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26:Regnat non regitur qui nihil nisi quod vult facit.

 洛叉にこれまでのことを話した後、彼はトーラとの合流を提案した。海岸までの道を辿るため、森の中を彼と進むことになる。

 先行く洛叉が、振り返る。リフルの足が遅れていることが気がかりらしい。そんな視線を向けられて、リフルは足を急がせる。

 それでも暗くうねった森の姿は、自身の思考を見せられているよう。進んでいるのか迷っているのかわからない。進むことを躊躇わせるのだ。


「……随分と、沈んだ顔をなさっていますが何かありましたか?」

「いえ……」

「……私には言えないことですか?」

「…………そういうわけでもないんですが」

「あの男のことですか?」

「え……?」

「…………君はあの男に懐いているからな」


 口ごもるものの、意味はなかった。ものの見事に言い当てられては、隠すための言葉も出ない。打ち明ければ少しはこの靄も晴れるだろうか?考えるべきはもっと他のこと。こんな些細なことで思考を侵されていてはいけない。

 そんな思いから、リフルはそれを洛叉に打ち明けることに決めた。


「……アスカは私の情報欲しさに、東へ行った。彼はそこでこれまで絶対関わらなかった……そんな仕事をしていたんです」

「奴を軽蔑でも?元々最下層の人間の底辺にへばりついているような男です。何を今更。むしろ今まで軽蔑していなかったのなら今からでもその三倍ほど見下してはどうでしょう?」

「……ありがとう、ございます」


 アスカをひたすら見下すその言葉。これは洛叉なりの冗談だろう。気を紛らわせようとしてくれた彼の気持ちに感謝する。それでも暗い気持ちは消えずに残る。


「確かに私は、軽蔑しています……彼ではなく私自身を。フォースもアスカも……私と出会わなければ人を殺めることはなかった。そう思うと……」


 洛叉は数歩、考え込むよう何も語らず歩みを進め……不意にぽつりと呟いた。


「……リフル様、貴方は殺すことについてどうお考えで?」

「え……?」

「確かにそれまであの馬鹿は人殺しまでは手を出さなかったかもしれない。それでもあれは仕事をしていた。数値異常で凶暴化した獣や巨大化した獣……それから過元素吸収で意思を持ち暴れるようになった植物等々……請負組織としてそういうものの排除を任せられることはありましたし、護衛の仕事で人を守るため人を殺めたこともあるでしょう」


 洛叉は殺しの境界を説く。

 それまで人もそれ以外の存在も、研究対象とそれ以外という分類で生きてきた彼だ。

 獣は殺しても良くて、人なら駄目だというその主張は理不尽極まりないことだと当時の彼は考えたらしい。

 獣殺しを肯定するなら、人殺しも肯定すべき。人殺しを拒むのならば、獣殺しも拒むべき。

 また彼は言う、種族の境界以外に認識の境界。

 殺し目的のために殺すことはいけないが、他の目的のために殺めてしまうことは許されるのか。

 だから軽蔑するのは今更だと洛叉は言った。他の目的のためなら、アスカはとうに何かを殺めて生きてきている。その目的が変わったことで、今更貴方は脅えるのですかと彼は言う。


「人も一種の獣ですよ。生きるためには何かを殺める。血肉を漁るのではなく金品を得、それで命を繋ぐ獣です。ここはそういう国です」


 売買のために。生きるために金が必要。金のためには獣か人かは知らないけれど……何かを奪い、何かを殺め……人はここに生きていると洛叉は説いた。


「この国の人間にとって、人の命も獣の命も金で計ることが出来る商品。あれが金のためでなく、情報のためにその命を奪ったというのは……探しているものが金では計ることが出来ないものだったからです。金で計ることが出来ないものを、あれは命で計った。奪った命を積み重ねても、それで手が届くのならそれを肯定する価値がある。あれはそう考えているのでは?」

「そんなの……おかしいです。命の対価は1対1であるべきだ」


 そんな計算はおかしい。不等号の向きが逆だ。彼は向こうを向くべきなのに、どうして此方を向いている?それが邪眼か。邪眼の魔力か。ああ……この眼が忌まわしい。

 無意識に手が目と向かう。それを洛叉の腕が力をもってそれを封じる。


「幻想ですよ、リフル様」


 その目があってもなくても。人間はそういう価値観を持っている。そう諫めるように洛叉が首を振る。


「誰にも必ず居るものです。目の前で息絶えても心底何も感じない……そんなどうでもいい人間と、そうではない……目の前で死に逝くそれを認められない……思い入れのある人間が」



 思い出す。人を殺した日のこと。まだ瑠璃椿と呼ばれていた頃。

 殺しの仕事。その温かさに触れても、何も感じなかった。強いて言うなら嫌悪感と不快感だけ。奪われていく体温が。戻らない魂が。その冷たい温度が心地良かった。どうでもいいと、そう思い……目の前で死んだ標的達の死を悼むことなどなかった。涙なんて、流すはずもない。自分はその死に……微笑んでさえ、いたかもしれない。


「それは貴方にもあるはずだ。貴方はそれを……胸の中で殺そうとしているだけ。その両者を同じものにすべく、どうでもいい人間まで大切にし、思い入れのある人間をどうでもいいものと言い聞かせている」


 どくん、どくんと鼓動が響く。追い詰められたような心。嘘を曝かれたような気分になった。

 そうだ。そうだ。最初はそうだった。そんな汚れて歪んだ醜い魂。それが自分の本質だ。


(フォース……)


 あの日彼の涙に触れて、そんな心に僅かに光が差した。彼のように他人の死を悼める人間がいる。そんな人間を傷付ける行為が……許されないことなのだと、そう知った。

 そこから世界の見方がぐるりと変わった。

 どんなに嫌悪感を抱く人間でも、それは人間。一人で生きては居ない。本人がそのつもりでも必ず誰かと繋がっている。その誰かが泣くんだ。だから殺してはいけない。だから自分は罪深い。

 ……それでも人を殺すことを止めない自分は、その命の重さを忘れてはならないのだ。人の命は吹けば消し飛ぶ灯火ではない。もっと重くのし掛かる、それでいて代わることの出来ないものだ。

 そして自分の命はそうじゃない。こんな自分に思い入れを持ってくれる人がいても、数字の1だ。1に過ぎない。それ以下ならまだしも、それ以上の価値などあってはならないことなのだ。


「……どうでもいい人なんていない。その思いの大小はあったとしても、どうでもいい人なんかいない。それでも人は1だ。それ以上であってはならない」


 その命に、終わりに携わるなら。どうでもいいなど思ってはならない。覚えておかなければならない、心の深くに。

 顔を上げる。彼を見る。


「…………父様は、僕を殺した。それはそういうことなんでしょう?」


 洛叉は言った。どうして王が那由多の元を訪れなかったか。それは思い入れを、愛着を持つことを拒んだからだ。


 唯一、父から教えられたこと。それが王のあるべき姿だと自分は認めた。

 王は、守り傷付ける。思い入れなど、己の心で物事を計ってはならない。

 国の、民のためなら……我が子であろうと傷付け裁く。それが無根の罪であっても、国にとっての最善ならば、その犠牲を肯定…………そして胸を張り、悠然と玉座に腰を下ろすくらいで在らねばならない。民の不安を消し去るために、自分の心と決別をする。それが、王の在るべき姿。

 誰かを傷付けて泣かせても、無罪の人を裁いたとしても、計算を見誤ってはならない。それが王だ。


「私は……王にはなれない。それでも彼が教えた王の心は忘れず……持っていたい」


 王としての自分で考える。人を1だと考える。多くを救うことを考える。

 それでも1としての、人間としての自分で考える。取りこぼした沢山の1。王が見捨てる1。

 立場として組織として大局を見る。それでも一人の人間として、目の前の事を見る。その両方の視野で助けられる者があるのなら助けたい。

 人は平等に1。計算では、見捨てることもある数字。それでも掛け替えのない1だ。割り切れない心があるなら、自分がそれに手を伸ばす。


「…………貴方は王です。国がなくとも、民などなくとも……貴方は私の主です」


 はっきりとした口調で洛叉がそう、口にした。


「そして、それはあの馬鹿にとっても同じ事です。奴の計算が貴方のそれと合わないならば、手綱を放さず縛めなさい。暴れ馬を乗りこなすのも、主の力量ですよ」


 その判断が誤りだというのなら、それを傍で咎めろ、離れるなと洛叉は言う。逃げるなと、そう言われたようにも聞こえた。


「この件の片が付いたら、少し話し合ってみるのがよろしいかと」

「…………解った。そうする……」


 洛叉の提案を、リフルは受け入れる。

 話を聞くだけではなく、言い負かされるだけではなく……逃げられないように縛ってでも、口を挟まれないように塞いででも、言いたいことを此方もずかずか言うべきだ。それで粗方言い終えた後、今度は向こうの言い分を聞いてやればいい。

 主が頷くのを見た洛叉は、僅かに微笑んで……森の出口を指さした。


「それでは、急ぎましょう」

「……兄さん、遅かったわね」


 会話に割り込む誰かの声。それは確か、兄さんとそう言った。

 リフルの前へ出る洛叉。その前に……木陰からゆらりと現れる影。それはさっき出会った青髪の混血少女。洛叉の妹。


「埃沙!?」

「急ぎたがるそいつの意思を無視してそれを逆手に時間を潰せば……私の先見から逃げられると思ったの?兄さんみたいな立派で頭のいい人が、そんなことを思ったの?本気で?本気で?」


 くすくすと、小気味よく埃沙が笑う。どこをどう通ってきたのか……真新しいドレスは木に引っかかったのかボロボロで、あちこちが土で汚れている。


「そうね。そんなはずないわね……兄さんはわざと時間を潰した。私が追いつけるように。先回れるように、そして今ここに来た。全て計算。知っての上で。そう、私にそいつを殺させるために」

「……それは違う。お前の力がここまでだとは思わなかった、俺の過失だ」

「あはははは!嘘ばっかり!」


 壊れている。少女は壊れている。壊れた精神を覗かせる虚ろな瞳で洛叉を見ている。

 妹は兄を見ている。尊敬すべき対象。素晴らしい兄。完璧な兄。そして自分を愛している兄。そんな偶像をそこに抱いて。

 自分が如何につまらない人間であっても、そんな素晴らしい兄に一番に思われている自分は価値ある存在。そう思い込もうとしている。その思いのためには、リフルという人間が邪魔だった。

 だからそれを排除しようとしている。洛叉はそれを止めるべく、彼女に心を打ち明ける。


「馬鹿な男がいた。その馬鹿は、……他人である人間を本当の弟のように彼を愛した。その姿に俺は、考えさせられた。そして俺は、人間としての……兄としての自分を考えた。そしてお前を大切にするべきだと、そう思おうとした。だが、おれは人の前に兄の前に……この人の家臣だ。俺はこの人に従う心を否定できない」


 血の繋がりのない人間を兄弟のように思うことが出来る人間も世界にいる。けれどその逆に、血の繋がりのある人間でも……他人としか思えない人間もいる。

 埃沙と洛叉の血は半分繋がっている。それでも自分と彼女は他人。それ以上に思おうとしても、出来なかったとそう告げる。


「そうだな。どうでも良いとは思わない。それでもお前はこの人には勝てない。この人より、お前は俺にとって遙かにどうでも良い存在だ。お前が背負っているのは、俺の家族の亡霊。その程度っ!たかだが、3、4!それだけだ!」


「……この人が背負っているのは、抱え込んでいるのは、そんな小さな数ではない!数百っ!数千っ!数万のため!!自らの欲のためにしか動けない生き人形が。この人の邪魔をするな!」

「その男が悪い……変なこと吹き込んでる!兄さんを、お兄ちゃんを私に返せっ!!」


 洛叉の言葉に埃沙は激昂。細い身体の何処にそんな力があるのかわらないが、彼女は軽々と大きな斧を両手に構える。数術発動までの時間を稼ぐためか、それとも先見を生かした格闘術の方が得意なのか。

 洛叉は部屋での戦闘のように薬瓶を取り出さず、腰に差した剣を手に取った。医者である彼がそうすることに……妹を相手に、抵抗が無いわけではないだろう。それでも彼はそうした。その決意に胸を打たれ、リフルも短剣を両手に取った。

 相手が洛叉の妹でも……武器を出されては此方も今は躊躇っては居られない。今度は絶対に、あの混血達を救う。そのためにここで、救うべき混血を一人殺したとしても。……それを自分は背負って進む。


「邪魔をするなら踏みつぶす。俺がお前に与えたその名の通り、ゴミのように踏んでやろうか?」


 攻撃を単調なものにするために、洛叉が埃沙を挑発。埃沙が何かを言い返そうとした時……傍から大きな溜息がした。


「おい闇医者。可愛い妹にそんなこと言うとは、てめーはシスコン失格だ。全世界の兄弟愛者に詫びやがれ」

「あ、アスカ!?」


 声の方向には、置いてきてしまったカーネフェル人。森の緑のような暗い瞳に妙な熱意のある妖しい光が宿っている。そんな目で、それでも肩をすくめた様子のアスカは、剣など取らず、洛叉に向かい……びしっと指さしこう述べた。


「兄たる者、常に妹を思うべし。守るべし。尊重するべし。慈しむべし、そして愛せよ」


 なんだこいつは……突然現れた男の姿に、埃沙は一瞬其方に身構える。

 しかし男は得体が知れない。敵か味方かわからない。けれど言葉だけを聞けば、それは洛叉を咎め、埃沙を肯定する……耳に心地良い言葉の羅列。

 ほぅと埃沙の顔が綻ぶ。そして支援者を得たことを良いことに、洛叉へ次なる言葉を紡ごうと……アスカの方から視線を外す。

 そこをすかさず不意打ちするのが、この男。知り合いの妹と言うこともあり真剣は使わないが、柄ごと思いきり少女を殴打した。細身の少女は堪らず吹き飛ばされる。

 見事な騙し討ちだ。そして女子供に攻撃するとは騎士にあるまじき精神だ。

 それから少女が残した斧。その柄をばきりと折って、それらを思いきり、少女とは別方向へと放り投げる。


「しかし残念だったなお嬢さん。生憎俺は年下女にゃ興味ねぇ!どっちかっつーと人妻派だっ!」


 お前が言い寄っていたディジットは非婚者かつ年下だろうにと心の中でリフルはツッコミを入れる。入れながら宙を舞う少女を見ていた。するとその落下地点際に誰かがいる。


「埃沙っ!」


 吹き飛ばされた少女をキャッチし、がっしり抱き留める洛叉の腕。その心配そうな顔に、埃沙は確信する。やはり自分は兄に愛されていたのだと。そんな風に騙されて、少女は気を失う。

 アスカの攻撃で、ではない。

 止めを刺したのは、兄である洛叉の方だ。洛叉の片手には注射針。それは既に空。何かを少女に与えた後だ。


「相変わらず最低だな。その騙し討ちと性格の悪さだけは褒めてやろうか」

「はっ、人のこと言えた義理でもねぇだろクソ野郎」


 二人の男は一瞬目を合わせた後、互いにそしらぬ方向へと逸らし、軽口を言い合った。

 一連の動きを見ていることしか出来なかったリフルは、ぽかんとしたままそれを見ていた。

 事前に話し合ったのかとツッコミを入れたくなるほど見事な連携だった。唯、人としてはどうかと思うやり方だった。


「……………さて、これでしばらく動けねぇよな」


 どこから取り出したのか、アスカは少女を足蹴にし、縄でふん縛っている。相変わらず女子供にも容赦がない。何かを言おうと思って言えないまま見ていたら、埃沙をそのまま木に吊し始めた。流石に止めに入った。


「い、いや!ちょっと待て!相手は女の子だぞアスカっ!!」

「やかましい。そうやって油断すると付け上がるぞこいつらは。何かあってからじゃ遅いんだよ。逆さ吊りじゃないだけ有り難いと思え」


 リフルの制止も聞く耳を持たず、アスカは芋虫状態の少女を吊す仕事を完成させた。そして後ろを振り返り、洛叉を睨む。


「闇医者、てめぇは見張りに残れ。それでこの病み娘の精神安定の世話でもしやがれ。てめーも医者なら治してやれよ。お兄ちゃんは天才なんだろ?」

「黙れ鳥頭。あとお兄ちゃんは止めろ。お前に言われても虫唾が走るだけだ」


 ここに一人で残すのは不安があった。洛叉がどの程度戦えるのかをリフルはよくは知らない。それにこの少女は数術使いだ。他にどんな技を持っているかを知らない。縛られた所で動きを封じたとは言えない。目覚めた後も気絶した振りを続け、時間を稼ぎ数術発動。そんなこともあるかもしれない。

 さっきのは不意打ちだから上手くいった。数術使い相手に生身の人間一人でどこまで戦えるか。数術使いとの戦闘に1対1は、やってはならない。

 かといって……ここで殺せと彼に命令することは出来るのか?それが出来ないとアスカは見越して……だから彼女をこうしたのだ。


「先生……一緒に」


 それならここで彼一人残すより、このまま彼女を放置する方が良い。時間稼ぎにはなる。

 そう考え、洛叉に声を掛けるとアスカが素っ頓狂な声を発した。


「はぁ?!」


 何か言いたそうな顔をしばらくしていたが、自分の髪を掻きむしり、まぁいいとそれを受け入れる。


「さっさと行くぞ。早く行かねぇと何やら知らんが、“手遅れになる”ってこいつの先見があるんだよ」


 アスカはそう言い、森の外へと歩き出す。三人でそこを抜けたその直後に、女の声が聞こえた。森の中から。でも埃沙の声ではない。もう少し大人びた……それでもそれは異変を伝える確かな悲鳴。


「この声……っ!ディジットだ!!」


 アスカは森へと戻りかけ……立ち止まる。代わりに代わりに洛叉の背中を蹴った。


「お前が行け」

「飛鳥……」


 洛叉が思いも寄らないその行動の意図を探るも、アスカはふっと笑って自分を嘲笑う。


「俺はこいつとトーラが言うには、家より仕事の下衆野郎的性格なんだとさ」


 少なからず思いはあって、馴染みのある彼女を助けに行きたい気持ちは山々。それでもそれが優先事項第一位には選べない。そんな自分は確かに男としては最低だと嗤っているのだ。


「お前も大概下衆だが詫び入れる位の心はあるだろ?あいつらに随分迷惑かけたらしいじゃねぇか。しっかり助けて償ってこい!」


 洛叉も見ずに背中ごしにひらひらと適当に片手を振って。

 そんなアスカに洛叉は小さく笑う。呆れたように。そしてリフルを見る。申し訳なさそうに、少しだけ……悔しそうに。

 罪と向き合う。そう決めた。だから今やるべき事は他にある。それでも、自分の役目だったことを……横から取られるのはやはり物悲しいものだ。そんな風に彼の漆黒の瞳が語りかけてくるようだ。


「……洛叉」


 昔は彼をどう呼んでいたのだろう。そう考えて、先生の他に浮かんだ言葉がそれだった。

 正解だったのか。洛叉の顔に走った驚愕。それにリフルは笑みかける。


「私は大丈夫です。もう子供じゃありません。解っているつもりです」


 そうだ。子供じゃない。守られるだけの泣いているだけの……助けの手を待っているだけの子供ではない。

 子供は他にいる。守るべき相手。助けるべき相手。自分はその手になりたい。差し伸べられる、その手になりたい。

 それが大人だと思う。彼も大人だ。償いをして、そして手を差し伸べられる人でいてほしい。


「傍にいて、目に見えるよう力を貸してくれるだけが、守ってくれるということではない。私は充分貴方に支えられている。多くを貰った。それは何処にいても……同じです。いつも私を支えてくれる」


 力を貸してくれる人。気持ちをくれる人。彼との出会いも、自分にとっては掛け替えのないものだ。

 それを告げれば、彼もようやく観念したよう。


「だから、行ってください」

「…………失礼します、リフル様」


 それでもアスカには釘を刺すことを忘れない。これもまた彼らしさなのかもしれない。


「……しっかり守れよ鳥頭。この人に何かあったら、怪我を負わせたのと同じ数だけ縫う怪我を俺がお前に負わせてやる」

「医者は第一に人を傷付けてはならないっていう格言がなかったか?」

「関係ないな。俺は闇医者だ」


 足音、遠離っていく。それを最後まで見送る前に、腕を引かれる。さっさと行くぞと。

 この身体が毒だと言うのを知っているのに、よくもまぁ、そんなに乱暴に腕を引くことが出来るものだと感心する。感心しながらそっとそこから腕をすり抜いた。

 そうして暫く彼と進んで……海までもうすぐ。開けた地形まで出て、唖然とする。


「………しまった」


 道を知っていたのは、洛叉だった。そして自分は方向音痴でもあった。


「アスカ……?」

「いや、俺も……お前が道知ってるもんだとばっかり」


 海が見える。海は見える。しかしこの高さはなんだろう。

 切り立った崖……そこは岬の上だった。


「おい、リフル……!あれ……」


 アスカがある方向を指さした。その先を見れば……燃えている。その一帯が明るく赤く染まっている。海が、燃えている。


「ふ、船が……っ!!」


 あれはどちらだ?混血の船?それとも、貴族の船?

 目を凝らせば、影は二つある。並んで並走していた二艘だ。飛び火した?両方が燃えている。


「フォースっ!トーラっ!!」

「お、おい!落ち着けよ!!」

「放せっ!」

「放したら落ちるだろ!馬鹿っ!」


 アスカから聞いた。船には二人が乗っている。海辺での取引の後、空間転移の数術で船へと移る。そして船を従え、きちんと目的地まで運ばせる。そのはずだった。


 思い出してしまう。1年半前の出来事。レフトバウアー。船。どちらも忌まわしい、その単語。自分が起こしてしまった事態。転がる死体。殺し合う人間。悲鳴を上げるあの少女。

 それを見ている自分が居る。赤い。赤い……壁が、床が、甲板が。岸が浜辺が赤く染まって。そしてこの眼が暴れ出す。

 それは過去か?それとも今か?目の前が染まっていく。血の赤。海の青。赤く……青く……合わさって紫。そして広がる。敷き詰める。暴れ出す。視界が一色。何もかもが紫。


(いや、……そうだ、落ち着け……)


 必死に言い聞かせる。

 トーラは数術使い。信頼できる。空間転移の術を持っている。

 全員は無理かも知れない。それでも、あの火の海から救い出してくれたかもしれない。いや、無理だ。そんなの無理だ。どうしてトーラが船ごと飛ばない?亡命させない?シャトランジアに。

 それは無理だからだ。彼女程の才能があっても、限界がある。あんな大きなもの。あんなに大勢の人間。運べるわけがないのだ。

 死ぬ?死んだ?フォースが?トーラが?誰に?何に?どうして?そんな、そんなのは……


「リフルっ!」


 思いきり名前が呼ばれる。はっと正気に返る。すると頬が何だか痛い。


「……、落ち着いたか?」


 アスカに打たれたのだろうか。彼は手袋をしていない。素手でこの毒の身体を殴ったのだ。怖くないのだろうか?血が出たら、触れたら死ぬのは彼なのに。その覚悟をもって自分を止めてくれたのか。

 見上げた彼の顔は赤い。呼吸も荒い。邪眼を直視した時のよう。邪眼は今、発動していた。していたのだ。今アスカが打たなければ、正気に戻さなければ……そうしなければ、またこの目は暴走していた。アスカを殺していた。


「…………アスカ」


 そう思うと、両目からぼろぼろ涙がこぼれる。急いで彼から離れて両目を拭う。

 そうならなくて良かった。彼を殺さずに済んで良かった。本当に、そう思った。

 目を拭いて……振り返る。彼に言いたいことがあった。

 その目に飛び込んできたのは他の人間の姿。夜の中から現れる、黒髪に赤い瞳の奴隷商。

 ヴァレスタは穏やかな微笑に嘲笑を滲ませてアスカを見ている。


「王子を攫った族を見たと思えば……何やらどこかで見た顔だ。うちにも何度か出入りしていたな。目立つ色だから覚えていたよ」


 目を細ませ、アスカの色を憎々しげに見つめている。深みを持った金の髪、森の翳りを宿したような緑の目。真純血の彼を恨めしく。


「確か……そう、グライドの家の使用人?あれはお前を気に入っていなかったか?私の可愛い部下を悲しませるとは許し難い行いだ」


 あの少年の家で働いていたのか。確かに商人組合の深くに関わる場所にいる彼から情報は有益だったろう。混血嫌いのあの少年だ。逆に真純血のアスカは好かれただろう。


(グライド……、グライド=フィルツァー…………)


 フォースが言うには潰れかけた商家に拾われ、その家をヴァレスタに救われたのだか。

 混血嫌いの彼だ。トーラからの混血保護の対象にあげられないということは、そこに混血はいないということ。それでもアスカにさせたこと。そして彼の立ち位置。彼の家も調べてみる必要がありそうだ。だが、今はそれどころではない。

 リフルはヴァレスタへと視線を向ける。この男はどこまで解っている?

 リフルがまだ人質だと思っている?それとも自分とアスカは共犯だと見抜いている?

 自分はどう動くべきだろう。


「那由多様、ご無事そうで何より。さて族よ、取引の場所に王子を連れてこないとは、最初から返すつもりがなかったと、そういう解釈でよろしいか?」


 此方を見る目はにこやかで、逆にそれが彼らしくなくバレている気がしてならない。かといってここで短剣を抜いたら、駆け引き的にはマイナスか?

 リフルは迂闊に動けない。それを見越したアスカが喋る。


「おい、これはどういうことなんだ?俺は船を燃やせだなんて要求はしていないと思うが?」

「何故船が燃えているだと?それは私が聞きたい」


 なんのことだとヴァレスタは言う。その素知らぬふりがわざとらしい程にわざとらしい。恐らく全てを知った上での唯の嫌味だ。


「王子を攫った悪党は、純血至上主義者だったのか。なるほどその容姿……真純血の人間か。それならそれも仕方ない。混血も、それを好む貴族も厭い、この宴に乗り込み鼻から全てを殺すつもりだったとは恐れ見る……という筋書きに話は通しておいてやろう」


 事実とは全く異なる内容だ。それをヴァレスタは此方に押しつけようとしている。


「商人組合の裏長は、随分笑いのセンスがあるんだな」


 それを聞いたアスカが敵意の籠もった瞳で笑う。


「政敵集めて始末して、その責任をこの俺に取れって言うんだからな。確かにいい手だ。敵は減るわ、手柄は出来るわ、共通の敵を討つことで賛同者も増えるだろうな。俺があんたの部下ならグッジョブとか言いそうなもんだが、生憎そんな男に仕える気はねぇしそんなことは言わねぇが」


 リフルはヴァレスタを見つめる。動けない今……できる対抗策は邪眼しかない。彼には効かなかった。それでも効かせなければならないのだ。

 動いた。近づいてくる。しかし彼が口にするのはそうじゃない。商人は、利益のためにしか動かない。持ち出されたのは、取引だ。


「もう一度、取引をしないか?あそこを見ろ。俺はあの火を消すことが出来る。今なら船の人間全てを助けられる」


 よく見れば、燃える船を追う船がある。その傍にはいくつか小型のボートも浮いている。

 飛び降りた人間達を助けることが出来る。彼はそう言っている。

 アスカはリフルならそれを見捨てられない。それを悟って、聞き返す。


「何をさせたい……?」

「言ったとおりだ。お前には、今話した肩書きを背負って処刑を執り行う。那由多王子にはそのまま刹那姫の元へ行き、仕事を果たして貰う」


「……わかった」

「アスカっ!?」


 もう黙っていられなかった。呼んでしまった。でも構わなかった。自分が離れるのは平気なのに、彼が離れていくのは恐ろしい。自分が死ぬのは平気なのに、彼が殺されるのは恐ろしい。


 簡単な計算。命の数。どちらを取る?

 どれだけ思い入れがあっても、命は1。多くの1を救うこと、それが英断。そのはずだ。その簡単な計算に、今……どうしようもなく迷う。選びたい。口を開ければ言ってしまう。

 アスカの名前を呼んでしまいそう。だけどどちらを選んでも、間違いだ。どちらを選んでも、間違いだ。


「…………待て」


 二人の男を呼び止める。鞘を抜いた短剣は、彼から貰ったこの武器は……、気付けばこんな使い方ばかりをしていることを思い出す。それでも、正解はこれだ。


「動くな……っ!その男を解放しろっ!」


 首より心臓の方が良い。そこに向けた短剣を、彼らによぉく見せてやる。そして、少し……少しずつ、後ろへ下がる。


「でなければ私は、私を殺すっ!」

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