15 北の若木
あの日の冒険は発見と驚きに満ちて、興奮したユーリーが眠ったのは夜明け前。
目を擦って欠伸をかみ殺すのは時間を惜しんだからで、それから朝と夜がやって来ても目を覚ますことはなく、インドラは思考の迷路に取り残された。
錬金術師との邂逅が千載一遇だとしても、主が拒絶するのであればそれに従うのが正しき霊獣の在り方だ。それなのに守護者の資格をはく奪しようと、悔恨は紋章を抉り続けている。
「従順でいれば置いて逝かれることはない」
主の喪失は恐怖でしかなく、霊獣とは共に逝くことを選択する生き物だ。同時にそれは生の可能性を手放して我欲を満たしたともいえる。
インドラは絶望の暗がりで寝食を断って死出の旅をすることに決めたが、小さい魔法使いの調子っぱずれの歌が、耳の奥でぐるぐると回って落ち着かない。
きっと賢き象の思考を乱す罰に違いないと少々失礼な結論に達し、あの独特な音階をなぞれば、音はほろほろと崩れて言霊が浮かび上がった。
『水の踵がコンコンと、月の扉を叩くでしょう』
途端に夜空の猫目月が金のドアノブに変わり、コツコツとノックするのはきつつきだ。
「どんな薬でも創ってあげると錬金術師は約束した。この奇跡はユーリーが手に入れたもので、すでに決まっていたことなのだ!」
愚かな私が手にする猶予は一刻だけと白い翼を羽ばたかせ、ピューピューと先導する風に乗って出会った公園に下り立てば、噴水に映る猫目月のノブがガチャリと開いた。
『水の踵がコンコンと、月の扉を叩くでしょう』
歌が波紋になって縁を通り抜け、ずっとずっと広がって小さな魔法使いを映し出す。
「四大の王に奉る」
うっかり人に擬態するのを忘れたが、ルネは動じないどころか目をきらきらとさせていた。こんなに小さい子なのに肝が据わっていると嬉しくなったのは、同じ大型霊獣でも竜は子供に人気で象はいまひとつであるせいだ。
「等価交換は魔力よ」
「奪ってこよう。霊獣のない魔法使いを知っている」
インドラの覚悟をルネは気に入ったが、もっといい方法があるのだと提案した。
「あなたの魔法使いさんはずいぶんこじれてる。治癒には時間がかかるから、分割払いではどうかしら」
「分割払いとは斬新だが、しかしそれで商売が成り立つだろうか?」
なんと人の良いお客さまではあるが、そんな心配をしてる場合じゃないでしょうと叱る。
「あなたの魔法使いさんは私を治そうとしてくれた。あれが嬉しかったの」
「やはりこの奇跡はユーリーが得るべき恩寵。私は役目をここまでにし貢ぎ物になろう」
風の高位霊獣アイラーヴァタであれば、ユーリーの糧にも相応しいと微笑んで目を閉じた。
水面の波紋は複雑に絡み合って、その中心に雫を落とすと魔法陣が浮かび上がる。
ユーリーに別れを告げたインドラの魔力がスウーと引き抜かれ、身を裂く痛みを覚悟していたのにこれでは拍子抜けだ。
「はい、おしまい」
「・・これだけか?」
「これだけとは贅沢なお客さま。高位霊獣の生粋の風がどれほど高価か知ってる?」
切り売りすれば贅沢だって可能だと不労所得をおススメし、風をいれた袋の口をヨイショと縛る。
「この袋には枯葉がいっぱい入っているの」
枯葉は風に舞うのが生き甲斐で、生き甲斐を与える風は誇らしさにいつまでも新鮮さを保つのだと力説するが、新鮮な風ならいつでも提供すると言ったばかりに、それもそうだと残念そうだ。
ここ数日は袋の構想で寝ていないのにと愚痴っぽく、なんだか申し訳なくなって手伝いを申し出る。
「それじゃ双子の魔法使いの住所を知りたいの」
配達先を聞いていないのだと困った顔で、調べてみようと請け負った。
「貴族街は造りが複雑だから私が届けようか」
「うーん。注文品はお金持ちに飲ませる惚れ薬と美人になる薬で、バラしたらひどい目に合わせるって脅されてるし」
脅されているのにケケケと笑ってバラすのは何故だと賢き象の思考は凍結し、いや尊き錬金術師の考えなのだから、きっと真っ当な理由があるはずだと気を取り直した月の晩の邂逅だった。
▽
「すごい風の魔力が手に入った」
枯葉をくるくる飛ばす風を指先に纏わせて、ルネは特等の風魔法を模写した。魔力はそのまま使うより、模写で書き換えたほうが扱いやすくなる。
書き換えるのは元の力を下す上位互換とルネは気付いておらず、使い勝手を良くしたくらいの認識でしかない。
そろそろ馴染んだ頃ねと試しに渦を創って林道に放てば、サアァと一枚布のような風が流れていって、天気の悪い日でも洗濯物がよく乾きそうと、生活に密着した感想を呟く。
「風の精霊が騒ぎだした!」
ダンっと扉を蹴破ったロシュフォールがルネを小脇に抱えて大剣を抜き、その衝撃でルネの肩はゴリッと奇妙な音を立て、腕がぶらーんと垂れ下がる。
「か、肩が壊れた!ロシュのバカ力っ」
「ひえっ!しかし風が・・いやまず手当てっ」
風の精霊がカチカチと威嚇する理由はわからないが、ともかく太刀の一振りで黙らせる。
「ポッキリいった。もうだめね」
「だめって・・身喰いの骨折は治っただろう」
「あれはリンレライの軌跡に芽吹いた若木のおかげ」
折れたのは腕の骨で、指先だけは動くから調合は続けられるだろう。
「私はちょうどいい木を探してくるから、先にご飯を食べていて」
「俺も一緒に行くぞ」
「だめ」
骨継ぎの接着剤は魔力だから、おこぼれを狙う魔物を避ける結界を張って行う。そんなところに自我が不安定なロシュフォールがいれば、血に酔って喰われかねない。
「それじゃロシュがさがしてきてくれる?方角は北、枝が二股で葉っぱが三枚の良い枝をお願い」
「よしきたっ、北は得意な方角だ!」
「得意な方角ってどんな、」
ルネは聞き返したが、すでに飛び出した後である。
「人の話を聞かないのは、特等の生き物の特徴なのね」
おっちょこちょいだけではなかったのかと納得し、風を捻じって捩って細い糸を紡ぎ出し束にする。
高位霊獣アイラーヴァタの「風の糸束」
レースのバレエシューズに宿った「水の雫」
火だるまの鳥さんから奪った「焔」
「最後は地の毒」
薄く皮膚を裂けばプクリと血が滲み、水銀のように丸まった。
ロシュフォールは首に牙を立てて魔力を奪う。この体は魔力の巡りが悪く物理的な摂取が必要で、だからルネの血には地竜の牙毒が混じり結果的に地の力を手に入れたのだ。
奪い取った火、等価交換で得た水、貢ぎ物の風、棚からぼた餅の地。
「どれも凄い力だけど、地が一番馴染みやすい」
魔力は気に入った相手だけに恩寵を与えるもので、奪った火はともかく、譲渡された水と風さえ荒ぶったのだが、地はすんなりと溶け込んでいる。
四つの素材は季節、時間、方角の決まりで配置して青い布を被せて三分間。強い素材は我が強いが、この布を被せておくと素直で扱いやすくなるのだ。
「調和の護り。世界を受け入れないロシュに、未来永劫与えるリンレライの贈りもの」
未来永劫は長すぎるから、私の魔力が尽きるくらいでちょうどいい。
ルネは今がとっても満ち足りて、だから未来を描くつもりはない。
▽
リヒャエルが創った従魔はふたつで、従魔とは魔力を動力にした護衛が役目だ。
これは決まった形がなく術者の創造によるのだが、捏ねていくほどアヴォに似てきて癪にさわり、角をつけたり鼻を凹ませたり、仕上げには毛色をけばけばしく装飾するなど無駄に時間と労力を費やした。
その甲斐あってアヴォの面影はただの一片もないが満足度はいまひとつで、脚は四本でも鳥の脚、後脚直立で鋭い鍵爪の前脚は胸の前。翼は黄色で頭のてっぺんには七色七本の羽飾りがあり、体毛・・半分は羽毛の色は茶金、へびの尻尾だけ緑。
なんと世にも奇妙な生き物の誕生で、南国のビックリ植物かと思ったら実は動きますみたいな破天荒、いや奇天烈さである。
「鳴き声はクアッー・・」
うっかり口走った声を真に受けて、クアッーと鳴いたふたつの従魔から顔を背けた。
「気が散るから姿を見せるな」
その指示は護衛として正しくないから従魔はその場を動かない。見た目はナンだが、さすが稀代の魔法使いリヒャエルの創造は完璧だ。
▽
ルネの折れた肩をつなぐ若木をさがすロシュフォールは北へと走っている。
王たる地竜が護る者には上等がふさわしいと決まっているが、何を以て上等と呼ぶのか、何で木が骨になるのかはさっぱりだ。
『王たる地竜の探し物、こっちこっち』
精霊の誘う声に竜の音で応えれば、先導して跳ね走るのは地の精霊たち。
「竜の主にふさわしく、特等でなくてはならないぞ」
キョトンと振り返る地の精霊には他の精霊のような羽はなく、地面と樹木を縦横無尽に駆け回り、大木のてっぺんから飛び降りて、何事もなくまたトコトコと走りだす。
服装はシャツとズボンでボタンが好きで、靴は木の実をくり抜いた手作りだが、それぞれお気に入りの実があってそれ以外には目もくれない。トレードマークは三角帽子で色はまちまち、しかしこれを失くしてしまうと恥ずかしがって顔を見せないシャイな性格だ。
『地竜は主を喪い、地の精霊は顕在できずにいた』
『だけど地竜は魔法使いを所有し力を増した』
「ああその通りだ。地竜は魔法使いを護り、魔法使いは地竜に魔力を渡すのが道理」
道の真ん中にポゥッと光が灯り、二股で三枚になった若木を見つける。
「これは特等だ。さあ帰るとしよう、魔法使イガ奪ワレナイヨウニ見張ルノダ」
『祀りの御方の贈り物』
瞳が細くなり擬態が解けた地竜の耳に、地の精霊の歌う声は聞こえない。
どうやら本日の勝負は、霊獣の本能に軍配が上がったようである。