30 特効薬
おばあちゃんがどんな人生を歩んだかルネは知らない。
拾われたときにはもうおばあちゃんで、薬創りが生業なのに薬師ではないという。
お客は人か物の怪で、呪いをかけたり解いたりするけど慈善事業は大嫌い、身ぐるみ剥がされる覚悟の人が大好きだった。
『この仕事は共犯にされないことが肝心さ』
おばあちゃんによると治癒も祈りも毒も呪いも、人の定めを曲げる行為に違いはなくて、それ相応の恨みを買うのは当たり前。大事なのは等価交換を徹底し、その責任から一抜けすることだと口を酸っぱくして教え込まれたものである。
「素材と機材はこれで良し。青のベンチタイムも終了ね」
品質を揃えるのは調合の基本だが、手に入りにくい貴重な素材はそうもいかず、量を減らすか効能を妥協するかの選択になる。しかしリンレライの青いスカーフを被せておくと、素材は従順で扱いやすくなって、ルネはこれを青のベンチタイムと呼んでいるのだ。
「欠けた体を戻すより新しいのと取り替えよう。アイラーヴァタに必要なのは風と水と粘土」
風と水の飛沫を混ぜると螺旋になった。まだまだ混ぜて乳化させ、ねっとりとしたところで湖底の粘土を手に取り袖を捲る。
硬い粘土に風と水のねっとりをヨイショヨイショと捏ねていき、インドラに似合う砂金を加えた特上品。
乾かぬように水車と風車でゴロゴロ回せば、キラキラの砂金が光を反射し、調合薬はインドラの額飾りと同じ白金色になった。
「焔を失くした鳥さんは時をごまかそう」
イツキが降臨したことで、タダモノではなくなったスミレは庭の隅っこに植え替えた。その花びらを一枚ちぎって回し、ここがどこか今日がいつかを忘れる呪いを唱える。
「これは羽になる。どこから来てどこに行くのか今は知らない鳥の羽」
額から玉のような汗が流れ落ちたのは、カタチを創造するのが専門外で、魔力よりも集中力の勝負だからだ。
花びらで創った羽は小さくカーブを描いたふわふわで、火の魔力を付与すれば完成だ。不死の鳥は再生力を失ったわけでないから、これは他の羽への導線となる再生スイッチである。
『くすくす、こそばいの』
ちぎった花弁から、イツキの笑う声が鈴の音で転がった。
「イツキさん、ごめんなさい。花びらを千切っちゃった」
『花は散るものよ。どれ妾もひとつ手伝ってやろう』
イツキはスミレに降臨すると、コロリと二枚のお金に変わる。
『こずかいを白毛と黒毛の子らにくれておくれ』
首をかしげたルネに、イツキの声は切なく悲しい。
『霊獣は主を愛して止まぬもの。しかし主を選べぬが道理でもある。さあお行き、地竜に手出しはさせぬぞ。鹿など妾が蹴り飛ばそう』
「ロシュをお願いします」
ペコリと頭を下げたルネは、カゴに白金の粘土と瓶に詰めたふわふわの羽、イツキから預かったピカピカのお金を入れた。
『ちょうど迎えがきたようじゃ。しかしあれが結界に入っては、リンレライの鈴がやかましいから見送ってたもう』
少しだけ景色を歪ませればそこは林の入り口で、思わずたたらを踏んだのはリヒャエルが見下ろしていたからだ。
「こんばんは。ええと、お城まで特急でお願いします」
「そのように粗末な服と入れ物は城に相応しくない・・いや、」
リヒャエルは謝罪に来たことを思い出すと言葉を和らげる。
「カカシにはお似合いだからまあよいだろう」
足下から獅子か猿の顔、豹か鳥の体で、絵の具を絞ったパレットのような従魔が現れた。
「まるとしかくだ。どちらが良いか」
ルネは太陽を直視したようによろめきながら、しかくのほうが安定しそうと考える。
「しかくにします」
「どちらがしかくと決めてはいない。どちらにでも乗れ」
結局どっちなんだと二体を見比べていると、リヒャエルはやれやれと呟いて、まるかしかくの背に腰かけ脇腹を蹴った。
乗り方が分からないとでも思ったのだろうが、案外面倒見の良い人である。
二人を乗せたまるとしかくは後ろ脚で助走をつけて跳躍し、鳥の翼を広げて高く飛翔する。飛行は安定し、じゅうたんみたいな形状記憶で座り心地もばつぐんだ。これはリヒャエルの魔力が上等で、圧倒的である具現化である。
「先にどちらに行く」
「インドラさん」
まるとしかくは体を傾け翼を閉じ、猿のように塔の壁をつたって下る。地面にぶつかるかと思ったがそのまま通過して、地下の魔力のたまりに突っ込んだ。
「ユーリーさまがカカシを殺せばまた地竜が暴れる。適当に庇いはするが時間は少ないぞ」
どのみちこの薬は太陽に晒されると固まってしまうから、夜が明けたら時間切れだ。
リヒャエルはルネの腕を掴み、目くらましの結界を超えて着地した。
「老舗のわがまま王子が癇癪を起こしたようだ」
バチッと弾けたのは強引な不法侵入だからで、魔力の優劣はリヒャエルが上手である。
そこは水中のように歪んだ場所だった。リヒャエル曰く癇癪、正しくは魔力が制御を失い地下を湖底に変えたユーリーの領域だ。
「インドラさんはあの先ね。ここは慎重に、」
しかしリヒャエルはルネを摘まみ上げてポイっと放り投げた。そのまま湖にドボンと落ちて、溺れる者は藁をもつかむと必死に這い上がる。
この登場にユーリーは猫のように毛を逆立てて、その傍らには竜の毒で四肢が腐ったアイラーヴァタがいた。
「インドラに近づくなっ!」
水がバケモノになってルネを襲ったが、風切音がして服に針が引っ掛かり、宙に釣り上げられて難を逃れた。
「貧相な魚が釣れた」
銀色の竿でルネを釣り上げたリヒャエルは、しかも外道と首をすくめる。
「サカナ、時短で行くぞ」
カカシじゃないのかとは聞く耳もたず、ぶらんぶらんヒューポイっと遠投し、ユーリーの間合いを抜けて着水となる。
「ロシュに言いつけてやる」
水とはいえぶつかれば痛いのだ。しかしリヒャエルに敵うはずもないから、今度ロシュフォールにやっつけてもらおうと留飲を下げる。
気を取り直し対峙すれば、水のあぶくがブクブクと膨らみアイラーヴァタの姿を隠していくところだ。
ユーリーの白い息は氷の柱になってルネを檻に閉じ込めたが、雷鳴と同時に砕氷しリヒャエルがふたりの間に入る。
「ユーリーさま。迷わずスパっとやってはいかがか?」
その対象はルネだが、配慮も遠慮もない。
「あなたの魔力資質は惜しくもあるが、まあカインさまが王でも良いかなと思うのです」
ユーリーに対しても、配慮も遠慮も一切ないのだから当然だ。
インドラにしがみついたユーリーは戸惑うようで、少し歩み寄ればと思った途端、リヒャエルは上空に拵えた多角形のクリスタルを落下させてユーリーの動きを封じた。
「隙だらけ。子守りのない箱入りでは仕方ない。カカシ、仕事だ」
なんだか考えていたのとはずいぶん違うけど、ともかくカゴの包み紙を開く。
「朽ちた四肢を切り離し、新たにニョキっと生やしましょう。この薬はカタチの元で、カタチをよーく思い浮かべるのが肝心肝要」
トロリとした粘土に空気を含ませて、風船みたいに膨らませてインドラを覆う。
ユーリーはあたふたしながらも意を決し、水で粘土を仮留めしながらアイラーヴァタの四肢を創造していく。
体というのはバランスで、まずは頭と体に粘土を這わせ余りをぐいっと引き出し四肢を練ると丈夫になる。朽ちた四肢がブスブスと落ちることに震えながらも、機を織るように正確に編み上げて、形が歪まぬように自らに縛りをかけ固定する。
息を殺したリヒャエルの目は好奇心に輝いて、作業が落ち着くと早速上から下から覗き込む。
「おもしろい。霊獣が流動的な魔力の生き物である特徴を生かしてこそ。アイラーヴァタの魔力が流れぬよう、人の魔力で形を創り錬金術師の秘薬で蓋をしたのか。しかしそれならば象の巨体にタコの足を創るもアリだな」
「ナシだよ!」
ユーリーが叫べば魔力がグラリと揺れて慌てて支えた。おそらく吸盤の八本足が脳裏に浮かんだのだろう。
「ほら、次は鳥さんのところに連れて行ってください」
「高位霊獣のどちらかが戻りさえすればよい。しかし蛸足のアイラーヴァタが公に出ては見た目が良くないし、保険で鳥も生かしておくか」
ユーリーの魔力がまた揺らいで歯ぎしりをする姿に、ルネは小さい声でガンバレと声援を送るのだった。
リヒャエルが超特急だと指を曲げれば、まるかしかくかのどちらかがルネを掬って一気に地上に飛び出して、草を擦る蛇のように蛇行した。それからぴょーんと跳ねあがり、開いた窓へとルネを振り払う。
「イテテ。超特急でなく暴走特急・・」
カインの前にベタッと落ちたルネはおでこをさする。
「なんと!リヒャエルの従魔に乗せてもらえるとは羨ましい。おでこは大丈夫か?」
カインは羨ましそうにふたつの従魔を見つめて、思い出したようにおでこの具合を心配した。
「毒に侵された不死の鳥、時が進めば永遠の灰、時が戻れば燃焼の灰。神聖な羽ばたきが時を戻して再生を促しましょう」
おでこを冷やしたいので、さっとスミレの羽をカインに差し出す。
「それは困る」
「・・え?」
「そなたには借りばかりだ。この辺りで清算せねば、債務による拘束の罠に陥る」
それは外交政策で起こりがちな有形無形の拘束だと、難しいことを言い出した。
「それは次の機会に」
「申し出は有り難いしルネのことを疑ってもいない。しかし理解と納得は別物だ。まずは願いを言いなさい」
なんて面倒な人だろうとルネは溜め息をついて、早く家に帰りたいと願うのだった。




