第1章 第2話 ある魔法使いの噂
ギルドではある噂が持ち上がりつつあった。
どうやら無詠唱の魔法使いがこの街にいるらしい。
しかも、そいつは冒険者ではない。
冒険中にそんな魔法使いと遭遇した者はいないからだ。
魔法使いは、特殊な才能を持った数少ない者が、何年も修行してなれるもの。
彼らが行使する魔法は、そのどれもが奇跡の技だ。あらゆる物理現象を無視して顕現する事象。
たとえそれが小さな炎を灯すものであっても、その本質は変わらない。
そんなものを、むやみやたらに行使されてはたまらない。
そのため、どの国家でもその使用は厳しく制限され、免許制になっている。
使用が許されるのは、衛兵や警官であれば任務中のみ。冒険者であればクエスト攻略中のみ。一般人は基本的に使用禁止。そんな感じで制限されていた。
例外的に治療の類であれば許可されるが、もちろん格闘技の試合等では反則になる。
それほど価値のある魔法使い。冒険者であれば、喉から手が出るほど欲しい存在だ。パーティーに加わってくれれば、生存率がどれだけ高まるだろう。
炎の魔法で安全に敵を倒し、治癒の魔法で命を取り留める。実際に助けられた経験のある冒険者なら、なおさらその価値を理解している。
そんな魔法使いの中でも、無詠唱で魔法を行使できる者は、世界でも数人。その存在が確認されれば記事になり、噂で持ちきりになるほどの、希少な存在だ。
実際に会ったことのある者などほとんどいない、雲の上の存在。
それが、この街にいる。それどころか、どうもギルドにちょくちょく顔を出しているようなのだ。
先日のギルドでの一件は、まさにこのギルド内に、その者がいたことを示していた。
ギルド内でトラブルが起きることは稀だが、そういうときは結構な確率で同じようなことが起こる。
間違いなく、サイレンスとデバフの効果が見て取れた。
しかもその魔法の詠唱を聞いた者が、いない。
噂を聞きつけた冒険者たちが、休みの日にもギルドに集まるようになり、何かトラブルが起きるのを待つようになった。なんとしても突き止めて、パーティーに誘いたい。
だが詠唱を聞くことができないのに、どうやって術者を突き止めるのか?
理論的には、その方法は二つある。
一つは、相手の魔法を跳ね返す、リフレクトの魔法。
サイレンスをかければ、それが跳ね返り、かけた術者が喋れなくなる。その際、何らかの反応が見て取れるはずだ。
だがこれが成功するには、相手の魔力を上回っていなければならない。無詠唱の魔法使い相手に、魔力勝負なんて馬鹿げてる。
仮に跳ね返せたとしても、術者が魔法を止めてしまえば、当然、効果も消えてしまうのだ。焦らず解除すればいいだけである。
もう一つは、魔力を感じる方法。魔力そのものは目に見えないが、魔法を行使できる者であれば、魔法が発動しているあいだは、その魔力を感じることができる。発生した瞬間であれば、その発生源も突き止めることができるはずだ。
無詠唱者が魔力発動時にどれほどの隙を見せてくれるか判らないが、後者の方がまだ現実的である。
そんな考えが冒険者たちのあいだに広まってきたころ。
今日もまた受付で、なにやら揉め事が起きそうな気配。
ある冒険者が、受付の女性に話しかけようとしていた。
今日はオフのためか、普段着だ。Yシャツに少しゆったり目の長ズボン。動きやすい服に身を包んでいる。
変わったところといえば、首から冒険者の等級を示すプレートをぶら下げていることくらい。
受付嬢はその冒険者とは顔見知りだったため、先んじて声をかける。
「あ、おはようございます、ハルさん」
受付嬢に名前を呼ばれたそのハルという男は、なぜか顔を真っ赤にしていた。
「エ、エレナさん? こ、こないだのクエストの、あの、報酬、あれ、ちょっと少ないんじゃないんですかあ!? あーん?」
男が精一杯の声を出したおかげで、ギルド内が静まり返った。
「は、はあ?」
エレナは目を瞬いて、素っ頓狂な声を上げてしまう。
エレナはこのギルドの受付スタッフとして、ハルとは長年の付き合いがあり、彼はよく見知った人物だ。その彼が、普段とはまるで違う態度を取っている。いや、取ろうとしている。
「えと、その、アンナさんちの庭に出た、ゴ、ゴブリン? ちっちゃいとはいえ、ふ、普通の人には荷が重いよなーって。それが、依頼書だと1体だったのに、2体も出るなんて、これは結構な重労働というか、」
「ええ、ですので規定どおりの料金を上乗せさせていただいています。依頼主も喜んでいましたよ? ありがとうございます♪」
そう言ってエレナは、笑顔で軽く頭を下げる。
「あ、いえ、そんな大したことは……。あ、じゃなくてですね!」
どうやら男は、先日のチンピラのマネをしているようだ。だが慣れない演技で顔が真っ赤になっている。
この男、ハルは、ギルド内ではそれなりに顔を知られた冒険者だ。
等級も高くはなく、クエストの実績も目立たないが、彼は受けた依頼を誠実にこなす、人望の厚い冒険者だった。
他の冒険者がやりたがらない実入りの少ないクエストも、受付に『困ってる方がいらっしゃって……』と言われると、断れない達なのだ。
報酬は多くは出せない。だが他に頼れるものが無く、ギルドに依頼を出す。
そういったクエストほど、達成した暁には依頼主から感謝もされる。冒険者の株が上がるのは、他の冒険者にとってもありがたいことである。
ああいうのがいてもいいよな。そんなふうに。たまに話しに上がるほどには、ハルは慕われていた。
彼の人となりは、ギルド内の誰もが知るところである。
当の本人は、そんなことにはまったく気づいていないのだが。
そんなハルがたどたどしく、慣れない乱暴(?)な言葉を、顔を真っ赤にしてまで使う理由も、なんとはなしに判る。
その思いを汲んで、職員を含め、ギルド内のみんなが鑑賞モードになるのだった。
(頑張ってるな)
(そうだよな、そのやり方しかないもんな)
たまに起きるギルド内でのトラブル。それに合わせるかのように行使される無詠唱の魔法。
ならば、トラブルを起こして魔法を使わせ、その発動時に発生する、魔力の源を探る。
皆が考えていたことだ。
だが、冒険者カードを剥奪されるリスクを犯してまでそれを実行する者などいない。
まして高い力量の魔法使いが行使した魔法は、いつ解除されるか、判らないのだ。突き止めたとしても、解除してもらえる保証も無い。怖すぎる。
だいたい、冒険者はすべからく、ギルドにはいつも世話になっているのだ。
冒険終わりのボロボロになった体で、クエストの結果報告をしにギルドに戻り、そこで受付嬢の笑顔に癒やされたことのある者なら、到底実行できない作戦だった。
(でもあんたには荷が重いよな……。そういうキャラじゃないもんな)
(どこかにいるんなら、使ってやってくれないかな、魔法。なんでもいいからさ。見てらんないよ)
ハルは時たま辺りを伺うが、何も変わったことはない。
結局、何の魔法も行使されることもなく、彼にとって耐え難い数分が過ぎていった。
とうとう顔を伏せてしまい、モゴモゴ言うこともできなくなる。
「ということで、規定どおりの額でして……」
「そ、そうですよね、あ、あの、すみませんでした……」
「いえ、いつも助かってます。またいらっしゃってくださいね。お任せしたいクエストがたくさんありますので」
「はい……」
皆が優しい目でハルを見つめる中、彼は半泣きでギルドを後にした。
……
ギルドを出たハルは、トボトボと路地を歩いていた。
明日からギルドに顔出しにくいなあ。
それでも、ああするしかなかった。どうしても、強力な魔法使いが必要だったのだ。
そうして重い足取りで歩いていると、不意に、ドサッという音と、続いて、女の子の泣き声が聞こえてきた。
振り返ると、5歳くらいだろうか、小さな女の子が泣きじゃくっている。
転んだか?
ハルも冒険者の端くれである。応急手当用の装備は、常に腰のバッグに入れて持ち歩いている。
バッグの口を開けながら、手当てをしようと足を向けたとき、女の子の泣き声が止んだ。
「?」
ハルは、一瞬足を止めて、考える。
怪我をした子どもが、すぐに泣き止むものか?
手当てをされた様子はないし、されたとしても、しばらくは泣き続けそうなものだ。
なら、誰かが治癒魔法を使ったんだろう。冒険者でも近くにいたか?
治癒魔法。ヒール。
「……!」
だが、詠唱は無かった。
何度も救われてきた治癒の魔法だ。その詠唱を聞き逃すことなど、ありえない。
女の子の向こう側へと視線を移す。果たしてそこには、足早に去っていく人影が見えた。
あの人物こそ、無詠唱者に違いない。
ハルは急いでその人物を追った。
だが、もう少しで追いつく所まで来たときには、かの魔法使いは、すでに数人の人混みに紛れこんでいた。
「くそ、いったい誰だ……」
この中の誰かのはずなのに!
「お、お兄さん」
ふと、低い位置から声が聞こえた。見ると、さっきの怪我をしていた女の子だった。
「? あ、うん、大丈夫だった?」
「えっとね、えっとね、」
女の子は何か伝えようとしているようだが、見知らぬ大人に声をかけるのに緊張して、上手く喋れないでいる。
「あの、お兄さん今、急いでるから、」
無下に話を終わらせたくはないが、千載一遇の好機を逃すわけにはいかない。迷いながらも、ハルが会話を終えようとしたとき。
「あ、あの、あのね? あのお姉さんが、お兄さんのこと足止めしておいてって!」
「うん? え!?」
その子が指差す方を目で追うと、数人の人混みの中にただ一人、若い女を見つけた。
あの子か!
「あ、ありがとう! 足止めはもう十分だよ? お姉さんに、『足止めされちゃったー』って伝えてくるね?」
「うん!」
女の子は無邪気な笑顔で、元気よく返事をしてくれた。
ちょっといたたまれないが仕方ない。
ハルは急いで女のもとへ駆け寄った。