プロローグ
「魔王討伐おめでとうございます勇者凛太郎。」
死闘の末、最後の一撃を放ち光の粒に解体されていった魔王を見送った後、そんな声が聞こえたと共に世界が停止した。
魔王の奥で俺の戦いに祈りを捧げていた囚われた姫様も、一緒に魔王城に乗り込んだ国兵達も、それを足止めしていた魔王軍の手下達も、皆一様にテレビの一時停止ボタンを押したように、動かなくなった。それだけじゃない。かつてこの国を混沌に貶めた牙城は、死闘の末今にも倒壊しそうであるが、そうではなく、穴の空いた天井から漏れた降り注ぐ太陽光が神々しい青色の発光に変化している。
俺はこの声に聞き覚えがあった。
「女神様…?」
元の世界で死んだ俺をこの異世界に連れてきて、魔剣グラムを手渡して魔王討伐を導いた女神が、いつの間にか目の前にいた。実に、数年ぶりの再会である。
「はい、勇者凛太郎。おめでとうございます。貴方はついに魔王を打ち破り、この世界を救ったのです」
風も吹いていないのに、長い白髪を異様なほどに整った顔に靡かせている。相変わらずの人間とは一線を博した麗しさである。作り物だって、こんな綺麗には出来ないのではないか。
風が語りかけてみたいな涼やかな声で、俺を称賛した。
「いや、この剣がなけれりゃ俺なんか手も足も出ませんでしたよ。」
俺は手中にある禍々しい剣をしみじみと眺めながら、
「最初から最後まで全部こいつのおかげです。」
「そんなことはありません。貴方の勇敢さをずっと私は上から見守っていましたよ。」
慈悲深い笑みを浮かべ、女神様は首を振る。
「これまで幾度となく命の危機に瀕し、仲間との決別にも挫けず、よく戦ってきました。
これでこの物語はおしまいです。」
「おしまい?」
何だか不穏な空気を感じ、首を傾げた。
「ええ、おしまいです。魔王を討伐した勇者凛太郎によってこの世界は平穏を取り戻しました。」
「まさか俺、元の世界に戻されちゃったりすんの?」
不慮の死でこの世界に来させられたわけではあるが、折角魔王を討伐したのにこの世界からいきなりおさらばというのはなんだか勿体ない気がしてならない。
強いていうなら、旨味がない。ご褒美をまだ、もらってないと思うのは、業突く張りの発想だろうか。
「いいえ、残念ながらあの世界での貴方はすでに生き返ることはできません。」
「なら、おしまいっていうのは?」
「ハッピーエンド、ということです。」
女神様は白く細長い腕を仰々しく広げて見せる。
「この世界にもう民を脅かす脅威はありません。
この世界はこれから平和と秩序に溢れたハッピーエンドを迎えるのです。そしてそれを導いた勇者凛太郎、貴方も同じです。これから貴方は次期国王としてハッピーエンドを迎えるのです。」
「じ、次期国王?」
聞き返す声が上ずってしまう。そんな話は初耳だ。
勇者から次期国王なんて、そんなジョブチェンジあっていいのだろうか。
「もちろんです。貴方はこの世界に平和をもたらした勇者なのですから。『魔王を討伐したものをこの世界の次期国王に』と、私の聖職者に既にお告げは済んでいます。貴方はこれから次期国王としてこの国を治めていくのです。」
「あ、ありがとうございます!」
行幸とはまさにこの事。運が良く死後飛ばされた世界で、運が良く女神様にチート能力をもらい、運が良く国王までのし上がれれるとは…!
すると、何故か女神様は申し訳なさげにもじもじと、
「それで、ものは一つ相談なのですが…」
「なんですか?何でも言ってください」
今ならどんな相談も二つ返事で答えてしまいそうな浮かれ気分だ。そんな俺の様子に女神様はやや安堵した様子で、見目麗しい顔を困り笑顔にさせ、答える。
「あのですね、その魔剣グラムなのですが…、その剣は魔王を倒すまでは勇者凛太郎の契約にあったのですが、魔王を倒した今、所有者がリセットされてしまうんです。」
「はあ、」
そういえば、異世界に連れてかれる前、神空間的なところで魔剣グラムを手渡しされた時、そんなことを言っていたような気がする。
「なのでその剣、返品していただきたいのです」
「えっ」
潔くここは告白しよう。
たった今この魔王を倒したのは、この魔剣なのだ。そう、俺ではない、この魔剣なのだ。この魔剣グラム、女神様からもらったこの魔剣は、そのソードスキルとして破壊的な攻撃力を持ち、女神様との契約で俺しか使えないことになってはいるが、契約したのが俺じゃなくて、例えば幼女でも振り回せばスライムだろうが魔王だろうが一刀両断できるほどのアイテムなのだ。魔王と死闘を繰り広げたのは俺ではなく剣、と言っても過言ではないどころが事実に等しい。
そのため俺は今まで得た経験値を全て防御とかアジリティとかに振ってしまっていて、自分のスキルとしての攻撃力なんてほとんど皆無だ。
その剣を手放せ、というのは些か不安要素が多すぎる。
「ど、どうしても返さないとダメですか」
思わず剣を抱えじりじりと下がる俺に女神が慌てる。
「ちょっと、逃げようとしないでください!
だ、大丈夫ですよ。既に魔王とその幹部は倒しているので、もうこの世界に国を乗っ取ろうとする程の高い知能のモンスターはいません。」
「でも、知能の低いモンスターは普通にいますよね?」
モンスターはこの世界のごく当然にいる生態系の一つなのだ。魔王を討伐したからいなくなるなんてことはない。そんで魔王討伐した勇者が始まりの町で一番最初に出会すモンスターにやられるなんて目も当てられない。
「それはもちろんいますけど…。貴方はこれから次期国王になるんですから、町から出て戦うなんてことはありませんよ。国王軍トップクラスの護衛隊がついて貴方をお守りするんですから」
「なるほど」
確かにそうだ。魔王を倒して欲しいと俺に懇願した王様は、ありがちな恰幅がよくて品のいいおじさんで、とてもとても最前線で戦えるようには見えなかった−その証拠に周りに護衛兵が山ほどついていた。
「それにほら、」
女神様は白くて細い指をその見るものの視線を引きつける麗しい唇に当てて声をひっそりとさせ、
「次期国王になるということは、そこのお姫様の婚約者になるということです。いつまでも子供みたいに剣を振り回してばかりではなく、もっと色々、大人としての嗜み、を学んで、お姫様の手ほどきをして上げなければなりませんよ」
『大人としての嗜み、』という言葉をやたらと強調させ、その囁く声に妖艶な色気が纏う。
それは詰まるところ−
ゴクリ、と俺の喉が動く。
俺の期待通りの言葉を、女神様は俺より少し背の高い体を屈ませ、耳元で囁いた。
「結婚したら、なるべく早く世継ぎを生まなければなりませんから。そうそう、この国では側室も認められていますから、勇者…、いいえ次期国王凛太郎のためとなれば、それはもう各国の綺麗所たちがわんさかと、」
こうして俺は共に旅をしてきた魔剣グラムを女神様との契約のため、仕方なく、そう仕方なく、泣く泣く手放すことにした。
「では次期国王凛太郎、魔王討伐お疲れ様でした。
この世界で、よいハッピーエンドを」
そう言い残し、女神様は淡い青色の発光に包まれそのまま消えていった。
「勇者様!」
幼さの残る可愛らしい声に意識を戻されると、目の前に姫様が飛び込んできた。頭一個分小さい体を惜しみなく押し付け、俺の胸の中で、わんわんと泣きじゃくる。
どうやら一時停止していた世界が再生されたようだ。
「ご無事でよかった!本当にっ、助けて下さって、ありがとうございました」
ぐすぐすと鼻をすすりながら、朝露に濡れた露草のような顔に見上げられる。
先ほどの青い発光でもなく、魔王により閉ざれた暗黒の空でもなく、崩れた天井からは明るい太陽光が差し込み、姫様の金髪の長い髪が反射して目がチカチカした。白い陶器みたいな肌に、涙で濡れた青い瞳はまるで人形みたいだ。
俺はそんな少女に肩に手を回し、思う。
そうか、俺はこの子と×××できるのか。
思わずにやけてしまいそうな顔を引き締めると、姫様、いや、未来の俺の子供の母の肩を抱いて、こう言ってやることにした。
「もう大丈夫。これからはハッピーエンドが待っているから」