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25:Spemque metumque inter dubiis.

「のぅ……そこな美少年。無視するでない!其方のことじゃ!」

「何でしょうか、刹那姫」


 刹那は面白くなかった。道案内があの小綺麗な顔の少年だったのは面白いことだったが、全体的に総括するなら面白くなかった。この少年をその辺りの茂みに連れ込んだ方が余程面白いかも知れないとさえ思った。


「ここの国の貴族共は、脳に脳が入っていないのか?」

「……私にも解りかねます」


 思い通りに事が運ばないのも腹が立つことはあるが、こうも思い通りになるのもそれはそれで気に入らないのだ。

 “皆様、見つけましたか?選びましたか?選びましたね?それでは結果発表は二次会場!豪華客船にて行います! そうです。スポンサーにより片割れ殺しを見つけた方にはその会場!豪華客船までプレゼントします!!”……だったか。

 指定された船の他にもう一艘用意すれば、そんな話にホイホイ釣られる。結果発表のための仕掛けだと言えば、主と奴隷、共に違う船に通されたことも不思議には思わない阿呆共め。


「まぁ良い。どうせあの中には本物は居ないのじゃ。奴らが那由多を手に入れることもあるまい」

「お言葉ですが……刹那姫は真純血の姫様でいらっしゃいますのに、混血に対し……思うところはないのでしょうか?」


 恐る恐ると言った表情もなかなか絵になる赤目の少年が、刹那に疑問を投げかける。なるほど、これは子供だ。固定概念に囚われた、食わず嫌いのある子供だ。


「そこな美少年、世の中には二種類のものがある」

「あの、普通に少年で良いです」

「この呼ばれ方が嫌なら妾に名前を教えるのじゃな。苗字ごと。後々使いの者が其方を攫いに行くやもしれぬがのぅ」

「……それでいいです」

「ならば突っかかるでないわ。以後気をつけよ」


 美しい者を美しいと言って何が悪い。事実だ。それを平然と認めるのがそう生まれた者の宿命よ。美しい者が謙遜をしても逆にそれは嫌味だろう。事実は事実として認められるべきだと刹那は思う。


(嘘は嫌いじゃ……)


 さて、この少年にどんな風に教えてやろう?手取り?足取り?……悪くない。

 これは利発そうな顔をしている。そういう者に何かを教えるのは意味あること。教えても無駄な者に時間を費やすのは無駄なこと。

 これは脳がある。だから例えを用いて教えてやった。


「料理は食えるか食えないか。人も同じよ。食える者と食えない者がいる。そこに色など関係ないわ。妾は美食家よ。美味い物ならなんでも食らうぞ。タロークでもカーネフェリーでも、混血でも。そうだな、いっそのこと聖職者でも」


 幼い少年には、まだ言葉の意味が理解できないらしく……微妙な表情で聞いている。

 そんな少年の耳元に顔を寄せ……、そっと囁き問いかける。


「其方も食ってはみんか?王女の味を、知りとうないか?自慢じゃないが妾は美味いぞ」


 顔が一気に赤くなる。何とも可愛らしい反応だ。目を背ける様が弟のそれにすこし似ていて、僅かに気が和む。

 清く幼い少年をからかうのは実に楽しい。心休まる時間だ。いい暇つぶしにはなる。


(しかし、まだ来ないのか?)


 船には粗方の客を乗せた。混血達も運び終えた。祭りはまだまだ、これからだ。

 指定された場所。船から少し離れた所で待機する。手下は背後に控えさせていた。

 あと十秒数えて来なかったら、この少年でも味見してみるかと考えていた。本番まで持ち込んだときに来られてもそれはそれで楽しそうだと思った。この少年がどんな羞恥に顔を赤らめるかがとても気になる。やはりあと五秒にしよう。しかしこういうときに限って邪魔が入るものだ。いや、邪魔でもないか。


「さて……現れたか」


 一陣の風と共に何処からともなく現れた、黒衣の男。縛られた弟は、浜に転がらせられている。


(数術使いか)


 こんな奇っ怪なことをするのは奴らしか居ない。タロックには大した腕の者はいない。これが本場の数術使いか。弟の一大事だというのに、不謹慎だが胸が躍った。


(数術使いの力がどんなものか、遊んでみるのも悪くない)


 これがセネトレア。次から次へと事件が起こる。ああ、楽しいなこの国は。


 *


「さて、よくも妾の手を煩わせたな」


 辿り着いた海岸で、待っていたのはリフルの異母姉、刹那姫。

 出会った頃のリフル並に髪が長い。髪の色も目の色も違っていて、似ているようで似ていなくて、それでもやっぱりどこか似ている。妖しいけれど、どこか惹かれるようなその感じ。雰囲気はずっと大人だ。一瞬言葉を失うような美女だ。

 しかしフォースから言葉を奪ったのは彼女ではなく、その隣で警戒している少年の方だ。


(ぐ、グライド!?なんであいつがここにいるんだ!?)


 そんな話聞いてない。


(そりゃ確かにロイルをどうにかしたようなあの男がこっちにいないのはいいけどさ……)


 グライドとなら渡り合える。トーラの補助もある。しかし、精神的にやはり来る。


 《フォース君、カンペカンペ!》


 こちらの沈黙に相手側が訝しむと、トーラが数術を使ってそれっぽい台詞を脳内へ響かせる。


「ぞろぞろと……行楽気分か?私はここに遊びに来たのではない。取引に来た。交渉相手以外はお引き取り願おう」

「ふ……、言うではないか。この妾が交渉相手ではないと?」


 笑いながら怒っている。真っ赤な瞳が紅蓮の炎のように燃え上がる。直視するのが恐ろしい。

 それを察したトーラが身動きをする。目覚めた振りを、彼女は演じる。


「……ここは」

「那由多!大丈夫か?何もされていないか!?」


 それを弟と信じた刹那は、数秒前までの目を忘れたように、ぱぁと瞳を輝かせる。

 そしてそれを止めさせるカンペ音声。


「動くな。一歩でも近づいてみろ。此奴を殺す」

「そこな変人!妾の前に手を出したなどと言ったならここで生きては返さなんぞ!さぁ、那由多を渡せ!」

「断る。其方が先にやれ。でなければ……」


 次の動作が頭に流れる。言われるがまま、那由多を演じるトーラの首筋に剣を当てる。それに彼女は彼ならそう言ったであろう言葉をこれまた上手に紡ぎ出す。


「……姉様、私はいいです。私はもう王子ではありません。一度死んだ人間です。貴女は国を統べるお方……命の重さは誰より理解しているはずです。私一人が死ぬのなら、それでいい。あの船の物達に何かがあってからでは遅いのです!!私は奴隷です!奴隷の……辛さを知っております!!今は温情ある主人達に飼われているあの者達も、もし何処に売られることがあれば、……きっと辛い思いをします」


 トーラの言葉に、一瞬グライドの瞳が揺らぐのを見た。しかしすぐに首を振り、自分に何かを言い聞かせ……また元の鋭い目つきで此方を見る。

 グライドにも、僅かに響いた言葉だ。弟が可愛くて仕方がないというこの姉は、すっかり虜になっている。


「おお。那由多!……其方はほんに心優しいのぉ!!だが……那由多。其方は王族じゃ。生まれて死ぬまで其方は王族よ。王の価値は民の数字では測れぬ。其方には価値がある。そのためにあの程度の数が消えたところで、其方が気に病むことはない。あれは王のために犠牲となる。人身御供よ。それをあれらは誇るべきこと」

「姉様……」

「そんな悲しい顔をすれでない。大丈夫じゃ。妾が嫌なこと、全部忘れさせてやろうぞ?安心して妾の傍へ帰るが良い」


 姉弟で、ここまで違うことを言うのか。フォースは美しいと思ったこの姫に、そう思うことが出来なくなった。

 トーラも震えているのが解る。恐怖じゃない。怒りだ。けれどそれを悲しみのように演出している彼女は流石だ。

 自分もやるべき事をやらなくては。フォースはグライドの方を向き、船の出港を迫る。


「それでは混血を載せた船を出港させてもらおうか?」

「それでは飼い主達に気付かれます」

「ならば、もう一艘も出させろ。途中で迂回させれば良い」

「………解った」


 グライドは手にした灯りを用い、船への合図を送る。そして船がゆっくり岸から遠ざかる……


「いい加減に那由多を離せ!」


(んで……?次はどうするんだトーラ?)


 《そうだねー……僕は一応リーちゃんって事になってるから。僕は刹那姫の暗殺を頼まれてる立ち位置でしょ。リアルに見せるためなら彼女の側に行きたがる。グライド君もそれを止めることはないはずだ》


 《だけどね……困ったことに僕らはあっちの船に飛んで乗組員を脅さなきゃ行けないわけ。ってなると……》

(まぁ、……そうなるか)


「それは飲めない相談だな。あの船がシャトランジアに着くのを見届けるまで俺は王子を帰すわけにはいかない!」

「姉様っ!逃げてっ!!」


 空間転移の数式を紡ぐトーラ。彼女はそれをやりながら、囚われの身を見事に演じている。

 それを攻撃が来ると見せかける、はったりだ。

 数術使いではない刹那姫にはそれがわからない。踏み出したい気持ちを堪え、一歩後ずさる。その横を走り、前に出る者がいた。グライドだ。


「美少年っ!何をやっておるっ!!」

「刹那姫!こいつら……偽物ですっ!」


 グライドがそう叫ぶ。


(あ、そうだ!!)


 グライドは数術を扱える。だから見える。数術使いと生身の人間。術を紡ぐその瞬間、どちらがそれを行っているかが見えたのだ。

 それだけで彼は確信した。こうして斬りかかるのは危険な賭けではない、それがはったりなのだと見透かした。

 フォースはトーラの前へ出る。トーラは数術使い。術発動までのタイムラグ。自分は時間稼ぎをしなければならない。


「あはははは!そんな簡単に大事な王子を返すと思った?王子は違う場所に待たせているよ」


 トーラは身体を起こし、一時中断された数術の展開を始める。


「妾を……この妾を謀ったかっ!?」


 姫の目が、これまで見たどの表情より強い怒りに縁取られる。それはこれまでの非ではない。恐ろしいを越えた。怒り狂っている彼女は、微笑んでいるより美しい。


「……くっ」


 グライドの攻撃を受け止め、押し返す。数術の展開に入ろうとしたのか。その隙を狙って飛び込み……やっぱり出来ない。一瞬の躊躇い。その内に彼の数式が完成される。風だ。急いで下がる。

 場所が悪い。ここは砂が多い。風なんか吹かされたら砂後からで視界を奪われてしまう。


「ほぉ……風に懐かれておるな美少年。ならば下がれ!」


 姫はグライドの代わりにそれまで待機していた護衛達を差し向ける。


(……こんな奴らっ!!)


 殺すことに躊躇わない相手。しかし相手は戦闘が本業の物達だ。幾らか強くなったと言え、大人相手に力では叶わない。一人で相手をするのは辛い。まともにやり合ったら殺される。

 死への恐怖。それが躊躇いを奪う。フォースは腕を掲げ、そして引く。引き絞る。その腕に隠した毒矢を射るために。

 暗い夜空。雨が降る。

 兜まで被った護衛は、視界が狭い。だから上には気付かない。

 一人が倒れる。それに気がつき立ち止まる。また一人、二人。鎧の隙間に突き刺さったその矢を見つける。ようやく気がついた一人が兜を捨てる。その頭に吸い込まれるよう、矢が舞い降りる。

 残る一人は走り距離を詰め、黒い雨から逃れ……此方にやって来る。その彼へ向かって矢を放つ。これで終わりだ。そう思った。

 その時、風が頬を撫でた。


「左っ!」


 トーラが叫ぶ。咄嗟にそっちに飛び避けた。風。向かい風。矢を押し返す。トーラがその軌道を読まなければ、フォースはそれに当たって死んでいた。


(グライド……)


 風を吹かせた。下げられたのはそのためだ。

 発動があのタイミングだったのは、偶然かもしれない。それでも、自分は躊躇い……彼はそうしなかった。殺す、つもりだった。あれは、そう……思わせられる瞬間だった。


 此方を見る目が物悲しそう。グライドが目を背ける。その仕草に思い出す。視覚数術は、それと気付いた人間には効かない。洛叉が言っていた。彼はどうやってリフルのそれを破ったか。仕草、歩き方、……そんなもの?

 ずっと一緒だった。兄弟のように思っていた。それはつまり……彼は自分の癖を知っている。あの躊躇った瞬間……或いはそれ以前から、彼には黒衣の男がフォースとして見えていたのだ。


「完成だっ!行くよっ!」


 トーラの声にフォースは後ろへと下がる。彼女の転移数術に身を任せ、その場から……グライドから逃げた。

 逃げた先は船の中。移動する目標の中に飛ぶのは難しいことらしく、トーラの数式計算にしては時間が掛かった。

 でも、無事に逃げ切れた。あとはこの船をしっかり目的地まで運ぶこと。それを見届けるのが自分たちの役目だった。

 グライドのあの目……あの行動。胸の奥が痛い。心臓に重い鉛を括り付けられたように、引かれていく、深く暗い場所へ。そのまま心臓をもぎ取ろうと、その重りが騒いでいる。


(いや……仕事だ)


 首を振る。息を吸う。大丈夫だと心を落ち着かせる。

 心配そうに見ているトーラに笑いかけ、大丈夫だとそう言った。彼女と船長室を尋ねるべく、船を進む。

 その間、目に入るのは混血ばかり。ここにいる混血達は、これまで見てきたそれ達と……何か様子が違っていた。耳に入ってくるその会話が、とてもおかしな言葉の羅列。


「えー……いいなぁ!それあのブランドの新作でしょ?うちの変態爺本当ケチで!金の使い方っての全然知らないの!お強請りしても一月に一着買って貰えればいいものよ」

「でもほんっとあいつら馬鹿だよな。適当に媚び売って猫被ってやってりゃ何でも言うこと聞くんだぜ?変態共の相手させられるのは億劫だけど、いい家で美味いもん食って暮らせるんだ。金には困らねぇし考えようによっちゃいい所だよ」

「それに比べて純血の奴隷共の小汚いこと。あんなボロ布みたいな服で外歩いて恥ずかしくないのかしら?私だったら絶対無理。あんな服で歩くくらいなら何も着ない方がまだましよ」

「はははは!仕方ないよ。あいつらはゴミだから。代わりなんて幾らでもいる大量生産された人間だしね。一匹じゃ価値もない。値段も付かないゴミ共さ。純血が僕らを憎むのは自分らが醜く生まれたその劣等感からだろう?嫌だねぇ。醜い人間は心まで醜い。心が貧しい人間は金もない!本当に救えないよ」


 この子達は何を言っているんだろう?

 綺麗な色の髪、綺麗な色の瞳。小綺麗な洋服を着せられた人形のような子供達。自分なんかと比べものにならない美しさ。目と心を奪われる。その神に愛されたような造形。

 そんな天使のような外見の混血達の口から溢れる言葉は、天上のものとは思えないほど、醜く傲った言葉だった。

 欲だ。欲に塗れた人間。人間の姿だった。これだけ美しく愛らしくても……彼らも人間だった。こんな形で、知りたくなかった。見下げることで、彼らも人間なのだと……浅ましい人間なのだと気付かせられるなんて。

 ここは肥だめの中だろうか。吸い込む空気が汚らわしい。息をする気力も無くす。フラフラと歩くフォース。その手をトーラが握りしめ、しっかりとした足取りで穢れたこの空間を歩き出す。そして彼女が呟いた。


「……だから、リーちゃんは凄いんだよ」


 この場にいる子供達は、壊れてしまっている。価値観、常識、モラル。そう言ったモノが壊れている。そして人の心も。人を人と思うことが出来ない。本当の意味で誰かを愛することも知らない。


「彼だって、こうなってもおかしくなかったんだ」


 歪んだ欲のはけ口とされ、歪んだ愛を捧げられ……人とは何か、自己とは何か、愛とは何か。それを見失い、彼は殺しの道具に成り下がった。


「いや、彼は壊れかけていた。でも……彼は持ち直したんだ」

「それは……アスカがいたから?」


 あの頃……フォースが見たリフルは、優しい目でこちらを見ていた。だけど、危なっかしい、……鋭く磨かれたナイフの上を歩いているような人だった。

 そんな彼を窘めるのは、隣にいた彼だった。それを口に出せば、トーラが静かに首を振る。


「違うよ。彼だけじゃない。出会った全ての人から、彼は教えられ、学んだんだ。誰かを大事に思うこと。力になりたい思うこと。守りたいと思うこと。その人の幸せを願うこと。笑って欲しいと思うこと……」


 彼が凄いと言ったのは、ここの子供達のようにならなかったことではない。出会った人から何かを吸収出来るその心の広さ。多くの人は出会っても、何も得られず通り過ぎ別れる。それが他人との関係。

 しかし彼は出会うだけでは終わらせない。出会った人間の思い悩み……それを抱え込み、彼は考え……そこから何かを得るに至った。それが足場となって今の彼がいる。踏みとどまって、変わった彼がいる。

 毒の身体では愛を知ることは出来ない。それでも誰かを想うことは出来るのだと彼は言うよう、人のことばかり悩み、傷つき、抱え込む。そうすることが、呪われたこの身が他人と関わるための術なのだと言わんばかりに。だから自分のため、そう言いながらいつも誰かのことを考えている。

 

「リーちゃんは、言っていた。フォース君との出会いは、リーちゃんにとって掛け替えのないものだったんだよ」


 この腐りきった欲の箱庭。セネトレアで彼と出会った。

 綺麗な人だと思った。この世の者とは思えない。そんな風に見えたのに、時々おかしな事を言い出して、首を傾げる様は人間以上に人間じみて見え……ごく稀にふっと微笑む様はぼうっとするほど愛らしかった。それは人形の笑みではない。生きた人間の温かさ。


「彼は君の目が好きなんだって」


 ありふれた色の目。好きではなかった。ここにいる混血達が言うように、自分の代わりは他にいる。そんな思いを抱えていた。もしも自分が混血なら、もっと綺麗で珍しい色をしていれば、別の生き方が出来たのだろうかと思ったこともある。同じ、売り飛ばすなら……母親だって混血の方が高値で売れて良かったはずだ。そんな、大嫌いだった自分の色を……彼は好きだと言ってくれる。言ってくれた。だから自分は黒が好きになった。自分を少しだけ、好きになることが出来た。


「いつも真っ直ぐで、欲にも染まらず……汚れなく輝いている。君のその純粋さに彼は救われていたんだ」


 自分が彼を見上げる目は、そんな風に映っていたのか。確かに自分が邪眼に惑わされたとき、彼は少し悲しそうな顔をしていた。

 それを思い出し……彼がそれを望むなら、変わらずにいたいと思う。けれど思うことで、それだけで……時を止めることなど出来ない。

 それを認めるように、トーラが頷く。


「君も生きている。変わっていく。いつまでもそのままではいられない。たぶん、もう変わってしまった部分もある。それでも彼は君を今でも大事に思っているよ。君のことを話すときは、いつも穏やかな顔になる」


 フォースと出会って別れた後のリフルを、ずっと傍で見てきたのはトーラだ。その彼女が言うと、それが本当のように聞こえる。


「君の何かが変わっても、君は真っ直ぐに誰かを慕う。その本質はきっと変わらない。だからリーちゃんは、今でも君に救われている。君は何も出来ないと嘆いているけれど、君がそこにいるだけで……救われている人がいるんだよ。それは誰に代われることじゃないし、凄いことだと僕は思う」

「……僕も、君には救われている。だから気にしないで。傷つきやすくて優しいところを、リーちゃんは好んでいるみたいだけど、彼も僕も君が傷ついているのがみたいわけではないんだから」


 トーラは嘘を吐くのではない。言葉の重みを理解しているのだ。伝えたいことはちゃんと重くして、どうでもいいことは軽くして真剣みを薄める。だからそんな彼女が意図して重くした言葉は、しっかり胸へと届く。

 それまで聞こえていた雑音を、彼女の言葉が和らげ、守ってくれる。その優しさが温かい。


「……トーラ、ありがとう。なんか、……どうでもよくなった」

「何?惚れちゃった?……うーん困るなー、養子とはいえ我が子に手を出したらお父さんに怒られる」

「?何だよ、それ」


 いきなり出てきた妙な例えにフォースは首を傾げる。それにトーラは愉快そうに笑い出す。


「ああ、フォース君来る前にリーちゃんとアスカ君弄ってたんだよ。リーちゃんがアスカ君の子供の名付け親になるのが夢とか言い出して」

「リフルさんってネーミングセンスあるの?」

「無さそうだから心配。無駄に長いのとか付けそう。それか厳ついの」

「それで?」

「アスカ君の性格じゃなかなかお嫁さん来ないだろうなって話になって」

「ああ。結婚してもすぐに逃げられそうな性格はしてる」

「そうそう。いっつも主主で奥さん嫉妬して家出しちゃうよ。ってことで僕とリーちゃんで養子を取れば問題なしってことになって、リーちゃんがそれならフォース君を養子に取ろうって話になったのさ」

「名前付けたい話から、もう名前変えようがない奴貰い受ける話に変わったな」


 トーラと共に苦笑する。目の前の少女。それは記憶の中の母とはまるで重ならない。簡単には泣かないし、男を待つだけの女じゃないし、可愛らしくはあるが儚げではない。人としてのジャンルが違う。それでも自分の心配をしてくれている明るい彼女に励まされる気持ちがあるのは本当だ。


「まぁ……お母さんって言うよりはお姉さんだよな」

「なるほど。連れ子持ちの男に嫁いだ再婚相手の気分だよ。徐々に認めさせる方向で如何?」

「俺はそれでもいいけどさ、五月蠅い奴が俺の上にいると思う」


「ああ、あの小姑ね。……どうしたもんかなー……って、フォース君?大丈夫!?」


 腕を引かれた事で、トーラが気付く。フォースは先程の言葉を最後に力を失い倒れ込んでいた。駆け寄るトーラ。自分でもフラフラと歩いていた自覚はあった。それでも倒れてしまうほどとは思わなかった。


「ちょっと待ってね……」


 数術を紡ぎ、何やら探るような様子のトーラ。そしてそれを見つけたらしいトーラは、やられたと小さく舌打ち。


「……っ!!そうか!風っ!!あの向かい風。刹那姫が毒を流したんだ」


 グライドの顔を思い出す。それは……死を哀れむ目。そしてそれを僅かでも肯定してしまった者の目。

 足音は、あの時から始まっていた。


「……データにない。オリジナルの調合毒だ。僕の解毒計算で解除できるか…………ううん、解除するっ!!」


 トーラが数術を紡いでいるのだろう。見えないが、彼女が奮闘してくれているのはわかる。

 それがしばらく続くが、一向に良くなった風には思えない。身体が重い。怠い。熱い。風邪にかかったような感覚。でももっと強い。身体の内側から焼き殺される。食い破られる。針で中から突き刺されている。頭蓋、眼球、手足に心臓。

 苦しい。それを自覚するとそれがもっと強くなる。


 毒だと聞いた。リフルの毒はすぐに効く。すぐに効いてすぐに死ぬ。けれどこの毒は症状が出るまで時間が掛かった。それはつまり……この痛みが長引くということだろう。


「大丈夫……絶対、僕が何とかするから!!」


 トーラの声が遠く感じる。それと似た言葉は何度か繰り返されたが、やがて彼女は何も言わなくなった。動きたがらない瞼に鞭打って、無理矢理目を開く。なんが、すぐ隣にいる。

 それに気付いたトーラが泣きそうな顔で言葉を紡ぐ。


「フォース君……聞いて。そして選んで。……この毒は、僕の数術では治せない。それに……苦しいだけ苦しい。でも治らず苦しんだ末に死ぬ毒だ」


 数術は理論上は何でも出来る。それでもそれを扱うのは人間だから、出来ることと出来ないことがある。

 万物は数字。人体もまた数値。毒は数値の異常に他ならない。それを書き換えることが出来るなら、正常に戻すことが出来るはず。

 理論上ならリフルの毒を取り除き、彼を元の身体に戻すことも可能なはずだ。しかしそれは出来ない。

 行き過ぎた異常は、バグのようなもの。数値で構成されている身体に、違う文字を組み込んだようなもの。数術使いは数値を弄ることしかできない。だからその異常を取り除くことは出来ない。この毒も、それに似たものなのだとトーラは言う。


「君が痛みを嫌だというのなら、僕は考える中で一番楽に死ねる数術を君にかける。……君が死にたくないというのなら、僕はこれを君に飲ませる」


 トーラが取り出したのは小さな小瓶。深く赤い色は葡萄酒を思わせる。


「これを飲んでも死ぬかもしれない。それがどのくらい苦しいかは、リーちゃんしか知らない」


 その言葉でフォースは気付く。これが、リフルを……那由多を殺めた毒なのだと。


「リーちゃんからいざって時のためにもらった屍毒ゼクヴェンツ……。全ての毒を集めた毒だ。全ての毒を、殺す毒。上手くいけば僕に解けない所を治してくれる。そこまで行けば、僕は君の毒を解除することが出来る。…………死にたい?生きたい?……僕に、教えて」


 どちらを選んでも死ぬかもしれない。その可能性は高い。もし、ここで死んでも仕方がない。自分は人殺しだ。苦しみ藻掻いて死ぬのだとしたら、それも似合いの最後だ。

 どちらが苦しい?どちらが俺の裁きに合っている?


(リフルさん……)


 いつも悲しそう。寂しそうなあの人。

 もし、生き延びることが出来たなら……あの人に手を伸ばしても、死なない身体になれるだろうか?そうならなくとも……同じ毒を呷ったら……その痛みが分かるだろうか。


(俺は貴方を知らない)


 どれだけ辛いのか。苦しんでいるのか。痛いのか。怖いのか。

 どうせ同じく死ぬのなら……


「生き、たい……」


 あの人と……同じ毒。

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