射手座の落星Ⅲ
「ロダ、なぜ俺がお前を弟子にしたかわかるか?」
ロダは自身の僥倖を喜んでいた。ロダがサジタリアスの弟子になった時、ロダはまだ八十八星座の一員ですらもなく一介の剣闘士に過ぎなかった。サジタリアスに弟子入りを志願したものの、弟子入り志願者の中には八十八星座の称号を持つ者もいたのに弟子になれたのはロダ一人だけだった。
「わかりません、剣師・サジタリアス」
「わからないか。実は俺もわからん。きまぐれという奴だろう、俺は弟子を取るつもりはなかった」
ロダはなおさらついていたと感じた、実力で選ばれればロダが選ばれることはなかったのだから。
「屋敷のものは好きに使え。ロダ、俺はお前に少しも期待していない」
ロダは目を覚ました。焼け残った屋敷の一室で眠っていた。起きたばかりのロダはかすかに肌寒さを覚えた。師に弟子入りした日の夢を見たのか、あれはどれくらい以前のことだったかとロダは思った。師であるサジタリアスに稽古をつけてもらった記憶はロダにはない、八十八星座のいるか座の地位を得たのもすべてロダ一人の努力によるものといってよかった。けれど、弟子になったことは良かった。サジタリアスの剣技は十二星の中でも極めて高いレベルだったから、それを間近で見ることが出来たのは良い経験になったからだ。
「いい加減出てきたらどうだ、俺はお前の気配に気付かないほど鈍くはないぞ」
ロダは姿を見せていない相手に話しかけた。ロダは敵の殺気を感じて目を覚ましたのだった。
「ゲへへ、キュウダイテンだ」
声は聞えるがロダは相手の姿をまだ見ることができなかった。一体どこから話しているのかとロダは耳を澄まし、目を凝らした。
「ムリだ、ヤメテオケ。オマエジャオレはミツケラレネエ」
「あの手紙を置いたのはお前か?」
ロダは未だ姿を見極めることができない相手に言った。
「ソウダ、サジタリアスにタノマレタ」
「師匠に、頼まれただと」
ロダの声には知らず怪訝な色彩が混じった。死んだはずの人間に頼まれたと聞けば疑いの目を向けたくなるのは仕方のないことだった。
「カンタンなシケンだ。オレとタタカッテカテバイイ。マケレバ、死ぬダケだ」
言葉を発し終えると同時に短剣が放たれロダを襲った。ロダはすばやく剣を抜き窓側から飛び出してきた短剣をなんとか叩き落とした。
「姿も見せずに俺を殺せると思うなよ、出てこい」
ロダが叫んだ。窓にかけられた白いカーテンがわずかに揺れた。窓は閉まっていた。ロダがそのことに気付いたとき揺れたカーテンは人の姿に変わり一人の剣闘士がロダへと襲い掛かった。ロダは必死で敵の攻撃を防いだ、間一髪だった。ほんの少しでも気付くのが遅れればロダは死んでいた。相手は小柄な剣闘士で容姿端麗とは程遠い顔つきだった。薄い頭髪ににきびと吹き出物だらけの顔、多くの人が初めて彼の顔を見ると驚くだろう。ロダはその特徴的な顔を見てふと思い出した。
「お前、ハエ座か」
男は無言で首肯した。
「テガミにカイテアッタダロウ、オレがニゲロだ」
「そ、そうか。ニゲロってのは逃げろじゃなくてお前の名前だったのか」
ロダはもっとわかりやすく書けばいいものをと思った。
「オマエ、オレのナマエもシラナカッタノカ」
ニゲロはロダを嘲るように笑った。
「笑っている場合か?姿を晒してはさっきのような奇襲はもうできないぞ」
「いるか座のロダ、オマエゴトキにはマケネエ」
ニゲロの持つ剣は短い、ダガーより少し長いが斬り合うための剣には見えなかった。奇襲して仕留めるか仕留めそこなった時は投擲も可能な剣とロダは洞察した。
ニゲロが先に動いた、動きは決して速くない。ロダは相手よりすばやく動きニゲロの剣を叩き落とした。ロダは勝ったと思った。
「久しぶりだな、ロダ」
ロダの師、サジタリアスの声だった。ニゲロの姿がみるみるうちにサジタリアスへと変わった。
「姿を変えたからなんだというんだ、さっきも見たぞ。ニゲロ」
サジタリアスに姿を変えたニゲロはサジタリアスの使っている長剣と同じものを持っていた。ニゲロの剣はロダが打ち落としたはずなのに、である。
「ロダ、真剣勝負に言葉は不要だ」
ニゲロが姿を変えたサジタリアスの剣は速い。ロダはなんとか攻撃を防いだが驚きを隠せなかった。本物のサジタリアスにさえ劣らない鋭い一撃だった。なぜだ、姿を変えて能力も再現できるというのか。
「くく、驚いているのか。姿、形、声、背の高さ、体重すべてを再現できるんだ。剣技を再現できないはずがないだろう」
にわかには信じ難かった。言葉通りならニゲロはすべての十二星と同等の実力を発揮できることになるからだ。今目の前にいるニゲロが剣師サジタリアスと同等の能力があればロダに勝ち目はないといっていい。
「来ないのならこちらからいくぞ」
サジタリアスの姿となったニゲロの剣がロダへと繰り出された。十二星最高の剣技との呼び声も高いサジタリアスを模倣した剣撃は恐ろしい程に速く鋭い。しかし、ロダは防戦一方になりながらも気付いた、ニゲロの剣技は速いが模倣に過ぎないということに。
「ニゲロ、俺の師の実力はこの程度ではなかったぞ」
ロダは徐々にサジタリアスの姿となったニゲロの剣撃を押し返していった。模倣に過ぎないとわかればなんてことはない、剣撃は確かに速く鋭いが防げないわけではない。そして本物のサジタリアスならばロダは一撃たりとも防ぐことができず殺されていた。ロダにとって残念ではあるが師であるサジタリアスとの実力差はこんなものではなかった。
「腕をあげたな、ロダ」
「いい加減にしろ、ニゲロ」
ロダの剣が再びニゲロの剣を弾き飛ばした。
「これ以上ふざけたまねを続けるなら殺してやるぞ」
ためらいなく殺すと感じさせる低く凄みのある声だった。
「わかった、済まなかった。俺が悪かったよ」
「ならとっととその変身を解け」
サジタリアスの姿がニゲロの姿へと戻った。
「コレデイイか。タヌムカラ殺さナイデクレ」
「変身していた時は普通に話していただろ、わざとやっているのか」
「ヒトにバケテイルトキはハナセル。コのスガタダとシタがカケチマッテテナ」
ニゲロはぺろっと欠けて浅黒く変色した舌を出して見せた。
「いちいち見せなくていい、なら舌だけ俺に化けろ」
「ナルホド、アタマイイナ」
心底盲点だったという顔を見せて言った。
「早くしろ」
「終ったぞ、舌だけお前の舌に化けた」
ロダは便利な能力だと思った。
「なぜ俺を殺そうとした?誰かに頼まれたのか?」
「お前の師匠、サジタリアスに頼まれたんだ。サジタリアスの屋敷が燃えたらロダを試してくれって。手紙とかも指示された通りにやっただけだ」
「師匠が指示しただと。それを俺が信じると思うのか」
「本当だって。俺はサジタリアスとはずっと以前からの知り合いなんだ。俺はこんな顔だからよ、八十八星の中でもはぶられちまってて、サジタリアスくらいしか話相手がいなくってよ。あいつは多分俺を利用することしか考えてないだろうとは思ってたんだが、話相手がいなくなるのも嫌だったからあいつの依頼を引き受けたんだ」
「本当か?いまいち信用できないな。証拠みたいなものはないのか?」
「ねえよ、そんなもん」
「まあいい。知っていることはすべて話してもらうぞ」
「時間切れのようだ」
唐突に部屋に強い西日が差しロダがまぶしさを感じてまばたきをした一瞬、ニゲロは何かに姿を変えた。ニゲロの変身能力は完璧だった、ロダは部屋を見渡したがニゲロが何に姿を変えたのか皆目見当がつかなかった。
「カーテンに変わることができるくらいだ、床やいすに変わっていても驚けないな」
ロダは慎重に床やいすを剣で斬った。ニゲロが何に変身したかわからない以上部屋にあるものを片っ端から斬ることにした。
「ニゲロ、姿を見せなければ死ぬことになるぞ」
言いながらロダは机や壁を剣で斬った。床と壁の隅々を斬り刻み、机、いす、ティーカップ、時計などの装飾品をすべて叩き斬った。
「ちっ、逃げられたか」
ロダは部屋の扉を開け廊下を見渡した。
「じゃあな、ロダ」
声がしてロダは背後を振り返った。ニゲロはロダがつけた壁の傷跡のひとつから姿を変えて人の形をとった。ニゲロはロダが追いかける隙を与えず窓をすばやく開け放ち外へと逃げ去った。