8 三度目の正直
鈴をリンリンと鳴らして戻ったリンレライは、待ち構えていたテコナにこっぴどく叱られている。
「白虎をぺちゃんこにしておいて、なーんにもないと嘘をついたら怒るよ」
「そのつもりでいたが、怒るというなら言うものか」
それは認めたということで、一本取られたとオデコを叩くと早々に説教避けの札を切る。
「大事はないが一大事があった」
切った札は効果てきめんで、ぎょっとしたテコナは言葉を飲み込み耳を傾けた。
「コホン、祠の水鏡が映さぬものとは摩訶不思議、百聞は一見に如かずと申すところ」
だから火急で出かけたのだと、ちゃっかり言い訳してからの本題だ。
「霊獣が添うていない魔法使いに会った。蝶の占にはこの事象があるか?」
「有り得ない。いやしかし占盤は不可解を示したよ。真中の小石は欠けて貧相、見せかけか紛い物だね」
この占いは難解だがデタラメではなく、占盤は真実だけを配置する。
「興味深い。精霊曰く、ツギハギの子の生き道は正しくないという」
「ふむ。ツギハギの子は死人かい?」
「違う。しかし人であったもの、人に化けたもの、人のふりをするものじゃ。ロシュが里に連れてくる手はずになっておる」
はああっ・・
テコナはこれでもかと大きく溜息を吐き、祠の灯を揺らした。
「全ての生き物には命に執着する本能があり、維持のためなら罪を恐れないのが周知の事実だ。君はロシュに罪を唆すのかい?」
主のない霊獣が、魔力を補填しようと魔法使いに執着をみせるのは本能の欲求だ。
「出会った以上、無意識の自我を戒めることは出来ぬ」
「祀りの御方の力を以てすれば、・・いやまてよ」
テコナは「ふぅん」と考え込むと夢渡りを宣言する。
「説教はもう終わりか?」
「続きはまた今度だ。さて私はその子供の夢に入るから橋渡しを頼んだ」
どうも腑に落ちないが、夢渡りの求めに応じてルネ印の腹薬の魔力で扉を創れば、テコナは蝶の姿でヒラヒラと夢を渡っていった。
「捻るに捻った言い訳ひとつも聞かぬとは理不尽じゃ」
後ろめたさをテコナのせいにして、こればかりはあってはならぬと疼く期待に蓋をしたのだった。
▽
アヴォが寒空の下を歩いているのは、あれこれと考えるうちに飲みすぎたせいで、フードの首元を弛めて火照りを冷ましていた。
「待遇が悪い。魔族ア・バウア・クーは高位の霊獣だというのに」
魔族が霊獣として顕在して添う相手は、神格化した森羅万象と決まっており人の魔法使いに添うた例はない。そのためリヒャエルは魔王サマか死神サマの化身といわれるが、テコナの主である精霊王が、意図して双子を取り替えたのが原因だ。
あの時は怒りに任せて精霊の箱庭を灰にしたが、大切な妹がリヒャエルにこき使われることを思えば、これで良かったのである。ただし戦火で蝶の羽を焼いたことだけは、今でも恨みを超えて呪いの域だ。
「主のない地竜が哀れなら、主に必要とされぬア・バウア・クーは惨めだ」
稀代の魔法使いに護りは必要はなく、魔族の高い矜持がアヴォを苦しめる。それが決定的になったのは帝都異変の後、リヒャエルは世界と隔絶する魔法陣を安息の地とし、己の霊獣であるアヴォの立ち入りを禁じた。
「こんなにも長い時間を共にしたのに、うーん、いくら考えてもひとつも良いことが思いつかないな」
身も蓋もないことを言いながら金の糸を具現化させる。これは魔法使いと霊獣をつなぐ魔力供給の契約の証で、アヴォはそれをプツリと断ち切った。
▽
執務室へ行くリヒャエルが立ち止まったのは髪ゴムが解けたような感覚のせいで、窓を鏡に髪をかきあげて太陽の眩しさに目を細める。
アヴォに突き飛ばされた地脈の激流で揉みくちゃになり、頭はグラグラ、胸はムカムカ、空気はピリピリ・・このピリピリは物理的なもので、感電の怖れがあるからすれ違う人は要注意だ。
私邸に戻るつもりでいたのに、決裁を抱えた書記官たちがじわじわ行く手を阻み、執務室へと誘導されている最中で、誘導陣形AだかBだかのこの布陣は、アヴォ監修によるリヒャエル包囲網だ。
「あいつはロクでもないことばかり冴えている」
執務室の扉をバタンと閉め、床に落ちた金色が絆の糸であることに彼が気付くことはなかった。
▽
その時を境にアヴォは伏せている時間が長くなった。
心配するロシュフォールは好物を次々と買ってくるが、口にしても飲み込めず、体は絆を断つ愚行に腹を立て職務放棄をしたようだ。
「世界中のスイーツを食べるつもりだったのに、使命と生命は連動するらしい」
なんで霊獣には自己都合退職がないのかと、半ばヤケッパチになっている。
ロシュフォールは霊獣の里リンゴを持ち帰り、ストライキした体もこればかりは拒絶できないようで、久しぶりに喉と胃が働いた。
「こんなにおいしかったかな」
「そりゃそうだ。テコナが選んだ三ツ星リンゴだからな」
「そうか、妹はリンゴを選ぶ才能もあるのだな」
あの子は多彩なんだと嬉しそうに話す。
「探知魔法の範囲を広げたが、風の精霊がいたずらをしてままならない」
魔法使いをさがす探知魔法は、まず放射線状に縦糸を伸ばして次に太めの横糸をかける。そこから上下に細い糸を足し、弛まないよう引っ張りながら螺旋にするのが肝要だが、風の精霊が糸をたゆませて、こんがらがってくしゃくしゃでぶらんぶらんの有り様だと説明する。
「風が騒ぐのは不吉の前触れと聞く。帝都の緊張を反映してのことか?」
「それは違うね。私が精霊に嫌われているせいだろう」
次代争いを危惧したロシュフォールにアヴォはバツが悪そうだ。
「だいたい陛下存命中に玉座を争うなど、リヒャエルに殺してくれとせがむようなものだ」
しかも一族郎党、子々孫々までと付け加えた。
カインの母后一族は先の大戦で活躍した武勲の家門だが、国政に干渉できるだけの人脈がない。
ユーリーの母后一族は由緒正しき血筋にあるが、彼自身が病弱で継承そのものが不安。
「陛下は末弟でも風竜を得ていたから満場一致の王位継承だった。だからこそ王たる地竜が添えばと、一族の期待は過分だったね」
カインに馳せたのは不死の鳥。竜ではないのかと一族は落胆した。
ユーリの誕生に咆哮したのは賢き象。竜のはずだと一族は異を唱えた。
主を選ぶのは霊獣でなく運命の采配で思惑など知りようがない。
精霊王がアヴォとテコナを取り替えたのは事実だが、精霊王そのものが森羅万象が神格化したものだから、比べる次元が違うのである。
「私の不調は絆の糸を断ち、魔力の供給を放棄したせいだ。ア・バウア・クーが喰らう魔力は桁違いだからね」
「・・なんとなく気付いていた。それじゃ霊獣の里に戻るんだな」
主の無い霊獣は祀りの御方の庇護を得る。
「なんだ、罵られるのを覚悟していたのに肩透かしだね」
「ア・バウア・クーは愚かな獣ではないし、霊獣の里にはアヴォを待つテコナがいるから心配しない」
テコナと聞いたアヴォは、ぱあっを明るい表情になって、
「それじゃ仕事を片付けよう。今夜は朔だ、魔法使いの力が弱まり霊獣の力が頂点になる新月ならば、見つけ出すのは容易ない」
妹大好きのお兄ちゃんに、やる気がみなぎる。
「しかしルネが身喰いを呼ぶ危険もあるから、ロシュは目を凝らしてルネを護るんだよ」
護る。
ロシュフォールは何度も呟いて、緊張と同時に泡立つような高揚感に包まれていった。
▽
時間は遡り、ルネが二度目の身喰いからペッと吐き出された林の奥。
じっとしているのはフカフカの土が気持ちよく、そのまま幾日も過ぎたと気付いていない。
意識がしっかりしたのは闇夜の中で、体は虚脱して腕と足は鉛のように重い。今夜が新月だからと理由は明らかで、それなら朝までぼうっとするしかないのだ。
新月の魔法使いはみんなそうで、星の瞬きがひとつふたつと消えていくのが何故か気付けずにいた。
ビィーン・・
突如、振動に弾かれてハッと覚醒する。
星が消えていくのは探知の魔力が視界を遮っているせいで、爪先に触れた途端に糸は振動し、ルネの居場所を報せている。
一拍おかず暗闇に白目の獣がぬっとあらわれ、距離は一跳躍分で万事休す。
ルネの始まりは黒いドロドロで、朧げな記憶を真似たら人になった。人はそんなふうに発生しないから、人で無い自分はウサギと同じで罪はなくても追われる獲物だ。
ウサギが発達した後脚を最大限に活かして逃げるよう、人で無い自分は最大限の逃げ道を確保するために身喰いを喚ぶ。
後脚と違うのは身喰いの穴がルネの味方ではないことで、体を伸縮させれば肉は痙攣して血液は沸騰し、心臓は今にも破裂しそうだ。
「ルネっ!」
身喰いの穴より高いところで、誰かが名前を呼んだ。
「私をルネと呼ぶのはロシュしかいない」
目を凝らせばびぃーんと不愉快な音が木々に反響し、身喰いの穴がグシャリと歪んだ。この穴は磁場の乱れがつくるものだが、それ以上に大きな磁場が一帯を占拠したのだ。
ルネは閉じた身喰いの穴を掴み損ねて落下したが、すぐに弾力のある翼が受け止めて、そっと胸の羽毛で包み込むと地脈へと消えていったのだ。
▽
アヴォが次目覚めたのは日向水の中で、ああ自分は終いになったのだと理解する。
「やあアヴォ、意識は醒めているのかい」
隣に座ったのは大切な妹で、テコナと呼ぼうとしたが声にならなかった。
「アヴォの魔力はスッカラカンで、祀りの御方の庇護にある。ここは里の祠だよ、リンレライは頭が痛いと水浴びに行った。痛い理由はロシュがルネを連れてトンズラしたからだ」
クスクスと笑いながら香炉に火をいれると、瑪瑙の縞模様のような薬煙がすぅと立ち上がり、アヴォが溶けている日向水を手で掬う。
「始まりと終わり、生きざまと死にざま。霊獣はどうしてこうもがんじがらめなのだろう」
難解な問いなどどうでも良くて、ただ双子蝶の優しい声に聞き惚れていた。
▽
霊獣の形は魔力で創られていて、飴細工のように柔軟で折り紙のように屈曲性が高い生き物だ。地脈はこんぐらがっているから、これを道にするために平たくなったり細くなったりと体の方を合わせて渡る。曲がりたいならチョイと折れ目をつけて、止まりたければぷぅと膨らんで道から外れるとそんなふう。
人ではそうもいかないはずだが、地脈はルネを傷つけない。なぜなら王たる地竜の腕にあるものは王の所有であり、宝も贄も触れてはならぬと知ってのことだ。
リヒャエルが地脈から生還するのは自身が破壊されるより先に地脈を破壊するからで、しかし比較の対象にはならず、地脈とはそういうものである。
地竜がゆうゆうと地脈を行けば森羅万象はこれを歓迎し、無形の思念は竜の鱗を擦って核になると、コロコロと転がり落ちて生命を息吹かせる。
「森羅万象よ。ルネが幸せならば、地の恵みを約束しよう」
熱を帯びる鱗とカチカチ響く翼がいくら咎めても、護る者を得た高揚感で気はそぞろ。
それが地竜を生かそうとする本能とは気付けずに、ルネを手に入れたと満足している。