逆月<さかさづき>
「ねぇ焔お姉ちゃん。この人本当に氷帝様なの? さっきから全然動かないよ」
「今それどころではないわ。ちょっとでも気を抜くとこやつ本当に死ぬぞ」
俺の攻撃をまともに受けた氷帝が、焔の治癒魔法を受けている。意識不明の重体だ。内臓は間違いなく破壊されている。それだけ本気で打ち込んだからだ。
俺もここまでひどい状態になるとは思ってなかった。四帝はもっと丈夫で、すぐ復活できるものだと思っていた。焔の時がそうだったからだ。後から知ったが、焔の回復力は特性だったらしい。氷帝は今も死の淵をさまよっている。
「おいイーファ。お前の魔力を少し貸せ。同じ適性の魔力があれば効果が上がるかもしれん」
「わかった。どうすればいい?」
「ワラワの肩に手を置いて、魔力を込めればよい」
イーファは言われた通りに焔の肩に手を置いて魔力を込めた。イーファの瞳の色が変わる。近くで見ると綺麗な碧色なのがよくわかる。魔力が伝わったのか焔の手元の光が大きくなった。
「ゴホッ!! ゴホッ!! ······ま、ママ!?」
「だからワラワはお主のママではないわ! 何度同じことをやるんじゃ!」
氷帝の意識が戻った途端に治癒魔法を止めて、焔は氷帝をひっくり返した。
「けが人に何てことしやがる!」
「お主がふざけたことぬかしておるからじゃ! あのまま放っておけばよかったわ!」
イーファの魔力が大分効いたのだろう。焔とじゃれ合うぐらいに回復していた。とりあえず大事にならなくて良かった。
やっと落ち着いたのか、ようやく氷帝とまともな話ができるようになった。
「やあ、まいったまいった! まさかあれ程とは思わなかったぞ! 色々と迷惑かけてすまなかったな!」
「お主これっぽちも耐えられなかったではないか。良くそれで亜大陸を守ってこれたな」
「こんな力を持ったやつはこの少年ぐらいだろ。俺らの相手が出来るのなんて落神ぐらいだろうからな」
「おい、桜火、こんなこと言うとるぞ。どうする?」
「お兄ちゃんから教わったものはそんなことには使いません」
(お! えらいぞ桜火!)
「オウカ? お嬢ちゃんの名前はオウカと言うのか?」
「うん。桜火だよ。お兄ちゃんの妹の光月桜火」
「···コウヅキ···オウカ。······」
氷帝は桜火の名前を聞いて、顎に手を当てて何かを思い出そうとしていた。そこへイーファが話しかけた。
「氷帝、桜火もかなりの実力をもっている。俺もここに来るまでに何度か立ち合ったが、桜火が本気を出してたら、俺も正直勝てるかわからない」
「···そうか」
「なんじゃ氷帝、腑に落ちんか?」
「いいや。逆に腑に落ちた。おいイーファ、お前レン達について行け」
「「「えー!!」」」
その場にいた全員が声を上げた。あまりの急な申し出にイーファが一番驚いてた。
「俺はあんたと一緒に亜大陸を守る。その為にこの力を使うと決めたんだ」
「いや。お前の力はもっと別のとこで使え。人には役割というのがある。亜大陸を守るのは俺の役目だ。お前にはもっと大きい役目がある」
「大きな役目? 一体それはなんだ」
「それを探すためにレン達について行けって言ってるんだよ」
俺達の意見を無視して、氷帝とイーファのやり取りが続いた。氷帝は突然こんなこと言い出したのは桜火の名前を聞いてからだった。
「氷帝様、桜火の名前で何か気になることでもあったのでしょうか?」
「うーんそうだなぁ、しいて言えば天啓かな。今はそれしか言えんな」
「···天啓」
「若様、勝手ながら申し上げますが、私もイーファさんの同行に賛成いたします。イーファさんは賊にも接触していますし、この先必ず必要な戦力になるかと···」
狐月の発言は少し予想外だった。いつもなら「それが人に頼む態度?」的なことを言うはずなのに、まさか氷帝の意見を推すとは思わなかったからだ。
「おい氷帝。何を隠しておる? いいから話せ」
「お前だって言ってないが事あるだろう?」
「くッ···」
(おい、俺はお前の隠し事のほうが気になるぞ)
イーファは悩んでいるようだった。本気で亜大陸を守っていきたいと思っているみたいだ。ただイーファにとって、これまで親同然に育ててもらった氷帝の言葉は絶対だった。
「俺は···」
「イーファさん、良かったら一緒に行きませんか? 僕の知り合いで始まりの世界を目指している人がいるんですよ。もしそれが叶ったら、亜大陸を守ることにもなるんじゃないでしょうか」
何か新しく行動するなら目標はあったほうがいい。始まりの世界なんて亜大陸を守るよりも大きな目的ではないか。氷帝の言うように大きな役目ができそうだ。
「いいじゃないかイーファ! 始まりの世界! 俺も亜大陸から応援するぜ!」
氷帝は笑いながらイーファの肩を叩いた。イーファは「やめろ」と言って氷帝の手を振り払う。しかしイーファの表情は親に背中を押された少年のように見えた。
「レン。すまないが俺も同行させてはくれないだろうか?」
「もちろんです! こちらこそよろしくお願いしますね」
こうして俺達の仲間にイーファが加わった。桜火と狐月はイーファを歓迎していたが、焔だけ喧嘩腰だった。
王都でセリナから報告を受けて、なんだかんだ10日ぐらいは経っていただろう。この時すでに王都ではある事件が起きていた。月光のいない大氷洞にいる俺達には知る由もなかった。
***
【大氷洞到着より4日前 エルミナ王国】 王都ドレーヌ邸
誘拐された亜人達が閉じ込められていたドレーヌ邸に一人の男が入って行くのを、月光であるトゥカが後をつけていた。
(なんで今更あの男がドレーヌの屋敷にいるにゃ?)
トゥカは気配を殺し、男の後を追った。男はトゥカに全く気付いていなかった。
男は階段を下りて、亜人が閉じ込められていた地下室に入って行く。扉は開いたまま、男は何をするでもなく壁の前に立っていた。トゥカは部屋に入り物陰に隠れようとした。その時突然声をかけられた。
「本当に気配を感じんな。来ると分かってなかったら絶対に見つけられん」
(にゃ!?)
声が聞こえたのは前にいた男からではなく、トゥカの背後から聞こえたのだ。初めて背後を取られたトゥカは心底驚いていた。
「ガチャン!」
背後に立っていた男はトゥカの首に何かを取り付けた。トゥカは無理やり外そうとするが、全く外れなかった。
「大人しくしろ」
男にそう言われるとトゥカは腕をだらんと下ろし大人しくなった。
「相変わらず手が早いのー。いやしかし、全く気付かんかったのー。このお嬢じゃんはある意味脅威じゃのー」
「関心してる場合じゃないだろう。すぐに行動に移せ。この娘の支配権はお前に移してある。少しのミスも許されないからな」
「分かっておる」
「···本当にやれるのか? 弟子だったのだろう?」
「仕方がない。やつも分かっておるからのー」
男は首飾りを握りしめていた。その首飾りには月の形をした石がはめられていて、もう一人の男も同じ物を首から下げていた。
「覚悟は決まったか?」
「そんなもんとっくに決まっておる。あのお方にあった時からのー。じゃー行くかのー。元気でなルシーファ」
「あんたもなミネルバ」
男の正体は冒険者ギルドのマスター、ルーカス・ミネルバだった。
ミネルバはトゥカにいくつか指示を出してから、部屋から出て行った。いつの間にかトゥカの姿もなくなっていた。
「まったくあの小娘、本当に気配を断つのがうまい。ここで捕まえられてよかった。さて、俺も動くか」
そして、ドレーヌの屋敷からは誰も居なくなった。