4章 第170話 鏡花と温泉旅行 後編
「見て見て! 足湯だって」
「ホントだ。ちょっと寄ってみるか」
鏡花と2人で温泉街を歩いている。街の真ん中を流れる小川と、街路樹から感じる仄かな自然。
歴史を感じさせる建物の数々が、この街の味なのだろう。あまり詳しくはないが、大昔から温泉地としてやって来たらしい。
それこそ江戸時代とか、それより前から。築百年とかそんなレベルの、建造物も中にはあるらしい。
来る前にネットで見たけれど、あまり覚えて居ない。それに付け焼き刃の知識より、今は可愛い彼女との時間の方が大切だ。
「足湯って初めてだよ」
「そうなんだ?」
「温泉旅行ってあんまり来た事ないから」
確かに、あまり子供が喜ぶ場所では無いか。風呂が好きな俺は結構行きたがったけど、周りの友人達には居なかった。
それよりはレジャーやテーマパークの方が人気は高かった。大きな屋根付きの足湯に浸かりながら、そんな過去に思いを馳せる。
そう言えば中学時代、小春にオヤジ臭いって言われたっけ。……あれ、もしかして鏡花にも思われてる?
「な、なあ。その、温泉好きってオヤジ臭いかな?」
「え? そんな事ないんじゃない? 綺麗好きなイメージだよ」
「そ、そっか。なら良いんだよ」
良かった。思ったよりオヤジ臭い所あるんだな、とか思われたくはない。俺もいつかは、オジサンになるんだけど。
それは分かっているけど、今からそう思われたくはない。たまに小春に言われる事があるから、言動には注意しないと。
「真、あそこでかき氷やってるよ」
「おっ、丁度良いな。この暑さだし」
「じゃあ行ってみる?」
足湯で暫しの休憩も出来たけど、この夏の暑さまで凌げてはいない。夏の風物詩とも言うべきかき氷と、エアコンの効いた店内で涼もう。
代々やっていますと言わんばかりの、趣ある喫茶店へと移動する。店内から海が見える、見晴らしの良い店だった。
2階には展望スペースがあり、テラス席もある。ただ今は涼みたいので室内一択だ。テーブル席に案内された俺達は、飲み物とかき氷を頼んで届くのを待つ。
「はぁ〜涼しいね〜」
「本当なら冬に来たいんだけどな、流石に今年は遊んでられない」
「大学生になったらまた来ようよ」
「そうしようか」
それは来年も、一緒に居ようと言っている様なもの。鏡花がそう思ってくれている。それが分かる瞬間は、いつまで経っても嬉しいものだ。
些細な日常会話でしか無いけれど、そこから得られる喜びは確実に存在している。望んで一緒に居てくれる、居たいからこうしている。
だからこそ今があるんだと言う、実感を得られるタイミングがある。多分きっと、これを大事にしないといけないんだ。何気ない日々こそが、凄く大事なんだと思う。
「どうかした?」
「いや、何でもないよ」
「あ、来たみたいだよ」
鏡花のいちご味と、俺のメロン味のかき氷。そしてレモンティーとアイスコーヒー。夏の暑さを吹き飛ばしてくれる、最高の食べ物を2人で満喫した。
お互いのかき氷を交換してみたり、ちょっと頭が痛くなったり。そんな有り触れた時間は、あっという間に過ぎて行く。
その後も色々見て回っていたら、気付けば夕方になっていた。楽しい時間と言うのは、いつもすぐ終わってしまう。夕食の時間が決まっているので、鏡花と旅館に戻る。
「美味しかったね〜晩御飯」
「地鶏が旨かったな。高いプランなだけある」
「私はお吸物のレシピが知りたくなったよ」
老舗旅館の、高校生にはちょっと早いお高い料理を食べさせて貰った。お互いに感想を良いながら、心の中では両親に礼を言う。
あちこちで活躍している両親のお陰で、少し大人なデートが彼女と出来ました。まあ、大人の時間はまだこれからなんだけれども。
これは彼女と一泊デートであり、晩御飯を済ませたら次は温泉な訳だ。
「そろそろ風呂にするか」
「あ、うん……」
入浴の準備をしながら、この後の展開には期待してしまう。温泉旅館で、湯上がりの鏡花が見れるんだ。そりゃあもう、楽しみでしかない。
絶対に綺麗に決まっている。鏡花は気にしているみたいだけど、小柄で細身でも色気はある。スタイルが良くないと、何も思わないなんて事はない。
鏡花の場合は、控え目だからこその良さがある。もちろんそれは、俺だけが知っていれば良い事だ。
誰にも教えてやるつもりはない。そんな事を考えていたら、不意に鏡花が手を引いて来た。
「えっと……どうせなら、あっちにしない?」
「えっ? い、良いのか?」
鏡花が示したのは、客室に用意されて居る露天風呂だ。所謂家族風呂ってやつで、これはつまり一緒に入ろうと言う事だ。
鏡花と一緒に入浴自体は、既に何度もしている。だけど、これはまた違うと言うか。温泉旅館で恋人同士、2人だけの混浴は普通とは違う。
特別な関係だからこそ出来る、2人だけの想い出。そう言う関係でなければ、先ず出来ない経験だ。
裸の付き合いと言う、日本特有の考え方がある。それが恋人同士で、温泉ともなると特級の一大イベントである。少なくとも俺の中では。
「……こっちが良いな」
「わ、分かった。じゃあそうしよう」
正直ちょっと期待はした。ワンチャン有るのではないかと。もしそうなったら、最高だなとは思っていた。しかしまさか、鏡花の方から良い出すなんて。
ここで応えないと言う選択肢はない。その日の夜は、特別な想い出となった。多分一生忘れられない。
そしてやっぱり、鏡花には不思議な魅力があると再認識させられました。謎の魔力が、彼女には宿っている。