5章 第240話 真と鏡花の社会人デビュー
成人式を迎えた日から2年と少し、俺達は留年する事もなく無事ストレートに大学を卒業した。
鏡花は県内にある、さや姉が勤めている藤原書房の支社へ就職。俺は教師として、母校である美羽東小学校で勤務する事になった。
思えば大学3年からは忙しい日々だった。本格化する就活に、鏡花との同棲を視野に入れた資金作り。
俺は教育実習等があったし、鏡花は鏡花でインターンシップ等もあり瞬く間に時間が過ぎて行った。
今はまだ実家暮らしだけど、給料が入り始めてある程度落ち着いたら同棲を始める予定だ。俺達の勤務先へのアクセスとして、そう悪くない物件の選別も進めている。
「だ、大丈夫かな? 私、変じゃない?」
「大丈夫だよ、良く似合ってる」
「うう、不安だよ」
鏡花は本日、会社の入社式がある。その為に鏡花はスーツ姿だ。社会人となった彼女は、もうすっかり大人の女性だ。
どんどん大人びていった鏡花は、もう十分に美しい。誰もが振り返るとまでは言わないが、魅力的な大人の女性である事は間違いない。
鏡花は以前からずっとショートボブだったけれど、少し髪を伸ばして今はミディアムヘアになっている。
その黒い髪には、今も変わらず淡いブルーのインナーカラーが入れられている。そして昨年に眼鏡を新調して、フレームレスの眼鏡に変えている。
流行りのメイクを施した、小さな顔に良く似合っていた。相変わらず小柄な体型だけど、スーツが結構似合っていた。
スーツの似合うカッコいい大人の女性と言うよりは、可愛らしい女性と言う方向性ではあるが。
「安心しろって。今日も綺麗だよ」
「い、今はそう言う話じゃなくて!」
「おかしくないから、ちょっと落ち着いて?」
「う、うん」
基本的に自信がなくて、小心者な所は大人になっても相変わらずだ。入社式だから緊張しているのもあるのだろう。
不安で眠れないからと、昨日うちの家に出社の準備まで全部持って泊まりに来たのは少し面白かった。
あまりにも鏡花らしいと言うか、可愛らしい理由だった。これから社会人としてやって行くのだから、俺だってそれなりの不安はある。
だから気持ちは分かるけど、ちょっと慌て過ぎだ。このまま送り出したらどこかで転んでしまいそうだ。
高校や大学と違って、俺は一緒に行けないから少し不安に思う。大人っぽく成長した部分もあれば、昔と変わらない部分もあるのだから。
「ちゃんと社会人に見えるから、心配しなくて良い」
「あ、ありがとう」
「慌てて転ばない様に気をつけろよ?」
俺は自宅からそう離れていない小学校に赴任するから、鏡花より遅く家を出る。鏡花の方は電車で、県の中央辺りまで行く。
時間にして凡そ40分程の時間が掛かるので、歩く時間も考慮すればもう少しで出発しないといけない。
まだ予定の段階だけど、位置的に電車で20分ぐらいで通勤出来る地域に2人で住む計画を立てている。
そうすればお互いの出勤時間がほぼ同じになる。でもそれまでの間は、何とか40分掛けて通勤して貰うしかない。
少し可哀想ではあるけど、仕事が続けられるかどうかも大事だ。1ヶ月後には合わなくて辞める可能性もある。感情と勢いだけで住む場所を決める訳にはいかない。
さや姉から聞く限りでは、そんな酷い労働環境では無い様だけど。でも念の為だ、転職先がもっと遠くなってしまったら元も子もない。
「ふぅ……良し、い、行って来ます!」
「鏡花、ちょっとおいで」
「え? うん」
軽く抱きしめるだけのハグ。皺になってはいけないから少しだけ。初出社の前に、頑張れよの意味を込めて。
そして俺自身にも、言い聞かせる。今日から俺達は社会人だ、これから頑張ろう。本当の意味で大人になるのは今からだ。
社会に出て、働いて稼いで自分の力で生きて行く。そしてその上で俺達は、2人で協力して生きて行く。
今まで以上に大変な日々が待っているだろう。思いもよらない事態に見舞われる事もあるかも知れない。
それでも俺は、この子の支えであり続けたい。彼女にとっての一番であり続けたい。例え何があったとしても、それだけは今までと変わらない。
「気をつけてな」
「う、うん。ありがとうね」
「じゃあ、行ってらっしゃい」
「うん! 行って来ます!」
鏡花が玄関を出て行く、その小さな背中を見送りながら心の中でエールを送る。今日までを頑張って来た鏡花なら、これからも絶対大丈夫だから。
そしてそろそろ俺の方も、出発の準備を進めないといけない。寝る時に使っている高校のジャージを洗濯かごに入れてスーツに着替える。
今日は先ず新任の挨拶と職員会議だ。それから受け持つクラスの話や、入学式についての説明や準備も始める。
かつて俺が教わる側だった場所で、今度は俺が子供達に教える。インターンシップや教育実習も経験はしたけど、自分のクラスを持つのはこれが初めてになる。
最初から何もかも上手く行ったりはしないだろう。かつての俺の様に、体育だけはやる気満々な生徒もきっと居るんだろうな。
「うっし、俺も行くか!」
身嗜みを整えて必要な荷物をカバンに詰める。鏡花が作ってくれた弁当も忘れずに持って行く。これからは鏡花の弁当が無い日のお昼をどうするか考えないとな。
そんな事を思いつつも、自転車のかごに荷物を載せて自宅を出発する。今日から俺は、学校の先生だ。良い教師になれる様に、精一杯頑張ろう!




