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8:Amoto quaeramus seria ludo.

 

 行き止まりの階段。そこを登れば、地下道の先から差し込む光。


「うわ……」


 突然開けた視界の明るさに、思わず目を伏せる。

 ゆっくりと目を開けて、瞳がそれに慣れ始めると一面の……

 セネトレアの自然の多くは金のために刈り尽くされた。木も鉱物も。周りにあるもので、それが誰かのモノではないのなら、それは早い者勝ち。値段の付くものなら奪うが正義がセネトレア。

 城が所有する山々には流石に手付かずのようではあるが、金の亡者の跋扈する第一島は特に自然が不足している。今まだあるものと言えば、島を取り囲む海。そこから得られる魚介類くらいだろうか。

 だからここにある……生い茂った木々や草むらはセネトレアとは思えない、自然という名の財産は、不毛の土地に慣れていたフォースに強い衝撃を与えた。

 そろそろ冬だというのに、ここはまだ夏の装いだ。

 あんぐりと口を開けたまま呆然としてるフォースの様子に、トーラが誇らしげな表情で此方を眺めている。


「こそこそ復興させたんだよね。まぁ混血と奴隷の隠れ里みたいなもんさ」

「……しかし、毎回これは疲れるな、少々」


 一番最初を進んでいたはずのリフルが一番後ろから外へ出る。

「急ぐぞ」とか言っておきながら途中で発作のように咳き込んで、涙目になったりしていたような気がする。


(本当に体力ないんだなぁリフルさん……)


 手か肩でも貸そうかと思ったが、走ったせいで汗毒が出たから自力で行くと言ってリフルは聞かなかった。毒体質というのも、本当に大変そうだ。

 そんなリフルの疲労顔にトーラが苦笑。


「あはは、仕方ないよリーちゃん。移動数術を街中で使うのは危ないし」


 なんでも膨大な計算力を誇るあの数術は、他の数術使いにその発動を感知される恐れがあるのだとか。数術使いの技量によって感知できる範囲は変わる。純血の術師の間合いは微々たる物で、広い間合いを持つのは殆ど混血。混血嫌いの純血至上主義者に感づかれることはまずないだろうが、念には念を。どうやらそういうことらしい。


(まぁ、仕方ないのかも)


 ここがリフル達混血にとっての最大拠点のようなものらしいのだ。危険を持ち込むのはあまり感心出来ないのだろう。

 トーラに釣られて苦笑すると、彼女がくるりと回って両手を広げる。そして眼下に広がる風景へと招く。


「元ライトバウアーへようこそ、フォース君」


 フォース達が出た場所は小高い崖の上。その向こう下に広がっていたのは……村だ。初めて来る場所。けれど田畑の広がる風景に、懐かしさを覚えるのは……故郷が農村だったからか。


「そうか、あの時フォースは留守番だったな」


「懐かしいねぇ」

「確かにな」


「廃墟同然だったここを、一時受け入れ施設として再興させたんだ。……もっとも、今のところ一時というか……」

「困ったことに、一回ここに来た人は永住しちゃうつもり満々って感じだよね」

「別にここでなくともいいんだが……こういう場所がもっと増えれば、彼らは何処にでも行けるのだから」


「そんなわけでここはライトバウアーって名前を変えてだね……今は“迷い鳥”って呼んでるんだ」


 迷い鳥。

 ここは一時的な居場所、所謂止まり木。いつか世界が変わったら、自由に何処にでも飛び立てるよう。


(そっか……リフルさんは……)


 トーラは風が必要だと言っていた。鳥が羽ばたくには、風が要る。高く遠くへ行くために。


「さて、と。それじゃあ僕は夕飯が一人分増えたことを知らせてこないと。リーちゃんは?」

「適当にフォースに案内をしてから向かうことにする」

「わかった。それじゃあ一時間後に会議室あたりでいい?それまでに情報まとめておくからさ」

「すまない、頼んだ」

「オッケー、任されたよ」


 手を振りながらぱたぱたと走り去っていく少女の背中を見送って。


「それじゃあ、行くか」


 そう言ったリフルの顔には……


「リフルさん、何それ」


 何故か仮面が付けられていた。

 両目を覆うシンプルなデザインの仮面だが、それを着ける前の姿の印象が強すぎて、どうやってみても違和感しかない。似合っていないわけではないのだが、どうにも慣れないというか得体の知れない奴に見えるというか。

 それ以前に何時の間に着けた?こういうときだけ素早いというか抜け目ないというか。


「ていうか、何処から出したんですかそれ……」

「ああ、これは常備している。普段用、それと予備に三つほど」

「そんなもの持ち歩かないでくださいよ。不審者丸出しですよ。せっかくあれなのに……」

「ちなみに涼しく快適な夏用、暖かな冬用もある」

「あ、そうすか」


 真面目な顔でよく分からないことを語り出す恩人に、フォースはもうどうにでもなれという気持ちになる。

 白けたフォースの反応に、息を吐き、「人を笑わせるというのは難しいものだな」と呟くリフル。季節用の降りは冗談のつもりだったらしい。


「ああ、じゃあそんなの無いんですか?」

「いや、あるが」


 もうどうにでもなれ。本日二度目の諦めの境地。


「顔を隠すと邪眼の効果を弱められるし、暴走を押さえ込みやすいんだ。標的の攻略以外には大抵こうしているよ。つい、お前とトーラにはあまり効かないから忘れていたが」


 リフルがポツリとそう零した後、ゆっくりと歩き始める。

 冗談を言ったと思ったら今度はまた真面目な話。リフルの話は温度の浮き沈み変化が激しい。

 それを追いかけながら、沈んだ彼に話しかけるのは不味いのではと思った自分が間違いだった。その間彼が何を考えていたかというと……


「時にフォース……」



「此方の梯子と、縄と、縄無しお前はどれが良い?」

「え?」

「初心者にはこの梯子がお勧めだが、これは時間がかかる。この縄で降ればあっという間だが、失敗したら死ぬかもしれない。そして縄無し。殆どの場合死ぬかもしれない」


「な、何でそんな無駄に降りる手段あるんですか!ていうか最後の手段じゃないです!終わりへの手段じゃないですか!」

「ちなみに私の常用は三番目でな」

「リフルさん運動音痴なのに大丈夫なんですか!?」

「面白いことにこういうときはなかなか死なん。しかも一番速く降りられる。飛び降りは基本的にどこからでも行けるがな、梯子と縄は配置場所が異なっており面倒だったりする。元々これは防衛策であり、もしここが攻め込まれた際に、降りている最中に狙い撃ちする感じでな」

「普通に梯子にします」

「梯子はもたついていたりすると不審者として射られる可能性もあるから注意してくれ。ここは混血も多いし純血のフォースは敵だと誤認される可能性がある。奴隷服ならまだしもその服は素材もなかなか良さそうだしな」

「それじゃあ縄で!」

「縄は着地場所に気をつけろ。防衛策で着地地点に落とし穴がかなり無造作に掘ってある」

「それじゃあ飛び降りだって危ないんじゃないですか!」


 もうどうにでもなれ。本日三度目の境地。



 *



 無駄に長い説明を受けならが安全なルートを教わり、とりあえず迷い鳥の村の入り口まで辿り着くことが出来た。


「あ、お頭だー!」


 そう叫んだのは水色の髪の混血児。リフルの姿を認めた子供が此方に寄ってこようとする。


「しっ!」


 それを止めたのは傍にいたその子供の姉らしき人。彼女はその子供と髪の色が同じだった。

 その行動はあんな危ないものに近づいては駄目よ、そう言い聞かせているようだ。

 姉の制止に不思議そうに首を傾げるその子供。彼の方は純粋な好意を表しているようだったが、彼女は違う。少女は……僅かの脅えと敵意を持ってリフルを見ていた。


 そんなやりとりを気にするでもなく微笑のままに通り過ぎたリフルは門番へと話しかける。

 門番をしているのは黒髪のタロック人の男だった。元は労働奴隷だったのだろう。少々痩せてはいるが、筋肉の付きは良い。力自慢と言ったところか。

 彼と共に門を守っているのは、カーネフェル人の女性。もしかしたら隣の男よりがたいが良いかもしれない。出るとこ出て、引き締まった身体をしているが、筋肉が凄い。女性特有の柔らかさを感じられない鋼の肉体だ。そこそこ顔立ちの良いブロンド美人なのにもしこの人と結婚したら、生まれた子供はその時点で顎まで割れそうな気がする。なんとなく。


(もしかしたら、二人とも……軍上がりなのかな)


 戦争で捕らえられて奴隷になった、そう考えるのが自然か。

 二人が好意的な態度で接しているよう見えるのも、直接リフルに助けられたのならわからないでもない。少なくとも、あの少女のような脅えは抱いていない。


「お帰りなせぇ、お頭」

「今日も異変はなかったか?」

「はい!勿論ですわ!」

「そうか、ご苦労。もうすぐ夕餉だ。今日の疲れをしっかり癒してくれ」

「ってお頭?そっちのガキはどうなさってんで?」

「ああ、彼は……」


 交互に答える門番二人に、フォースのことを尋ねられ……思い出したようにリフルがそれを口にする。


「フォース、確かお前は農村の生まれだったな」

「え、あ、はい」


 それを肯定すると、口元だけでリフルが笑う。素顔を知っているから仮面の裏でどんな表情をしているかも大体解る。解るだけにやっぱりその仮面が邪魔だと思った。


「何か間違ったことがあったらここの者達に教えてやってくれ。農業に疎い連中もここには大勢いるから、困ることも度々あってな」

「おお!今日の新入りは農民のガキか!坊主!しっかり働いてくれよ!働かざる者食うべからずだからな!はっはっはっは!」

「妬けるわぁ。お頭ったらあたしって女がいるのにまた男引っかけて来たの?あの猫目のお嬢ちゃんもそうだけど、お頭って年下好きなの?」


 わしゃわしゃと乱暴に頭を撫でるタロック人(タローク)男と、人差し指でフォースの頬をつついて遊ぶカーネフェル人(カーネフェリー)女。二人は頭の上で唾をまき散らしながら言い争いを始めたが、一応歓迎してくれているようだ。


「いつお頭がお前のものになったって言うんだよ?筋肉女が!お頭にお前みたいな女が似合うわけねぇさ、身の程を弁えな!」

「はっ!あんたも悲しい男だねぇ。いくらタロックは女がいないからってそんなに男が好きかい変態野郎!それともお頭が可愛いからってまさか女の子と勘違いしてるんじゃないだろうね?」

「は!お前こそ馬鹿だな!お頭が何時男だって解ったんだ?あんなにドレスの似合う野郎がいるもんか!第一、一人称からして可愛らしいじゃねぇか!男のいないカーネフェリー女はそんなに女が好きなのか?」


 しかし元は敵国の人間。些細なことから何やら不穏な空気になってきた。

 それを察したリフルが独り言のように呟いた。


「…………私は喧嘩をしない奴が好きだな」


 その一言で、二人の言い争いはピタリと止んだ。


「け、喧嘩なんかしてませんぜお頭ぁ!こんなの俺たちの間では社交辞令みたいなもんでさぁ!な!」

「そ、そうですよお頭!カーネフェルの女は照れ屋でついつい心にないことを言ってしまうんですよ、ほほほほほほ」


「そうか。それならよかった。交代が来るまでもう暫く、頑張ってくれ」


 そう言い残し立ち去るリフルの背中に、威勢のいい「はい」という返事が二つ。

 すっかり魅了されてるなぁと、そんな二人を見ながら思った。


 リフル達はそれを村と呼んだが謙遜だ。その場所はフォースのいた村より余程整備されている。

 迷い鳥は城壁に囲まれた街だ。その高い壁は、唯の壁ではない。壁は砦であり物見櫓でもあり、建物でもあった。

 日当たりの関係上、城壁の外の方が圧倒的に田畑は多かったが、城壁の中にもいくつかは見受けられる。食料をこの城壁に貯め込み、いざとなったら籠城……そういう構えなのだろう。

 民家は一番安全な、その城壁の内側で守られている。畑仕事を終えた人達が少しずつ帰宅していく。

 それを見送りながらリフルは砦へ足を運ぶ。それに続いて砦に入れば、鼻孔を擽るいい香り。砦の中に入るには、門番のいる門を通らなければならないようで、外からの進入は不可能。


「……こんなの一体どれだけかかったんですか!?」


 元は廃墟だったという話なのに、そんな風には見えない。

 リフルにそれを尋ねると、軽く考え込む仕草。


「金か?時間か?あまりかからなかったよ。TORAには大勢の数術使いがいるからな。彼らがまだ幼い混血にも正しい力の使い方を教えてくれている。時に……フォースは、数術とは何だと思う?」

「え?……トーラ、みたいな情報収集とか情報処理能力とか?それがいろいろあって場所飛んだり?」

「あれは例外だ。大抵はもっと自然的な力だよ」

「数術は理論上出来ないことはないらしいが、やりやすいこととやりにくいことがある。トーラがやっているのはその後者。四大元素に語りかける……というかその数値に変化に作用するものが一般的らしい。まぁ、身近にある数を操るのはやりやすいこと、ということだな」


 言われて思い出すのはグライドの剣。彼の一振りが纏う風の後押し。

 リフルが彼を数術使いだと言ったのは、あれが数術だったから?


「風で木を切り倒したり、薪を燃やしたり、土を耕したり、ちょっとした雨を降らせたり。生活密着型の力と言えばいいのか。そうやって必要な素材を集めたら、高レベルの術者がもとあった建物の存在値を分析して、その式をもう一度構成してやればいい」


 存在値やら構成やら専門用語の波。聞き慣れない言葉ばかりで全く意味が分からない。


「よくわかりません」


 苦笑しながらそう告げると、リフルの口元が微笑に変わる。


「私も似たようなものだよ、安心しろ。使えない私からすれば魔法みたいなものだとしか思えないしな」

「リフルさんは混血なのに?」

「才能は一種の運だ。数術を使える純血がいるように、数術を使えない混血だっているさ。あんな複雑な計算などわからん」


 さも当然と、リフルが笑う。もっとも……と彼はそれに補足を付け加えたが。


「邪眼も数を操り狂わせるという性質だから分類上は数術になるらしいがな、他のことは私には無理だ」


「大体そんなことが出来るなら、私はこんな階段で苦戦はしない」

「リフルさん、大丈夫?背負おうか?」

「いや、これしきのことで……もうそろそろだし、私はやるぞ」


 どんだけ箱入りだったんだろうこの人は。細いとは思っていたが、足の筋力がなさ過ぎる。

 確かにもう5、6階分くらいの階段は登った。それにここに来るまでずっと歩きだ。おまけに彼は眠そうだ。昨夜の睡眠不足が祟っている。

 それでも頑張ろうとする彼に何も言えず、生まれたての子鹿とか子馬とか。そんなモノを見守るような母の心境で、彼と階段との死闘を見守る。


「と……とりあえずこの空き部屋は好きに使ってくれていい。私はこれのもう一つ上の階になる。何か解らないことがあったら聞きに来てくれ」


 ぜぇはぁと肩で息をしながら、空き部屋を指さすリフル。

 一階に住めばいいのに。そう思ったけれど、立場上そういうわけにもいかないんだろう。

 流石によろよろと階段を登ろうとした彼を見送ることは出来なくて、フォースはリフルに声をかけた。


「リフルさん、夕飯って何階?」

「一階だ」

「それならそれまで俺の部屋にいた方がよくない?」

「…………………礼を言う」


 リフルが登りかけた階段から足を離し、こちらに歩み寄る。

 扉を開けた部屋は……まぁまぁの場所だ。

 ベッドもあるし、必要最低限のものは用意されてある。棚を空ければ備品もそれなりに。

 空き部屋だったため多少埃臭い気はするが、これくらい今更気にはならない。奴隷になったときは檻の中だったんだから。ここは景色はいいし、……


「いいってレベルじゃねぇし……す、すげぇ!」

「ああ、丁度日暮れか」


 ライトバウアー。西に位置するその街は、海に日が沈む場所。水平線の向こうに日が降りていく様は一見の価値がある。

 陸の緑と海と空の青。それに夕日の赤が融けて、その色を変えていく。そして赤が消えれば……訪れる夜の黒。


「タロックほどではないと思うが、もうしばらくすればここもそろそろ冬だからな。空気は少しは澄んで星も綺麗に見えるだろう。去年の冬は、驚いたよ私も」


 第三島アルタニアの冬は長い。他より早くやって来て、他より遅く去っていく。第一島はまだ、雪が降るほどの冬にはなっていない。聞いた話に寄れば第四島や第五島はもっと夏が長くて酷いとか。商人達の環境破壊が行き過ぎたせいなのだろうか?


(でも……地理的には他の島もアルタニアみたいになっててもおかしくないのに)


 もともとセネトレアはタロックが所持していた列島だ。つまり気候はタロック寄り。タロックの大陸の大半は雪に悩まされている。フォースがいたのは南部だったから雪は降らなかったが、セネトレアはその場所よりも北東に位置する。

 その意味を考えてみても、頭はこんがらがるだけ。悔しいことだが農民の自分は満足な教養を受けたわけではない。目で見たこと、耳で聞いたことくらいでしか物事を測れない。


「数値異常ってほんと酷いんですね。地域でこんなに季節が違うんだ……」


 とりあえず天変地異の数値異常。その一言でなんとかなってしまう辺り、もしかしたら教養のある人間だってその実態は知らないのかもしれない。

 リフルもこの自然界の数値異常には悩まされているようだった。


「春も秋も短くて、この間まで暑かったのがいきなり寒くなったりと、第一島は季節が酷いな。夏と冬しかやって来ないようだよ。金儲けしかしないのならそれでもいいんだろうが、何かを育てるというのはやはり難しいな。数術使いの知恵を借りなければ暮らすことさえままならん。全く……トーラ、様々だよ」


 創り出すことの難しさ。壊すこと、殺すことしかしてこなかった。それしか出来ない自分がそれを行うこと。それはどんなに遠い道のりなのか。

 リフルはその壁にぶち当たっている。共に田畑を耕すことも、毒と邪眼が許さない。

 殺すことでしか守れず、殺すことでしか何かを作れない。


「国よりずっと少ない人間しかいないのに、何かを為すというのはなかなか難しい。頭が痛いことばかり。ここにいるのは亡命を待つまでの間、その避難場所にでも……そう思って復興したはずだったのだが」


 やりたいこととしていることが、本当に同じ方向を向いているのか、自信がないようにも見える。

 今歩いている道が、本当に正しい道なのか。消去法でそれしかできないと、それが最もマシだと選んだ道は、間違ってはいないのか?


「基本的に……私は標的殺しの後、保護は教会にさせていた。それが一番だと思っていたんだ。だけどそれは他人任せ、そう言われても仕方がないことだった」


 フォースに向けられた、その言葉は懺悔だ。

 自分に出来ないと諦めたこと。その他人任せが多くの人生を狂わせた。邪眼など使わないで、自身の行動で成し遂げた結果がそれ。

 何かをすることで誰かを傷付けるのなら、何もしない方がマシなのか?

 目の前の人間を見捨てることが正しいのか?助けた人間を更なる絶望に突き落とすくらいなら。

 それでも目の前のこの優しい人は、目の前の誰かを見捨てられない。差し出したその手で、をずっと繋いでいることは出来ない。それでも、その覚悟を決めるべきなのか。

 シャトランジアに亡命させることが出来ないのなら、誰かが第二のシャトランジアを……平和で安全な……平等な居場所を作らなければならない。

 そうしなければ、フォースのような子供を作ってしまう。今目の前にいる自分がリフルを悩ませ、苦しめている。


「リフルさん……リフルさんは、俺を人間だって言ってくれたよね」


 彼が自分にくれた、その祝福の言葉。それがどんなに嬉しかったか、彼は知らない。だからそんな風に思ってしまうのだ。

 あの日一緒に船に乗った人間。降ろされた人間。大勢が死んだ。彼らの中にリフルに救われた者がいたなら、その誰かリフルを怨んだかもしれない。


(それでも……)


 少なくとも自分はリフルを憎んでいない。出会えて良かったと口にした言葉は嘘じゃない。


「俺はリフルさんも人間だと思う」


 その言葉に、仮面の内側の紫瞳が大きく見開いた。そんな気がする。


「だからさ、何でもかんでも完璧に出来るわけ無いんだよ。人間なんてそんなものなんだよ」


 リフルは完璧主義者だ。だけどフォースは知っている。人間の限界を。

 自分が如何にちっぽけで、何も出来ない虫螻だと知っている。

 この目の前の綺麗な人だって、所詮は一枚皮を剥がせばそれと同じ虫螻という……人間。

 混血だって、純血だって人間だから、不可能事はやっぱりあるのだ。

 彼は数術使いが傍にいて、自分には邪眼があるから、もっと人間はいろんなことが出来ると誤解しているに過ぎない。


「俺もトーラも貴方に救われた。だから貴方の手助けがしたい。そういうのじゃ、駄目なのかな」


 責任を他人に押しつけないため、何もかもすべて自分でやろうとする。

 それはとても立派なことだけど、百メートルもある崖にむかって一人でピョンピョン跳びはねているようなものなのだ。


「リフルさんは、もっと人に寄りかかって良いんだよ。俺、倒れないように頑張るし!」


 百メートルの崖だって、百人が無い知恵合わせて唸れば何か閃くかもしれない。現実的な話、登るのは無理でも手を繋げば肩車でもすれば百メートルは稼げるはずだ。


「その方がきっと、失敗することも減ると思う。それに……もし失敗しても、それは貴方のせいじゃない。貴方だけのせいじゃない。俺たちのせいなんだ」


 そして登れなかった責任は、百分の一。一人が1%ずつ背負う。何もかも、全て自分で背負う必要は無いはず。

 責任を十割り相手に押しつけ合うためじゃない、分け合うために他人はいるんじゃないのか?誰かの傍に。彼の負担を、心を分け合うために。


 勿論自分はちっぽけな虫螻だから、そんな立派な気持ちだけでは生きられない。

 胸の中にはドス黒い復讐心の塊がどろどろと未だ巣くっているのも本当だ。


「正直、まだカルノッフェルは憎いよ。殺してやりたい、そう思う気持ちは残ってる。でも、……同じくらい俺は……リフルさんの力になりたい」


「復讐心をその気持ちが上回るまで駄目だって言うなら、俺は頑張る。頑張ってそれを忘れる。それまでここで畑仕事とか料理とか、出来ること何でも手伝う。…………でも、一緒に考えるくらいはいいですよね……?それが失敗したら、考えた俺だって悪いんだ」

「フォース……」


 心なしか、リフルさんの声が震えている。


「ここをシャトランジアを越える場所にしようよ!聖教会なんて腐ったものが無いだけここの方がずっと良い場所、作れるはずだよ!」


 夢を見る。でっかくて馬鹿みたいな夢を。

 夢なんて今まで見たことは無かった。

 いつも目の前の今、それを守ることしか考えていなかった。従うこと。主がすべて。それもそれで幸せだった。だけど、人は夢見る生き物だ。

 夢や理想を口に出来ない人間は、死んでいるのと同じだ。

 奴隷が夢を口に出来ないのは彼らが道具だから。そう認識されているから。

 だけどそうじゃない。

 本当に必要なのは、絶対に救う事じゃない。誰もが自由に夢見る心を思い出させること。それだけで良いんだ。

 そうすれば、人は勝手に歩き出す。夢見た理想を求めて走り出す。

 自分たちはその背中を押す追い風になればいい。行く手を阻む壁を壊して彼らが歩けるようにしていくだけだ。


 フォースの言葉にリフルの口元が歪む。笑っているのだ、多分、泣きそうなあの顔で。


「お前の気持ちは嬉しいが……私では無理だ。お前も見ただろう?」


 自分の言葉では、彼に夢を見せることが出来ない。響かない。

 リフルは現実を引き合いに出す。フォースも気付いていた、そのことを。


「ここにいるのは、私に魅了された人間か、私を恐れる人間だ」


 門番二人、脅えた少女……


「助けたときに、やむを得なく私の姿を見せてしまった相手もいる。そういう者はまず裏切らないが、……限度を超えれば殺し合う可能性もある。亡命を勧めても離れたがらない」


「そして私の姿を知らないままに助け出された者は、私が人殺しだということしか知らない。そんな者の治める場所など……きっとそう思う」

「それじゃあ、リフルさんは」


 夢など見ない。リフルはそんな冷めた声で呟く。


「私は良い人間なんかじゃない。ましてや優しい人間でもない。もしも誰かの命を繋ぐことが出来たのなら、それは不可抗力やおまけのようなものだ」


 夢を見るのは生きる人間の権利。

 一度死んだ人間は、夢見る権利など無い。生かされた死者が見る夢は、死ぬことだ。

 その後ろ向きな夢は、生きている人間が……おそらく夢とは認めない、悲しい夢だ。


 夢は未来へのエネルギー。生きるためのプラスの活力。

 リフルの夢は、過去への追憶。死へと向けられるマイナスの動力だ。


「私は死ぬために戦っていた。死にたかったんだ……殺すことでしか生きられないなんて、嫌だった。…………でも、何度やっても死ねはしない。圧倒的不利でも生き延びてしまう。私はこんなに弱いのに」


 世界の平等を狂わせる、理不尽な歯車。あってはならないものなのに、どうして消えてしまえないのだろう。

 歪な歯車がそう語る。


「だから全ては結果論だ。死ぬために戦っていたはずなのに、いつの間にかこんな重いものを背負わされていた」

「……………重荷、なんですか?」


「ここの人達も、トーラも、俺も……!貴方にとっては重荷なんですか!?枷なんですか!?」

「違う……」

「それじゃあどうして!?」

「命は、どうしてこんなに重いんだろう」


 嘆くようなその声は、命の数を慈しみながら、微かな絶望を匂わせる。


「守りたいとは思うんだ。もしもそれが自分に出来ることならば」


 出来ることならば。その言葉からは、それが自分には出来ないことだという響き。


「リフルさん……」

「死ねない以上、私は私の役目を果たす。……無論、そのつもりだ」


 本当の意味で彼らを救うことが出来ないのだとしても、奴隷貿易を終わらせるため、人を殺すことは続ける。

 救うことで恐れられ、感謝もされず憎まれる。殺せば殺すほど、混血からも奴隷からも恐れられる殺人鬼。

 何のために殺していたのか、わからなくなったんだろう。

 だからリフルはそれを「自分が死ぬためだった」と言うしか無くなる。


(リフルさん……)


 彼に居場所はない。

 頭を抱えるほど難しい問題。それでももしそれが解決し、ここが本当に平等な街になったとしても、それを果たしたとき……


「リフルさんは、死ぬ……つもりなんですか?」


 聞いた言葉を聞き返したのではない。リフルもそれに気付き、息を飲む。

 それは、肯定だ。わかる。この人は鏡なんだ。

 こっちが真っ直ぐに言葉をかければ、いつだって応えてくれる。今回ばかりはそうでなければ良かったのに。


「俺じゃあ、……貴方の居場所にはなれませんか?」

「フォース……」


 自分は本当に変わらない。成長したのは背丈だけ。

 置いていかないでと縋り付くような言葉は、あの日とまるで変わらない、エゴ丸出しの子供の言葉。


「人殺しの俺に!ただ、生きろと言ってくれた貴方が!どうしてただ、生きてはくれないんですか!?」


 致命的なその矛盾。自分は鏡だ。彼の鏡だ。

 彼も自分も人殺しだ。

 人殺しの彼が生きてはいけないのなら、自分だって生きていてはいけないのに。


 矛盾を突く脅迫のような言葉。リフルは何も答えず、窓辺から離れ扉へ向かう。

 あの日のようにすぐに追いかけ縋り付けない自分に、時の流れを感じた。

 中身はまるで変わっていない癖に。足が床に根付いたように動かない。成長した脳が、子供な自分を認められず、踏み出すことを禁じているのだ。


 扉を開けたリフルの足が止まる。そこにいたのは金髪に金の瞳の混血少女。

 それからその後ろには緑の髪に青い瞳の混血児。彼はトーラよりも背が高い。彼には一度会ったことがある……蒼薔薇(あおそうび)とか言ったっけ?彼の手には二人分のものらしき食事の載った盆。


「トーラ……?」

「リーちゃん部屋にいないから、ここかなって。あ、フォース君、ご飯だよ食堂」

「リフルさん……?」

「リーちゃんはいいの。あんまり大勢の前に出るわけにはいかないんだよ。蒼ちゃん案内してあげて」

「はい、マスター。そっちの……こっちだ」


 素っ気なく背中を向けて……くるりともう一度振り向いて、それをリフルの手に押しつける。

 部屋を出たリフルとトーラは階段を登っていく。それを見ていたら蒼薔薇に置いていかれそうになったのでフォースは急ぎ足で階段を飛び降りる。

 蒼薔薇は以前会った時はプライドと嫌味の塊のような相手だったけれど、今日の彼は一言で言うなら素っ気ない。怒っているようにも見える。

 怒らせるようなことを自分はしていないのに、彼の後に続くのが気まずい。

 それでも別に気にする必要もないか。いろいろぶちまけて、もう一言だって喋らずに済むのなら喋らないでいたい。何もかもが面倒だ。

 言葉は虚しい。

 届かない言葉は虚しい。何のために同じ言葉を使っているのか解らない。

 どうすればいいんだろう。自分はあの人を、死なせたくない。

 主を失ったとき、明確に敵意を向けるべき相手を得ていても……こんなに辛いのに。

 彼を失って、誰を憎めばいいのかもわからないまま。その気持ちを飼い慣らし、生きろと彼は言うのだろうか?


 傍にいることを許して貰えても、頼って貰えない。支えられない。救えない。

 何のために傍にいるのか。無力を思い知るためだけに、自分はここにいるみたいじゃないか。

 選んだ。選んだその先が、こんなことって……



  *



 フォースと蒼薔薇と別れて、向かった先は会議室。自室と同じ階にあるため、自分にとっては利用しやすい。

 長机に盆を降ろし、近場の椅子へと腰を下ろせば、トーラがその隣へと座る。


「悪いな」


 待ち合わせの場所を違ったことを詫びればトーラが首を振る。


「いいよ、いろいろ積もる話もあったと思うし。一年半かぁ……大きくなったね、彼」


 そして感慨深そうにそう言い放つ。


「でもまだまだお子様だねぇ……良いことだと思うけど」


 トーラの言葉にリフルも頷く。確かにそう思う。彼が子供だから、邪眼がこの程度で済んでいる。

 けれどトーラが言いたいのはそういうことではないらしい。彼女曰く、「親離れできて無いんだよ、彼」。言われてみれば、そうだ。

 フォースが残虐公に仕えたのだっておそらく……彼を親のように慕っていたからだろう。フォースは身近な人間を大切にする。

 その点にリフルが思い至るのを見、トーラが前振りから続かせる。


「あの子はリーちゃんが大事なんだよ。たぶんお姉さんとかお母さんとかみたいなもんだと思ってるんじゃない?」

「どこから否定すればいいのか判断に悩むな」


 とりあえず何故兄や父ではないんだろう。その点をツッコんでみる。


「だってお父さんとかお兄ちゃんなんてもんはね、基本的に厳しいモノってことになってるんだよ。父性ってのは」


 これまた、確かに。

 リフルの知る父も、そういう存在だった。

 厳しいも厳しい。法の遵守のために自分を処刑したくらいだ。


「でもリーちゃん、年下には甘いし、優しいし。懐かせるだけ懐かせといてぽいっはねぇ。飼い犬は飼い主がいなくちゃ駄目なんだよ?」

「私はあいつをそんな風に思ったことはない」


 すぐさまそれを否定すると、トーラが更に一歩踏み込んだ。


「犬は間に合ってるから?」

「トーラ……」


 それは“彼”のことか、それとも彼女自身か。

 そのどちらでもあったのかもしれない。


「君は飼い主じゃなくて餌なんだ。餌がないと生きていけない。餌を与える者がいなきゃそれは生きていられない。同じ意味でしょ?」


「飼い犬を自分で餌の捕れる猟犬に躾けるも、野放しにして野犬に戻すも君次第。君が餌になれないのなら、新しい餌を見つけさせてあげないと」


 餌。生きる意味。糧。夢。目標。


「……つまり私はあいつに厳しくするべきだと、そう言いたいのか?」

「最後に突き放すんなら最初からそうした方が良いよ。お互いのためにね」


 トーラはそこまで淡々と述べた後、いつも通りの笑顔でにやついた。

 この話題はここで終わり。そういうことらしい。


「ま、せっかく二人きりになれたんだし、もうちょっとお姉さんと大人の話をしようかリーちゃん?」

「さて、せっかくの夕食が冷えるな。食べるか」

「リーちゃんノリ悪いー」


 不満を口にしながらトーラがフォークを片手に取って、デザートの苺から口に運んだ。それを咀嚼しながら彼女が一言。


「リーちゃんは半年前って何があった頃か解る?」

「せ……洛叉がアルムとエルムを攫った時期だな」


 ようやく本題に入ったか。今する、ということは……自分に関係する話題か?

 トーラは頷きながら、否定する。


「うん。そうだけど、それだけじゃないんだ。僕は半年前のデータを洗ってみたけど……たぶん、コレだ」

「これは……」


 トーラが差し出した一枚の紙。そこにはその件に関する情報が時系列を追う順で記されている。


「一回持ち上がった話。そこからどうなったのか、まだ情報は裏にも表にも出ていない。タロックの刹那姫。……リーちゃんの異母姉さんだね。彼女にセネトレア王ディスクが求婚したっていう話」

「大したニュースではないと聞き流していたな……確か私は」


 異母姉にどこどこの誰それが求婚、なんて情報は探せば四桁五桁は見つかる。それくらい多くの王侯貴族から申し出が彼女には届く。


 リフルは姉を実際顔を見たことはない。処刑されるまではほとんど幽閉されていたようなもので、それからはずっとセネトレアで奴隷をやっていた。

 タロックのような閉じた国の姫と、セネトレアのその辺でばったり出会すなんていうことはまずあり得ない。


「いくら絶世の美女と名高い姫とはいえ……悪い噂ばかりだろう?よく嫁に貰おうなどと血迷ったことを考えられるな」

「あの好色大魔王な正直血が繋がってるとか思いたくもない腐れ豚野郎(おとうさま)のことだからねぇ。何歳年下に手ぇ出すつもりだってのさ。まぁ……血の薄さからのコンプレックス刺激されたんだろうね真純血のお姫様に」


 互いの身内のことで頭が痛い。

 引っかける方引っかかる方、どちらを貶しても半分自分に返ってくる。


「でもこれは商人組合、セネトレア議会でも揉めにも揉めたんだと思う。この時期に連中の小競り合いと言う名の仲間割れが相次いだから」


「刹那姫はさ、一筋縄ではいかない相手でしょ?婚約にどんな無理難題ふっかけてくるかわからない。彼女は君の邪眼ほどじゃないけれど、危ない人だからねぇ」


 彼女の周りの情報は、いつも血なまぐさいモノばかり。

 見てくれだけは可愛らしい子供時代から、加虐趣味に残酷趣味に目覚めたようで……求婚者が与えた条件をクリアしなければ様々な拷問、処刑方法で彼らを土に返したとか。


「……何でもまず普通の男で彼女に惚れない奴はいないってくらいだから。流石に君みたいに同性まで攻略可能ってもんじゃないらしいけど」

「私だって好きで攻略しているわけではない。邪眼のせいだ」

「まぁ、とにかくだよ。女を道具として見、金を伴侶として生きてる価値観歪んだ商人だけが、彼女のやばさに気がついた。要するに女じゃなくて金に欲情するような変態野郎だけが正常だったんだ。まったく……どっちが正常なんだか」


 もしセネトレア王への条件も、そんな血なまぐさいモノだったのなら……

 一応は友好関係にあるとされるタロック人国家に亀裂が入ることは間違いない。


「タロックはカーネフェルの代わりにセネトレアとでも戦争を始めるつもりなのか?」

「残念ながらその方が世の中は平和になりそうだね、としか言えないんだけどさ。そうも行かないんだよね」


 戦争となれば、主として戦うのは……民と奴隷だ。

 殺されるべき人間ではない者達ばかりが傷ついていく。避けられるものなら、そんなことは避けたい。


「シャトランジアは中立だから絶対に介入しないし、精々民間人の救助活動くらいでしょ?でもタロック領には入れないからセネトレアでの活動しか行えない。カーネフェルはどちらも助ける義理がないし、第一そんな資金もない。……となると、傍観ってことになるよね」


 シャトランジアが戦争に参加したのは過去に一度だけ。初代タロック王がシャトランジアにまで攻め込んだときの防衛戦でのみ。

 世界中から恐れられた男をあっさり打ち破ったシャトランジアの教会兵器。それ以来シャトランジアに手を出すような愚か者は歴史に存在しない。どんな狂王も、それは流石にやばいと本能的に察知する程度には、まだ頭が動いていたのだ。

 シャトランジアの平和は、その教会兵器への恐れから保たれている。

 平和と正義を語るその癖、仲の良いカーネフェル人国家であるカーネフェルが苦境に立たされても手助けを行わない非常さを併せ持つ。


「しかし……セネトレアとタロック。どちらが勝ってもろくなことにはならない」


 現時点で世界の中心はセネトレアだ。腰の低い振りをしながらセネトレアの悪意が世界に及んでいるのは確かな事実。もしタロックがセネトレアの有する富を手にしたら、世界の実権を手に入れたに等しい。そんなことになれば……


(父様……)


「タロックが勝てば、狂王の無差別虐殺の行動範囲が増える。シャトランジアが重たい腰をあげるまで、どれ程の人が殺されるか……」


 カーネフェルとの戦も、今度こそ決着を迎えるはず。タロックの完全勝利という名のピリオドで。


「セネトレアが勝てば……セネトレアは広大な土地を手に入れる。ついでに凄い数の兵力も。こうなると……奴隷貿易はもっと酷いことになるよね」


 タロックの大地は狩り尽くされる。値段の付くモノ全てが奪い取られる。

 そうなれば、民が飢えで泣くどころではない。生かさず殺さず、なんてものでもない。そこには地獄が広がるだけだ。


「ろくでもないな」

「ろくでもないね」


 どちらともなく漏れる溜息。その重さに打ちのめされる。


「相打ちしてくれるのが一番……って言いたい所なんだけど戦争ってのはねぇ、王様同士の一騎打ちでもしてくれればいいのに」

「死ぬのも苦しむも結局は民だ。だから王なんてもの……」


(だから、いらないんだ)


 自分が玉座を求めないのは、それこそ真なる悪だと捉えているから。

 王とは民を守る者。それが民を苦しめ、殺すだなんて……絶対にあってはならない。そんな者が王だというのなら、そんなものはやはり必要ないのだ。


 再びこぼれ落ちる溜息。リフルの重たい沈黙に、戸惑いがちにトーラが新たな情報をもたらした。


「この問題はさ、冗談とか一時の気の迷いでお流れになってくれれば良かったんだけど……要らない続報。僕らがアルタニアに行ってる間に僕の部下がキャッチしたんだ。……刹那姫が、先日、その婚約を受け入れたらしいんだ。婚約条件の発表と共に」


 その言葉は、まさに悪夢の始まりだった。


「タロックに婿入りするのなら、セネトレアはタロック領。セネトレアに嫁入りするのなら、自分に第一位の王位継承権を譲れ。ついでに王だけ後宮あるのが狡いから、自分にも作らせろ……とかまぁ、こんな感じ?」

「それはなかなか……追いはぎのような条件だな。酔狂だ。正気とは思えないが」


 それは結婚という名の侵略だ。如何に愚かな男でも、そろそろ正気に返ってもいいはず……。しかし正気に戻っても、時既に遅し。タロックが付けいる隙は与えてしまった。


「最後のはおまけだろうけど。婚約破棄は更に問題ふっかけるための布石。婚約承諾は……脅迫だよ。祝宴の日までにその条件を議会に認めさせなければタロックを敵に回すぞって言う。これには議会も大荒れでさ。だけど、所詮は商人達でしょ?みんな計算を始めたわけだよ」


 トーラは情報収集のため、議会に何人か手下を潜り込ませている。金さえあれば椅子は買えるから難しいことではない。それから空気を読んでいれば怪しまれることもない。


「女が王位を継ぐっていうのは、セネトレアじゃ異例。前例がないんだ。後宮があったからね、まず男が生まれないなんてことはなかった。金さえあればなんて言っても後宮があるあたりからして結局は男尊女卑の伝統はあったし」


 そんな金さえあれば、何でも買えるというセネトレアだって、買えないものはやはりある。

 王位は商人議会の承認無しには継承できない。

 普通の議会に回ってくるのは、当たり障りのない議論。しかし商人議会に入れるのは、セネトレア建国以来、歴代王を排出した家だけだ。その者達がセネトレアの方針を決めている。

 今の王の血族も、その商人議会に否決されれば玉座は継げない。王だって議会の反対を受ければ失脚し、新たな王が議会から算出される。

 いや……もし仮に溢れ得る私腹をてにした商人議員全員を賛成に回せるだけの金を用意し配るなら、はやり金で買えるというのかもしれないが。

 それで買えたとしても、結局はお飾りの王。議会の傀儡。

 王に許された特権は後宮に好きな女を幾らでも入れることが出来るくらいか。もっとも、今回はその特権が引き起こした問題なのだけれど……


「つまり議会の派閥争いさ。女に政治手腕なんかないと頭ごなしに決めつけた上で」

「如何にタロックとの友好関係を維持したまま、自分にとって有益な方向へ持っていくか……そういうことか?」

「うん。このまま王を失脚させれば女王制になる。それを支持すれば、面倒な敵勢力……今の商人議会そのものを潰しての新しい政治体制に持って行ける。一種の変革さ」


「逆に変化を嫌い、今約束されている利益の確保……つまりは議会を重んじる保守派は、議会の命令通り動く王に玉座に就いていて欲しいんだ。そうなると、何が何でもこの婚約を破棄させたい。どんな手を使ってでも」


 どんな手を使ってでも。そう言うトーラは真っ直ぐに、リフルの方を向く。


「洛叉さんは、リーちゃんが……タロックの第二王子の那由多だって知ってたでしょ?」

「……ああ」

「つまり商人組合、あるいは議会の誰かは那由多王子が生きていることを知っている。僕の持つ、裏情報レベルの情報を握っているわけだ」


 彼女が言わんとしていることは、彼の情報漏洩。


「処刑するくらいだ。タロックに対しリーちゃんに人質の価値はないとしても、リーちゃんがタロックに攻め込む……大義名分くらいにはなる」

「私に表立ってタロックを平定させろと?」

「或いは、話し合いの席でも設けてさ。感動の再会でもする振りをして……毒殺させようってことなんじゃないかな」


 お姉様、お父様、お会いしたかったです。

 はらはらと涙ながらに微笑めば、それは確かに邪眼にかけられる。

 そうとなれば、確かに殺せないことはないだろう。


「保守派が、笑わせる……保守どころか気楽にタロックを攻め落とすつもりじゃないか」

「国内国外、その両方で食うか食われるかって心理戦?その鍵が……たぶんリーちゃんなんだ」

「生かしたまま、私を捕らえたいとはそういことか。洛叉も面倒な連中に話してくれたものだな」


 その連中は刹那を恐れている。

 彼女の異常さを目にしたのかも知れない。


「毒を毒をもって制す……か」

「リーちゃん……君はどうしたい?敵の敵は味方……とは一概に言い切れないけど、上手くいけばタロック王と、刹那姫を歴史の表舞台から消すことは……難しくない」


 それはリフルが殺すべき相手。憎むべき相手。


「私は大丈夫だ、トーラ」


 リフルは穏やかにそう返す。

 確かに、憎しみは根強い感情だ。人を殺す度、恐れられる度、孤独を感じる時はいつでもそれが自分に語りかけてくる。

 自分に心をゆだね、身を任せてしまえばいい。何も考えなくて済む。憎しみのままに殺してあげるから。優しく甘く、そう囁く。

 それでもと、リフルは静かに首を振る。


「私はフォースに復讐を捨てろと言ったんだ。だから私は復讐では動かない」


 殺すべき相手は殺す。

 けれど、それは憎しみであってはならない。人は自分のために誰かを殺めてはならない。

 それを破れば、人は容易く狂気の淵へと沈むから。


「だから、今が均衡を崩すその時なのか。確かめなければならない」

「罠だよ?」


 手紙の場所へ乗り込む意思を固めると、すかさずトーラが指摘する。その表情は僅かに強張っていた。


「それでもトーラ、情報は必要なモノだ。これはお前が私に教えてくれたな」


 静かにそう継げれば、彼女は……もう否定の言葉は紡がない。しばしの沈黙の後、それを認めた上で言葉を紡ぐ。


「……一人で?」

「混血は連れて行きたくはない、今回は特に」


 リフルには危害を加えないとしても、そこに混血を連れて行くことは危険過ぎる。

 彼らが混血に対しどのような感情を抱いているかによって異なるが、丸ごと、あるいはバラバラにして……彼らは値段を付けるだろう。


「フォース君は?」


 混血が乗り込めないと言うことは、トーラの空間移動が使えない。逃げる場所まで自力で逃げて、トーラの待機場所まで向かう必要がある。つまり自分自身は傍にはいられない。

 暗殺以来の時だってそれはいつものことだが、今回はそれより危険な場所だと彼女は重々承知。リフルの命が保証されている……それだって情報で推測したことだ。もし情報が間違っていたのならと、情報屋の彼女が情報を恐れ、脅えている。

 だから、一人は心許ない。それなら純血の彼ならば、連れて行けるのかとトーラが尋ねる。


「私はフォースに人殺しはさせたくない」


 フォースはリフルに、もっと他人に頼れと言ってはいたが、自分は頼ってばかりだと思う。

 トーラにも随分助けられているし、フォースにだって救われている。

 けれど、それが彼にとっての悪影響。トーラの言うよう、突き放し……距離を置くのが一番なのだ。


「彼は年頃の少年だ。もっと普通の子供として生きるべきだと思う。彼ならきっと、やり直せる」


 彼には可能性がある。毒など無い。邪眼も無い。

 生きる糧など他にいくらでも見つかるはずだ。自分に縛られることはない。

 リフルが一人で乗り込む意思を固めると、トーラが諦めたように大きな溜息。

「リーちゃんはこうと決めたら何を言っても聞かないんだから」……そんな諦めの声が聞こえた気がした。


「ああ、……その前に一人、会っておきたい奴がいた。今宵は出かけてきても良いか?」

「わかった。決行は明日だね。僕は出来る限りの情報収集を仲間に頼んで……それから明日に備えて数術代償前払いでクリアしておく」

「恩に着る」


 礼の言葉を口にすればトーラが溜息の後、吹っ切れたように微笑んだ。

 無事に帰ってくること前提に。


「お代はデート一回ね。表通りに新しく美味しいケーキ屋さんが出来たって情報入ってきたんだよ。リーちゃんの奢りでそこんとこよろしく」



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