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ルネと地竜  作者: かものは
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2 薬売りの女の子

 半月を映す川面に、ヒラヒラ蝶々のように降る双葉が波紋が広げた。一枚二枚と数えることができたのも最初だけで、川面はあっという間に黄金色に覆われてイチョウ並木のように美しい。

 女の子は古布で組紐を編むと脇に置き、昼間のうちに集めておいた主脈がしっかりとした笹葉で舟を三艘拵える。三艘の出来はどれも甲乙つけがたいが、なんとなくツヤツヤしている右側の笹舟に組紐を乗せて、「ヨーイトン」と手を放した。


 冬の始まりを報せる双葉が降る晩に、死んだおばあちゃんは毎年舟を流していたものだ。

 舟は夏のアサガオの蔓をよく乾かし編んだもので、乗せた供物は魔法で咲かせた赤と青の花。水に浮かべれば黄金色をかき分けながら遠ざかり、おばあちゃんはいつまでもいつまでも頭を垂れて手を合わせていた。


 女の子が供養のつもりで流した笹舟が川の落差をいくつも超えていく。やがて川幅が広がって、瀬の角ばった石で歪んだ流れに二艘は転がり落ちて、組紐を乗せた笹舟だけがぐんぐんスピードを増していった。

 女の子は知らないけれど、双葉が降る半月は、霊獣を喪った魔法使いが鎮魂の舟を流す晩だ。舟は先に逝った霊獣の魂を留めるもので、魔法使いの命が潰えたときに迎えに来る舟でもある。



  ▽



 滝つぼの激流をもろともせずポーンと見事な着水をみせた笹舟に、ロシュフォールは感嘆の声をあげた。

「なんて頑丈な笹舟なんだ」

 主脈がぐっと張りだした笹舟の出来は素晴らしいが、乗せた供物の組紐はヨレヨレで、大人なら不器用、幼子なら精一杯といったふうである。

 あの女の子はそのどちらでも無く、舟を拵えるのは楽しいが布を捩じるのは面倒で、制作時間は9対1、要は好きか嫌いかの違いだ。


「逝った霊獣よ、主を残すは未練だろう。しかし主を知らぬ絶望の比ではない」

 螺旋を描いて滝壺に沈んでいく蝶々の双葉は、先に逝った霊獣と命を終えた魔法使いの再会であるという。しかし主の無いロシュフォールに再会があろうはずもなく、この困難な生の終わりを今年もまた願うのだった。



  ▽



 冬の早朝、女の子は布団を被ったままで戸口を開き、みっつ数えて「エイヤッ」と勇ましく、だけどぴちゃっと鼻先だけ水で濡らすと洗顔を終いにする。

「うぅ寒い。よりによって冬支度前に調合機材が壊れるとはツイてない」

 霜に覆われた景色に身震いした女の子の生業は薬屋で、風邪薬が売れる時期に調合用の天秤が壊れてしまうとはツイてないと溜息をつく。しかしもうずっと前から道具はガタガタで、だましだましで使っていたのだからこれは仕方のないことだ。


「川藻を売れば今年の冬は越せるでしょう」

 おばあちゃんは春に亡くなったから今年は一人分の蓄えでいい。そう思えばいくらか気は楽で、危険を冒してまで川藻を採る必要はないと安全な川下で作業する。秋の恵みが終われば食糧は乏しくなり、腹を空かせた山の獣が凶暴になるのは、自分とおんなじで生きるのに必死だからだ。

 町に近いほど藻は採り尽くされているけれど、そのおかげで隠れる場所が無い小魚が面白いほどよく獲れる。

「雪が積もれば保存できるのに」

 そうすると山を下りれずに、せっかくの藻を売りに行けないと思い立つと、

「やっぱり今のはナシです」

 女の子がバッテンをつくって空を見上げた時だった。


 ひゅーんっ


 頭上を超えていった矢が、草藪にいた猪に命中してドスンと地響きを立てたのだ。

「びっくりした。こんな大きい猪は初めてだ」

 物語に登場する山の主みたいと目を丸くしていると、川岸のススキをかき分けたロシュフォールが、女の子に気付いてもっと目を丸くする。

「すまない、人がいると気付かなかった」

 矢を放つ前に人の気配を確認したはずだがと首を捻り、

「驚かせたな。猪肉を分けてやるからおいで」

 肉を捌くナイフを荷物から取り出せば、女の子はススキの間にさっと消え、待てど暮らせど戻ってくることはなかった。



  ▽



「あれじゃ不審者と通報されても文句は言えない」

 食べ物をちらつかせて誘うのは不審者の常套句だと、ロシュフォールはテーブルに頭をぶつけて反省している。

「あんなに完璧な人を初めて見たから焦ってしまった」

 それは口から飛び出した言葉だが、小さく痩せた体にダボダボの老婆の服、艶が無く白髪混じりの頭を思いだし、一体どこが完璧なのかと首を捻りつつ惜しいことをしたと残念がっている。



 ガタガタガタ、ブツン・・

 窓を叩く木枯らしが無音になれば、ロシュフォールは見知らぬ風景にいた。

「また悪夢がやって来た」

 これは夢だ。夢は体の自由を奪い、土手で泣いている女の子から目を離さないよう押さえつける。

『痛い、痛い』

 流れをとめた川で女の子はドロドロに溶けていき、最後の一滴がポチャリと沈む悲惨な光景を、夢のロシュフォールはただ見ていた。



 己の呻きで飛び起きたロシュフォールは、背中を流れる汗にぶるっと体を震わせる。

「どうやってあの子を助けりゃいいんだ・・そうだ、人間界でのお困りごとは、役所か教会に相談するものだ」

 霊獣の学校で教わった役所の特徴は、大きいか高いか頑丈そうな建物だと思い出し、さっそく窓を開けると暗闇に目を凝らす。

「きっとあの高い建物だろう。後は寄付金が必要だな」

 人の社会とは『成るも成らぬも金次第』と誰かが言ったことを思い出し、財布の所持金を数えて、これならいけると根拠もなく安堵する。

「焼き立てのパンを買って迎えにいこう。それと人形が必要だ、あれくらいの子はそういうのを持っているからな」

 あの子を助けると思った途端に気はそぞろになって、まだ夜も明けぬのに荷物をまとめて宿を出た。


 

 ロシュフォールがこの旅の終点に決めたのは北の最果てである。地竜は北の関所に向かって飛んでいたのだが、雲の切れ間にきれいな光が見えてあれは何だと降下した。

 そこは北街道がある山脈の頂で、光は地に下りれば消えてしまい、川面の反射か朝露の煌めきだったのだろうと肩をすくめる。

 再び飛び立とうと獣化をしたら竜に驚いた猪が猪突猛進と山を下っていき、これはまずいと追いかけ仕留めた次第だが、用が済んでもなんとなく離れがたく今夜は麓の町に宿を取ったのだ。



  ▽



 街で一番高い建物は教会で、しかし夜明け前の礼拝堂に人の気配はなく、窓に置かれたウサギのぬいぐるみがこちらを見ているだけだ。

「人形よりもぬいぐるみが人気のようだ。だがウサギでは守護に頼りない。熊か狼か、もちろん竜が一番だ」

『それがいい』

 ぼんやりとする身のうちから弾んだ声がそう言って、

『それがいい』

 ぼんやりとする身のうちから、そうして油断をさせるのだと囁く声がしている。



「もし旅の方」

 ふわふわとした虚ろさから引き戻したのは顔を覗き込んでいる神父で、いつの間にか夜はすっかり明けていた。

 王たる地竜が寝姿を晒すとは失態と、ロシュフォールはバシッと頬を叩いて立ち上がる。

「あの山にいる子供のことでお話が、」

 早口になるのは恥ずかしさ半分、気の昂り半分で、子供と会った経緯を説明する。すると神父は礼拝に訪れる人の目を気にするように、保護は出来ませんと小さく首を振ったのだ。

「忌み色の子供を教会が受け入れれば、町の人々はどう思うでしょう」

 教会の運営は善意で成り立っている。寄付を施す人々の感情を逆撫でれば、ここで暮らす孤児に不利益をもたらすのだとロシュフォールは悟った。



  ▽



 雪を降らす雲が天と地のあいだで壁になり、陽光を遮ることで吹雪はやって来る。

 今朝がまさにそんなふうで、女の子は薄暗いうちに山を下りて町で商売を始めた。品物は暖を取る灯草で、早い冬の訪れに支度を焦る人との値段交渉は強気一本、風邪薬を売るよりも懐はホクホクだ。

「冬支度はこれで心配ないけれど、」

 しかし今この時が油断ならないのだ。それというのもこちらを窺っているイタズラ少年がいて、灯草を入れたカゴをえいっと道に蹴飛ばした。


「やーい、バーサン魔物!」

 少年たちは女の子を指差して、あっかんべーと舌を出すと走り去る。

「魔物は齢のない生き物で、婆さんにはならないよ・・」

 女の子はハァとため息をついて転がった灯草を拾い集めていたが、しばらくするとイタズラ少年を摘まみ上げたロシュフォールが心配そうにやって来た。



 靴屋に向かっていたロシュフォールの耳に、バーサン魔物という不可解が聞こえて思わず足を止めた。驚いたことにそこには、悪ガキに囲まれ泣いているあの女の子がいたのである。

 女の子は囲まれても泣いてもいないが、ロシュフォールの目にはそう映り、腹が立って獣の能力で先回りをすると、少年の首根っこを捕まえてきたという次第である。

「泣くんじゃないぞ」

 そう優しく慰めて、転がった灯草とジタバタする少年をぐいっと差し出した。


「離してあげて、旅の人」

 少年たちは悪さをするたびにウチのおばあちゃんにせっかんされた子で、叱咤ならまだしも、髭とか尻尾が生える呪いをかけるものだから、この解除に高い解毒剤をボッタく・・いや買わされた親御さんは大切なお得意様で、カゴを蹴飛ばすくらいなんてことはない。


 それを知る由もないロシュフォールは渋々と手を離し、少年達は一目散に逃げだした。

「戻って来るかもしれない。場所を変えたほうがいいだろう」

「目立っていれば強盗だって襲えないでしょう」

 つまりはそんなふうに役立っているのだと女の子は説明したが、子供が庇護もなく生きるのは辛いことだと、ロシュフォールは胸が苦しくなるのだった。



  ▽



 ビュウビュウ、ガタガタガタ・・

 年季物の戸板は今にも壊れそうだが、この岩穴が女の子の冬越し用の家だ。白い湯気が立つ鍋に、刻んだ根菜と魚のすり身を入れて甘めに味付けし、奥で寝ている旅人さんがいつでも温かいごはんを食べれるようにと、鍋に布を巻いて保温する。


 冬支度の買い物を済ませた女の子が家に帰りついて半時間後、風はどんどん強まって夕方には吹雪になった。風が弱まったのは翌日の昼で、戸を開けば初雪が白の一枚布みたいに美しい。しかしこの無垢なまっさらは勘を鈍らせるものだから、前もって木の枝に結んでおいた赤い紐から外れぬよう慎重に出かけた。


 目的は薪にする小枝と運が良ければ絶壁に脚を滑らせた獣肉で、こんもりとした膨らみにニンマリとして、鉈を構えてワクワクと雪をどかす。

「あれ、お肉じゃない」

 埋もれていたのは街で少年から助けてくれた旅人さんで、鉈を振りかざしているのはお肉だと勘違いしたからだけど、

「これじゃ鬼婆だ」

 ぷっと吹き出したのは、おばあちゃんが迫真の演技で語る鬼婆にそっくりだったからである。

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