1 顔合わせ
ティトテゥス・チャジアは、自分の名前が確かにそこにあることを青い目でなぞって、ふん、と鼻を鳴らした。
仰々しい名前だ。
古臭く、それこそ古典に出てきたっておかしくない。そしてその名前が載った紙面も、やたらめったら小難しい言い回しでうんざりする。
物事は単純で、端的であればいい。自分の名前だってそうだ。短く呼んだほうが、楽だ。それに、都合がずっといい。
「テトス」
そう、こんな感じに。
テトスが呼ばれたほうに顔を向けると、言葉が続けてかかった。
「それで、書いてあるとおりテトスに頼まれて欲しいってわけだ」
取りなすように、目の前のベイパー・ウァリエタトンが言う。
整髪剤の香りがぷんとする。昨年の後半に、都の上位貴族が強引に転室して以来そうだ。敬意と礼儀を兼ねているらしい。
(気にしすぎだろうに)
どうにもベイパーは肝が小さくていけない。
だが、そういう細かな伺う姿勢が上手くやるコツなのだろうか。事実、気遣われている当の本人からの覚えも目出度いものだった。
「新米解呪士と顔合わせなあ……」
「あからさまに面倒そうにするなよ。俺だって、ヴァーダル様だって気は進まないんだ」
ベイパーはげんなりとして、椅子にもたれかかった。寮の部屋にある談話スペースには、一つだけ明らかに質の良い椅子がある。そのヴァーダル専用の椅子だ。
それを指さして、ベイパーは続けた。
「ヴァーダル様は、俺たちカラルミス寮の寮監督だろう。それに都の上位貴族カロッタ家だ。五年の寮監督がいようと、実質トップは四年でもあの方になる」
「だろうな。相方がアレなのは気に食わんが」
「そのせいだよ」
せっかく整えていた髪を、指で掻いて台無しにしている。また後で、櫛を片手に格闘する羽目になるだろうに。テトスは静かに先を促した。
「あの……あー、華やかで元気なホリィ・ムーグになったのは、少々いただけなかったな。なんで寮監督になっちまったんだか」
ずいぶんと濁した言い方をする。はっきりと言ってしまえばいいのに。
カラルミス寮の四年女子、ホリィは確かに見目は華やかだが、派手好きで気が強すぎる。他寮の女子とトラブルを起こしたことも一度や二度ではない。
「婚約者の親が再婚して都貴族の仲間入りしたから、出しゃばったんだろ」
「はあ。カラルミスは最高だが、序列に厳格なのはいただけないよ。全く」
「分断なき中央中立特区の名前が泣くな」
テトスがそう返すと、ベイパーはため息で応えた。ずいぶんと疲れている。
ベイパーだって立派な貴族だが、人当たりが良く気安いのだ。騒ぎを面倒がる臆病さは、保身でもあるが危機管理と鷹揚さの裏返しだ。
それにヴァーダルとも同室で繋がりがある。寮内の些細な相談事をするにはうってつけの窓口となっていることを、テトスは知っていた。
中央中立特区。
この国には、なんの異形も持たないことが良いとする思想、純人主義がある。それを他国から咎められたことから、対外的アピールのために設けられた場所だ。
テトスたちが通う国一番の学園もここにある。地方も都も、純人主義でなくても分け隔てなくという名目はあるが、実情はそうでもない。
都で純人主義に触れている者がほとんどで幅を利かせている。そして、地方から夢見て来た者たちは肩身を狭くして過ごしているのだった。
(なーにが、都の出で純人なことが一番尊いだ。五体あって生きてりゃ大体同じだろ)
世界にまったくの純人など残っていない。架空の伝説ではなく、歴史の事実としてはっきりしている。
なのになぜ、テトスたちの国、都が固執するのか。それには理由があった。
かつて世界中の生き物に、魔力が宿った。そして誰しもが何らかの生き物と溶け合った。
そこから進化して生まれたのは、何らかの生き物の一部分、つまり異形を持つ者たちだった。それがこの世界の人類の祖先たちだ。
血が混ざり、より濃く、通常と掛け離れた異形となればなるほど、強大な力を持つ。
やがて、各地で力を持つ者が協力して国を作り上げ、テトスたちの国もそうしてできた。
そこまではいい。
その後。
さらなる力を求めて、異形を持つ者たちを集めて混じらせ始めた。
一時の隆盛を得たのも束の間。
異形化の深刻な被害が起こり、異形の混じりが少ない者は安全であるという運動へと発展した。
そして行く先は、ほんの少しでも異形の要素があれば排斥する国の完成である。
排斥先は、テトスが住んでいた故郷、辺境の地ディアデムタル。都の捨て地のような扱いを長年受けてきた土地だった。
そんな土地の民は、一概にして都に思うところがある。もちろんテトスも第一印象から良く思っていない。同じく、都の連中から辺境の民であるテトスを見る目もそうだった。
そんな中で、ベイパーのような貴族でありながら中立的な者は珍しい。
テトスも驚いたが、辺境地から来た新参者でも偽りなく親しく話しかけてきたほどだ。
だから、テトスも友人としてベイパーに接することができていた。友人がこうも弱っていれば、さすがのテトスも放りだすという選択は憚られる。
「おい、ベイパー。この解呪士は、そもそもがあいつらのやらかしで来させられたんだろ。それをなんで俺と面通しするんだ」
「お前なあ、自分の立場を覚えているよな?」
「実技の天才。編入ながら学園一の実力者」
「自分で言うか? それより、他にあるだろう」
「おう。自他共に認める男前だな」
「事実だとしても、お前、そういうのはほどほどにしとけよ」
苦笑いでベイパーが指摘する。軽口でいちいちうるさくしないし、攻撃してこない。テトスはベイパーのそういった寛容なところが、気に入っている。
穏やかな茶色い瞳がじっと見てきたので、しぶしぶテトスは真面目に返した。
「ちゃんとわかってる。俺はヴァーダルの臨時のコマだろ」
「そうそう。ヴァーダル様の、この学園での有事における荒事担当な。忘れていなくて何より」
「忘れるほうが難しいだろ」
テトスの能力に惚れこんだヴァーダルは、昨年、寮の部屋を無理やり変更して同室になった。そのときのドタバタは記憶に新しい。
ベイパーもそれを思い返したのだろう。すうっと遠く虚空に視線を向けている。
しばらく間を空けて、ベイパーは咳払いをしてから続けた。
「んんっ、ともかく。テトスは一応、ヴァーダル様の学園での側近扱いだ。だからその解呪士と見知っておけば、いざってときの手間が省けるはずさ」
「無理やり年回りの良い奴を探して入れといて、露見したらヴァーダルのためにって差し出した奴だろ。役立つのか?」
「まだ新入生だし、これからに期待じゃないか? なんにせよ、新学年早々疲れるよなあ」
テトスは改めて紙面に目を通した。
そこには、流れるような文字で長々と書いてあった。言い訳のような遠まわしな内容を要約すると、こうだ。
『カラルミス寮の新入生に、ヘロフィース家の解呪士が入ることとなった。
昨年は呪い騒ぎなどの事件も学園内で起こった。これも、子息子女の安全を鑑みてのことである。かの者について、成績、素行ともに問題はないことをここに証する。
カロッタ家においては、理解のうえ、庇護を与えたし。』
以下に、その解呪士一族だという新入生の情報が記載されている。
手配人はムーグ家とグリクセン家。カラルミス寮四年女子寮監督のホリィとその彼氏、モールの家だ。大方、呪いに巻き込まれるのを恐れて手配したのだろう。
王政から議会制に変わってから、王侯貴族の権威は落ちつつある。だが、貴族の権力は根強く残っている。
(モールが都の貴族入り。面倒くさい……が、うるさく絡まれる前に早く済ますか)
紙面をベイパーの前に置く。テトスが移動をするのを見て、ベイパーは軽く手を上げて声をかけた。
「よろしく頼むよ」
「よろしくはしないが、行ってくる」
テトスは適当に返してから、寮を後にした。
*
ミヤスコラ学園の教育棟から、列がまばらに出てくる。
先頭に立っているのは、それぞれの寮の監督たちだ。寮章が刺繍されたローブをなびかせて、後ろを歩く生徒たちを指導している。
剣と槍のマークはカラルミス、天秤と書物のマークはヒッキエンティア、羽ペンと絵筆のマークはコウサミュステだ。
編入して一年経てば、知っている顔もいくつか見つかる。もちろんカラルミスの寮監督であるヴァーダルはその筆頭だった。
ヴァーダルも寮から出てきたテトスに気づいたのだろう。華やかな顔を一層輝かせた。ついで、その後ろにいた女子もひょっこりと顔をのぞかせた。
(こいつか?)
テトスと目が合った女生徒は、体をびくつかせて後ろに下がった。険しい表情をしたわけではないが、体格に恵まれているせいか顔つきのせいか威圧感を抱かせるらしい。
げんなりする気持ちを押しやって、その女生徒を観察する。
小さな背丈に、そばかすの散った顔。額から高い位置で髪をまとめて、ふわふわと風に揺らしている。そして、装身具をいくつもつけていた。
木製の装飾と鳥の羽を組み合わせた首飾りは、魔除けか何かのようだ。
「あ、あなた」
幼さの残る声で、テトスを見ながら首飾りを握りしめている。ヴァーダルもその女子生徒へと顔を向ける。他にも並ぶ生徒たちが注目をし始めた。
その中で、クェリコ・ル・ヘロフィースは声高にテトスへと訴えた。
「あなた! 呪われています!」
最悪だ。
声に出さないで、テトスは呟いた。