7:Vivere disce, cogita mori.
「す、凄ぇ……」
夢でも見ているようだ。本当に。
「まぁ、いっちょこんなもんさ」
フォースの言葉にトーラが胸を張って踏ん反り返る。凄腕の数術使いと自負する彼女は一度行った場所なら絶対に間違わずに飛べる。例えそれが船では何日もかかる島間の移動であっても、瞬き一瞬で、だ。
ごしごしと目を擦ったそこは、懐かしの王都ベストバウアー。その西裏町。
トーラの治める情報請負組織があるのもこの場所だ。
裏町と言うだけはあって物騒事は多い。人通りは少なく生温い息づかいを感じさせる風が吹く、薄気味悪い場所ではあるが、なんだか酷く懐かしい。
「とりあえず、リーちゃん?行きたい場所があるんだけど、いいかな?」
「……確かめたいことなら私もあるが、乗り気はしないな」
トーラの提案に渋るリフル。それに食い下がるトーラ。
「邪眼は大丈夫。僕が保証する。それから……そこで話すよ。リーちゃんに話してなかったこと。それから謝りたいこと」
「尚更行きたくないな」
「リーちゃん……そんなこと言わないでさ」
「お前が謝らないというのなら、行っても良い。お前に謝られるようなことなど私には何もないから」
「で?結局どこ行くんですか?」
この人達なんだかんだ言っても仲良いよなぁ、と思う。
若干呆れながら目的地を聞いてみる。別に放って置かれて暇だとかそういうわけでは断じてないけれど。
溜息ながらの質問に、トーラから返された言葉は、あっけらかんと平然に……問題発言。
「え?影の遊技者(シャドウ=メーカー)。ディジットさんのお店だよ」
「はぁあああああああああああああああああああ!?だってリフルさん!!今の今までずっと避けてたんじゃないんですか!?邪眼危ないんじゃないんですか!?」
(この人は一体何を言っているんだ!?そりゃあリフルさんが渋るのも当たり前だよ)
叫ぶだけ叫んだ後は、唖然としてしまって、語る言葉を失ってしまう。
「それが大丈夫なんだよ。いろいろあって、今あそこにはディジットさんしかいないから」
「なるほど……、行くしかないようだな」
店主の彼女しかいないという言葉に、突然方向転換を始めたリフル。またしてもわけがわからない。
「え?でも大丈夫なんですか?」
「リーちゃんの邪眼はね、例外が三つあってね、一つは子供、一つは混血。それからもう一つ……本気の恋愛感情で好きな相手が居る人には効き目が弱いんだ。だからディジットさんは大丈夫なの。優しくしてくれる程度の好意は引き出せるけどね、危険なことにはならないよ」
そんな例外あったのかというような抜け穴。
だからトーラや自分が傍にいても文句は言わないのか。しかし最後の一つは予想だにしなかった答えだ。
「それなら結構大丈夫だったんじゃ……」
「そうだね。アルムちゃんとエルム君は子供だし混血だし効き目は純血より弱いし、ロイル君とリィナさんはあれでもラブラブみたなもんだし、洛叉さんも何だかんだであれだし、ディジットさんは言わずもがなだし」
あからさまに一人だけ抜けた名前。思わずツッコミを入れるしかない。
「あれ、アスカ……は?」
「ああ、アスカ君は馬鹿だから仕方ないよ」
「仕方ないって……あいつディジットさんが好きだとかなんとか言ってたような」
隙さえあればいつでも口説いて、その度に相手にされていなかったような気はするが。
それを告げれば目の前の混血二人が失笑する。
「仕方ないよ、彼馬鹿だから」
「本気じゃないんじゃないのか?大事にしているのは確かだろうが、友情を愛情と履き違えているのかもしれないな」
「ああ、こっちの彼も馬鹿だった。リーちゃんもねぇ……ほんとあれは争えないって良く言ったもんだよ」
「?」
「ああ、なんとなく解ったかも」
あの男はなんだかんだ……言わなくてもリフル大好き人間だった。
彼が行方知れずになったばかりの頃なんか酷かった。目も当てられないような荒れ具合だった。
「アルコンだなぁ……」
「まぁ、アルコンだねぇ」
「なんだそのアル中のような単語は」
今度はリフル一人だけ失笑の輪から外れ、首を傾げ此方を見ている。
「主コンプレックスの略です」
「…………ああ、なるほどな」
フォースが説明すると、その意味を知り彼も失笑。
「アスカは馬鹿だからな、本当に。今時騎士道精神なんか流行らんというのに」
「大丈夫だよ彼。普通に騎士道精神から逸脱してるし。女子供にまず優しくないもん。ツッコミで容赦なく女子供な僕に本気の一撃鉄拳食らわせたりするし」
「そうか?何だかんだ言って面倒見は良くないか?」
「レディファーストの精神もないもんね、彼。主ファーストはあるかもしれないけど」
「く…っくくく、何だそれは」
「ああ、リフルさんの笑いのツボってアスカなんだ」
「大抵彼をからかうとドツボに嵌るね」
「まぁ、そんなアスカ君もしばらくあそこを空けてるみたいだから、気にすること無いから、行くとしようよ」
一番彼に会いたがってるだろうアスカがいないから安心していいというのも、なんだかとても皮肉な話だ。
部屋を空けているのだって、この目の前の人を探すためにどこかへ行ってしまっているからなんだろうなと、フォースにだってわかるのに。
裏町をしばらく歩き、時計塔の裏へ出る。そこに彼女の店はある。
幼なじみ捜しの依頼をアスカ達にしたときも、しばらくここに世話になったのだった。
過去を思い返して……ぐぅと空腹を告げる腹が鳴るのは、何とも現金な胃袋だ。それが聞こえたらしいリフルが苦笑する。
「確かに……懐かしいな。彼女の料理は」
釣られて自分も苦笑する内に、トーラはさっさと扉を潜ってしまっていた。
「こんにちはー!ディジットさん!特製朝食とランチ三人分お願い!」
「いらっしゃいませ…………あら、トーラじゃない!久しぶりね!最近全然来ないからどうしたのかと思ってたわよ」
「ごめんごめんディジットさん。でもさ、僕ってば有名人だけに忙しいからね仕事とか」
「それもそうね。でも本当久しぶり、何か飲む?食事は食べてきた?って来てないからその注文か」
店の中から聞こえる女二人の明るい声。
それに踏み込むのを少し躊躇う自分。ちらとリフルの方を見れば彼も似たような考えだったようで、さりげなく道をフォースへ譲り自分の後ろへ逃げている。
(ちょっ……!リフルさん!ここまで来ておいて覚悟決めて下さいよ!)
(喜べフォース、年下ファーストだ)
(いやいやリフルさんこそ!恩人ファーストで!)
(私のことは気にするな、本当にいいから!さぁ!)
(いうやいやいやいや!そんな恐れ多いよってことでリフルさんからどうぞ!)
背中の取り合いで店の入り口の前でくるくる行ったり来たりしている自分たちはあからさまな不審者だ。実際二人とも指名手配されている犯罪者であるあたりが笑えない。
「うあっ!」
「っ……!」
ついつい背中を押すのに力を入れすぎて、リフル共々転げ込む形で店の中へと飛び込んだ。
顔面から床に転んだリフルは本当に、本人が言うよう運動神経が皆無だ。受け身すら取れないのかこの人は。
助け起こすと少々不満げな表情で此方をリフルが睨んでいた。鼻の頭をすりむいたのか少々赤くなっている。
思わず反射的に謝ると、痛覚は麻痺しているから問題ないとか素っ気ない反応を返された。そこそこ根に持っているようだ。それきり顔を背けた恩人。
「ほんと、ごめんってばリフルさん!」
「別に気にしていない。気にするな」
「気になるって!」
フォースがひたすら謝り倒していると、扉の辺りが騒がしいことに気付いたディジットが此方を見た。
「あ、ごめんなさいね。珍しいわねトーラが誰か一緒に連れてくるなんて………ん?リフル?」
たった今フォースが口にした単語。その名前。
それを何度か頭の中で反芻し、じっとトーラの連れを見やる彼女。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
金色のカーネフェルの髪の少女は、青い瞳を大きく見開いて……大声で叫んだ後、頭をぶんぶんと振り……それでもまだ見えていることを確かめる。
それから駆けてきたディジットはリフルの肩に手を置いて、その顔をまじまじとのぞき込んだ後……思い切り彼の頬に平手を食らわせた。いい音だ。痛そうだ。
一瞬「あれ、俺はスルー?」とか思ったのが間違いだった。スルー最高。
「何やってたの馬鹿!!あんた今までどこ行ってたの!?」
平手と同じくらい威勢の良いの彼女の声。
「みんな、すっごく心配してたんだから!」
「……うん」
「あんたが居なくなってから……何だかおかしくなことになっちゃうし、私……もうどうしたらいいのかわからなくて。みんな、いなくなっちゃった。……それでもいつか戻ってくるって思って、……それでも」
さっきまでの明るさは空元気。
変化を生じさせた全てのきっかけであるリフルが戻ってきたことで、その空の虚勢が破裂したのだ。
ぶつけてしまった憤り。それを向けるべき相手が違ったとすぐに気付けたのは、彼女の美徳かもしれない。
間違ったことを認めることには勇気が要る。それを死ぬまで認められない人間だって、いくらでもいる。
「……ごめんなさい、痛かったでしょ?」
そっと平手を食らわせた頬に手を添えて、歪んだ顔で彼女が微笑む。涙を堪えたせいで、それが目から落ちてしまったのだから、彼女の我慢は無駄になってしまった。
それでも彼女は必死に笑う。
「殴って、一発。それでお相子」
そっと目を閉じて衝撃に身構えるディジットに、どうしたものかと小首を傾げた後……リフルがしたことは……
「ディジット、ありがとう」
そう微笑みながら彼女の頭に手を添えることだけ。
「え?ちょっと?」
「僕の好きなリーちゃんは、こんな女の子みたいな顔でもそこらの男より全然男前だから、女の子になんか手はあげないよディジットさん。よ、女殺しー!」
礼を言われる意味がわからないと青い瞳をぱちぱちさせるディジットに、トーラが「リーちゃんのことなら僕にまかせろ」と言わんばかりに説明。
「リーちゃんは毒体質だからねぇ。手を挙げられることなんかあんまりないから、そういうの嫌いじゃないんだよね」
「トーラ……人を変態みたいに言わないでくれないか?」
「あははは、ごめんごめん」
「………っ、はははははははは!何それ、何なのそれ?」
三人の様子を離れた場所から見ていたフォースには、毒を恐れないその行動が嬉しかったんだろうなとなんとなくわかったけれど、トーラが茶化して言うものだから、ディジットにちゃんと伝わったかは解らない。
それでも結果としてそれは良い方向へ彼女を運んだ。
「何か私がごちゃごちゃ悩んでたのが馬鹿らしくなってきたわ。……ちょっと待ってなさい。久々に腕によりをかけるから」
今度こそ本当に笑いながら、彼女はエプロンを締め直し、厨房へと向かう。
完全にフォースのことを忘れたままで。
「ディジット酷い……」
注文された料理が三人前と聞いたのを、少し疑問に思ったらしいが、彼女はそれを運んでくるまで完全にそれに気付かなかったらしい。
ふて腐れたまま料理をやけ食いする自分の背中を手加減なしにばしばし叩きながら、
ディジットが苦笑する。
「あはは、ごめんごめん。だってあんたそんなひょろひょろ背が伸びるから。モヤシみたいに。やっぱ子供の成長は早いわね。このデザートあげるから許しなさい」
不満を垂れ流していると、新たに運んできたらしい甘味を此方に寄越す。
「俺はこんなんで誤魔化され………」
季節の果物を使った自家製ゼリー。それに乗った生クリームは雪のように真っ白。そこに添えられたハーブの葉が
スプーンに乗る一口サイズは柔らかく、それでいて確かな弾力があり、口に運ぶと。
「…………………………………………………………………………………これ、お代わりある?」
それ以外の言葉なんかもう出てこない。口から漏れる溜息は、何だろう、これ。感嘆の息だろうか?
「また今度ね。昨日作ったあまりなのよ」
ディジットの返答がもたらすは絶望。
このまま一口で全部丸呑みしたいくらいなのに、もったいなさ過ぎて食べたくないような気もするけどやっぱり食べたいから口に運んでしまうこのなんとも言い難いジレンマを引き起こす魔性の味だ。食感と言い甘みと言い、文句なし。
夏場の果物ならもっと酸っぱくてもいいんだろうけど、冬の果物の甘みを上手く利用している。甘ければ甘いほど良いとは言わないけれど、この一品に限ってはそれを認めよう。
半ば夢見心地のようなトリップ状態に陥ったフォースを見て、リフルとトーラが何やら笑っているようだ。
「誤魔化されたな」
「誤魔化されてるね」
「な、何でこんな時だけ息合うんだよ!?リフルさんもトーラも!」
「伊達に一年半も相棒やってませんから。ね?リーちゃん?」
「まぁ、そういうことになるな」
いつもはトーラの軽口をスルーしているのに、こういう時だけ口を合わせるなんて。なんか裏切られたような気分だ。
触れ腐れた気分で、ゼリーを口に運ぶ。美味すぎて……なんかもうすべてがどうでも良くなってきた。
そんなフォースの隣に腰を下ろしたディジットが、苦笑ながらに溜息。
「まさかねぇ。してやってくれたわねトーラ。リフルが見つからないなんて大嘘ぶっこいてくれるとは」
「あは☆薔薇に刺があるように、僕みたいな美少女には嘘が似合うのさ」
「はいはい……、なんか怒るのも馬鹿らしいわ。それも計算なんだったらあんたは天才ね」
「でしょ?」
トーラの言葉遊びに付き合わされて、食ってかかる気もなくなったディジットはもう一度溜息。負けを認められるあたり彼女は大人だ。年齢だけならトーラの方が年上らしいが。
しかし、このままトーラのペースに合わせていてはいつまで経っても本題に入らないのでは。そんな心配が芽生えたのは、フォースだけではなかったよう。
「それで?トーラ……私をここに連れてきたことは、私があの人に会ったことと関係しているのか?」
あの人。それが誰かフォースは知っている。
第三島から第一島に飛ぶ前に宿で、粗方リフルがトーラにも話はした。それでもその名を出さないのは、ディジットに対する配慮だろう。
「うん」
それをディジットに教えるべきか、トーラは考え込むように……話題を彼女の方へと振った。彼女がどの程度の情報を持っているのか引き出す意味でもあるのだろう。
「ディジットさん。リーちゃんが……そうだな、フォース君が亡命した後あたりからの話を聞けるかい?」
「ええ」
「まず……その前からだけどアスカはあんまりここには帰ってこなくなったわね。どこで何やってるんだか。たまーに戻って来るけど、遠出というか長期間戻ってこないことが増えたわ」
話しやすい話題から、話し始めた。そんな感じだ。或いは前置きだったのかも知れない。
僅かの間をおいて、躊躇うように彼女は続ける。
「…………それで丁度一年前あたりに……先生がいなくなったのよ」
先生、それはあの黒髪の闇医者を指す言葉。
アルタニアに彼がやって来たのは、カルノッフェルと同時期か。
それまでアルタニアで彼に出会したことはない。
「もともと国から追われてる人だから、同じ場所にいるのは危ないでしょ?どこかへ移動したんだとは思ったの。今まで何年もここにいて、一言も無いのはちょっと酷いと思うし心配だったけど」
彼はディジットの懐のでかさと厚意と好意で、匿って貰っていたようなものだったのだろう。確かにそれでその仕打ちは酷いかもしれない。
そこで一端息を吐き、ディジットは言いにくそうに言葉を続けていく。
「それだけなら私も、……まぁ、ここまで気にはならなかったんだと思う。でも、その時居なくなったのは……先生だけじゃないのよ」
「…………ディジットはさっき、“みんな”いなくなったと言っていたな」
その言葉に、リフルが念を押す。
店の手伝いをしていたあの騒がしい混血の姉と、溜息ばかりの弟も……今はこの店には居ない。
そこに触れてよいものか解らず、自分は聞かないようにしていたのだが……話の核心へと降りるため、やはり避けては通れないらしい。
「リーちゃん、僕が君に黙っていたことはね……この手紙だよ」
トーラがリフルの方へと差し出したのは、一通の便せん。
「…………これは」
「僕の組織では掲示板をやってるでしょ?そこに依頼人が大まかな依頼と報酬、それかを書いて。そこにはまぁ、物騒な板もある。暗殺、仇討ち掲示板とか」
情報請負組織としての情報収集、無料公開システム……入館許可された者が閲覧可能な情報。それが掲示板。
以前幼なじみを捜すため、足を運んだ情報屋では、ずらりと壁や板に張られた情報。
仕事を探す者はそこからそれを剥がして持って行くが……その掲載内容と同じ物を受付に渡すことが掲載条件なのだとトーラが教える。
「僕がリーちゃんに回す一般の分の依頼はね、そこから裏付けを取れたものだけ。Suitが標的をそこから時々選ぶってしつこく調べた奴なら気付いた人もいるんだろう。悪戯とか悪ふざけも多いし、それを使って君を誘き寄せようとする罠もある。桁違いの賞金を賭けられた君は一攫千金を手にするにはいい獲物なんだ」
「まぁ、そんなわけでうちの組織に掲示許可を求めた依頼の中に……おかしなモノがあったんだよ。それが今から半年くらい前……。それがディジットさんからの依頼なら解るよ。だけど、調べた結果、それはディジットさんじゃなかった。だってディジットさんは、アルムちゃん達が何処にいるのかわからないんだから」
トーラからもたらされる、隠されていた情報。リフルはそれを聞き逃さぬよう、一字一句……神経を尖らせながら聞いている。そのせいで、空気が緊迫したような感じになってきている。その中にいると、話の半分程度しか理解できていない、今日まで部外者だった自分も緊張感に捕らわれる。
「その依頼は誘拐された双子を取り戻して欲しいというもの。同封されていたのは……二人の写真。そしておかしなことは、これからだ」
その言葉に、リフルが同封物を机に広げる。
それをのぞき込んだディジットが、小さく「あっ」と呟いた。
「まず調べても依頼人の名前通りの人物のデータは上がらなかった。完璧な偽名だね。そしてその依頼人は、二人が何処の誰に捕まったのかをそこに記していた」
ここまで来れば流石に話の流れも見えてくる。
「それって……」
「罠だな」
可能性を口にしようとしたら、リフルによって断定される。
怒っているわけではないようだが、どこか冷たい声だった。やっぱり怒って……いや、苛立っているのかも。
他人を巻き込んだその依頼人……そして巻き込ませてしまった自分自身に。
「僕がリーちゃんに今まで話さなかったのは、だからだよ」
「確かに。それを知れば私は乗り込みに行っただろう。それが罠でも」
写真の二人をじっと見つめたまま、二人の会話を聞いていたディジットも、我慢の限界が来たのだろう。
勢いよく椅子から立ち上がり、トーラの方を睨み付ける。
「何よ、それ……。それじゃあトーラ!あんたはあの子達が何処にいるか!危ない目に遭ってるかも知れないのに!わかってたのに見過ごしたっていうの!?」
「ディジットさん、気持ち解るけど、僕は請負組織の頭なんだよ」
それに対するトーラの返答は、酷く落ち着いたものだった。
子供のような外見で、普段はふざけているけれど、言葉の重みは彼女の方が大分重たい。年上だから?
(違う……)
「僕は身内を守るためのお頭だ。顔見知りの子とは言え、たかだか一人や二人のために可愛い部下やリーちゃんを危険にさらすわけにはいかない」
背負っているものの違いだ。
トーラは一人の人間である以前に、請負組織の長なんだ。
リフルと手を組み、混血保護、奴隷解放に努めてはいるが……部下を動かすのはそのためだ。簡単な引き算。
目的のためには、その可愛い部下を捨て駒にするかも知れない。
けれど目的から外れたことで、彼らを消費することは絶対にしてはならない。
いくら双子が顔見知りでも、ディジットにとって大切な相手でも。それはたかだか数にすれば2。
他にはもっと大勢、今すぐに助けを必要としている者がいる。その数が多いところから、近い場所から……そんな風に優先順位を決めて行動しなければ、何にもならない。
トーラはきっぱりとそう言った。
数字に思い入れはしてはならない。頭が迷ってはいけないのだ。頭が正しき計算をし、それを手足に伝えなければ、組織というものは成り立たないから。
その言葉の重さに打ちのめされたディジットは、言葉を失い床へと座り込む。助け起こそうかと思ったが、リフルが小さく首を振る。そっとしておけということらしい。
(確かに……)
今何を言ってもそれは慰めだ。
慰めの言葉はタイミングが重要な、難しい言葉。それがかえって人を傷付けてしまうことだってある。彼女の横顔に、そんな思いが芽生えた。
かといって沈黙は優しさではない。
トーラは情報屋。聞くも耳を塞ぐもディジットの自由。彼女は言葉を紡ぐだけ。
「リーちゃんが殺人鬼Suitだって気付く人って、リーちゃんの外見を知る人か、もしくは……その毒を知る人じゃないと無理でしょ?基本的に」
それは悪意ではなく、手がかり。それに俯いたディジットは気付けないのか、気付きたくないのかはわからない。
「二人を囮にしたってことは、顔見知り連中の誰かが情報を流してるってこと。邪眼様々って言っちゃ酷いけど、僕はリーちゃんが彼らから距離を置いたのは結果として良かったと思った。そしてアルタニアでの一件で情報は集まった」
「だけどあの依頼もおかしなモノだった。嫌な感じがした。だけど確かに依頼人の指す標的は脅威だったから、一度は見に行く必要はあった。だから一応はリーちゃんに依頼の話をしたんだ。そこで今度はフォース君を餌にして、リーちゃんを向こうは釣りに来た」
海老で鯛を釣るみたいなことか。
そう思ったけど口にしたら空気を読まないにも程があるので、フォースは黙った。
フォースが降らないことを考えている内に、トーラは核心へと更にもう一歩踏み出そうとする。
「でもこの不可解な依頼が、東側……商人組合からだとしたら、ちょっとおかしな事になるよね」
「……おかしな事?」
別におかしくも何ともないはず。
商人組合はリフルを目の敵にしている。商人達は金のためならプライドを捨てることもあるが、それは一時的なこと。
金儲けの手腕がある自分を誰よりも頭が良いと誇って傲っていて、財力こそそれを証明するための物差し。そう信じているのにそれを踏みにじられていて黙っているはずがない。
殺された仲間をその程度だと見下すことはあるだろうが、自分なら絶対に打ち負かせると過信している。
そんな天狗のような高慢連中の本拠地で騒ぎを起こし、顔に泥を塗ったのだ。
それを天に唾吐く行為だと怒り狂っているのは目に見える。
そりゃあ簡単には殺さないだろう。
気が収まるまで散々いたぶって、そこからやっと処刑にかける。
適当な身代わりを処刑して鼻を明かすでは意味がない。
本物を大勢の人間の目の前で殺めることで、二度と自分たちに楯突く者が生まれないよう、奴隷が希望など持たないよう、絶望のどん底に叩き落とす必要がある。
だから生かして捕らえたい。
そういうことではないのかと疑問を口にすれば、トーラは左右に首を振る。
「リーちゃんを捕らえて殺したいだけならこんな回りくどいことするかな?基本的に賞金首は生死問わず、でしょ?公開処刑にしたいならわからなくもないけどさ、凶悪犯ってことになってるんだから生かしたまま捕らえるのは難しいと、普通は考えると思わない?」
言われてみればそうだ。
リフルは体力と筋力は無いけれど、邪眼と毒と悪運の持ち主だ。
そう簡単には死なないし、数で襲ってきても魅了することで同士討ちにすることも出来る。何かの奇跡で一撃食らわせたとしても、返り血で相手を毒殺することが出来る。
本人が望まない限り、捕らえることも出来ない凶悪犯だ。
相手側が双子を人質に取ったり、自分の身柄を押さえたのも、……そうすればリフルが無抵抗で捕まると確信していたから。
そして、その情報を相手側にもたらしたのは……あの闇医者なのだろう。
(洛叉さん……)
確かに少々怪しい人だった。危ない意味で混血や子供好きで、あの双子や自分にも生暖かい眼差しを向けていたような気がしないでもない。
それでもリフルの怪我の手当をしてくれたし、似合いそうだからという理由で服まで貢いでいたようだ。あれはアスカ宛てに請求書を送ったらしいが。ああ、その程度には性悪だったのは否めない。
しかし旅立つ自分にも、餞別だと簡単な医療キットや患者から貰ったとかいうお菓子や果物を持たせてくれたり、悪い人だとは感じなかったが……
あの時は思わず剣を向けて斬りかかったが、世話になったディジットがここまで落ち込む一因の一つかと思うと少々やるせない。
「……私に、なにかさせたいことがある……そういうことか?」
「……僕も、その線が強いと思う」
相手側の狙いの推測。その仮定をそれでまとめたらしい二人は、そこで会話を打ち切った。
リフルは椅子から立ち上がり、ディジットの前で膝を着く。
「ディジット。一つ聞いても良いか?」
沈んだ彼女をじっと見据えて、あの時自分にしてくれたよう……選び取れとそう言った。
「ディジットは、アルムとエルム……それから洛叉。どちらが大事だ?」
「そ、そんなの……」
姉弟や、子供のように思っていた相手と、思い人。
突き詰めるなら極論だ。さながら家族か恋人か、それを尋ねられたような……
「もし先生が大事なら、ディジットはここで彼が戻ってくるのを待っていてくれ。……双子の方が大事なら、……俺が二人を取り戻す。それを信じて待っていてくれ」
一見同じ言葉。待つという選択肢しか与えないように見えて、その実は違う。
どちらを選んでも、きっと結果は同じことになるのだろう。
彼は、これから手紙の指した依頼場所へと向かうつもりだ。そして奴隷貿易に携わり道を阻むのならば……洛叉を殺すつもりだ。
例え憎まれても自分は彼を斬るし、双子を取り戻してくれと頼まれても彼を斬る。
そのどちらかの覚悟を決めてくれ。これは、そういう選択肢。
はっきりとは言っていない。それでもディジットもその疑いは持っているだろう。
けれど、信じたくはないはずだ。
だから彼を選ぶというのなら、彼はこの件に全く関係のだと信じ切り、どんな結果になっても彼を信じ続けるべき。
「私は……私は……」
「私に、出来る限りのことはする」
別に今すぐに選ばなくてもいい。時間だけは、たっぷりと彼女の前にあるのだ。
そんな風に暗に告げて、彼は店の扉を潜る。テーブルに大目に置かれた金貨が彼女を哀れむようで、どこか惨めに見えた気がして。
「ディジット……俺も、頑張るよ」
誓うように、そう言い残して……フォースはリフルの背中を追った。
*
二人は民家にずかずか入り込み、床を外してそこに隠された隠し通路へ。
そこから通った地下通路を使って上がって出た場所が、情報請負組織TORAの一室。
そこから更に部屋を変えて、また通るは地下通路。ここまで来るともう感心するしかない。なんかもう、モグラにでもなった気分だ。
地下通路はそれなりに暗くはあったが、トーラが数術で生み出した灯りがふよふよと宙に浮き、自分たちの何歩か手前を進んで前方、足下を照らしてくれている。まず転ぶ心配は無い。
……と思ったところで隣を歩いていたリフルが躓く。本当にこの人は、日常ではとてつもなく運が悪い。
起き上がった彼が気まずそうだったから、フォースは話題を口にする。
これから向かう場所が拠点だとは思っていたが……それがどこかはまだ知らされていなかったことをなんとなく思い出したのだ。
「リフルさんって、何処に居るんですか?」
「拠点はいくつかあるな。西にちらほら、東にこっそり」
「だね。あんまり僕の所には居てくれないけど」
「TORAとSuitの繋がりがバレたら痛いだろう?東側の混血迫害者が問答無用で乗り込んでくる」
「まぁ、そうなんだよね……」
「そんなことより、だ。トーラ……ライトバウアーの件なんだが、受け入れを増やせないだろうか?」
「受け入れはまだ大丈夫だよ余裕で。だけど問題はどうやってあそこまで連れて行くか、だ」
「僕の組織に逃げ込んだ子なら、連れて行くのもわけないんだけど。一気に押し寄せて来られたらちょっと困るよね。東と西の均衡が一気に崩れる」
「……だろうな。しかし第三聖教会が使えないとなると、亡命という手段が使えないことになる」
「聖教会ね……焦臭いとは思ってたけど、データ上は亡命したってことになってるんだけど。シャトランジアでの情報収集が足らないな。部下の派遣を増やすことにする。もっと聖十字に潜り込ませるくらいしなきゃ駄目なのかな……でもなぁ、彼ら秘密主義だからなかなか難しくてね」
「……そうか。しかし保護するにもな……大勢だと運ぶのも難しい。逆に此方が船を買収でもしないぎり目的地まで運べないのか?」
「そうだね……転送数術でも、何十人とか、何百人とか居ると……無理ではないけど、正直しんどいよ。僕でも運が良くて二、三ヶ月……最悪半年か一年は寝たきりになる。部下にやらせたら、確実に脳死レベルだ。難しいね」
拠点の話から奴隷保護についての行く末を話し始めた二人。
二人ともフォースより身体なんか小さいのに、これでも二人とも年上だ。混血は見た目と実年齢が比例しないから見たままを信じるのは割と危険だ。
(世の中、わかんないなぁ……)
時代が時代なら、トーラはセネトレアのお城でお姫様やって踏ん反り返って暮らしていたかも知れないし、リフルはリフルでタロックで狂王の跡を継ぎあの広い大地を治めていたかも知れないのだ。
それがどうしたことか。
二人は生まれが混血だって理由でそんな未来を奪われて、片や父王の手で混血狩りに逢ったり、片や父王の手で毒殺されたり。
だけどそんな彼らは国を憂いて、それを変えるため……頭を悩ませている。地位も身分も無くしたっていうのに、必死に誰かを救うことだけ考えている。
「普通にさ……リフルさんがタロック、トーラがセネトレア継げば、奴隷貿易とかなんとかなったりしないのかな」
転がり出た声が、地下に反響し……とても大きく聞こえた。
それはその言葉に前を行く二人が押し黙ったからだろう。
「無理だな」
「ちょっと難しいよフォース君」
沈黙の後……リフルは冷笑、トーラは苦笑しながらフォースの言葉を否定する。
なぜだろう。納得いかない。
今の国王達よりよっぽど多くを知る人間が国を治めれば、きっと今という世の中はもっとよりよいものになるはずだ。
少なくとも奴隷貿易で、人種差別で泣く人間なんかいなくなる。二人はそれを嫌っているのだから。
「だって、そしたら絶対二人ともそんなの禁止する……よね?」
「法で縛ったところで人が変わらなければ世の中は変わらない」
アルタニア公アーヌルス。彼の法整備が失敗したのは、人が変わらなかったから。変えることを諦めたから。リフルが暗にそう告げる。
主への否定の言葉。それでもそれは侮辱ではない。そう感じたのは……彼の言葉のその強さから。
王族から奴隷へ。落ちるところまで堕ち、世の中はそういうものなのだと、悟った彼の言葉は重い。
「フォース、法というのは剣ではなく盾なんだ。守るために機能しない法は、人を裁くものになる。一時的に従わせることは出来ても、それは永遠ではない。恐怖はいずれ怒りに変わり、爆発してしまうもの」
カルノッフェルがいなくても、いずれアーヌルスは殺されていた。
民衆にか、リフルにか。
(それでも……)
あんな風に苦しめて殺すことはなかったはずだ。無関係の人間まで巻き込んで。
それが報いと言えるほど、フォースは主をどうでも良いとは思えない。
床に座り込んだディジットと同じだ。視野が狭い。“家族”は、やっぱり……大切なものだと思う。
でも、それで良いんだと思う。王でもない、普通の人間は。
多くの人を大切に思える人こそ、きっと支配者、王の器なんだろう。自分は逆さになったところでそうはなれない。
好きなものは好き。嫌いなものは嫌いなのだ。どんな言葉で飾っても。
支配者の言葉に身の程を受け入れながら俯くと、トーラがリフルの言葉を補足する。
それは彼女が悟った世界観。
「それにね、フォース君?世の中さぁ、禁止してもやる奴はやるんだよ。罰っしたところでやる奴はやるんだよ。濁った空気の世の中じゃ、誰も法を恐れない。必要なのは風なんだ。濁った空気を吹き飛ばす、環境変革の風がね」
「まぁ、つまりはね。僕らが王位についたところで、誰も僕らの命令を聞いたりしないんだ。今はそういう世の中だから」
どうして?そう聞き返す前に、思い出した。
リフルの片割れ殺しの紫眼と銀髪。トーラの金色に輝く虎目石の瞳。
その人ならざる異質の色は、彼らの血が敵国の人間同士が契った証。
「私達は混血だからな。混血が人間ではないというのが現代社会の思想である以上、それはどうしようもないことだ」
二人の王をぶっ殺して、はい終わり。世界は平和になりました。めでたしめでたし、とはいかないのだと混血達は言う。世の中というものはもっと複雑なものなのだと。
「だが以前……人は生きていれば、変わることが出来る……私にそう言った馬鹿がいてな」
ふっと目を伏せ……微笑しながらリフルが呟く。
遠く離れた親しい友人でも語るような、愛おしげな口ぶりだ。
「奴が言うにはどんな悪人も、いつかは悔い改め善人になることが出来るのだとそんな妄想を信じている馬鹿だ」
馬鹿呼ばわりしているが、その言葉の温度は暖かい。
リフルの言葉はしっかりと自分の考えを述べながら、確かな愛着を持ってその考えを尊重してもいるように感じられた。
「私はその言葉だけは未だに肯定出来ないし、そんなことは絶対にあり得ないと思う。けれど、未来は可能性だ。明日何が起きるかわからないのは確かなことだ。だから、人は人を殺してはいけない。その可能性の芽を摘む私は悪だ」
人殺しの彼が説くそれは、深みを感じさせる言葉。
彼の言葉は何時だって、正にも負にも……この心に響かせる。
フォース自身、多くの人を殺した。
脅えながら、恐れながら。それでも多くの人を殺した。
自らの未来のために多くの未来の芽を摘んだ。彼の理論なら、なるほど自分はどうしようもない悪だ。
今更のように置き忘れ、凍りかけた罪悪感が溶け出して……胸に金槌で思い切り焼けた鉄釘を打ち込むような痛みを生じる。
「それでも私は、そいつらが何時になるとも知れぬ改心の時を待ってはいられない。そいつは多くの可能性を潰しているのに、そいつのあるかも解らぬ可能性を見守ることなど出来ない」
「だから私は人を殺すんだ。一人の未来を摘むことで、例えば十人の未来を守れるのなら、そいつは殺すべき人間だ」
そこに感情は要らない。必要なのは正しき引き算、不等号。
「でも……フォース。殺すべき人間はいても、死んでいい人間はこの世界にはいないんだ」
矛盾するその言葉。けれどそれは言葉遊びではない。目の前の男は冗談を言っているようには見えない。
「どんな悪人だって必ず誰かに想われている。誰にも想われない人間などいない。本人がそれを望むか望まないか、受け止めるか拒絶するかは別だがな」
それは親かもしれないし兄弟かもしれないし恋人かもしれないし赤の他人かもしれない。
それでも誰かが心を痛め泣くのなら、その人間は死ぬべきではないのだ。
多くを殺した人殺しが、そう言った。
「それが、お前が私に教えてくれたことだ」
「誰かのために泣ける優しい心、お前のような人間が増えれば、王などいなくともこの世界は正しき姿になれるはず。私はそう思う。……だから、フォース。お前は死んではいけない人間だ。お前の王はお前だよ。世界はそうあるべきなんだ」
殺人鬼が起こしたその事件。それを怨むのでもなく憎むのでもなく、ましてや喜ぶのでもない。嘲笑っても、見下してもいけない。
この世界が無くしてしまったことは、正しい悲しみだ。
それは同情に酔うことではない。それでご立派な自分を愛することではない。推測や議論もまるで意味を成さない。
恐れるべきだ。死というものを、もっと人は恐れるべきだ。脅えて、脅えて、逃げ出せばいい。どうせ何処にも逃げられはしないけれど。
哀れむべきは物言わぬ彼ではない。
命の重さを思い知れ。その1が間引かれ、消えた未来の可能性を大いに悲しめ。
そして自分の1を失うことを、大切な人の1が消えていくことを、恐れ戦き震え上がれ。
その恐怖を魂に刻み込め。そして1を傷付け、奪うこと。その恐ろしさを取り戻せ。
……そして泣けばいい。1が減ったことをただ悲しみ涙しろ。自分と他人の間に引かれた境界線を取り払え。それだけで世界は救われる。誰もがそれを思い出したなら。
短い言葉。それが生み出す感情と、思考の洪水。
彼はこんなにも多くを自分に伝えようとしている。
自分が弱さだと信じたものを、何よりも大切な、失ってはならないものなのだと彼が言う。
「お前が傍にいてくれることは嬉しいよ。でも、殺すべき人間は私が殺す。だからお前はただ、生きてくれ。お前のままのお前でいてくれ。世界にはお前が必要なんだ」
「だからカルノッフェルは、私が殺す」
「リフルさん……でも!」
「……あの領主にも、想っている相手が居て、想ってくれた人はいるんだ」
信じられないその言葉。
それを否定しかけ、……フォースは気付く。人を人と思えないのは、自分が彼を差別しているから。
思われている誰か。それを殺めれば、誰かが泣いて……誰かを怨み、誰かを殺す。
そしてその殺された誰かの死に誰かが泣いて、その誰かも誰かを怨み………
いつまで経っても思わない。
人を殺すために必要なもの。それは憎しみ、凶器?それとも狂気?
そのどれも間違いだ。目の前の人は首を振る。
「憎しみのために人を殺めてはいけない。それは計算を狂わせる。復讐の心を飼い慣らすのは……苦しく、辛いことだろう。そういうときは泣いていい。私を罵ってくれてもいい」
人殺しに必要なものは、憎しみを捨てること、そして……機械的に計算する脳だ。
自己の満足、幸福、快楽のために人の命を奪ってはならない。
無実の罪で一度殺されたその人は、顔も知らない誰かのためにと微笑んだ。
「…………話が過ぎたな。先を急ごう」
彼はくると背を向けて、それに彼女も習って続く。自分も置いていかれないように小走りになる。
その間もずっと彼の言葉が甦る。
誰も殺さず、生きること。そんなことで、この腐った世の中を変えられるのだろうか?自分なんかが生きていて良いんだろうか?
自分は人殺しだ。死んでいい人間ではなくとも、殺されるべき人間ではあるはずだ。
人を殺しておきながら、死ぬのが怖いだなんて、自分は死にたくないだなんてどの口で言えるだろう?
視線を落とし走っていたら、影が一つ近づいてくる。トーラだ。
トーラが歩みを遅らせフォースに並ぶ。そして前行く人に聞こえないよう、こそと小声で名前を呼んだ。
「フォース君」
「セネトレアの人間で、人を殺したことがない人間なんてそんなにいないよ。人の境界すら危うい場所さ。基本的に殺人駄目なんて明確な法律無いから。裁かれるのは権力者の敵になった奴だけ。そういう不平等な所がセネトレア」
フォースの罪を、良くあることだとトーラは笑う。
慰めではなく、無知な子供に真実を語るよう、教えるように。
「金のない奴は死んで当然。弱い奴は死んで当然。搾取されて当然。そういう蛆の湧いた頭の奴らが大勢いるのさ」
混血狩りを潜り抜けたという少女の金色の眼。そこに見えた地獄の風景は、どんなものだったのだろう。彼女の言葉の裏付けは、彼女が知るだけのこの世の真実。
「だからね、君とかリーちゃんが……人の死を真摯に受け止められることは確かにこの国では美徳なんだよ。すんごく稀な。蛆脳の奴らばっかじゃほんと、この国も世界も駄目になっちゃう。だから君みたいな子に死なれると困るんだよ」
リフルの言葉を彼女なりに言い直す。確かに彼の物言いよりはキツくない。彼や彼女が自分を必要だと言ってくれているのがよく分かる。
「君が人を殺めたことを悔いるなら、君はその心を持って多くの人間を変えれば良いんだよ。それが多くの人を救うことにきっとなる。勿論それが贖いなんかには絶対ならないし、死んだ人間が甦ることも救われることはないけどね、だけどそれはきっと君を救うよ」
少女の言葉は飴と鞭。持ち上げて、突き落とす。そしてそっと手を差し伸べる。
「人生なんて明日どうなるかわからないでしょ?だから好き勝手やって、他人を物のように扱うっていうのは最低。でも……そんな何があるかわからない場所で、必死に馬鹿やるわけ。毎日毎日必死に誰かのために走るんだ。馬鹿だよね。本当に馬鹿」
敢えて誰とは言わないが、彼女のいう馬鹿が誰を指しているかは明らかだ。
「要は笑って死ねたもん勝ちなんだよ人生は。誰かを救うためじゃなくて、自分が自分に許されて、好きになるためのものが人生なんだ。リーちゃんは自分が大嫌い。僕も僕が大嫌い。たぶん君もそうなんでしょう?」
数術使いは心を見透かし、微笑んだ。君だけじゃないと言うように。
「だから何時死んでもいいように、その時ちょっとでもマシな自分に近づいて……自分を好きになって死ねるようにね、大きな夢を見るんだよ。この最っ低な世界に負けないようなこれでもかってくらい素敵な夢を」
「ぱっと見どんな最低な人間だって、必ず誰かに想って貰える。それなら人生って、自分が自分をちゃんと正しく想えるようになるまでの話なんじゃないかな?」
哲学のように人生を語り始めた彼女は、夢見がちにそう言った。
生きるとか、死ぬとか。まだ自分にはよく分からないけれど……彼女が最後に告げた言葉は心に共感の音を響かせる。
「僕は、僕を変えてくれたリーちゃんが好きだよ。それを認められる自分が前より少しは好きなんだ。だからもし今日とか明日死んでもさ、彼に出会う前よりは、マシな顔して死ねると思う」