35 借りものの魔力
大昔には鬼神とよばれた自然災害があった。
濃縮した大気が粘った物体になる現象で、森の木を枯らし、建物を煤にし、鍬も入らぬカチカチの土にして、やがて雨と風で希釈され自然消滅する。つまり鬼神とは濃厚な大気のことで、この成り立ちに着目した人の魔法使いが魔力で以て安定させ、使役したのが従魔のはじまりだ。
「世の成り立ちを知れば形を変えても世は混乱せぬが、ルネは魔法を模写で覚えたために、あるべき知識が欠けておる」
「知識も模写できたらラクチンなのにね」
コリャとイツキに頭をこづかれて、労を惜しむなと叱られる。
チリンと店の扉が開いてお客がやってきた。さがしているのは虫刺されの薬だが、症状を尋ねれば水膨れが潰れて爛れているそうで、抗菌作用の外用薬を処方する。これでも掻きむしるようなら内服薬で、虫刺されで薬を買いに来る人の大半は、症状をこじらせた後だから確認は大切だ。
奇跡の力をもつイツキに薬は必要ないが、うんうんと隣で深く頷いてみせればお客もつられて頷いて、売り上げに大変貢献している。
お客がいなければ窓際に座って手影絵で遊び、ワシとイヌの手形を教えたら、ウサギだクマだと負けず嫌いに拍車がかかる。
「どうじゃ、新作はハクチョウぞ」
袖を腕までたくし上げ、水に浮くハクチョウを壁に映す姿は普通の女の子と変わらない。
「妾は祀り巫女で有り続けるために、腹に力を入れ足を踏ん張って、このように遊んだことがない」
「息が詰まっちゃうね」
「それはどうだろう。それこそが祀り巫女の本質と理解しておる」
そう言ったものの、祀り巫女の本質とは体のいい建前で、誰かの刷り込みではないかとも思うのだ。
「私の忌み色は嫌われるから一人遊びは得意だよ。人目を気にするのは息が詰まるもの」
窓のカーテンを閉じたら、通りでイーちゃんに見惚れていたファンが断末魔をあげる。
「忌み色でなかったら針子になりたかった。だけど袖を捲る針子じゃツギハギの皮膚がばれるでしょう。ツギハギは消せるけど、そうしたらリヒャエルに見つかるから諦めたのよ」
「生を手放そうとは思わなんだか?」
「一人占めの良さもあった。仕掛けに大きい魚がかかったり、卵の黄身がふたつだったりね」
それも命への執着なのだとイツキは安堵する。
「ロシュが終わらずに済む方法、今はそれを願って生きてる」
「地竜は手強いぞ。ルネの墓標になるのが願いならそうするしかない」
「それはロシュの二番目の願いで、一番は紋章を得ることよ」
「どうにもならぬ」
間髪いれずに一蹴されて溜息をつく。
「紋章も私を生かす薬も創れない錬金術なんて役立たずよね」
正しくないとイツキは咎めた。
「霊獣を五つも護った奇跡の薬じゃ」
白ちゃんと黒ちゃんは、時々お店にやって来てお掃除を手伝ってくれる。リヒャエルのせっかんが堪えたヒメサマが、屋敷で大人しくしているから自由時間が増えたと嬉しそうだ。
「薬は治すだけで、その先は自分次第だから、私の手柄ではないっておばあちゃんはよく言った」
「素晴らしいご尊母よ。今を懸命に生きるお姿に感銘を受け、ルネはそこに留まったのだな」
「探したものとちょっと違うけど、まあいいかと思った」
「なんと妥協したか」
イツキはコロコロと笑い、血相を変えて通りを走って来るロシュフォールを「見よ」と指差す。
「・・あ、そうだ。大木の茶色と草原の緑をさがして、私は南を目指したのだった」
それはまさにロシュフォールの髪と瞳の色で、何か思いだしそうだったのに、扉を蹴破る勢いのロシュフォールに圧倒されてうやむやになる。
「怖い顔をするでない。この蟲けらは妾に寄ってきたのじゃ、ルネに障りはないぞ」
イツキが袖を振ると、プゥンと耳障りな羽音がジリジリと燃え落ちた。
「私、この音を知ってる。ドロドロの私を喰い破り羽を広げて飛ぶもの。プーンって煩くって嫌だった」
「死喰い蟲という。数は多いが悪さはせぬ。死期を迎えた魔法使いから魔力をちょっぴり掠め取るだけじゃな。魔力を喰って羽を持ち、陽に飛んで焼け落ちる」
「そうしたらどうなるの?」
「どうもこうも終わりじゃ」
掠め取るというが実際は齧るのだ。縁起の悪い名前は齧られて自分が死ぬと気付くからで、魔法使いは魔力が循環するせいで死期を気付かぬものだといった。
「地を這うて死にかけを探す一生じゃぞ。誰の記憶にも残らずパアッと散って終い」
誰にも迷惑をかけず、誰も悲しまず。それがロシュフォールが終わりに際して望む姿だ。
「死喰い蟲を悼む者はなく、記憶にないものの死にざまなど誰も気に留めぬ」
主を喪った霊獣は祀りの御方の庇護にあるが、ロシュフォールが霊獣の里に身を置かないのは同じ理由だ。
「それじゃ私と離れていたほうが、ロシュは悲しくないわ」
「それは違う、そうじゃなくって、」
「なんと情けない面構え、リンレライならもう三倍突っ込んでもニヘニヘじゃ」
「あんなふう?」
カーテンに映ったイツキの影にニヘニヘしている熱狂ファンを指差せば、もっと高尚なニヘニヘだと叱られた。
▽
昨夜から畑がゴリゴリと鳴っているのは、ルネが撒いた種が発芽する前触れだ。夜が明けるとロシュフォールはさっそく畑の様子を見に行って、そのまま立ちすくんでいる。
「草人間の襲来か?」
まさにそんな発芽光景で、しかしルネは成功したと万歳三唱だ。
「ルネ印の『ヤケドナオルン初号』よ。ヤケドに効く成分がてんこ盛り」
発芽のイメージとかけ離れたその植物は、畑をウズウズと蠢きながら這うている。形も大きさもバラバラで、黒っぽい緑の先には赤紫の斑点がモゾモゾしており、もう花が咲いたのねとルネが言うから花であろう。
「その花から、」
百聞は一見にしかず、花はブルンと身震いし、ぶしゃあと黄土色の液体と煙を吐き出した。
「ヒィィ、なんか出た!」
「ヤケドの薬よ。鍛冶屋通りが花でいっぱいになるといいよね」
「客が減るな」
「なんだとぉ」
ルネの調合薬は天下一品だが独特な造形であることが多い。好みは分かれるがかなり少数派、珍奇を好むカインが絶賛するであろう造形だ。
「さあ、根っこから引っこ抜くわよ」
「うっ!?」
またもやゴボボタラリと口(?)から粘液を垂らすと、今度はブシュッと勢いよく煙を空に噴いて、卵を抱えた不死の鳥が蚊取り線香に仕留められた蚊のように落ちてきた。
「く、臭い。おのれっ、禁忌の合成生物め、俺の業火で焼き尽くす!」
八つ当たりで焔を抱えたシャングラを、ロシュフォールは遮った。
「これはあれだ、火傷の塗り薬」
飲み薬でないのかせめてもの救いだろう。
「なんで火傷の薬に勇気を試されなきゃならないんだ」
うまいっと感心したが、ルネの機嫌が悪くなるので話題を変える。
「用事があってきたんだろう」
「ああ。インドラが再生したことを伝えに来た」
「良かったわ。知らせてくれたお礼にヤケドナオルン初号をあげる」
「いらない」
シャングラは飛んで逃げようとしたが、パタンと窓が開きイーちゃんが顔を見せれば、危機回避能力だけが飛んでいった。
「祀り巫女!」
「シャングラか。里を出た日はまだ幼子であったのに、立派になったのう」
「私をご存じなのですか?」
祀り巫女が身罷ったのは、シャングラが孵るよりも前である。
「むろん。その旅に幸多かれと祈った。それっきり顔を見せぬから心配したぞ」
イツキがシャングラの髪を撫でれば、黒いものがパサパサと散っていく。
「主に向けられた恨みつらみをその身に受けておるのか。幾度でも祓ってやろうぞ」
絵画になりそうな良い一幕の背景は蠢くヤケドナオルン初号で、腕まくりをしているルネをイツキが止めた。
「カインどのへの贈り物。シャングラ、一本残らず持ち帰るよう」
「ええっ!」
「祀り巫女の申しつけ。妾が着替えて庭を散策するまでに引っこ抜いておくように」
祀り巫女の命令は絶対とはいえ、スコップを渡すロシュフォールを睨み付けるシャングラだった。
▽
ブシュゥ・・ゴボボ。言葉にすればそんなふうのヤケドナオルン初号の粘液を、カインはためらいもせずに手の平に塗布した。
「剣ダコにも効果ありとはさすがは錬金術師の薬。しかも花まで美しい」
黄土色の粘液まみれになって戻った不死の鳥は、擬態も解かずに風呂に飛び込んだ。あんなもの二度と見たくはないけれど、カインのことが心配になって戻ってみれば、ヤケドナオルン初号は土に収まっている。
「まさかカインが植えたのか?」
「自ら埋まったのだ。しばらく庭をクンクンしていたが気に入ったようだぞ。ひと茎ひと葉にいいえぬ趣がある」
どこがだとシャングラは答え、気が遠くなるのだった。
▽
北に旅立つ日、ルネは庭にパンくずを撒いて、仲良くなった鳥にお別れをする。
「ルネ、護り石の結界を切るから俺から離れるな」
ロシュフォールは家を覆う結界の魔石を割って魔法陣を消す。
「妾の護りがあるから心配いらん」
イツキはそう言えば、ロシュフォールは首を横に振った。
「祀り巫女の力を、終わりを選んだ者に使うべきではないでしょう」
「妾を置いていくつもりか」
それにはまさかと笑い、ルネを右手にイツキを左手に抱き上げる。
「かっこつけたけど、いざというときはアテにしますね」
100人力とイツキは請け負い、しかしそれでは人の仕組みとずいぶん違うとルネは呟く。
生を終えたイツキだが依代さえあれば物理的な干渉が可能なのは、生前に遺した残留魔力で顕在しているからだ。
「だけど人の魔法使いは魔力を遺せない」
魔力はからっきしにして逝くのが理想だが、準備ができない突発的な終わりを見込んで、先に始末を頼んでおく。そうでなければ魔物に喰われるか穢れになるか、どちらにしたって禍になってしまう。
「ああ、そうか。魔力を持つ人持たぬ人がいる。人にとって魔力は借りものなんだ」
「ルネ、ならぬ」
イツキは唇に人差し指を置いて厄除けの手刀を切った。
「触れてはならぬ理じゃ。祀り巫女が紡いだ言霊は楔にもなる」
それは正解といわれたも同じ。
人の体では魔力の負荷を支えきれないから、霊獣を媒介にして力を変換するのだ。そしてその役目を永劫に全うさせる為、契約で縛って支配する。
「言うな」
媒介は酷使で霊獣を損ねる。祀り巫女が容認するのは苦渋の選択で、ルネはそれ以上を口にしなかった。
▽
街を出る前に、お世話になった人に挨拶に行った。
イーちゃんは熱狂的なファンから髪留めや花束を貰い、ルネは商会のお姉さんやお得意さんから、健康食品とミネラル豊富な乾物を貰った。
「荷物が増えたな。祀り巫女の分は里に送ってもいいですか」
「よい。祠の供えも見飽きたゆえ」
リンレライは飴ばっかりじゃと唇を尖らせる。
「リンレライに土産も贈ろう。俺は鍛冶屋に行くから、選ぶのは二人に頼む」
「おお、妾に任せておけ」
ルネの手を取りイツキが目指すのは、土産と関係ない可愛い雑貨屋で、
「また荷物が増えそうだが、まあ喜んでるしいいか」
子供に甘いと鍛冶屋に叱られたのは昨日のことだが、ロシュフォールはそんな自分を気に入っている。




