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クリエイティブ死体撃ち

大学を卒業してからというもの、写真を撮るということを全くしなくなってしまった。病気と診断された事実だけを盾に、ここまでの日々を、あまりにものうのうと消化してしまった。映画という媒体は疲れる。感情を揺り動かされすぎてしまうから。本という媒体は疲れる。感情を揺り動かされすぎてしまうから。

会社員時代、僕はいつも思っていた。この、仕事にばかり囚われている時間を、創作に充てることができたのなら、僕はどんなに素晴らしい物語を、世に発信することができるだろうと。主人公はこのような人物にしよう。このようなテーマを作中に散りばめ、読んだ人の心を揺り動かしてやろうと、そう考えていた。しかし、いざ仕事を休んで、余暇を懐柔した僕は、なにも書けないままであった。書きたい、表現したいと思うものがなにもなかった。無気力は、無感動は、クリエイティブを殺した。出刃包丁で滅多刺しにしているのに、全く血が出ない、そんな感覚だ。鬱屈した日々と喉を潤すのは、コンビニで買った9%のレモンサワーと、後日に引きずる二日酔いだけであった。あれは一瞬の快楽に対してのバックがどうにも釣り合わない。それでもやめられないのは、僕の意志の問題ですか?これは閑話休題。

学生時代、写真を撮っているときは、まず表現したいテーマを決めて、それに重きを置いてからシャッターを切っていたような、そんな気がする。例えば、羨望や嫉妬、男女の別れから自身が描く展望まで、下手くそな写真に仰々しいタイトルをつけて、恥ずかしげもなく発表した。それでも、今自分がやっていることは芸術なんだと、無い胸を張り、批判する人間に対して、これを理解できないなんてセンスがないとすら感じていた。傲慢だ。しかし、創作を辞めてしまって、クリエイティブを死体撃ちするようになってしまって、そんな今だからこそ思うことがある。物事には、必ず主題がある。それに気付き、汲み取ること。それが大切なのだと。

即ち人生とは、トム・ソーヤに空を描かせるようなものである。塀のペンキではなく、もっと大きなひとつの概念(タイトル・テーマ)に対して、きちんと自身で答えを見つけていくということなのである。ここで言及する空は、銀河のことを指しても良いし、ミシシッピ川のほとりの小さな町に浮かぶ空でもいいのだ。友達と遊ぶ時に、ひとつの漠然としたテーマを決めて、そのドレスコードに合わせて着ていく服を考えるような、たったそれだけの時間でさえも、僕は創作であると定義づけたいだけなのだ。それだけなのだ。

ここまで長々と講釈たれておいて申し訳ないが、今これを書いている僕自身も、この文章の着地点が分からなくなってきてしまった。だってしょうがないだろう。灯りを消しているはずの僕の部屋には、いつの間にか朝日が照らしているし、僕の頭は、先に入れたレモンサワーのアルコールで放蕩気味なんだ。結局、何が言いたくてこれを書き始めたんだったけ。ドレスコードを指定して外出に洒落込むような、そんな相手が欲しいって結論で合ってますか?もうさ、ここまで読んだならお前がなれよ。モヘア羽織って、一緒にカート・コバーンに挨拶しに行こうぜ。

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