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24:Age quod agis.

「くそっ……」


 走り去る主の背中。アスカは顔見知りをそのまま捨て置き、すぐに追いかけるも、人に紛れて見失う。

 それに苦い思いが込み上げる。

 いつもどうしてこうなるのか。いつもこうだ。いつも彼を見失い、それを追ってばかりの人生だ。

 どうしてとリフルは尋ねる。そんなものは自分にとっては当然のこと。友人だから、部下だから。そんな言葉で言い表すには言葉が弱く、届かない。


(兄貴が弟の心配するのも、手ぇ貸すのも当然だろ……)


 そう言えたらどんなにいいか。でも、言えるはずがない。父も母ももういない。いるのはたった一人の弟だけだ。

 憎しみはある。彼がいなければ、父も母も死ななかった。母がタロックに嫁がなければ、傍で一緒に……、両親に囲まれて暮らせただろう。裏の世界で生きることもなかった。金と身分を弄び、悠々と自堕落に暮らすことが出来ただろう。

 それでも……金も身分も価値がない。

 奴隷商に荷担してでも、彼が守りたがっている奴隷達を見捨てても、彼に近づく手がかりが欲しかった。


(俺に……失望したのか?)


 いや、違う。あいつはそういう奴じゃない。それを全て自分の責任だと考える。

 アスカが人殺しにまで落ちたのは、自分に出会ったせいだと考える。他の連中とは再会し、共に行動していても、自分の所までは来なかった。避けられていた。意図的に。

 信用されていないのだ。邪眼に侵されているこの思考を。

 邪眼に。掛かっているのは確かだ。それでもそれが自分の全てではないはずだ。アスカがその目に魅入られたのは、リフルの邪眼を発現する以前のことだ。それを言っても今はおそらく届かない。

 手段を選ばず、他者の犠牲を肯定した。それは、深く彼の胸を抉ったのだ。


「…………馬鹿?」


 項垂れているアスカの前に、情報収集後方サポートに専念していたトーラが現れる。その視界に映った時点であからさまに見下す表情をされた。


「今回ばかりは言い返せねぇな、不本意ながら」

「君、さっき話した計画まったくわかってないでしょ?」


 本来なら、リフルも混血達の中に紛れ、船へと逃れる。そこで船員に正体を明かし、命を脅してシャトランジアまで無事に亡命させる。自分たちもその手助けをする。その予定だったが肝心のリフルが消えた。

 肩をすくめるトーラの表情は複雑な色。


「まぁ、僕はリーちゃんの現在地は把握してるし大丈夫だけどさ。でもこれだけ人が沢山いると情報量も多い。見つけるのはちょっと時間が掛かる……」


「それにリーちゃん本人がそれまで見つからなかった場合、僕らがそれをやらなきゃならない。僕はリーちゃんの正装も見てたから彼に化けることはできる。取引の場には行かなければならない。君もそこにはいてもらわないと……」


 重い溜息を吐き、トーラが視線を上げて……虎目石の瞳が鈍く光った。


「ん……あれは」


 振り向けば、この場にそぐわない人間がいる。

 会場の入り口で、何やら揉めているそれは、聖教会の……聖十字の兵士が何人か。


「聖十字……?何でこんな所に」

「流石リーちゃん、人望……とはちょっと違うけど、駒を集めるのが本当上手い」


 彼らの登場に考え込むアスカを余所に、トーラはにやりと口の端をつり上げ笑う。


「行けるよ、アスカ君。更にここから引っかき回せる!」



 *


「やっぱニクスってば本当にお馬鹿さんねぇ……」


 呆れたような女の声。それにフォースが飛び起きれば外は明るい。というかもう暗い。そろそろ日が暮れる。それ以前に外は?違う。ここが外だ。

 人の少ない路地裏の物陰。そこはしんと静まりかえっている。自分はそこに倒れ、見上げている。そこに、傍に誰かがいる。


(ディジット……?違う……)


「エリザ……?」


 目の前にいるのはカーネフェル人の少女。しかし、自分が思うにここにいたのは別のカーネフェル人ではなかっただろうか?


(ディジットは……?)


「誰か、俺の他に見てないか?」

「知らないわ。私がここ通りかかったらあんたが倒れてたのよ」


「通りかかった……?」

「買い出し。前に見つけた近道でも通ろうかと思ったんだけど、何でこんな所にあんたが倒れてるんだか」


 買い出し。その言葉で気付く。彼女の手には様々な食材が抱えられている。奴隷商と言えど人間だ。生きているのだから何かを食べる必要はあるだろう。そんな当たり前のことが、何故かとても新鮮なことに思えた。


「これ、何かわかる?これ使い方間違ったらてら危ない奴よ。丸一日昏倒させられるくらい強い睡眠薬。何があったか知らないけど、また狐か女に騙された?そんな間抜けな顔して」


 近くに転がっていた小瓶と注射針を手に取り、状況理解に戸惑っているフォースにエリザベスがけたけたと笑みかける。

 彼女が手にしているもの。それは、フォースが再びディジットに騙されたという物証だった。

 あの言葉も、涙も、全てが作り話だったのか?

 そう思うと強い憤りを覚える。そんなフォースの様子を見、エリザベスは鼻で笑った。


「本当に男って馬鹿ね。女の言葉なんか話半分で聞いてればいいのよ。どうせ誰も十割本当のことなんか言わないんだから」


 嘘ばかり吐く彼女が言うから、その言葉はもっと別の意味を隠し持っているように聞こえた。十割本当は言わない。それは逆に考えれば、十割の嘘を……彼女たちは口にすることが出来るのか?


(ディジット……)


 思い出す。彼女の言葉。彼女の思い。

 男が自分が愚かだというのならそれは本当のことかもしれない。それでもフォースには、ディジットの涙が十割の嘘には見えなかった。

 彼女は何処へ消えた?何をしに行った?わからない。それでもそれを止めなければならない。強くそう思う。

 けれど自分は何も知らない。わからない。何処に行けばいい?何をすればいい?

 考える。考える。使える手段を。方法を。

 そして思い出す。あの商人の駆け引き。人質を取り、人を従えるその手腕。

 人質。フォースが持っている人質。そんな者はいるか?いない。

 いや……一人いる。


「エリザ……俺の懸賞金って幾らだ?アルタニアでは俺が手配されているんだろ?」

「そうねぇ、幾らだったかしら。新アルタニア公と裏商人組合は手を組んだようなものだから、その内王都でも手配されるようになるんじゃない?あの殺人鬼suitと連んでいるんならそれなりの額になると思うけど」

「…………俺の首、お前にやるよ」

「は?」


 突然のフォースの提案にエリザベスは空色の瞳を見開いた。

 しかし今自分に出来る取引は、これしかなかった。

 自分は人殺しだ。リフルがいつも言うように、そういう人間が裁かれるべきなのは、変わらない。自分だけそこから逃れることは許されない。

 だから彼女に告げる。全てが終わったらその責と向き合うと。


「全部終わったら、俺の首をお前にやる。その金もお前にやるよ。だから俺に力を貸してくれ」


 自分の命。そこに載せられた金の重み。それを取引材料、人質として彼女の前に差し出した。

 彼女は事情に通じている。彼らがどうなったかを聞き及んでいるだろう。

 今自分がすべきことは、彼女を手中に収めることだ。取り込むことだ。買収すること。自分に持てる全てを賭けて。

 真っ直ぐに彼女を見つめる。しかし彼女はそっぽ向く。


「嫌よ。今の職場はコンスタントに稼げる方が未来保証があるわ。一攫千金って賭けだもの。あんたの倍率じゃ賭ける気にはならないわ」

「俺の首で足りないなら、命でも、魂でも、臓器でも遺品でも何でも良い。金になるもの全てを持っていって、売りさばいて構わない!」


 エリザベスがゆっくり視線を此方に戻す。鋭い光。憎むように激しい炎が渦巻いている。

 突き放すよう、近寄れば焼き殺すと言わんばかりのその光。空色の青が、炎の色を彷彿させる。


「女と男。自分と他人。それは相容れない種族。別の生き物。解り合うことも信じ合うことも出来ない隔たった存在。私は私のために生きている。仮に協力したところで何時裏切るとも知れない。隔たった貴方を、私はニクスを信じない。それでも私を信じると、……そう言うの?」

「ああ、今は信じるよ」


 フォースの微妙な言葉にエリザベスは疑問の表情。


「今は?」

「俺だって何時までもやられてばかりじゃいない。エリザが俺を裏切る前に俺が裏切る。打ち負かす。これは駆け引きだ。それに負けたらやっぱり俺が馬鹿のままだったってだけ」


 騙されること、裏切られること前提で。それでも力を借りたいと彼女に告げる。

 すると彼女は真顔で思いきり吹き出した。その後いつものように、けらけらと笑い出す。


「馬鹿。全然負ける気がしないんだけど」


 吹き出した反動で、散らばった食材を集めながら彼女が笑う。


「俺は裏切られても出し抜かれても恨まない。エリザは俺との約束を守る必要はない。これなら気が楽だろ?だから俺に力を貸してくれ」

「……私に任せたらいろいろ余罪背負って私の取り分増やすかもよ?」

「やれるもんならやってみろ」

「言ったわね……いいわ、それじゃあ私は今から貴方の下僕。ご主人様、何なりとご命令を」


 主と口にしながら、彼女が跪くことはなく……変わりに片手を差し出し微笑んだ。


 *


(奴があんなことを言い出すとは……)


 殺人鬼suit。いつも自分の前に姿を現し、嘲笑うよう言葉を残し、また消える。

 ラハイアの元に送られる犯行予告。

 しかしその標的を助け出すことは一度も叶わなかった。狙われているということを伝えに行っても信じて貰えず、追い返される。

 それもそのはずだ。聖十字兵の立ち入った場所は十字法の保護下に置かれる。現行犯ならこの無法王国が認めている、野放しの罪を罰することが出来る。だからこそ、そんな危ない者を敷地内に入れはしない。自分に非がないと言うのなら容易いことを拒むのは、彼らが何かしらの罪を犯している自覚があるから。

 しかし証拠がない。乗り込まなければ捕らえられない、救えない。しかし踏み込めば不法侵入で裁かれるのは此方。ならばと外部で警備を行い、監視を行う。しかし人間一人で出来ることは限界がある。

 唯でさえ自分には敵が多いと自覚している。あの殺人鬼が狙う標的はいずれも奴隷を虐げている者ばかり。その主を殺人鬼が殺す。所有者の消えたそれを、教会が保護し亡命させる。自分はその役目を殺人鬼から押しつけられていた。

 その功績で殺人鬼と出会った頃より出世した。動機の同僚達にはそれを疎まれている。手柄を独り占めしていると。

 違う。それでも協力を仰ぐのは困難。上はそんな不確かな情報では動かない。迂闊なことを口にすれば、煩わしく思われている自分が殺人鬼とでっち上げられ、裁かれるのは目に見えている。今でさえ、共犯と疑うものもいるくらいだ。

 正義のために働かず、さぼりを行い、金に流される。楽して地位を求める。地位はつまりはそう、金だ。このセネトレア聖十字に、正義のためにそれを志した者が何人いるのか。皆、この空気に毒されている。

 元々、聖十字が高給だからと入隊した者も多い。そんな者がセネトレアに来て、きちんと働くわけがない。粗探しばかりをし、他人を蹴落とすことばかりを考えている。


 教会の腐敗。それを告げられた。嘘だと言いたかった。それでも……自分は見ている。周りで暮らす兵士達が、目に付くところでも兵士の心得を破っていることを。

 巡回の仕事の途中に抜け出して、昼間から酒を飲み、女を買い漁る。商人達と馴れ合って、十字法で定められた罪を見逃す。

 数え上げればきりがない。目に余る者は注意をするが直らない。上へかけ合ってもはぐらかされる。

 それでもまさか、助けた奴隷を商品として奴隷商に流しているなんて思わなかった。……以前そういう上司がいた。それでもそれは人間一人を扱った。けれど、今度は船ごと。それを何隻も。救ったと、そう思っていた人間達は、皆この世の地獄へ流されたのだ。

 助けたはずの……亡命させたはずの少年が、罪人として記されている。自分が、教会が、彼らを見捨てた。裏切った。


 それを防ぐには、自分は何をすれば良かった?唯、あの男を追うだけでは駄目だったのか?


(共犯か……)


 あの殺人鬼は。何故自分に目を付けたのだろう。

 いつもこの世界に絶望したようなことを口にして、ラハイアの言葉を夢物語だ理想論だと嘲笑う。

 あの男を認めたくない。肯定など絶対に出来ない。それでも、彼の思想。彼の行動。その全てが完全に間違いだと自分は言い切ることが出来るのか?

 自分が口にしたことは、やはり理想だ。現実問題、この第三聖教会は腐敗している。

 功績を挙げ地位を上げれば、それを変えることが出来るとあの男は言い、そうかもしれないと自分もどこかで思ったはずだ。しかし、本当は……それこそ理想論だった。


 自分の心に背いても、ある程度救うべき人間を見捨てても。悪をむざむざ見逃してでも。

 自分は人脈を作るべきだった。そうしてコネを作り成り上がり、最後の最後で全てを裏切る。それまでの仲間を公の場に売り渡す。自分が悪に染まる覚悟を持つことが出来なかった。

 人を殺してはならない。殺せばやり直すことが出来ない。聖十字は、十字法はそれを許さない。それを信じるからこそ、suitの犯行を止めようとしてきた。

 しかし、その標的を生かしたまま捕らえ……人権を奪われ、非道な扱いを受けている者達を救うことは出来るのか?


 罪を犯さなければ、人を見捨てなければ、この世の罪は裁けないのだろうか。

 朝から気分が優れない。溜息が尽きない。食堂での一服にも気が滅入ったままだ。そんな自分の様子を気に留める者もいない。はずだった。しかし隣に座る何者かの気配があった。

 金髪の青目のカーネフェル人。軽薄そうなその態度から、あまり親しくはしていなかったが、こんな性格の自分に絡んでくるのはここでは彼くらいのものだった。


「おいおいライル。何そんなに沈んでるんだ?手紙の彼女に振られたか?」

「放っておいてくれエティ」

「放っておくって言われても、そのままだとお前カフェイン中毒なるんじゃね?」


 同僚のエティエンヌ。彼に言われて気がついた。茶葉を取らなかった紅茶が血のように深い色に染まっている。口に入れてみれば当然のごとく、苦い。


「あー……おい待て。うん、ちょっと待て。俺が悪かったからそんなに茶を虐めるな。茶葉と水には罪はない。あと砂糖にも。幾ら苦いからってそんなに砂糖入れたらそれはもはや紅茶じゃない。焼けばなんか違う料理できそう」

「それじゃあお前が飲むか?」

「いや、遠慮します。糖尿病は怖いぞ、……ってそんなことよりお前、一体何があったんだ?」


 此方の顔に指を突きつける同僚。

 目の下の隈が凄いぞとエティエンヌから指摘される。


「やっぱり彼女に振られたんだろ?」


 兵士へ送られてくる手紙は、検閲を通る。あの殺人鬼はそれを見越して偽の手紙をそれに書く。余程嫌がらせが好きなのだろう。悪趣味な手紙はシリーズ物や、ストーリー式など無駄に凝っている。

 エティエンヌの言う“彼女”からの手紙は、告白から始まりそれをラハイアが受け入れず拒んだという設定でそれに更なる口説き文句を添えて、それが何回か続いて、その後にようやく付き合いだしたという内容だ。自分の性格を把握されていてあれを見たときは吹き出した。実際にもし仮にあんな手紙が送られてきたとしたら、そんなやり取りがありそうだと安易に想像できてしまった。

 お会いできなくて寂しいですだの、お仕事頑張ってくださいねだの、健気な女を騙る手紙ではあるが、書いているのがあの殺人鬼だと思うと気も萎える。

 故郷の母親からの手紙を装う場合は、笑いものにされる程度だが、女から送られてくる手紙を騙る手口には、ほとほと悩まされていた。面白がった兵士達が回し読みをするわ、噂をするわ、噂に尾鰭がつくわ……手紙の内容で偽りの個人情報が唯漏れだった。


「まぁ、そう言うときはこっちよりこれだろ」


 失恋だと決めつけた同僚が肩を抱き、こっそり懐から取り出した酒瓶を此方に見せる。


「なっ!お前、こんな昼間から!!」

「はいはい。非番の時くらい無礼講!飲み行くぜー!」


 ラハイアは、ずるずるとそのまま彼の部屋まで引き摺られていく。ぱたんと閉められた扉。鍵まで落とすその様が、妙な違和感を覚えさせる。


「……で?本当は何があったんだ?」

「何の話だ?」

「前々からおかしいとは思ってたんだよな。だってお前の母ちゃんって、もう死んでるだろ」

「……誰から聞いた?」

「データバンクをハッキング」


「はぁ!?お前、数術使いだったのか!?」

「いやいや、それくらい数術使いじゃなくともやろうと思えばいけるもんだぜ」


「お前に来る手紙は、一件不思議なところはなかった。でもな、その頻度が多すぎたんだ」

「は……?」

「いいか?お前と例の彼女の文通は!一年以上も続いている!その間隔も狭い!これは絶対にあり得ないことなんだ!!」


 拳を握って同僚は、熱く熱く語り出す。

 浮ついた男は、洞察力に長けていた。


「距離はどうあれ仕事人間のお前だ。実質遠距離恋愛。なかなか会えない。それでも一年以上も一途な思いを語る女などいない!付き合う前ならいざ知らず、付き合った後もそれが続くわけがない!次第に手紙の間隔は減り、浮気相手が出来、音沙汰がなくなるっ!これぞ恋距離恋愛っ!それを見抜けないのはお前が女に幻想を抱いている動かざる証拠っ!!」

「なっ……なんだとっ!?」


 そんな馬鹿な。そんな下らない観点からの推測で、自分達のやり取りは見破られたというのか?口をぱくぱくと開け閉めしているラハイアに、同僚はにやりと笑って見せた。


「母ちゃんからの手紙、どこのどいつから来た奴なんだ?……別に黙っててもいいけど、それなら俺は口が滑るかもしれない」

「ひ、卑怯だぞ!人を脅すなど人として恥ずかしくないのか!?」

「あはははは!ふははははは!それ、本気で言ってる?言ってるんだろうなー……ほんと面白いなお前は」


 此方が本気で怒っても、相手にされない。本気で馬鹿にされている。暖簾に袖押し、そんな気分だ。


「別にお前がやってることを止める気はないし、上に言うつもりもない。だけどなんか面白そうな雰囲気だ。俺も混ぜてくれ。差し詰め、あいつに関係在ることなんだろう?俺の洞察眼が疼いて仕方ない」


 正義のためではなく、自分の好奇心のため。そのために、危ない橋を渡りたがる同僚の気持ちがわからない。どう考えても解る気がしないから、こういう人間もいるのだと割り切るしか他になかった。

 そして、あいつと口にした同僚は、此方のことを全て知っている風だった。


「知っていたのか……?」

「普通気付く。お前の周りを見てればな」


 俯いて目を伏せ、意味ありげに彼は言う。

 もはや隠し通せることではないだろう。自分の部屋へと場所を移し、本当の手紙を彼へと見せた。


「そうか。おまえあの有名な殺人鬼から呼びだしくらってたのか」

「!?知ってたんじゃないのか!?」


 それをふむふむと読みあさる彼は、驚き半分、面白半分といった表情。


「いや、言ってみただけ。そっかーそうだったのかー」

「人を騙すなど、貴様は……っ!!」


 彼の軽薄さには、自然と拳が震えてくる。

 エティエンヌは明るい調子で鼻歌交じりに手紙を読みふけっていた。


「へぇ。気に入られてるんだな」

「……以前あいつが通り魔をしていたところから、一人の少年を救助した。何か知らんがその時から目を付けられたようだ」

「で?次の予告は何処だよ?大物取りとは腕が鳴るな。相手は殺人鬼だろ?やり甲斐があるってもんだ」


 殺人鬼を捕らえることを前提に話を始める同僚。一瞬、意味が分からなかったが思い出す。

 自分を導いているように感じる相手でも、あれは犯罪者。捕らえるべき敵だ。悪だ。

 標的を守り、その罪を曝くことを考え……其方を優先し、あの男を捕らえるということを疎かにしていた。どこからともなく現れ消える。簡単に捕らえられるようにも思わなかった。そのせいだ。

 俯いたラハイアの肩を叩く同僚。笑って何やら頷いている。


「お前確かに敵多いもんなー……黙ってたわけはわかる。うんわかる。でも俺が拾ってきた情報だって言えばそこそこ俺の顔で集められるぜ、協力者」

「信用できる者なんて、いるのか?」

「ここにはいないな。向こうの建物だ」

「……は?」


 エティエンヌが指さすのは向かい側の建物。

 それは女子寮。聖十字の女兵士が暮らす場所だ。


「聖十字には女兵士も沢山いるだろ?俺は稀少なカーネフェルの男だし?結構モテるし?心底惚れてる子なら信用できるし?何人か連れてけるぜ。この文脈からしてこれは男だろ?殺人鬼も女相手には少しは戸惑うだろうし」

「貴様っ!婦人にそんな危ない仕事を……!!」

「そういう堅物だからお前は駄目なんだよ。使えるものは馬鹿でも女でも鋏でも使う。本気で上に上がりたいならその位割り切れよ」

「くっ……」

「死なせいないように俺らが頑張ればいいだろ?お前がこれだけ情報もらって一度も犯行阻止出来なかったのは、自分一人で全てやろうとしたからだ。違うか?」


 彼が言うのは正論だった。それでも教会の腐敗に直面し、人を信じるということが難しくなってた。

 この軽薄そうな男を、正義のことを思っても居ない人間を……本当に信用して良いのだろうか?


「何が目的だ……?」

 しかし、手がないのも事実。

 殺人鬼から呼び出しはもう来ない。こうしている間にも誰かが人を虐げ……それを見たあの男がその誰かを殺し、罪を裁いているのだろう。自分はその両方を止めなければならない。

 殺人鬼も、悪人も更生させる。その全てを捕らえるために、協力者は咽から手が出るほど欲しかった。


「男はリスクとスリルって。危ない橋こそど真ん中歩いて渡るもんだと思わねぇ?」


 青目の男が陽気に笑う。


 *


 実際、エティエンヌは有能だった。

 どんな手を使ったのか解らないが、商人と癒着している連中から多くの情報を掠め取ってきた。


「明日の夜、東のレフトバウアーで何かあるみたいだぜ。金持ちばっか集めてパーティだって、置いて行かれる下っ端商人がうちの奴らに愚痴ってた」

「レフトバウアー……」


 嫌な名前。その街で、suitは多くの人を殺した。自分に手紙が来るようになったのはその後だ。もしその時も手紙が来ていたら……止められた?少しは何かが出来た?いや、出来なかったかも知れない。


「そうそ。そしてここからが問題だ。そこに呼ばれた貴族ってのが、混血好きばっかのなんの。ペットの見せ合いとか自慢大会?そんなノリみたいだな。それから……珍しい混血の競りがある」

「競り……?」

「ああ。それを落としたくて堪らない変態貴族様達のお集まりのパーティだ!どうだ?ここにならsuitも顔を出すとは思わないか?」


 そんなにあの殺人鬼は単純だろうか?あの殺人鬼を知れば知る程、不可解だ。一夜に一人。あの殺人鬼はそれがスタンス。標的は大体一人。他は余程のことがなければ殺さない。

 一年半前……レフトバウアーでの事件。何十人という人間を屠った忌まわしい事件。それを引き起こしたことをあの殺人鬼は認めているが、どうもそれが重ならない。たった一人で一晩で。それだけ多くの人間を殺すことが出来るのだろうか?


(あいつが……そんなことを、するだろうか?)


「俺は女の子の一人をヅラと色硝子で変装させて混血に仕立てる。それで会場に忍び込む。お前は他のこと外で待機して、異変、或いは俺が合図をしたら突入だ。……って聞いてる?」

「あ、ああ……」

「しっかりしてくれよ、大将!お前が要なんだから」


 潜入が彼。自分は待機。

 ラハイアは左右の目の色が違う。移植したタロック人の瞳が明るい場所ではよく目立つ。隠しても良いが、それもかえって人目に付く。潜入には向かないとのエティエンヌの判断だった。

 やがて、待ち合わせの場所に……エティエンヌが連れてきた女の子は、何処からどう見ても混血に見えた。これが変装だというのだから凄い。しかし、だが。


「……本当に仲が良いのか?」


 腰に手を回そうとしたエティエンヌの腕を、少女は思いきりねじり上げている。


「この子は照れ屋なんだよ、な?うぐっ……」

「うふふふふふ」

「これはツンデレというものであって、これは所謂愛情の裏返しの、ぐはっ……の裏返し的な」

「おほほほほほ」

「確かに多少Sっ気はあるがそれもまた彼女の魅力的で……がはっ!」

「鳩尾殴打されてるが……」


 いや、楽しそうな表情だからいいのか?そうだな。本人が楽しいのなら暴行罪になる直前までは見逃すべきか。


「ごめんね、この子久々に彼に会うからちょっと」

「そうそう。なかなか会えないから気が立ってたのよ」


 他の二人の女兵士はカーネフェル人。年は少女よりかなり……いや、いくらか上のように見える。彼女たちは再会の挨拶をすることなくラハイアの傍に佇んでいた。


「君たちはいいのか?」

「いや、いいのよ。そんなことよりお姉さん達とお話ししましょうよ」

「そんなことよりエティ、可愛い子連れて来たじゃない。私が年下でも食ってしまうと知って連れてきたのかしら?」


「エティっ!これはどういうことだ!?お前の彼女ではないのか?」


 ラハイアは考える。何故自分は右と左をがっちりこの女達にガードされているのだろうと。

 それに、混血(偽)少女に殴打されながら微笑む同僚。


「悪いな、ライル。あんまり俺の虜ばかり連れてきたらここが修羅場になって危ないからな。彼女に振られたお前のため、彼氏募集中のお姉さん達を連れてきた。ははははは、こいつは将来大物になる男だぜ。今からフラグ建てておけば凄いことになると言ったらもう夢中!」

「だから振られていないっ!そもそも付き合ってもいないっ!!」

「若くて、年下で、可愛くて、手付かずで。おまけにこの若さで異例の出世頭でしょ?もう惚れちゃいそう」

「い、いや……あの、その……今は仕事に専念しよう、いや、しましょう?」


 年増でもないが若くもない。婚期に粘る年上女のパワーに負けそうだ。

 それに何とかめげず、会場へ消えていく同僚を見送り……物陰に息を潜めてそれを待つ。

 何時間が過ぎただろう。夜も更けて、肌寒さが増した頃……夜を引き裂く、音が聞こえた。

 窓硝子が割れる音。続く足音。誰かの笑い声。


「な、何だあれは!?」


 唯事ではない。ラハイアの勘がそう言っていた。

 追いかけなければ。そう一歩踏み出し、思いとどまる。自分がここで勝手に動けば作戦が破綻するかもしれない。


「何があったか解らないけど……私達が引き付ける。ラハイア君はあっちを追って」

「しかし……」

「表に行って時間を稼ぐ。注意も此方に向くはず。何かあっても中にはあの二人がいるからいざって時は何とかなる。だからお願い!」


 ここまで言われれば、言い返せない。言い返す時間、その問答、時間は待ってはくれない。

 悩みは人を遅らせ、罪を見逃す。


「………頼み、ます!」


 そう言い残して、ラハイアは追いかける。今できること、やるべき事、そのために。


 *


「ぶはっ……」

「はいお疲れ様ー」


 布袋から顔を出すと、エリザベスがにこりと笑みかける。久々の空気が実に美味しい。ちなみにこの馬車旅の伴侶はジャガイモだ。道中揺れるしぶつかるしゴツゴツするし結構痛かった。それでも身を隠すには丁度いいものだった。


「しかし、よくばれなかったな俺……」

「ニクスはお子様だから」


 レフトバウアーでの宴。そこにリフルは運ばれた。姉である王女の暗殺を行うために。

 エリザベスに仕入れて貰った情報によれば、リィナとロイルは無事のようだ。唯、あの後あの場で何があったか不明だが、ロイルは深手負いまだ眠っている。リィナはその看病に当たっているらしい。

 エルムの暴走。それをあの男……ヴァレスタがどうにかして止めたものの、その際とばっちりを受けたのか……エルムについては解らず終い。何処にいるのかエリザベスの知りうる限りではその情報を得ることは出来なかった。

 ディジットもヴァレスタに連れられ此方に向かったという話があって、リィナ達は監禁されているわけでもないらしく、ロイルが無事に目覚めれば逃げることも出来るだろう。ロイルはあそこの構造にも明るい。エルムがもしそこにいるのならそれを探すのは彼の方が適任だ。そのままリィナと共にそれを待つ……というのは出来ない。その間に、他の件を片付けておきたい。

 そう考えた時。エリザベスに下った命令を聞かせられた。向こうにいたコックがタロックの王女の着替えを覗いて殺されたので、急遽料理人が必要となったとか。彼女はその手伝いにレフトバウアーに派遣させられたのだという。

 元々彼女は食材の買い出し、その届け出をするために、王都からいろいろ買い集める役になっていたらしいのだが、もう一つ仕事が増えてしまった。


「料理得意なんだな……」

「まぁね。元々私があの人に拾われたのだって、料理のためだし」

「そうなのか?」

「私ん家、料理人の家だったの。潰れたけどね (大嘘だけど)」


 エリザベスが自分のことを語るのは、珍しい。牢で食べた料理も簡易的なものではあったが味は悪くなかった。


「まぁ、だから上流階級の人のために作るのは得意な方。ヴァレスタさんはあれよ。そういう歓待のためにカーネフェル料理をきちんと作れる私に、手持ちの料理人の指導をさせたかったんじゃない?セネトレアにはカーネフェル人もいる。ご機嫌取りに口に合わない料理出させたらうまく行く問題も行かなくなるでしょ?」

「その料理人がどうしてあんなに戦えるんだよ?」

「そりゃあ、セネトレア生きてればあのくらい出来るようになるって。一応あそこ、商人組合の裏組織でしょ?戦闘訓練とかさせられたし」


「……え?じゃあエリザ、元々こっちに?」

「あ、気付かなかった?」


 言ってなかったっけ?とエリザベスがそう言った。

 言われてない。言われてない。


「私は元々アルタニアの情報を商人組合に流すための間者だったのよ。ヴァレスタさんはほら、五島全てを従えたいわけだから、どこが反抗しそうだとかを知っておきたかった」


 その情報を探るため、いろいろ城の男共から聞き出していたのだ。いろんな手を、まぁ……使って。


「それで奴隷の中から彼の息子を見つけた。それがカルノッフェル」

「カルノッフェル……」

「それを新しい領主に据える。彼に協力することで、アルタニアを傘下に治めることに成功した」


(そう言えばリィナが言っていた……)


 兄は王になりたいのだと。

 王は議会の選出。王都を囲む四島、それを治める四公。その後ろ盾を得なければ、セネトレア王になることは難しい。

 絶対に自分を認めることのないアーヌルスをそのまま据え置くより、彼を残虐公として討ち、その後に言いなりになる後釜を据える。


(……許せねぇ)


 アーヌルスを。コルニクスを。殺したことは勿論だ。

 けれどその罪を全てリフルになすりつけようとしたこと。それが何より許せない。

 第一……カルノッフェル。あんな狂気に取り憑かれたような危ない男を領主として島を任せるなんて、本当に大丈夫なのか?あの男が人の命令などで動くだろうか?

 第二の故郷に思いを馳せているフォースに、エリザベスが口を挟んだ。


「まぁ、そんなことよりニクス。これからどうするの?」


 忍び込んだはいいが、子供である自分がいれば目立ってしまう。今は外にある食材小屋にいるわけだが。


「エリザには中に入って貰って情報収集してもらうとして、問題は俺だよな」


「とりあえず……」


 扉の隙間から外を覗けばもう夜だ。

 黒尽くめのフォースがそこに融け込むのは難しいことではない。


「俺は外から中を探る。どこかの部屋にリフルさんやディジットがいるかもしれないし」

「それじゃあ、何かあったらそう、そこの部屋。あそこが私の部屋なんだって。窓開けておくから部屋のどこかに隠れてて」


 エリザベスは一階の端の部屋を指さした。女の子に一階を貸すとか何考えてるんだと言いたくなったが、元々欠員埋めだ。仕方がないのかも知れないし、第一今回ばかりは助かる。木から飛び移っていたら完全に不審者だ。失敗したら騒ぎにもなる。

 フォースはそこまで計画を練った後、エリザベスとは別れた。


 しかし、これがなかなか収穫がない。外から一部屋一部屋様子を窺っても、それらしい人間は見あたらない。宴の会場の方に人が集まっているからその方に行ってしまっているのかも知れない。

 内側にいるエリザベスの情報頼りかと、彼女の部屋へと入り……無駄に大きい天蓋ベッドの下へ身を潜めた。

 使用人のような客にまで一人部屋で豪華な調度品を与えるなんて、ここは余程の金持ちの家なのだろう。一階こんなベッドに寝てみたい。そんな欲が生まれたが、ベッドの上では隠れていることにはならない。万が一、マスターキーなどで他の人間が入ってきたらどうなるか。そう言い聞かせた時だ。

 ギィと扉が開く。鍵が掛かっていなかったのか。上にいなくて良かったと、己の欲に打ち勝ったことをフォースは喜ぶ。


(いや……もしかしてエリザか?)


 ベッドの下から扉の方の様子を窺う。足が見える。靴だ。メイドである彼女の靴とは思えない。もっと高価そうな靴。サイズも小さい。別人だ。

 そして何を思ってか、その子はスタスタ歩き、何かを開けて、また閉める。そして部屋は無音となった。


(……あの方向は)

 確かクローゼットがあった。フォースも一度そこに隠れようかと考えたが、息が詰まりそうなので止めた。

 彼女はそれを開けて、閉めた。そしてもう歩かない。


(隠れた……のか?)


 どうして?何故?理由が分からない。唯、不穏な空気は感じている。

 ここから飛び出して逃げたい。でもそれは出来ない。そんな空気の中、フォースは息を潜めた。

 そして暫く……何分?何十分?自分としては数時間に及ぶ精神的苦痛を味わった。一昼夜と言ったら、言い過ぎだろうが。

 扉は開いた。再び開いた。

 入ってきたのは二人の人間。その足音から入ってきたと言うより、逃げ込んできた。そんな風に感じられた。


「無事で良かった……」


 焦りと喜び、そして安堵……優しさの滲む声。


(これ……洛叉の声だ)


 あの闇医者が、こんな風に誰かに語りかけることがあるなんて。少し意外だった。

 もう一人の声。小さくてよく聞こえないが、それは彼を先生と呼んだ。それに答える洛叉の言葉。


「視覚をごまかした程度で全てを欺けるとでも?君の歩き方、走り方……手の振り方。踏み出す速度。視線の高さ。見るところを見れば解ると思うが?君は人の目を見ようとしない。下ばかりを向いている」


 洛叉のその言葉で思い出す。トーラの視覚数術。

 それを思い出した瞬間、もう一人の声が聞き覚えのあるものへと変わる。


(これ、リフルさんだ!)


 喜びのあまりそこから這い出そうになるが、思い直した。今、クローゼットにはいる。何かが居る。彼らはそれを知らない。自分はそれを知っている。今ここから出てそれを教えても、大丈夫なのかわからない。それどころか自分がここにいることを教えてしまう。洛叉はそもそも敵だったはず。何を考え彼と二人でいるのかわからないが、完全に味方だという証拠が出るまで敵として考えておくのが最善だ。クローゼットの中の人間。それから洛叉。ここには敵が二人いる。

 リフルのためを考えるのなら、その瞬間まで隠れるべきだ。

 フォースはそう結論づけた。


(でも、視覚数術?)


 そもそもリフルは視覚数術を使えない……つまりここにはトーラがいて、視覚数術をかけたと考えるのが自然。彼女はアルムを置いた後、リフルの救出、支援に向かったのだろう。


(それじゃあ、一応は逃げたのか?)


 しかし洛叉が居る。ある意味捕まっている。



「早くここから逃げろ。君一人では敵わない」

「どういう、ことですか?」


 やっぱり味方?逃げろと洛叉が口にしている。どういうつもりだ?

 彼の真意を見極めなければ。そう、決意も新たに身構える。その時、ギィと音が鳴る。不気味な音だ。直感的に、あの隠れていたものが這い出してきたのだとそう思う。


「……兄様は、やっぱりそいつを選ぶの?」

「…………埃沙」


 女の……少女の声。低くも高くもない落ち着いた声。それでも崖の上まで人を追い詰め問い詰めるような、恨み声。今、出るべきか?助けるべきか?フォースが動く。視界に少女が入る所へ。

 刹那、部屋に広がる音と光。その後に上がる煙幕。煙は寝台の下まで浸食し、咳き込むのを堪えるのが精一杯。

 突然、硝子の割れる音。それに遅れて身体をずらす。少女は見えない。煙と真逆の方を向く。

 煙幕の上がる前、一瞬見えた。少女の髪は深い青。その色で思い出す。ディジットが言っていた。とんでもない者を、拾ってしまったという話……


 十割の嘘ではない。あれは真実だった。

 煙幕の中、咳き込むこともなく笑う少女の笑い声。部屋中に、響くその声は正気とは思えない、狂気の沙汰だ。


(やばい。完全に逃げるタイミング逃した……)


 少女が尚も笑い続ける。あまり相手をしたくない相手。しかしずっとここにいれば此方の気まで触れそうだ。

 少女が騒いでいるせいで、扉の向こうからざわめき立つ人々の気配がする。

 人が集まったら、それはそれで危ない。今逃げるべきか。それをフォースが決断しかけた時……懐かしい声が聞こえた。


「……何の騒ぎだ?」


 グライドだ。グライドの声。彼は扉の前で立ち止まり、扉を開きまた閉める。


「ああ、これは私の連れだ。この部屋を暫く借り受けてもよろしいか?」


 それでも納得しない野次馬に、彼は一喝。


「いかれ奴隷への教育。それ以上を聞くのは野暮では?」

「ご、ごゆっくりっ!!」


 バタバタと捌けていく人々。それを見送った後、彼は再び扉を開く。そしてすぐさま内鍵を掛ける。


「埃沙、一体何のつもりだ?」

「見つけた、見つけた。だから殺しに行かないと」

「ああ。例の件か。それで王子は次、何処へ?」

「……外。でも間に合わない。船まで行く前に立ち止まる。船が見える。見てる。見てるだけ。届かない。ふふふ……ふふふ……」


 不親切な彼女の言葉を、グライドはちゃんと理解していくから凄い。

 それは奇しくもリフルの場所をフォースへ知らせた。


「なるほど……となるとこの岬の辺りか」

「そう……そこ」

「それじゃ、お前は二人を追え。僕も報告次第其方に向かう」

「間に合うと良いわね。貴方が来る頃には全部終わってるかもしれない」

「そういうことは、ちゃんと働いてから言え。さっさと行けよ」


 バタバタと窓際へと向かう足音。不安定なメロディーを奏でる彼女の鼻歌が不気味の一言。

 その鼻歌が聞こえなくなった頃、グライドが薄気味悪いと言わんばかりに吐き捨てた。


「……化け物め」


 その声は、少し……震えていた。彼はそう言い残すと、すぐに部屋から出て行った。

 閉められた扉の向こうを進んでいる彼を思う。


(グライド……)


 彼が混血を気味悪がるのは、彼女しか身近な混血が居ないからなのだろうか?確かに埃沙はなんだか怖い。フォースもそれは感じていた。


「っと……そんなことより今は早くここから出ないと」


 そう思い覗き込んだ窓。その向こうで誰かと目があった。そんな気がした。窓硝子はもうないのに?


「あ、フォース君!」


 そう呼びかけられて、対象から外される。視覚数術が解かれ、そこに金の髪と瞳の少女を映し出す。


「トーラ!!」


 その姿を見つけるや、窓から飛び降り歩み寄る。


「はろー。おまけもいるけどどうも僕です」

「おまけ?」


 背景に融け込んでいた。真っ黒な服。顔を上げれば何かが見える。


「あ、……アスカぁ!?何でお前がむが……っもがっ……」

「はいはい。ガキは五月蠅くて困るなーっと」


 伸ばされたアスカの両手に頬の右と左を伸ばされる。その横から何故か満面の笑みを浮かべたトーラに頭を撫でられる。


「しかし丁度いい所で会った。よく来てくれたねフォース君。良い子良い子。忠犬って君のことだよ、よぉしよし。……ふむ。ここから凄い音がしたけど……そっかそういうことか」

「え、……何?」

「この虎娘は情報屋だからな。お前が知ってる情報を引き出したんだ。へい、パス」

「はいっと」


 アスカが差し出した手にトーラが触れる。


「あー……なるほど、こういうことか」


 それが情報伝達だったのだと知り、フォースは口をぽかんと開けた。


「情報屋、すげぇ……」

「はい、フォース君も」


 手を握られる。そこからいろいろ頭に流れ込んでくる。風景、声、事実としてのまとめられた情報。

 リフルが姉の暗殺を命じられたこと。リフルがトーラに助け出されたこと。そこからアスカが割り込んできたこと……言葉通り窓割って。

 リフル視点の情報もある。彼からも情報を引き出していたのか。


「まぁこんな芸当、そんじょそこらの数術使いには出来ないらしいぜ?こいつが混血でそこそこの才能持ちだってのは確からしいし」


 トーラの力は便利だなとは思う。しかしそれを初めて怖いと思った。

 埃沙を見たあとだからだろうか?トーラもリフルも彼女とは違う。それは解ってる。それでも、同じ……ではない。そう言う人間の気持ちも、少し解ったのだ。

 トーラは協力してくれている。だから平気。混血は、敵対した時の恐ろしさが計り知れない。それを恐れ……何かされる前に、殺してしまおう。そう思う人間もいるのだろう。そんなことが想像できた。

 今何かする、じゃない。未来に何かされる。

 ないかもしれない、不確かな。未来の罪で裁かれる。混血は、そうやって迫害されているのだ。


(同じじゃない。違うし、怖いと思うときもある。……でも未来の罪で迫害されるなんて、やっぱりおかしい)


 その道理が成り立つならば、国中の人間を殺して、「こいつらは将来人殺しになったかもしれない」と言う。その大量虐殺犯が、未来の罪の芽を摘んだ英雄だとでも呼ばれるのだろうか?

 自分たちは今を生きている。未来の罪を裁くのは、未来の人間で在るべきだ。想像で、妄想で人を見下すのは、殺すのはやっぱり正しいことではないのだ。


「フォース君?」


 トーラに呼ばれ、顔を上げる。大丈夫。いつも通りだ。もう大丈夫。


「あ、そうだ!離れなくて大丈夫?」

「平気平気。視覚と防音数術発動しておいたからお構いなく」


 怖くない。いつも通り、彼女は頼もしいだけだ。トーラは彼女にしては珍しい、穏やかな微笑みを返す。


「でも助かったよ。本当に。洛叉さんの件までこんなに早く知れたのは君のお陰」

「あの腐れ闇医者……地下室人間の分際で生意気な」


 アスカは洛叉の件をブツブツ文句を言っている。


「いいじゃない。問題は確かに山積みだけど、リーちゃんの件は結果として助けてくれたんだから」

「っち……後で路地裏に呼びだして小一時間……いや、小昼夜問い詰めてやる」

「だから君、何処の女子?何処の小姑?」


 まだ文句を言い足りないという様子のアスカにトーラが溜息ながらに言葉を紡ぐ。


「でもそっか……洛叉さんの妹ね。……こっち来ちゃってたか。厄介だな。そういう力の持ち主だったか」


 一人だけわかってないで説明しろよと言いたげなアスカ。それはフォースも同じ気持ちだ。トーラはなんて説明すればいいのかちょっと難しいんだけどと前置きをして……


「僕は広くを見通せるけど小さなものは難しい。僕は人間年間行事予定表で、あの子はその日のタイムシフト表なんだ。もしくは夏休みの初めに書かせる一日の過ごし方円グラフ」


「それを同じサイズの紙に記すとするよ。あの子は事細かに一日を綴る。僕は一年の大きな出来事を綴っていく。小さな事件でもまぁ、時間、犯人その手口くらいならわかるけど、その犯人の逐一の行動、移動、そこまでは把握できない」


 人間の脳。出来ることの範囲。脳が白紙の本ならば、綴る内容が異なるからそれぞれ違う方面に特化している。そんな事だろうか?トーラは明日がわかる。埃叉は限りなく今に近い刹那が見える。


「よくわからねぇが、厄介な相手だってことだけはよーく理解したぜ。つまりタロックで言う妖怪さとりみたいなもんか」

「まぁ、そんな所だね」

「ああ、さとりか」


 故郷の話を持ち出されれば、すんなり頭に入った。

 相手の心を読み取る妖怪。確かに動きが読めるなら、それとよく似ているかもしれない。


「でもその妖怪と違うところは、本人の意思以外のことまで読むのさ。結果としてそうなること。チェスの駒から一つだけ……その一つを選んで常に一手先を読むことが出来る。そんな感じ」

「なるほどな。んじゃそれ以外の駒でそいつを叩きつぶして袋叩きが正解か?」

「なんだろうけど。チェスねぇ……。うちの王様はねぇ……本当何やってるんだか」


 行方不明癖のある共犯者にトーラは呆れと深い情の混ざった苦笑を浮かべていた。


「一人で敵陣乗り込んでしっちゃかめっちゃか引っかき回す。攻撃範囲も狭いし弱くて危なくて逃げなきゃいけない人なのに……女王駒並に相手の駒を落とすよね」

「あいつも生まれはタロックだからな。チェスっていうよか将棋だろ」

「ああ、そんな感じする。リフルさんは」


 アスカの言葉にフォースも笑う。グライド魅了したり、聞くところによればカルノッフェル魅了したり、洛叉を落としたり。そもそも最初はこうして協力してくれているトーラとも、一時的に敵対していたと言う。今からではとても考えられないことだった。


「さて、それじゃあ駒の確認も終わったところでどうするか。宴はもうちょっとすれば二次会場に移る。ここに来る前に僕らもちょっと悪さをしてきたからね」


 トーラは仕切り直しと手を叩き、立ち位置決めを口にする。


「リーちゃんには僕が化けるとなると、僕はこっちの岸に行かなきゃいけない。suitとしての彼を傍で見てきた僕より演技力に自信がある人がいるなら代わってあげても良いけど?」

「問題ねぇ。そっちはトーラ、お前に任せる」

「了解。それで次。となると僕を捕らえている悪者役が必要になる。これはあっちに洛叉さんがいるならそのまま攫った本人だったアスカ君当てようと思ってたし他に人もいなかったんだけど、フォース君が来てくれたから、僕がそれに視覚を弄って化かすことも出来る」


「岬には洛叉さんの妹と、それからグライド君が来るんだった?……となると岸の方にはヴァレスタさんと刹那姫。それからその手下とか護衛とか」


 誰か足りない名前があった。それに気付いたのはフォースだけ。


「あれ……ディジットは?」

「なかなか彼女の気配が見つからないんだ。本当にここに来てるのかわからない」

「王子を攫ったのが本人の自演だったと気付かれたとして、その人質としてこの岸に配置……ってところか?」


(……あれ?)


 トーラは情報を読み取った。しかしディジットを知らない。

 トーラは全てを一度に読み取ることが出来るわけではない?そうなのかもしれない。そうなのだとしたら……

 何処まで本当?何処までが嘘?ディジットは自分を助けてくれた。でも騙してもいた。

 フォースが黙っていれば、彼女はまた……元通りにみんなの元へ戻れる。けれど自分がここでそれを教えたら、彼女は責められる。今彼女がしていることが、彼女の償いなのだとしても。

 未来のことで人を責めるのはよくない。けれど過去のことで彼女の今、その行動全てを否定してしまうのは、正しいことなのだろうか?

 それでも情報は力だ。知らないより、知っていた方が良い。もしまだ彼女が向こう側にいるのだとしたら……知らなければ油断する。騙される。足下を掬われる。


「フォース君は、グライド君とは戦いたくないよね?」

「え、…あ、……ああ、うん」


 聞いてなかった。思わず頷いてしまったが、それにより自分は岸側に回れることになったらしい。ディジットが居るとしたら岸の方。行くとしたら、確かにそっちだ。


「あっちは人数が多い。大変だと思うけど、やれる?僕もサポートはする」

「解った」

「いや、待て!」

「え、何さ?」


 決まりかけた話に口を挟む馬鹿が居た。空気の読めない男が居た。アスカだ。


「アスカ君、我が儘言わないの!早く追わないと行けないんだから!」

「いや、ほら……なんだその。フォースは岬の方行けば友人説得出来るかもしれねぇだろ?そうしたらほら、戦闘回避も出来るかもしれない。お前もタロック人なら将棋の心で駒取ってこいよ」

「はぁ!?説得なんかもう何回もしたって……それに」


 埃沙怖い。

 ちらりと横を見れば、アスカも自分が浮かべているだろうものと似たような表情だ。

 ただし、相手が違うが。

「アスカ君……もしかして、リーちゃんに避けられたのまだ気にしてるの?」

「うっ……」

「十年も追っかけしといて、今更逃げるの?」

「う……。……高所恐怖症なんだよ、俺。しかも海だろ……?俺が行けば、また飛び降りられるかもしれない」

「アスカ君……」


 アスカは目の前で彼を見失ったことが堪えている。トーラがそんなアスカに向けるのは……僅かの哀れみ。それ以上の圧倒的な軽蔑の視線。


「君たちには言葉が足りない。言葉は剣。斬り込んでも踏み込んでもやらなきゃならないこと、言わなきゃいけないこと、守らなきゃならないものがあるでしょう?大事に大事にして、耳を塞いで目隠しをして……そうやって守るだけが守る事じゃないんだよ!?嫌われるのが怖くて何も出来ないなんて臆病者だよ。本当にブラコン名乗りたいのなら、嫌われても好きで居続けられるくらいになりなさい、馬鹿」

「トーラ……」

「アスカ君は岬決定。早く行きなさい。今度はちゃんと守りなさい」


 尚も躊躇うアスカに向かい、トーラは声を張り上げる。


「本当は僕がそっちに行きたい!傍で守ってあげたい!だけどそれを君に譲ってやるって言ってんのっ!!ガタガタ抜かしてねぇでさっさと行けっ!」


 それに急かされアスカは走り去る。

 トーラはよく嘘を吐く。人をからかう冗談のような軽口めいた言葉ばかりを口にする。それでも今のは十割だ。本当に、思ったこと。心からの、魂の叫びだ。

 自分の役目。それを考えて、考えて……遠くを見据えて。


「あはは、ちょっと柄にもないこと言っちゃったかな」

「トーラ……」

「行こう、フォース君。傍で守るだけが守るとか力になるってことじゃないんだ。それをあの駄目男に思い知らせてやりに行こうよ」


 トーラがにこりと笑う。目尻に浮かんでいる涙を、フォースは見ない振りで頷いた。

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