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17:Ego spem pretio non emo.

 僕には一人、姉がいる。

 姉と言っても血の繋がりはない。それどころか互いに顔を合わせたことすらない。

 僕は半分、彼女はその身の全ての血が毒の王家の悪の血だ。

 その女を憎んでいないと言えば嘘になる。

 下らない、もしもの話だ。

 もしも彼女と自分の母の立場が逆だったなら。

 もしも彼女と自分の立場が逆だったなら。

 殺されたのは彼女であって、あの日の僕が求めた全てを両手いっぱいに抱えていたんだろう。そう思えば、憎しみの気持ちは浮かんでくる。いくら頭で言い聞かせても、それをゼロにすることは叶わない。

 それでも僕は自分へと言い聞かせる。

 僕と姉が違う場所を生きているのは、それが運命だったと諦めるしかない。


 美しく愛らしい王女様。顔も知らない僕の姉様。

 僕を殺した父様に、愛され誰より大切にされている僕の姉様。

 不思議なことだとそう思う。

 彼女は僕のように人を殺めるほどの毒など持ってはいないのに、僕以上に人の命を弄ぶ。

 些細な理由だ。在ってないような理由だ。それで彼女は人を殺した。殺させた。

 そして彼女はそれを微塵も悔いてはいない。どうでもいい。飽きた。もう忘れた。踏みつぶした蟻一匹。いつまでも覚えている義理はない。

 だってそういうものでしょう?

 そんな風に姉が笑う。これまで見たどんな女性よりも艶やかに。


 *


 数術は唯の計算ではない。計算することで奇跡を引き起こせるわけでもないし、何も無いところから何かを作ることが出来るわけでもない。相棒曰く「まぁ、僕らは料理人みたいなものだよ」と。

 料理をするにはまず食材がいる。そして調理するための器具もいる。

 もっともそれは必ず必要とも言い難い。食材さえあれば、そのままそれを食すことも出来なくもない。しかしその味は、そのまま。最低限の効用しかもたらさない。

 数術における食材とは元素を表す。世界に存在する四大元素。それは多かれ少なかれそれやその複合物が合わさり存在を創り上げる。その元素を分解するとそれは数字に置き換わる。故に万物は数字。それが数術学におけるこの世の法則だ。

 数術使いが何もないところから何かを引き起こすように見えるのは、才能がない人間にはそこら中に存在する数が見えていないからに他ならない。トーラが言うに、数術使いは料理人。食材はそこら中に転がっている状態。勿論例外はいくらでもあるが、数術という料理に置ける食材不足についてここでは問題としないこととする。


 しかし食材不足を解消できたとて、問題はまだまだ終わらない。

 普通の人間は素手のみで肉や魚を捌けるか?殆ど人間はまず無理だろう。自分の身体で料理が食材を捌けないとなると、必要となるのが調理器具。

 調理器具の補助がなければ、調理は困難を極める。ここにおける調理器具が数術における触媒、調理が計算に置き換わる。

 ちゃんとした触媒があるなら計算は簡単になり、脳への負担は少なくなる。

 混血は生まれ持った触媒体質で、その身体そのものが触媒みたいなものだから、純血よりも上手く数術を扱える。だが、純血はそうもいかない。

 だから彼らは触媒を求める。質の良い触媒さえあれば、差ほど才能のない純血でも、魔法のようなことを引き起こせる。

 故に、才能のない数術使いには触媒は必要不可欠。そして自尊心の強い愚か者ほど質の良い触媒を求める。また、ほとんどの触媒は消耗品。

 才能のない数術使いが数術使いであるためにはそれを購うための莫大な資産が必要になる。

 しかし金は金を生む。ならばそれは先行投資だ。その先行投資は少なければ少ないほど良い。奇跡を起こした時の報酬が高ければ高いほど。

 簡潔に述べるならば、触媒は大事。触媒は高価。そしてここはセネトレア。

 金が欲しい。それでも金がないならば?彼らはこう考える。それならそれを奪えば良いか。

 触媒は高価。商人達の略奪には、その理由一つあればそれでいい。馬鹿な能なし数術使いは、とてもいい金づるなのだ。

 そこまで考えをまとめた上で、リフルは相手の話をまとめてみせた。


「……要するに、セネトレア商人としては二人の婚姻が経済的にはマイナスになると踏んでいるのだな?」

「ああ、そういうことだ」


 男……ヴァレスタが悠々と頷く。

 セネトレア王の失踪。そしてタロックの姫との婚姻。

 それは二国間の繋がりを強化することにもなるが、損失も大きく賛同できない輩も多い。この男率いる商人組合裏方がそうだということは、それが商人組合の総意なのだろう。

 仲間から放され連れて行かれた部屋。部屋はそう広くはないが、調度品は立派なものばかり。室内には腕ごと胴体を縛られている自分。それから洛叉とヴァレスタ。回復したばかりのグライドは騒がしい牢の監視に。ロイルもついでに五月蠅いからと別の牢に押し込めていた。

 グライドがフォースに反応を示したのを知り、敢えてそこに置く辺り、この男は性格が悪い。彼は部下であるあの少年を試しているのだ。その忠義の程を。


「話が早くて助かるよ。ついでに那由多様が隠したつもりの数術使いもここに呼びだしてはくれないか?」

「…………何のことかわからないな」



 無言は肯定。咄嗟に否定はしてみるが、それでもそれが否定の意味を成していないことに遅れて気付く。見え透いた嘘だ。男が喉の奥でくくくと笑い、リフルが座らせられたままの椅子へと近づく。


「貴方本人が数術でも扱えるというのかい?空間転移なんて大それた数術。あの学者だってその式を扱うために一度は死んでいるというのに。いや、それもあり得ない話ではないか。貴方も腐れ混血であることには変わりがない。それでも貴方は逃げない。それはお前が殆ど数術を扱えないということを証明している。精々その目の下らない力くらいだろうさ」


 簡単に論破されてしまったが、かといって彼の言葉には従えない。人質が有る無しにかかわらず、それが出来るか出来ないかという話。


「……そうだな、私には数術がない。だから私がその協力者を呼び出す手立てはない。その内近くに現れる、その時には声を掛けよう」


 そう述べると、能なしがという侮蔑の瞳で見下されたが事実なのだから仕方ない。相手もそれを理解したのかそれ以上は追求しては来なかった。能なし認定が無事に下ったらしい。

 小さく溜息を吐いた後、ヴァレスタは話を変えた。


「……貴方のことは彼からよく聞いている。その目のこと。それから毒専門の殺し屋だということも」

(……毒、専門?)


 その言葉に引っかかる。我関せずと目を閉じている闇医者は、壁にもたれて昼寝でもしている風に見えるが、おそらく狸寝入りだろう。


(まさか……洛叉は、……………先生は)


 明かしたのは、リフルの正体、それから邪眼。毒については多くを語っていないのか?

 そう言われてみれば、ヴァレスタはリフルを捕らえる時もそれを自分では行わず、手下にそれを行わせていた。

 それはつまり、リフルの毒殺方法を知らない。だとしたら、今の状況は決して悪くはない。

 洛叉にそれを明かすつもりはなく、ヴァレスタはそれを知らない。唯一気付く可能性があるとすれば……それはあの少年、グライドだ。毒を知ってる仲間連中もそれからロイルも牢の中。このまま時間を稼ぐことは得策ではない。もし仲間が尋問でもされそれがこの男の耳に入ったなら……


「私にさせたい仕事とは、刹那姫の暗殺だったか」


 一刻も早くこの場から自分が立ち去る。それが最善。それが叶えば、この状況を打開することができる。


「しかし、相手が相手だ。彼女も危険は承知だろう。そんな敵地に足を運ぶとも考えづらい。それどころか……曲がりなりにも王族だ。自ら足を運ぶなど……」

「ああ、プライドだけは高そうだった。毛色は全く異なるが、貴方にどこか似ている」


 似ている。その言葉には並々ならぬ敵意を感じた。とても褒め言葉ではない。ヴァレスタは刹那姫も、それに通じるリフルをも憎悪の対象として認めているのだ。

 こちらを見据える赤い瞳が鋭さを増し、強い憎しみを宿し……その色の美しさを増していく。


「その話だと……貴方は彼女を知っているのか?」

「ああ。知っているとも!!この目で俺は奴を見た!」


 気取った言葉も忘れて、男が吠える。


「あれがこの国を滅ぼす者だ。俺には解る。あれをここに招いてはならない!絶対にだ!」


 海の向こうの女のために生まれた憎しみが、代替品としての自分に強く向けられる。

 一度吠えた後、男は背を向け……呼吸を落ち着かせる。


「セネトレアが集めた財力をタロックなんかに持って行かれるわけにはいかない。あんな痩せた国の乞食共、我らが賄う義理もない」


 セネトレアは国際的に上手く立ち回っている。虎の威を借る狐とでも言うべきか。

 決して自分たちで戦うことはなく、タロックという大国をけしかけカーネフェルへの侵略を行う。そしてその双方に武器を売り、戦争を激化させる。そしてそこから私腹を肥やす死の商人の国。更に質が悪いのは、その戦争で得た人間達を奴隷として売り奴隷貿易を流通させていることだろう。

 奴隷貿易はリフルが何より憎むところだ。奴隷商などに協力するなどあってはならないことだと一蹴してしまいたい。しかし、これはそう……簡単な話でもないのだ。

 セネトレアを壊しても、奴隷貿易という概念が普及したこの世の中での認識を変えていくのは難しい。また新たに金儲けを企む連中が同じ事を繰り返す。それはタロックとカーネフェルの戦争が続く限り終わらない。

 カーネフェルの方には戦争の意思は基本的にはなく、これを止めるとすればタロックの方。

 タロックが侵略戦争を行うのは領土獲得のため。しかしそれは民を食わせるためだ。冬の土地では彼らを満足に食わせるだけの食料がない。それを購うための資金を練るという概念が通貨経済が民まで広く行き渡らないあの国では理解できないのだ。

 手っ取り早く民に食わせてやるためにおそらくはじめた侵略戦争。

 セネトレアのように金のためなら何をやってもいいと言うわけではないが、タロック側に問題がないとは言えない。王の独裁を改めさせ、国の方針を変えて行かなければ奴隷貿易も戦争も終わらない。

 セネトレアもタロックも。いずれ潰さなければならない相手だ。暗殺リストにはどちらも候補に挙がっている。

 しかし、問題はその順序。混乱を、そこから生じる被害を最小に留め、世界の在り方を変えるには、その両者を殺める間隔が開いてはならない。迅速にすべてを終わらせる。


 どちらか一国だけならいつでも出来る。自分の命と引き替えになら安いことだ。魅了の邪眼と毒を持つこの身体があれば、国一つ傾けることなど容易い話。

 しかし、それを行えなかったのはトーラにそれを強く言い聞かせられてきたからでもある。


「君はそれで満足かもしれない。自分が死んで、相手も殺せて、革命のための灯火くらいにはなれると思うかもしれない。そんな暖かな気持ちの中、君は死ぬことが出来るのかも知れない」


「だけど、本当はそうじゃない。それは君の自己満足だ。それが原因でより多くの人が不幸になるだろう。時期を見誤れば君のしたことは無意味どころか余計なお世話になってしまうんだ。リーちゃん……君は言ったね。君は自分を人殺しだと。そうだ。君は人殺しだ。その毒で、多くの人を殺めてきた。その中には罪もない人間だっている。悪人の方が多いけどね。でも君は人殺しだ。それには代わりがないことを君も知っているはずだ」


「だから君はまだ死んではいけないんだよ。君が死ねないのもきっとそのせいだ。君は君の罪を償うまで生きなければならないんだ。君は君が殺した以上の人を救わなければならない」


 否定する言葉もなかった。

 直接国の中枢を狙わず、少しずつ狙う標的のランクを上げていく。そしてセネトレアという国に危機感を抱かせるはずだった。

 しかし、相手は金の亡者だ。殺されたのが自分でなければそれも金勘定の一部。より自分にとって有益にと考える。面倒な相手だ。

 商人達の繋がりは強い。しかし、そこには商売意識での利害関係しかなく、気持ちがないのだ。死ねばそれですぐに割り切れる。そして悲しむこともなく、禿鷹のように死者の資産を奪い合う。驚嘆すべきはその浅ましいまでの金への妄執。

 セネトレアに名を馳せたこの殺人鬼を、この闇商人は駒として飼おうとしているのだ。

 そこには自分が殺されるという危機感もない。


 リフルは思う。何故この男に邪眼が効かないのか。それが解ったような気がした。

 どんな下衆な野郎でも、金への欲以外の欲を持っている。そもそも金とは何かを購うための対価だ。金があるからこそ、いい家、いい女を購える。つまり金を求める者にはその先に、他の何かを求める心がある。それこそが欲。だから金の亡者ほど、邪眼が良く効く。欲に爛れた生活を送っているような下衆だ。下心など腐り余るほど持っている。

 だが、この男が欲するのはあくまで金なのだ。ヴァレスタにはその先がない。彼は金にのみ執着している。それで何を購うという欲がないのだ。いい家にもいい女にも興味はない。そこに価値はないとでも言う風に。

 彼と対面した時に思った。人間らしさを感じない。人ではないような者を相手にしているような感覚。それが恐れに繋がった。それは、彼が人なら誰もが持っている欲がそこにはないから。不気味だ。禿鷹の濁った瞳とはまた違う。また違う意味で。

 契約などのものの例えで商人と悪魔を語ることがあるが、この男が悪魔と呼ばれるのもわかる気がする。この男は悪魔だ。黄金に魅せられた悪魔だ。それを積み重ねることにしか興味を持てない生き物なのだ。


「タロックは唯広いだけ。資源も何もあったものじゃない。金になるのは純血の女くらいだ。手を組んでもろくな事はない。奴らは野蛮人だからね、戦う以外の解決策を知らないのさ。それも仕方のないことだ。奴らは努力をしてこなかった。戦う以外の道を模索せず、金の力を受け入れず、今尚数世紀前を生きている時代錯誤の野蛮人だ」


「……おっと、失礼。那由多様もそこの洛叉もそこの野蛮な国の生まれだったね」


 あまり良い思い出はないが、それでも故郷を馬鹿にされれば少しは腹も立つ。

 だがここで殴りかかったところで勝機はないし、仲間の心配もある。野蛮人だと笑われるのが目に見えている。だからリフルは何も言わない。

 離れた場所で壁に背を預けている洛叉を見れば、僅かに眉をしかめていた。そんな二人の沈黙に、セネトレアの商人はくくくと愉快そうに笑うのだ。

 相手を貶める言葉を紡ぐことで、ヴァレスタは落ち着きを取り戻したのだろう。乱れた髪を直すその仕草にも余裕が感じられる。


「……それで?私はどうすればいいわけだ」

「勿論、貴方の姉上を殺して貰いたい。それが無事に出来たなら、お仲間は解放してあげよう」

「……殺すことならわけないが、それは相手が傍にいるならの話だ。確かに私の協力者には数術使いがいる。その者は空間移動も可能ではある。しかしそれは万能ではない。まったく情報のない場所に飛ぶことは出来ない。タロックに移動することが出来たとしても、そこかで無事に標的の元まで辿り着けるかも怪しい。私には城の地理などあってないようなものだから」

「……いや、その点は問題はない」


 ヴァレスタがゆっくり首を振る。


「箱入りの王女は随分とあの城には厭いていたようだ。敵情視察でもと提案したらあっさりそれに食い付いてくれた」

「……セネトレア、訪問………だって!?」

「その前に王の方をなんとかしておきたかったんだが、そうも言っていられない状況になってしまった。先に女の方を始末する」

「…………その言い方だと、その日までそう日はない。そんな風に聞こえるな」

「ああ、船が着くのは明朝だ」

「……随分と気が早いな。もし今日私がここに来なければ、どうしていたんだ?」

「本当ならばアルタニアで捕らえておく予定だったんだが。そこの能なし洛叉がしくじってくれたからね。保険として捉えておいたあのゴミ共が役立って良かったよ。ゴミも鋏も使いようとは言ったものだ」


 混血への侮辱の言葉。それが怒りを呼び起こすのは無理もない。リフルにとっての混血とはそれくらい大きな存在だった。

 邪眼は効かない。それでもヴァレスタを睨み付ける眼には確かに憎しみの灯が灯る。


「気に障ったようで何より。そういう眼をすると、あの女によく似ている」


 ヴァレスタは笑いながら、それでも酷く憎々しげにそう呟いた。


「だが、あの女とお前とでは相容れない部分がある。あんなのでもあれは姫だ。だがお前は位を下った溝鼠。お前なんか地位も名誉も金もない。お前にあるのはその身の丈にそぐわぬ傲慢だけだ」

「……違う」

「………違う?違うだって?どの口でそんなことが言えるのか。だからお前は傲慢なんだ。それを認めろよ。認めないその捻れ曲がったその性根がお前の傲慢なんだよ」



「私を貶めたいのなら、いくらでも言えばいい。私は充分それに値する。だが、彼らは違う」


 混血には罪もない子供が数多くいる。彼らが何時人間以下の存在へ……生まれたいと思ったか?願ったか?彼らを責めることは何人たりとも在ってはならない。それは彼らの責任ではない。


「毛色が異なれど彼らは立派な人間だ。私や貴様らなどよりずっと立派な人間さ」


「人は人を殺さない。それこそが人。人の在り方だ。だから誰も傷付けず、生きて呼吸をしている者が、どうして人ではないとそう言える?」

「はははははは!面白いことを言う殺人鬼もいたものだ!それじゃあお前は外道だ。人以下だ!犬畜生と同じだと自ら認めたようなものだ」

「ああ、そうだ。私はお前が語るようなものだ。そしてお前も私と同じだ。人を人と思えないお前が人であるはずもない。殺戮、搾取の対象と認識しているような者が人であっていいはずもない」


 人は人を殺してはならない。それが人が人であるためのルール。それを破った人間は、もはや人ではない。だからそれは人ではない。殺されても文句は言えない。人以外を殺めても、それは殺人とは呼ばない。この身を殺めた相手が何であれ、その者が罪を被ることはない。それは重々理解している。

 何時殺されても仕方ない。半ばそんな諦観を抱えながら、自分はそんな場所を歩いている。

 けれど目の前の男はどうだ?


「ギャンギャンと…………よく吠える犬だな」


 小うるさいと、片耳を塞ぎながら嘆息してみせるこの男は。何も解っていない。心の底から、本当に……混血をゴミだと思っているのだ。

 彼は歩いている。彼の道を歩いている。その先にゴミが石ころが転がっていても彼は気に病まない。それを踏みつぶすことになんの後悔の色はない。彼にとってはそれが当たり前のことだった。


「そんなに混血が大事かい?人間以下の存在が、互いに傷を舐めあってそれの何が楽しいのか私には理解しかねるよ」


 目の前の男がとても遠い。遠い場所を生きている相手だ。おそらく何年話し合っても理解し合えることはない。それが痛いほどよく分かる。それは諦めではなく、歴然とした事実だった。


「洛叉、こいつを東へ運べ。あの宿だ。身支度は調えさせろ。ゴミなりに見えるようにはしておけ。……那由多王子、お前は女にセネトレア王の居場所を吐かせろ。そして女を殺せ。それがお前に科せられた使命だ。失敗すれば奴ら全員の首が飛ぶ者と思え」


 ツカツカと扉へ早足で向かうヴァレスタだったが、扉に手を掛けるその刹那、くると此方を振り返る。その言葉に体中の血液が凍った。


「いや……骨一つ残らないと思え。全て商品にして売りさばく」




 *


 なんだあの眼は。腹立たしい。忌々しい。ああ、……本当に憎らしい。

 一つに苛立つと、何もかもが気に入らなくなる。耳から届く自身の靴音さえ煩わしい。

 この薄暗い通路も、冷えた空気も埃の臭いも全て全てが腹立たしいのだ。

 ようやく手に入れた撒き餌。あの女をつり上げるには恰好の餌。しかしあそこまで気の強い相手だとは思わなかった。


(面倒だな……)


 タロック生まれの人間はどうして皆ああなのか。いや、グライドはまだ可愛いものだ。要は生まれか。タロックの上の方の生まれはどいつもこいつも気に入らない。

 洛叉も那由多王子も。従った振りはするが、眼には不満の色がありありと浮かんでいる。気位が高いのだ。洛叉はまだわかる。あれは真純血だ。

 だが、那由多。あれはゴミだ。混血の癖に、ゴミの癖に、自分の立場というものをまるで理解していない。

 あの女とは全く別の方向を向いている。だというのに、とてもよく似た眼をしている。腹立たしい眼だ。抉り取ってやりたくなるような不遜な色だ。


 謁見した刹那姫は、此方を向いているのにまるで此方を見ていない。取るに足らない、目にも止まらぬ小さな者を見るようにヴァレスタを見た。

 王の使いでやって来た自分に対し、謁見を許されたのが王本人ではなくその娘とは。馬鹿にされた気分だった。此方の悔しそうな顔を嘲笑いながら、代理には代理をと姫は笑った。

 美しい女だ。流れるような艶やかな黒髪。暗く輝く血色の眼は、不気味ながらも美しい。その二色がよく映える、雪色に淡い薄桜の色を添えたようなその肌の色。

 真純血の姫。それを眼にした全ての男が虜になると言うのも頷ける。真っ当な神経を持つ男なら、誰もが彼女を隣に飾っておきたがるだろう。


 ヴァレスタ自身も例に違わずそう考えた。これを自分の隣に置いたなら。

 それをどうこうしたいというような気持ちは差ほど無い。欠片も無い。

 女は付加価値だ。装飾品のようなものだ。


 しかし質の良い女はそんなにいない。だから王は多くの女を侍らせる。その一人一人がたかが知れていても、数が集まればそれなりには見えるだろう。

 女一人は宝石だ。それを組み合わせることでようやく身に纏うだけの装飾品へと進化する。

 だが、あの姫は一人でそれを担えるだけの器量を持っていた。そしてどんな女を何十何百寄せ集めてもおそらくそれには敵うまい。それだけのものをあれは生まれながらに手にしていたのだ。

 あれ一匹手に入れたなら、全てが自分の元へと集う。羨みの的、そしてそれを従える自分にとってあれはいい権力の誇示になる。

 つらつらと伝令の言葉を述べていたヴァレスタに、姫は最初の内は戯れの言葉をかけて来ていたが、やがてその本質に気がついたのか、後はまるで興味がないと言う風に適当にそれを聞き流すようになる。

 それにはプライドを傷付けられた。


(たかが女が。品定めをするように、そしてこの私を見下した!)


 日浅い怒りはまだ胸の中に残っている。それはこれまで受けた数ある屈辱の中で一、二を争うレベルのものだ。

 セネトレアには金が在ればある程度の自由は存在する。しかしここはタロックだ。タロックでの女など、装飾品以外の価値はない。所詮はお飾りだ。価値が高く、数が少ない。だからこそ男達は女を欲しがる。

 権力と富の象徴、その指数ごときが。


 女など、所詮は道具。その程度の認識だった。或いは砂袋。

 混血も、カーネフェル人の女も腐るほどいる。一つや二つ、十や百。壊れたところで世界の機能に影響はない。

 そうだ。いい、ストレス解消道具だ。蹴っても殴ってもいい声で鳴く。適度な敵意の宿ったいい目で睨む。そういう砂袋はいたぶり甲斐がある。

 野郎はいたぶってもあまり面白くはない。一時期ははまったこともあったが、すぐに飽きた。死ぬまで絶対に泣かない奴と、あっさり泣き喚く奴。

 女はそのどちらでもそれなりに愉しめるが、男ではそうもいかない。顔に似合わず身体に似合わずすぐに音を上げる者は、興を殺ぐから殺してしまう。消耗品だとしても長く保つ方がいいに決まっている。


「半年か………保った方だな」


 グライドに任せた方の牢ではない。もう一つのそちらへ通じる道を進みながら、誰に告げるでもなく独りごちる。

 混血の双子。人質ということもあったしあまり外傷を与えることは出来ず、手を焼きもしたが、ああいう趣向も悪くはない。

 砂袋を傷付ける方法は、何も外側からだけでなくとも構わない。袋の内側から亀裂を作って、それを一気に爆発させる。まるで手品か魔法だ。面白い。

 唯口先だけの言葉で、人間を操り作り替えるというのもそれなりに楽しくはあった。

 こういう壊し方もあったのか。なるほどこれなら長く保つし商品価値は下がらない。

 あれが一匹だったならここまで愉しむことは出来なかっただろう。片割れにそれぞれが複雑な思いを抱いているからこそ、ここまでこじれさせることが出来たのだ。


 無事にあの男が仕事を終えた所で、そうやすやすと人質を帰す気はないが、ここは帰した方が面白いのかも知れない。いい嫌がらせになる。

 あの女とよく似た瞳のあの男。あれはその時どんな顔をするのだろう。

 あの女とは違ってあれはなかなかいたぶり甲斐がありそうだった。あの男には弱みが多すぎる。仲間も大事、混血も大事、奴隷も大事。そう、あの女とは違う。

 憂さ晴らしにしばらくからかうのも悪くない。不抜けた奴ではあるが、今回の件でどの程度働けるのかを確かめてみることにしよう。

 この目に留まれば、駒として飼ってやってもいい。留まらなければそれまでだ。さっさと処分してしまおう。

 喉の奥で笑ってみると、少し気分が和らいだ。あの双子がどうなったかも気になる。しばらくは気晴らしには困らなさそうで大いに結構。

 そう思えば、本当に良い気分だった。愉快な気分に水を差す、女の声が聞こえるまでは。


「半年?…………とうとう頭がいかれたの?元々貴方はいかれ気味だったから仕方ない話」

「誰が勝手に喋って良いと口にした?奴隷風情が」


 牢の中から鎖の鳴る音がする。

 女と言うより、まだ少女と呼んだ方がいいだろうその声。感情の消えかけたその声の持ち主に、あまり面白味はない。

 しかし長持ちする商品を好ましく思うのは商人として当然の感情だ。故にまだ原型を留めさせているに過ぎない。

 殴っても面白味のない反応の砂袋。どうすれば主が喜ぶかを完全に理解した上で、その逆を貫き通すつまらない砂袋。

 その砂袋は黒でも金でもない、青色の髪を持つ。言うまでもなく混血だ。

 だが薄青に淡い光を宿した猫目石のようなその瞳は、自然界にあるまじき歪な美しさを宿してはいた。これをバラして売り払ったらそこそこの金にはなるだろう。

 こんな性悪女では愛玩奴隷としても役に立たないだろうし、売る時は命を奪うしかないだろう。先に壊れてもまた同じ事。


埃沙(アイシャ)、生憎ながら今日はお前と遊ぶつもりはない」


 そう告げて、ゴミ入り牢から距離を置く。あの二匹を入れてきたのはここからもっと奥だった。


「……それからお前とはそれに一年を足した数だろう。相変わらずしぶとい女だ」


 そう告げると、何がおかしいのか背後で小さくゴミが笑った。

 立派な人間様である自分では、ゴミの真意など理解できるはずもないので、振り返らずに足を進ませる。

 先程までは不快だった靴音も、次第に気にならなくなっていた。

 さて、あの二匹はどんな風に仕上がっただろう。あの腐れ学者の話がどう転ぶのか。

 宗教などが定めた禁忌など知ったところではない。要は儲かるか儲からないか、それだけだ。ここはセネトレア。金だけが全てを測るものなのだ。

 金だ。金だ。金が足りない。

(もっと俺には金が要る……)


 全てをこの手にするために。この両手が抱えていたはずの、その失ったすべてをこの手に取り戻すには、まだまだ金が足りないのだ。

 罪など知るか。そこから更なる富が生まれるのなら、どんなことだってする。それが商人としての在るべき姿だ。

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