3章 第134話 戦いと心構え
鏡花達を含めた、全国から集まった合唱部の生徒達。結構な人数の生徒達が、開会式を行っている。
スポーツと違ってグラウンドや競技場ではないので、全員席に着いて式の進行を眺めるのみ。ただ、そこには確かな熱量があるのは感じられる。
競い合い雌雄を決する場面には、もう何度も来ているからだ。この空気感の中に居ると、つい自分も体を動かしたくなる。スポーツではなくとも、この雰囲気は変わらないんだな。
(じっとしてなさいよ)
(すまん、つい)
ソワソワしているのが伝わったらしく、小春に小声で抗議されてしまった。サッカー部を辞めてから1年近く経っても、結局まだまだ抜け切っていないらしい。
勝負事の空気感に、つい反応してしまう。俺が出場する訳でもないのに、どこか高揚してしまっている。少しは落ち着かないとな、まだ始まっていないのだから。
結局そのまま開会式は終了し、一旦解散となる。今日は午後の開会式のみで、明日の朝からコンクールが始まる。
そして明後日の午前中に閉会式を行い、俺達は地元へと帰る。余裕がありそうで、実はわりとタイトでもある。鏡花と出掛けられる時間は、そんなに長くない。
「居た居た。鏡花、こっちだ!」
「あ、2人とも。ありがとう来てくれて」
「良いって。気にすんな〜」
何か、思ったより元気が無い様に見える。少し前の鏡花に戻った様な、怯える様な雰囲気を感じる。
こっちに来るまでに何かあったのか? それとも着いてからか? 俺達の知らない何かがあったのか?
(ちょっと、アンタ何かしたの?)
(違う、と思うが。特に何もしてないぞ)
それは酷い勘違いだ、と思うんだがな。いや、マジで違うよな? 俺何もしてないよな? 昨夜もいつも通りで、今朝起きた時も普段通り。
その後鏡花を送り出した時も特に変化は無かったし、俺もいつも通りの対応しかしていない。ならやっぱり、その後に原因がある筈なんだが。
「あ~~鏡花、どうかしたのか?」
「えっと、その……不安になっちゃって」
「不安? どう言う事キョウ?」
「ちゃんと役に立てるかなって。凄い人も一杯居るみたいで」
ああ、なるほどな。そう言う事だったのか。それは仕方ないだろう、今まで鏡花は、こう言う舞台とは無縁の生活をして来た。
だから気圧されてしまったんだな、この独特の空気に。勝負を決める場に漂う、どこかピリピリとした張り詰めた雰囲気。それが鏡花を不安にさせる物の正体だ。
(ほら、アンタの出番でしょ体育会系)
(分かってるよ!)
すぐ隣に居た幼馴染が、脇腹を肘で突いて来た。今鏡花が感じているモノ、抱えている不安。これは1人で抱えても答えが出ない。
そしてどうしたら良いかを、俺は知っている。今の鏡花に必要なモノは、俺もかつて教えられた。
だから今度は、俺が教えてあげる事が出来る。その恐れや不安に、打ち勝つ簡単な方法を。
「なあ鏡花、ちょっと出掛けないか?」
「えっ? 今から?」
「良い店を知ってるんだ」
小春にはホテルに向かって貰い、鏡花が少し遅れる事を伝えて貰う。どの道、小春はさや姉の家に泊まるし、俺は両親の自宅に泊めて貰う。
当初の想定と分かれるタイミングが変わっただけだ。合唱部には悪いがちょっとの間だけ、鏡花を貸して貰おう。
今この女の子に必要な、大切な時間を俺が活かす。自惚れかも知れないけど、鏡花に一番効果的なのは俺の激励の筈だから。
「あった、ここだ」
「喫茶店?」
「そそ、母さんに教えて貰ったんだ」
上野にある昔ながらの、古風な見た目の静かな喫茶店。騒がしくもないし、かと言って誰も会話しないわけじゃない。
ちょっとした話をするには、丁度いい場所だ。元々連れて来るつもりだったから、この状況は好都合でもある。
2人用のテーブルに案内された俺達は、この店自慢のオリジナルブレンドを頼み席に着く。さて、こっからが俺の仕事だな。
「鏡花。その不安はな、必ず一度は抱える」
「そう、なの? 真も?」
「ああ、もちろん俺も抱えたよ。自分のせいで負けたらって」
1人だけで戦う競技とか、オーディションだったらまた違ったのかも知れない。もちろんそう言う場合だって、当然不安は抱えるだろう。
しかしチーム戦とは意味がまた違う。自分のミスで敗北したら、自分がもっと出来ていれば勝てたのに。
そんな状況への恐れは、どうしても最初は抱く。むしろ、一切考えない人なんて居ないんじゃないか? 考えないフリなら出来るとしても。
「考えない、は無理だ。残念だけどな」
「じゃ、じゃあどうしたら」
「それは後で良い。負けた時に考えるんだ」
「負けた、時?」
そう、これが出来るかどうかが大きい。負ける前から負けたらどうしようなんて、考えるだけ無駄でしかない。
負けてから悔しがれば良い、負けてから泣けば良いんだ。始まる前から考える事じゃない。勝負の前は絶対勝つぞとだけ考えていれば良い。それに何よりも、一番の戦いはそこじゃない。
「鏡花、勝負って一番の敵はなんだと思う?」
「それは……凄い人、とか?」
「それもあるけどな、一番の敵は自分だ」
「私?」
もうこれで良いや、俺はここまでだ。もうこれ以上は出来ない。やれる事はやった、だからもう仕方ない。
そうやって自分を納得させようとする、内なる諦めの声。ほんの数メートルがとてつもなく遠く見える。足を伸ばせば届く距離を、諦めようとさせる心。
それこそが一番の強敵だ。誰よりも恐ろしい怪物は、自分の中に住んでいる。そいつとどれだけ戦えるかが、本当の勝負なんだから。
俺はそれを、彼女に教えてやれる。だってもう何度も戦い続けた、手慣れた相手だから。
「そう、なんだ」
「そうだよ。だから周りは気にしないで良い」
「やって、みるよ」
まあ偉そうな事を言ったけど、そんなすぐに出来るかと言えば難しい。俺だって小学生の頃、初めての大会で負けて悔しくて。溢れる涙を堪えながら走って帰った。
結局はそんなものなんだけど、でも1つだけ特別な方法がある。心構えを持てなくても、何とかしてしまえる魔法がある。
「鏡花、右手出して」
「こう?」
「ちょっとそのままでな」
俺が昔、クラブサッカーに連れて行って貰った時に教えて貰ったおまじない。子供だったから、馬鹿みたいにあっさり信じた子供騙し。
だけどそれが、高校生になっても習慣になっていた不思議な行為。大した物でも無いと言うのに、謎の安心感が生まれる。
「これって、ミサンガ?」
「俺が昔買った残りさ。あ、安物だけど勘弁な?」
「そんな事は気にしないよ」
「よしっ! 出来た。ほら、これで両手が俺と繋がってるだろ?」
俺も昔そんな風に言われた。これでお前の右足には俺が着いてるぞ。そんな風にかつてプロだったコーチに付けて貰った。
まるで右足にプロの力が宿ったみたいで、急に上手くなれた気がした。まあ、実際はそんな事は無いんだけどな。
ただの子供騙しなんだけど、謎の自信が付くと言う効果はあった。これはそう言うおまじないみたいなもの。
鏡花の右手にはミサンガで、左手にはペアリングがあるからな。実質両手を俺が握ってるみたいだし。って言うのは、ちょっと格好を付け過ぎだろうか?
「…………ありがとう!」
「元気、出たみたいだな」
「うん!」
いつもの元気な鏡花に戻った様だ。そう、君はその笑顔が一番似合っているんだから。これでもう、鏡花は戦えるだろう。自分との戦いを。
次回、本番です。