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21:Sic volo, sic iubeo.

「セネトレアへようこそいらっしゃいました。歓迎します刹那様」

「そのような固い挨拶など不要。それで?妾に会わせたい者とは何処に居る?」


 女の声だ。流暢なタロック語。どこか耳に懐かしさせ感じさせるその声は、出迎える男の言葉を切り捨てる。それは気の強そうな声ではあるが、そこには色を帯びた艶やかさが感じられるどこか官能的な声。欲求不満の男なら、声だけでどうにかなってしまいそうなそれ。


「此方でございます」


 頭から顔から布をかぶせられて前など見えない。それでも身体を押され、一応奴隷らしくと言うことで首に付けられた鎖に引かれ、歩き出す。


「ふむ……確かに悪くはないが、こう顔を隠されては敵わんぞ?」


 女の前まで来ると、強い視線を感じた。女はじっと此方を見ている。


「……外せ」


 その言葉を合図に外される布。視界は赤。ピジョンブラッドを思わせる深紅の瞳。血のような色なのに、その目は不気味さと美しさを併せ持つ。彼女が身に纏う服も瞳と同じ赤。彼女の白い肌にはそのはっきりした色がよく似合っていた。

 流れるような長い黒髪は艶やかな漆黒の色。彼女がこれまで他国の血を受け入れたことのない真純血のタロック人だという何よりの証拠。扇子を掴む白い指は細く、労働を知らない女の手だ。これで貧相な身体なら華奢でも通るだろうが、彼女は貧相などではない。

 何を食べて育てばこんな身体になるのだろうと自分が女だったら聞いていたかもしれない豊かな胸がドレスの下からもその圧倒的な存在感を主張してる。これを十秒以上見つめて赤面しない男がいたら、真性か不能だと断言できる。

 顔自体はそこまで大人びた雰囲気でもないが、その体つきのせいで否応なしに生じる色香があった。あまり身体を見つめるのも失礼なので、ちらと見たあと視線は顔の方にセットしておいた。

 しかし視線を戻すと相手の表情も変わっていた。

 最初に見た彼女は驚いたような顔をしていたのに、今顔が赤いのは彼女の方だ。細められた赤い瞳にはよくない光が浮かんでいる。


「………せ」

「失礼。何か?」

「二度も言わせるな!服を脱がせよ!」

「は、はい!?」


 短い人生の中にもいろいろあった。だから服くらい今更。そう思う心はある。

 けれど初対面の相手を前に発せられる第一声がそんなストリップ要求だとは思わなかった。

 それは彼女の護衛も、此方の監視も同じ事。

 リフル本人と言えば、一気に顔の熱が冷め……青ざめ、再び赤らんだ。

 流石にこの人数の前で脱ぐような羞恥プレイはどうかと思った。ここにいる人間全部殺しても構わないのならそれも出来なくもないが、恥ずかしさが皆無だということはあり得ない。実年齢より低いところで停滞した身体だ。人前に出すにはいろいろとコンプレックスがある。

 躊躇う様子をみせても、女は諦めない。弟かもしれない人間相手に何故この要求なのか。甚だ謎だ。

 タロック側の護衛は大体が落ち着いて、また悪い癖が出たか程度にしか考えていないようで止める気もないから困る。もっとも護衛に注意されたくらいでこの女が食い下がるとも思えない。


「せ、刹那様!?」

「ええい、さっさと服を脱げ!上からでも下からでも構わん!妾にこれを見せると言うことはこれが妾の異母弟だと思い、機嫌稼ぎにどこからか拾ってきたのだろう?ならばさっさと妾の機嫌を取るが良い!」


「もし本物なのだとしたら……妾とて心苦しい。しかし妾の弟には痣があったはず。それを確かめずに認めるわけにはいかんのだ」


 口調は苦悩の様子を気取っていたが、それに続く言葉が既におかしい。


「確か胸と尻と内腿だったな。手っ取り早く全裸になれ」


 そんなもんありません。脱がせる気満々じゃないか。ふざけるなこの痴女が。

 言いたいことはいろいろあったが、ここでそれをぶちまけると唯でさえどの程度保証されているかもわからない人質達の身の安全が更に低下するだろう。

 それでも、自分はタロックの王子だ。実際そうでありその役回りを演じることを期待されている。そんなに簡単に誇りを投げ出す者を王子と彼女は認めない可能性もある。


「お断りします。人前でそのようなはしたないことは出来かねます」

「王女の命令ぞ?」

「聞けません、異母姉様。元とはいえ、私は仮にも王子です」

「ふむ。王族のプライドがあって脱げんと申すか。ならば良い」


 諦めたか。そう僅かに安堵すれば、周りが再びどよめいた。

 女は自らの衣服に手を掛け、今にもそれを脱がんと言わんばかりに微笑んだ。


「妾が脱げば其方も脱ぐと、そういうことで良いな」

「別室にご案内しろっ!!」


 *


 放り込まれた一室で、リフルがすかさず距離を確保すると、刹那はくくくと咽で笑った。


「あんなものは人払いのための方便よ。そこまで警戒することもないだろう?この姉にその顔をよく顔を見せてくれ」


 寝台へと腰掛ける彼女。このまま逃げ続けても埒があかないのはお互い様。そっと歩み寄れば隣に腰掛けるよう指示される。

 隣の彼女が此方をじっと見ているが、邪眼をかけないように、目を合わせないように視線を逸らす。

 それを照れと受け取ったのか、それも悪くはないと言った風に彼女が微笑む。この場面だけ切り取って見るならば、彼女は優しい瞳をしていた。

 しかし一向に目を合わせないリフルに苛立ったのか、頬に両手を当てて無理矢理目を合わすせる。邪眼が掛かってしまったのではないかと、脅えながらその赤から目はそらせない。


「……実際妾が那由多を見たことは無いのだが、確かに面妖な色をしておる。話に聞いたそれとは似た色だ。つまらんあの国よりは楽しめるかと思ったが、まさか最初からこんな歓迎があるとは思わなかったぞ?来た甲斐があったというもの」


 見た限り、その目は先程から何も変わっていない。魅了されて情欲に支配された風には見えない。それにほっと息を吐く。

 その隙を狙って、勢いよく抱き付かれる。悲しいことに相手が女だとしても、力云々の前に体重の話だ。成長の止まった身体では、のし掛かられては敵わない。


「……だが、悪くない。混血というものは初めて見たが、どうしてなかなか良いではないか。彩り華やか、造形も美しい。なるほど、他国の貴族共が好んで寵愛するのも無理ないわ」


 耳元からくくくと聞こえるその声は、何やら不穏……妙な色を帯びている。


「な、何を……?」

「何、そう脅えるな」

「言ったろう?妾は那由多を見たことがない。つまりお前が本人であるかを確かめる術がないと言うことだ」

「それでどうして私は押し倒されているんでしょうか?」

「決まっておるわ。やってみればわかる」


 リフルは結局出会い頭の言葉が本気だったのだとわかり、唖然とする。

 どんな女かとは考えていたが、多くの男に望まれそれを振り続ける高嶺の花であるはずの姫が、こんなにはしたない考えで脳が占められているとは予想だにしなかった。


「妾は毒の王家の姫じゃ。妾の毒に狂わなければ、其方は確かに妾の弟」


 タロック王族は、毒を体内に取り入れ続けた人間が交わって代々続いていった。それが毒の王家と呼ばれる所以。

 そんなことを続ければ、毒の耐性を持った子供が生まれはするが、毒への耐性を持たない普通の人間と交われば相手側には、毒の王家の人間はまさしく毒だ。マリーが精神を病んだのも、タロック王との交わりが原因だ。

 それを繰り返しても心身共に影響が無ければ、毒の王家の人間に違いない。刹那はそう語る。

 だが、それもどこまで本当か。もっともらしい理由をつけてはいるが、本物でも偽物でも構わない。気に入ったから手を出しておくか。そんな軽薄な気持ちがひしひしと伝わってくる。

 邪眼が効くか効かないか以前にもう触ることを前提らしい。邪眼の効き目が解らなかったのは、最初からそんなことを考えていたからだとは。


(何なんだ、この女は……)


 邪眼に狂った後ならいざ知らず、それ以前からそういう事ばかりを考えている女性がいるとは思わなかった。


「だ、駄目です!止めてくださいっ!」


 情報を引き出すどころの話ではない。このままではあっさり毒殺してしまう。唯殺すだけでは駄目だ。ヴァレスタにも情報を引き出せと命じられている。

 リフルの抵抗にも、刹那が止める気配は無かったが、その声は外へと伝わり助けを呼んだ。


「何事ですか!?」


 駆け込んできたのは焦ったような表情の一人の男だ。


「……早いな。妾は人払いを命じたはずだが?覗き見でもしようと見張っていたか?それとも混ざりたかったか?返答によっては招いてやっても良いが?」


 過激なその物言いと僅かに乱れた女の恰好に、男の顔が赤らんだ。


「い、いえ……私はもしものことがあってはと、見張りを」

「妾は嘘つきは嫌いじゃ。正直に答えよ。本当は妾とあんなことやこんなことをしたくてしたくて堪らなかったのだろう?」

「は、はいぃい!そうです!」


 女の言葉にあっさり屈する男。肯定するだけでこの美女と寝ることが出来るのなら、そう思ったのだろう。しかし女は強かだ。

 前もって。いやたった今、宣言していたはず。


「そうか。それでは其方はこの妾を謀ったということになるぞ?」

「へ……?」


 どちらにせよ、逆鱗に触れたのなら結果はおそらく変わらない。問答無用の絶対権力。


「大嘘つきは、斬首が妾流じゃ」


 あっさりと人の死を取り決める。それが自分に与えられた特権なのだと熟知した、当然と言わんばかりの表情で。


「ひ、ひぃいいいいいいいいいいいいい!!」

「この男を殺せっ!一番に殺し連れてきた者に褒美をやろう!!」


  室内から飛び出し廊下へと逃れる男。空気を切り裂くような女の声を皮切りに、あちこちから上がる足音、そして悲鳴。


「やはり他にも張って居ったか。全く油断のならない。見られてやるのがそんなに嫌ならば仕方あるまい。今片付けるから待っておれ」


 リフルは置いてきぼりになっている思考をなんとか働かせようとするが、ついていけない。同じ言葉を話しているはずが、それを理解できずにいる。

 リフルがそれを理解し終える前に、バタバタと部屋に駆け込んでくる男達。


「捕らえました!」

「捕らえました刹那様!」

「いや、殺したのは俺です!」

「ふむ。そんなに細切れにされてはな……どれが勝者かわからんぞ」


 首に手足に胴体に。男達は先程まで生きていたはずの男をパーツに分けて我先にと走ってきたのだ。

 リフルにはわからなかった。何故彼が死んだのか。何故、この男達が彼を殺したのか。

 そんなリフルを余所に、言い争う男達に刹那は首を傾げ……数巡の後、艶やかに微笑む。


「だが妾は寛容ぞ。全員に褒美をやろう」


 扇子を扇いで刹那が笑う。

 その笑みに誘われた男達が姫へと近づき……次々に倒れ込む。


「……え?」

「やはりお前は那由多なのだな!姉は……妾は嬉しいぞ!」


 目の前で倒れた男達を目に留めず、くるりと振り向く女は満面の笑み。そのままぎゅっと抱き付いてくる。


「こんなことならばあんな中年男との婚約受けなければ……いや、今からでも破棄しに行くか」

「あの者達は、どう……したんですか?」

「褒美をくれてやっただけだが?何か問題でもあるか?奴らは馬鹿故に死んだ。馬鹿は好かん。妾は褒美が金品ともこの身とも一言も言っておらんわ」


 けろりと死を口にする。扇で扇いだ風。それに毒を潜ませる。

 倒れなかったリフルは、毒への耐性を持つ。どの程度の毒をそこに仕込んだかは知らないが、それなりの量だったのだろう。彼女はそれでリフルを本物だと結論づけた。


(…………異母姉、様)


 確かに姉は美しい。それは評判通りだ。しかし、その残虐性もそのままだ。

 この女は危険だ。


(殺すべきだ……でも)


 毒への耐性は、かなりのものだ。どの程度の毒なら殺せるのかわからない。やるとしたら……屍毒ゼクヴェンツ。それならしくじることは、おそらくない。

 しかし、もし万が一自分のように息を吹き返したら?今以上に恐ろしいことになる。

 そうならないよう、どの毒でもいい。毒で倒れさせたところで……この手で殺す。心臓を貫いて、首を切り落とすくらいしなければ。

 その直接的な殺害方法に、戸惑いが生まれる。今まで多くの人を殺してきた。しかし毒殺は、手に残らない。呆気ないものだ。唇を触れ合わせる。手を伸ばす。伸ばされる。それだけで殺せてしまう。

 自分を切るのは怖くない。それでも、他人を斬ったことがない。


「那由多……、妾にはもう其方しかいないのじゃ。兄上はもう居らぬ。妾と番うべきはこの世に其方だけ」


 怖じ気づいた指先に重ねられる指がある。

 驚いて顔を上げれば邪気無く笑う顔がある。覗き込む赤い目がある。その中に自分が見える。その自分は次第に大きさを増していく。


「……失礼。取り込み中でしたか?」

「本当に邪魔ばかり入るのぅ……」


 悔しげな女の声。顔を訪問者の方へ向ける刹那がすぐ傍にいた。つい先程まで顔が此方を向いていたのだ。その距離がどれ程近かったかを今更悟る。


「うむ。其方は美男故許してやろうぞ。美形に生まれたことを感謝するのだな」


 あわよくば一回くらい味見をしてみたいと言わんばかりの笑みで、刹那がしきりに頷いた。

 その先にいたのは洛叉だった。


「それで?何用だ?」


 人を何人も殺しておいて、この惨状でこんな言葉を紡げる彼女の神経を疑った。こんなことは日常茶飯事で、慣れたものだと感じている風ですらある。


(悪いとか、悪くないじゃない。そういうことじゃ……ないんだ)


 彼女にとって人の命も、生も死も、大した意味を成していない。気に入らないから殺す。苛ついたから殺す。八つ当たりで殺す。何となく暇だからおもしろおかしく殺す。彼女の認識する他人とはその程度のモノのように見受けられた。

 かと思えば、自分にはあんな顔を向けたりする。


「いえ、宴の用意が調いましたが如何致しましょう?」

「デザートは食前でも悪くはないが、食後というのも美味しいな。よかろう、お預けだ。待って居るが良い那由多」


 にやりと悪戯っぽく笑いかけ、刹那はそのまま(床に倒れている男達をそのまま踏みつけ)扉へ向かい歩き出す。廊下からは暫く配下に着替えを持ってこいだの部屋は何処だだの命令口調が聞こえていた。

 それが聞こえなくなった後、ようやくリフルは息を吐く。


「…………はぁ」

「お疲れ様です那由多様」


 洛叉の視線も気遣わしげだ。先の会話で此方に靡いてきたということはないだろうが、あの女の凄まじい面を見せられた自分を同情してる風だ。


「私なりに策は練っていたんだが、試す試さないどころの話ではなかったな。……何なんだあの女は」

「貴方の異母姉様ですが?」

「揚げ足は止めてくれ。彼女は…………昔からああなのか?」

「そうですね。私が城に入った頃からあんな感じでしたよ。十にも満たない子供相手に求婚を迫る男達の群れは異様な光景でしたが」

「……先生がそう言うなら余程だな」

「私も流石に十以下には食指が動きませんね。刹那姫は貴方の二つ上。私の三つ下ですから……私が城に入った当時はまだあの方は本当に幼かった。しかし……十年以上も経って全く変わらないというのも問題ですね」

「そうか……」


(幼少からああだとは。ほら見ろラハイア。だから私は言ったじゃないか。性善説なんか馬鹿げている。もともと悪から生まれた人間だっているんだ)


 あの正義感の強い聖十字兵を思い出し、胸の中で独りごちても溜息は尽きない。あんな者を相手にどうこう出来るとは思えないが、それをどうにかしなければならないというのだから、溜息だって出る。リフルのその様子に洛叉が至難顔になる。


「いけそうですか?」

「……やらなければ、彼らが危ない。やるしかないだろう。何とか聞き出してみせる」


「それに私も……あれは生かしていては良くないとは思った。タロックでもセネトレアでも……あんなのが国の中枢に巣くえば国家は崩壊しかねない」


 奴隷貿易人種差別云々の話ではない。それ以前の問題だ。

 いっそ崩壊した方が作り直しやすい?いや、全くの逆だ。完全に秩序を失えば、今以上の混乱が生まれ、今より改善するとは思えない。

 まるで台風。近寄る場所を何処でもお構いなしに破壊し、混乱の渦で飲み込んでいく。その意を人が探ることなど不可能。歩く天災。そんな言葉が思い浮かんだ。


 *



 王女の歓待のために用意されたのは貴族の一邸だ。レフトバウアーの辺りでも一番金のかかった建物を貸し切ったらしい。

 自分は王女が公で認めるまでは、奴隷という立場になっているので、与えられた部屋へと戻された。

 どのくらい時間が経っただろう。洛叉ではない。赤目の方の黒髪男、ヴァレスタが現れた。彼も此方に来ていたのか。


「王子、首尾の方は?」

「…………婚約破綻に持ち込めそうな所にはある。仮にそうするとして、それを告げるためには王の所へ向かうことになる」


 とりあえずの報告。まだ殺していないこと、まだ王の居場所を聞き出せていないことを叱責されるかと思ったが、ヴァレスタはそこまで機嫌が悪くはないようでそれを気にはしなかった。

 実際刹那には気に入られたようで、聞き出すのも殺すのも時間の問題というところには来ている。


「逆にあの性格なら自分で行くより相手を呼び出す方がいいと言い出しそうだ。長旅で疲れているとか口にして。おそらくもう暫くすれば王を連れてくるように此方が命令される。その時居場所については口にするだろう。婚約破棄を望むのなら、ここで終わり。殺害も続けるのなら、王が来た後辺りに殺すのが一番だと思うが……」

「殺せ。あの女は危険だ」

「……わかった」


 割とあっさり了承を返されたのを訝しんだのか、赤い瞳に疑問が浮かぶ。


「……?随分大人しいな」

「……私も彼女は危険だと思っただけだ」


 ヴァレスタはその答えに満足そうに微笑して、扉の外へと消えていく。その靴音が消えると同時に……


「リぃぃぃいいいいいいいいいちゃぁああああああああああああああああん!!」

「と、トーラ!?」


 背中に生じる重み。その僅か後、視覚数術の対象範囲から外され、彼女を視覚することが出来るようになる。


「うう、無事で良かった!!ぶはっ……何その恰好!写真一枚良い?」

「止めてくれ」


 向こうで別れた後の再会だ。見慣れない男姿の正装もあり、はしゃぎたくなるのも解るが窘める。

 よくこの場所が解ったと思ったなと褒めそうになったが、彼女とは仕事の協力関係にある。いざという時のため発信器機能のある数術を、身に付けるものなどを付加して貰った。今回はそう言ったモノを取り上げられる事がなかったから、それを辿って来たのだろう。

 もっとも、もしもの時のために、爪の一枚にもこの数術は施して貰っている。


「解ったよ……視覚情報で脳内に刻み込んでそれを後から数値化してプリントアウトならいいんだね」

「忘れてくれ」

「無理」

「そうか」

「うん。ってそんなことより!ちょっと僕が別行動取ってる内になんか偉いことになってたね」


 トーラは現状説明のために盗聴防止の防音数式を紡いだ。勿論彼女自身は不可視数術で他の者には見えない。


「こっちはアルムちゃんは救出した。こっちにあっちの頭と洛叉さんが来てるからあっちは手薄になってる。流石にあの人数一気に運ぶ力は僕も体力的に無理だから、突破口作るくらいに留めたけど、いけるんじゃないかな?リィナさんにロイル君いるし、フォース君もいるし。そんなわけで僕はこっちの支援に来ました」

「……エルムとディジットはどうなった?」

「あー……やっぱ気付くよね」


 外された二人の名前を口にすると、トーラが僅かに口ごもる。


「ディジットさんのお陰であの双子は助けられそうなところまで行ったんだけど、エルム君がちょっと……面倒なことになっててね。二人一緒に連れ出すのは無理そうだったからアルムちゃんだけ先に逃がしたんだ」


「それでもう一回あの場所に戻った時にはエルム君とディジットさんの気配がなくて、こっちに連れてこられてるみたい。その救出に僕は向かおうと思うんだけど……」


 実質人質は解放されたようなものだと考えて。そうトーラがリフルに告げる。

 つまりヴァレスタの命令に従う必要は無くなった。その上で、何をするべきか考えて欲しいと。


「トーラ。あのアジトで洛叉の妹を見かけなかったか?話に寄れば混血……片割れは既に亡くし、一人らしいが」


 人質という言葉で思い出したが、洛叉の妹も確か人質になっていた。それに遭遇しなかったリフルはそれがどんなものなのかわからないが、あの場所を探索しまくったトーラならば心当たりがあるかもしれない。そう思って口にすると、トーラが思い出すように言葉を紡ぐ。


「……ああ、見たかも。あの青い髪の子かな」

「彼女を、どうにか出来ないか?此方のことは俺一人でやって見ても構わない」

「リーちゃん。彼女は駄目だよ」

「……何?」

「たぶん、手遅れだ」

「手遅れ……?」


 トーラの瞳が、あれは手に負えないと語りかけてくる。


「どういう、ことだ?」

「……リーちゃんはなるべくならあの子と会わない方が良い。何て言うか……とばっちり受けるよ。洛叉さんがタロックから追放された理由はさ、リーちゃんを助けようとしたからなんだ。そのことであの子は洛叉さんを恨んでいるし、それ以上にリーちゃんを恨んでる」


 君が逃げずに君の役目を全うした結果、引き起こされたこと。それで君に関係があるけれど君のせいではないとトーラは言ってくれる。

 二つの選択肢。そのどちらかを選んだとして、もう片側に進んだら回避できたかも知れないという憶測の憎悪まで抱え込むことなどないのだと。


「そんな顔しないで。逆恨みで殺されたらキリがないよ、リーちゃん。自分がやるべきことを考えて」

「……やるべき、こと?」

「今日のこの宴。ここに来るまでの顔ぶれを見てきたけどさ、これがなかなか黒い奴ばっかり。混血連れで来てる奴も多いし、黒い取引も行われてるみたい」


「刹那姫を殺したいのなら、僕は止めないし協力する。だけどリーちゃんが僕やフォース君にいつも言ってくれている言葉を僕はもう一度思い出して欲しい」


 人質のことはもう考えなくて良い。その頭で考えろ。今ここで復讐に走るか。それとも目の前の救える相手を救うべきか。



「……トーラ」

「はい」

「今の情勢で、あの女を殺した場合……タロック、セネトレア、その他の国への影響はどんなものだと考える?」

「タロック王は刹那姫を溺愛しているし、本気で潰しに掛かるだろう。タロックとセネトレアの戦争に発展する可能性が高い。カーネフェルシャトランジアにとっては願ってもないことだけどね」


 こんなに早くタロックへの足がかりが出来るとは思わなかった。しかし、王ではなく王女という駒。それを殺した場合の損失、そして引き起こされ得る事態を、現在の情報から彼女に見通して貰う。


「だけどタロックは広いだけで、物資はセネトレア頼り。だから短期戦なら勝機はあっても本格的にやるとしたらタロックは危ないね。セネトレアはその時はタロックへの支援を断ち切り、それをカーネフェルに流し、カーネフェルを嗾けてタロック攻略に当てる。後は漁夫の利でタロック全土を手中に収める。そんな所じゃない?」

「セネトレアが大国になれば……」

「今よりもっと面倒なことになる。セネトレアの価値観が蔓延するのも危険なことだしね」

「……となると、今暫くタロックには持ちこたえて貰わなければならない。落とすとしたら……セネトレアから。そういうことだな」


 まずはセネトレア。そのために自分がすべきこと。


「…………私は王子じゃない。殺人鬼だ。やるべき事は……決まっていたな。いや……そもそもトーラの先読みにその情報はない。つまりセネトレアとタロックの戦争は回避される」

「そもそも王族暗殺なんてビッグニュース、僕の夢見に出そうなものだよ。多分、彼女も僕らと同じだよ。時が来るまで殺させない」

「……サポートを頼む。ここの混血達を逃がすために力を貸してくれ」

「了解!」


 丁度トーラとの会話が終わり、脱走を決行しようとした時。ノック音が室内へ響いた。


「那由多様、失礼します。夕食をお持ちいたしました」


 鍵の開く音の後、室内に入ってきたのは洛叉だった。トーラは見えていない。彼女はそのままいない振りを通す。

 ガシャンと言うけたたましい音。振り向けば、窓から飛び込んできたのは黒衣の男。

 その姿を認識した直後だ。身体を襲う浮遊感。担がれた。


「……那由多様っ!」


 駆け寄ろうとする洛叉を見、リフルの首元に黒衣の男は刃物を押し当てる。

 男は無言のまま、洛叉へ便せんを投げ捨て、そのまま窓に身を投げる。リフルは見上げる形になる。夜空を。黒を。光る星を。


 *


「攫われただと!?何をやっているんだお前はっ!!」

「申し訳ありません」


 後を追ったが逃げられた。攫われた那由多の報告を主に行えば、当然の言葉。今回の過ち、それは不信に繋がる。

 洛叉への腹いせに、鎖で吊した埃沙を打ち据え、蹴り付け、踏みつける。


「……逃がしたんじゃないのか?お前はあのガキに魅入られているからな。埃沙、お前もそう思うだろう?お前の兄はまたお前を見捨て、あの男を選んだわけだ。どんな気分だ?最後の肉親に再び見捨てられる気分は?」

「……違う」

「何が違うことがあるものか。お前が認めずともこれは事実だ。否定できるならして見せろ洛叉。出来ないだろう?お前があの子供を少なからず思っていることは事実だからな」


 その言葉は事実だ。否定は出来ない。否定したところでこの場の誰もそれを信じない。ならばそのような言葉は無意味。


「他人を家族を実験材料と見下し、生きてきた男のなれの果てがそんなものか!あんな子供一匹にお前は落ちぶれた!地位も名誉も!何もかもを失った!」


 主の叱責に耐える。罵倒を受け入れる。例えそれがどんなに気に入らなくとも。

 それまで省みなかった妹、彼女を実験動物並の扱いをしてきた自分。昔の自分は彼女が泣こうと叫こうと、それを気に病むことはなかった。今、彼女が打たれる度に、湧き上がる感情がある。

 こんな風に、人を人と思うことが出来るようになったのは、彼との出会いがあったから。知を求める以外に興味の持てないこの世界。それが色付き、景色が変わった。無知な人間、愚かな人間。この自分より何も知らない者はあまりに多い。

 無知で、融通が利かず、感情で動く愚か者。見下すこともある。それでも、それ以上に何故か心が惹かれる。

 思わず手を貸してしまいたくなる一生懸命さ。普通に考えれば赤子でも解る、非現実的なその理想論。それを本気で信じ、そのために愚かな罪を重ねている。そしてそれから逃れられる土壌があっても、そこから逃げずに受け入れる。得体が知れず、興味深い。それでも、それだけではない何かを思わせる。

 全てを失うだけの価値があったと、救えていたのならそう思えたはずだ。彼があの様な毒の身体になったのは、あの日自分が彼を救えなかったから。

 彼をあんな境遇に陥れた一因は自分にもある。

 一年半前、再会した時……あの日から悪夢は始まった。自分の知る彼は、あんな虚ろな目をしていなかった。あんな悲しい目をしていなかった。

 どうして無理矢理その手を引いて、連れ出さなかったのか。どうせ追われるのなら、その方が余程意味のある行動だった。


 けれど、彼らとの交わりを等して考えるようになった。それこそゴミ同然と考えてきた妹を。自分の犯した罪のことを。

 自分はそれから逃げている。償うことを。やり直すことを。あの鳥頭ですらそれが出来たのに、この自分にはそれができない。

 それでも彼を見ていると、自分も自分の罪から逃げてはいけない。そんな思いに駆られる。

 殺した以上に人を救う?それでは駄目だ。それでは足りない。

 救ったところでそれは所詮は別の人間だ。本当に償うべき人間は既に死んでいる。洛叉はそれを割り切っている。だから真に償うべきは、傷付け……そしてまだ生きている人間だ。

 その人間に償うことで、他の人間を新たに傷付けても……自分はその償いを終えなければならない。


(埃沙………俺は……)


 妹の目は虚ろ。あの日再会した彼と同じ、虚ろな目。

 混血迫害で。奴隷生活で。今だってヴァレスタの言葉に侵されて。追い詰められていく。追い詰められていく。転げ落ちる坂の上まで運ばれる。


「そうだ。お前はあれを殺していい。恨んでいい。あの男がいる限り、お前の兄がお前を省みることはない。お前を愛することもない。そうだ。あの男がいるからお前はここまで惨めなゴミの生を生きている。兄にゴミとしてしか認識されない。……お前が何をすればいいか、解るな埃沙」


 ヴァレスタはよく言い聞かせ……鎖を外し、危険な思考、精神状態の彼女を解放する。


「…………わかってるわ。私は見つける。見つけられる。殺してくれば良いんでしょ。そう殺す、殺す………ふふふ、あはははは!」

「埃沙っ!止めろっ!!あの人はっ……」

「…………行ってきます」


 ひとしきり笑い終えると、ピタリとまた元の無表情へともどる。扉を潜るその前に、くると振り向き一礼。

 宴の席で浮かないように、今日はきちんとした正装をさせられていて、その恰好だけなら彼女が奴隷であることを忘れてしまうほど。

 妹は微笑を浮かべ、くすくすと笑いながら背中を向けた。


「ヴァレスタっ……」

「不満か?不満そうだな。主に対し、その目は何だ?躾が足りないか?それとも変態のお前は妹のようにこうして俺に罵倒され、見下され、打ち据えられるのが堪らないのか?」


 そうされたいのならやってやろうか?奴隷扱いをしてやろうか?とヴァレスタが嘲笑う。


「否定したいのならお前もさっさと探しに行け」


 *


「ふざけるな!私の弟を何処へ隠した!!」

「正直に答えよ!今ならその者だけで収めてやる。皆殺しにせねば解らぬか!?あれは私の……っ!!」

「落ち着いてください!」

「妾に意見するな!貴様らの所有する奴隷を全て此方に見せろ!妾の弟をそこに紛れ込ませているのだろう!?ええい!気安く触るな!!」


 刹那は怒っていた。それも当然だ。

 この自分が手ずから差し入れをと足を運んだ先に、弟はいなかった。ここの支配者に詰め寄れば、なんと攫われたと言うではないか。

 初めて目にした弟は、それはそれは愛らしい姿をしていた。年齢より若干幼いようにも思ったが、童顔は素晴らしき才能だ。ならば仕方ない。確かに攫いたくなる気持ちも解る。この自分と同じ血を半分持つだけあって、造りが悪くない。独り占めして自分の寝室に飾っておきたくなるようなとびきり綺麗な人形だ。あれをぎゅっと抱きしめて見る夢は最高だろう。

 見るまえに殺された弟。生き落ち延びた彼。その想像のどれとも違う。けれどそれを下回らない。それを遙かに上回る美しい姿だ。この私に相応しい相手だ。むしろこの際別人でも構わないとも刹那は思っていた。

 あれを弟と言うことにして話を丸めようとおも思った。後は適当に弟を奴隷として虐待したとかそんなことを侮辱罪として開戦の切っ掛けにするのも悪くない。処刑されたのではなく、セネトレアに攫われたとか、いくらでも脚本を書き換えることは出来る。群衆は愚かで操られることを待ち侘びている。

 第一結婚するなら、女囲いの中年男と結婚するより普通に弟の方が食指が動く。そもそもあの男と結婚という話になったのは、伝統と格式ある近親婚相手だった兄が死に弟もいない。そこから跡継ぎ問題やら世継ぎ問題が生まれ、いろんな男が求婚に来た。その中で政治的にもっとも利用できる相手は誰かと考えた。

 それを考慮した結果セネトレアを吸収し、支配下に治めるのがこれからのタロックに必要なことだと上の連中は考えた。


(だが、そんなことは妾には関係のない事よ)


 箱の中の生活には飽きた。どうせならもっと面白いことをしたい。そう。この世界はあまりに退屈だ。

 自分なりに考えたその退屈しのぎを行うに打って付けの場所と地位、それがセネトレアだと考えた。別にタロックのためなどではない。そこまで祖国に思い入れなどもない。


(セネトレア……面白い国ではないか)


 こんな短期間に問題が次から次へと。

 王との結婚は考え物だが、この国を手に入れるのはいい暇つぶしになりそうだ。

 刹那は怒りながら、それを愉しんでいた。


(これも余興よ)


 欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れる。そうさせるだけの力が自分にはある。

 その仮定を楽しむことが人生の楽しみ方だろう。

 初めから勝者は自分と決まっている。そしてそこから逆算して考える。今自分がすべきこと。よりこのゲームを面白くするためには。さぁ、何をすべきだろうかと。


 苛立ちが愉快に変わった頃、会場で一人の男を見つけた。

 本来なら部下の不始末の責任を取らせて斬首でもしたいところだが、下っ端とは言えない人間なので流石に今は無理だ。代わりに刹那は一つの提案をする。


「攫われてからの時間はまだ浅い。そこな商人!那由多はまだこの邸内におるぞ」


 黒髪の商人。赤い瞳は素晴らしいが、髪の方はそうでもない。

 刹那の漆黒には敵わない。あれは灰に黒を付け足したようなそんな中間色。顔だけならそれなりに見えるが、生憎趣味ではない。タロックで一度出会ったことがあるが名前は忘れた。興味がない男などその程度の認識だ。とりあえず商人組合の取り締まりみたいなものだろう、裏の方だが。


「趣向を変えろ。面白いことを思いついた」



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