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ルネと地竜  作者: かものは
7/58

7 エンリル

 ルネを飲み込んだ身喰いの穴は、瞼を閉じるように細くなってやがて消えた。これはリヒャエルの攻撃によるものでなく身喰いそのものの性質であるが、リンレライの怒りは冷めやらず周辺を陽炎のように歪めていく。

「人の都合で魔法使いを殺めるは、共にある霊獣を損ねる大罪ぞ!」

 このように祀りの御方は霊獣と主の魔法使いを庇護するが、只の人については知ったことかと建物に亀裂を入れて、アヴォは獣の姿で嘶くことで驚いた人々を遠ざけた。


「リヒャエル、霊獣は祀りの御方を攻撃しないよ」

 それは退けとの諫めであるが、リヒャエルは鼻で笑うとリンレライに杖を向ける。

「祀りの御方は知らぬとみえる。あれはカカシであって人で無くよって霊獣もない」

 煽るなとアヴォは舌をうち、問答無用でリヒャエルを地脈へ突き飛ばすと陽炎の前に立ち塞がった。

「祀りの御方、確かにあの子供には霊獣がないのだ」

「聞く耳もたず。儂はあの男が大の大嫌いであるからの」

 すがすがしいほどの私恨であろうと赦されるのが祀りの御方で、追撃の錨を地脈に下ろし、鎖に魔力を這わせていく。


 万物に宿る魔力を融合させればテコナの白虎は大気に溶けて、しかしアヴォは地に爪を立て踏ん張ると、リヒャエルを逃がす時間を稼ごうとした。

「無駄なことを。パアッと威勢よく爆ぜ・・よ?」

 地中の大きな塊に躓くように語尾は尻上がりになり、まあそれなりの威力で地を捲りあげはしたが、ゴゴゴ、プスンと途切れると、鞘ベルトに錨を引っ掛けたロシュフォールが釣りあがってきた。


「イテテ・・あれ?」

 錨の返しを外したロシュフォールは、顔が焦げたアヴォ、それからリンレライを順番に見て渋い表情をする。

「儂はなーんもしとらんぞ」

「うわっ、テコナの白虎がぺっちゃんこ。これは叱られますよ」

 大気と融合しきらぬうちに呪文が終わったものだから、白虎は溶け切らずにぺしゃんこになって、リンレライはマズいと青ざめた。


 アヴォは霞みになると体を再構築し、焦げた鼻を元通りに治す。

「ありがとう。主が丸焼きになるところだった」

「丸焼きまでもうちょっとだったのに」

 ぼそりと呟いたリンレライに、やっぱり何かしたんですねとロシュフォールは怖い顔をして、アヴォはアハハと笑った。


「地竜は噂に違わず穏やかな気質だね」

「えっへん。儂の自慢の息子じゃ」

 親バカぶりも噂通りだ。

「反省してない。これはテコナに叱ってもらいましょう」

「ぬおおっ、テコナは勘弁じゃ!」

「地竜、非はリヒャエルにあるのだよ」

 アヴォはテコナの名前にピンと耳を立て、話題を変えようとロシュフォールの肩を指差す。


「リヒャエルが地竜に気付かぬよう、不意打ちにしたことを謝りたい」

 ロシュフォールは肩を回し、怪我はそのせいだったのかと納得をするようだ。

「もう治ったぞ。これで謎がひとつ解けた」

 残る謎は、紙袋に入った甘いパンのみである。


 まるで他人事のような返事にアヴォは怪訝な顔をし、リンレライはニヤリと笑う。

「ほうほう、地竜が無意識で徘徊とは危険じゃのう。しかし白虎のことを見逃すなら、祀りの御方も見逃すとしよう」

 そんな取引は一蹴され、嘘つきはハリセンボンと叱られる。


「主をもたぬ俺は、集中が過ぎると人の擬態が維持しずらい」

 肩を竦めて雪崩で家を失くした子供を捜すのに夢中だったと説明すれば、

「あれはリヒャエルの仕業だ。結界に潜む魔法使いを炙り出すのに雷槍を降らしたのだよ」

 苦々しく言って頭を振った。結界を切るのに山ごと崩すとは思いもよらず、リヒャエルらしいといえばそうだがこれは行き過ぎた。

「あの山に住んでいたのはルネだけだぞ。白黒の髪、背丈はこれくらい、体は細く小さいがとても賢い子だ」

「その子供に間違いない。そうか、あの子はルネというのだな」


 これはマズいことになったと、リンレライは渋面になる。

 ロシュフォールがルネを魔法使いと認識しておらずとも、主のない霊獣の本能が、霊獣の無い魔法使いを嗅ぎつけたに違いない。

 このまま里に連れ戻せば罪を犯すことはないが、ルネに添う霊獣の安否もまた祀りの御方の役目である。

「ロシュは里にルネを連れて戻れ。アヴォ、祀りの御方の客人に手出しはならんぞ」

「祀りの御方の庇護とは、願ってもないことだよ」

 あんなのでも唯一無二の我が主だからねと、アヴォは安堵の息を吐いたのだ。



  ▽



 リンレライが筮竹を鳴らし身喰いの行先を占えば、卦は南で元よりルネが目指していた方角と出た。

 身喰いとは魔法使いが命を対価に発生させる天災で、一度ばかりか二度までも目指す方へ進むとは奇妙なことだ。


 例えるなら台風の進路を操るようなもので、天地万物へ干渉する膨大な魔力を必要とし、自然が神格化した精霊王か、万物の化身である祀り巫女でもない限り干渉は不可能のはず。

「天地をでんぐりする桁外れの魔力。ふむ、ルネの霊獣が魔族である可能性も無きにしも非ず」

 常軌を逸する魔法使いにはそれ相応の霊獣が添うもので、

「しかし人の魔法使いに魔族が添うた前例はない・・いやあやつはそうじゃ」

 例外リヒャエルが頭に浮かんで、シッシと手で払った。


 魔族は流動しながら存在し、形を持つには条件を満たさねばならない。条件を満たせぬことで、ルネの霊獣は顕在がならないのではないかとリンレライは仮説を立てる。

「この手の不可思議は、里の蝶に訊ねると収まりが良い」

 我ながら冴えているぞと意気揚々に、チリンチリンと鈴を鳴らして里へ戻っていくのだった。



  ▽



 ロシュフォールと行動を共にするアヴォは、業務を放棄することでリヒャエルの仕事を増やしてお灸を据えると楽し気だ。

「眼精疲労と肩こりで、地味に痛い目に合ってるだろうね」

 リヒャエルは古の薬を生成する凄い魔法使いだが、凄い薬が専門で、地味な薬はさっぱりと声をあげて笑う。


「それにしてもルネの行方はさっぱりだね。魔法使いの気配はあるのだが、ふむ・・今日も網にかからない。」

 南の関所を拠点にして探知魔法を放っているが、二日経っても三日経っても手応えがないのだ。

「分かったぞ!ルネは痩せっぽちでチビッ子だから網目をすり抜けて、」

「ロシュ、デリカシーのない男は嫌われるよ」


 ア・バウア・クーは形をもたぬ魔族が霊獣を模したもので、擬態をしても人らしくない。

 無機質なのは瞳がガラス玉のせいで、ア・バウア・クーには元から眼球がないのだ。さらに血肉は透明で、透けるような肌どころか透けた肌。これではフードを喉までたくしあげねば、トマトだって口にできやしない。

「食べものを飲み込むと、」

「透けるよ」

 ロシュフォールの不躾な質問に朗らかに答え、その雰囲気はテコナによく似ている。

「それはそうだろう。私は蝶の巣に托卵して姿を得たのだからね」

 托卵は魔族が霊獣になる条件で姿創りの参考だ。だからアヴォとテコナは双子であり、彼は精霊を敵に回すほど妹を大切にしている。


「消化が良くおいしいものには詳しいよ。稀に暴飲暴食するけどね」

 今日がその日とメニューを厳選し、その間にロシュフォールは魚の骨以外を平らげた。

「ロシュ、焼魚で良かったのかい?肉を頼もうか」

「いやポテトサラダを追加だ。地竜は生魚は苦手で芋が好物なんだぞ」

「へえ、風竜とは違うのだな。奴はアワビかイセエビ、トリュフやキャビアを好んでいたよ」


 それは贅沢が好きなのであって、風竜の好物はレンゲの蜜だ。里帰りするたびに田んぼの土手に座り込み、真剣な顔でレンゲをチューチュー吸っていたとは同属のよしみで言わずにおく。

「霊獣は互いをよく知らない生き物とは本当だね」

 魔族でも特に異質のア・バウア・クーだが、アヴォは温和で飄々として、幼いロシュフォールにたくさん風車を作ってくれた風竜に似ている。


「俺は主から得られぬ魔力を食で補う必要がある。好物が高級素材じゃなくてよかったよ」

「あはは、高級素材はひとまずおいて、食事は楽しみを与えてくれるよね」

 テーブルにはハーブチキンのソテーとグリッシーニ、デザートにチーズスフレのブルーベリーソースを頼むと、ワインを注いで食事に取り掛かる。

「甘いものは疲れを癒し、旬の限定品には手に入れた達成感がある。食は長命を生きる者の活力だ」

 おいしそうに食べてはいるが、その都度フードをたくしあげるのは不便そうだ。


「魔力を喰らう分だけキリキリ働けと、うちの魔王サマは横暴だからストレスが半端ない」

「へえ。稀代の魔法使いに添う霊獣に、不満があるとは驚きだ」

「まさに稀代。リヒャエルは稀代の自分勝手で職権乱用の大魔王サマ」

 チーズスフレを口に入れ、舌が蕩けるよとロシュフォールに勧めたが、甘いのはどうにも好きになれないと遠慮した。

「俺の主は春の生まれで、その日ばかりは大きいケーキを買うが、食べ慣れないから胃もたれする」

「小さいのを買えばいいのに」

「ケチくさい竜だと思われたら嫌だろう」


 よくわかるとアヴォは頷いた。

 大切な妹テコナの誕生日には、二段の真っ白なケーキに、チョコレートと飴細工の蝶々をふんだんに飾った贅の限りケーキを欠かさず贈っている。

 来年は一緒に食べてくれと言われて二つ返事をし、帝都の流行りはアーモンドプードルのフルーツタルトだが、誕生日にはやはり王道の白いクリームがいいなとケーキ談義で盛り上がったのだ。



  ▽



 アヴォは風竜エンリルと親しかった。

 彼はドーディエルの誕生に咆哮しながら赤ん坊は苦手だと逃げ出して、成人したドーディエルに狩られたという破天荒な竜である。

 抜け目ないくせ抜けていて、手加減なしのイタズラでアヴォは二度死にかけているし、俺は星を流せるぞと偉そうで、やってみろといえば奥義は最期に取っておくものだと、本当か嘘か眉唾ものの友人が唯一真面目に語ったことがある。



「地竜だがなあ」

 いつものように滅多に手に入らぬ美酒を傾け、ソファで足を組んで天蓋の星を見ていた。

「里で会ったそうだな。お前のようなふざけた竜ではなかろうね」

 いつもならそれにニヤリと笑うくせに、ただ天蓋を瞳に映す。

「地竜は竜らしからぬ」

「懲りないな。散々な目にあったはずだが」

 

 まったく禍でしかない口だと呆れたが、複雑なんだと不貞腐れ、二杯三杯と立て続けに飲んで静かになった。酔いつぶれるほど強い酒ではないはずだがと訝しむアヴォに彼は呟く。

「アヴォ、あの竜らしからぬ竜を、いつか助けてやっちゃくれないか」

 ふざけた友人の真摯な願いにアヴォは思わず咽せてしまい、まあ美酒の対価なら構わないよと請け負ったのが、風竜エンリルとの最期の会話になったのだ。




「帝都異変。陛下と風竜エンリルは禍の楔となり、元凶を追うリヒャエルは北の神殿を破壊した」

 各地に建つ神殿の役割は魔力の安定を担うもので、これを破壊するとは魔法国家の礎を揺るがす愚行で暴挙だ。いっそ見なかったことにしようと踵を返したが、風竜は逝き、ドーディエルの意識は戻らず、二人の継承者は11歳になったばかり。


「富む我が国を欲する他国を牽制出来るのは、大魔王雷人リヒャエルしかいなかった」

 ちょいちょいと突っ込みどころが多いが、アヴォは大真面目に回帰する。


 エンリルの最期は満天の星が流れる晩で、とても美しく、そして残酷だった。

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