18 夢渡り
魔力を支配するには、力で捻じ伏せてしまうのが手っ取り早い。
ルネとカインの魔力量はバケツとコップほどの差があって、水槽を海に沈めれば魚が海に放たれるように、この方法ならモンショウを奪えるだろうと考えたが、
「まるで投影だ」
波を立てても渦を創っても、水に映った月のように手に入らない。
歯痒さに力をこめたルネの手を止めたカインは首を横に振った。
「紋章は決して裏切れぬ誓いであると愚かな私を諫めてくれるのか」
「えっ、なぜいい話になるのだ?」
「そなたは皮膚を剥がされようとも四日歩いた。比べて私はなんと浅慮だろう」
「四日には足りないかも、三日と半分くらいかな」
「あの状況下でなんと優れた把握力だ」
カインはヒョイとルネを抱き上げ、ドレッシングボトルのように上下に振った。
「こんなに軽いのはそのせいか。侍医に診てもらおう」
「私は壊れているだけっ」
顎がガクガク揺れているのに、今度はぐるぐると回される。
「壊れているのはどこだ?幼子が三日と半分も歩いたせいだろう」
「壊れたのはずっとずっと前で、えーと、」
縦と横に揺さぶられて吐きそうになりながら、この人は曖昧な時間を嫌いそうだと考える程度にルネは人がいい。
「枝のような腕で強く生きてきたのだな」
「これは特等の枝、・・下ろしてぇ、私は走れないから行くのに時間がかかるんです」
「では西の塔まで送るとしよう」
愛馬アレクサンドラの背を叩くのを見て、こんなのに乗ってたらリヒャエルに見つかるじゃないかとルネは青ざめて、
「万事休す・・」
と呟いたときだった。
さぁと吹く風が髪をさらい、白い象がひゅるると顕れる。
「インドラさん!」
「客人を迎えにきた。すまなかった、心細い思いをさせてしまったな」
心細さを感じる暇もなかったと苦笑して、カゴに被せた布を取る。
「注文のお届けです」
中身は瓶、容器、紙の分包などいろいろで、底のほうから桜色のガラス瓶を差し出す。
「聞きたいことがあります。今インドラさんは嬉しいですか?」
「それはもう・・言葉にならないほど」
「良かった。インドラさんが嬉しいと、あの人も嬉しいって」
それが誰かは言うまでもなく、インドラは嬉しいと繰り返した。
「インドラ。それは錬金術の秘薬か?ユーリーは、」
目を輝かしたカインからルネを奪い取るとインドラは浮上する。
「詮索は無用」
白き象は長い鼻でルネを背に担ぎ上げ、高い塔の屋根よりもっと高く飛んだ。
『帝都ってんのは不可解で超常な場所さ。奇妙で面妖、奇々怪々。珍談珍聞祟りもの』
だんだん猟奇的になるのはおばあちゃんの話の特徴だが、なるほど帝都の象は場合によっては飛ぶのだと、ルネは目をしばたかせたのだ。
▽
寝台で眠るユーリーには血の気なく、禍々しい生き物が窓に群がる様はまるで墓場だった。
「我が主よ、四大の薬がその牢獄から解き放つ」
しかしインドラの手の震えはいつまでもおさまらず、小瓶は一向になくならない。
「飲ませようか?」
ルネは歯痒くて、しかしインドラは頑なに首を横に振るのだ。
「これは私の役目だ。唯一無二の紋章をもつ私がなさねばならぬ」
だったら私は帰っていいのではと思うのだけど、伝えずらい雰囲気なのである。
双子の魔力を奪いにいって、道具通りの鍛冶屋に火傷の薬を納品して、代金を商会に受け取りにいって・・。時計の針と睨めっこをしていると、ようやくポタリポタリと垂らされた。
途端に窓に張り付く禍々しい生き物がギィギィと騒ぎ出し、インドラは銀の曲刃をぶおんと振るってそれらをまっぷたつにする。
「闇の穢れが、アイラーヴァタの主を覗きこむなど万死に値する」
ロシュフォールが研いだ包丁なみの切れ味にルネは腰は引け、どうか私がそっち寄りだとバレませんようにと切に祈るのだ。
四大の薬の一滴ごとに願いをかけて、ようやく小瓶は空になる。顔を伏せてお祈り中のインドラには申し訳ないのだが、これ以上は待てないルネは緑色のゼリーが入った皿を渡す。
「熱が上がって下がる。魔力が飽和したら指先の血をこれに垂らしてね。次の薬の等価交換よ」
放心状態のインドラは、ハッと鎖骨の紋章に触れて顔を上げ、
「紋章が温かい。ユーリーが今戻ると・・」
顔を覆って天を仰ぐインドラの襟には、ユーリーと同じ紋章が赤く輝いていた。
▽
モンショウとは紋章である。
魔力のように奪うことはできず、脆くて儚くてそのくせ凛としたものだ。
「あーあ、絵に描いた財宝だったのね」
感極まるインドラを引き剥がして停留所に向かいながら、奪えないものを奪う方法を考えていると、今度は見知らぬ男性が待つようにと指示をして、中点にかかる太陽に溜息をついた。
「大丈夫。双子はまた今度にすれば間に合うもの」
庭の長い梯子に立って剪定をする人がいて、まるで空を飛んでるみたいと象の背から見た景色を思い出していると、立派な服を着たカインと袋を抱えた人が急ぎ足でやって来た。
「ユーリーの容体は、いや口止めをされているなら無理には聞かぬ」
答える前に話の腰は折れ、お菓子がいっぱい入った袋を渡される。
「子供は菓子が好きだ。お腹いっぱい食べて大きくなりなさい」
「あなたと取引はしない。私が鳥さんを砂にしたと知っているのでしょう」
「あれは再生の灰で不死の鳥は復活した。それと取引を強いるつもりはない」
『不死』
ルネは感じた違和感にゾッとする。そもそも霊獣に寿命はなく不老不死が備わっている。それでも敢えて『不死』とするのは、死なない能力でなく死ねない呪いだ。
「知らぬのも無理はない。そのような霊獣は我が不死の鳥だけで、玉座にあるべき霊獣だからな」
眼差しがふっと緩んだことで、この人は鳥さんに相応しくありたいから取引を持ち掛けたのだと腑に落ちる。
「鳥さんのために王様になりたくて、だから魔力が欲しいのね」
王様のお仕事はきっと大変だ。ルネは市場調査や日々更新される技術を知るのにヘトヘトだが、いざとなったら引きこもれば良いだけで、しかし王様というのはそうはいかない。
「さすがは王子様」
そう言えばカインは瞠目する。
「利己に囚われ、民の暮らしを失念しているぞと諫めるのだな」
どこをどうしたらそんないい話になるのだろう。
「そなたは私の指南役として城で働くべきだ」
「働きません」
後ろで袋を持っていた人は、断ったルネに頭を下げている。
「では感謝の印にこの絵をあげよう」
ホールに飾られている金縁の絵画を指差すカイン。
「絵心はないが、ここにあるのだからきっと良いものだろう。人物が16人も描いてあるのは大作の証だ」
画家が聞いたら嘆きでしかない賞賛を述べた。
「王子様、(馬車の発車時刻の)10分で物語を紡ぎましょう」
匙を投げたルネは場を四角く切り取って、お付きの人には目くらましをかける。カインの姿はこれから10分間、首を捻り捻り絵画を眺め続けるのだが心配しないでいただきたい。
本物の方は切り取った結界をコンコンコンコンと叩いており、説明を省いたルネは触手でカインを絡め取ると夢へ堕としたのだった。
▽
何かがカインの体を撫でる感覚があった。条件反射で抜刀し後ろの子供を引き寄せようとしたが、そこはさきほどのホールではなく草原だ。
「いくら絵心がないにせよ、客人を前に眠っては教養を疑われるな」
カインはここを夢だと理解しており、出口を探そうと目をすがめて耳を澄ませる。
幼い頃の夢は自分だけの遊び場で、雲に飛び乗って昼寝をしたり、水に潜って魚と競争したりと、まるで秘密基地のような特別な場所だったが、やがて子供じみた空想が恥ずかしくなり決別したのだ。
今では迷い込むのも新月の晩だけだが、他者の願いや記憶を覗き見するようで決して気持ちのよいものではない。
「夢は私の弱さだ」
劣等感を隠す場所だと呟けば、いつの間にかルネが手を握っていた。
「私が欲しいものとは違うけど、これは特別な力」
ルネが宙に浮けば手を繋ぐカインもフワフワ浮いて、ああ懐かしいなと呟いた。
「幼い頃は夢を自由に飛んだのだ。ここはそなたの夢か?あの悲惨な夢でなくてよかった」
「私の夢ではないよ。この夢では役割がないから、空も飛べるし風にも虫にもなれるのよ」
「では他者の夢か。許可なく夢を覗くのは不作法だぞ」
慌てて目を瞑ったカインに、よく聞いてとルネは言う。
「王子さまの強い拒絶が魔力を封じてしまった。あなたは夢渡り。夢を渡って赤裸々に真実を暴く夢の愛し仔」
「私が夢渡りだと?」
それはあらゆる魔法の中でも格別で稀有な能力者だ。
「有り得ぬ。この身には微々たる魔力しかない」
「高位の霊獣を持っているのがその証。私は不死の鳥さんと繋がるあなたから、夢渡りの能力を模写したのよ」
ルネが夢を渡ったきっかけは偶然だ。商会に書類を提出しに行ったら、係のおじさんがコクンコクンと居眠りしてて、耳元でワッと叫ぼうとした拍子に夢に堕ちた。
そのままの流れで「ワッ」と声をあげ、夢の中、つまり魂に直接打撃を受けた係のおじさんは、椅子から落ちてギックリ腰をしてしまう。
ロシュフォールは自業自得だから放っておけと言うが、ルネは薬を半値で提供し、それからというもの列に割り込ませたり時間外でも応じてくれる。
このおじさんは元々不真面目で、そういうことをしたからって誰も咎めないので安心しなと堂々としたものである。
そう話せばカインは手本になる大人としていかがなものかと渋い顔をしたが、ルネに促されて空を見上げた。
「気付かれないのは寂しくて、気付かぬふりは悲しいの」
幽霊みたいなんだもんと目をすがめ、だから今はとても幸せなのだと笑う。
「夢主が目を覚ます。夢は愛し仔を取り込みたがるけど、王子様には翼がいるから心配ないね」
「翼とは我が不死の鳥か?」
『カインっ、目を覚ましてくれ!』
答えるより先にシャングラの悲愴を帯びた声が聞こえた。
「結界が崩れてバレたのね。・・あわっ、もう馬車が来てるじゃない!」
ルネはこれはマズいと跳ね上がり、バイバイと手を振りながらどんどん遠ざっていく。
「この礼はいずれ、」
しかし言い終わらぬうちに、カインは夢から醒めたのだった。