射手座の落星
射手座の落星
その日は静寂な夜だった。剣を打ち合う音が響き、いるか座の剣闘士ロダはすぐに目を覚ました。並みの剣闘士が打ち合う音とは思えない、激しい剣戟音が響いていたからだ。ロダの剣師である射手座の剣闘士サジタリアスの私室からだ。ロダは長剣を腰に刷き自室の扉を開けた。ふいに音が止み、さきほどまで感じていた殺伐とした空気が嘘のように消え去った。ロダは師の寝室へと急ぐが、足を急ぎながらも奇襲に備え慎重に歩を進めて師の部屋の扉を開けた。目に飛び込んできたのは鮮血に染まる倒れ伏した師の姿だった。
「師匠!」
倒れ伏した師に駆け寄ったがすでに死んでいた。即死だったのだろう。胸に受けた傷はあまりに大きく、大量の血液が床を赤く染めあげていた。
ありえない、こんなことが起きうるのか。十二星の一角たる最強の剣闘士がこうも簡単に殺されるなど、師の実力を誰よりもよく知るロダはそう思った。
十二星サジタリアスはこの日消え、サジタリアスの屋敷の半分と遺体は焼失した。サジタリアスの唯一の弟子、ロダは十二宮中央府にて取り調べを受けた。無罪とはなっていない、サジタリアスが死に、第一発見者のロダが詰所へ知らせている間に屋敷とサジタリアスの遺体は燃やされてしまっていた。ロダが師を殺し屋敷に火を放ったと考えれば一応の辻褄は合う。無論証拠はないし、ロダも無罪を主張している。
「でろ、ロダ。釈放だ」
巨漢の衛兵が牢屋の扉を開け放った。
「ようやく俺の話をわかってくれたか、ミザール」
「ふん、気をつけな。牢にいたほうが返って安全かもしれんぞ」
「どういうことだ」
「俺がお前の話を信じて釈放するわけじゃねえ、上からの命令だよ」
「上から?誰からの指示だ」
「そんなことは知らねえよ。とっとと行きな、でないとまた牢屋に入れるぞ」
ミザールはこれ以上質問に答える気はないらしく目を剥いて言った。ロダはけちな奴だと思った。
「わかったよ、俺の剣はどこにあるんだ?」
「囚人の所持品は一階の預り所だ」
「ありがとよ」
ロダはぶっきらぼうに答えた。
ロダは地下の牢屋から移動し一階ロビーの預かり所へと向かった。預かり所には一人の美しい女性の剣闘士が手持ち無沙汰そうにしていた。
「久しぶりだな、アイナ」
「ええ、お久しぶり。何かやったの?牢に入っているなんて」
アイナはロダが牢屋に入っていた経緯をだいたいは知っていて尋ねた。なにせメダリア国が誇る最強の剣闘士の一人が死んだかもしれない事件だ、噂話が耳に入ってこないほうがおかしい。
「何もやってないさ。濡れ衣ってやつだ、この国は物騒だからね」
「ふふ、それはそうね。この国はいつも戦いを求めているわ、剣のみがこの国の人々の誇りであり娯楽だもの」
「まったくその通りだ。何かあればすぐに決闘をしたがる、困った民族性だ。おっと、そういえば俺の剣はここにあるかな?」
「もちろんあるわ。ちょっと待っていて、すぐに取ってくるから」
「急いでないから、ゆっくり待たせてもらうよ」
ロダはどかりと預かり所のソファーに腰かけた。
預かり所は隅々まで掃除がなされており、塵一つ見当たらなかった。
「随分掃除熱心なんだな」
ふとガラス製の机上を見るとニつ折にされた一枚の紙が置かれていた。ロダは紙を手に取って開いた。
「イルカザのロダはキョウ、シぬ。ニゲロ」
紙には血文字でそう書かれていた。
「ふん、俺を嵌めた関係者が近くにいるみたいだな。逃げろってことは敵ではないのか?」
ロダはぐしゃりと紙を握りつぶして捨てた。手紙の内容はロダにしてみれば願ってもないことだといえた。ロダが死ぬということはロダを殺す者がいるということ、襲撃者を返り討ちにすればロダを嵌めた人間を見つける手間が省ける、もしかしたら師を殺した張本人が来てくれるかもしれないとロダは考えていたからだ。
「お待たせ、ロダ。あなたの剣ってこれだったわよね」
アイナが保管室から戻ってきて尋ねた。ロダの称号であるいるか座の紋章が鞘に刻まれた長剣だった。
「正解、サンキュー」
ロダはアイナから剣を受け取ろうとしたが、アイナはさっと手元に引いて渡さなかった。
「二千ルーンになるわ」
「高くね?」
「そんなことないわ、正規の値段よ。それに八十八星に名を連ねた剣闘士にとっては小銭でしょう」
「師匠の屋敷が燃えて今は金がないんだ」
「知ってるわ。実はね、私困ってることがあるんだ」
「困ったままでいいんじゃないか?人生に悩みはつきものだと思うけど」
「私、獅子座のライナス様に師事してるんだけど、最近どうも変なのよね」
「変って?」
ロダは無視されたことに少し傷ついたが、冷静に話の続きを促した。
「うん、ライナス様って十二星の中でも特に人望のある剣闘士だと思うんだけど、最近は夜中に屋敷を出て行くの、それも誰にも言わずに。変でしょ?」
「男なら知られたくない秘密の一つや二つあるもんじゃないか?それ調べろってんなら無茶だぜ」
ロダはお大袈裟に両手をあげて言った。
アイナは困ったように笑みを浮かべつつ別の回答を強いるかのように静かにじっとロダを見つめた。ほどなくしてロダはやれやれといった感じで返答した。
「わかったよ、俺なりに探りを入れてみる。剣を返してもらってもいいかな?」
「ありがとう、ロダ。やっぱりロダに相談してみてよかったわ」
アイナはそう言ってロダに剣を渡した。
ロダはかなり厄介な仕事だと思った。獅子座のライナスは十二星の一人でロダより格上の剣闘士だ。後をつけるのも一苦労だし、見つかればただでは済まないだろう。それをたった二千ルーンで受けるなんてバカもいいとこだ。ロダはここから出たらこの話はすぐ忘れようと密かに思った。
「アイナ。ちょっと聞きたいんだけど、俺の前にここへ来た奴って誰かいるのかな?」
手紙のことを伏せてアイナの様子を窺いながら尋ねた。アイナが手紙を置いたとまでは考えていないが、間接的に関わっているかもしれないということは少し考えた。
「うーん、そうねえ。誰も来てないわ」
「誰も?一人も来てないのか?」
「うん。ここって監獄ってわけではないの。処分が保留されていて剣闘士として実力のあるものを一時的に収監してるんだけど、そういう人ってあまりいないのよね。今日も地下にはあなたしかいなかったでしょ」
「言われてみれば地下には俺以外は誰もいなかったな」
「もし誰か尋ねてきていたとしたら、それはロダの関係者よね。誰か来てたら忘れないし、今日は誰も来てないわ」
「そっか、ならいいんだ。ありがとうアイナ」
ロダはそう言ってその場を後にした。
ロダにはアイナが嘘をついているようには見えなかった、もちろんうまく演技をしている可能性もあるが嘘をつくことでアイナにメリットがあるとはあまり思えない。一つわかったことは手紙を置いた人間は相当な手練だということだ。アイナは八十八星のこと座の称号を持つ剣闘士だ、アイナに気付かれることなく手紙を置いたとすれば手練の剣闘士が関わっていると考えるのが自然だ。それも暗殺や隠密を得意とするタイプではないかとロダは推測した。
ロダは師である射手座の剣闘士サジタリアスの屋敷へと戻って来ていた。広大な屋敷はサジタリアスの私室付近を中心に広範囲に焼け崩れていた。半焼といったところだろうか。
ロダの師であるサジタリアスはロダ以外に弟子を取っていなかった。十二星最高の剣技とまで讃えられた師の技は本当に凄まじいものだった。サジタリアスは八十八星だった時に利き腕である右腕を失い、一時は剣闘士として再起不能になったと言われていたが義手を着けて技を磨き、ついには十二星である射手座の地位を手に入れた。まさに不屈の精神と努力によってメダリア国最強の剣闘士の称号を手に入れた人物だった。そのため多くの剣闘士が彼に憧れ弟子入りを志願したが、サジタリアスは人柄にはかなり難のある人物だったので結局弟子はロダしか取らなかった。
「わが師サジタリアス、冥福をお祈りします」
ロダは静かに瞳を閉じて祈りを捧げた。ロダは未だにサジタリアスが死んだことを信じられない思いだった。師であるサジタリアスは十二星の名を持つにふさわしい実力者だった、彼と戦って命を奪ったとすればそれはこの国最強の剣闘士と同等以上の実力者が行ったことだと考えられた。つまりサジタリアス殺害には他の十二星の剣闘士が関わっている可能性が高かった。師の仇を討つのなら十二星と戦わなければならないかもしれない。ロダは望むところだと思った。上を目指すならいずれ十二星に勝てる力が必要になる、その機会が早まっただけだとロダは自身に言い聞かせるように強く思った。
「いるか座のロダ、来ていたか。災難であったな」
牢の見張りをしていたおおぐま座の剣闘士ミザールよりもさらに一回り巨漢の大男がロダに話しかけた。彼も半焼した屋敷を見にきていたのだろうか。
「お久しぶりです、パルマー様。大変なことになりました」
ロダは十二星の一人、双子座のパルマーに答えた。パルマーはロダがいつも同じ人間という種族なのかと疑ってしまうくらいの巨人だった。
「うむ、ロダが無事であったことは不幸中の幸いであったな。それで聞きたいのだが、サジタリアスは本当に死んだのか?あの男が敗れて死んだというのはにわかには信じられん」
「戦っている姿を直接見たわけではありませんが、師匠はおそらく戦いに敗れて死んだと思います。師匠の部屋に向かう際に剣を打ち合っている音が聞こえていましたし、死体は胸部に大きな一撃で致命傷を受けていましたから」
「うむ、そうか。信じられんことだが十二星が何者かに殺されたということか」
パルマーは驚いていたが冷静に今後の状況を思案しているように見えた。
十二星はこの国において最強の剣闘士として認められた十二人に与えられる称号で黄道十二星座である牡羊座、牡牛座、双子座、蟹座、獅子座、乙女座、天秤座、蠍座、射手座、山羊座、水瓶座、魚座の称号を与えられる。その一つ下位にあたる実力の剣闘士がいるか座の称号を持つロダを含む八十八星座の剣闘士だった。十二星も八十八星座に含まれるから実際には七十六の星座の称号を持つ剣闘士を一般的に八十八星の剣闘士と呼んでいる。ロダの前にいる大男も十二星の一人でメダリア国最強の剣闘士として認められている双子座のパルマーという傑物だ。
「師匠の遺体はどうなったのでしょうか?私はつい先程まで牢に入れられてしまっていて状況がわからないのです」
「うむ、そうであったな。十二星が死んだということと十二星の屋敷が燃やされたということでお前に容疑がかけられてしまったのだ。私はロダが犯人であるわけはないと言ったのだが事が大きかったのでロダには悪いが一旦は処分保留となってしまった。それをついさっきロダが犯人であるという証拠はなく犯人である可能性も低いことで釈放できることとなったのだ。そのことは私の弟子、ミザールから聞いておらぬか?」
牢の看守ミザールはロダの質問には知らねえと答えていた、あの野郎自分の師匠からの指示じゃねえかとロダは内心思った。
「ミザールからは何も聞いていません」
ロダは腹立たしく思いながら答えた。
「おかしいな、あの男は何をやっているのか。師の言いつけもろくに守らん男だ」
パルマーは不機嫌そうに呟いた。そういえばミザールはよく師匠の稽古をさぼったりする奴だったなとロダは思った。
「師である私の監督不足だ。すまんな、ロダ」
「いえ、気になさらずに。牢からはミザールが出してくれましたから」
ロダは慌ててパルマーが頭を下げようとするのを引きとめた。ミザールは不愛想でぶっきらぼうな男だが、ロダとは以前からの知り合いで根の悪い奴ではないと思っていた。それに師であるパルマーに頭を下げられるのも筋違いに感じた。称号を持つ剣闘士は独立していて十二星に弟子入りしないこともできる、また弟子入りしたからといって師匠が監督する必要があるということもない。パルマーとミザールが同じ流派の剣闘士であることとパルマーが義理堅い人物であることもあってこういった対応になるのだろう。
「うむ、ロダがそう言うのであれば仕方ないか。サジタリアスの遺体の件だが実は遺体は見つかっていない。焼けた屋敷の跡をくまなく捜索したがやはりなかった。証拠隠滅のために屋敷ごと遺体を燃やしたと思っていたのだがどうやら犯人は遺体を持ちだしてから屋敷に火を放ったようだ」
「師の遺体は見つかっていないのですか」
ロダはがくりと肩を落とした。決して面倒見の良い師匠ではなかったが遺体は弔いたかった。
「すまんな、ロダ」
パルマーは落ち込んでいるロダの肩をたたいた。
「いいえ、パルマー様は悪くありません。犯人に目星はついているのですか?」
「残念だがほとんどわかっていない。十二星の殺害とその屋敷の放火、使用人のいない時間帯の犯行で弟子は一人しかおらず狙いやすかったかもしれないが大胆で用意周到な犯行だ。おそらく複数犯だろうとは思っているが目星はついていない」
「そうですか」
ロダは残念に思ったがロダには少し犯人につながる手掛かりのようなものがあることを思い出した。血で書かれた手紙、イルカザのロダはキョウ、シぬ。ニゲロと書かれていた。
「ロダは何か犯人について心当りはないか?」
「いえ、ありません。取り調べを受けた時にも答えていますが、師匠の私室に入った時にはもう師匠は死んでいました。犯人らしきものも見ていません」
ロダは犯人につながるかもしれない手紙のことを話そうとは思わなかった。脅迫文めいた手紙を見せてパルマーに助力を請うのはロダの剣闘士としてのプライドが許さなかったからだ。
「そうであったな。何度も同じことを聞いてしまってすまぬな」
「いえ、構いません。この件の捜査はパルマー様が行うのですか?」
「私は補助役になった。直接の捜査は天秤座のズベンが行うことになっている」
「ズベン様ですか」
ロダは運が良いと思った。
「そうだ。なにやらうれしそうだな、ロダ」
どうやら顔にでていたようだ。
「ええ、ズベン様は十二星としての歴も長く中立的な人物と聞きます。まともな捜査が見込めると思いましたので」
「そんなことを言っては十二星にまともな捜査をしない者がいるみたいではないか」
「すみません、パルマー様」
「いや、ロダの言うとおりだろう。十二星は実力主義だ、かつては剣闘士として実力だけでなく精神も重んじていたものだが、最近は力さえあれば良いという考えの者も多くなった、悲しいことだ」
「そうですね、最近は徒党を組んで実力をごまかして八十八星の名を手にする者もいるらしいですからね」
「そんなものもいるのか、十二星も八十八星も落ちたものだ」
パルマーはやれやれといった感じだった。剣闘士として高い実力と見識を持つパルマーにはこの国を代表する剣闘士達の質が落ちていることは悩みの種だった。
「パルマー様はここで調査をされていたのですか?」
「そんなところだ。屋敷の調査はズベン達がほとんど行ったから今さら調べてもとは思っているのだが、補助役の私はあまり忙しくないから念のために何度か屋敷を見に来ている」
「何か手掛かりはありましたか?」
「残念だが全くないな」
「そうですか。師匠の屋敷には私も住んでいました、私物を見たいのですが可能でしょうか?」
「うむ、そうであったな。可能だが念のため私も同行しよう」
二人は屋敷の焼け跡を一通り見たがロダの使っていた部屋も焼けていた。ロダの部屋はサジタリアスの私室からかなり離れたところにあったが部屋の骨組みだけを残しすべて灰となっていた。
「部屋が離れているのにサジタリアスと何者かが戦っていた音はよく聞えたのか」
「ええ、よく聞えましたね。けど、言われてみれば確かに変ですね。師匠の部屋とは距離がありますし。戦闘が激しかったから聞えたんですかね」
ロダは首を傾げた。
「わざと聞えるようにしたのかもしれん。ロダに気付かせてサジタリアスの部屋に来させ、ロダが事態を外に伝えに行った後で屋敷を燃やすということだ」
「そんなまわりくどい事をしますか? 」
「普通はしないな」
「師匠を殺せるほどの実力者です、私も殺したほうが早いでしょう。屋敷には師と私しかいなかったわけですから二人共殺してから屋敷を燃やせば簡単です」
「その通りだな。ただサジタリアスと戦って無傷で済んでいたかどうかはわからんぞ。手負いであったからロダとは戦わずロダが屋敷を出た後に火を放ったというのは考えられる」
「犯人が負傷していたかどうかはわかりませんね。師匠の血痕以外はなかったようには思いますが、私も師匠が死んでいるのを見て慌ててしまってあまり詳しくは現場を見ていません」
「いずれにせよまだまだわからないことは多い。ズベンが何か手掛かりを見つけていれば良いのだが」
パルマーは捜査の全権を持つ天秤座のズベンが手掛かりを見つけていることを期待した。
「部屋がこの有様ではロダの私物は見つからないかもしれないな」
ロダは自室の焼け跡をくまなく探したが、探していた物は見つからなかった。
「パルマー様、わざわざ同行してもらってありがとうございました。私は焼けていない屋敷の使用人の部屋で今日は宿を取ろうと思います」
「うむ、そうか。こちらこそ事件について色々質問をして済まなかったな。私も少し用事があってそろそろ戻らねばと思っていた。また何かわかったら連絡しよう」
「ありがとうございます、パルマー様」
ロダはパルマーと別れ一人焼けていない屋敷の一室へと向かった。
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