4章 第186話 動機が不純でも皆が幸せならオッケーです!
その日も真は、鏡花の母である杏子の説得に来ていた。1ヶ月と少しの間、迷惑にならない範囲で定期的に通う真に、杏子も折れそうになっていた。
単に一緒に暮らしたいと言うだけなら、杏子も態度を変えなかった。しかし真の願いは、あくまで鏡花の幸せと未来を守る事。
その真っ直ぐで真摯な気持ちに、反対の姿勢を維持出来なくなっていた。杏子としても、自分の行いが娘を不幸にしていた自覚がある。
自分の決定が、また娘を不幸にしてしまうかも知れない。その可能性を考慮すれば、鏡花をこのまま過ごさせた方が良いとは考えていた。
しかし問題は、その生活基盤。杏子1人の収入だと、このまま美羽市に居続けるより実家に戻る方が良い。
その事実は動かしようも無く、問題解決の障害となっていた。そんなある日の事、重苦しい空気を吹き飛ばす、暴走機関車がノンブレーキで鏡花を乗せて現れた。
「突然の訪問、失礼します」
「あの、貴女は?」
「鏡花さんのお母様ですよね? 私は篠原美佳子と申します」
突然現れた女性の名は篠原美佳子。27歳にして元モデル、現在は有名配信者兼投資家である。
そして最近になって、バーチャルタレントを管理する芸能事務所を設立したばかりの女社長でもある。
自身が演じる園田マリアとしての活動から得た資金と知名度を活かし、半月ほど前に出来たばかりの事務所である。
しかし既に結構な認知度を誇っていた。現在は一期生のオーディションを行っており、半年以内には本格的に始動する予定となっていた。
既に地方の遊園地とコラボした実績もある為に、新参ではあっても躍進する可能性を十分に秘めた事務所である。
「え? あそこの遊園地と?」
「そうです。現在も継続してコラボさせて頂いております」
「配信とか良く知らないけど、凄いのね」
素の言動こそ酷いものだが、こうして大人としての会話もちゃんとこなせるのが美佳子の強みでもある。
好きな様に生きたいからこそ、1人の大人としての姿勢も取れる女性であった。若くして成功しただけあり、話術にも優れている。
あれよあれよと杏子に対して実績を披露していく。チャンネル登録者数や再生数、それによる収入など様々な情報を提示していく。
配信活動に対してそれほど明るくない杏子でも、実際の数字を見せられれば理解は出来た。
「実は鏡花さんにも、うちで活動して貰う予定でして」
「うちの娘がですか? 大丈夫なんですか?」
「こちらが娘さんのチャンネルです。この通り、十分やって行ける数字ですよ」
もちろん鏡花はVtuberなどやらない。今まで通り好きな様に歌を投稿するだけだ。しかし良く分かって居ない杏子には十分な説得力があった。
実績に関しては本当だが、鏡花がこれから芸能事務所に入ってやって行く事はない。美佳子によるただの適当な理由作りでしかない。
それっぽくやれば良いかな、ぐらいの意識しか美佳子には無い。鏡花にただお世話されたい、それだけの為にここまでやると言うだけである。
「実は私が持っているマンションの一室がありまして」
「え、ええ。それが?」
「寮の様な使い方をしようと考えていまして。試験的に鏡花さんと、宜しければお母様もと」
物は言い様とは良く言ったもので、ついさっき考えた思い付きであった。事務所兼倉庫か何か程度にしか、購入時には考えて居なかった。
それが鏡花の現状を聞き、有効に活用する事を決めただけだ。これが上手く機能するなら、本当にそんな風に使えば良いや。
それぐらい軽いノリで決めてしまった。ただ実際に所有者は美佳子であるからして、どう使うかは彼女の自由だ。
賃貸では無いので又貸しにもならない。分譲マンションを購入した本人なのだから、そこに何の問題も無かった。
「でも……そんな費用なんてとても……」
「いえ、月々これぐらいで構いませんよ」
「えっ!? こ、こんなに安いんですか?」
「もちろんその分、鏡花さんには頑張って頂きますよ?」
今回の問題で、一番のネックだった住居問題。それを簡単に解決する方法を提示出来る唯一の存在。
それがこの普段は残念な美人を体現する、篠原美佳子だった。赤の他人であり、無償でもない。投稿活動と言う分かり易い名目もある。
おまけに高級住宅の一角に有り、女性の二人暮らしも安心なセキュリティ。現在の自宅よりは離れてしまうが、鏡花が転校する必要もない。
杏子も転職を今すぐする必要がなくなり、地元長野での転職先を探す時間的猶予も出来た。誰も損しない、完璧な解決策がそこにはあった。
「でも、本当に良いんですか? こんな好条件で」
「それだけ鏡花さんに価値があると言う事ですよ、お母様」
「鏡花が……」
そこだけ見れば、立派に成長した娘を知る母親の感動的なシーンである。しかし実際には、とても残念な理由から来ている事を鏡花は知っている。
それっぽい事を並べ立てているが、単に鏡花にお世話をされたいだけである。これなら毎日来てくれるよね! と言う副音声が鏡花にはしっかりと聞こえている。
この人、毎日食事を作らせる気だ……と鏡花は戦慄していた。そこまでやる美佳子の執念に。
「凄いな、鏡花はこんな人と知り合いだったのか!」
「えっ、あっ、うん……そう、だね」
俺もまだまだ頑張らないとな、そんな風に気合いを入れている真の目を鏡花は見れなかった。
そんな良い感じに青春するシーンではない。ただぐーたら生活を続けたい残念な大人の欲望が生んだ一つの結末だった。
嬉しいけど、素直には喜べない。そんな複雑な気持ちで母親と彼氏から目を逸らす鏡花であった。