4章 第171話 壊れてしまった家族の現状
コロナってインフルと大差ないぐらいしんどい
現在の佐々木鏡花は満たされていた。葉山真と言う少年のお陰で。赤の他人にも関わらず、無償の愛情を向けてくれるから。
本来ならそれを与えてくれる筈の両親は、まだ鏡花が幼い内から興味を失っていた。親として未熟であった、それは間違いないだろう。
親として最低限の役目だけをこなしていた点だけは、多少なりとも認めても良いのかも知れない。
最も、親として責任ある日々を過ごしている人々からすれば最低限すら担えて居ないと憤るだろうが。
「どうかしたのか?」
「……いえ、何でもないわ」
鏡花の母親、佐々木杏子はその日も不倫相手の家にいた。当たり前になったこの歪んだ日常に、麻痺してしまった自分を理解はしている。
まだ幼い娘を放置して、自分の恋愛を最優先にしている。それが褒められた行為でないのは分かっている。
それでも、杏子とて1人の女性。異性として愛されたい欲求はある。旦那と結婚した頃は、幸せな日々が続いていた。
子供が出来たと分かった時など、幸せの絶頂であったぐらいだ。しかし鏡花が生まれた頃から、少しずつ歯車が狂い始めた。
育児が最優先になる為、夫婦の時間は減って行く。最初は小さなすれ違いに過ぎなかった。それが少しずつ広がって、鏡花が大きくなるに連れて溝は深まっていった。
「ほら、寝室へ行こう」
「ええ」
杏子が気付いた頃には、既に旦那は杏子より若い女性と不倫関係にあった。どうしてこうなったのか、彼女は悩める日々が続いた。
鏡花はまだ幼く、離婚してシングルマザーとしてやって行くのは大変だ。何より杏子はまだ、旦那の事を嫌いになったのではない。
次第に家に帰って来る事が減った旦那に、つい意趣返しのつもりで出掛けた先で過ちを犯した。結果出来上がったこの歪な関係性。
一番愛する人は旦那のままなのに、自身を愛してくれる男に依存している。良くないのは頭で理解出来ても、最早理性では制御出来なくなっていた。
「杏子、おいで」
「ええ」
誰かに愛されたいと言う欲求に負け、こんな爛れた関係に溺れている。産後に落ち着いてから、やって来た愛欲の解消。
それが上手く出来ずに、溜まっていたフラストレーション。その行き着く果てが不倫と言う形。
始めの内は罪悪感も感じていたが、次第にその罪悪感さえ楽しめる様になっていた。そして何より、旦那もやっていると言う事実が免罪符と化す。
次第に薄れて行く罪の意識が、更に関係性をエスカレートさせて行く。最初は頻繁に帰宅していたのに、気付けば殆ど家を空けていた。
自分が母親だと言う意識も薄れて行く。しかしそれも、ある時を境に再び思い起こされる。
「なあ、娘には会わせてくれないのか?」
「えっ……どうして?」
「将来娘になるんだから、会ってみたいんだ」
そこで感じた危機感は、母親としては最低のものだった。鏡花に取られるのではないか、そんな事を考えてしまった。
そして直後に後悔した、もうまともに面倒を見ていない事実に。母親として最悪の行為をしていると、かなり後になって思い出したのだ。
もし不倫相手が、鏡花も狙っているのならそれは阻止したい。娘が居る母親の再婚では、良くあるパターンだ。その程度の知識はある。
せめて母親として、それぐらいはしたかった。自分の欲の為でなく、娘の幸せな未来の為に。
「もう少し大きくなるまで待って。理解出来ないと思うから」
「確かにそうかもな」
理由を付けて、まだ会わせない方向へと持って行けた。娘も狙うのか、そんな事は聞けなかった。またすれ違いから、今の幸福まで失いたくなかったから。
まだ中学生の娘に、正式に父親になった訳でも無い男性を会わせられない。ましてや多感な年頃だ、こんな関係を知られては不味い。
両親共働きで、あまり家に居ないだけ。そう信じている筈の娘に、この現実はあまりにも酷だ。まだ何とかなる、そう思っていた。
「私はちゃんと、恋人だよ」
「鏡花……」
娘との間に、致命的な溝が出来たのは昨年の事。それまでは何とか家族をやれていると杏子は考えていた。
何時から鏡花は気付いていたのだろうか。そんな思考で頭は埋め尽くされた。母親面する資格なんてないのに、つい自分に重ねて娘に余計な口出しをした。
自分の様になって欲しくない、そんな思いで投げ掛けた言葉が裏目に出た。初めて見た、本気で怒る娘の姿。
それ以降は、家族が顔を合わせる機会が激減した。きっと彼の家に居るのだろう。1人虚しく食卓で、食事をしながら思う日々。
思えば自分が、こんな孤独を娘に与えていたのか。愚かにも自分が孤独になって、漸く気付けたのだ。幼い娘よりも、自分の恋愛を優先した結果だ。
「鏡花……」
いつの間にか鏡花は、見違えるほど成長を見せていた。服装に興味は無かった筈なのに、気付けばお洒落な格好をする様になっていた。誰かに教わったのか、メイクまで自分でしている様だった。
『お母さん、私もお化粧してみたい』
『まだ貴女には早いわ。大人になったらね』
そんな会話をしていた時が確かにあった。娘が大きくなったら、化粧の仕方を教える約束は果たされ無かった。
杏子が知る限り、中学生の頃はして居なかった。だから高校で誰かに教わったのだろうと、杏子は当たりを付けた。もう叶う事は無い母娘の誓いは、儚く消え去った。
それだけではない、信じられない程にカッコイイ彼氏が出来ていたのだ。不覚にもアリだなと思ってしまった自分に、更なる自己嫌悪が生まれる。
娘の彼氏をアリだなんて考える、そんな母親は許されない。後悔と自己嫌悪に苛まれている所に、追い打ちが杏子に襲い掛かる。
「鏡花は魅力的な女の子ですよ!」
「そう……なのね」
目を見張る様な素敵な男の子に、真っ直ぐな愛情を向けられる娘。何と言う皮肉な状況だろうか。
惨めな現状をただ誤魔化す事に必死な母と、誰もが憧れる様な日々を送る娘。持ちたくないと願っても、杏子の中で湧き上がる嫉妬の炎は消えてくれない。
願った筈の娘の幸せが、杏子を苦しませる結果となった。娘への罪悪感と、複雑な気持ちをただ抱える日々。それが今の佐々木杏子が送る日常だった。
鏡花ちゃんが小学校高学年~高1までの母親視点。
2章 第75話 崩壊の兆し 母親視点
3章 第101話 すれ違い 母親視点
と言う構成でした。回収が遅い(天狗面)