4章 第141話 侵食する闇
せっかく良い空気のまま、3年生になれると思っていたのに出鼻を挫かれた。結局あれから両親が色々と動いてくれたお陰で、諸々の問題は沈静化した。
俺の事は別に構わないにしても、鏡花をあんな風に晒し者にされたのは許せない。ただ2人で楽しく過ごした事を、どうして心ない人間に邪魔されないといけないのか。
『怒るなとは言わないわ。でも冷静にはなりなさい』
「そんな事言われたって……」
『変な人に目を付けられる事はね、人生で何度かあるわ』
電話の向こうから、母さんに諭されている。確かにそうかも知れないけど、それで納得しろと言われても無理だ。何も悪い事はしていないのに、突然あんな風に横槍を入れられる。
こんな理不尽な事があるだろうか。どう考えても許されない行為だ。しかも、聞けばやったのは良い歳をした大人らしい。
子供のイタズラではなく、大人のとんでもない迷惑行為。何をやってるんだよ、それが大人のやる事なのかよ。
『とにかく、処置は私達に任せなさい。ちゃんと弁護士も居るから』
「……ああ」
『ごめんね、私のせいよね』
「そんな事はない!」
これは母さんのせいじゃない。あんな事を平気でやれてしまう奴がおかしいんだ。原因はバズりたいとか、そう言う欲に駆られた人間の悪意だ。
悪名でも有名になれたら有名人、そんな風に考える方が悪なんだから。実際あの記事だって、結局は何もまともな事は書けていない。
ただただ学生を晒し者にしただけだ。中身なんて無かったし、問題行為を何もしていないから母さんを叩くネタにも使えず仕舞い。
勝手に炎上しに行った残念な大人に、巻き込み事故を起こされただけだ。迷惑も甚だしいが。
『とにかくこんな人が出て来た以上は、これから気を付けなさいね?』
「そうするよ。二度とごめんだ」
『誰かに見られても問題ない交際にしなさいと言う意味よ?』
「……わ、分かってるよ」
問題はない、筈だよな。如何わしい店とか行ってないし、普通にデートしてるだけだしな。
家に泊めたからって、絶対やましい何かをしているとは限らない。……まあしてるんだけども。
ただそれはお互い合意の上と言いますか、日々の暮らしの中で決して避けられないと言うか。
日本は海外と比べたら特にセックスレスな国だと言うしね、そんな理由で別れる原因を作りたくないんだよな。あくまで必要な事として、自然な流れでそうなってるだけだから。
『真?』
「だ、大丈夫だって! 変な遊びはしてないから!」
『駄目だからね? 友達がやってるからって、変な薬や闇バイトに手を出したりしちゃ』
「しないよ! そんな事!」
そっち方面かよ! やるわけないだろそんな事。少なくとも警察のお世話になる様な事に手を染めたりはしていない。
昔のヤンキー漫画とかなら、そう言う描写があったりするけど。そんなのは古本屋にでも行かないとあまり目にする事はない。
大体そもそもの話、周りにそんな奴は1人も居ない。違法薬物とか、何が楽しくてやるんだよ。タバコと酒にも興味はないし、ギャンブルだって理解出来ない。
『はぁ……鏡花ちゃんのお母さんにも謝らないと』
「そっちは、さや姉が上手くやってくれるみたいだぞ」
『それでも一声掛けるぐらいはしなきゃ』
それはまあそうか。俺達が悪くないとは言っても、被害者の親である事に何ら変わりない。
平気で人様に迷惑を掛けられる、厄介な人間は何とも面倒だ。本当ならやらなくて良い事まで、やらないといけなくなってしまう。
これまで気を付けて来たけど、より一層他人に迷惑を掛けない様に俺も気を付けたいと思う。
『はぁ、本当に厄介だわ。久し振りよこんなの』
「昔もあったのか?」
『ええ。お父さんと付き合い出した頃に、ちょっとね』
ああ、なるほど熱愛報道的な話か。あれって何でやるんだろうな? 有名人が誰と付き合っているとか、どうでも良くないか?
知ったから何なんだよって思うんだけどな。学校でもそうだが、他人の恋路がそんなに気になるのだろうか?
今日まで生きて来て、そこが気になった事など一度もない。何組の誰が誰と付き合っていようが、全く興味がない。いちいち教えてくる奴の、共有したい気持ちが理解出来ない。
『話は変わるけど、鏡花ちゃんは元気かしら?』
「全然元気だけど? この前も教えただろ?」
『そう、なら良いんだけどね』
合唱コンクールの時に散々説明したんだけどな。どれだけ鏡花が活躍したのかを。あれは本当に凄かったからな。
とても良い物を魅せて貰ったと思う。それまで以上に鏡花の事が魅力的に見えた。そんな話を散々したんだけどな。動画も見せただろうに。
「何かあるのか?」
『……いえ、元気なら良いのよ』
「はぁ? そりゃそうだろ」
またしても俺は、気付く機会を失ったのだ。この時の母さんの質問が、どう言う意味だったのかを俺は理解出来なかった。
母さんは薄々感じていたのだ、鏡花の抱える悩みを。この時点で気付けていたら、また違った未来があったかも知れない。
その方が幸せだったかは、もう分からない。だけど少なくともの後々悔いる事になったのは、動かしようの無い事実なのだから。
薄っすらと俺達を侵食する暗雲は、この頃から少しずつ大きくなって来ていたのだ。