2 不穏な知らせ
話は少し前の時間に遡る。
事件騒ぎからひと月ほど後の、休息日。
テトスは寮の部屋で、ヴァーダルから世間話を聞かされていた。
「都の議会が、またちょっと動いちゃってね。一部の家が傾いたり落ちたりと荒れているようだよ」
自分も大貴族の一員だというのに、他人事のように言う。
「中立特区に麻薬を流行らせた件で、誰が後始末を付けるか押しつけ合いがあったのさ。肝心の商品流通元がわからず紛糾してね。それで、可哀想な穏健派が目を付けられた」
「嵌められたってやつか」
「そう。それがトバツェリでねえ……ちょうど代替わりしたところをしてやられてしまった。なので、テトスの意中の君がいる御家は庇護下にいたから、ちょっと危ないかな」
「ジエマさんの家が?」
「都に古くからある由緒正しい家で、手堅く商いをしているのは魅力的。器量の良い、年頃のお嬢さんもいる。貴族家と繋がっているため弁えている」
優雅に一つ一つ指を折って、ヴァーダルが続ける。
「どさくさに紛れてのし上がりたい者には、美味しいごちそうだ。というわけでだね、テトス」
腰を浮かせてすぐにでも移動しようとしていたテトスを視線で止めて、ヴァーダルは微笑んだ。
「事態鎮火がてら我が家からレラレへ手を回すから、お嬢さんを一時退避させてあげてくれたまえ」
「それはありがたいが、ヴァーダルになんの得があるんだ」
「僕とモナが優遇しているウァリエタトンとも古馴染みだから、その誼としてかな。ベイパーの弟はレラレの弟とも仲がいいから、もう動いているようだし」
なるほど。だからベイパーは急に実家に用があると外出したわけだ。ヴァーダルが行くように促したのかもしれない。テトスが視線を向けると、肯定否定どっちとも取れるような頷きが返ってきた。
ヴァーダルは長い指を組んで、「なにより」と薄い唇を動かす。キラキラと碧眼が輝いている。憧憬の眼差しがテトスに向かった。
「僕は君のファンだからね。それに、四年の課外活動があるだろう?」
「あるな。専攻で自由に選べるやつか」
「うん。彼女を連れて、遠くに行ってはどうだい。ちょうど、テトスの故郷から誘いが来てたはずだね?」
「誘いの文はまだ見てないが、覗き見か?」
「ふふふ」
目を細めて、機嫌よくヴァーダルが笑う。
「辺境の地では、ここでは見られない生き物と戦うと聞いたよ。よければ、その一端でも土産話に聞かせてほしいな。あっ、討伐の証拠もあると尚いい。コレクションしたい」
「まあ、それくらいなら」
「本当かい! いやあ、言ってみるものだなあ。楽しみにしているよ」
「……おう」
そっちが主目的なのかと疑うような喜びようである。
なんだか体よく転がされた気がする。
もやっとした心地を抱いたが、ヴァーダルの次の言葉にそれも吹き飛んだ。
「それから、テトス。フスクス先生が君をお呼びだったよ」
「お前、それは早く言え」
「時刻は……うん。これから行けば間に合うとも」
ひらひらとヴァーダルが手を振る。テトスはもう一度「早く言え」と文句をこぼしてから、慌てて部屋を出た。
紋章美術学教師のフスクスは、公平だが規則を重んじているので、誰だろうと平等に罰則を与える。テトスも編入してから何度も世話になった恩師だった。
駆け足で学園内を進んで、フスクスの部屋に向かう。
ドアをノックして名前を告げれば、すぐに入室許可の声が中から聞こえた。そのまま、できるだけ丁寧に部屋に入って姿勢よく見えるよう、テトスは背筋を伸ばした。
「フスクス先生。お呼びと聞き、参上しました」
「ええ。ようこそ、チャジア。お座りなさい」
フスクスが来客用の椅子を指す。そして向かいのソファに腰掛けると、膝の上で手を組んだ。
その表情はいつも通り厳格そのもので、テトスは自分が何かやらかしただろうかと思いつつも大人しく椅子に座った。
「貴方へ言いたいことを上げれば、いくつか浮かびますが……ひとまずこちらを読みなさい」
フスクスが差し出したのは一通の手紙だった。
一見質が荒く見えるが、丈夫な分厚い紙を利用した高価なものだ。封蝋にはテトスも知っている紋章がある。
「モングスマの、カイデン伯父上から?」
「チャジアのみに渡すよう頼まれましたが、ブラベリに伝えるかは貴方に任せます」
それはどういうことだ。
テトスは手紙を表返し裏返し観察してから、中身を取り出した。
「ネルソン叔父が死んだ?」
顔を上げると、フスクスは先を促すように顎で手紙を示す。
「ディアデムタル領主家にも死者が出ているから、俺が親父殿のところで治安維持と護衛はともかくとして。ナーナにも一時帰還せよ……? これ、伯父上からではないですね」
「そうです。名を騙ったのは、辺境議会の者でしょう。しかし、チャジアは辺境で戦力として当てにされていたのですか」
「あちらの学園在籍時に呼び出されたことは何度か。そのことで後押しをもらって、編入許可が出ましたので」
答えると、フスクスは額を指先で抑えた。
「そうですか。では、ブラベリも戦力として期待されていると」
「それもありますが、ナーナの場合、後続戦力の増加目当てかと。魔法能力は男女で性差がほぼ現れないので」
「なんて愚かなこと」
疲れた声音だ。フスクスは眉間を揉んで、息を吐いた。
「本人の虚弱体質が幸いしましたね。だからカイデンも帰すなと言ったわけです」
フスクスはもう一通の手紙をどこからともなく取り出した。封蝋はないが、紙面に走る筆跡には見覚えがある。幾度かやり取りをしたその筆跡の主は、テトスの伯父カイデンに違いない。
マルギット・フスクスは、モングスマ家当主のカイデン・モングスマの妹である。だからこのように、カイデンと手紙のやり取りができるのだろう。
もっとも、フスクスはモングスマ家を出た身であり、一切の関係はないと表明している。テトスたちを前にしても、伯母としてよりも教師として接するばかりの関係だった。親身になってくれても、それは教育者としての使命感がほとんどのように、テトスは感じている。
手紙には簡素な業務報告のように、数行だけ書かれていた。
『出蘆教が息を吹き返した。そちらは大事ないか。双子、とくに娘は帰さないように』
(こりゃあ、ヨランのこと知られたらどうなるんだろな)
辺境議会側は非難ごうごうだろうが、伯父は案外喜ぶかもしれない。辺境領主家に忠実だが、倫理を大切にする人だ。それにテトスたちの実父のことも重く受け止めているようだった。
領主家の現当主も、義父曰く「人道的かつ温厚な御方」らしい。温和なその甘さに、都や外部に強く出たい反抗勢力も現れている。そのような文句を何度となく聞いた。
「俺もナーナも突然変異みたいなものです。期待されても、体質や才能は引き継げないんですがね」
「本当に、貴方たちの父がしたことは厄介なこと。不相応な夢を抱かせてしまう」
重たい吐息が落ちる。
やがて、申し訳なさそうにフスクスは眉を下げた。
「チャジアに言うようなことではありませんでしたね」
「いえ、本当のことですから別に。ところで先生、出蘆教とは?」
「ああ……」
また溜息混じりに言葉を止めて、フスクスはテトスを見た。それから不意に指先を数度弾いた。
ぱち、と乾いた音が鳴る。テトスのカフスがビリビリと震えた。
「チャジアの意思で伝えると決めた、そう受け取りますよ。ブラベリ、貴女もここに来るように。それから話しましょう」
「……だとよ」
テトスは、再度姿勢良くして自身のつけた魔法道具に声をかけた。
国一番の学園の教師。それも普段から世話になっている人物なら、気がつかないわけがない。
しばらくして、テトスのイヤーカフから声が響いた。
『はい、先生。すぐに参ります』
大変にしおらしいナーナの声だ。返事が聞こえるや否や、フスクスは呆れたように眉を動かした。
「まったく。四年生になって落ち着くどころか、変わらないとは……チャジア、貴方もですよ」
ナーナに矛先が向いたので安心していたら、テトスのほうにきてしまった。
「先の事件のこと、知らないとは言わせませんよ。勝手な行動は身を滅ぼしかねないと、何度言われたら気が済むのです」
「性分なもので、居てもたってもいられなくなりました。親愛なるフスクス先生まで糾弾されては、容赦する必要はないと思ったまでです」
「貴方の良いところと悪いところは、それを本心から言っていることですね」
フスクスは、自身の額を片手で押さえて重たそうに頭を揺らした。
「トルマンとカティナの育て方に物申したいところです。貴方は義理の両親とよく似ていますよ」
「それは、特に母が喜びますね。光栄です」
「褒めていません。まったく」
それからぽつぽつと両親のことを話題にあげている間に、部屋のドアが控えめにノックされた。
フスクスが許可を出すと、そろりとドアが開く。
そして、制服のスカートを翻してナーナが入ってきた。
「お待たせして、すみません。ナーナティカ・ブラベリ、参上しました」
「ブラベリもそちらにお座りなさい」
「はい、先生」
フスクスが勧めたとおりに、ナーナはテトスの隣の椅子に腰掛けた。表情は澄ましているが、話題を気にしていたようですぐに口を開いた。
「出蘆教って、あの出蘆教でしょうか。父の事件の、その、傾倒していたという」
「そうです。ブラベリは知っているようですが、チャジアは?」
「回帰主義の怪しい宗教ってくらいです」
「概ね、あっています」
出蘆教。
テトスたちの実父、ヘンドリクが傾倒していたとされる新興宗教。
精神虚弱の果てに、この世界の人が元より持つ力を覚醒させるため、もっと強く価値ある自分になるために行きついたものだった。




