39 地竜の願い
地竜が祠の一枚岩を瓦礫にしたのはリンレライが創った音の防壁を破壊するためで、鱗は剥がれて毒の沼地をつくり、尾の長い棘は欠けた刃のようにこぼれてシュウシュウと燻りをあげている。
それでも急所の胸に乱れはなく、羽毛に埋もれて眠るルネをソッと横たえた。
音の術を終息し終えたイツキは、間に合ったと安堵してリンレライに頷く。
「止マレの術を以てルネの紋章を正しくするぞ。・・うむむ、ちっとも聞いておらん」
リンレライは大きく目を開いて瞬きもせずに、これでは見ているほうが目が乾く。
イツキは右へ10歩、左に10歩と歩んでみたが、竿に掛かった魚のように視線は後を追い、ニヘラと締まりなく笑った。
「ここはあの世じゃ、だってイツキじゃ。とうとう死んだぞーっ」
ばんざーいと跳ねる姿に顔を覆う。
「縁起でもない。そなたは死んではおらぬし妾は生きてもおらぬ!・・むっ、それどころではない」
ルネの胸が大きく波打ち、最期の命の玉があるべき場所に還ろうともがきだした。
「ロシュフォール。そなたの願いを祀りの御方に奉るよう」
イツキに頷いた地竜は四肢を折る。
「祀りの御方の秘術を以て、ルネの刻を止め正しき霊獣を願う」
「それには等価交換が必要じゃ。今のルネに差し出せるものがあるのか」
そうでなければ成立しないのが理で、祀りの御方が良しとする対価は決して安くはない。ロシュフォールはイツキに頭を下げると等価交換を申し出た。
「このイツキ姫はルネが創った依り代で所有はルネにある。等価交換は依り代ごと全て」
「なんたる侮辱!祀り巫女は元より祀りの御方のものである、引き裂かれたいかっ!」
びゅーんと風が渦巻いて警告の鈴がリンリンと響くのを、地竜は地を打ち鳴らして相殺する。
「霊獣は祀りの御方を攻撃しないが理なれど、王たる地竜はその限りではない!」
テコナが膝を崩した。穏やかな地竜も猛りは王たる威厳で、霊獣の本能が平伏させたのだ。
祀りの御方も地竜も一歩も譲らず、イツキは二人の間に割って袂を振ると気を散じる。
「のうリンレライ、次代巫女しか創れぬ依り代は妾にたくさん外を見せてくれた」
「言うてくれるな。儂とてお外を見せてやりたかったが、巫女は里に在るものだから、」
あわわと焦り、しかもちょっぴり泣いている。
「知っている。代わりにそなたは虚空の散歩道をくれた。空気も音も本当と寸分変わらぬ素晴らしさよ」
イツキが見事と微笑めば、月も花も恥じらい俯く始末。
「宣旨じゃ、満願成就を叶えた禍が来るぞ。巫女無き季節は仕組まれたものでルネの責でない。それゆえ少し手を貸したが依り代を得るとは幸いであった。またそなたに会えたとは嬉しいのう」
「儂のほうがすごーく嬉しい」
チョンとイツキの袖を握って様子見をしているが、三叉の尾をブンブン振るからイツキは鬱陶しいと手で払った。
「しかしルネが逝けば依り代は壊れよう」
「こ、こ、壊れると、」
「当然そうなる。そなたの目の前で、バラバラボロボログチャングチャンじゃな」
「ひいっ!」
「嫌ならロシュフォールの願いを叶えよ」
「わかった」
祀り巫女を護るのは儂の役目と胸を張り、しかし元から儂のイツキなのに対価になるのかなと首を捻るから、イツキは更に追い打ちをかけてその疑問を遠ざける。
「依り代はルネに属するものであるから、願いが成就するまで妾はロシュと暮らす」
「嫌じゃぁぁ!」
酷使されたイーちゃん人形の関節がガクガクしていることに気付いたロシュフォールは、そっと抱き上げると重力操作で負荷を軽減した。
「ほほほ。ここはルネの特等席じゃな」
祀り巫女を奪われたリンレライは、口をパクパクさせており、
「なんとまあ金魚みたいじゃのう」
イツキが呆れているのは安堵したせいだ。
「祀り巫女の祀りの御方、イツキのリンレライ。早う隣に呼んでおくれ」
それが妾の願いじゃぞと綻ぶように笑めば、地竜は地を蹴り飛翔して竜の岩場に飛び去っていく。
残されたリンレライは、ここ数百年みせなかったやる気がみなぎって、
「凄く頑張るぞっ」
そう叫ぶと千切れんばかりに両手を振るのだった。
凄く頑張るといっても祀りの御方に出来るのは、生死の隙間を広げ、逝けず還れずの空虚を維持することだけで治癒はテコナの専門である。
この空虚は気紛れな性質だから離れず監視する必要があって、そのせいでイツキがいる竜の岩場におでかけできず不貞腐れているのだ。
「イツキはまだ来ぬのか」
岩山をしょんぼりと眺めるリンレライに、テコナは同じ言葉を繰り返す。
「夜明けと共に来たじゃないか」
里の天気は祀りの御方の気分次第で、イツキが訪れる夜明けはキラキラと日差しが輝くが、帰ってしまえばグズグズの雨模様になって洗濯物が乾かない。
ただしテコナは洗濯物の心配をする暇もなく祠に籠ってルネの治癒にあたり、体中の痣を色で染めたり抜いたりして本物を探している。
「痣の殆どは偽装で、しかしルネの一部になっているから判断が難しい」
「ルネを拾った魔法使いの仕業か?」
「もっと古い。これでは生まれ持ったものだと本人が思うのも無理はない」
魔法使いの出産に予言があるのは、誕生の瞬間から守護者である霊獣が添う空白の時間が最も無防備になるからだ。ルネが誕生した年は慶兆の予言も禍の予兆もなく、ただ金のリンゴが豊作であった記録しかない。
「目が醒めたみたいだよ」
ルネはぼうっと目を開いたが、焦点は合わずに瞬きもしていない。
「体力を蓄えるためにおやすみ」
テコナが誘眠の魔法をかければピンと弾かれて、イテテと痺れた腕をひっこめた。
「束縛への抵抗だ。施術が心配だね」
「不安から来るものなら、ロシュにいてもらえば良いのではないか?」
「それを自分の立場に置き換えてごらんよ」
うむむとリンレライは唇を尖らせる。イツキを対価にされて理性がぶっ飛んだように、正しき霊獣も地竜の存在がそばにあることを許さない。しかし庇護欲だけで結界を蹴り破る地竜が、大人しく引き下がるはずもない。
「地竜対魔族の奪い合いとはいやーな構図じゃ。地竜は強いが魔族はタカが外れておる」
自分だって魔族だろうとテコナは苦笑いをして、その手が何かを撫でる仕草をした。
「アヴォも本当は怖いの?」
膝に寝そべっていた透明の獣はブンブンと首を振ってルネに寄り添い、すると抵抗はおさまってすぅすぅと寝息を立てはじめた。
▽
竜の巣穴では、ロシュフォールが左腕に布を巻いてぎゅっと縛る。
剥がれた鱗から垂れ流した体液が毒の溜まりをいくつも作り、テコナにこっぴどく叱られてここ数日は後始末とイツキの世話で忙しい。
「ロシュ、起きたぞ」
イツキが目を擦りながらヨイショと椅子に腰をかけ、ロシュフォールの傷を覆った布で遊ぶ精霊を、寝巻の袂でポイっと窓から投げ飛ばす。
「おいなりさんを拵えたので、祀り巫女の祠に御供えしましょう」
「妾ならここにおるぞ。持ってまいれ」
「御供えしてからみんなで食べるんです。ああそうだ、リンレライに貰ったぽっくりに鼻緒を通しておきましたから、今日はよそゆきにしましょうか」
髪に櫛を通されたイツキは覚悟の表情になった。編みこみの髪型は気に入ってはいるが、ロシュフォールは力が強いから、イーちゃん人形の首がもげてしまいそうだ。
「花簪も飽きた。ファンが手向けた髪飾りは祠であったな。取りに行くぞ」
まだ夜は明けたばかりだが、毎日少しずつ竜の岩場を飛び立つ時間は早くなっている。
▽
帝都のユーリーは、寝台で体を丸めてリヒャエルの治癒を受けていた。
筆舌に絶する痛みは埋め込まれた黒曜石が頭蓋骨を突き破ろうとするからで、その脇では成す術もないインドラが息を潜めて祈り続ける。
ふうと緊張を解いたリヒャエルが、魔力の糸を複雑に絡ませて全身を覆う。
「新月を過ぎれば落ち着くでしょう」
「今でさえハリセンボンになりそうなのに、新月とは気が重い。カインのほうは?」
「手掛かりのカカシは忽然と消えた。痕跡まで消すなど里の関与に違いないが音信不通」
これにはインドラも首を振り、求めに応じないと苛立つようだ。
里の守護者である祀りの御方だが、祀り巫女無き里の警戒は心配するほどおざなりで、人が迷い込もうが森の動物が行き来しようが無頓着であったが、今は厳重に隠されている。
「あちらもこちらも秘密が多いね。風の精霊は変わりないかい」
「怯えているが理由はわからない」
「怯える、か」
考え込んだユーリーに、リヒャエルは冷たいタオルを渡す。
「新月を超えるのが先です。念のためインドラを私の魔力で染めておこう」
「そんなのダメに決まってるだろう!」
リヒャエル目掛けてタオルを投げつけたが、インドラが手を伸ばしてキャッチした。
「すまない、リヒャエル」
「ふむ。まあ良い」
しかしユーリーはギリギリと歯ぎしりをして睨みつける。
「私のインドラにリヒャエルの腹黒魔力を注ぐだって?愛情なら満たしてあるよっ」
「見た目ばかり清らかな腹黒王子、どう勘繰ればよいかわかりかねる」
「私は身も心も清らかだ」
「ハハハ、冗談が過ぎますぞ。何より新月の霊獣は探知がされやすい」
「魔力の色を変えて、黒曜石に見つからぬようにするのだな」
ああそうだとリヒャエルが答えれば、ユーリーはキッーと超音波の叫びをあげた。
「インドラの浮気者、私以外で満たされるだなんてヒドイ」
「はあ、腹黒王子のトンデモ語弊が始まった」
リヒャエルは鼻でせせら笑って目をすがめる。
「危険を肩代わりして差し上げようというのだ。感謝しないと休暇を申請しますぞ」
「街でも消すのかい?私の知ったこっちゃないよ」
「そうはいかぬ。カインさまがおられぬ今、揉み消すのは・・失礼、采配はユーリーさまの仕事」
ひくっと頬が動いた。痛いのは頭だけでなくハンコ押しで酷使される細腕はとうに限界突破だ。
「ううっ、今回だけだ!しかしリヒャエルに染まっている間の添い寝は禁止だよ」
「いい加減に添い寝でネンネはやめなさい」
さらに鼻で笑われて、しかしこれはまっとうな一理だからぷいっとそっぽを向いたのだ。
▽
祠にお供えをしたロシュフォールは、もう半時間もルネの寝顔を眺めており、おいなりさんを皿に乗せたリンレライに肩を叩かれた。
「ルネの顔に穴が開いてしまうぞ」
「あはは。子供の成長は早いですね」
出会った頃は棒みたいだったのに、いつの間にか鏡を覗く回数が増えて、切りすぎた前髪を引っ張って気にするようになった。
「今宵の施術で止まった成長も促されよう。明朝には霊獣が添うて命の危機は去る」
心臓が波打ちザワザワとしたが、正しい選択なのだと歯を喰い縛っていると、ルネがうっすらと瞳を開けて、
「後少しだね」
そう言って伸ばした手をそっと握りしめたのだった。




