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27:Quid faciant leges ubi sola pecunia regnat?

 あいつはいつもそうだ。いつも。出会ったその日からずっとそう。そんなことばかりを繰り返している。同じ事を俺がやれば止める癖に。

 そうするのなら解っているはずだ。それをされた人間が。俺が。あの日どんな思いでそれを見ていたか。見送ったか。

 それを知りながら、また同じ言葉を口にするのか。またその剣をそんなことに使うのか。


「動くな……っ!その男を解放しろっ!」


 凛と響く主の声に、アスカは考える。自分にとって死とは何か。

 それは多くを奪うものだが、自分に降るそれは恐怖の対象ではない。元より彼に捧げた命。

 汚名でも他人の罪でも、背負うことを拒まない。それが彼のためになるのなら、利用され……死んだとしても、悔いはない。悔いがあるとすれば別のこと。

 それが彼のためにならないのなら、俺がそれに従う道理はない。

 彼を見る。その目から読み取れ。彼の意思を。その意図を。

 崖の上、自らの命を人質に……彼は拒んでいる。アスカの死を拒んでいる。


 “私が死ねと命じる日まで、お前は死ぬな”


 彼の道の光を奪ったこの俺に、そう言ったのは誰だったか。リフルだ。彼は、彼の目は……同じ言葉をそこに映してアスカを見ている。


「でなければ私は、私を殺すっ!」


 その行動に、黒髪の男の歩みが止まる。その間も、主が俺をじっと見据える。おいでおいでと誘いかける。あの時は、来るなと言ったその目が呼んでいる。

 アスカは迷わず大地を蹴る。手を伸ばす。一年前とは今度は違う。追いつける。彼は止まっている。自分は進んできた。届いた手。引き寄せ縄のように固くその身を拘束する。


「これでいいんだろ?」

「アス……カ?」

「お前が考えろ。お前は何だ?お前は……何のために今までに、そうやって来た?」


 驚愕に見開かれた紫の瞳。アスカはそれに言い聞かせる。

 止まった彼では、今の自分には勝てない。あの頃と同じ背丈の彼では、掴んだ腕を振り払えない。力が足りない。その胸に刃を進ませることも出来ない。


「お前が助けるのは俺じゃない。お前が助けるべきはあいつらだろう?俺が助けるのは、……そんなお前だ!」


 押し黙る彼を連れ、奴隷商の前へと進む。黒髪の男は何とも言えない表情で笑っていた。多くを嘲笑うように、それでいて羨むように。


「…………いい駒をお持ちだな、那由多王子」

「ご託はいいから、さっさとあれ何とかしろよ」


 海には飛び込んだ人間も居る。豪華な服を着ている人間達だ。水を吸って溺れている人間ばかり。それを小舟は助けることなく嘲笑い見ているだけだ。


「そうだな」


 奴隷商は手にした灯りを掲げ、それらに合図を送る。

 その合図を受け取った船の人間達が、行動を始める。動き始める。何かをしている。微かに聞こえるそれは、歓声か。違う…………悲鳴だ!

 浮かんでいる頭を狙って。助けを求める手をめがけ。浮かべば彼らはそれを射る。

 向けられるのは飛び道具。それは火矢だ。海が、燃える。もっと多くの灯りを増やして消して、また灯す。


「何を……」


 腕の中の身体が強張る。拘束されていた身体が倒れ、支えを求めるよう自分にもたれ掛かってくる。支えてやらなければ二本の足で立っていることも出来ない。それほど目の前の光景に衝撃を受けている主がいる。

 しかし黒髪の男はそれでもまだ容赦をしなかった。


「那由多王子、お前はしくじったんだ。使えない道具は要らない。あの女を殺すための道具は他にある」


 先程掲げられた灯り。あれは海の人間達に知らせるだけの合図ではなかった。

 森から現れた、人間達。それに後ろ以外を囲まれる。段構えに隊列したそいつらは武装をしている。その手には海の人間達と同じよう……その飛び道具。


「貴方は得体が知れない、危険な生き物だ」


 毒使いに接近戦を仕掛けるのは愚か。直接近づくことは危険。それを知った上で男は部下達を進ませる。普段なら邪眼が効いているはずの場所。そこに達しても効いた感じがしない。

 リフルが息を呑む。顔は平然としているが、焦っている。脅えている。


(……そうか!)


 今は夜。邪眼の魅了圏内は狭まっている。その目の色を認識出来る程に側に寄らなければ邪眼は効かない。目が合っても意味を成さない。だから殺人鬼suitは奴隷を演じ標的の傍まで寄れる場所へと潜り込むのだ。


「貴方の目は彼らには効かない。魅了などされるはずがない。そうだろう?」


 邪眼が効いていないことに、男は満足そうに薄ら笑う。それに続き、雑音のように不快な声が辺りをざわつかせる。


「化け物め……薄気味悪い色しやがって」

「お前らのせいで俺たち純血がどれだけ迷惑してるか!」

「混血を根絶やしにしなければ!」


(こいつら……、純血主義者か!?)


 純血主義はセネトレアで生まれた風潮だ。元々タロックとカーネフェルの血の混ざった、真純血ではない人間達の寄せ集め。それがセネトレア人。生まれ持つその劣等感。

 しかし外見の違う混血という種族が生まれた。それは自分たちより下だと見下すに打って付けの的だった。

 それが何だ。好事家共に高値で取引されて、重んじられて。こんな色狂いの化け物が。

 奴隷市場が広がると、それまでの市場が追いやられた。代々続いた店を潰してしまった商人も、職人も数多くいる。混血なんて商品が、自分の商品より、自分たちより価値があるなど、どうして認められるか。

 そんな劣等感。更にはそこに、生まれ持つ高い数術能力という脅威が加わり、混血は世界への脅威と彼らが説くようになるのは時間の問題だった。

 彼らは混血を殺すことを何とも思わない。思わないどころか、喜びさえする。殺した数を自慢し合うような人間達だ。


「アスカっ!放せっ!離せっ!俺から離れろっ!」


 狙いが自分だと知ったリフルが腕の中で暴れ出す。それでも離すわけにはいかない。

 敵に背を向け、覆い被さり盾になる。傷一つ、付けさせるか。


「混血を庇うだと?純血の癖に、混血を庇うのか!?」

「混血を庇う者も同じだ!殺してしまえっ!」


「止めろっ……止めろっ!止めてくれっ!」


 船の人間達も助けられなくて、目の前のお前も助けられないなんて、そんなのは嫌だと主が泣き叫ぶ。

 それでも自分は言ったはずだ。聞けない命令もあるのだと。騎士としての自分は彼に従い、彼を守るためにある。しかし兄としての自分は、彼を守るためだけにある。


「焼き払えっ!」


 高らかに男の声が暗い夜空に響き渡る。


 *


「…………ここは何処だ?」


 ラハイアはそう呟いた。呟くしかなかった。呟くしかあるまい。もうグルグルと同じ場所を廻っているような気がする。進んでいるのか戻っているのかわからない。何故こんな事になったのか。考えてみるが、何の解決にもならなそうだ。

 様子を見に行った部屋には誰もいない。人が集まってきそうな気配があったのでそこに長居は出来なかった。しかし窓硝子の飛び散り具合からして、これを割った犯人は外にいるのは間違いない。向かった方向は傍にある森と見て間違いないだろう。

 しかし普段あまり人が通ることがないのか道がはっきりしていない上に、木は生い茂り暗さに拍車を掛けている。

 そうやってどれくらい森を迷っていたか。そう考えていた時だ。

 耳へと届けられたのは女性の悲鳴。何かあったのだろう。やはりこの森に誰かが連れ込まれたのだ。あの窓をぶち破った何者かにより。


「待っていろ!すぐに助けにっ……」


 声の聞こえた方角へと走る。そして進めば、視界に何か色の付いたものが映る。森の緑の中で明らかに浮いているそれは、青い髪の混血少女。何があったのかぐったり項垂れ、グルグル巻きにされ、木に吊されている。


「酷い……大丈夫か、君」


 縛めを解き抱き起こすと、ぼうっと虚ろな瞳で此方を見上げる。

 その様子からは、言葉を発することが出きるとは思えない。となると悲鳴を上げた人間が他にもいるということになる。


(一体何なんだ……ここは)


 何かここで起こっていることは間違いない。それでも、それはあの殺人鬼なのだろうか?しかしあの殺人鬼が混血にこんな仕打ちをするとは思えない。それなら誰が?

 妙な不安を覚えながら、少女の手当を始める。彼女は手を丸め……自らの爪を指へと突き刺していた。何故そんなことをしたのかはわからないが、これも少々不気味だった。

 それでもこれも仕事だと言い聞かせ、手際よく作業を再開させる。

 聖十字の仕事はだけではない。元々聖十字は戦地での救援活動を生業としていた。故に兵士には応急手当の知識程度は与えられている。ラハイアも例外ではない。

 手当を終えた頃には少女はぱっちりと目を開いていた。青い猫目石の瞳だ。暗い中でも光を集め、爛々と輝くその目は獣のそれによく似ていた。それでも少女は獣ではない。


「……ありがとう」


 そう言って少しだけ口の端をつり上げた。


「い、いや……俺は聖十字として当然のことを」


 面と向かって礼を言われること。このセネトレアではあまりないことだから、何となく気恥ずかしくて顔を背ける。一瞬不気味と感じた後ろめたさもある。しかし素直な良い子だ。それを先入観で誤解するなど、あってはならないこと。自分の心を戒めた。


「お礼に殺さないであげる」

「……え?」


 何か不穏な言葉が聞こえた。いや、聞き間違いだ。そうに違いない。そう言い聞かせて少女の方を見る。しかし誰もいない。暗い森の中。消えた少女。まるで亡霊にでも出会したような気分になり、ぞっと寒気が襲ってくる。

 悲鳴の主もわからないまま。気を引き締めて進まなければ。そう思い、脇に刺した剣に手が行った。おかしい。何にも触れない。


「……俺の剣っ!!」


 無くなっている。どうして?落とした?何時?さっきまであったはずだ。焦る手が触れた、他の武器。そうだ、武器はまだある……十字銃。数術専門機関である聖教会から贈られた兵器。

 使い方はシャトランジアで存分に叩き込まれた。急所の外し方も教わった。それでもラハイアはこれを撃ったことが一度しかない。

 ちゃんと上手く使えるのか、自信がない。それ以上に、使わずに済めばいいと思う。この力は殺すためのものではない。脅してでも、止めるための力だ。自分にそう言い聞かせ……ずしりと重い、その力を片手に……声の聞こえた方へと進み始めた。


 しかしここまで自分が方向音痴だとは思わなかった。整備された王都の街や通りではこんなことはない。森の中から聞こえた悲鳴を探しに来たはずなのに、森から出てしまうとは。

 振り返り、引き返そうか……それとも開けた道沿いに進んでみるか。それを躊躇いながら顔を上げれば、視界が明るい。何かが見える。開けた場所、高さはあるが向こうは海だ。


(海が明るい……?)


 何事だろう。不穏な空気を感じてその方向へと走った。



「……!?」


 人だかり。彼らは皆武装している。唯ならぬ空気がそこにはあった。大きく弓を引き絞る腕、腕、腕。彼らが点火させた素振りはなかった。しかし空を飛ぶ矢は明るい。弓と矢に仕掛けがあるのだろう。薬品か摩擦か……マッチのような仕組みなのかもしれない。

 その矢が狙っているのは長身の男だ。彼は何かを庇うようにその矢を受けている。


 それを止めさせるため、近寄った。すると見えてくるものがある。海が燃えているその原因を見た。船が燃えている。人が溺れている。その頭を狙い矢を射る人間達。

 すぐ傍で繰り広げられているものと同じことが、海の上で何十と行われている。その光景に、言葉を一瞬失った。すぐに我に返り何をしている、止めろと、そう言ったような気がする。それでもそこにいる人間達は狂気に取り憑かれていた。言葉が届かない。

 彼らはラハイアを振り向かない。気付いた様子もない。下卑た笑い声を発しながら矢を射ることに夢中になっている。


 彼らは的。違う方向に関心が向いている。余裕で弾の届く距離。正確に打ち抜くことが出来る距離。それでもそれを撃つことが怖い。

 かつてあの殺人鬼が言った言葉だ。力でねじ伏せるのは、問答を止めるのは、負けを認めることだと。人間など所詮は悪だと言うあの殺人鬼の言葉を肯定することになる。悪は力をもってねじ伏せる事以外に、止めることは出来ない。話し合いなど無意味。人が改心することもない。


(違うっ……違うっ!違うっ!そんなことっ!!)


 ぎりと奥歯が鳴る。伸ばした腕。それが震える。狙いが定まらない。不規則な呼吸。それを整えるよう、大きく息を吸う。

 遅かった。音が聞こえた。男が倒れる。その陰からゆらりと少年が立ち上がる。男が庇っていたのはこの子供。

 それはラハイアよりも僅かに幼く見える。混血の子供だ。


「!?」


 その目の色。暗いが解った。それには覚えがある。紫色のその目は……あの日路地裏で出会った殺人鬼のそれと同じだ。

 違うのはその髪の色。あの日は黒かったそれが今は白。いや、……灯りに照らされ輝くそれは銀糸の髪。

 息を呑む。呼吸も出来ない。この世の者とは思えない程の美しさ。まるで人形だ。どこかの職人が丹誠込めて創り上げた人形……それに命でも宿って動いているのではないか。そんな風に思わせる、浮世離れした造形だ。

 それでもラハイアは気がついた。彼は人間だ。人形は……少年は、泣いている。人形のように無機質な表情じゃない。

 深く傷つき、悲しみ……憎しみ、そんなものに支配された人間の顔。悲痛な叫びが耳まで届く。一歩も動けない。息も出来ない。魅入られたようにそれを見ている。

 少年はゆっくり此方に歩いてくる。正確にはラハイアより前にいる人間達の方へと。彼は泣きながら、手を伸ばす。並んだ人間達の首へと触れる。彼の剣がそれを撫でる。

 まるで死神だ。夜の闇の中、彼の銀は骨を思わせるほど白い。気まぐれで横暴なる死。それがぼろぼろ、首を狩る。泣きながら……せせら笑いながら、嘲笑いながら……鎌を振るい収穫を行う。

 収穫を追え、それまで彼と自分を阻んでいた壁も地へ崩れ……彼が自分に気がついた。

 ふっと彼が笑った。その口元に、思い出したのはあの殺人鬼。


(suit……貴様、なのか……?)


 いつも彼は嗤っていた。こんな風に。……こんな、目で…………悲しい目で此方を見ていたのか?


 *

挿絵(By みてみん)


「…………アス、カ?」


 大丈夫だとか、守るとか……傍で繰り返していた彼が、もう何も喋らない。

 リフルはその無音が怖かった。

 先程までのように、音と戦うことしか出来ないその時間は、確かに苦痛であり拷問だった。

 彼に隠れてよく見えない。それでも明るくなっていく視界が、彼をの皮膚を焼き、貫く矢の音が嫌でも今を教えてくれる。

 そうやって時を送り……今、動かなかった彼が倒れる。暴れても叫んでも動かなかった彼が。仰向けになり空を見上げる。その衝撃で何本かの矢がより深く突き刺さる。流れる赤い色。それが暗い大地に染みて黒になる。

 リフルに怪我がないことを知ると、目を細めてアスカが笑う。笑って……そのまま目を閉じる。


「アスカっ!?アスカっ!!」


 その身体を揺さぶれば、抱き付いたなら、もっと矢が深く彼を傷付ける。だから出来ない。

 火は風か彼の血が消したのか、地には黒く焦げた矢。彼の身体には所々焼け切れ焦がされた傷跡がある。

 その手当をしたくとも、自分は数術を使えない。彼を癒すことが出来ない。あるのはこの何も出来ない邪悪な目だけだ。


「……っ、うぁああああああああああああああああああああああああああああああ」


 リフルの目から口からあふれ出すものがある。獣のような咆吼だ。耳から聞こえる痛々しいその慟哭が、自分のものなのだとどこか他人のような心で聞いている。

 その叫び声が、周りの男達にどう聞こえたのかはわからない。哀れんだはずもない。それが足を止めさせたのなら、それはこの自分を恐れてだ。


 何が恐ろしいというのか。自分は唯の、1だ。人間だ。何も出来ない無力で愚かでちっぽけな人間だ。泣くことしか、叫ぶことしか出来ないこんな自分の何が恐ろしいのか。

 泣いた。子供みたいに。昔みたいに。泣いても何も変わらないのだとわかっている。それでも泣かずにはいられなかった。この目があるから、そこに映る彼がいるから。


(無理です、……母様)


 この眼をもう一度開けたら。二度と泣かない世界がそこにあるかと?あるはずがない。どうやって笑えと言うのか。こんなに苦しいのに、どうして泣かずにいられるものか。


 自分は王じゃない。王にはなれない。それでも多くを守りたい。それが償いだ。死ねない理由だ。それでも、王の前に……罪人の前に人間だ。人間だった。

 親しい人が、大切な人が。傷ついて、苦しんで……倒れてることを、どうして痛まない?この胸は痛む。何も感じずになどいられない。嗚咽の中、吸い込む空気の味が……肺に取り込むその空気までがこの俺を罵倒するのだ。

 この痛みを割り切ることが、王ならば。そんな者にはなりたくない。自分にはなれない。


(無理です……父様)


 これが報いか。奪った者だ。

 自分が犯した罪は、こんな思いを残された者に植え付ける行いだ。だから自分はどうあっても、悪だ。裁かれるべき人間だ。それは解っている。だから裁くのならば、切り刻むのなら、焼き付けるのならばこの身体にすればいい。

 どうして傷つくのが彼でなければならなかったのか。

 裏町で生きていても、彼はこの金の髪のように。日の光のように明るく、温かい人。優しい人。そんな人をこんな場所まで連れてきてしまったのはこの自分だ。この優しい手を汚れさせ、こうやって……冷たい大地に横たえたのは。


 立ち上がる。いつまでもこうしてはいられない。

 早くこの場を片付ける。そして彼を連れて行く。洛叉の元に。そうすればまだ間に合うかもしれない。


(だから、早く殺さなければ)


 一瞥した先、まだ男達は動かない。それが動けないのだと気付くまで暫しを要した。

 邪眼が効いたのだろうか?わからない。それでも男達は眼球一つ、瞬き一つ、動けない。

 その程度なら動けそうな人間は二人いた。

 一人はヴァレスタ。彼にはこの眼は効かない。それは知っていた。

 けれどもう一人。息を切らしてここまで走ってきたのだろう。荒い呼吸を繰り返す、苦しそうな姿で立っている。見慣れた服だ。青臭い正義を説く……聖十字の少年の姿。


(ラハイア……)


 何故おまえがここにいるのか。自分は教えなかったはずだ。今度ばかりは。それでも追ってきたのか。自力で、ここまで辿り着いたのか。

 一年以上、この自分を追い続けた彼なら気付くだろう。仮面こそ付けてはいないが自分はいつもの恰好だ。いつもこの姿を追いかけ、見逃してきた彼だ。わかってしまっただろう。

 諦めたように笑みかける。それで、お終いだ。色の違う彼の両目が、呆然としていたその目が……驚愕、動揺へと変わるのを見る。どこから見ていたのだろう。彼にはこれがどう見えるだろう。どうでもいいか。そんなことは。

 アスカから貰った短剣。彼から取り返し、手に携える。呆然と立ち尽くした男達へと歩み寄り、その手を添える。ラハイアが何かを発したようだが、聞こえない。

 復讐で人を殺めてはならないと、あれほど人に言ったのに。彼を傷付けた人間達が許せなかった。唯ひたすら、彼が何よりも大事だったあの頃に。彼の道具へと戻ったような気分だった。

 主を、アスカを傷付けた人間が許せない。毒で殺すという、心の余裕が無かった。より苦しめてやりたいと思う余裕もなかった。唯、目の前のこの人間を殺してやりたいという強い気持ちだけ。

 これが死の感触。重い感触が手にへと触れた。初めてだ。こんな風に人を殺すのは。触れた先からざっくりと、深々とその首を切りつける。半分程度で地に崩れ、首皮一枚繋がって、或いは見事に落とされて。重い感触と共にバタバタと倒れていく人間達。誰も逃げない。そうされることを望んでいるように、身動き取らずに待っている。

 制止の声を投げる聖十字も、動くことが出来ないのだ。その銃で私を撃ち殺せば止められると言うのに、どうしてそれが出来ないのか。簡単なことだろう。唯その引き金を引けば良いだけだ。

 それが出来ないということは、ラハイア……お前は私を肯定するに他ならない。お前は今、この瞬間……俺を肯定している。

 此方を見ている彼が動けるようになったのは、残った男が剣を鞘から抜いた音から。

 赤い瞳の男。その瞳と同じくらい鋭く研ぎ澄まされた刃が此方を向いている。


「魅了ではなく、恐怖で従える……か。那由多王子、お前も王の片鱗くらいはあったのか」

「私は王などではない。私は唯の人殺しだ。見て解らないか?」


 赤く染まった両手。彼から貰った武器が違う色へ変わっているそれを、ヴァレスタのいる方へと向ける。憎しみに彩られた瞳で語る。これからお前も殺す。そう告げたのが目の前の男には伝わっているだろう。

 互いに目の前の相手が邪魔なのだ。消えてしまえばいい。こうして同じ場所の空気を吸っていること、それだけが互いに憎らしい。そのくらいの嫌悪感を抱いて見つめ合う。そして互いに一歩進んだ時、それに割り込む声があった。


「止めろっ!」


 銃を構える聖十字。その手は震えている。どちらを撃つべきなのかもわからない。彼の正義が揺れている。

 それなら見たのだろう。アスカが倒れるところを。私が泣いているところを。私が人を殺すところも。海が燃えていることも。


「これ以上、罪を重ねて……それでどうなる!?殺されたから……殺すのか!?……彼は、……本当にそれを望んでいるのか!?」


 ああ、正論だ。同じ状況に身を置いたなら、いつもの自分でも同じ事を言っただろう。それでも私は私を止められない。止めることが出来るのは、ラハイア……お前だけだ。私は願っている。お前の語る世界が、正義が真実ならば。一時でもこの私に夢を見せたお前の言葉。それを終わらせるのはお前の手だ。銃を引け。私を殺して止めてみろ。それが出来ないのなら、口を挟むな。


「……黙れっ!お前にアスカのっ……私の何が解るっ!!」


 感情的な言葉にラハイアは一瞬言葉を無くす。もう用済みだ。彼はおそらく何も出来ない。見当違いだった。

 失望しながらリフルが視線をヴァレスタへと戻す。そこに彼はいない。ラハイアに関心を移した時に距離を詰めていたのだ。

 短剣と長剣。リーチは圧倒的に不利。飛び退く。すぐ傍を剣が掠める。体勢を崩したのを見計らい、すぐにまた刃が戻る。両手の短剣。それで防ぐも、力の差は歴然だ。左手のそれを弾かれる。

 この男には邪眼が効かない。殺すには直接此方から触れなければならない。


(触れるだと……?)


 怒りはある。それでも次第に頭も冷えてきた。そしてそれがどんなに難しいことかを思い知らされる。

 それは容易ではない。そして、そんな勇気が自分にはあるか?彼の得物は自分の短剣の比ではない。距離を詰めるだと?簡単に言ってくれる。短剣一つで渡り合えるとは思わない。いつ訪れるともわからない隙を見つけるため、避ける作業に自然とシフトさせられている。

 また崖際に追いやられていた。いや、追い込まれたのだ。自慢じゃないが、自分に剣の才能があるとは思わない。そして運動神経など兼ね揃えてもいない。だというのに致命傷は食らっていない。いくつか手傷は負っているが、まだかすり傷の部類にはいるだろう。反射だけでここまで避けられたのが奇跡。逆を言えば、手加減されているのにここまで負傷していることの方が問題だった。

 無駄に悪運のいい自分だ。ここから飛び降りれば、この場は逃れることが出来るかもしれない。少なくとも後半年は死なないという先読みのトーラからのお墨付き。


(そうだ……)


 トーラは言っていた。アスカも顔のない未来の人間。既に選別されている。巻き込んでしまったのだと。


(私はまだ、言っていない)


 死んで良いなどとは言っていない。だから彼は死なない。そう約束したのだ。

 それなら尚のこと、この場からは逃げられない。

 そんなことをすればアスカの身が彼らの手に渡る。汚名を着せられるのだ。そんなことは御免だ。だからここで逃げるのも、死ぬのもこの奴隷商の方。自分は死んでもいけないし、逃げることも許されない。


「……何を笑っている」


 追い詰められているリフルが笑っているようにヴァレスタには見えたらしい。彼は怪訝そうにこちらを見ていた。

 自分は強くない。それは重々承知だ。それでも戦う術はまだ残されている。アスカから学んだことだ。

 弱い人間は、どんな手を使ってでも勝たねばならない。そもそも誇りなど奴隷には皆無だ。相手がまだ此方が王族の誇りなど傲ったものを持っているのだと思い込んでいるのならそれは勝機だ。


「これが笑わないでいられるものなら教えて貰いたいものだ」


 根拠はない。それでも意味ありげにリフルは笑う。


「まさかお前は俺を殺せるとでも思っているのか?その程度でこの俺を殺せるとでも?」


 その哄笑に、此方を見つめるラハイアも驚いている。そうだろう。気が触れたように、心底おかしそうに私は笑っている。そう見えるのならばそれでいい。


「私は既に死んでいる。死んだ人間が二度も死ねると思うのか?この心臓に触れてみろ。とうに止まった命だ」

「戯れ言を。死んだ人間が動き、そんな口上を語るはずもない」

「嘘だと思うのならやってみたらどうだ?私は逃げも隠れもしない。この心臓をその剣で突き刺してみろ」


 胸に手を当て、教えてやる。この場所を射抜いてみろ。それでも私は死なない。お前程度に殺せるはずもない。

 目の前の男に散々向けられた見下される笑み、嘲笑を、そっくりそのまま返してやった。それはこの男のプライドを大いに傷付けた。

 それでも存外思慮深い。こんなに弱い私に何を恐れているのか。

 そこまで思い、思い出す。洛叉はリフルが毒使いと言うことをヴァレスタに教えた。しかしその方法は明かさなかった。だからこの男はこんなに恐れているのだ。

 攻撃がだったのは、風を読んでいたから。リフルの風下に立たないようにと、常に風上を意識して動いていたのだ。なるほど、確かに異母姉は扇で仰ぎ、この男の家臣を殺していた。その情報は頭に入っているのだろう。


「姉様の毒は見ただろう?私もこの身体に多くの毒を隠している。私を追い詰めた気でいるお前のなんと愚かなことか!追い詰めたのは私の方だ。私の毒がすぐにお前を絡み取る」


「守る者ももういない。解毒剤を持っている私をここで逃がせば死ぬのはお前だ」


 倒れたアスカに目をやって、ヴァレスタには壊れたように笑ってやった。

 そして海から吹く風。それはこの男に僅かの危機感を与えたようだ。全くの偶然だが、それが自分の意図したものであるように不敵に笑った。

 その笑いに何を思ったかは知らないが、目の前の男が剣を構える。来る。そうだ。そのまま来い。

 真っ直ぐな突き。それをそのまま受け入れる。悠然とそれを待つ。……振りをする。

 刃が胸に届くというその刹那、自らそこに飛び込む。距離が詰まらないなら、此方から詰めればいい。皮膚を食い破る剣の温度。それに身を預け、憎い男の元へと飛び込んだ。痛みはある。それでも体重を預け前へと進んだ。

 向かってくる力のせいで、男は後ろに下がれない。飛び退くにも一度立ち止まらなければならない。結果として彼は一時的に時が止まった。

 間近で見る赤目の男。驚愕の色。

 彼にはリフルが自害を図ったように見えたのだろうか。


 しかし生憎。死ぬ気はない。アスカを助ける。洛叉かトーラか、彼を治療できる人間の元へ運ぶまで、死ぬわけには行かないのだ。毒ならもうある。血でも汗でも好きな方を食らわせてやる。

 傷口を触る。両手は血まみれ。それで奴隷商へと手を伸ばす。触れれば終わり。これで、お終い。

 彼がどんなに強くても、自分がどんなに弱くても。

 触れた。これでお終い。毒に冒された彼の身体が傾く。連れて行かれる。彼は剣を放さない。

 海からの、頬を撫でる生温い風。それがこの時ばかりは冷たく感じた。

 それを見て、銃を掴んでいた手を空にして……ラハイアが駆けてくる。手を伸ばそうと、崖へと走る。だけどもう遅い。リフルは手を下げていた。伸ばしたら、届いたかも知れない。それでも今触れたら、彼まで殺してしまう。


 (馬鹿な男だ……)


 これを見てもまだ、こんな私を救おうとするなんて。リフルは笑った。本当に見込み違いだ。ここまで馬鹿な男だとは、思わなかった。


 *


「ディジットっ!!」


 洛叉が声の方向へと走ってしばらく。そこに倒れていたのはアスカの言うように、声の主はディジットだった。駆け寄り抱き起こす……酷い怪我だ。消毒が染みたのだろう。ゆっくりと……目を開く彼女の青が洛叉を見上げる。


「……先、生?」

「今、手当を……」


 手持ちの道具で応急処置を施すが、ある意味において凡人である自分には、出来ないことが多かった。じわじわと包帯に血が滲む。太い針で突き刺されたような箇所が数カ所。急所を外していることがせめてもの救いではあるが……出血が多すぎる。地面に広がる血だまりがそれを見せつけていた。これではまだ生きていることが不思議なくらいの……


「……一体、何が」

「エルムが……」


 尋ねる風ではなかった洛叉の言葉。それにディジットが口を開いた。無理をするなと言おうとしたが、彼女は言葉を止めない。


「止めようとしたけど……ははは、駄目……だった。私……本当………どうして」

(これをエルムが……)


 血の量が多い。そう思ったが……よく見れば、その全てが血ではない。薄められている。それで視界が暗いこともあり、全てが血だと思ってしまったのだ。


(これは……水?……いや氷?)


 血水の中には固いものがある。解けかけ丸くなった凶器。一見変わりがないが、この水が武器になったことは間違いない。数術に目覚めたのか?しかしどうしてエルムが何故ディジットを襲ったのか。彼は彼女に少なからず好意を抱いていたはずだ。


(しかし何故ここにエルムが……?彼は向こうで閉じこめられていたのでは?)


 連れてこられたなど聞いていない。考察をする洛叉の背に、突然……それ以外に言い表せない。何の前触れもなく現れた声。声を聞いたその刹那、ぞくと背筋が鳥毛立つ。


「見つけた……」

「埃沙!?何故ここに……!?」

「親切な人が外してくれたの」


 解毒まで自由を取り戻した埃沙がくすくす笑う。手には何も持っていないが、それでも油断は出来ない。


(……くっ)


 場所が割れたと言うことは、先見対象は自分に移されていたのか。となると戦うのも逃げるのも難しい。それに今は、負傷しているディジットもいる。

 それどころか何処から拾ってきたのか妹は剣を片手に携えている。


(……償い、か)


 自分がしたこと。それはあの双子を攫い、実験材料としてあの博士に、そしてヴァレスタに引き合わせてしまったことだ。それがアルムを歪め、エルムを変えた。それを償えと主である少年は言う。


「兄さんは……兄さんは、どうして嘘を吐くの?昔はもっと優しかった。私を愛していると言ってくれた」


 それは研究のためだ。そう言えば、埃沙は研究に応えてくれた。研究対象への興味は、それが尽きれば……或いはそれを上回る対象を見つけたとき、すぐに潰える。実際そうだった。


「…………お前も俺の妹ならば、気付いていただろう?それが嘘だと解る頭があるだろう?気付かない振りを続けたところで、何も変わらないことも。……俺が嘘を吐くようになったんじゃない。俺は嘘を言わなくなったんだ、お前には」


 冷たく告げる洛叉の言葉に、様子を見ていたディジットが辛そうな声を発した。


「先生、そんなの……」

「貴女が庇う必要はない。これが引き起こしたことで迷惑を被ったはず」


 馬鹿な女。哀れむ価値がない者の事を庇う余裕などあるようには見えないのに。彼女は更に多くのことが見えていない。エルムの暴走の要因の一つ……それも彼女だったのかもしれない。


「……それでも兄妹なんでしょう?すぐにとはいかないかもしれない。それでも、毎日顔を合わせて放していけば、いつか……」

「それが間違っているんだ。貴女はそうすることで他人であるあの双子も本当の家族のようになったと言いたいんだろう?それが間違っている」


 世の中には家族や兄弟という尺度で物事を計ることが出来ない者がいる。


「エルムは、貴女を姉と思ったことは一度もない。そしてこの埃沙が俺を兄と思ったことは一度もない。そう呼んでいるだけだよな、なぁ埃沙?」

「そうね、洛沙兄さん」

「え……?」


 あっさりそれを肯定した埃沙にディジットは戸惑った様子だ。


「こいつもあの子も病気なんだ。医者の俺でも治せない、不治の病だ。時が解決してくれるのを待つしかできない大病だ」


 その病気の名に彼女はまだ気付いていないよう。余程彼女は彼を弟だと思っていたのだろう。埃沙はこれが自分の想いを洛叉へ語る好機だと、劇の中の役者のような大振りな手振りで両手を掲げ、暗い夜空へと笑う。


「だって考えてもみて。母さんは父さんが好きだった。兄さんは父さんに似ている。私は母さんの子。だから母さんに似ている。だからこれは当然だと思わない?私は母さんと同じ。母さんは父さんが好き。だから私は父さんに似ている兄さんが好きになるのは仕方がないこと」


 異母妹は、母から父への歪んだ愛情を目の当たりにしながら育った。それを引き継いだまま生きているのだ。父が生涯研究対象として彼女の母を扱ったのに対し、それに耐えるため埃沙の母親はそれを愛だと自らを洗脳。そして子供達にもそう言い聞かせたのだ。


「俺には無理だ。いつの日か、お前を妹と思うことは出来るかもしれない。しかしそれ以上には今日も明日も思えない」

「どうして?父さんは母さんを愛した。それはつまり、兄さんは私を愛することが出来る!そういうことだわ」


 そういうこともあるかもしれない。子が親のクローン……まったく同じ風に人生を生きるのならば。同じような人間に好意を寄せるとするなら。どちらも親の生き写しなら、恋愛観も継承されるなら、そんな事象もあり得なくはない。

 けれど彼女の理論。その根本が間違っていること。それから彼女は目を逸らしている。


「……埃沙、目を背けるのは止めろ。俺の父はお前の母を愛さなかった。だから俺もお前を愛することは出来ない。お前とお前の母が、間違っているとは言わん。それでも俺はお前を受け入れられない」

「兄さんは……兄さんは、私にはもう兄さんしか居ないのに、兄さんには、兄さんには……別の人がいるの?私の代わりが居るって、そういうの!?」

「お前の代わりなどいない。唯、いたとしても俺はそれを欲さない。そして俺も、父や弟の代わりにはなれない」


 人をナンバリングするのなら、その数字が重なることはない。唯一の数。人は掛け替えのないものなのだとあの人は言う。大切な1。それでもたかだか1。それ以上にはなれない、哀れな存在だ。


「……あの人の代わりに、お前はなれない。そういうことだ」


 もう一度、剣を抜く。それに応えるように、埃沙はもう何も言わない。認めたのだろう。諦めたのだろう。目を逸らし続けることを。


「…………」


 得物のリーチは自分の方がやや有利。しかし埃沙は先見が出来る。此方の一手前を常に読んでいる。力で彼女に負けることはおそらくないが、正面から戦って苦しいのは洛叉の方だ。迂闊に仕掛けられない。唯でさえ後手だというのに、更に後手に回ってしまう。どうすれば突破口を開けるか。洛叉はそればかりを考える。

 今はディジットの存在を邪魔にすら感じる。一人よりは二人の方が埃沙の先見相手なら得策。しかしその一人が動くことも出来ないほど負傷していれば話は別だ。戦闘に加わることが出来ない人間に先見の力を裂く人間がいるとは思えない。となると彼女はお荷物。それを守りながら戦うというのは至難の業。

 これが償いか。この面倒で煩わしくて厄介なこと。それをやり遂げること。それでも許しからは程遠いこと。それでもやらないわけにはいかない。

 洛叉は深く息を吸い込み、それを止め……踏み込む覚悟を決める。そんな洛叉に埃沙が視線を向けて……


「そう……」

「埃、沙……!?」


 小さく呟いたかと思うと、埃沙が逆の方向を向く。背中を向けて歩き出す。

 その背中に斬りかかれば。一瞬そんな卑怯な考えが頭を過ぎる。そうすれば埃沙にはそれが見えていただろう。彼女がそんな姿を見せるのは、洛叉にそれが出来ないと知ってのことだ。

 小さく見えるその背中は少女のもの。頼りなさ気で、寂しそうなその背中。このまま自分が追いかけて、その背を抱きしめることを待っているようなその後ろ姿。それでもそれは出来ない。代わりに洛叉がしたのことは……呼び止めるわけでもない、唯の呼び声。彼女の名を呼んで、何が変わるでもないのは知っていたけれど。


「奴隷は奴隷。奴隷は仕事をするだけ」


 家族でも兄と妹でもない。自分と世界の繋がりに、家族などは存在しない。奴隷との繋がりは主だけ。そう告げる風な淡々とした、感情のない……冷え切った道具のようなその言葉。


「止めろっ!埃沙っ!!」


 思わず叫ぶ。それはまだ、彼女がリフルを殺すことを諦めていないということ。追わなければ。迷ってなどいられなかったのに。その背を躊躇いなく切り捨てることをしなければならなかったのに。数式の展開が終わったのだろう。埃沙の姿が、完全に闇へと解け……見えも聞こえもしなくなる。

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