトスはあえて明るく話を変えた。
「ああ、それだとチャジアはいけない」
「え?」
「まず俺の家に顔を出すとします。紹介します。そのとき、貴女の真意はどうであれ余所余所しい呼び名だと、どう思われてしまうか」
「よ、よろしくないと思われます」
うん、と頷いて軽い調子で続ける。
「誓書があってもジエマさんの態度をみれば、俺は両親によってぶちのめされます。なので、向かうまで慣れていきましょう」
気圧されて、ぽかんとするジエマに手を差し出す。その手を見て、ジエマはまたきょとんと赤い目を瞬きさせた。
「先に誤解がないよう結論から言っておきます。俺はジエマさんが好きなので、この話は嬉しいです」
「えっ? あ、は、はい」
まあ、と口元に手を当てて、ほんのりと頬が赤らむ。意識されているとわかるのは、悪くない気分になる。少なからず悪感情はなさそうだ。
「迷惑とか面倒とか、一切思っていないです。もしかしたら本当は、なんてこともありません。俺はジエマさんが好きなので、喜んでいます」
「あの、はい」
「好意は伝えますが、それは俺がしたいからすることです。なので、ジエマさんに無理強いはしません。貴女を尊重して大事にしましょう。約束します」
おそるおそる、細い指先がテトスの手に触れる。それを緩く握って微笑む。
「家を出ようと、どこへ行こうと。俺が居る限り、貴女の場所を作る手助けは惜しみません」
「チャジア様……」
「ジエマさん。そのためにご褒美として、呼び方を改めてくださるとやる気がでます」
「まあ」
「それこそ貴女を抱え上げて飛び回りたいくらい、喜び勇みます」
テトスの手に握られるがまま、ジエマはとうとう小さく吹き出した。
「ふ、ふふ。はい、そのお申し出、大変嬉しゅうございます。では、どうお呼びすれば」
「テトス、と」
「テトス様」
呼ばれた心地の良い声に、機嫌良く「はい」と返事をする。
「ご不安もあるでしょうが、気負わず過ごしてください。そのために貴女を連れ出したんですから」
そうしてようやく、ほっとしたようにジエマは微笑んだ。その表情だけで連れ出した甲斐がある。
「休憩がすんだら、森に入ります。おいおい敬称はなくしてくださってかまいませんよ」
「まあ、ふふ……はい、おいおい」
「楽しみにしています。あ、楽しみといえば」
テトスは名残惜しさを留めて優しくジエマの手を離した。これから向かう森のほうへとジエマの視線を誘導する。
「あの森は壁を超えた先にも続く、そこそこ深い森なんです。薬の材料も多く採れるそうなので、辺境の壁を越えたら気晴らしに採取しますか」
「許可証をお持ちなのですか?」
「辺境での外回りに関連する許可は、なるべく取るようにしています」
最初こそ、生まれのことであれこれ言われないため、不利になる事柄はなるべく減らしたいがために取っていた。立入りに、採取、伐採、狩猟に討伐、ほかに色々。
それが両親らの評価にも繋がるとわかれば、取得困難な許可を取るようにしてきた。
テトスの得た許可証があれば、辺境内なら大抵の場所で採取などの行動が可能である。
「周到なのですね。でも、お急ぎではありませんこと? その、テトス様は大事な用があるのでは」
「何かお聞きでしたか」
「カロッタ様とランフォード様から、ご説明をいただいたときに。辺境でのご用事があるのだと」
学園から課外活動でという名目だったが、ジエマも共に行く以上、事情を話したのだろうか。レラレ家にヴァーダルが手を回した以上、そんな予想が容易にできた。
(ヴァーダルのやつ、ありゃどこまで知ってるんだか)
モングスマの叔父が亡くなった件や、辺境議会に呼び出されている件について、巻き込まないよう避難してもらうつもりだった。
だがジエマの様子を見るに、そのつもりはなさそうである。
「急ごしらえの立場とはいえ、私はテトス様と縁づいております。御家にご挨拶することは、婚約した者の務めとして当然のことですわ」
「務め」
「私、今後はテトス様に恥じぬよう振舞います。お好みがありましたら、どうぞ仰って」
「まじか」
思わず声に出してしまった。
丁寧な言葉遣いが飛んだと気づいて、あわてて膝に拳を打って誤魔化す。
惚れた女性から自分好みになると宣言されてしまった。浮かれて我を忘れかけそうになるが、それは駄目だと理性で抑える。
「あ、だっ、いや、えー、俺としてはすごく嬉しいですが、負担にならないよう」
「お気遣い嬉しゅうございます。まずは、ヨランやナーナティカさんのように気兼ねなくお話していただけることを目指しますわ」
それはちょっと嫌な気持ちと、嬉しい気持ちが半々だ。
ジエマの理想像を解釈してこれまでやってきたので、いきなり粗雑な言葉を聞かせるのは抵抗がある。
だが、何やらジエマは意気込んでいる。
学園を旅立つ前と同じくらいやる気に満ちているのを見て、テトスは「善処します」と曖昧に笑った。




