4章 第179話 知らないと言う罪
鏡花がさや姉みたいになりたいと言い出した時は、衝撃のあまり意識を失い掛けた。
なりたい職業を探していた筈が、どうしてそうなったのか理解出来なかった。小春化が進んでいると危惧していたらコレである。心臓が止まるかと思った。
しかし良く話を聞いてみれば、出版社に就職したいと言う話で安心した。そっちの意味だったらしく、体から吹き出た変な汗は引いてくれた。
鏡花は鏡花のまま大人になって欲しい。あんな破天荒が服を着ている様な女性にはならないでくれ。
「それで、相談は済んだのか?」
「うん。大体は話せたよ」
「それなら良かったよ」
厄介な従姉ではあるけど、未成年の相談に不義理をする様な人ではない。ただ頻繁に遊ばれてしまっただけで、悪い人ではないから。
弟が欲しかったらしく、丁度良いおもちゃだっただけだ。出来ればそのまま、良き姉として過ごしてくれれば助かったんだが。
そんな事を今更言っても、振り回され続けた過去は無くならない。面倒見は悪くないし、そこは良いんだけど。
実際、鏡花には親身になってくれているみたいだ。ただ余計な事さえ言わずに居てくれればそれで良い。
「変な事とか、言われてないよな?」
「変な事って?」
「……俺の小さい頃の話とか」
悲しい事にあの従姉様には、色んな過去を知られ過ぎている。まだ鏡花には知られていない過去の失敗など、まだまだ沢山あるのだ。
ポロッとバラされたりしたらたまらない。知らないままで良い事は、このまま知られずに居たい。
まだまだガキだったから、バカみたいな失態は幾つもしている。大した事では無いけれど、だからこそ恥ずかしい。
だからと言って接触するなとも言えず、非常に複雑な気持ちだ。この先も大丈夫だと言う保証はどこにもない。
「特にそんな話はしてないよ」
「なら良かった」
「でも私は知りたいよ? 昔の真の話」
「えぇ〜何で? もう何にもないって」
これまでに散々小春達からも聞いているだろうに。これ以上となると、本当にしょうもない話ぐらいしかない。
残りは恥ずかしい失敗とか、馬鹿みたいな勘違いとか。鏡花が聞いて喜ぶ様なエピソードはもう無い。
大体はサッカーばかりの人生だったから、他に何の話題もない。小春の言う様に、まさにサッカーバカとしか表現出来ない。
あんまり遊んでも居なかったし、さや姉が絡まない限りは平凡な日々だ。鏡花に話す様なエピソードはもう無い。
「逆に鏡花の過去を教えてよ」
「え、私の? どうして?」
「あんまり話してくれないからさ」
何となく察していたけど、鏡花は過去を語りたがらない。全く話さない事もないけど、やんわりと流される事が多い。
恥ずかしいだけなのかと思っていたけれど、どうにもそう言う理由では無さそうだ。
友達程度の関係なら深くは尋ねないが、恋人ともなれば話は別だ。付き合って1年以上経つのだから、そろそろ聞いても許されないだろうか。
以前はどうして居たとか、何を感じていたとか。そう言うかつての鏡花を知りたいと思う。
「えと……面白くないよ?」
「それは聞いてみないと分からないよ」
「ほら、地味だし」
「そんなの気にしないって」
やはり語ろうとはしない鏡花の過去。面白くないとか、そんなのは気にしていない。ただどんな日々だったのか、知りたいだけだ。
華々しさなんて求めていない。と言うか、ぶっちゃけ知りたいのは一つだけだ。過去に鏡花が好きになった男が居たのかどうかだ。
主に中学時代を中心に。ライバルになり得る相手が居たのか居ないのか。そこが非常に重要である。
それにどんな相手を好む傾向にあるのか、知っておくのは重要だ。これから先に進む上で、知っておきたい。
「ほら、どんな人を好きになったとかさ。知りたいなって」
「好きに? どう言う事?」
「ほら、その……好みの男子とか」
あんまり会えない日が続いたのもあり、普段は聞かない様な事を聞いてしまった。全然気にしていない風を装って来たけど、実は凄い気になっていたのだ。
鏡花がどんな男に惹かれた過去があるのかが。頭が良いタイプとか言われたら、まあまあ凹む。
だから知りたくない気持ちもあるし、同時に知りたいと言う気持ちもある。どう処理して良いのか分からない複雑な感情だ。
特にこちらは知られているだけに、余計にその焦りに似た感情が心の片隅に残り続けていた。
「えっ? 好みの男子? うーん……」
「ほ、ほら、中学とかに居なかったか?」
「頑張ってる人、かな? でも好きとは違うかも」
いまいち参考にならない答えだ。好きになった人が他に居ないと言うなら、俺としては嬉しくもある。
だがこれからの未来に活かすべき部分がない。嬉しい気持ちが半分、ガッカリ半分で何とも言えない。
今度結城さんにでもこっそり聞こうか。鏡花がかつて誰かに恋した事があるのかどうか。
しかし本人に秘密で聞くのも何だか悪い気もする。実にデリケートな問題だ。それに聞いたからって、教えてくれるかも分からない。
「私、恋愛経験全然ないから」
「そ、そうなのか」
「やっぱり変かな?」
「そんな事はない、俺も似たような感じだ」
結局そんな感じで、過去の掘り下げは出来なかった。鏡花が初めて好きになった男が、自分だと言う事に浮かれて。
その大きなミスに気付いたのは、この数日後だ。少しずつ過去を開示してくれる様になって来た鏡花に、もっとしっかり聞くべきだったのだ。
これまでに鏡花が歩んで来た軌跡を。佐々木鏡花と言う女の子の取り巻く環境について。これまで聞いて来なかった結果が、ついにやって来る事になる。
そろそろクライマックスに向けての動きを始めます。