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ルネと地竜  作者: かものは
32/58

32 祀り巫女

 夏は夜と朝の境目が一番わくわくする時間だ。空は白く滲んでいるのに纏う空気は夜の密やかさが残って、段がずれたような空間は特別なものと出会えそうな気分になれる。

「ルネっー!」

 特別のなかでも特級の地竜は、黒鱗を煌めかせて林の間を飛来してきた。

「おはようロシュ。リンレライの鎖が解けたのね」

「すぐにここから発とう。人も霊獣も信用してはならないんだ」

 グルルと唸り、林の向こうを走る新聞配達の自転車に牙を剥く。


「旅に出るのはもう少し後。いろいろと大変だったけど雨降って地固まっていいカンジになった」

 ルネはふわぁと欠伸をして、ロシュフォールにコトンと寄りかかる。

「お店は来週オープンよ。がっぽり稼いで豪華客船で北に行こうね」

「北の航路はないぞ」

「うっ、それじゃ贅沢に世界の絶景を、」

「雲の上と海の底くらいなら、今から行って帰りに魚市場に寄る時間はある」

 なんと竜の翼なら世の絶景だってご近所だ。


 リィンと鈴が鳴る。

 ロシュフォールは音の在処に目を見張ったが、ウトウトするルネを抱き上げると、何も聞かずに家へと帰って行った。



  ▽



 霊獣の里に戻ったリンレライは、テコナが煎じた薬湯をちびりと飲んで腹を擦る。

「冷えたスイカをまるまる一個も食べるからだよ。ほら甘くしてあるから温かいうちにお飲み」

「これには訳があって食いしん坊さんではないのだぞ」

 祀りの御方は霊獣を守護するがそれには例外もある。今回のように主を護る名分であれば介入は成り立たず、祠の水鏡でハラハラしながら経緯を見ていることしか出来ないわけで・・


『出来ぬだと!?ぬぬぬ、天誅ぞっ!』

 怒鳴り声をあげて、水鏡から飛び出した祀り巫女イツキに頭突きをかまされ、

「こりゃマズい!」

 叱られる心当たりがあるから馬より早い牡鹿になって逃走したのだが、天敵の狼に変化して追い回され、無我夢中に駆けて気付けばルネの家。

「狼が林に身を潜めてジィッーと狙っておるから、地竜の懐でガタガタ震えておった」

「スイカをまるまる一個食べた理由は、さっぱりわからないね」

 呆れて笑うテコナにむぅと口を尖らせる。


「そろそろ白状しなよ。ふたつの高位霊獣を死の淵から蘇らせた等価交換が、地竜の解放とは天秤が狂っている。祀り巫女が祠から飛び出す一大事は次代の祀り巫女が顕れたからだ」

 リンレライはバツが悪そうにもじもじし、薬湯を一気に飲み干した。

「キレイに飲んだ!」

「全然ごまかされる気がしないよ」


「・・その通り。ルネに祀り巫女の資質があるゆえ成立した等価交換じゃ。どこでどうやって生まれ、どこでどうやって資質を喪ったかは分からぬ」

 洞窟に散りばめた過去の記憶を手繰り寄せる。

「ルネが祀り巫女なら人でないのは道理。イツキが天狐の一族であるように、ルネも特殊な生を受けたのだろう。しかしそれならば、」

 その出生が記録されぬはずはなく、しかしいくら手繰り寄せても特別な何かはない。

「ルネが身罷えば、事を荒立てることなく次代の誕生を待つだけで良い」

 薄情のようでもそれが最善だとテコナも思う。

「しかしイツキ巫女はそれを赦さないのだね」


「祀り巫女たる矜持を、祀りの御方が台無しにするかとガミガミじゃ」

「うーん、君は事なかれ主義というか当たらず障らずだもんね」

「なんとっうまい!儂は天狐の腹で体を得たが元はあの風鈴で、チリンチリンやかましいから風に当たらず障らずが主義であった」

「えっ、そうなのかい」

 洞窟の風鈴は出入りに邪魔で、パシッと手で払っていたが気を付けよう。


「王たる地竜が紋章を等しくするのは、王でも稀代の魔法使いでもなかった。ならば次代の祀り巫女の他にない。しかし地竜の凶事とルネが誕生にはズレがあり、いくら記録を追っても謎は深まるばかり」

 パラパラと捲れていく記憶の一頁。そのページは癖付いて、繰り返し開かれたのだとわかる。

「しかしだよ、祀りの御方は混じって体を持つのだろう。私たちは地竜の孵化をこの目で見たじゃないか」

「魔族とは濃厚な大気と捉えるとわかりやすい。儂は風鈴に宿って魔族になり、更に腹で交じって祀りの御方になった。アヴォならば雫という濃厚な大気が鍾乳石に宿り、托卵を以てア・バウア・クーになったとそんなふう」

 成り立ちなどそんなものとリンレライはいう。


「ロシュは『何か』が地竜の卵に宿ったことで孵化した。・・この世界の大気は、王たる地竜を誕生させるだけの力をもってはおらぬ」

 それは精霊王の見解でもある。王たる地竜は別名を破壊竜といい、終焉と再生の脅威は平和な世に歓迎される誕生ではない。

 その昔、帝王に添う風竜エンリルを孵し育てたが、束縛を嫌う風竜は世の道理など眼中になくそれこそが竜たる気質だ。

 あのときはイツキがいて、教育論議で夫婦喧嘩が絶えなかったと今では良い思い出。

「ロシュは我慢強く穏やかな子だった。そこに破壊竜の性質はない」

 稀なる誕生にお祝いムード一色の中、リンレライだけは不安にかられていたという。


「さあ儂は話した、約束通りテコナも話すのじゃ」

 そんな約束してないよとテコナは笑い、どう話せばいいのだろうと躊躇する。

「君はルネが人でないことを祀り巫女の資質だというが、夢見の見解は違う。あの子は死人ではないが、人の生はとうに終え、人でない部分で人のフリをする者だ」

 頭をガシガシと掻いて唸る。

「ルネは生を終えた人。生は終えたが命は尽きておらず、致し方なく人のフリをしている」


 ルネの夢に侵入するのはたやすかった。

 魔力には強弱の法則があって夢渡りにも渡れぬ夢はある。ルネは四大の薬に相応する魔力を保持しながらも夢に一切の抗いがないのだ。

 しかしその夢は侵入者の心を映す異常な空間で、知らぬうちに蜘蛛の糸に絡まる恐怖と説明する。


「見てもらうのが早いだろう。リンレライ、君を夢渡りに招待しよう」

 しかしリンレライはチラッと視線を泳がせ、それからイツキの祠を向いた。

「秘術の開示には制裁が伴う。テコナは夢を祀り巫女に預けよ、儂はそれを見に行くだけじゃ」

 視線の先の精霊王がそれならいいと消え、過保護な奴じゃと笑った。



  ▽



 チリーンと清めの音を鳴らし、夢へ下っていくリンレライの耳に子供の声が聞こえる。

『かーごめかごめ』

 子供は一人、二人、三人と数えるほど増えていき、

『後ろの正面だぁれ』

 輪の中にいる幼子がゆっくりと顔を上げた。


「何故イツキがおるのじゃ、ここはルネの夢だぞっ」

 幼子は小さい頃のイツキで、金に銀の光彩を持つ瞳、真紅の唇、艶やかな黒髪からのぞく天狐の耳には赤い房の耳飾り。

『化け物の子だぞ、獣の子だぞ、あれは魔物の花嫁だぞ』

 子供たちは幼子を囲んで囃したて、イツキが瞬けばいっぱいに溜めた涙が零れ落ちる。

「くおりゃっー!我妻を苛めたら切り刻んで泥沼に沈めるぞっ」

 リンレライの声は届かず、幼いイツキに小石が飛んでいく。


『逃げるな化け物、人に従え』

 子供は大人に姿を変え、小石は剣と弓と杖になる。

「こら儂っ。そやつらなど八つ裂きにしてしまえっ」

 イツキの耳飾りの鈴はリンレライだ。何故外に出てしまったのか、天狐の耳と九尾を見られぬよう、イツキは社の奥に隠されていたはずなのに。


「妾は社から出たことも人と遊んだこともない。あの房飾りには鈴がないであろう」

 真横に立った美しい人の声に、リンレライの目玉は落ちそうになった。

「儂のイツキではないかっ。なんと極楽にご招待されましたっ!?」

 狐の耳を甘噛みしたリンレライの脛を、イツキは無言で蹴りあげる。

「くうう・・」

「喝!極楽アタマ。冷えたスイカを食わせるために生かしておるでないぞっ」

「ハッ!スイカをお供えしなかったから怒ったか。可愛い嫁じゃ」

 イツキパンチが飛んできたが、慣れたものでひょいと躱す。


「イツキよ。これはテコナが預けた夢のはず」

「そうじゃ。心底の恐れを増幅させる厄介な夢喰いの業である」

「イツキの『夢喰い』を模写したと?」

「違う。資質が失われようとルネが祀り巫女である証。恐ろしさはそなたの知る通りぞ」

 精霊や霊獣も恨みを残せば魔物に堕ちる。それを鎮めるのは祀り巫女だが、その巫女が魔物に堕ちれば、もはや手はなく終末だ。


 人が持つ刃がギラリと夕陽に反射し、偽者のイツキの首が高く高く飛んだ。

「ぎゃあっっ!イツキが、」

 断末魔の叫びをあげたリンレライは形を維持できず、ガラスを引っ掻く不快な音になる。

「鎮まれリンレライ!そなたの恐れを増幅させておるのじゃ!」

 コロコロとイツキの首が転がって、愛する妻の悲惨な姿に音は歪みを生じた。


 足音は太鼓を叩く音、剣はパシャパシャ水を弾く音、風はニャアニャアと吹いていき、音の愛し仔の混乱が音をアベコベの無茶苦茶にする。

 リンレライの懺悔は幼いイツキを社に留め置き、世界を知らぬまま霊獣の里に留めたことで、本当はそれを恨んでいて、役目を終えて再び会うのを拒絶するかもしれないと怯えている。


「なんとまあ目に余る。ルネ、リンレライはそなたが憎む人でないからお止め」

 イツキは額を押さえると、生首イツキにそう話す。

『それは人ではないけれど、霊獣を人の鎖に繋ぐもの』

「殺めるのが目的か?」

 すると生首は、目を見開いてとんでもないと言った。

『殺めない。祀り巫女無き季節だもの。祀りの御方が無くては里は立ち行かない」

「では傀儡か。手段を選ばぬが祀り巫女とは申せど面白くないの」

 キィ~キッ~とガラスを引っ掻く音に、イツキは耳を塞いで大木を蹴っ飛ばした。


「ネズミかネコかカエルかカラス、下りて参れ。飴が甘いぞ旨いぞ、妾が食ってしまうぞ」

 ネコの顔がにょっと突き出て、カラスの羽で地面に下りて、カエルの足でピョンピョン跳んで、チュウとネズミの声で鳴いた。

「ようも複雑に混ざったこと」

 その鼻にチュッとキスをすればリンレライの姿に戻る。


「イツキよ、二度と死んでくれるな。心臓がバクバク、お口がハクハクじゃ」

「たわけ。妻を見紛うなど愛が足りぬぞ」

 イツキはリンレライの両頬をぐいぐいと潰す。

「妾であれば、そなたがネズミでネコでカエルでカラスであろうと分かる」

 ふにゃりと笑ったリンレライが愛しくて、そんな夫を傷付けるなどとんでもない。


『変なの。祀り巫女は人の犠牲に祀りの御方に囚われた。魂を繋がれ本能を麻痺させ挙げ句に殺される。祀りの御方がなければ死なずに済んだのに』

 リンレライはびくりと身を震わす。

『見て見ぬふりの祀りの御方。喰らうのは祀り巫女の寿命、綺麗な服と豪華な部屋、美酒と美食に酔わせて搾取する。あなたはもう食べ終えて、だから祀り巫女は身罷った』


「なんというおしゃべりな口じゃ」

 イツキは狐耳をピンと立てて怒りの表情をしたが、生首のほうは面倒くさそうにクルリと回転する。体があれば首を捻ったといったところだ。

『私は戦わない。だってイツキさんはロシュを助けてくれたもの』


「儂もロシュをよぉく助けておるぞ。つまりルネは儂を大切に違いない!」

「ややこしくなるから黙っておれ!」

 話に割り込んだリンレライに肘鉄を喰らわすイツキである。

「グエッ。全くヤキモチ妬きの可愛い嫁じゃ、大切とはいろいろで、儂はイツキが一番好きじゃ!」

 二発目の肘鉄がヒットした。


「ルネ。祀り巫女は汀に次代巫女を見る。そなたは何を見た」

 イツキも汀にルネを見た。ルネが祀り巫女として立つ時までの必要な魔力を託して眠りについたのだ。

『わからない。怖くて悲しくてありったけの力で助けを呼んだ』

 ルネがポッと照らされて、騎士が刃を向け、聖職者は呪を唱え、善良な人々が化け物と罵る。


 イツキの瞳からポタリと涙が零れ落ちた。

「妾が隔離されるは人を憎まぬ為。妾にはリンレライがいて、まっことやかましい鈴の護りがあった」

 だがルネのありったけの助けを呼ぶ叫びが、誰かに届くことはなかったのだ。

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