44 執着と依存
太陽の光を遮る巨体の地竜が、金のリンゴが実る丘に下り立った。
「インドラ、リンゴを貰うぞ」
枝に伸ばした竜の鋭い爪を賢き象の鼻が叩き、痛くはないけど後ずさる。
「ちゃんと見ろ。まんべんなく色付くものほど甘い」
そうかと目を凝らしても、金のリンゴは太陽を反射する眩しさで直視が出来ない。
「てっぺんだ。イテっ」
跳躍すれば尾を踏まれて、先端の目玉が涙目だ。
「枝は若いものが瑞々しい」
「それじゃ一番細いこれにしよう」
「・・それはナナフシ、枝に似た虫だ。私が選ぶから大人しくしていろ」
さすがリンゴで育った象は目利きだと感心すれば、インドラはちょっとだけ照れている。
「ルネを一人にしていいのか?」
「ああ。複雑な術式と睨めっこ中で俺は暇を持て余している」
眩しい太陽に目を細めたロシュフォールに、インドラはリンゴをもぎり、そうだなと切り出した。
「霊獣が主に執着するのは、唯一無二の紋章の呪いではないかと私は考えた」
「ああ。主を喪った地竜が憑かれたように北を彷徨った原動力は、本能とよく似た執着だった」
本能とは個体の生存や維持のための非理性であり、自らの命を縮める行動は似て非なるものだ。
「本能と見紛うほどの執着こそが、正しき契約の縛りだろう。しかしこれに我欲、すなわち依存が生まれれば『同化』を起こす」
主の過ちを正すのは霊獣の役目だが、『同化』はその機会を放棄して主を危険に晒すものだ。
「同化した霊獣は主が逝ったと理解できずに引き戻し、意図せず死人創りを行う」
魂が消滅した体に遺る魔力を喰らって、主の真似をする身勝手な死人創りである。
インドラを繋ぐ首輪の内側には、ユーリーから届いた淡い水色のシルクが巻かれている。
『象の首が擦りむけ真っ赤』とリンレライが手紙に書いて、すぐに届いた上等なシルク。
「ユーリーの世界は二極化していて、私は反極にあるものに目を瞑ったんだ」
例えば残酷な一面、例えば計略に長けた一面。
清廉潔癖な玉座にふさわしくないものを切り捨て、自分本位な正当性をふりかざすのは自己防衛で、それこそが『同化』であるとうなだれた。
リンゴの枝がしなり、枝に腰かけたイツキが微笑む。
「想いが過ぎるとひとつになりたがるもの」
続いて現れたリンレライに同意を求めれば、儂は違うぞと首を振った。
「ひとつになってはケンカが出来ぬ。儂はイツキにペシッとされるとゾクゾクするのじゃ」
「うっ、人を暴力女房のように言うでない」
「いやまてよ、ひとつのカエルさんになって、ゲコゲコ輪唱するのは良きかもしれん」
「するかっ!」
カチャと外れた戒めの首輪から、上等なシルクを拾いあげたインドラは帝都に頭を垂れた。
▽
夢から醒めたテコナは筆を取り、予知を文字にしていく。
彼女は千里を見渡す左目を戦火で喪ったが、喪失と引き換えに過去の欠片を右目にかざし、より深淵を見定める術を手にした。薄紅の羽を失い黒アゲハとなった後も、この類まれなる能力で精霊界に平穏をもたらした蝶である。
まさに異体同心の夫婦だが、精霊王の本来の霊獣になるべきはア・バウア・クーのアヴォだった。ところが妹のテコナに一目ぼれをして、霊獣の里から連れ去ったのだ。
妹を攫われたアヴォが森の箱庭を灰にしたのはずっと昔だけど、未だ精霊からは嫌われており、長命な者の喧嘩には終わりがないから困ったものだとテコナは水鏡を覗きこんだ。
終わりが近い蝶の羽は着古したセーターのようにボソボソで、模様の鱗粉がくしゃみで散る。
「ねえ精霊王。君のお気に入りは旅立ちの準備を終えた」
精霊王は美しき蝶を宝石と絹で束縛したが、戦火が森を焼いて結界が破られ、霊獣の本能に従ったテコナは主を護るため戦場へ迷い込み、薄紅の羽と白磁の肌、それと片方の視覚を失った。
この黒アゲハの羽は、アヴォの一部を裂いて祀り巫女が創ったものである。
うーんと伸びをすれば、リンレライが瓢箪から酒を注いでねぎらった。
「精霊王と語らっていたか」
「ひとりごとだよ。鳥かごの蝶が業火に焼かれる様子を見て来たせいだ」
寄り添って眠っていたアヴォがピクリと耳をいからせて、テコナの脇腹をくすぐる。
「ねえアヴォ、私にはこの羽の対価を払う時間がない」
「それは私が押し付けた羽だ。妹が笑顔でいたならそれでいい」
テコナはアヴォに微笑んで、盃を飲み干し予言を伝える。
「昨日の予言は風に散り、しかし未だ人の首には死神の鎌がかけられている」
「さもあらん。理は黒曜石を世界に組み込む代償に、脆いものから淘汰するものじゃ」
増えた水嵩を流すために、堰を切って帳尻を合わすのが理だとリンレライは言う。
「イツキは祀り巫女を終えルネは資格を喪った。祀り巫女の空位を埋めるには黒曜石が丁度良いと理は判断したが、あれは古の契約を覆すものだから変化を嫌う理は葛藤中じゃ」
しかしながらとリンレライは頭を垂れる。
「霊獣の里は黒曜石を祀り巫女として丁重に扱う。よってこれを害してはならぬ」
「例外があるかい?」
「うむ。祀り巫女を廃することが出来るのは祀り巫女。イツキと祀りの御方は道理が通る」
「私は死人だから理の制限を受けない。次代の継承者達を守護する高位霊獣はどうだ」
「主が命の危機にあるなら人との契約が優先される。・・報せによればシャングラは戦えぬがの」
リヒャエルが『抜け殻』と表現するのは、黒曜石の瘴気に晒された中毒だ。
「黒曜石は『刻を戻す者』の出方を窺っているのか」
「王たる地竜は祀り巫女と同位であるから従わすことは出来まい。この魔族を従わせるのは主のルネだけじゃ」
ルネは考えている最中だとロシュフォールはいう。結論が何であれイツキはこれを尊重することに決め、祀り巫女の決定が霊獣の里の総意である。
▽
徹夜三日目。ルネはロシュフォールに担がれ布団に押し込まれた。
「眠ってる時間はないの、ロシュ」
「ルネはちっちゃいから眠るんだ」
「ちっちゃくないっ、もう15歳よ」
「ちっちゃい。たくさん眠って大きくなぁ~れ」
ルネがぷぅと頬を膨らませると、困ったように眉尻を下げる。
「祀り巫女と祀りの御方は夫婦になる。ルネはいつになったら大きくなるんだ」
ガバッと布団を被ったルネは、ワカッタとゴニョゴニョ言って赤くなる頬を隠した。
▽
霊獣の里と会談が行われる朝、リヒャエルが幾重にも付与効果を施した魔導師の衣装で出発までを書類仕事に費やしていると、まるとしかくが扉を威嚇し顔を上げる。
「ドアから来るものならマトモ」
そう制止すれば黙ったが、黙っていても極楽鳥もどきの鮮やかさは消しようがない。
「おや、完全武装で行くのかい」
ドアを開けたのはユーリーで、まるとしかくの鼻をつついて寄り目になるのを笑う。
「イカれたバケモノとの対峙にふさわしく。インドラへの文を預かりましょう」
「いい。無理強いはしたくないからね」
ユーリーが急激に痩せたのは夜通し吐くからで、そのたびにインドラを呼ぶと知っている。
「会談は複雑怪奇な分岐の三差路。どうか身辺警戒を怠らぬよう」
「気を付けよう。陛下がルネを手懐ければ竜ごと手に入ったのにね。あの人がマーナガルムと竜を混同した理由も伺っておいで」
「・・ハア。仕方ない、不本意だがそうしましょう」
苦虫を嚙み潰したような顔に苦笑して、それから表情を引き締めた。
「もうひとつ。私に蔓延る黒曜石が追跡に役立つなら、この命は二の次にするように」
無用な覚悟とリヒャエルはあしらって渋々と頷く。
「帝都の心配はいらない。カインと共闘するよ」
「なんとまあ驚いた。あなたが殊勝では縁起が悪い。さてはすでに黒曜石に篭絡されたか」
リヒャエルがユーリーのおでこに手を当てれば、ペシリとはたく。
「艶めかしいおでこに触れるんじゃないよ」
「心配ない、私が好むのは健康的なおでこで、伴侶の条件、その4ですからな」
条件がマニアックだと半歩下がったら、暇ならハンコを押しなさいと両脇をまるとしかくに狭まれて、条件1,2,3は気になるものの退散を選択したのだった。
▽
祀りの御方が指定した複雑怪奇な分岐の三差路へ、いくつも繋ぎ目を超えていく。これが粗削りな繋ぎ目で、馬車ごと歪んで方向感覚を失わせた。
リヒャエルは馬車を下りると精霊を追い、そこから三つの繋ぎ目でテコナに出迎えられる。
「やあ稀代の魔法使い。歓迎はしないが命の保証はしよう」
「どちらも要らぬ。祀りの御方はどこだ」
「祀りの御方はここにいる。見たいものしか見えない場所だから、君はリンレライを見たくない」
「そんなはずはない。攻撃も防御も万端の用意がある」
杖で風を起こして霧を散らせば、大木の前に渋面のリンレライが座っていた。
「見たくもないのが見えた。ぱあっと灰にしてしまおう」
「リンレライ、困るよ。たった今、命の保証をしたばかりだもの」
テコナに諫められたリンレライが、そちらは文のままかと口火を切った。
「ユーリーさまより伝言がある」
その内容にアイラーヴァタの白い耳がハタハタと靡く。
「祀り巫女に伝えよう。しかし会うは叶わず、祀り巫女に危害があれば協定はないと思え」
「それは全ての祀り巫女に通じるか」
リンレライは質問に対してヒュウヒュウと理と語らう。
「儂との協定は我が祀り巫女のみに通じる。しかし霊獣の里と帝国に於いての契約ならば、すべての祀り巫女に通じよう」
「帝国に従属する霊獣は国の協定下だな」
「その通り。対峙はならぬが主の危機に於いてはその限りでない」
しかし祀り巫女相手では、一矢報いることもできぬだろうと首を振った。
「想定の範疇だ。もうひとつ、陛下の記憶混乱について」
「帝都異変の後、おそらくドーディエルどのは長針と短針のように黒曜石と付かず離れずであったのだろう」
時計の針が重なる度に『新しき黒曜石』の情報が交錯した弊害ではと仮説を立てる。
「黒曜石が己の表裏だとカカシは知っていたのだな」
それならば夢の領域での行動に説明がつくというものだ。
「ルネの創る薬は二人の皇太子に秘薬以上の効能をもたらした。これが血の継承による増幅作用なら、ドーディエルどのにも影響があるだろう」
リンレライは手をかざしてアヴォを呼ぶ。ぐにゃりと大木が歪み、透明なア・バウア・クーの白い目が宙に浮いた。
「詳しくはルネと契約を交わすアヴォに聞くと良い」
「契約だと」
感動の再会に期待はないが、双方渋面なのは似た者同士だ。
「顕在の力を調達したんだよ。対価は死後の使役だね」
リヒャエルは魔力を鋭利に変えて投げつけ、しかし慣れたものでアヴォはさっと避ける。
「ハリボテが黒曜石に対峙できるものか。魔力は唯一無二が契約だぞ」
「だから呪力を用いるんだよ。それには紋章を消さねばならず主の赦しがいる」
呪の紋様を身に刻めば魂は輪廻せず魔物に堕ちる。そういう契約だと淡々と語った。
「魔力など有り余っている。契約破棄の倍値で払えばいいか」
「気前がいいことだが糸は切れた。今更だ」
「ふん、あんなものは契約の呪縛に過ぎぬ。魔力供給の路を創るのは容易いが私は忙しいのだ。カカシに創らせろ」
さすがは稀代の大魔王とアヴォは反転を起こし、歪んだ大木から白と黒の頭がにょっきりと突き出てきた。
それがルネだと気付いたリヒャエルは杖を構え、ロシュフォールの剣とぶつかり火花を散らす。
「カカシ!よくも私の霊獣に余計な知恵を!」
『どうして大切だと伝えなかったの』
ルネの口が紡いだ言葉に、リヒャエルが息を飲む。
「その声は・・私の母を模写したか」
「まあそんなふう。古の魔力には呪力という禁忌があって、その知識は一子相伝。墓場に持っていった知識を模写する対価がこの言伝てよ」
黒曜石と同じ名の星詠みの予言師ディア、創世より続く古の一族でありルネを産んだ女性。そしてリヒャエルの生母でもある。




