52 でんぐり返り
カインは赤金の羽で夢を翔び、ドーディエルの指示通りに紋様を描いた。
「それでいい。イツキ巫女側も完成したぞ」
「こちらの複写は不測事態に備えてでしょうか」
カインの問いにドーディエルはニヤッと笑う。
「一世一代の大仕事を惚れた女に見せるため・・おっと危ない」
ブンと切り刻むかまいたちがドーディエルをすり抜けていった。
「我妻は来ぬ」
かまいたちは金の髪と紫の瞳の精霊王になり、しかし森羅万象の王の色は日替わりだ。
「生きるか死ぬかに、惚れた女の囁きがあれば百人力なんだがなあ」
精霊王の威圧でよろめくカインだが、ドーディエルは妻を連れて来いと悠然としたものだ。
「二つしかない耳だというのに、三人の睦言で埋めたはずだが」
「二人だぞ。末姫の母親は睦みでなく企みだ」
ひゅるると雪だるまが頭上を飛んでいき、精霊王は舌を打った。
「氷柱が間抜けなダルマになった」
ここはドーディエルの領域で、突き刺すつもりの氷柱は雪だるまになって焔の羽に溶かされる。
「赤の息子か。忌々しい色だがテコナがマトモだと言ったから発言を許す」
カインは慌てて表情を引き締めると頭を切り替える。
「里の占者に焔の礫を分けて頂き、不死の鳥は一命を取り留めました。改めて御礼を申し上げます」
「ふむ・・マトモだ。父親の異常さを凌駕するほど母親が優れていたのだろう」
「母親は私をお茶目な人と呼んで、歯並びが良いと讃えるものだった」
歯並び自慢をするドーディエルに、人の美意識は理解出来ぬとを精霊王は首を振り、空に描いた紋様に目を細めた。
大気が魔力なら森羅万象は魔法で、権現の精霊王には混沌の後を統べる主核を見定める役目がある。ちょうどそれくらいの寿命をもって顕在したはずが、戦火に焼かれた愛しい蝶に血肉を分けたことで目減りして、これはまずいと眠りにつき、細く、薄く、長く繋いできた次第だ。
「霊獣と人の混沌に精霊界は介入せぬ。しかしこの子供を差し出すなら一考しよう」
それは赤金に燃える宙の紋様が気に入ったからで、精霊らしい気紛れだ。
「カインはダメだ」
眉を顰めるドーディエルに、精霊王は驚いたと片眉をあげた。
「次代の王と定めたか」
「連れていくなら仔ウサギユーリーも一緒だ。あれだけ残せばリヒャエルの胃に穴が開く」
カインの期待は儚く散ったが、確かにその通りだと深く頷くのだった。
▽
太陽の輪が白なら天気を報せるハロだが、この輪は黒くて水に墨汁を垂らすようにじわじわと広がっており、リヒャエルは眉間に皺を寄せる。
「正体が見えるか、アヴォ」
「魔族マーナガルムだね。月と星の番人が星を降らせる前兆だ」
すべてが黒く染まれば流星群が来る。それまでに黒曜石を暴かねばならないが、黒く染色された領域は切り離され、イツキの千里眼でも探知がままならない。
「何てことだ、陛下お気に入りの庭園が無惨な姿。まあ更地にすれば探しやすくはあるだろう」
攻撃に転じたユーリーは、リヒャエルすら配慮した庭園を容赦なく破壊し、バラのアーチも大理石の噴水も、何よりウサギのオブジェを徹底的に瓦礫にしている。
「わざとだな」
彼はホームパーティが嫌いで、庭園を見ただけで過呼吸と癇癪を起こすのだ。
リヒャエルの屋敷にも賜りものの仔ウサギオブジェがあるが、気付かれぬよう処分しようと、やることリストにメモをした。
突如アヴォが唸りをあげて、背後から忍び寄った漆黒の蛇を噛み砕く。動かないと確認して背を向けたら、そこから蔓が噴き出してアヴォを締め上げたのだ。リヒャエルは炎で焼き払ったが、苗代の蛇からは次々と蔓が生え一帯は炎の海と化した。
「リヒャエル封じのつもりかな」
帝都異変で黒曜石が手を焼いたのがリヒャエルで、弱点の水魔法にマーナガルムの闇属性を加えた封じを展開してきた。
「ユーリーさまを盾にしたい」
ボソッと本音が飛び出したリヒャエルは、
「弱音など腹立たしい。燃やすというなら燃やせるものを無くせばよい!」
杖を大地に突き立て魔法陣を展開し、最大級の魔力を一気に流し込んだのだ。
▽
ズズズッ、バキッバキッ、ズドォーン・・
地面がへこんで弾み、鳥は空へ逃れて獣は穴ぐらに潜る。
霊獣は盾の呪文で結晶化して、主をそこに閉じ込めると一か八かの賭けに出た。
「耳がびっくりしたね」
霊獣が消えたとルネは驚き、結晶に内包された魔法使いから距離を取る。
「霊獣が結晶化して盾になった。強固な護りだが逃走は出来ず、状況が好転するまで持ち堪える最終手段だな」
つまり逃げる場所すら無いということだろう。
「早トチリね。これはリヒャエルで、芋袋とスコップが降ってきたときもこんなふうだった」
リヒャエルは元気いっぱいのようである。
「ルネ、リンレライがこちらに気付いたぞ。イツキ巫女が通路となる地脈を保っているというが、」
その負荷は大きいのに覚悟が決まってからおいでと急かしはしない。
「うーん、イツキさんを危険に晒すのは避けたい。ロシュ、アヴォの位置がわかる?」
「地竜になれば辿れるが黒曜石に気付かれる」
「地竜は黒曜石より速いから振り切って。後はリヒャエルが何とかするんじゃないかな?」
その答えが気に入らないようで、ロシュフォールは唇を尖らせた。
「ルネはリヒャエルを頼りにしているのだな」
「アヴォが教えてくれたの。政策でも落とし物でも食堂のメニューが飽きたことでも、リヒャエルは何とかするんだって」
捨て犬の飼い主さがし、キーロックの番号管理、食料品の買い忘れ、
「万能というより便利屋だ」
指折り数えるルネに、王たる地竜も似たようなものだぞとなぜか自慢するのであった。
▽
焼け野原にリヒャエルの銀糸の髪が輝く。大地はバチッバチと燻って天地を雷柱が繋ぐ地獄絵図。
魔族が霊獣になるのは神格化した特別に添うためで、アヴォは取り違えではあるけれど、実はリヒャエルが人で無い可能性を見出して、
「魔王さま・・?」
思わず言葉が口を衝く。
「魔族にも王があるのか?これ以上の厄介はいらぬから大人しくさせておけ」
まさか自分のことだとは思っていない。
「大体の位置は把握した。しかしどう領域から引きずり出したものか」
どの方法にせよ戦線離脱せねばならず、そうすればユーリーの負荷は計り知れない。
「ユーリーさまを護れ」
しかしアヴォは「否」と答えた。
「リヒャエルに添うべき霊獣はテコナだった。私は妹が罪を被らぬよういるのであって偽物の糸に従う理由はない」
偽物とバレる前に切ってしまうことを選んだとは言わなかった。
リヒャエルはその告白に、フムと首を傾げる。
「整理しよう。私の霊獣が何であるか、ユーリーさまが負荷に耐えきるか、流星群の発動を阻止できるかの三点。この場合、緊要度順が妥当と思うがどうだ」
それがリヒャエルの歩み寄りと知るのはアヴォだけだろう。
「緊要度ならまずこれだ!リヒャエル、地脈が弾けるっ」
重力の乱れとそれを追うように棘のある触手が、地脈を破壊しながらやってきた。
「重力を歪ませたのは地竜だね。あの蔓は黒曜石に繋がっている」
魔眼を酷使したせいで白い眼球には血が滲む。
「ズラズラと連れてきたものだ」
地竜が咆哮をあげて磁場が狂い、視覚をもたない黒の触手は手当たり次第に暴れだす。
「後始末をお願いします」
ルネはリヒャエルを見つけると手を振って大声で叫ぶ。
「なぜ私が、」
リヒャエルの意見はごもっともだが、まあともかくと対峙する。
「触手の弱点が磁場であることが知れた礼である」
わざわざ理由をつけたのは、面倒ばかり押し付けられて腹立たしいせいだ。
「二人と会えて嬉しいよ。闇が来る前に黒曜石を探しにいくところだ」
行くの?とルネは訊ね、それくらいの魔力はあるとアヴォが答えたから言い方を変える。
「黒曜石は融合を選択のひとつにした。アヴォを失えばリヒャエルは融合できず死ぬよ」
「それでいい、さっさと援護しろ!」
答えたのはリヒャエルで、アヴォはまあそういうことだと笑う。
『決マッタ』
カチリと針が動く音をルネは聞いて、数の多さに苛立つリヒャエルに言った。
「触手は黒曜石に繋がってる。これは黒曜石から模写をした、風に揺れる光のレースが原型だから」
ルネがフードを取ると白黒の髪がうねうねと蠢き、そこから伸ばした触手が黒の触手に絡み付いてピンと張る。
素敵な原型の面影は一切留めておらず、黒曜石もこれをオリジナルと認識したせいで、力比べはルネに軍配が上がった。
「それがカカシの本体か」
「むぅ、本体ってわけじゃないもん」
リヒャエルは腕を組んで触手をしげしげと眺め、なるほどと大きく頷く。
「魔力の核は体内にあるもので、しかし虫は外殻と聞く。カカシは虫だったのか」
「違うっ」
ギギギと領域の扉がこじ開けられて、音も光も無い空間が現れた。黒曜石は神格化した祀り巫女で、その威圧にアヴォはよろめく。
「カカシ、アヴォの権限を渡せ。脆くて使い物にならぬ」
リヒャエルはアヴォの顔を拭い、べったりと血の付いた手を突き出す。
「何のこと?私は過去から未来の力を集約しただけよ」
それを聞くと目を見開き、アヴォの耳を引っ張った。
「過去に力を残していたとは聞き捨てならん。しかも未来を担保にしただとっ」
未来は絶対でなく、払えない対価は魂で償うものだ。
「ワーク・ライフ・バランスをだね、」
「黙れっ!」
「アヴォ、お別れの挨拶が済んだら行くよ」
「すぐに済ませる。この度は一身上の都合により退任させていただきたく、」
ギリギリと歯ぎしりが響き、さすが万能リヒャエルは歯も丈夫とルネはますます感心した。
「どいつもこいつも勝手が過ぎる。私は寛大な人間ではないぞ」
ちっとも寛大ではなく、しかし世話焼きな気質なのだ。
リヒャエルはルネに取引の解除を条件に、魅力的な提案を持ち掛けた。
「泣く子も騙すドレスクチュールと、馬にも化粧のカリスマ美容一日見学に興味はないか?」
「ある!」
これにはアヴォもマズいことになったと溜め息をつくのだった。
▽
ぷるぅん、ぷるるぅんとそれはゼリー風。
世界の表裏、その裏にいるドーディエルの領域にぷるんぷるんとゼリーが押し入って、たちまち押しくらまんじゅうが始まった。
「カイン、飛べ・・うぶっ、」
路を開こうとしたドーディエルはゼリーにポコンと弾かれ、膨らんだり凹んだりをかき分けた精霊王は、糸を弾いて世界中の大気の糸に絡まる音を聞く。
「刻を戻す者と古代魔法が絡まって戻らぬものを戻した」
「うちのリヒャエルと末姫が結託したか?」
ジタバタする天地がぐるんと返り、三人がいるのはユーリーが破壊したドーディエルお気に入りの庭園だ。
「世界が反転したぞ」
これは愉快だと精霊王が高笑いをする。
刻を戻す者の力は、何もないと上書きをすることで安定を図ろうとし、リヒャエルの古代魔法は、異物を排除することで安定を図ろうとした。安定を図ろうとするのは同じでも、正反対の過程に応じねばならない理は混乱し、定着できない魔力が世界をぐるんと返して無かったことにしたようだ。
まだらの暗闇から押し出された虹色の帯がテコナになる。
「夢渡りが夢から追い出されたよ」
「これは麗しの蝶。死人の君も美しい」
「変わらない薄っぺらい言葉だが、変わらないというのが君の長所だろう」
さっそく口説いたドーディエルに呆れつつ、噛みつこうとする精霊王を宥める。
「表裏が反転した。表は裏に、裏は表に。祀り巫女が踏みとどまったのはさすがで、でもちょっと怒ってるようだ。ほら」
テコナが耳を塞けばガランガランとやかましい音が響いてくる。
「あの天災女がバケツでも蹴飛ばしたか」
ドーディエルは顔をしかめて、ドーンと空にあがった花火の火の粉を避ける。
これぞ天孫降臨。メラメラと狐火を燃やす九尾のイツキが空を真っ赤にして、その後ろには引っ掻き傷だらけのリンレライが、ほうほうの体で追い縋っていた。




