17 皇宮
カインの昼食はいつも通りの時間に始まり、しかし終わりはいつもより早かった。
なぜなら「リヒャエル監修時短メニュー」の内容は、コップに入ったサラダ仕立てのスムージー、メインの肉はカット済み。トロトロのソースとスープと半熟たまごが喉と胸をぎゅうぎゅうにして、食事を締め括るシャーベットを早々に所望させる企みが透けて見える。
「ちびの魔法使いが狙っていたのは紋章だった」
カプラでの出来事を話すシャングラは声を荒げ、しかしとカインは首を捻った。
「唯一無二の紋章は、契約の証文でしかなく他者に利はないだろう」
「そのはずだが地竜は理を捩じるという。祀り巫女無き季節だしな」
祀り巫女無き弊害は、弛んだ地盤、膨張する山体のような一触即発の危険を孕むのだとシャングラは説明し、迷惑千万とリヒャエルは吐き捨てた。
「地竜の居場所は特定できるか?」
「人の擬態を知るのは俺とインドラだけで効率が悪い。探すならちびの魔法使いだろう。あれは、」
言葉を選び損ねて言い淀み、他に例えようがないなと肩を竦める。
「あれは魔法使いだが人ではない」
漠然とした感覚で説明が難しいのだと眉を顰めるシャングラを、リヒャエルは遮ることなく言葉の先を促した。
「ちびは白と黒がまだらの髪が特徴で、背丈はこれくらいだった」
かざした手は大人の腰ほどで、リヒャエルはチッと舌を打つ。
北の山ひとつ犠牲にして炙り出したカカシが、よりによって地竜と行動を共にしているとは厄介なことになった。さらに厄介なのが祀りの御方で、下手に刺激して国土の半分を死地にされては堪らない。
一方カインは、あの悪夢はそういうことかと若木で接いだ少女を思いだす。敵であれ味方であれ、交えたことで不死の鳥と縁付いて夢が繋がったのだろう。
「リヒャエル。地竜と魔法使いの捜索は私が指揮をする」
「あれは穢れ!触れてはならぬ」
「ではその理由を明かしなさい」
押し黙ったリヒャエル、譲る気は微塵もないカイン。シャングラはただ困惑するばかりだ。
▽
ずっとずっと昔、ルネがまだルネではなくて真っ黒のとき。
四日歩いて見つけた川の水をゴクゴク飲むうちに目と耳という感覚が宿って、はじめて見る景色と聞こえる音に弾んでいると獣の罠に躓いた。
『やれやれ、変なもんがかかっちまったよ」
罠を外したおばあちゃんはルネを家へと連れ帰り、それから世話をしてくれたのだ。
「さすがは四大の薬。大満足の手応え」
光にかざした小瓶の中で、火、水、風、地の四大の力が細かく細く擦られて、振れば振るほど繋がって、振れば振るほど解けていく。
「舌触りはぽかぽか、香りは沈丁花がいいかしら」
沈丁花の甘い香りを纏った四大の薬は、しおらしく鎮座すると褒められ待ちだ。
「とてもきれいね。あの人はあなたをきっと好きになるでしょう」
するとポッと桃色に染まり、嬉しそうに弾ける薬が完成した。
「惚れ薬と美人になる薬の熟成具合もばっちりね。あれ、どっちがどっちだっけ?」
四方に鏡を立て熟成させた薬はナルシストの性質で、どっちがどっちと訊ねれば、どっちも自分だと主張がおかしい。
裏庭では朝食の支度を終えたロシュフォールが、小鳥にパンくずを撒いていた。
刃物なら斧でも鉈でもお手の物なのに、ベーコンの薄切りだけは苦手のようで、皿には木屑もどきベーコンがテンコ盛りになっている。
「見た目は何だがともかく食べやすいぞ」
確かにその通りだとルネは感心し、我が家ではこれが標準となる。
「今回は仕事の邪魔をしなかったロシュにご褒美があるのよ」
「そんなにいつも邪魔はしてないだろう」
不貞腐れながらも、ルネの手にある三個の飴玉にロシュフォールの喉がゴクリと鳴った。
「ルネ印の『エイっと固めた健康そのものハッカ飴』だよ」
微妙なネーミングの飴玉には濃厚な魔力があって、ロシュフォールの瞳が揺れる。これを受け取れば理性の勝ち、奪い取れば本能の勝ちだが、飴玉はルネの指でポイっと口に放り込まれ、途端に瞳は細くなり鱗が浮かび上がった。
「飲み込んじまった!大切にちょっとずつ舐めるつもりがっ」
「その舐め方は禁止。どっちにしても賞味期限は三日だもん」
「俺の腹は少々傷んだとこで平気な・・」
「だーめっ」
鱗に気付かぬふりでルネはパンを取りに行き、ロシュフォールがぐっと拳を握ると大地の恵みが湧出し陽炎が揺れる。
「竜の力が戻ってる」
ドクッドクッと刻む鼓動、ゾワリと這いあがる高揚感は理を手中に収めたようで、地竜から主を奪った世界を消滅させようと残る飴玉を口にしようとしたが、
「ロシュは厚切りパンでぇ、私はパンの白いとこ~」
調子っぱずれのルネの歌声に聞き捨てならぬと立ち上がり、
「こらっ、パンは耳まで食べなさい」
戸棚のルネに声をかけ、残りの飴玉を懐に入れた。
▽
今日は四半期に一度の大々的な魔道具の輸出日で、ロシュフォールはまだ暗いうちに仕事に出掛けた。ルネの予定は配達で、お城のインドラに『四大の薬』、双子の屋敷に『美人だから惚れられる薬』、鍛冶屋に『火傷の薬』をお届けと多忙な一日になりそうだ。
インドラの手紙には、双子の住所のほかに馬車の切符と時刻表が同封されていた。
一人旅みたいとワクワクして大門前停留所で下車したまでは良かったが、近くで見るお城はすごく大きくて、ここからどうしたものかと途方に暮れる。
「やっぱり風のお手紙で迎えに来てもらおう」
先日、ルネが薬草の手入れをしていたら、シュルシュルと夕陽に染まる風のリボンがじゃばらで膝に落ちてきた。摘まみ上げようとすれば、『触らないでちょうだい』とリボンに叱られて、しばらくするとじゃばらが溶けて一枚の紙になる。
それはインドラからのお手紙で、なんて素敵な魔法だろうとすぐに模写をしたのだ。
持って来た手紙の端に「返信」と書けば、手紙はくるくる風見鶏のように回ってピッと角を立て、行き先を定めたように門へと飛んでいく。すると城から出て来た馬車の窓からスッと手が伸びて、銀糸の髪の魔法使いリヒャエルが訝し気に周囲を見回した。
「ふむ。危険なものではなさそうだ」
手紙を従者に預け、身を潜めたルネに気付くことはなく馬車は通り過ぎていく。
リヒャエルが城にいるのは知っていても、まさか会うなんて思うはずもない。
「見つかったら万事休すだ」
逃げなきゃと城壁に手をついた途端、タポンと水の波紋を残しルネは壁の中に落ちていった。
▽
城壁の向こうで城内よりはこっちの魔力の狭間。まるで海の底へルネは沈んでいく。
「魔力痕の綻びに堕ちたのね」
魔法が大気を捻じ曲げた折り目が魔法痕であり、これが裂けた綻びが狭間の入り口だ。
身喰いの穴と違うのは出口があるという点だが、その出口はランダムで、外国の森や川に放り出されることもある迷惑極まりないものである。
しかし迷い込んだのはそれとは違う人為的なもので、留まることを目的に創られているから出口がない。
「こんにちは、誰かいますか?」
隠れ家を訪ねのは後ろめたいが、出口は狭間を創った本人にしか開けぬものなのだ。
『インドラかい?』
言葉が先に届き、ややあってぼんやりとした形が浮かんでくる。
「こんにちは。インドラさんを捜していたら落ちてしまいました」
『私がインドラのことを考えていたから、きっと交じったのだろうね』
形がホロホロと崩れるのは、命の終わりが近づいているからだろう。
「私を覚えている?あなたたちは冒険の途中で、私は可愛い靴、あなたは骨の痛み止めを手に入れた」
すると形はゆらゆら揺れて煌めきが増す。
『楽しい冒険だった。小さい魔法使いの薬のおかげで穏やかに逝くことが出来るよ』
命の残り火を惜しむから煌めきは増すもので、奇跡の薬は生を望まぬ者には毒だがその心配は不要のようだ。
「薬を届けに来たの。インドラさんはきっと喜ぶわ」
『喜ぶの?それは嬉しいな。インドラは私のせいでいつも悲しんでいるのだもの』
「喜ぶわ。だから私をそこに連れていって」
ユーリーの水色の髪が、くらげの傘のように泡を創ると水をかきわけ、その先にある出口を示した。
▽
「ところがこれは驚いた」
そこにいたのはインドラではなく馬である。
あら?と後ろで声が聞こえたから、あの人はきっと方向音痴なのだろう。
「馬は馬でも立派なお馬さま」
農耕馬しか知らないとはいえ、このお馬の鋭い眼光は只ならないもので、思わず「さま」を付けて呼ぶ。
「ねえお馬さま。インドラさんを知らない?」
「使いの子供か。インドラは西の塔にいるはずだが」
「ウマッ!?」
ただならないお馬さまは喋るのかと驚いて、
「あ、これはマズい展開」
その声は水桶を持った真っ赤な髪の男性で、火だるまの鳥の刃に映った人である。
カインも子供の容姿に呆気にとられ、
「そなたは四日歩けば川があると言った子供だな。不死の鳥を介したことといえ、無断で夢を覗いたことを詫びたいと思っていた」
いきなり謝罪されたルネは、情報整理で大混乱だ。
数日前に夢を渡ったこの人は、火だるまの鳥さん改め不死の鳥さんを介して夢を渡ったことを謝罪しているが、夢見は夢を渡って追跡するもので、だから危険を承知で縁を閉じずにおびき寄せ、魔力を奪おうとしたのはルネのほうである。
しかしそうしなかった、いや出来なかったのは、
「顕在魔力がカラッキシ」
アワワと口を押えるとカインは困った顔をした。
「カラッキシとは小気味良い。不死の鳥を堕とした魔法使いなら、私に魔力を与えられるか?」
「今日の予定は薬の配達。火傷の薬は本日中で、納期が遅れると違約金発生、信用失墜」
ルネの頭はこんがらがって今日の予定をおさらいする。陽はまだ東寄り、双子の薬は期限がないので後回しでもいいだろうかとブツブツと呟く現実逃避。
「皇太子との取引ならば、富も栄誉も思うがままだぞ」
王子様のお馬さまだったのかと只ならぬ馬に感心し、肝心の王子様には「ボンボンめ」とおばあちゃん譲りの悪態をついた。むろんおばあちゃんなら口に出すのだが、小心者のルネは心の中だ。
「富みも栄誉も興味がない」
稀有な夢渡りが魔力を得たところで、利がないのはそっちだぞとは教えてはあげないのだ。
カゴを抱え直して去ろうとするルネに、カインは声をあげる。
「望むものを準備しよう!」
「モンショウよ」
人は切羽詰まると後先を考えなくなるもので、ボッタくって目を覚ましてやるのが温情でも損得でもあるとは、おばあちゃんの持論である。
「モンショウは私に譲渡され、等価交換に魔力を嵩増しする薬をあげる」
魔法使いの契約は絶対で理が立会人となって締結するが、ルネの紡いだ言葉は分離し一向に混ざらずに、とうとう痺れを切らして実力行使に出た。
「ロシュが喜ぶわ」
しかしルネがカインの心臓に爪を立てた途端、立会人の理は無効とばかりにパリーンと弾け散ったのだ。