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16:Victurus te saluto.

 その情報をもたらしたのは、意外な人物だった。

 西裏町にある請負組織TORA本部に届けられた情報は、売買ではなく懇願と共に託された。数術によって、本部から迷い鳥まで。数術使い達の伝達能力でそれをまず知ったのは紅葉の部下。それを聞いた彼女が会議室まで駆けてきた。

 より詳しい話を聞くために、リフルとトーラは西裏町まで飛んだ。そこで待っていたのはカーネフェル人が二人。ディジットと……もう一人がリィナだった。


「……リフルさん」

「リィナ……!?」


 ポニーテールに結われた長い金髪。アスカよりは明るい……それでも綺麗な緑の瞳のカーネフェル人。

 彼女と出会ったのはディジットの店。アスカの顔なじみで、かつて彼女の相方のタロック人ロイルと共に、請負組織として力を貸してくれた。

 同い年だから、と敬語を使うなと言ってくれたのは彼女。その癖自分は癖だからと記憶の中の彼女が笑った。

 それでも目の前の彼女は笑っていない。再開の言葉を紡ぐより先に駆け寄って、縋り付いてきた彼女は今にも泣き出しそうな顔。強く気丈な女性だと思っていただけに、意外だった。そして、続く言葉に驚いた。


「お願いです!ロイルを助けてくださいっ!」

「彼に、何かあったのか?」


 彼女の相方、ロイルはアスカも手を焼くような怪力剣士。ついでに言えば戦闘狂。

 本気で戦えば剣が折れるとアスカはいつも彼との勝負を騙し討ちで強引に勝利、終わらせていた。元々アスカは基本的にやる気がなく、適当で……本気で戦うことをしない男だったが、そんな彼も腕は立つ。非力で短剣しか扱えないリフルから見れば、十分凄いと言わせるレベル。卑怯な手を使ったとはいえ、身体能力はアスカの上を軽く凌ぐ後天性混血の蒼薔薇と鶸紅葉を打ち負かしたのだから駆け引きの才能は相当のものだ。

 そんなアスカと同等以上の力を持つロイル。彼も一度蒼薔薇を負かしている。彼はアスカのような小狡い手は使わない。子供のように真っ直ぐな心を持つ人間で、戦い方一つにしてもそうだ。ともかくだ。そんな腕の立つ剣士が助けを待つような身になるとは考えづらい。


「……あのね、リフル」


 その考えを改めさせたのは、ディジットの言葉。彼女に名前を呼ばれて思い出す。


(そう言えば……確か彼女は)


 ディジットは言っていた。忙しいアスカの代わりにロイル達が双子捜しをしてくれていた、と。するとロイルはその仕事で、……これから自分たちが向かう場所、その関係のある事柄によって身を危険に晒したのか?


「ううん、ええと……なんて言えばいいのかしら?」

「……ロイル君に何かあったってことだよね?」


 言い淀むディジットに、トーラが近寄る彼女を見上げた。


「ええ。彼、突然ふらっといなくなっちゃったの。それで……リィナも彼を捜すためにうちから消えてね」

「違うんです……ロイルは、城に戻ったんです!」


 状況を説明しようとしたディジットに、リィナがそれを制止、すぐさま否定。

 しかしその単語にリフルは耳を疑った。


「…………城?」


 聞き間違えでなければ確かに、リィナはそう言った。彼女は強い瞳で頷く。

 ロイルはタロック人。だが、タロックはあり得ない。リフルの異母兄は既に死んでいる。それに年齢が合わない。そうなると、残りはひとつ。

 相棒であるトーラの方に視線をやれば、彼女も小さく頷いた。彼女は微笑と微苦笑の狭間のような曖昧な笑みをもって答える。その何とも言えない表情から、彼女はそれを知っていたのだとリフルは知る。


「ロイル君はセネトレアの正統後継者だからね。そういうこともあるかもしれない。だけど……戻った目的って言うのは、セネトレア王の……父親の暗殺だったって本当?そんな情報僕は……」


 自身の異母弟、そして父のこと。

 第三者としてそれを語るトーラ。自身の正体をリィナ達に明かすつもりはないらしい。それもそうだ。わざわざ波風を立てる必要はない。セネトレア史において、トーラは既に死んだ人間だ。


「彼がセネトレア王族……とは」


 世間は狭いな。そう思わずにはいられない。

 驚きのあまり表情が凍ったリフルにトーラだけが苦笑する。それを知った時は流石の僕も驚いたよと言わんばかりに。

 元王族が裏家業。他人事ではないかもしれない。かく言うリフル自身もかつては奴隷、今では暗殺者まで身を落とした。

 元々悪い印象は抱いていなかった彼だ。いくら憎むべきセネトレア王の子供とはいえ、彼自身に恨みはない。こうして助けを求められれば、断ることなど自分には出来ない。


「失敗したんです。だから表には明かさない。ロイルは何も悪くないのにっ……また、危ない場所に戻ってしまった!ロイルが殺されてしまうっ!」

「お、落ち着いてよリィナさん」


 再び取り乱したリィナに、トーラも手を焼く。

 せめて自分だけは落ち着いた声を出せるよう心がけ、リフルは息を吸い、リィナの目を見る。ここまで彼を想う彼女には、邪眼は効かない。それでも彼女に冷静さを取り戻させる手助け程度にはなったよう。


「リィナ、…………俺達はどうすればいい?何を手伝えばいい?」

「ディジットさんに聞きました。私も、連れて行ってください。場所なら解ります。たぶんトーラさん以上に」

「ど、どういうこと?」

「商人組合の……下請け。その請負組織の頭は…………私の兄なんです」


 目を丸くしたのはトーラだけではない。リフルもその言葉には耳を疑った。

 西裏町に暮らす彼女が、東の要人の身内だとは。

 しかし言われてみれば、思い当たる節もある。彼女は東側に近づくことを嫌っていた。

 それは二人が追われていたからだったのだ。


「リィナ……」


 何と言えばいい。

 東で、騒動。心当たりがある。心当たりしかない。邪眼の暴走が引き起こした大量殺戮。

 あの時、アスカ達はフォースの依頼のためレフトバウアーへと来てはいなかったか?もしそうだったなら、その時協力してくれていたロイル達は大丈夫だったのか?正体に気付かれなかったのか?

 城に戻ったというのは、追っ手に捕まったということ。それが故意になのかはわからない。

 それでも追っ手を増やした原因は。

 それを聞けないまま言葉を呑む込むリフルに、リィナが低く呪うような声を紡ぐ。それが一瞬自分に向けられた恨み言かと思い、はっとした。しかしそれは彼女の兄へと向けられた言葉。


「彼は兄に騙されている……いいえ、利用されたんです!ロイルが一人で城に戻ったのは、商人組合の動向を探るため。だから一人で消えたんです」


 自分がいては邪魔だから。そんな言葉を消え入るような声でリィナが呟く。

 否定も肯定も彼女を傷付ける。彼女は自己嫌悪でそのような言葉を紡いでいるのだろう。止められなかった自分を責めて。

 それは他人が諫められる事じゃない。行動の伴わない言葉だけでは人は救えない。第一自分に何を言えるのか。自分こそが全ての元凶の癖に。

 それがわかっているからリフルは何も言えない。トーラはその間リィナの言葉から脳内の情報を照らし合わせ、推測を深める。


「そっか。商人組合と城との繋がりは深い……活動自体はレフトバウアー中心でも、議会……その主要メンバーは城にいる」


 セネトレアという国を動かしているのは議会。そのトップに位置する最高議会が商人議会。

 商人議会メンバーになるためには如何にセネトレアに貢献するかという働きに掛かっている。金を出して入れるのは平民議会、貴族議会まで。商人議会に入るには、商才で得た功績。自らの才能を商人議会メンバーに認められなければならない。他の古参のメンバーは歴代の王を選出した家々だ。そしてその商人議会から王が選出され、王の子と言えどその支持なくし王位は継げない。

 セネトレア最高の地位と名誉。けれどそこには権力がない。王は商人議会の傀儡。

 トーラからその事実を教えられ、リフルは命がけの王宮乗り込み単身暗殺を取りやめた。トーラ自身、彼に復讐したい気持ちはあるのだろう。だが、やはりそれにも時期がある。

 セネトレア王を殺しても、セネトレアは覆せない。それを殺す意味は……狼煙だ。奴隷王国、その象徴を殺めることで一時セネトレアを混乱に陥れることが出来る。それが革命の合図。混乱が収まる前に、全てを終わらせる。

 新たな王、今に変わる国の在り方。それを予め用意しておかなければ、全ての商人を殺めたところで意味はない。また違う悪人に乗っ取られるのが目に見える。

 トーラは元王族とはいえ、女に混血という二重ハンデを背負っている。それを数術で誤魔化すことは出来るだろうが、それが知れた時、混血狩り者が何をしでかすかわからない。


(だが……もしそれがロイルだったのなら?)


 リフルは彼の姿を思い描いた。

 純血のタロック人。彼の髪も瞳も……立派な黒だ。血の薄まったセネトレアの人間にしては……珍しい程。

 もし彼が自分たちに協力してくれたら。そんな風に考えた。それを理解したのだろうトーラが自嘲気味に同意した。


「……ロイル君は、綺麗な黒だから。見栄えがする王だと……選ばれたんだろうね」


 少しだけ、苦しげに寄せられた眉。怒りか嘆きか、それとも羨みか。混血の王女は自嘲気味に微笑んだ。

 混血だから。純血だから。目の色、髪の色。生まれた子供にはどうしようもない。そんなもので、ある子供は殺されて、ある子供は愛されて。いや、愛されでなどいない。ロイルだって。それがわかっているのに、少しでも彼を羨み妬みそうになる自分を嫌悪して。トーラは自己嫌悪に陥っている。それを知らないとはいえ、続くリィナの言葉はトーラに深く突き刺さる言葉の刃。


「あそこは、嫌な場所です。誰もが彼を憎む。彼の髪が、瞳が……自分たちより深く綺麗な色だからって。そんな理由で王位継承権を弟より下におかれた兄達、その母親達は彼を憎んでいますし、議会は彼の人格を必要とはしていない。誰も、彼を見ていない。彼の心なんか知らないんです」


 蒼白の面持ちで、小刻みに震え始めたトーラ。その肩に手を置いて、静かに首を振る。俯いているリィナには見えないだろう。お前は違うと告げてやる。

 ロイルの正体を知っても、普通に接してきたトーラはその兄弟達とは違う。絶対に。例え憎む心があっても、それに折り合いを付け飼い慣らした彼女の努力は報われるべき。だから自分を責める必要はない。

 それを伝えた後、リィナとへと話題を振った。彼女のもたらした情報が本当ならば、事は一刻を争う。


「ロイルがあそこへ戻ったのは……依頼のため、だったのか?」

「はい。私もそうだと思います。その情報を得るためには城に戻る必要がある。それを盗むのではなく自身の身分を明かすことで、その地位を用いて強引にそれを奪うため。だけど私はロイルとは違う。表からは戻れない。多少時間は掛かりましたが城へと忍び込んで、頼りにする人の所へ行きました。そしてロイルの事を聞きました」


「ロイルは王の暗殺に失敗し……地下牢へと連れて行かれました。しかし私がそこへ向かったときはもう蛻の殻。連れ出された後だった……それは、おそらく兄の手によって。兄はロイルを利用するつもりなんです、きっと……まだ何かに。でも……その何かが終わったら……殺す。殺される、殺されてしまうっ!だって邪魔なだけだから!」


 ロイルの事。それはリィナがTORAへ持ってきた情報。

 セネトレア王の暗殺。その失敗。そして彼女がこれから話すのは、それに続く情報。如何にして彼が失敗したのか。その原因を彼女が語る。


「ロイルは確かに人を殺した。それでもそれはセネトレア王ではなかった。それまでその子も、ロイルも私も。それが王だと信じて疑わなかった相手です。それをロイルは殺した。それでも王は死ななかった。そもそもそれは王ではなかったから」


 リィナの言葉に、僅かを置き……トーラが平静を取り戻したような声で問いかける。


「……影武者、ってことだよね?」

「影武者なんてものじゃありません。その男は商人議会まで何十年と騙していたんです!この意味が分かりますか?」


 リィナはセネトレアの魔女と呼ばれるトーラがその程度の見通しなのかと僅かに憤る。それにはトーラも多少むっとしたよう。

 二人の少女の険悪さに、リフルは目眩を覚えた。リィナはロイルがいないというだけで、ここまで取り乱す……というか他人に対する配慮を失うものなのか。誰にでも優しく丁寧、穏やかな物腰、微笑を浮かべるリィナと今の彼女は似て非なる者。それだけリィナという人間にとって、彼は大事な人間だったのだと理解する。


「傀儡として操っていた男が偽物。本物はどこにいるのか?何をしているのか?それが誰にも解らない。こんな不気味なことがありますか?そして彼は……タロックの刹那姫との婚約を宣言。それをアニエスに……あ、……アニエスは私にそれを教えてくれた人です。それを王は彼女に伝えて姿を消したんです。その男は、何十人も子を持つその男の年に合わない、若い青年の姿をしていたとか……」

「伝言役だったんじゃないの?」


 僅かな含みを持って、トーラがリィナの言葉に水を差す。

 自分の目でも見ていない。他人伝えの朧気な情報。それをさも真実のように語るとは片腹痛い。そんな嘲りをそこから感じた。

 トーラは飄々としていて抜け目ないが、その実負けず嫌いで、プライドが高い。王族としてのプライドは捨ててもその気高さは忘れない。それこそ片割れの兄、そして死者への冒涜になるのだから。殊更に情報に関しては、意固地になる。それがことごとく真実であるが故、否定されることを嫌うのだ。


「トーラ……」


 彼女の見る未来は次第に見えなくなってきている。彼女の力も万能ではない。不則の自体は未来が変わっている証。むしろ喜ばしいことだ。それが予言された明日より最低でないのなら。

 精一杯の親しみを込めて、彼女の名を呼んだ。彼女の本質を、誇りを否定するわけではない。それでも、怒りに支配されては何も見えなくなる。自分の知るいつものトーラに戻ってくれ。人の千里先を見据える飄々とした足取りの彼女に。

 邪眼の引き出す好意か。彼女を見つめる自分が悲しげに見えたのか。彼女は気まずそうに肩を落として、何度か左右に頭振る。両手で頬を打った後、気を取り直したようにリィナを見上げた。それを確認した後、リィナも自分の非に気づき小声で謝罪。表面上、空気は僅かに和らいだ。はらはらと二人の様子を見つめていたディジットもほっとしたよう息を吐く。

 その声を聞いてそこに彼女がいたことを思い出したリフルは、その異常さに気付く。

 ディジット。どうして自分は彼女を忘れた?彼女も少々おかしい。普段なら真っ先にそういうのを止めてきそうな彼女が、はらはらとそれを見つめるだけ?

 それはまるで、彼女が何かを行動することを恐れているように感じた。息を殺して、じっとこちらを窺っているだけなんて、彼女らしくもない。


「……トーラさん。数術で、そのようなことが可能なんですか?」

「……視覚数術で視覚情報を弄ることはよくあることだよ。人の五感なら数術で情報を書き換えて誤魔化して間違った認識を与えることは不可能じゃない」

「そうではなく、人が若返ることです」

「若返る?」


 リフルの思考の間もリィナとトーラの会話は続く。けれどその非現実的な言葉がリフルの注意を引き戻す。

 耳にはしていたはずの前後の会話の流れ。それを遡り、考え、その不自然さが更に際立った。

 リィナの言っていることは、どうも現実味を帯びない話。立場も能力も十分異常なリフルやトーラが疑問に思うくらいだ。宿兼酒場兼定食屋の店主に過ぎない割と普通側代表のディジットなんかはもう目眩を禁じ得ない、そんな表情になっている。


「その姿は若い頃の王と瓜二つ。声は彼そのものだったんです。視覚と聴覚、その二つを操った。そういう可能性もあるのかもしれませんが……」

「理論上は可能だよ、不老はね。だけど不死は不可能。人を生かしているのは身体の数値だけではないから。それに意味が分からない。身体の時を巻き戻しても、残りの寿命は変わらない。第一リスクが大きい。そんな馬鹿でかい数術……数術代償がとんでもないよ」


 異常ということは、知っていると言うこと。そうではない人間があり得ないと断定する物事。それがあり得ない程度のあり得なさなのか、あり得る程度のあり得なさなのか、その判別が付くと言うこと。

 リフルよりもそれを知るはずのトーラがそれをあり得ないと断定した。だからそれは絶対にあり得ない。論理的には可能でも、計算が合わない。そんな無謀なことをする阿呆がいるものか。正しい計算者、数術使いはそう語る。


「時間数術っていうのは、理論上は確立されている。立証されている。けれどそれを試した人間はそんなにいない。禁じられた式だから、シャトランジアの第一聖教会に封じられているはずだよ」


 それは出来ること。それでもやってはならないこと。代償が大きい。ほんの少しのことのために残りの人生全てを無駄にするようなこと。トーラはそう説明するが、それでもリィナは食い下がらない。


「それなら他の者が、その式をかけたのでは?」

「万が一使えたとしても純血が時間数術なんか使ったらその日の内に死んでしまうよ」


「あのね、リィナさん?僕は自分の身体なら多少弄れるよ。それは僕が混血だってことが関係している。純血よりはずっと複雑な数術を扱える。だけど、そんな僕も同じ事を誰かにするのはまず無理だ」


 才能のない人間。数術を理解できない人間に1から説明するのは困難だ。

 見えないものを見える人間は、その仕組みを理解できるが、見えない人間はそれを奇跡か魔法だと思い込んでいるのだ。数術は奇跡でも魔法でもない。計算だ。ぶっちゃけた話、足し引き掛け割る計算式だ。それを展開させて現象を引き起こしているだけ。勿論それにはそうするための数値を組み替えいろいろ犠牲を生じているのだ。


「例えば僕は自分の身体の存在数を弄って外見を変えることは出来る。だけどそういうのはあんまり使わない。出来るけどやらない。視覚数術と触覚数術を組み合わせればそれと同じ効果をずっと軽い代償で扱えるから。同じ結果なのに、5分の休息と一週間のタイムロスとじゃどっちがいいかなんか誰でも解る。これは例えだけどね」


 そんな効率の悪い計算をする馬鹿はまずいない。まっとうな術師なら。

 素早く紡げる簡単な式。それでもなるべく効果は高く。そんな式を正確に紡ぐことが数術使いに求められる才能。格式ぶった長い式も、気取った式も邪魔なだけ。

 トーラの式が膨大なのは、移動数術などそれだけの現象を引き起こしてるから。そしてその代償を最小レベルまで減らすため、それを相殺するための式を紡ぐ。だから彼女の式は長いのだ。けれどそれを素早く紡げる力を彼女は持っている。膨大な計算量に耐えられるのも、彼女が混血だから。

 彼女の才能ならば、おそらく他者の姿を変化させることも可能だろう。言葉通りの意味で。

 けれど、彼女はそうしない。理解しているのだ。


「だけど一応、自分には出来る。だけど他人には視覚触覚数術の応用を使うよ。身体構成存在数を弄るなんての他者にしようっていうのはもっと高度なことなんだ。ていうかまず無理。理論上は可能でも無理」


 トーラがそう語るのは、自分の情報を性格に把握しているからこそ出来ること。

 自分と同じ程度に他人を理解するのは難しい。自己と他存在の境界を失う程まで情報を共有するようにでもならないとそれはまず出来ない。互いが互いであり、二人が一人。それほどまでの精神の混濁。自己と他者の犠牲の上に成り立つであろう術。

 当然トーラといえど他人をそこまで理解することは出来ない。出来なくはないかもしれないが、それで彼女が自我を破壊され精神を殺されるようなことがあってはならない。自己防衛のため、引き出せる情報の限界ラインを彼女は知っている。


 だから絶対にそんなことはあり得ないと彼女は言う。


「自分の命を犠牲にしてまで彼のために尽くしたいなんて人間、この世界に何人いると思う?僕は……一人もいないと思うよ。彼は、最低だ。それに……第一さ、セネトレア王は純血だ。数術なんて使えないし、使ってはならない」


 混血だという理由で貴族と共に我が子を殺したセネトレア王。それが傀儡だと知っても、トーラはそれを許さない。

 だからそんな男が数術に頼ることはあり得ないし、あってはならない。

 だからトーラは彼に憤っている。今すぐに殺してやりたい。そんな思いが湧き上がっているのだろう。怒りは飼い慣らすのが難しい感情。押さえ込んだつもりでも、ふとした切っ掛けで爆発してしまう。

 それでも彼女は大丈夫だ。彼女は一人ではない。そんな無謀なことは犯さない。


 思いの外トーラの強い口調に、今度はリィナが押し黙る。小さな子供の外見をしていてもトーラはリィナよりも年上。窮地の場数は踏んでいる。凄めばそれなりに迫力がある。


「たぶん、視覚数術だよ。行方を眩ますにはいい手だ。追っ手がその情報に騙されている内に違う視覚数術を使えば良いんだから」


 何も言えないリィナにトーラがそう結論づける。セネトレア王、及びその関連者は憎むべき数術に手を染めたのだと。


「彼には数術使いの支援者がいる。そう思って間違いない。だけど今はそれどころじゃないはずだよ。そっちの件は僕も調査をさせる。だけどもっと急を急ぐことがあるはずだ。ロイル君が失敗したって事は危ないのはアルムちゃん達でしょ?」


 そもそもリィナはそれを知らせるためにここへ来たはず。トーラがそれを促した。

 双子の話が持ち出され……ディジットは決意したよう、顔を上げる。


「…………ロイルがそんなことになったのは、私が依頼したせい」

「ディジット……」

「これを言うってことは、貴方達を危険に晒すことになるかもしれない。だけど……だから!私、待ってるなんて嫌。私も行くわ」

「無茶だよディジットさん!」


 いきなりの話に、トーラがそれを即座に否定。


「純血は多い方が良いでしょ?私はあの子達を取り戻したい。……先生にきっちり話を付けたい。それに私は……」

「僕は反対だよ。リィナさんみたいに戦える人なら兎も角、ディジットさんは足手まといだ」

「盾くらいにはなれるわ!」

「あのねぇ……数術で移動させる僕への負担を考えて!三人と四人じゃ計算量も制御レベルも違うんだよ!?凡人にはわからないだろうけど!!」

「私にだって出来ることはあるわ。ただ待ってるだけはもう嫌なの!私の知らないところで何もかもがもう終わっていて!それを受け入れるだけなんて絶対嫌!何もしないで、諦めるなんて……出来ない!それがあの子達に関わることなら尚更!!」

「ディジット……」


 彼女の悲痛な叫びに、胸を打たれる。トーラの方に縋るように視線をやるが、彼女の表情は険しい。


「トーラ……それは、不可能か?」

「無理じゃ……ないけど。帰りは人数が増えるでしょ?そのお兄さんにロイル君が連れ出されたってことは、ロイル君はこれから向かう場所にいる可能性が強い。おまけにエルム君にアルムちゃん。もしかしたら他にもおまけがついてくるかもしれない……大所帯だ。それに敵陣に乗り込んで何の数術も使わないわけがない。大技バンバン使ったら、僕は暫く起きられない。だから少しでも節約できるところは節約したい。僕が寝ている間に何かが起きて………困るのは僕の組織だ」


 それは事実。組織の長として正しい判断。

 本当ならそんな立場の者を連れ回すこと自体が間違い。自分は既に彼女に充分過ぎる無理をさせている。それでも……自分たちにはトーラの力が必要だ。


「……その間は、俺がトーラとTORAを守る」

「……リーちゃん」


 そう言ったきり、黙り込むトーラ。先に視線を逸らしたのは彼女。そして思いきりトーラが溜息。


「はぁ……これが惚れた弱みって奴?最近リーちゃん僕の使い方上手くなって来たよね本当」

「そう言うわけではないが……」

「はいはい、もう大好き。リーちゃんがそこまで言うならやるしかないでしょ。やれやれだよ……」


 *


 こうして定員三人の予定を覆し、数術で飛んだのは四人。世界は数字が理を示す。奇数を司る奇神は生を、偶数を司る偶神は死を。

 そんな迷信めいた話を信じたくはなかったが……不吉な数だったと、言われればそんな気がしないでもない。

 敵の背後を取った。それなのに……妙な胸騒ぎが止まらない。


 目の前の男……リィナの兄、ヴァレスタは笑っている。思いきり引き絞った弓を向けられていて……それでも男は嗤うことを止めない。取るに足らないこと。その矢を全く恐れていない。

 リィナもその様子に脅え……つがえた矢を放てずにいる。そんな彼女に向かって正面……リフルの背後から聞こえる声があった。


「あれ?何してんだリィナこんな所で」


 緊迫した状況を打ち破るその声。


「ロイルっ!?」


 リィナの言葉に思わずリフルも振り返る。振り返ってしまった。

 そこには黒髪のタロック人が二人。ロイルの他には、彼に担がれ放せと暴れている少年。


「フォース!?何でお前がここにっ!?」

「り、リフルさん!?」


 リフルの方に目を向けたフォースは、途端に絶句しそのまま気絶した。顔は真っ赤だ。


(あ、しまった。まだ強化数術が効いていたか)


 何が見えたかは各人事に異なるので何とも言えないが、健全な思春期の少年には刺激が強かったのだろう。


「ん?やっと大人しくなったか」


 担ぐのが楽になったとけらけらロイルは笑っている。

 以前見た時と何ら変わらない。ある意味子供のように純粋なその歓喜。


「ロイルの馬鹿っ!どうしてこんな奴の言うことなんか聞いているのよ!!」

「え?だってさー、兄貴が暫くここの警備手伝ったらあの双子解放してくれるって言ったんだもんよ。な、兄貴」

 ロイルの言葉にヴァレスタは、くくくと笑う。


「さて、愚妹にそれから那由多様?そろそろ立場というものを理解出来たか?」


 リフルにはフォースという人質。リィナにはロイルという人質(というか何というか)。

 こうなっては動けない。


「……………」


 これはやられたなと失笑し。武器を捨てるリフル。

 それを見て、悔しそうに……リィナもまたそれに続いた。


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