4章 第155話 美人の隠された日常 後編
「あの、ちょっと掃除しても良いですか?」
「え? なんで?」
「色々踏んじゃいそうなので」
篠原さんの部屋は、まあまあな散らかり具合だった。私みたいなタイプがこの部屋を移動したら、色々な事故が起きそうだった。
何かに引っ掛かって転倒、ぐらいならまだ良しとしよう。倒れた先に高額な機材が、なんて事になれば大惨事だ。
とてもじゃないけど、この状況では安心して会話が出来ない。あと、シンプルに気になって仕方ない。私には耐えられない、この汚部屋具合は。
そしてここで人間が生活していると言う事実が、少し怖いと思った。火事になったら絶対に助からないと思う。瞬く間に燃え広がる未来しか見えない。
「そう? じゃあやろっか」
「ちなみにこれ、洗濯した服ですか?」
「ん〜〜〜どうだっけ? したかも?」
「えぇ……」
良く平気だなこの人、て言うかそりゃそうだよね。だから引き籠もれるVtuberを選んだんだろうなぁ。さっき引き籠もり最高って言ってたし。
誰かの企画で、視聴者のお部屋を見る配信を観た事がある。そこには、信じられない光景が広がっていた。
いつ食べたのか分からないカップラーメンとか、飲みかけのペットボトルが転がっていたり。
私なら発狂しそうな惨状だったけど、そんな環境で平気な人も居るのは知っていた。多分この人も、同じ類いの人種なんだと思う。
「あの、ゴミ袋貰って良いですか?」
「あ〜ちょっと待ってね。取って来るから」
篠原さんは、色んな物が転がった部屋をスイスイと移動して行く。散らかった部屋でも大丈夫な人は、どこに何があるか把握していると聞く事がある。
良くこれで転んだりしないなと、若干疑問に思ったけれど動き的に全てを把握しているっぽい。
凄い事だけど、もっと他の事に記憶領域を使った方が良いと思う。明らかに才能の無駄遣いでしか無かった。
「お、あったあった。ホイ!」
「おっと。ありがとうございます」
「そいじゃやろっか〜」
それから暫くの間、明らかにゴミと分かるモノ達をゴミ袋に詰めて行った。45リットルの地域指定ゴミ袋が、あっという間に一杯になって行く。
どれだけ掃除をして居なかったのだろう。モノによってはホコリを被り始めていた。こんな所でシンデレラ要素の伏線回収をしたくは無かった。
灰かぶりじゃなくて、ホコリ被りだけれど。意地悪な継母にやらされた掃除ではないけど、やって居る事はあまり変わりはない。
「あの、篠原さん」
「なにー?」
「業務用の割り箸があるのに、どうしてコンビニで割り箸貰うんです?」
「あ〜っ! そこにあったのか〜。探してたんだよね」
まだまだ袋に沢山割り箸が入っているのに、何でコンビニの割り箸がこんなに転がっているのか不思議だった。どうやら見失っていたらしい。
せめて机の上に置けば良いのに、何故床に直置きしたのだろう。こんなの無くなるに決まっている。
この人、どうやら大事なものだけは把握していても、こう言う物はどこに置いたか忘れるらしい。
良くこれで生活出来ているなぁ。普段の生活が想像出来ない。モニタリングとか、ちょっとしてみたいかも知れない。
「結構片付きましたね」
「いやー佐々木ちゃん掃除上手だね!」
「……篠原さんが出来なさ過ぎるだけですよ?」
家事スキルがどうも致命的過ぎる事だけは、この2時間ほどで理解出来た。掃除洗濯は適当だし下着等は、何回か着たら捨てているらしい。
何と言う豪快なお金の使い方か。そしてそんなズボラ人生を歩んでいるのに、こんなにスタイルが良くて美しいのは理不尽だと思った。
これが持つものと持たざる者の差、格差社会の真相なんだ。だけど不思議と、悔しい気持ちは浮かばなかった。何だろう、あまりにも残念過ぎるからだろうか。
「あの、ちょっと手を洗いたいんですけど」
「そこのキッチン使って〜」
「分かりました…………ヒェッ!?」
キッチンは、もう地獄だった。飛び交うコバエ、漂う腐臭と生ゴミ達。ともすれば黒光りするヤツが居ても不思議ではない、最悪の光景がそこにはあった。
どうして食べ残したコンビニ弁当をそのまま置くの? カップラーメンの残り汁腐ってるよねアレ。せめてシンクに流してしまおう?
玄関やリビングよりも、こっちの方が大変な事になっていた。考えてみれば、玄関からリビングまでがあの惨状なのだ。当然キッチンもこうなるに決まっている。
私の汚部屋への理解度が足りていなかった。どうやら、世の汚部屋と言うのは想像の遥か上を行くらしい。
「良くこれ平気ですね!?」
「息止めてたら平気じゃない?」
「そう言う問題じゃないですよ!!」
詳しく聞いてみれば、定期的に清掃業者を呼んでいるらしい。だから致命的なまでの状態にはなっていなかったんだ。
一定周期でリセットされるから、まだ人間が暮らせるギリギリのラインが保たれている。私はこの環境で暮らせないけれども。
そろそろ業者を呼ぶか悩んでいた所らしいけど、それなら呼んでから誘って欲しかった。借りる側としては、贅沢を言えないのだけれど。
「……片付けましょう」
「え、良いの? 助かるー」
「はぁ……何しに来たんだろう」
結局は玄関からリビング、キッチンにトイレと寝室まで綺麗に片付けた。見違えるほどピカピカになった篠原さんの家は、来た当初よりも随分広く感じた。
もうここまで来たら一緒かと思い、洗濯もしてあげる事にした。どうしてこの人、ろくに使わないのに乾燥機まで買ったんだろう。