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23:Abiit, excessit, evasit, erupit.

「この屋敷の中に!本日の目玉商品を隠しました!落札まで手が届かない。と言う方もふるってご参加下さい!」

「それを見事当てた眼をお持ちの方を、本日の落札者としたいと思います。皆様には、このゲームのため……お連れいただいたペットたちを貸していただきます。この人数の混血から、片割れ殺しを探すゲームにございます!」


「なるほど、そう来たか」


 壇上で発せられるその司会者の声。確かにまだ会場に那由多はいる。それを誰より知っているリフルは姉の采配に感心をする。


「……それにしてもこういうのは懐かしいな」


 今の自分の姿を目に映し、そう呟くと……後ろから重いため息が聞こえてくる。


「どうしてお前は……はぁ」

「何か?」

「どうしてそう平然としてるんだよ。いろいろこっちは言いたいことがだな」


 男はぶつぶつと小言を繰り返す。それさえ今は懐かしい。


「私は確かに会えない身ではあったが、何時会いたくないなどと口にしただろうな?」


 会えたこと自体は嬉しいのだと伝えてやると、男は珍しく整えた髪を引っ掻いた。彼なりの照れ隠しのようだ。


「ったく……髪切ったくらいで効果押さえられるんならさっさと連絡しろよな。俺がどれだけ苦労したか」


 平然となんてしていない。そう見えているだけだ。

 本当は今でも恐ろしい。手が震えそうになる。

 この懐かしさが、恐ろしい。こうして隣にいるだけで……怖くて、怖くて……堪らない。

 怖かったんだと口にしても、彼はおそらくわからない。彼は普通の人間だから。


 *


 運ばれる。運ばれている。

 そしてそのまま人目に付かなそうな物陰まで担がれて、それを後ろから着いてきたトーラが視覚数術、防音数術を発動させる。


「うん、気持ち解るけどね。そろそろ離してあげたらどうかな。リーちゃんが汗とか出たら君死ぬよ」


 かなり 呆れたようなトーラに言われ、渋々と黒衣の男は抱き付いていたその腕を放した。自由になったリフルはまじまじとその男を見上げる。運ばれる際に呼ばれた声で、大体誰かは解っていたので目には合わせないよう気をつけた。顔と頭を隠す布を取れば、見事な金髪。前より随分髪が伸びた。大人びた顔立ちになっている。背も………


「ぐはっ……ちょ、何!おい!」

「気にするな。何となくだ」


 思わず無意識で手が出た。その手も伸ばさないと顔を叩けないという理不尽。

 フォースのような年下に背を追い越されるのはまだ、諦めも付く。それにその成長を喜ばしく思うこともできる。

 だがまさか年上が更に背を伸ばしているなんて誰が予想しただろう。


「……会ったら一発くらい殴るかもしれねぇと思ったが、まさか俺が殴られるとは思わなかった」

「ほら、アスカ君たら勝手にひょろひょろ背なんか伸ばすから!……まぁ、そんなことよりだよ。君はリーちゃんを怒ってるかも知れないけれど僕も君に対してご立腹だよアスカ君!」


「全く。せっかく僕が配置してあげたのに、どうしてあんな所で出てくるかな」

「喧しい虎娘。お前の罪は重いぞ?何この俺に一年以上も情報通さないとは」

「君が東なんかに行ってるから悪いんでしょ!?」

「西にいても全然教えてくれやしなかっただろうが!」


 変わらないように見える。トーラとの軽口の押収は相変わらずだ。

 それでも、何も変わらずにいられるのだろうか。彼の視線が此方を向くのが怖い。彼には邪眼が深く効いている。それを意思の力で彼はなんとかしているけれど、もしまたこの目が暴走したら、そう思うとやはり怖いのだ。


(よりにもよって……)


 レフトバウアー。この街とは因縁がある。この目が暴走したのはこの街で。その暴走は多くの人間の命を奪った。殺し合わせた。狂わせた。暴走のメカニズムも解らない。いつまたああなってしまうかわからない。


「……見てられなかったんだよ。あの闇医者の野郎、俺がいねぇと思って調子に乗りやがるし」

「先生が?」


 目を逸らしながら、不機嫌そうな彼の話に耳を方を向ける。


「……“好ましく思っている”だったか」


 今度こそ吹き出した。トーラともアスカとも違う方向を向いていて良かった。そう言えば、ここに運ばれてくる時の馬車の中……そんなことを言われたことを思い出す。あの時は驚いただけだが、他の者に知られていたと思うと気恥ずかしさが生まれる。


「き、聞いていたのか!?……そうか、あの御者はお前だったのか!」

「そ、そんなこと言われてたのリーちゃん……伏兵がまたいたなんて」


 トーラも呆気にとられている。確かに洛叉という人間はその位そういうことを口にしそうにない人間に見える。


「そ、それは……だな、言葉の綾ではないか?」

「いいやあれは絶対本気だった」

「アスカ君、君何処の小姑?」


 しつこく食ってかかるアスカにトーラは本気で呆れている。


「リーちゃんの所に出る前に、アスカ君にはちゃんと状況説明したじゃない。君はディジットさんの方をお願いって言ったのに!ここで助けておけば君フラグ立ったかもしれないのにさー」

「そういう問題じゃないんだよ。俺はこいつの騎士なんだ。何を優先すべきかは理解してるつもりだぜ」

「仕事に夢中で家庭崩壊起こすタイプだね君……そもそも結婚できるかも怪しいよねこの性格じゃ」

「それは困った。アスカの子供の名付け親になるのが密かな夢だったんだが。私はこんな身体だしそういうのは無理だしな」

「大丈夫だよリーちゃん。養子でも取ろうよ。僕と君となら大丈夫だよ、きっと子育ても順調で家庭円満だよ」

「そうか。それじゃあフォース辺りでも養子に取るか」

「それで俺はどの辺からツッコミ入れれば良いんだ?何暫く見ない間にツッコミなしの夫婦漫才みたいな空気作ってるんだよ。そこの虎娘!俺はお前がやったことをまだ覚えてるんだからな!」


 アスカの反応が面白いので、ついトーラの悪ノリに付き合ってしまった。トーラと二人だと流すことも多いのだが。


「アスカ君ノリが悪いよ」

「なるほど。空気が読めないとはこういう奴のことを言うのか」

「うん。お前も大概読めてないからな」


 そんなに長い間一緒にいたわけでもないはずなのに、妙に懐かしい。実質数日の付き合いみたいなものだったが、いろいろなことが在りすぎて、もっと長い間共にいたような気がする。


「まぁ、俺も何の考え無しにあんなことはしねぇよ」


 アスカはツッコミも程ほどに、話題の軌道修正を行った。


「トーラはここの混血の救出をしようとしたんだろ?それにはここの会場利用してやれば話が早いと思っただけだ。そっちが手軽に行けば、ディジットの件も手早く解決できるだろうしな」

「でも……ここにこれだけ混血愛好家を集めてるってことは、彼も何か企んでのことだよね。リィナさんのお兄さんは混血嫌いみたいだし」

「こいつに一掃させるくらいには考えていたのかもしれないな」

「全部リーちゃんに責任を押しつけて、金品だけ奪うみたいな?普通に在りそう。混血達を押収しても随分な金になるしね。多分君は刹那姫だけじゃなくてこっちの貴族達にとっても餌だったんじゃない?絶世の美女と名高いお忍びの王女にも会えて、世にも珍しい混血のオークションとか言いふらせば好事家共は来るだろうさ」


「やけに具体的だな」


 二人の事情に通じたような会話について行けずに、そう漏らすのが精一杯だった。

 アスカがこれまでの情報を、トーラからどの程度聞き及んでいるのかわからないが、端から聞いている分には大体は通じている風だ。


「耳澄ましてれば聞こえてきてね。君は奴隷って事になってるからさ、刹那姫だって君が本物だとしてもセネトレア流に乗っ取って落札しなければならないわけ。もし他の人に落札されたらそこから交渉して譲り渡して貰わなきゃならない。大きな金が動く一大イベントさ」


 そういえばあの姫は、待っていろと言っていた。待っていろとはそういうことか。落札前の商品に手を出そうとしたとは、何とも抜け目ない。


「しかし、商人っていうのは面倒臭いな。いちいち人質やら交渉やら取引やら。そりゃお前には効果的かもしれねぇけどな」


 話を続けるアスカの横顔に、ぬぐい去れない疑問を抱く。じっとそれを見つめていると彼も気付いたのか此方も向いた。目を合わせないようにしながら、それを尋ねてみる。

 そうしなければ、話の中身が頭に入ってこない気がした。


「……何とも思わないのか?」

「……ん?」


 あまりにそれまで通りを続けるアスカがわからない。


「どうしてそんなにすぐ、私を許せるんだ?どうして責めない?私がしたこと……してきたことを。知っているんだろう?それなのにどうして、そんなにすぐ……っ、私に力を貸せるんだ!?」


 自分は人殺しだ。それ以外の生き方もあると言ってくれた彼から離れ、再び人殺しの道に戻った。そんな自分なんかに昔のように接して、さも当然と犯行計画に加わる彼がわからない。そんなにあっさり手を汚すことをどうして受け入れられるのか。

 声を荒げるリフルに、アスカは顎に手を当て考え込むような仕草を見せる。


「俺は……何だったっけ?」

「……え?」

「前にお前が言ったんだろ?俺が自害しようとしたときに」


 思い出す。それは彼を許した日のことだ。

 そもそも許す、許さないじゃない。それを彼の責任とは思わない。

 奴隷だった自分の主になったのが彼だったが、その彼の使える主が自分だったという矛盾。互いが互いの主というのは面倒だ。他に言い表せる言葉がないかと考えて、彼を友と呼ぶことにした。


「友人としてなら本来止めるべきなんだろうが、お前が考えてやろうと思ったことなら部下の俺が口出しする事じゃない。もっとも命令されても友人として命令に従わないこともあるけどな」


 彼は自分が騎士道精神の欠片も持ち合わせていないにもかかわらず、自分の騎士だと言うことに誇りを持っているらしく事あるごとにそれを口にするため、彼の方がすっかり部下気分に浸っている。

 リフル自身はそんな風には思っていないが、意志の強い彼を言いくるめるときには命令と口にしなければならないこともあった。

 今では抱え込んだものが多すぎて、一人のためには生きられない。それにより奴隷精神も薄れてきて、残された彼の方だけが自身が部下だと思っている。



「そのどっちにしろ、俺がお前に力を貸すのは当たり前なんだ。お前が何やってようがお前は俺の主だし、友人だと思ってる。お前の仕事が王子だろうと殺人鬼だろうと、その手助けをしたい。そのために俺は在る」


 しかしここまで熱く語られると、やはり心配になる。邪眼に魅了されているのは確かなのだ。


「殺人衝動やその快楽のために人を殺したか?自分の利益のために人を殺したか?……違うだろ、お前なりに考えたんだろ?お前は殺人鬼じゃない、請負組織だ。周りがなんて言おうが、お前が俺の誇りだってのは変わりねぇ。お前が悩んで決めたことなら俺は胸張ってそう言うね」


 どうしてそこまでしてくれるのか。どうしてそんな言葉をくれるのか。それを考えると、自分が彼の好意をこの目の力で引き出しているとしか思えない。

 あの日崖から飛び降りて、行方知れずになった自分を探してると聞いて。いつも思った。さっさと諦めてくれないだろうか。自分なんかを忘れて生きていけばいい。死んだものと思ってくれればいい。今日だって自分の所に来ないでディジットでも助けに行っていれば良かったんだ。アスカが本気で口説いたら、彼女だって折れるだろう。それをしないから駄目なんだ。彼女以外だって大抵は折れる。彼はわざと割に合わない役回りを望んで得ているように思う。いつも適当で、中途半端に流すから。冗談ばかりを口にして、本当を語らないから。その癖に、主と仰ぐ自分には恥ずかしいことを平気で口にする。だからいつも自分が言い負かされてしまうのだ。今だって勝手にしてくれと言いそうになっている。

 でも、それではいけない。本当に、感謝をしている。大切にだって思っている。だからこそ関わらないで欲しいとも。

 彼はこれまで辛い思いをした。幼く両親を亡くし、亡くした主と無くした棺……こんな自分への思い入れから金と仕事に時を費やし、人生の大切な時期を棒に振った。

 彼の両親が生きていれば得られただろう、そういうささやかな幸せの中を生きて欲しい。

 自分はそんな風には生きられない人間だが、彼の幸せを願っている。だから関わらないで欲しい。

 いっそ偽の死体でも上げて死んだという情報を流してくれないかとトーラに言ったことがあるが、あっさり蹴られた。そんなことしたら彼、本当に自害すると思うよと。実際楽に想像できてしまう辺りがアスカの恐ろしさだ。

 彼は彼なりに考え、思い、悩むけれど……生き死にの決定権はいつもリフルに付随する。

 優先順位と彼は言ったが、出来ることなら主の上に何か別の者でも作ってくれないだろうかと切に願う。恋人でも愛人でも隣人でも変人でも何でも良いから。

 仮にこの思い全てを口にしたところで、彼は納得しないだろう。この目がとても忌まわしい。

 *


 そんな言い合いを経て、結局自分はまた言いくるめられ、こうして彼を犯行仲間に引き入れてしまった。彼のことを思うなら、とことん拒絶しなければならないというのに。


(しかし、他に選択肢が見つからないから困る)


 彼という人間はあってないような選択肢。分岐路の意味がない。同じ質問エンドレス。あるいはどっちも同じ意味。反対の選択肢を選んでも、途中からは問答無用で同じ展開。あり得るから困る。

 洛叉はと言えば、過去の選択肢の一つに未だに悩まされているというのに。


(いや……私も今は今やるべきことをしっかり見なければ)


 これは仕事だ。油断は出来ない。


 アスカが言うに、洛叉の前に置いた手紙の中身は、那由多王子誘拐とその解放条件を記したものだった。

 それはこの邸宅にいる混血全てと引き替えという旨。それをそのまま船に乗せ、亡命させると言うのがアスカの計画。

 教会が信用できないということはここしばらく東の裏に潜んでいた彼も解っていたのだろう。彼の知る限り信頼できる船の指定までしておいたとか。


「しかしあの女がそこまで私を欲しがるか?」


 あの提案は唯の思い付きかも知れない。だとすれば人質に価値がなければ取引は成立しない。その点に不安を覚える。しかしアスカはそれをすぐに否定した。


「いや、何人か殺された人間がいるってくらいだからよっぽどだろ」


 肩をすくめるアスカ。その背中に声が掛かった。


「よ!お前も来てたのか。何だ?そんなめかし込んだ恰好で?」

「ん、ああ。職場のコネでな。ちょっと取引があるんだよ」


 現れた男は商人には見えない。かといって一般人とも思えない。どこかの貴族の護衛の仕事でもしている人間だろうか。


(前の仕事仲間か何かか?)


「何だお前、奴隷なんか連れて歩いて。どれ、よく見せてくれよ?」

「おいおい、これは俺の主の大事な奴隷だ。変な虫でも付いたら怒られるんでね」

「そんなこと言って、お前金になる仕事ばっかしてたじゃねぇか。本当はそれを買うためだったんじゃないか?」

「でなきゃいくら腕が立つからって殺し屋までやんねぇだろ。借金の形に売り払った女買い戻す金でも必要だったのか?」


(え……?)


 耳を傾けていた、その会話に唖然とした。見上げた先のアスカの顔に、一瞬「しまった」と言う色が見て取れた。

 アスカは自分を探すために、東に行った。そこでどんな仕事をしていたかはまだ聞いていなかった。

 東は奴隷商の縄張りだ。西……トーラが嫌っているような仕事は大体東に集中している。東は金のためにならなんでもするし、人を人とも思わないような連中の溜まり場。

 耳に入ってくる人々の談笑も、おかしな話ばかりが聞こえてくる。


 一歩、後ずさる。

 変わらない風に見えた彼でも、彼は変わってしまっていた。


(私は馬鹿だ……)


 東と聞いたところで疑問に思うべきだった。

 彼がいつも本気で戦わないのは、人を殺さないためだ。頭を使って、時には人を騙して彼は戦う。毒を用いて卑怯なことをしたりもする。それでも彼は、人殺しではなかった。

 自分が彼と関わったばかりに、彼をこんな身分まで落としてしまった。

 見開いた瞳から、涙が流れ出す。

 彼の幸せを願っている。そんなこと思う資格もなかった。それを壊したのは最初から最後まで自分という存在に他ならない。

 ひしひしと湧き上がるのは罪悪感だ。

 アスカだけじゃない。フォースだって自分と出会わなければ亡命しなかった。アルタニアへ行かなかった。処刑人になんてならなかった。

 アルムとエルムだって自分と出会わなければ人質になんかならなかったし、ディジットだってそれは同じだ。

 どうして生きているんだろう。人に迷惑を掛けて、傷付けることしか出来ないのに。

 しばらく忘れていたその問いが、頭の中に強く浮かんだ。


「ちょっ……おい待てよ!瑠璃!」



 人を掻き分け走った。やはり自分は誰と関わってもいけなかった。どうして忘れてしまっていたのだろう。

 それを強く自覚して、最低限の繋がりしか持たないようにしようとした。それなのに、また彼らと出会ってしまった。どうすればいい?どうすればいい?


(え……?)

「こっちだ!」


 その声の方向を確認する前に、腕を引かれ、暗い一室の中に引き摺り込まれる。

 そして扉の閉まる音と、鍵を掛ける音が聞こえた。


「無事で良かった……」


 扉に背を預け、こちらを見る男。薄暗くはあるが小さな照明もあり、それが洛叉なのだと気付く。


「先…生……。……どうして?」


 トーラの数術で、平均的な混血の姿を模していたはずだが、洛叉には見破られてしまったらしい。


「視覚をごまかした程度で全てを欺けるとでも?君の歩き方、走り方……手の振り方。踏み出す速度。視線の高さ。見るところを見れば解ると思うが?君は人の目を見ようとしない。下ばかりを向いている」


 視覚数術は認識を麻痺させるものだ。

 白い紙にこれは黒い紙ですと文字を記す。それを見た人はそれが黒い紙だと思い込む。絡繰りとしてはこんなところ。だからそれが白い紙だと気付けたのなら、その相手にはその認識麻痺が通用しなくなる。

 今、洛叉にはリフルはリフルとして映っているだろう。


「………君は、昔から変わらないからな。その泣き方が決定打だった」


 捕まえに来たのだろうか。一瞬そう思ったが、違うことに気がついた。洛叉は今、那由多を見てはいないのだ。彼が君と言うときは……彼は過去ではなく今を見ている。


「早くここから逃げろ。君一人では敵わない」

「どういう、ことですか?」


 言っている意味が分からない。彼には妹のことがあったのではないのか?そもそも誰に敵わないと言っているのか。

 それを尋ねようとしたその時だ。

 ギィと、何かが開く音がする。鋭い殺気に反射的に振り向けば衣装ダンスの中から少女が一人、現れる。灯りの少ない部屋の中。髪は一層暗く見えたが、言われてみればそれはトーラの言った青色だ。


「……兄様は、やっぱりそいつを選ぶの?」

「…………埃沙」


 洛叉は黒衣の内側から数本の試験管を素早く手に取り少女に向かい、投げつける。

 煙幕だ。


「逃げるぞ!」


 今度は手を引くではなく、軽々と抱き上げられ、洛叉が同じ要領で薬品で壊した窓から外へと逃げる。今日はこんなことばかりのような気がしたが、今はそうも言っていられない。室内からは泣いているのか笑っているのか解らない、聞いていて胸が痛くなるようなけたたましい笑い声が響いていた。


(な、何なんだ……あれは)


 リフルは驚きのあまり、涙ももう流れない。今度は違う意味で流れそうではあるが。

 人の気配はしなかった。あんな所から出てくるなんて思わなかった。

 囚われのはずの洛叉の妹が、どうして解放されているのかは知らないが、トーラが手に負えないと言った理由がよく分かった。


「……彼女は勘が良いんです」

「勘……?」


 あの行動をその一言で言ってしまうのは無理がある。世の中勘でどうにかなったらもうどうにでもなっている。疑問を上げれば洛叉がそれを言い直す。勘ではなく、数術の一種なのだと。


「聖教会の神子や、情報屋の彼女のように遠くを見通すことは出来ない。けれど彼らが知ることのない人の行動、そういう小さなものが解る。その対象は一度に一人だけではありますが、目を付けられたら終わりです」

「それじゃあ、逃げてください」


 恐らく彼女は洛叉の方を見ていたのだ。洛叉がリフルを見つけるだろうことを予測して、彼を見ていた。そして今度はリフルを見つけた。居ってくるのだとしたらリフルの方だ。


「……それか、連れて行ってください。私が元の所に戻れば貴方が咎められることはない」


 そう言っても洛叉は足を止めない。少しでも早くここから離れようと足を止まらせることなく急がせる。


「私が償うべきは、妹だと思っていました。ですが、私が償うべき相手は他にもいた。あの日もこうやって無理矢理にでも連れ出せば……君は普通の人間として生きられたんだ。……俺はその罪から目を逸らしていた」


 彼は何処を走っているのだろう。逃げるための森の中を?それとも遠い記憶の中を?

 走りながら、語りながら、抱えながら全てを行うのは無理がある。やがて息を切らした彼は、リフルを降ろし、自分も緑に腰を下ろして息を整え……ゆっくりと語ることに専念し出す。埃沙の数術は、トーラのように広範囲に及ぶものではないようだ。


「君が……あの男に懐くのが解るんだ。あいつはそれを認めた。俺は今日まで認められなかった。君から逃げた。君を探すこともしなかった……忘れられたのなら俺も、忘れようと逃げたんだ」


「君の虚ろな瞳が、俺のせいだと認められなかった。君から笑顔が消えたのが、俺のせいだと認められなかった。言葉が足りず説得できなかった俺の無力さを、意思を尊重することだと言い聞かせた」


「俺はこんな男だ。つまらない男だ。君が俺を思い出せなくて当然だ。俺には、思い出す価値などない。それを認められず……俺は、あいつへの償いを選んだ。埃沙に恨まれる理由を貴方へと投げ、俺は…………そこでも俺の罪を見ていなかった。恨まれるべきはこの俺だ」


 迷惑を掛けてすまなかった。小さく彼が呟いた。



 *


 何時からだろう。彼が処刑されるという話を耳にしてからか。洛叉はそれを回避させることばかり考えるようになった。

 どうしてこんなに焦るのか。わからない。強いて言うなら貴重な色の混血だ。興味深い研究対象だ。勿体ない。そんな気持ち?違う。勿体ないなんて余裕はない。唯、とてつもなく気が急ぐ。


 そうして創り上げた時計を献上して。予めそんなに長持ちしないよう、動力が切れるように計算して作っておいた。だからその修理に呼ばれることがあった。計算したとおりに丁度処刑の前日。

 その時時計を一時間ほど遅らせて修理した。そして一日足らずで再び止まるように弱い動力に取り替えた。

 その鐘の音に、家の時計がずれていることを知った人々はそれを慌てて直す。

 いくら機械時計でも、修理が必要なくらいだ。ずれることもあるだろうと人々は笑い飛ばす。

 洛叉が国を追われたのは、殺人罪ではなく詐欺罪と侮辱罪。

 処刑の一時間を差し、後はずっと止まったまま。それで稼げる時間なんてたかが知れている。それでも、逃げ出し身を隠すことくらいは出来ると考えた。


「こんな所にいたら殺される!貴方は病気なんかじゃない!毒を飲ませられているだけだ!」


 処刑のための控え室は城の一室にあった。そこがそんな部屋だとはたぶん彼は知らない。造りはごくごく普通の部屋だった。

 手を伸ばす。逃げようと問いかける。しかし子供は首を振る。白い着物は白銀の髪には似合うけれど、どこもかしこも白すぎてそれが死を香らせる。一刻も早くこの場から連れ出さなければならない気持ちに拍車が掛かった。


「半人前でも俺は医者だ。死に行かせるなんて出来ない!」

「洛叉……」


 洛叉の言葉に子供は困ったような顔になる。紫色の瞳に浮かぶのは困惑だった。


「洛叉はお医者様だけど、僕は王子なんだ」


 王子って王様になる人のことだよねと彼は言う。


「王様が嘘を吐いたら誰も王様を信じなくなる。信じて欲しいなら、嘘を吐いてはいけない。これは王様じゃなくても同じ。嘘を吐いちゃいけないんだ。出来ない約束はしちゃいけないんだ」


「父様は僕に会ってくれると言った。母様はここで待ってなさいと言った。僕はここで待っていると約束したんだ。僕は父様に、母様に信じて欲しい。だから僕は僕の言葉を嘘にはしたくない」


 嘘に拘る言葉の羅列。彼は盲目だ。両親の愛を信じたがっている。現実から目を背けている。それが信じることだと信じている。


「父様は王様だ。だからそんな人が嘘を言うわけがない。母様は、僕を大好きだよって言ってくれたんだ。母様にそんなこと言われたの……初めてだったんだ」


 言葉だけが真実ではない。言葉は真実とは限らない。隔離された空間で育った少年には、それがわからなかった。自分もそれを教えては来なかった。彼を観察することにかまけて、彼を変えようなどとは微塵にも思わなかった。

 自分はこの……自分とは全く違う思考を持ち、何を考えているのか解らない得体の知れない彼を、そのままの彼として気に入っていたのだと解る。しかし、その彼らしさがこんな最後で障害となるとは思わなかった。敵は、助けるはずの彼自身。


「僕は、母様を信じたい。だから僕はここにいなきゃいけない」


 教育の上で都合の悪いことを言わないよう、情報を与えないよう、面会が許されても多くの会話を禁止されていた彼の母親。狂気に走り時折毒を盛る彼女。

 それでも自分は愛されているのだと必死に信じ、今それが報われた。そう思い込んでいる彼。約束を破れば、嫌われるかも知れない。子供はそんな小さな事を恐れている。


「死ぬのが怖くないのか!?」


 嫌われるのが何だというのか。そもそも彼女は彼を嫌ってなどいない。狂気の淵で憎んではいたが、それでも深く愛してもいたのだ。愛など知らないこの自分でも、それはよくわかった。

 無関心ではない。時には殺してやりたいという程の想い。それだけ強く想われている。言葉にしなければそれがわからないくらい、これは子供だったのか。

 見張りに用を告げ、警備を手薄にしたのだって、おそらく彼女だ。逃げて欲しいと本当は思っていただろう。どうしてそれを察することが出来ないのかこの馬鹿は。


「ねぇ洛叉。人は誰でもいつかは死ぬよ。それが今日でも明日でも」


 何も知らない子供の癖に。知った風にそんなことを言う。そんなことを言えるのは、死をよく理解していないからだ。死とは会えなくなる程度の意味にしか思っていない。

 どうせ元々、彼は寂しさの中を生きている。隔離された場所で生きてきた。

 死は少しの寂しさ。それを恐れることで、何よりも求めている両親からの愛情。それを失うことを恐れたのだ。


「外に行きたがってただろ!?こんな所で死んでお前は満足なのか!?約束、破るのか!?」

「あ……」


 ここでは家臣だからと断った。

 それなら外に出たら友達になってくれるかとしつこく聞かれ、渋々それに頷いた。

 あの時の彼は、本当に嬉しそうに笑ってくれた。怖がって、泣いてばかりいた彼が。

 その約束に縋っていたのは、いつの間にか自分の方になっていた。

 彼はもう、とっくにそのつもりだったのかもしれない。

 このままでは埒があかない。その手を掴み……彼の身体が強張った。

 それは拒絶だ。掴んだ腕が、石のように重く感じる。

 それでも無理矢理、逃げれば良かった。もっと早くに外へと。世界へと。



「君が……あの男に懐くのが解るんだ。あいつはそれを認めた。俺は今日までそれを認められなかった」


 深く閉じた目を開け、過去から目覚め……今を見据える。一年前と変わらぬ姿。それが洛叉の罪を物語る。こんな子供のような姿のまま、生きる彼。

 いくら王の資格があっても、時の止まったこの身体では、混血としての身分では……それを成すのも難しい。

 彼ならば、手に入れられたはずだ。純血として生まれていれば。

 こんなことならエルフェンバインの研究をもう少し気に留めておけば良かったか。器さえ手に入ったら、毒の身体さえ捨てられたなら。


(それでも……君はそうしないのだろうな)


 無関係の誰かを犠牲にして、自分が健康な身体になりたいとは思わない。それで多くの民を救うことが出来るのだと説いても、その一を間引くことを拒むだろう。彼は殺すことを生業としているが、自分のためにそれを行うことを嫌っている。そんなことを提案されたら、そうなる前に舌を噛んで死ぬだろう。彼の悪運でそう簡単には死ぬことは出来ないとは思うが。


(いや……)


 それに勿体ないと思う。彼の目の色、髪の色、その声、その肌。見慣れている彼が失われてしまうことはあまりに勿体ない。

 彼の外見だけが自分を惹き付けて止まない要素だとは思わないが、その色もあってこその彼。人間が中身などとは言うまい。人間はその両方を兼ね揃えてこその人間だ。もし彼が全くの別人の姿になったなら、この思い入れも低下するだろう。言葉で飾り立てたところで、それは覆せない。人は人の心だけでなく、その仕草……声色、表情……外見的価値に動かされることも多い。

 別にその造形がどうということはない。個人の嗜好はそれぞれで、それがぴたりと重なることはない。唯、その中に好ましい点を見つける。故にその者を好ましいと思うのだ。

 人が成長し、変化し、老いる生き物である以上、永遠など理想論だ。成長の止まった彼でも、その内面は日々揺れ動く。それに自分はいつか失望するかもしれない。しかし、それでいいのだとも思う。


(俺は今、この人を死なせたくない。そう思った……)


 守るべき妹が、愛すべき妹が、この人を殺そうと走り出した。それを見送ることが出来ない。居ても立ってもいられない。ここでそう思う心に背いて、彼が再び殺されたのならと想像した。

 脳は偉大な器官だ。心などそれに付随する部品に過ぎない。

 しかし、何だというのか。脳は今の自分を嘲笑っている。けれど心が命じる。その手を引いて走り出せと。逃げ出せと。それに自分は背けなかった。

 魅せられているのだろうか、あの目に。彼の目に。それならば、それでもいっそ構わない。そう思う心も仕組まれているのだろうか。仕組まれている。操られている。けれど、それをそう不快に思わなくなったこの心も、おかしいのだろうか。


「俺は医者だ。君が元の身体に戻るまで……俺は治療を続けたい。どんなに時間が掛かっても、君に健康を取り戻させる。それまで……君に仕えることを、どうか許して頂きたい」


 言葉はあの日の手と同じ。怖い。恐ろしい。

 手なら無理矢理引けたとしても、言葉を心を引き出すことは出来ない。

 再び拒絶を返されたなら……そう思うと、彼へ跪いたこの視線。それを上げることがこの世の何より、今恐ろしかった。


 *


 洛叉の独白を、リフルは口を挟まず聞いていた。

 突然彼が膝を折るのには驚いたが、それを最後に話の区切りを終えたのを見て、言うべきことを口にする。


「先生、貴方が償うべきは俺じゃありません。貴方が償うべきは、アルムとエルムです。……それでも、それは俺の責任でもある」


 那由多を殺したのはタロック王。那由多を救えなかったことが洛叉の罪なら……

 双子を攫ったのは洛叉。けれどその引き金となったのは自分の存在。それならそれは自分の罪でもあるのだ。


「……俺にも夢があるんです」


 願いを口にしてくれればいい。それを叶えるのが自分の仕事だ。そんな風に言ったことがある。それでもそれはいつか……自身の望みにも変わっていった。彼らの望みを、自分望みを叶えたいと思った。

 そう思ったとき、思い出した。

 それは夢のミニチュアだ。あの日のディジットの店はそれに似ていた。

 混血もタロック人もカーネフェル人も。皆が騒いだり文句を言い合ったりしながら、それでもそれなりに上手くやっていた。そこに招かれた自分は、とても温かいものをそこで感じた。

 それが今は。みんなバラバラだ。それを壊したのは自分という存在だ。その爪痕だ。


「俺はいつか死にます。きっとろくでもない死に方だと思います。仕方のないことです。俺はそれだけのことをしました。……これからもするんだと思います。そんな俺が……夢なんかって、思うんです」


「人を殺して、人の夢を、未来を奪っておきながら……俺が未来を見るなんてあってはならないことだと思う」


 それでも生きている。生きているから、何かを思う。願う。夢見てしまう。

 あんな場所を作りたいと思う。


「俺は無力で愚かです。だから一人になって……一人で出来ることには限度があるんだって……知りました」


 敢えて手袋を取った。外気に触れる素肌の感触。風が手を撫でている。

 リフルはその手を洛叉へ差し出した。この手を毒と知りながら、この手を取る覚悟があるのかと問いかける。

 洛叉は微笑する。少し、此方を馬鹿にしたような笑みだった。そしてすぐ、彼は迷うことなく手に触れる。リフルは頷く。


「俺の夢に……償いに、貴方の力を貸してください。貴方の罪は私の罪だ。貴方の償いに、私も一緒に戦います。その責を貴方だけが背負うことはない。俺には貴方が必要です」


 *


「ううむ……」


 壇上に上げられた混血達を一瞥し、純血の姫は口を濁らせる。

 酒を口にし、くつろぎながら料理に手を出している姿は実に無防備だ。こうして見ていると自分でも殺せそうな気もするが、この姫は油断がならない。その身にどれだけの毒を仕込んでいるかもわからない。既に何人も些細なことで死に追いやられた。

 近くには護衛もいれば、魅了された男共の取り巻きが数十人。ここで何かをしようものなら気の触れた人間達相手に面倒なことになる。

 ここにいるのはそれなりに金と身分のあるものばかり。禍根は残さない方が良い。そういう汚れ役のためにあの男を連れてきたというのに、何を勝手に行方を眩ませているのか。

 大体この手紙の要求に引っかかるものがある。混血への執着。他の仲間に救われての、自演なのかもしれない。


(しかし……)


 那由多もまた、刹那姫排除の必要性は感じているようだった。例えそれが自演なのだとしても、彼女の傍に張っていれば現れる、そう思ったが。


(洛叉と埃沙は、まだ王子を見つけられないのか?)


 埃沙が殺そうとして本気で探す。それを洛叉が止めようと、命からがら救い出し、ヴァレスタの前へ持ってくる。そこに追いついた埃沙に命令を取り消し、殺害を取りやめる。


(これで問題はないと思ったが……)


 すると壇上を眺めていたはずの赤い眼差しが此方を向く。

 しかしそれはすぐに、艶やかな微笑へと変わる。それをヴァレスタの背後で直視した男が数名倒れ込むやら前屈みで退出するやら。弟王子のような目を持っていなくとも、この姫は毒だ。そんな毒が近づいてくる。


「……妾は少し気分が悪くなった。外の空気でも吸いとうなったぞ」


 顔を赤らめ此方にもたれ掛かる姫。

 あまりにも露骨な態度、何か企みがあるのだということは見て取れた。場所を移そうとしたが、それに魅せられた阿呆共がついてこようとするので人払いに手間取った。彼女の護衛が刀を突きつけ凄ませても引かない命知らずも多くいた。


「して、どういうことじゃ。あの中にはいないようだ。本当に全てを上げたのか?」


 ようやく話が出来るような状況になって、彼女は口を開く。

 その提案をしたのはお前だろうと言ってやりたいが、立場上頭を下げる。


「那由多様を狙っている連中の中には数術使いもいるようですから。視覚に作用する術を使っているのかもしれません」

「……それか妾の読みが外れたか?ふ、ふふふふふふふふふふ!面白いっ!受けて立つぞ!!」


 今の今までの不機嫌面は一体何だったのか。今の刹那の表情は、にやりと不敵な笑みを浮かべていた。


「船を用意しろ!何、会場を移し客船貸し切りとでも語れ。外に逃げられたとしても取引の現場には必ずやそれは現れよう!場所はどこじゃ!?」

「はい、此方になります。私の部下に案内させましょう」


 その時人払いをしていた扉が開く。息を切らせて駆け込んできたのは茶色の髪に赤い瞳の少年だ。


「ヴァレスタ様っ!」


 刹那はグライドの方へ視線を向けて、瞳を細めて微笑んだ。


「ふむ…………」

「え、ええと……私に何か?」

「そこな商人、いいものを飼っているではないか。其方、妾に引き抜かれてみるつもりはないか?」


 ずかずかとグライドに近寄り、がしとその手を握りしめ、身を乗り出して彼を見つめる。

 直視する神経がなかったらしいグライドは、ぱっと顔を背ける。無礼だと殺されるのではと思ったが、彼の頬に朱が差していたことに気をよくしたらしい姫はにやにやとそれを観察している。

 ヴァレスタはため息を吐き、刹那を窘める。

 この姫は、この少年には刺激が強すぎる。信頼できる部下が魅了され、使い物にならなくなっても困る。


「刹那姫、私の部下に手を出すのはお止め下さい」

「なるほど。其方から手を出させれば問題ないのだな。理解したぞ。そもそも那由多を逃したのは其方の方。もし那由多が見つからなければそれは其方の責任じゃ。その際はその少年を今夜は貰い受けるぞ」


 小気味よく笑いながら、刹那は扉を潜る。近くの廊下に控えていた互いの手下がそれへと続く。

 女の姿が消えても、まだ落ち着かない様子のグライドに、仕事のことを思い出させる。彼は命令のことを思い出すと、ようやく正気に戻ったようだ。


「グライド。報告を」

「はい。埃沙からの報告ですが、……王子を見つけた洛叉が裏切り、逃亡しました」

「まぁ、予想の範疇だな。それで?次の出現場所は?」



 埃沙の力は明日のように、離れた時間の出来事まで見通すことはできない。たった一人。その次の行動が解る。何をするか、何処へ行くか。万能ではないが、融通と小回りが利く。使い方次第では役に立つ。


「取引に指定された場所ではありません。其方に来るのは別人間ではないでしょうか?」

「くくく……あの姫はまんまと騙されたと言うことか。確かに読みは悪くはないが……思いこみが強すぎるな、あの女は」


 一度そう思い込んだら止められない。大抵を見通せる自信を確信している傲慢故、その思考回路には柔軟性がない。

 世の中はそんなに単純なものではない。不測の事態は起こるもの。それを予期出来るかしないかではなく、それが起こった場合対処できるか出来ないか。


「それで、場所は?」

「取引場所からはそう遠くありません。地図ですと、この辺りかと……」

「………なるほど。確かにこれは、面白い」


 少年が指し示す場所。それと取引場所を交互に見た、ヴァレスタの口から笑いが零れた。


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