5章 第229話 手放せない時間
真の家に泊まった翌日の朝。私も真も寝覚めは良い方なので、どちらが先に起きるかは日によりけり。
今日はどうやら、私の方が先に起きたらしい。同じ布団に包まって、起きた朝の気分はとても良い。
ただ同時に、朝からドキドキさせられる危険も孕んではいるけれど。もう何度も目にした真の寝顔は、いつ見ても綺麗だ。
男性なのにまつ毛は長いし、何かいい匂いするし。ズルいなぁと思いながらも、つい眺めてしまう。
ほどほどにしておかないと心臓に優しくないので、ほんの数秒程度の時間でしかないけれど。
そんな朝の楽しみを少しだけ満喫してから起きようとしたら、今しがた起きたらしい真の腕が私を掴んだ。
「あ、えと、おはよう?」
「おはよう鏡花」
「あの、これは一体、わっ!?」
何だか今日の真はいつもと様子が違う。力強く引き寄せられて、すっぽりと真の腕の中に収められた。
男性らしい逞しい体に、安らぎをくれる真の香りに包まれる。こんな風に抱き寄せられるのも嫌いじゃないけど、心の準備がまるで出来ていないので困る。
優しく抱き締められているから、離れる事も出来なくはない。だけど離れようとは思えなくて、結局そのままになってしまう。
だって仕方ない、困惑よりも安らぎの方が勝つのだから。心拍数は上がっているのに心は安らぐと言う矛盾。
「えっと、どうしたの?」
「可愛いかったから」
「まだメイクもしてないのに……」
「そんなの関係ないよ」
耳元で優しくそんな事を言われてしまうと、もう全てを委ねてしまう。未だにドキドキはしていても、緊張は簡単に解けてしまう。
理由は何だか分からないけど、今朝からやたらと真が情熱的だ。ちょくちょく言われるけれど、真はどちらかと言えばすっぴんのままが好きらしい。
メイクをした姿もそれはそれで良いらしいけど、その辺りの男性の気持ちは良く分からない。
絶対にしていた時の方が見栄えは良い筈なのに、そうではないらしい。もちろん、それは凄く嬉しい事だけどちょっとこそばゆい。さっきから顔が熱くて仕方ない。
「何かあったの? 悪夢を見たとか」
「そうじゃないよ。ただ鏡花が可愛かっただけ」
「うぁ……」
もう死んで良いかも…………いやそうじゃなくて。本当に何だろう今日の真は。こんなに熱烈に求められる事は、無いとは言わないけど珍しい。
どうも衝動的なものらしいけど、反応に困ると言うか。もうされるがままになるしか出来ない。
頭を撫でる手が凄く優しくて、また軽い眠気がやってくる。凄く落ち着くし、嬉しいけど二度寝は出来ない。今日は平日だし大学もある。
私も真も2コマ目に講義があるから、そこまで長い時間ゆっくりする訳にはいかない。名残惜しいけど、そろそろ起きて準備を始めないと。
「そろそろ起きないと」
「……もう少し駄目か?」
「そ、それは……良い、けど」
起きないといけない、そんな意思は簡単に崩れ去る。そりゃあ私だって、もう少しこのままで居たい。
大学に行くよりも、真とこうしている方が嬉しいに決まっている。それなのにそんな風に言われたら、断る理由なんて無くなる。
それにまだ余裕はある、急いで起きる必要はない。そんな言い訳が、あちこちから湧いて出て来る。
実際まだ1時間以上の余裕があるのは確かだ。朝ごはんの準備に、お弁当の用意。2人でやればすぐ済むので、まだ暫くはこうしていられる。
「きょ、今日は本当にどうしうむっ!?」
「…………そう言う気分なんだよ」
「は、はい」
いきなりキスもして来るし、朝から本当に熱烈だ。真剣な目でそんな事を言われては、何も言えない。
気分なら仕方ない。私にだってそう言う時はある。でもあるとは言え、中々積極的にそれを表す事は出来ないけれど。
その点真は実にストレートだ。私の様に言い出せ無かったりはしない。私は本当にたまに、稀に言える時はあるけれど大体は言い出せずに終わる。
やっぱり恥ずかしい気持ちが勝ってしまうから。今更何をって話ではあるんだけど、やっぱり私には難しい事で。
せっかく真がこんなに好意を示してくれているのだから、私も甘えてしまって良いのかな。今この時間ぐらいは。
「真、あの、手」
「ん?」
「繋ぎたい、なって」
真の大きな手と、私の少し小さな手が重なる。それぐらいの事でと、普通の人達なら思うのかも知れない。
だけど私にとっては、とても大事な行為だ。始めて繋いだあの日から、忘れられなくなった温もり。今では当たり前になった繋がり。
ただ手を繋ぐだけの行為でも、私にとっては大切な意味がある。一緒に居るんだって、ここに居るんだって確認する行為。
一番分かり易く、お互いの感情を確かめられるから。小学校の授業などで繋ぐ異性とのそれとは全く違う。
好きな人とだけする恋人同士の手繋ぎは、安らぎと愛情が詰まっていると私は思っている。
「なぁ鏡花、今日だけどさ」
「うん」
「休むか、大学」
「……うん」
本当は良くない事だって、分かってはいるけれど。一回やったら、また同じ事をしてしまうかも知れない。
慣れてしまったら、どんどん心理的なハードルは下がるに違いない。それを分かってはいるんだけど、やっぱり今この幸福感を手放せない。良いよね今日ぐらい、真に一杯甘えても。




