10 危ない代物
しょんぼりと背中を丸めて、クェリコは何度目かもわからないため息を吐き出した。
「うう、カロッタ様の面子が……面子があ」
囮に使ったのは申し訳なく思うが、周りをろくに確認せず現場を探るのも悪い。仮に同僚だとしても、信頼がおけるかは別だろうに。高貴な身分に仕える立場なら、それくらい注意するべきである。
そう考えたものの、ひたすらに落ち込むクェリコを見ていると、テトスもなんだか悪い気もしてきた。
(まあ、味方と思ってた奴から打たれる経験なんてあるわけないな。普通は)
危険生物が蔓延る辺境の地なら、予想外の襲撃なんてざらだ。
戦闘区域に駆り出される者たちに、お行儀の良さは無縁である。報酬が出来高制だったので、奪い合いも当然起きる。
ちょうどいい小遣い稼ぎと鍛錬だったので、実力のある者たちとよく競い合った。
なお、辺境の学園での主な殴り合いの相手はナーナだった。テトスが力任せに大型の討伐を成し遂げれば、ナーナは魔法で広域の討伐をする。そして偶然攻撃が掠ったんだと建前をあげ、お互いの成果を獲りあったものだ。
(環境が変わって丸くなったかもしれん)
きっと今のテトスとナーナを見たならば、過去の二人を知る者たちは同一人物かと目を疑うかもしれない。
『ねえ、フォローしてあげたら?』
過去を懐かしんでいたら、ナーナがちくちくと責めてきた。
『彼女のおかげで手に入ったわけでしょう? 労わりの一つは入れるべきだわ』
テトスは小言を送ってくるイヤーカフを今すぐ外したい気持ちになった。
「……ヴァーダルには俺から話しておく。そこまでうるさい奴ではないから安心しろ」
「そうでしょうか。我が家にお怒りの言葉が来たらどうしたら」
「ない。戻って休め。どうせムーグにも根掘り葉掘り聞かれる羽目になるぞ」
「うう、ううわ、そうですよね。きっとホリィさん知りたがるだろうなあ。やだなあ」
「そっちの心配をしておけ。気にするな」
ホリィの話題を上げれば、クェリコの不安はそちらに逸れた。
コウサミュステの寮から出て地下道を逆戻りする。帰り道は、思い悩むクェリコの様子のおかげでフスクスに「早く自寮へ戻りなさい」と促されるだけで済んだ。
カラルミス寮に到着すれば、憂鬱そうにクェリコが女子寮のほうへと歩いて行った。のろのろと丸まった背のまま遠ざかっていく。
テトスも男子寮の自室へと戻る道を進む。周囲に注意をはらって、小さく口にした。
「報告してから向かう。図書館にまだいるか」
『閉館ギリギリまでは居るつもり。ヨランも居てくれるわ』
「わかった」
短く返して、テトスは部屋を開ける。
「お疲れ、テトス」
入ってすぐ、トレーを持ったベイパーとかち合った。トレーにはティーセットがある。つい先ほど淹れたばかりのようで、湯気と香ばしい匂いが漂っている。
「確認、終わったぞ。特に問題ない」
「それは安心だね」
共同スペースの机で本を読んでいたヴァーダルが顔を上げる。テトスを見てにこやかに微笑んだ。
「ヘロフィースが被害者の机に転んだくらいだ」
「しっかりやらかしてないか、それ」
ベイパーが呆れた風に言うが、ヴァーダルはおかしそうに笑ったままだ。
「さて、どんな文句を付けてくるか想像に易いな。まあ、何も問題ないことがわかったなら、それで十分さ。テトス、君もお茶はどうだい」
「まだいい」
外はまだ明るい。完全に暗くなるには、もう少し時間がかかるだろう。
「報告は以上だ。ちょっと出てくる」
「事件もあったし、早く戻れよ」
「おう」
ベイパーに返事をして、テトスは自分のスペースに立ち寄った。机に置きっぱなしだったカバンを掴み取って、腰に装着する。
そのまま、部屋から出た。
呼び止められることがないように、人気が居ない道を選んで早足で進む。編入時からあちこち抜け道を探していたので、どの道を通ればいいかは頭に入っている。
テトスの身体能力をもってすれば、普通歩きに向かない道でも気にせず使える道だ。
今回は寮の階段突きあたりにある抜け道で、壁をいくつか叩くとそのまま外に出られる。外壁にかろうじて足を乗せられる出っ張りがあり、そこを使えば階下まで行ける。
下で降りたら、あとは図書館まで進むだけ。
ポケットにきちんと小皿があるのを再び確認して、テトスは素早く図書館まで向かった。
*
図書館の中、先日も使った小部屋にナーナとヨランはいた。
ナーナは机に置いたイヤーカフへ睨みを向けるのをやめて、息を吐く。
「もうじき来るみたい」
「そうですか」
言いながらヨランは、ノートに書きこむ手を止めた。
ノートには、コウサミュステの地図が描かれている。ナーナが魔法でテトスと繋ぎながら、ヨランにあちらの音を共有した結果できた産物である。
音の反響で間取りがなんとなくわかるらしい。もはや一種のトンデモ才能である。おかげで戸棚の隠し収納も判明した。
テトスが女子寮の部屋から出て行く間に、部屋の奥行きや高さなど計算式まで書いて確認をした地図は精巧だ。
「部屋としては男子寮とも変わりないから、やはり部屋自体に何かあるわけでもないですね」
「そうね。大がかりな魔法も何もなかったし……となると、やっぱり小皿かしら。当たりだといいけれど」
「その小皿なんですが、今回が初めての窃盗ではなかったんです」
「常習犯だったの?」
ナーナが聞けば、ヨランはため息を吐いた。
「はい。調べたところ、姉の買い物と一緒にしていました。値段としては微々たるものでしたが、何度もとなると……とはいえ、亡くなってしまったので一時的に追及は取りやめています」
「その子の最後の買い物が小皿ねえ」
「ああ、いえ。学園に入る前のある時から、いつも小皿を買っていたみたいです。警備隊によると、街でよく買っていたと」
「小皿の窃盗常習犯? ジエマは知っていたの?」
「まさか。遠縁とはいえ、もともと面識はありません。役割も姉の移動に付き添うだけで、買い物もあちらが言い出してそこまで言うなら任せようとなったらしく」
「押し切られちゃったのね」
だが、これでますます小皿に対する疑惑が深まった。
「小皿、呪いでなければなんなのかしらね」
椅子の背にもたれかかり、ナーナはぼやいた。
「こっちにとっては呪いの品ですよ。警備隊から睨まれるなんて、家の者が卒倒しかねない……」
「聞き取りで、ジエマの予知が起きなくてよかったわね。本当に」
その言葉には返事はなく、重たく疲れた吐息がもれるばかりだった。
*
テトスが図書館のへ着くと、何やら疲れた様子のヨランをナーナが慰めていた。
「来たぞ」
声をかけて、ポケットに忍ばせていた小皿を取り出した。
一見、なんの変哲もない白い小皿に見える。
「ああ、ちょっと待って」
ナーナが言うと、席を立って自分のカバンからハンカチを取り出して机に広げた。
「念のためよ。ティトテゥスは素手じゃないからともかくとして、何かあったら嫌だもの。ここに置いて」
おそらく身を守る魔法がこめられたハンカチに違いない。言われた通りに、テトスはその上に小皿を置いた。
「大きさや形は、前に姉が持ってきた小皿と同じですね」
ヨランが呟く。席から腰を浮かせて、小皿を観察している。
確かに大きな違いはない。
小皿の内側部分の底、見込みと呼ばれる部位。その中心部にあるマークだけが特徴的だった。
煤をそのまま使って塗り固めたような色合いの、にじんだ線で描かれている。炉は古い屋敷で見るような、かまどにも似た形を簡略化させたものだ。
「炉のマークがあっても、色は黒くないぞ。本当にこれか?」
「おそらく。警備隊の話し合いを聞いたので。カラルミスの件も聞き取りしていたみたいですよ。この小皿を使っていたと、グリクセンの妹が言っていたそうです」
「盗み聞きとはやるな、ヨラン」
「たまたま聞こえただけです」
しれっとヨランは言った。
「それに、この話を聞いて思い出したんですよ。僕に小皿の噂を詳しくしたのは、グリクセンの妹でした」
「本当か?」
「医療記録も確認しました。香水の匂いや人物の特徴が同じだったので、間違いないと思います」
「じゃあ、これが」
テトスが全部言うまでもなく、噂の小皿が目の前にあるのだと誰もがわかった。
まず最初に動いたのはナーナだった。
「そうね……条件付きで発動する魔法がかかっているわ」
「どんなのだ」
「前と同じ。ちょっとしたリラックス効果なのはそうだけど、少し違うわね」
目を眇めて、ナーナは淡い色あいに光る目を瞬かせた。
「水を注ぐと、いい気分にさせてくれる魔法。軽い幻覚作用を起こすやつ」
「呪いか?」
「呪いじゃないわよ、このくらい。まだ許容の範囲内。ただ前に見た小皿よりはちょっと強めね」
「水を注いで血を入れると未来が見える、だったか。幻覚見たんじゃないか」
テトスの言葉に、ナーナは同意するように頷いた。
「あの、血のことで見てもらいたいものがあるんです」
そして次に動いたのはヨランだ。
部屋にある本棚から、一冊の本を取り出した。分厚い薬学事典は、見るからに重そうだ。
図書館では学習に使うための本を、数冊に限り館内に取り置くことができる。そして魔法のかかった本棚によって、館内の保管棚を経由して自習部屋に移送できるという仕組みがある。
ヨランは事典を机に持ってくると、ぱらぱらとめくった。
「実は、特殊な色を変える釉薬があったのを思い出したんです。前に注文を受けたことがあって」
ページをめくる手を止め、ヨランは「あった」と指をさした。
「ただ、取扱注意の品物だったので注文は取り下げになって……これです」
「血液に反応すると黒に変わる?」
テトスが指で示された文章を読み上げる。
「はい。その名の通り、血の釉薬と呼ばれます。何より注意しないといけないのは」
「麻薬じゃない、これ」
ヨランの言葉を引き継ぐように、ナーナが言った。事典の項目の中にも麻薬と毒の文字がある。
テトスよりまだ細い指先が文章をなぞっていく。長く専門的な文章をヨランは簡単にまとめてみせた。
「依存性が高く、強い幻覚作用を与えます。揮発性も高いので吸うと……それこそ、夢見心地になって未来が解ると錯覚しても不思議ではないです」
「じゃあ、これで教師連中が騒がないのもわかったな」
「薬物騒ぎとなれば、そりゃあそうでしょうね。スピヌム先生なら薬物反応で、何が使われたかわかったはず」
「グリクセン妹もやったとなると、同じ物を持っていたということか? 部屋を探ればあるかもな」
飛び降りたヒルダのことを思い返す。あの時のヒルダは、心あらずな様子だった。
麻薬によるせん妄状態になって、飛び降りたのだろう。
「だとしても、もし使っていたなら証拠は残らないかも」
ナーナが口をはさむ。
「血液を条件に、しばらくすると自壊するよう魔法がこめられているの」
「小皿そのものが無くなっても、ゴミは残るだろ。どう壊れるんだ」
「ティトテゥス、まさか試すなんて言わないでしょうね」
声をあげれば、ナーナが睨んできた。
「本当かどうか確かめたくないのか」
テトスは腰元のカバンから折り畳みのナイフを取り出した。緊急用や護身用、実技用を目的とする道具は、申請すれば携帯が許可されている。そのうちの一つである。
「ナーナ、隔離」
「ああもう、しょうがないわね。≪変われ≫」
文句を口にしながらも、ナーナは魔法を使った。小皿の下敷きになったハンカチが透明な瓶に変わる。
「じゃあ、やるぞ」
テトスが手袋を取った左手をナイフで切る。
傷口からあふれてきた血液を瓶にむかって垂らした。
ポタポタと落ちて、小皿に血液が付着する。すかさずナーナが瓶を「≪閉じよ≫」と言って封をした。
「テトス、使ってください」
横からヨランが白い布を渡してくる。綺麗な布だ。
それを傷口に巻き付けながら、テトスは瓶の中をのぞいた。
赤く濡れた小皿に、じわじわと浸食が広がる。
そして数秒と経たず、小皿はひどく黒ずみ変わり果ててしまった。




