27 襲来
同時刻、インドラとシャングラは擬態を解いて咆哮をあげた。
夢でカカシにコケにされたとブツブ呪詛もどきを唱えていたリヒャエルだが、すぐに表情を引き締めると、魔法の鎖と鍵でがんじがらめの結界を施す。
さらにからくり箪笥のように、物理的に引いて押して組み替えて、抽象的に隠して閉じて切り離し、広大な城を迷路に変えた。
分厚いデッサンからユーリーの外出着を選んでいたインドラは、鎧を纏ったアイラーヴァタの戦闘形態になって唸りをあげ、応じたリヒャエルの頑丈な結界は帝都異変以来の尋常ではない形をとる。
「ユーリー。私はここから離れるが、決して結界から出ぬように」
「私も行くよ」
「ならぬ、主を護るのが矜持。急な別れになったことを申し訳なく思う。愛する主、私の魂は共にある」
悲しまないで欲しいと暗に告げられたユーリーは言葉を失い、インドラはしゅるると風になり消えた。
▽
最初の異変は頭痛で、城に勤める幾人もが不調を訴えバタバタと倒れたという。
次いで戦争の爪痕を残す城の壁がミシミシと音を立て、よく鍛えられた愛馬アレクサンドラ号がいなないて、カインは背から振り落とされそうになった。
騒然となった城内に急ぎ戻れば、真っ赤な羽を広げた不死の鳥が嘴をすり寄せ喉を鳴らす。
「お別れだ。これからは夢の世界でカインの翼になる」
「・・どこへ行くという」
「舟が逝くその先。カインの生が終いになったときにまた会おう」
死の覚悟にカインは声を震わせたが、不死の鳥はばさりと飛翔した。
「大地の怒り。主がない王は禍だ。まあなんとか止めてみるさ」
キラキラと砂金のような煌めきがベールの護りでカインを包み、シャングラもまた激しい炎になって消えたのだった。
カインは叫びをあげて窓から身を乗り出し、リヒャエルの結界で室内に弾き飛ばされる。
「把握せねば打破などできぬっ」
慎重で素早い判断が生死を分けるのだと、すぐさま頭を切り替え情報を集める。
ふたつの高位の霊獣が、ひとつの高位の霊獣を迎え撃つ。最高の防御で最大の好機であり、期を逃さず攻撃に転じれば勝機があるはずだ。
シャングラは魔法貴族の区域である東に飛んだ。
夢から醒めたカインはすぐに双子がいる屋敷を調べ、アレクサンドラ号で救出に向かう途中の異変。
地竜は小さな魔法使いを捜しているに違いない。インドラに事情を報せる書面を送り、地竜に言付けを頼んでおいたが間に合わなかったのだろう。
怒れる地竜より先に人の手でルネを救出せねば、取り返しがつかなくなる。
「ユーリーに要請を送れ」
手続きをと書記官は慌てたが、火急だとカインに睨まれた。
「代務者の執行権を使う。直ちにユーリーに命じよ」
せめてリヒャエルへ伝言を残すよう涙目で訴えられ、『対策本部設置による離城(案)』と、かなり幅広の理由を書いてアレクサンドラ号に騎乗する。そのすぐ後にユーリーを乗せた二頭立ての馬車と、守護の鎧を身に着けた騎士が整列した。
「ふざけた真似をするのは殺して欲しいからかい?」
馬車窓をバンっと開いたユーリーは部屋着のまま拉致されたようで、いつもの余裕も優雅さもかなぐり捨て殺意を剥きだしにしている。
「私が宛てた報せは届いているか?」
「遅かった。ルネが拉致されたことをインドラは知らない」
帝都の空を竜が旋回し逃げまどう人々で道が塞がり進めない。痺れを切らしたユーリーは、探知魔法を広範囲に展開するとチッと舌を打つ。
「地竜はインドラたちが阻んでいるが、邪魔をするほど地の怒りで悪循環だ。避難がままならない足手まといの住人は切り捨てるといい」
「ならぬ。此度のことは特定の貴族によるもので、他の責を問うものではないだろう」
守護の鎧を纏った騎士に救助指示を出すカインに、ユーリーはもう一度舌をうつ。
「不死の鳥と一緒に葬送してあげようか?」
「考えがある。そのためには地を無効化せねばならん」
地竜が重力操作を強めた。戦うインドラを思えば、四の五のゴネている場合ではない。
「無効化ならすでに試したよ。しかし地の属性は地竜に掌握され応じない。リヒャエルは地を除く三元素で結界を維持するのに手一杯だ」
四角い皿を三角の盆に置くために、結界の面積をぐっと広げているのだと説明した。
「君が責任を取るなら私が楔になってあげてもいいよ」
ユーリーは過保護のせいで持て余した魔力を、ふつふつとたぎらせニヤリと笑う。
「約束しよう。ユーリーがどのような姿になろうとも、満足のいく介護を・・」
「そうじゃないからねっ」
死を伴う危険を背負うことに対して真摯に応えたのに、ユーリーは口端をヒクヒクさせて術式を編むことに集中することにしたようだ。
「それともうひとつ、」
「はあっ!?うちの過保護な象がキレるよ!」
「打てる布石はすべて打つ。インドラを取り戻す布石と思え」
そしてシャングラを取り戻すのだとカインは強い意志でこぶしを握るのだ。
「小さい魔法使いを捜さねばならん。人の手で奪われたものは人の手で返さねば天秤は傾いたままだ」
「それが分かっているならさっさとお行きよ。地竜が一帯を毒の沼にしないのは、ルネをまだ見つけていないからだ」
小さい魔法使いの名はルネで間違いないのだが、カインは爛れた体で歩いた最初の悪夢で違う名を呼ばれた。明瞭ではないが音にすればもう少し長くて柔らかな響きで、どちらが本当か分からないから、小さい魔法使いと呼んだのだ。
「ユーリーのことだ、あの子に目印をつけているのだろう」
「もちろんだ。指図されるのは不愉快だが路を開いてあげてもいい」
頭上が翳り、地竜がゆうに三倍はある翼を広げた戦闘形態に変化した。
それを囲い込むのはアイラーヴァタの風の戒めで、ゴォゴォと音を立てた三柱の竜巻が地竜の鍵爪で真っ二つになる。
「ああ!インドラが・・」
空に手を伸ばすユーリー。体を竜巻に変えて地竜を捕縛するのに失敗し、アイラーヴァタの巨体は、命の煌めきを昇華させたかのように風の力を失っていく。
戒めから解かれた地竜は首を振って狙いを定め、両翼を鋼の刃に変えると一見何もない空間へ突進し、頑丈な顎でバギバギと何かを砕く。
正体は夢に姿を沈めて術を発動しようとしていた不死の鳥で、鋭く太い地竜の牙が胴体を貫通すると、真っ赤な羽が血しぶきのように散って墜落していく。
「シャングラ・・」
「カイン!どこに通路を開くんだい!」
ユーリーの声で我に返って紋章をぎゅっと握り、もう少しだけ耐えてくれと祈る。
「時間を稼ぎたい。地竜の目につかぬ場所へ」
石造りの日時計を指差せば、編みかけの呪文で地の力を相殺し、ルネにつけた印を辿った。
ルネの体には生命力の覇気が少なく探知しがたい。言い換えれば生者の中で死人を探すように、ぽっかりと奇妙な隙間や空虚にいるのだが、それは命の残りを垣間見るようで気持ちのいいものではない。
「路を作ればルネの気配がこちら側にも流れるだろう。地竜が気付くのは時間の問題で、私が死んだら永遠に閉じ込められる路だよ」
カインはわかったと頷いて、水の音がする路に飛び込んだのだ。
▽
「夢で散々迷った経験が役に立つ日がくるとはな」
カインが飛び込んだ路はトリックアートのような奇妙な世界だった。これはユーリーがルネを探知した軌跡で、白い帯が八の字にぐるりと螺旋を描いて生身で行くには効率が悪い。
いくらユーリーでもこの期に及んで悪戯もないだろうと周囲を見回し、この路が夢の隣にあって、周辺には避難し損ねた人たちがバタバタと倒れていることに気付く。
カインは倒れている人に申し訳ない気持ちになりながら扉を開いて夢を渡った。ユーリーの路から逸れぬよう、馬を乗り替えるように数人の夢を渡れば、それが螺旋をまっすぐと行く最短だ。
これは彼が正真正銘の夢の愛し仔の証だが、ユーリーの方が夢見の技に詳しいのがちょっぴり羨ましく、この騒動が無事に収まったらじっくり話を聞きたいものだと思うのだ。
ちなみにユーリーが夢見の技に詳しいのは、あわよくばカインを利用しようと思ってのことである。
ルネを見つけるまで時間にしてほんの数分。ふわりと最後の夢から抜けて路の端っこをくぐれば、床に座って俯くルネがいた。
「ルネ。少しばかり厄介なことになった」
ドーンと空砲が腹に響く。うずくまっているのは怯えているからだと手を伸ばしたが、ぶつぶつと呪文を呟いて、紡いだ言葉で色とりどりの毛糸玉を創っている。
「連れて行って。私は地竜を止められる」
もちろんそのつもりではあるが、痩せた体を抱き上げれば迷いが生じた。
「そなたは被害者だ。理性を失った地竜との取引に使おうなど私は保身も甚だしいな」
二人の会話に宙でジタバタする白いひとつ目の霊獣がブルルと震える。
「オマエ、舟を流す者だと言った!」
「ロシュは家族よ。うーん、こっそり帰るつもりだったのにまずいわ」
門限破りがばれた後ろめたさとはこんなふうだろう。
「黒いのがオマエの家族を探しにイッタ。公園と市場にイッタ」
「ロシュは鼻がとってもいいの。擬態が解けたのは私の血の匂いに気付いたせいね」
ルネをここに運んだのが黒いひとつ目なら、血の匂いが獣化の引き金になったに違いない。
「王子さま、外がよく見える場所に行きましょう、策が有ります」
「その毬が秘策なのだな。高位霊獣の地竜は毬遊びに目がないのだろうか」
「・・違います。これはボールじゃなくてすごい武器なんだから」
「わかった。白き霊獣に皇家が命ずる。我々をもっとも高い場所へ案内しなさい」
カインは白いひとつ目に魔力を与え、重力の呪縛から解放する。
「バルコニーがございマス。先代が星見に使った場所で見晴らしがよろしいデス」
「そこにしよう。私たちの案内を終えたらそなたは主に馳せるよう」
カインはルネを抱きかかえ、間に合ってくれと願いながら階段を駆け上がっていった。