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11:Tempus edax rerum.

 落下する水音。それが一定のような間隔で偽りの時を刻む。

 酷く身体が怠い。それでも次第にその落下音が煩わしく感じられてきて、覚醒を迫られる。

 じめじめした湿気、それと冷たい空気。黴と土の匂いがする。地下牢か何かだろう。ロイルは確信しながら目を開く。当たりだ。


(すげー腹減ったし……夜中の10時当たりか?)


 なんとなく、直感で今の時間を推測する。

 そしてまず考えるのは、いくつかの何故。それを洗ってみようと考える。

 城にいたのは昼過ぎ。父王に謁見したのが三時頃?それなら随分眠らせられていたようだ。

 今の自分は体中鎖や縄で縛られて、芋虫さながら横たわっている状態。

 つまりそれは、謀反が失敗に終わったと言うこと。確かに殺したのだ。あの男は。この手が感触を覚えている。

 思い出すのは、男の最期の不気味な笑みだ。未練ではない。あんな顔をして死んだ人間を自分は知らない。


(薄気味悪ぃ……)


 思い出すだけで寒気がする。

 そうなるのを待ちわびていたような、獲物が罠にかかったのを見届けたような、捕食者の笑みだった。

 実際こうして自分が捕らえられているということは、自分が負けたと言うことに他ならず……けれどやっぱりわからない。

 自分の死で掴んだ勝利。そこに意味などあるのか?他の場所でそれは成立するのだとしても、このセネトレアだけでは絶対にあり得ない。


(ってことは……あの男は何をやりたかったんだ?……いやんなことより、だ)


 自分はしくじった。失敗した。さて、どうするか。

 これでは約束にならない。あの二人を解放させる約束が。ここから抜け出してもう一回あの男を殺してくるくらいしなければ、彼は二人をどうするだろう?


(容赦ねぇからなぁ……兄貴は混血嫌いだし)


 いくつかの危ない想像をした後、そこですっかりエネルギー切れ。急な目眩にやられ、もう何も出てこない。


「……駄目だ。腹減って頭回んねー」


 リィナが雑食になった理由も少しわかるような気がする。こんな風に閉じこめられて食うにも困ったら……そりゃあ何でも美味しく食せるようになるだろう。

 目の前を通り過ぎた鼠が美味そうに見える。……が、リィナに自分はやるなと止められている。彼女とは、腹と胃袋の強度が違うのだ。前に真似して痛い目に合った記憶ならまだ持ち合わせている。病原菌にやられて生死の境を彷徨った。


「いや……待てよ。燃やせば殺菌いけるんじゃね?」


 得物さえあれば、ぶった斬った摩擦熱で刀身から発火させることくらい簡単だ。

 そうと決まれば獲物が逃げる前に得物を……


「って……ねぇし」


 当たり前と言えば当たり前か。謀反者に武器を与えたまま投獄する阿呆がどこにいる?いるとしたら、遠回しに自害でもさせる場合だけだ。

 空腹さえ満たされれば、この縛めを解くことも壁でも牢でもぶち破るくらい容易いけれど……腹が減っては戦は出来ない。戦どころか何もやる気がなくなる。無気力万歳。

 ここに閉じこめた相手は自分をよく理解している。

 しかし諦めきれず、この空気中に漂う空気に味があってそれで腹が膨れればいいのに……そんな空想を始める。それにも飽き、もしこんな味だったら嫌だベストベスト30まで考えた頃、ようやく遠くで鍵の回る音………に続く沈黙。

 ガチャガチャと鍵を取っ替え引っ替え試す音。しびれを切らし思い切り蹴り飛ばす音。またしても沈黙。キィンと金属が触れ合った……後の鈍い貫通音。それが鍵を破壊したようで、ようやくギィと開いたらしいドア。

 コツコツという革靴の音。鼻が利く自分にだけ解る、僅かに香る鉄と金貨と茶の匂い。それらに囲まれた場所で生活を続ける彼に染みついた商人の証。

 牢の中で芋虫よろしくごろごろとしているロイルの所までやって来たその人物は、重いため息と共にそれを見下した。


「馬鹿が……本当にお前は使えないな」

「……あ!レスタ、兄ぃ」


 なんとなく扉の前での短気具合から予測は付いていたが、とりあえず驚いた振りでもしておいた。嬉しいと言えば嬉しいのだ。彼が自らの足でわざわざ助けに来てくれるなんてそれこそ何年ぶりかのことだから。

 自分よりより明るい黒。暗灰色とでも言おうか。瞳は深紅。セネトレア王家(セネトレイア)で唯一タロックの赤を顕現させた人。それでも彼に継承権はない。だからだろうか。昔も今も、こちらを見る眼差しには僅かの羨望が隠れている。


「何が“あ!”だ。馬鹿者め」


 いや、今は完全に侮蔑の目だ。それ一色だ。

 こういう所ばかりあの男によく似ている。目の前の男も人を見下すのが好きだ。

 これまで何度もそんな視線を向けられてきたが、慣れているせいか別に今更怒りも感じない。実際昔の自分は今以上に何も出来ない駄目人間だったという自覚はあるから。


「お前のような弟など知らん。よくもその口で私を兄と呼べたものだな」

「えー……兄貴は兄貴じゃん」

「喧しい」


 睨まれようがすごまれようが、これは兄だ。母親は違うが、幼い時分には兄と慕った男だ。

 剣の道より商いの道を選んだ人だが、昔はそりゃあ鬼のように強かった。まだ剣を手放していないところを見るに、それを全く使わなくなったというわけではないのだろう。そこから鉄の匂いが香るから。

 年月を帯びどろどろに濁った臭い。若い血液ではない。ロイルは、その血の匂いが子供のものではないことに少しだけ安堵した。そしてその後、浮かんでくるのは失望だ。


(また、殺して来たのか)


 勿体ないなと、そう思う。兄は自分とは違う。

 そこそこ強い方とはいえ、ロイルは自分が自己満足とか戦闘欲とか自己防衛……自分のためにしか剣を振れないことを知っている。けれども兄は違う。力に溺れることなく、己の力量を見誤らずに彼は剣を扱える。得物に振り回されることもなく、彼が得物を支配する。だからこんな遠回しなことなんかしなくとも、その気になれば玉座なんか簡単に簒奪するのも可能だろう。一日二日……いや、それでも多い。半日でもあれば、彼なら十分。幼い時分に、何度もボロ負けし半殺しの目に合った自分が言うのだ。間違いない。

 それでも彼はそうしない。世の中は力だけで回っているものではないと、この商人色に染まった兄はそう言うのだ。

 根っからの戦士の自分にはよく解らない話。剣は力だ。奪うための力だ。この世でもっとも分かり易く、ガキでも理解できる凶器だ。けれども兄は言う。力は、金なのだと。

 昔と言い分が全く変わった兄は、剣という力を金儲けの手段の一つくらいにしか考えない。おそらくロイルという弟のことも、同じように駒の一つくらいにしか感じていない。昔はわからなかったが、今ならそれもなんとなくわかっている。だからと言って、いきなり慕った相手と突然憎めだの恨めだの言われても、いまいちピンと来ないのも確か。


 それでも折れるのは自分の方だ。昔から。無言で睨み合うのもそろそろ飽きた。これでもかという悪意の瞳を向けられて嬉々としていられるほど、自分はそこまで被虐趣味じゃない。

 兄という者は、自分が絶対的優位な立場からこちらを見下ろし、自分の言葉のその全てが世界の真実であり、正しいという前提で物を言う。彼がそう思っている以上、弟の自分が何を言っても彼の耳には届かない。


「へいへい、バレスタ様って言やぁいいんだろ?」


 あまりしつこく食い下がると相手にするのが面倒な相手でもある。この人は年上の癖に大人げないところがある。要するに子供なのだ彼は。

 仕事面での外面も手腕も立派なものだけに、その反動で家面が最悪。そんなところか。身内に様付けを強要されるというのも微妙な気分だが。


「お前は未だに発音も直せていないのか……?」


 言われたとおりに呼んだというのに、彼はお気に召さないようだ。いちいち細かく人に難癖を付け小言を言う癖も相変わらず。気むずかしい男だ。


「だって言いづれぇじゃん。大体なんでウに濁音なんかつけなきゃいけないんだよ。ハ行が可哀想じゃねぇか。セネトレアにない発音記号だろあれ絶対。タロック方面ならあるかもだけどよ」

「私に言うな。私の知ったことではない。言うならお前が殺し損ねたあの男に言うんだな」

「へいへい」


 牢の前ではまだぐだぐだと「情けない」だの「どうしてこんな奴が」だとか、幼い自身を傷付けた言葉が紡がれ続ける。その言葉から守ってくれた人の口からそれが零れ出るというのだから、まったくこの世は救えない。彼自身もずっとロイルをそう思っていたのだ。この弟が玉座に相応しい人間ではないと。

 こっそり吐いた溜息が思いの外大きく響き、赤い目がこちらに向いた。地下牢はいろいろと不便だ。溜息一つ隠せないとは。


「ま、いいじゃん兄貴。これで俺は完全に王位継承権失ったんだ。兄貴の入る隙もあるかもしれねーし万々歳だろ?」


 この兄が自分を送り込み、そして他の兄弟達がそれを止めなかったのは……何も知らないらしいアニエスは別として。

 彼らが全員王位継承を諦めていないからだ。もし正統後継者であるロイルが王を殺して玉座を奪ったならば、仇討ちという正当な理由が手に入り、ロイルを討った者が王になれる可能性が出てくる。邪魔者を正義の名の下に下すことが出来る、最高の機会。この兄もそれを求めていたのではないか?

 リィナに告げずに自分が城に戻ってきたのは、そのためだ。

 生きてここから出られないという覚悟を決めて、腹をくくってやって来たのだ。彼女は価値あると言ってくれる自身の命に、結局の所ロイル自身はそこまで意味を見いだせてはいない。自己犠牲なんて高尚なものを内に秘めているとは思えないが、未練をぶつけられ繰りしむのはロイル自身だ。

 死の苦痛より、生の苦痛の方がきっと辛い。

 剣は物理的な力は与えてくれたが、それは精神の力ではない。いつまで経っても自分は臆病者で、弱くて、どうしようもない駄目人間のまま。

 何も考えられず、何も感じられないくらい空っぽになれない以上、外界から与えられる未練の視線は自分を追い詰め苦しめる。

 どうしてお前が生きている?その視線に思うのだ。

 どうして俺が生きている?


「馬鹿かお前は?」


 見えるはずもない。胸の内を見透かされたのかと思い、はっとする。

 寝ころびながら見上げた先で、赤い瞳の男が睨む。彼は相変わらず、ロイルの全てを否定しながら言葉を紡ぐ。彼は違うことを責めているのだろうが、その清々しいまでの存在全否定は、弱い自分さえ馬鹿らしいとそう言ってくれているような錯覚だ。


 勿論こちらの胸の内などまったく気づきもしない傲慢な兄は、自身の都合でこちらをはっきり見下しながら、鉄格子をガツンと蹴り付ける。この兄もなかなか素行が悪い。普段は上品ぶっている癖に。

 それでも足を痛めた素振りを見せずに優雅に佇んでいる辺り、プライドだけは一人前というか三人前というか十人前くらいだ。だから何と言われれば何とも言えないが。


「私がお前が聞きたいのはそんなことではない。何故しくじった!?どうしてあの男が生きている!?」


 兄が憤慨している。それは国王殺害なんて情報がどこにも伝わっておらず、あまつさえその男を殺したはずのロイルが王位継承者の地位を奪われていないかららしい。

 当たり前だ。王自身が健在なのに、どうしてロイルが裁かれるのか?そういう流れになったよう。


「なぁ兄貴。結局親父って何なんだ?俺は確かに殺したよ。だけど、また同じ台詞を聞くなんて思わねぇよ」


 出迎えたときの男と同じ台詞を、それは紡いだ。その時は死体が喋ったのかと背筋が凍った。

 そっくりだった。声だけは同じだった。流石に驚いた。動きが一瞬止まった。鈍った。油断じゃない。驚愕だ。振り返ることさえ出来ないまま、気がつけばここにいた。


「……影武者、か?しかしそんな話は……“これまで一度も聞いたことはない”」


 ロイルの言葉から、兄は一つの推測を導く。王家で最も商人組合と関わりの深い兄がそういうということは、商人組合でさえ把握していない情報だと言うことか?


「薄気味……悪ぃ」


 情報が足りない。本来商人組合の傀儡であるはずの王が、何を企んでいるのか。

 タロックの姫との婚約。その真相も定かではない。王は王で黒いことを考えている。例えば、とんでもない者を招いて己の糸を断ち切るとか……


「なぁ兄貴、今まで俺らが親父だと思って話して憎んできた奴が全部影武者だったってことだよな。それって……一体、どういうことだ?まさかあの親父が数術使いなんてものに頼るわけねーから、どうあっても人間業の範囲内ってことなんだよな、一応は」


 セネトレア王。殺すべき男。

 だけど、その本当の顔も名前も兄弟達は誰も知らない。姿無き敵だ。


 「………………ますますあの女にセネトレアを渡すわけにはいかなくなった。……作戦を変える」

 「レスタ兄ぃ、あいつらの件は?俺すげーめんどくせーけど働いたんだけど」

 「喧しい」

 「うをっ……!」


 苛立ちと共に放たれた一閃。

 蹴りではびくともしなかった鉄格子をあっさり切り裂いた彼の剣。力任せの無骨な剣とも違う。風を切るような素振りで彼はそれをやってのける。まるで鉄自体がそれを避けるよう、触れた場所からへし折れる。真っ向から彼の相手をするよりも、負けるが勝ちだと言わんばかりに。


 「相変わらずわけわかんねー!流石レスタ兄ぃ」

 「お前にはもう一仕事してもらう。奴らの件はそれで不問としてやろう。私がここに入れたと言うことは、あの男はお前を泳がせておくつもりらしいからな」


 その真意を探るためにも、まだ自分は使えると兄は判断したようだ。最悪、八つ当たりや王位簒奪失敗への怒りで殺されることくらい想定していたロイルにとって、これはそれなりに幸運な方のパターンだった。


 王はロイルを警備も無しに使われてもいない古い牢へと放り込み、そのまま水も食事も与えない。別に死ぬなら死んでも構わない。けれど逃げ出しても構わない。

 大事なのかどうでも良いのか。何かを試すように、何を考えているのかわからないようなことをする父親。


(俺の運でも試してるって感じだよなー……意味わかんねー)


 まさか王に必要なものがそんな要素だなんて、王たる男は伝えたいのか?そんな馬鹿くだらない理由で王になったりなれなかったりなんてするなら、そりゃあ兄弟達は不満だろう。

 ……そんな適当な思い付きがそこそこ当たっているようで、気分が悪い。いや、この気持ち悪さはそれだけではないのだろう。


 「なー兄貴」

 「……まだ何かあるのかお前は?」

 「…………腹減ったんで、その前に飯食い行こうぜ、的な」

 「くたばれ馬鹿者」



 *


 よくよく考えればおかしな話だ。

 混血虐待には様々な例があるが、大まかに分け、それは二分化されると言って良い。

 その内の一つは何か。それを考えた上で考えるのなら。


「……確率的に、0って事はあり得ないよね」


 リフルの至難顔のわけを悟ってか、トーラがそれを口にする。


「だが……これまで出会った混血に、そういう事例は無かった。そうだな?」

「うん。問題はそこだよ」


 リフルの問いかけに天下の情報屋たる彼女、トーラが頷く。


「純血なら、そういう件は幾らでもあったんだけど。助けたときは僕も君も、無事ならそれでよかった。それに越したことはない。そう思ってそれ以上を考えないわけでしょ?そこがどん底、生きてさえいれば救われることも幸せになることも出来るはず。そう僕らは考えた」


 そのような虐待を受けた者の検査程度はしたようだが、無事に何事もないという事が続き、助けが間に合ったのだと認識した。トーラの情報力はそれだけ優れたもの、それは確かなことではあるが……けれどもこれは、そういう簡単な話でもなかったらしい。


「混血はねぇ……年齢通りの外見してないことが多いからね。リーちゃん然り蒼ちゃん然り……僕も一応そういうことになるんだけども」

「成長数が止まっているから、そういう事態に発展しないと?」

「普通にそこそこ成長してる子もいるんだけど。ていうか年相応じゃないとは言え、一応僕ら辺りの身体年齢ならあり得ない話じゃないんだけど。勿論僕だって女の子の日くらいはあるわけで、理論上不可能って話にはならないと思うんだよ。リーちゃん達だって××とか××××とか××××とかは普通にしてる年齢な訳でしょ?」

「すまないが今回はノーコメントで。というかそれ全部同じ意味じゃないか?分ける意味があるのか?」

「……っていうか二人とも、何でこんな時にそんな話出来るんですか?」


 それまでずっと黙りきりだったフォースが、顔を赤らめ青ざめ忙しく此方を見ている。


「こんな時?別に準備確認だよね。出発までの」

「だからだよ!これから行くっていうのによくそんな話出来るな!こっちは武器の手入れしてるってのに!」

「実際僕は数術使いだし、準備なんて数術代償くらいだし。大体黙々としてても喋ってても何も変わらないじゃない。それなら少しでも考察を深めた方が良いと思わない?」

「そ、そりゃあそうかもしれないけどさ」


 トーラはセネトレア暮らしが長い分、割と発言がオープンだ。タロック育ちのフォースには抵抗がある話かもしれない。会議室の外を指さし彼へと逃げ道を作ってやる。


「フォース、無理にここにいる必要はない。顔でも洗って来ると良い」

「うう……そうします」


 トーラに打ち負かされて半泣きの表情で会議室から走り去るフォースを見送り、……本当に彼が残虐公のお抱え処刑人だったのか、少々疑問が生じてきた。

 もっとも、本来彼はこうあるべきだったのに、自分の甘さが彼をそこまで貶めてしまった。そう思うと、心苦しいものはある。


「やっぱお子様だねぇ彼」


 フォースが去った後を見送るトーラは溜息ながらに苦笑する。


「難しい年頃だ。無理に健全な少年に聞かせるべき話でもないしな」

「そうかなぁ。そりゃあ悪い話かも知れないけど、情報って大事だよ?真実はいざって時の物差しにもなる。連れて行くんなら尚更さ」

「それは認めるが、知らないに越したことはない情報だって存在するだろう?」

「それは、まぁそうだね」


 あっさりそれも認め、フォースが戻ってくる前に話を終わらせようとトーラが意気込む。


「とりあえず僕の持ってるデータで純血と混血の間に子供が生まれたって情報はないね。混血同士ってデータもまだないよ。やられることやられたりやることやらされた子はいるけどさ」


 それは未知。だからこそ研究者にとって、それは甘美な誘惑。

 数術使いは考える。混血は潜在的に優秀な数術使い。つまり、その子はもっと優秀な才能を持っているかも知れない。取り入れれば自分の血を継ぐ数術使いが作られる。むしろ優秀な混血同士をかけ合わせれば、神子レベルの……或いはそれ以上の数術使いだって生み出せる。そんな風に考えたのだろう。

 シャトランジアに亡命させた混血が、無事にそこへ辿り着けたのか。それとも辿り着いても結果は変わらないのか。この世に神が居ないのならば、この世に楽園なんてあり得ない。何処に行っても地獄は地獄。世の中腐りきっている。それを滅ぼしたくなる神とやらの気持ちもわからなくもない。


「まぁ私のような身体でもない限り、身体的には問題ないわけだ。……つまりはそれ以外の何かが作用していると?」

「だろうね。……何件かだけどさ、そういう被害もあったんだけど」


 そういう被害。つまりはここにいる混血で、そう言う実験に巻き込まれた者がいるということ。何もかもを全て無傷で救い出せるほど、自分もトーラも万能ではない。数術使いや毒人間なんて言っても所詮は人間。だから現実的にそんなことは絵空事の不可能事の空想だ。

 心や体に傷を負った奴隷は多いし、救いに行くまでに命を落とした者も数多くいる。だからこそ、彼らが生きていてくれたということだけで自分たちは安堵した。生きていればきっと。今日より昨日より素晴らしい明日が作り出せる。希望がある。それを見せてやりたい。そう思った。

 どんなに忌まわしい記憶を抱えていても、……いや、だからこそほんのちょっとした些細なことに幸福を感じられたりするものだ。

 不幸は幸福の物差し。その尺度が無ければ人は幸福を知らずに生きる。幸せしか知らずに育った人間は、それに気付けない。それを当たり前だと思い込む。

 何気ない会話だとか、そこに漂う空気だとか、空や風の色だとか。その時一緒に食べた料理の味だとか。彼や彼女が与えてくれた言葉とか。

 そんなモノの影にこっそりとそれは隠れているはずで、その何気なさに泣きたくなる日だってあった。

 それはおそらく地位でも金でも名誉でもない。幸福とはそんな些細なもののはず。穏やかに流れる優しい時間のことだ。

 けれどそう思えるようになるまでは時が要る。人が何かを認識し、それを認めることに気付くと言うことまでは、時間という要因がある。

 つまりだ。今回自分たちが“その事実”に気付けなかったのも、全ては時の為せる技。

 早速トーラもそれに気づき、口にした。


「盲点だった。何でだろう。考えてみれば本当、今までどうして誰も気付かなかったのかってことだよ。無事で良かったとか、そっちの方ばかり考えて何でとかどうしてとか全然思わなかったなんて。明らかに、あり得ない数値なのに」


 あり得ない数値。その単語が引き金となり、甦る記憶。頁を遡るよう開かれた先、思い出したのは……混血に纏わるとある数。


「あり得ない数値……混血が双子で生まれる確立も、それだったな」


 混血は、必ず男女の双子で生まれる。例外中の例外に、ごく稀に片割れ殺しという混血もいるにはいるが、それは過去に数度きり。

 片割れ殺しの混血児だったリフルにも、死産だったが片割れはいた。だから確立で言うならそれは、絶対という……あり得ない数。

 それは何故か。混血が生まれた時期、その前に起きた現象。混血誕生の黎明期、そこからこんなことを考えた人間がいたらしい。

 世界を蝕む少子化の波。敵国同士が手を取れば、混血が生まれ人口が増える。戦争もなくなり世界はよりよいものとなる。

 もっともその聖職者は純血至上主義者達によって私刑にあったとかでとうに死んだ人間らしいが、彼の考えはわからないでもない話。


「純粋に種族間の差別がなくなったとして……混血が受け入れられれば、タロックは減少している女が、カーネフェルは男が手に入る。トーラの言う神が混血という存在を意図的に作り出したその目的が人口増加であるならば、それはおかしなことではあるな」


 その話を知っているトーラも頷く。以前そんな疑問を口にしたとき彼女の口から聞いた話だ。知っていて当然だ。


「何か、条件があるってことなのかな。神様ルールみたいな絶対条件」

「…………条件、か」


 もしその“神”が混血を作り出したのが、タロックとカーネフェルの共存のためなのだとしたら。現状はそれと程遠い。戦争は終わってなどいないし、混血は人間と認められずに物も言えない道具として生きている。

 彼らの望んだシナリオ通りに世界が進まなかった。だから何かそれに変わる要素を付け加えた……そんなところか?

 この世を統べる万物は数字。それを思うがままに操ることの出来る存在が“神”。混血の外見が意図的に数値を弄られた結果なのだとするならば、混血はその“神”からの影響を受けやすい場所に位置する生き物。そういう風にも考えられる。

 その“神”とやらは、少子化を食い止めたところで戦争は終わらないと判断したのか……。

「………トーラ、お前の言うあの日まで……そろそろ半年を切った頃だな」

「え、……うん」

「お前がそれを予知したのは何年前だ?」


 突然の話題変更。戸惑いがちにトーラが頷く。

 しかし聡い彼女のことだ。続く言葉から、その繋がりをすぐさま察知。自身も考え込むよう目を伏せる。


「…………兄様が死んだ後。混血狩りの全盛期だから……」

「トーラ……?」

「リーちゃん、これは僕の独り言なんだけど……言って良い?」


 おかしなことを言う。独り言と言いながら、彼女はそれを聞いてくる。

 つまり何を言っても彼女はそれを口にするつもり。そういうことか。

 それならば聞かない振りをしても聞いても同じ事。彼女の方へと向き直り、それを聞くことを承諾する。

 そしてそれを聞き終えた、その直後。バタンと勢いよく開けられる扉。そこにいたのはフォースではなく、緑の髪の鶸紅葉。普段冷静な彼女はこんな時もその通りだったが、急いできたのか額に汗が浮かんでいる。涼しげな顔とは正直言えない。赤い瞳には僅かの同様も見られた。そんな彼女がトーラに告げる。


「姫様、お伝えしたいことが」

「鶸ちゃん?……急用?」

「はい、この上なく急用です」


 *


 「リフルさんの馬鹿ぁああああああああああああああああああああああああ………………………………はぁ」


 見晴らしのいい物見櫓。緑と青の美しい風景。

 大声で叫んでも、胸のつかえは取れない。不満だ。この上なく不満だ。

 どうしてあの人は平気な顔でさらりと嘘がつけるのか。以前はそんな風ではなかったのに。寛恕の起伏の薄い人ではあったけれど、分かり易い人だった。声にも顔にも言葉にも、嘘が感じられない綺麗さが滲んでいるようだったのに。それが幻想だったのだと今、ようやく思い知った。

 悪女に騙された馬鹿男ってたぶんこんな気分になるんだろうな、なんて漠然と的を射ているのかいないのかという微妙な例えが頭に浮かんだ。

 何をされたかって?それは語るも涙、聞くも涙の………まぁ要するに、置いていかれた。

 置いていかれた。置いて置いて置いて置いて置いて置いて置いて置いて置いて置いていかれただけだ。

 それだけだ。

 顔を洗って一息吐いて。そしてそこには二人はもう居らず……

 “夕飯までには戻る。明日あたりの”とかいう怪文書が残されていた。殆ど文字の読めない俺のために、ふりがなまで振ってある親切心があるのなら、連れて行ってくれればいいのに。


「って何であの流れで置いて行かれるんだよ俺がぁああああああああああああああああ!連れて行ってもいいかみたいな話になってたじゃんか…………リフルさんの馬ー鹿」


 迷い鳥の守りを押しつけられる程度には、腕を認めてくれているということなんだろうけれど、いざって時何も知らないまま、何も出来ないまま結果だけを耳にするなんて、もう耐えられないというのに。

 純血であるフォースが一番安全なはず。連れて行くメリットはあると彼らも認めたはずだ。


 「でもどうせ“ぶっちゃけ僕の数術あれば外見なんて誤魔化せるしね☆”とかいいやがったんんだろうなぁトーラの奴ぅううううううううううううううううううううううう!!!んでリフルさんもリフルさんで“それもそうだな”とか言ったんだろうなぁあああああ!くっそぉおおおおおおおおおおおお!!!」


 その光景が手に取るように解る。解るだけに物悲しいものがある。


 「やっぱ俺……頼りないのかな」


 心地良い風も今では慰めにもならない。

 武器として生きてきた習性か、母に捨てられたトラウマか。必要とされないっていうことは、結構重たくのし掛かる。

 それがフォースに対する心配とか優しさだとか、そんな風にリフルは思っているのだろうが、全然違う。そこの価値観が噛み合わないのだ。


 「そうだよな。俺なんかトーラみたいに凄ぇ数術が使えるわけでもないし、リフルさんみたいに毒とか邪眼とかないし、蒼薔薇とかみたいに凄い身体能力があるわけでもないし………」


 ないものばかりだ。少しは強くなったつもりでも、力を手にしたつもりでも、現実なんてこんなもの。背伸びをした子供にしか映らない。

 彼らだって混血という特殊な立場のため、見た目だけならフォースより幼い子供にしか見えない。確かに彼らは年上だけれど、そんな子供に子供扱いされるというのもいまいち納得がいかないのだ。


 「リフルさんも酷ぇよ。俺が年下だからっていっつも子供扱いでさ。これがアスカ辺りだったら口で負かされて連れて行ってもらえたんだろ?狡いや。俺だって……」


 呟いた名前に思い出したのは金髪の男のことだ。

 カーネフェル人の男は稀少だっていうのに、あんまりそんな扱いを受けていない不遇な青年だった。自分も割とその空気に乗って、ぞんざいな扱いをしていたように思う。

 彼だって数術なんて殆ど使えない。純血の、普通の人間だ。

 彼にあって、自分にないものは何だろう。


 「……年?身長?剣の腕?卑怯さ?口の悪さ?性格の悪さ?ボケに対する容赦ないツッコミ?強引さ?諦めの悪さ………ってここまで数えて半分以上ろくなの無いんじゃ?」


 むしろ足りない方がマシのような気がして来る。人として。

 それでももしここに彼がいたならどうしただろう?問答無用でついていくか、置いていかれてもどうにかして後を追うんだろう。先程の例の後ろ二つが効いている。

 とりあえず彼にとってリフルが物凄い大事だというのは誰の目にも明らかだったし、それを疑う余地もなかった。だからあの頃はそういうものなのだと考え別に気にもしなかったけれど、今になってそれが疑問だ。


(追加項目その一、その二……秘密主義、大嘘つき)


 アスカは人のもめ事には首を突っ込み文句をぐだぐだ言いながら、それでも飄々とそれを解決していく。その癖自分のことは語らず、踏み込ませない。別に彼自身のことなんかどうでもいい、そんな風に興味を持たせない術に長けている。もしかしたらあの適当なちゃらんぽらんみたいな性格はそのためのものなのかもしれない。黙っていればそこそこ見えなくもないだけに、中身がそんなのだから誰も話半分にしか相手をしない。

 そんな適当で嘘ばかりの彼が、リフルが絡むと冷静さを欠く。それを誘発しているのは……


(アスカは邪眼にやられたのか?)


 真っ先にそれに思い当たった。彼のそれは、正にそれ。その目が人の好意を引き出すものならば、明らかに彼を猫可愛がりしてるアスカが一番効いている。

 リフルが彼に会おうとしないのも、彼を死なせないため。目と毒で殺さないためだ。


(今頃何してるんだろ、あいつ)


 きっと今でも死にものぐるいで探してる。お前は子供連れ去られた猛獣かってくらいの形相で。

 アスカは口は悪いけれどなんだかんだでお人好しだ。本来の彼ならば、好意を寄せているらしいディジットが困っているなら力になるはずだろうし、顔見知りの双子が行方をくらましたなら最後まで力になったはず。だけど彼はそうしなかった。他の最優先事項に雁字搦めになっていた。

 邪眼の力の恐ろしさは、人を死へ誘うことではなく……むしろそっちだ。

 彼の本来の性質をまるきり変えてしまっている。見えるものも見落としてしまうまでの盲目。周りに向けられていた優しさも思いやりも、その矛先はたった一人に変えられる。


 一人の変化。それは些細なことかもしれない。けれどその連鎖がこうして引き起こしたことがある。

 誰かがやらなくなったことは、他の誰かがやらなければならない。


(リフルさんは、それを自分でやろうとしてるのかな)


 自身の力が狂わせた世界。それを修正するために、その分の重荷を背負ってやるべき事を増やしていく。自分だって人間だって言うことを彼はどれだけ覚えているの。

 いくら変わった力があったって、毒を持っていたって、それを宿している彼の身体は人間でしかないし、それを支える心も人間以外の何者でもない。

 そして人間は、そんなに強い者でもない。心も体も弱くて脆い。あっけなく心は折れ、身体は死んでしまう。死をもたらす処刑人の自分さえ、決して強い者ではない。人間の域から逃げ出すことは出来ないのだ。

 「馬鹿だ、リフルさんも……トーラもさ」


 混血差別根絶のために彼らは戦っているけれど、混血が純血とは違うと言うことを彼らは否定的に特別視している。

 力を手にした彼らは、やはり自分たちは人間ではない化け物なのだと思い込む。そして強くあろうとする。割と何でも出来てしまうから、何でも出来ると思ってしまう。

 誰かを頼るなんてことが出来なくなる。頼るよりも自分でする方が、簡単にできてしまうが故の弊害だ。

 力は剣ではなく盾。守るために使うもの。きっと彼はそう言うだろう。

 強すぎる力は自分のためではなく誰かのために向けられるべき。そしてそれは自己を越えた大多数の幸福。

 彼らの言う世界。そこに足りないものがある。

 そこには彼ら自身がいないのだ。誰かのために、自分をいとも容易く捨てられる。自己犠牲のお手本のような生き様だ。それは彼らが人としての当たり前の欲を押し殺し、捨てようとしているから。

 生きたい。死にたくない。幸せになりたい。

 誰だって、息をしているものならそう思うはず。そんな当たり前の願いだ。祈りだ。

 それを捨てることが、人間を越えることだと彼らは思っているのだろうか。


 「俺だって、心配なのは同じなのにさ」


 思われていることに気付かない。それから目を背けて走り去る。

 死んで欲しくない。だから守りたい。すぐ傍で力になりたい。

 そう思うのに、そう思うのに……それはどうして届かないのか。


 出来るのにしない。そこには自分の意思がある。しかし……出来たかもしれないのに、それをやらせてさえもらえない。そこには意思はなく……唯歴然とした事実だけが横たわる。

 何も出来なかった。思い知るのは無力と後悔。

 出来なかったかもしれない。それでも出来たかもしれないじゃないか。

 挑戦権すら与えられないで、望まぬ結果になること程辛いことはない。どれだけ低い確率であっても、やることには意味がある。それは可能性だ。何事もやらない内に失敗を口にしていい人間など絶対にいないし、いてはならないはず。


「今頃どうしてるんだろ、あいつら」


 別に心配なのはあの恩人だけではない。

 アルムとエルムという混血の双子の姉弟。ディジットの店で世話になったときに出会った彼ら。割と年も近いせいもあり、そこそこ親しくしていた間柄だ。

 姉の方は何をやっても駄目というかドジというか気が抜けるくらいぼーっとしている。彼女の笑顔の周りと頭の中にはお花畑が飛んでる。そんな空気が漂っていた。

 弟の方はそんな彼女をサポートする立ち位置で、何でもそつなくテキパキこなす。仕事熱心というか真面目すぎて姉より印象に残らない。一つの行動の動作が的確で素早い分、すぐにどこかへ行ってしまう。そんな感じだ。

 二人ともフォースより年下だったが、アルムは年相応よりも遙かに下に見え、エルムはフォース自身より年上のような雰囲気。背なんかは全然自分より低いのに、話しているとそんな風に感じたことを思い出す。


(それでも、……本当は子供なんだよな。俺よりも)


 エルムの方は強がってるだけだ。きっと怖い思いをしてる。姉が泣いて叫いているから彼は泣けずに宥める風になっただけで。

 年下の弟分が理不尽に泣き喚く度、年下うぜぇと思っていたフォースからすれば、それはとても凄いことだった。

 年上だから我慢と言い聞かせ……年下の面倒を見ることでさえ、腑に落ちない感覚があるというのに、彼らは逆だ。例えるなら、泣いて我が儘を言うのが自分で、弟分がそれを宥めて遂行してくれるという図。それに近い。


「あいつは我が儘とか言える相手がいなかったんだな」


 それじゃあ自分は?そう考える。

 我が儘。それは自分の言葉だ。遠慮も無しに思ったままに言葉を吐ける相手。いるか?……

(リフルさんには結構すんなり思ったこと言えるけど、気ぃ使わないで済むのはアスカとかトーラだよな)


 トーラもアスカも本気で喋っていないのが解る。普段は冗談で言葉を濁している奴らだから、こっちも気を使わないで済む。そんな雰囲気を発しているのかも。

 リフルの場合はこっちが嘘をつけない。なんだかよくわからないけれど、そんな風になってしまう。いつも真剣な感じがするからか。いや、思い返してみればそんなことは全然無い。いやむしろその逆に、真顔で冗談を言ったりとんでもないことを言い出したりするから質が悪い。あんな綺麗な顔してるのに、平然と問題発言を吐いたりする。


(蒼薔薇はいつも怒ってるみたいでなんか怖いし鶸紅葉は無口でなんか怖いし)


 混血差別という認識はあまりないつもりだが、後天性混血の二人には気後れはする。カルノッフェルを思い出してしまうからか。


 アルタニア公には勿論我が儘なんて言えなかった。自分は武器だから。それでも嘘は言えない。武器だから。

 コルニクスにもそうだ。互いに文句を言い合う仲ではあったが、それは我が儘ともまた違う。


(グライドは……ロセッタとパームは……)


 幼なじみ連中は家族みたいなものだから、気を使うなんて概念はない。我が儘を言うような仲では勿論無いが。我が儘は弟分のパームが担当。自分はそれに不平を言う係。面倒見がいいグライドがその仲裁。ロセッタはその一連のやり取りを「馬っ鹿じゃないの?」言いたげに溜息を吐く係。


 本来我が儘をいうべき両親。父親なんて一度も見たこともなくて顔なんか知らない。母親には昔は我が儘を言っていたけれど、次第に言えなくなり……本心さえ言えなくなった。心が離れて捨てられた。

 幼なじみの輪の中では自分が兄だと言い聞かせ頑張ろうとしたけれど、グライドやロセッタの方がよほどしっかりしていた。


(我が儘か……)


 幼なじみ捜しを依頼したり、一緒に連れて行ってくれだとか、置いていかないでだとか。我が儘、言ってる。


「俺……うざったかったのかも。だからリフルさんに置いていかれたんだ……」


 優しくしてくれるからって勘違いしていたんだ。

 彼は別に自分の母親とかじゃない。だけど自分はそれの代替品として彼を求めていた。そりゃあ重く感じるはずだ。離れたくもなるだろう。

 あの人のためと言いながら、結局は自分のため。あの人のために傍に居るんじゃなくて、自分がそうしたかったから。二度も母に捨てられるのは嫌だった。


「おかしいな、俺……」


 どうしてだろう。赤の他人だ。でも恩人だ。慕ってる自覚はある。感謝もしてる。尊敬もしていた。そんな相手にどうして自分はこんなに我が儘になってしまっているんだ。

 武器として生きていた頃はそんなんじゃなかったはずだ。だけど人として……あの人の傍にいることを選んだ。その結果、思い知る。人としての自分は、あの日別れたまま……何も成長していない。でかくなったのは外見だけだ。見せかけだ。まやかしだ。子供だ。子供は足手まといだ。だから置いていかれたんだ。


「新入り、何やってんだ?」

「うわぁっ」

「んな驚かなくても」

「驚くに決まってんだろ!」


 俯いていたフォースに掛かる声。目を向けた先、逆さまに浮かんでいる銀瞳の子供。さっきもここで会った混血の少年ウィルだ。彼はくるりと一回転し、そのまま砦に足を降ろした。


「まーまー落ち着け。ここは先輩でお兄さんな俺が相談乗ってやんよ」

「ガキにお兄さんとか言われてもなぁ、相談?……頼りねぇ」

「お前いくつ?」


 おもむろにそう尋ねられ、不思議に思いながら一応答える。


「15、だけど?」


 それを聞くなりけらけらとウィルは笑い出し、一分後くらいにピタリと止めてフォースを視界に戻す。


「やっぱガキだな。俺は17」

「はぁ!?嘘だろ!?お前どう見ても12、3あたりだろ!?」

「混血を外見で判断すると痛い目見るぞ?やっぱ騙されたか。はははははは!俺の演技もなかなかだろ?最初絶対年下だと思っただろ!?あははははは!」


 狐か狸にでも化かされた気分だ。どう見ても子供なのに、年下なのに。確かに彼の方がどっしり構えているように見えてくる。そう言われたそれだけで。

 彼が現れたときの自分はあまりに情けない顔をしていたんだろう。彼は何かを勘違いしているようだった。


「そんで?新入りはどいつに虐められたんだ?」


 その勘違いが苛ついたので、とりあえず彼の相方を告発してみた。


「…………とりあえずお前の連れに一発叩かれたな。そう言えば。リリーって言ったか?」

「ぶはっ!情けねー……お前あいつに泣かせられたの?」

「ち、違ぇよ!」


 逆効果だった。余計馬鹿にされてしまう。


「んじゃ、何で?」


 問い詰められると、返答に困る。目の前の少年(でも年上)が何を考えているのかいまいちわからないせいもある。こちらを心配している風でもあり、どうでもいいようでもあり、からかうようでもある。要するに暇なのか。ああ、なんかそんな気もしてきた。たぶんそうだ。


「そういやお前はリフルさん知ってるんだったな」

「おう、もちよ」


 名前を出した途端、興味の色が強くなる。ウィルは身を乗り出してこっちの話を聞きたがる。さっきは年下だと思ったから助けてくれたヒーローへの純粋な憧れとかだと思ったそれも、それに僅かに加わる色が、彼も邪眼にやられているように思わせる。

 混血には効きが弱いとは聞いたが、全く効かないということもないのだろう。素顔を見た者には……殺し合わせない程度には好意を引き出す。


「何だよそこまで言って出し惜しみは無しだぜ後輩」

「まぁ……言っても言わなくても今更何も変わらないか」

「そうそう、で?」

「置いていかれた」

「へぇ、どこに?」

「仕事だよ。知り合いの混血がなんか奴隷商達に捕まってやばいみたいで。俺も一緒に行くはずが……」

「ほうほう。そんで?そこやばいの?どんくらい?」

「やばいってもんじゃないよ。商人組合なんてこれでもかってくらい混血の敵の巣窟だろ?ここは何が何でも純血の俺が行って盾でも囮でもなろうと思ってたのに」

「んじゃなれよ。盾と囮に」

「……だから今更。俺はトーラみたいな数術なんか使えねぇし」

「そういう感じはするよな確かに。数術の才能感じない」

「五月蠅い……」

「はいはいふて腐れるなよ後輩。だからここはこの先輩が一肌脱ごうじゃないかって話さ」

「はい……?」

「俺もあの人には借りがあるしな。ここで一発すげーとこ見せれば俺も側近にしてくれるかもしれない」

「……え?」

「いまいちやる気しなかったんだけど、こういうことならやる気も出るな!俺の本気は滅多にない分、やる時ゃすげーんだからな」


 言葉が愚痴っぽくなってしまっていたフォースが、話の流れの変化に気付いたのは側近の下りの辺りから。

 混乱したまま聞こえてくる言葉を脳で処理している内に、ウィルは何やら立ち上がり、にやりと笑って見せた後、両手の指に隙間を空けてそれを身体から僅かに離し足下へと真っ直ぐへと向け、綺麗な色の両目を閉じる。その刹那、フォースが感じたのは空気の揺れ


「……ま、マジかよ」


 地中。足下。ウィルの立つその場所から感じるプレッシャー。彼が地へと向けた両手。それに絡みつくよう舞い上がる見えない風。大気が震える。

 才能のないフォースの眼に見える変化は、この銀の瞳の数術使いの瞳が明るく輝いていることだけ。


「ぃよっしゃ!まだ時間はそんなに経ってないな。いける、これなら追える!」


 カッっと両目を嬉々と見開いて、ウィルはそう口にする。どんな術を使ったのか解らない。けれどこの少年は、まるでトーラのように自信たっぷりに根拠があるのかないのかも才能のないフォースにはわからない何かをもって、不敵な笑みを形作る。


「計算完了!掴まれ後輩!一気に飛ぶぞ!」


 もうここは彼を信じるしかない。藁にも縋る気持ちだった。どっちにしろ彼一人で乗り込ませたら危険。そんな気がして。背中を押したのはその咄嗟の判断。

 風の中心にいる彼のもとへと急ぎ、その手に触れる。


「駄目っ!ウィル!」


 背後で上がる少女の声。切羽詰まった悲痛な叫びだ。

「げ、リリー!?」


 対するウィルは割と間抜けな声を発し、リリーの後ろのリあたりが聞こえた頃から景色が揺らいで行った。前に移動したときはトーラに目を瞑るように言われたことを思いだし、そうするべきだったのかと考えた途端、景色は薄暗い場所へと代わり、足場の高さの違いから、フォース達はそこへと投げ出された。


「痛てて……」

「重いぞ後輩」

「あ、すんません先輩」


 一応彼が力になってくれたというのは事実だ。その礼を込めて彼の言葉に釣られてか、先輩呼びをしてしまった。


「…………で、先輩?」


 二度目は単なる嫌味だ。嫌味も言いたくなるだろうこれは。


「ここ何処なんだよおい」

「あー……失敗したな。リリーのせいで集中力ミスった。最後の計算まずったわ。途中までいい線行ってたからそんな離れてはいないと思うなー……同じ建物内だとは思うぜ」


 薄暗い場所。地下通路か?埃臭いし黴臭い。とてもいい空気とは呼べない場所だ。こんな所に長時間居座っていたら何か病でも患いそうだ。

 それはまぁいい。それ以上というか以下というか、もっと酷いことがあるのだ。


「で?何を失敗したら牢の中に飛ぶんだよ……」


 助けに来たどころか足手まとい万歳。罠に掛かった袋の鼠。


「よっし任せた後輩☆俺身体は子供だから肉体労働向かないんだ。が・ん・ば・れ」

「鍵開け数術とか使えないのかよ?」

「無理無理。地味でつまんなそうな術俺覚えなかったし。そういう生活密着型はリリー担当。俺は派手なの」

「役立たねぇな……」

「何を!ここまで誰のお陰で来られたと思う?」

「それは感謝するけどさ。誰のお陰でこんなことになってるのかも考えろよな。くそ……面倒臭ぇ」


 音を立てないで鍵を壊すのは難しい。アルタニア公お手製の処刑刀冬椿があれば鍵の破壊など容易い。しかし相手方に気取られないようこっそり破壊するのは至難の業だ。

 時間がないと自然と気負ってしまうフォースにウィルは暢気そうに欠伸をしながら呟いた。


「あー……時間は大丈夫みたいだ。ここら付近に生きた人間の気配はない」

「い、生きたって……」

「お前は作業集中。俺はごろごろしながら様子窺ってやるから」


 言われてみれば、空気から他の臭いもしてくるような気がする。嗅ぎ慣れた臭いのせいで、鼻が鈍っていたのか。気付けなかった。死の臭い。

 それに嫌な想像をしてしまいそうになる。それを封じるために、違う話題で考えを紛らわした。


「なぁ、ウィル……だっけ、あんた」

「先輩付けろよな後輩」

「俺はフォース。忠告しておくけどな、これは覚えておいた方がいい。いざって時俺の名前を出せば何とかなるかもしれないから。ならないかもしれないけど」

「ふーん。フォースね、了解」


 適当にそれを口にしてみるウィル。一応は覚えてくれたようだ。

 グライドか洛叉。あるいはエリザベス。あの三人がまだここに戻ってきていない場合はどうしようもないが、万が一鉢合わせた場合……運が良ければ見逃して貰えるか、それまで行かなくとも一瞬の隙を作ることくらいは出来るかも知れない。


 鉄格子の間から腕を出し、そこから剣で錠を弄る。人がいない宣言を受けたから、容赦なくガンガンやれる。暫く続ければ破壊できそうだ。

 そんなフォースの背中にウィルが言う。


「それで?何か聞きたいことでも?」

「なんでウィルはあんな凄い数術使えるんだ?」

「それは俺が天才だから的な」

「へー……」

「俺の片割れ死んでるんだ」


 冗談めかした口調から一変。思わずウィルを振り返る。その先で彼はなんということもないとでも言いたげに呟いた。


「混血は片割れ失った奴のが強いんだ、力が」


「唯、元々の振り分けは運だな。双子って言っても二人とも同じくらいの才能を持って生まれてくるわけじゃなくて、その逆で」

「逆?」

「どっちかが高い数術潜在能力を秘めていて、その片割れはからっきし。片方が凄すぎれば凄すぎる分片割れは能なし」


 一緒に生まれてくるのに、最初から双子は不平等の下に生まれるのだとウィルは言う。


「強い方が死ねば、残された方はそこそこの数術使い。弱い方が死ねば、残された方は物凄い数術使い。これも運。だから俺やあの姉ちゃんの場合はそういうこと」


 全ては運。生まれ持つ才能も。死ぬも生きるも、それは数字で確立だ。

 才能のないフォースには見えないものを見ることが出来る彼が言う。


「迷い鳥を見た感じじゃ、俺らみたいのは稀少みたいだった。そりゃあそうだよ。実験に使うなら強い力を持ってる方が試したくなる。だから強い方は死亡率が高い。もしくはあれだな。自分が強いって過信して盾でもなって死んだんだろ混血狩りで」


 才能があるから殺される。危険に身を落とす。それなら才能がないのが幸運?

 トーラやウィルはその例外。才能もあり、生きている。


(でも……それって)


 自分がさも幸福だとウィルは口にしているが、どうにも腑に落ちないものがある。


(周りで大事な人が次々死んで……それで自分だけ生き延びる。それって本当に…………………幸せ?)


 わからない。

 確かに今は。リフルと再会してからは、幸せなんだと思う。

 だけどそれまでは。大切な人を奪われ自分だけが生き延びたことが悔しかった。死にたくない。そう思いながらも、どうして自分が生きているのかと問わない時間はなかった。死は解放。そこからの救い。そんな風に思った。


「…………そうだウィル、ひとつ気になってたんだけどリリーってお前の片割れとか姉弟じゃないんなら何なんだ?」


 勝手に聞いて勝手に沈んだ気分を持ち直すため、もう一つの疑問をウィルへと投げる。その質問に彼はけろりと答えてくれた。そこに大いなる問題発言を付け加え。


「ん……ああ、あいつ?赤の他人だよ、一回寝たくらいの」

「ぶはっ!……ちょ、ま、待てお前が!?え?嘘だろ!?」

「それで彼女面とかうぜーよな。俺にも選ぶ権利くらいあるだろうによ」


 もうどこに驚けばいいのかわからず、とりあえず咽せて咳き込んだ。深呼吸を繰り返し、ようやく言葉を発することが出来るようになる。その第一声は軽蔑だ。


「お前やることやっておきながらそれって最低だろ……」


 その視線をものともせずに、ウィルは肩をすくめる。


「俺だって別にやりたくてやったんじゃない。生きるためだよ。実験とか言って好きでもない女の相手させられるんだ。やってらんないだろ。やらなきゃ殺すって言われたからやったけど」


 その答えに、心臓がどくんと鳴った。それを力一杯握りしめられたような錯覚。押しつぶされたかと思った。背筋がひやと冷えたのもその時だ。

 ウィルの言葉はいつかの。もしかしたら今も。フォース自身の言葉。

 自分はどうして人を殺した?処刑人に身を落とした?それは、それは……それは。


(やりたくてやったんじゃない。生きるため……死にたくない。それが、それがはじまり)


 途中からは主のため。そんな風に考えも変わった。でもその前は?最初はウィルと同じ理由からだ。


(俺だって……何も変わらない。最低だ、俺)


「それよりさっさと行こうぜ。それ、もう壊れてる」


 約束通り盾よろしくウィルに背中を押され牢の外へと出る。


「リフルさん達……無事だといいけど」


 場所が変わって口から零れた第一声。それにウィルがにやりと笑う。


「へー……心配なんだ。お前もあの人好きなんだ」

「別にそういうんじゃないから。そりゃあ恩人だし、感謝してるし、嫌いじゃないけど」


 何かエリザベスに絡まれたときのような下世話な響きを感じ取り、それを即座に否定するも、ウィルの返答はまたもや問題発言。


「そっか。俺はそういうんだけど」

「はぁ!?え……!?……う!?」


 開いた口がふさがらないとはこのことか。上手く言葉が紡げない。フォースが手間取っている内にもウィルの問題発言は続く。


「子供好きっぽいから無邪気な子供を演じて近づいてみたんだけど、リリーが邪魔して上手くいかないんだよな。移動の駄賃にお前からいい感じに紹介してくれよ」

「だ、駄目だって!あの人毒人間だから、最悪死ぬかもしれないんだぞ!」

「へぇ……でもあれだけ綺麗な人相手に出来るんならそれもありじゃないか?うん、全然ありあり」

「あって堪るか!さっきお前死ぬよりはリリーの相手した方がいいって言ってただろ!?」

「そりゃそうだって。あの程度の女のせいで死んで堪るか。で?紹介して貰える?」

「絶対嫌だ!」

「別にいいだろ。何で?」

「リフルさんは自分のせいで誰かが死ぬのは嫌なんだよ!俺はあの人泣かせる奴は許さない!」

「そっか。そりゃあ残念」


 そう言いながらウィルの顔は満面の笑みだ。その笑顔にざわと肌が鳥毛立つ。


(……っ、こいつなんかやばい)


 咄嗟に後ろに飛び退いて、彼から距離を取り……


「…………え?」


 その肩ががしと掴まれる。


「新しい人質ゲット」


 くすくすと目の前ではウィルが笑っている。


「速かったね、戻るのが」

「エル博士のお陰ですよ。貴方の数術のおかげで随分快適な旅でした。まさかあんな船を寄越してくれるだなんて思いませんでしたもの」


 背後からは聞き覚えのある女の声。


「え……エリザ……」

「はぁい、ニクス。何日ぶり?昨日の今日で二日ぶり?」


 振り返ろうにも振り返れない。動揺の内、首筋に走った痛み。やられた。また毒に動きを封じられたのだ。

 今度の毒はなんだろう。口だけは動く。脳も機能している。けれど胴体は動けず、力を失い脱力した四肢。背後の女に確保されている。


「そしてあんたもとことん間抜けね。何度同じ手に引っかかるんだか。女子供に油断するなんてあんたも本当馬鹿男」


 口は動くと言っても、何を言えばいいのか。一瞬彼女が生きていたことにほっとした自分がいて、それを酷く愚かなことだと呪う。

 アルタニアでの生活で染みついた習性か。まだこの愚かな脳は勘違いを続けていたいよう。馬鹿だ。馬鹿だ。あまりにくだらなく愚かな話。彼女と自分は友人でも恋人でもなんでもないし、味方でもない。同僚ですらない。敵だ。敵だ。敵なんだ。


「彼に伝えて貰えるかい?こいつは例の男にとって大事な奴らしいから、今度こそは引っかかると思うよ?」


 フォースの相手をしていた頃と、ウィルの口調が変わった。動作もいちいち嫌味ったらしいくらい上品ぶった優雅さだ。子供のような見かけのそれがそうするものだから、尚更嫌味に見える。髪を払う仕草なんか蹴り飛ばしたくなる。足の親指を思い切り踏んづけてしまいたくなる程腹立たしい。

 騙されていたことに、騙されたことにふつふつと沸き立つ怒り。それを涼しげな顔で眺める子供。


「私の実験は成功してたんだよ愚かな少年」


 その言葉から、確信する。コレはウィルじゃない。自分は彼のことなど知らないけれど。リリーが。誰かに強く想われるような人間が、こんな下衆野郎のはずがない。

 そして不意に口走った直感。これは……コレは………まさか。


「お前……ウィルじゃ、混血じゃない、のか……!?」

「その名前の少年はとうに死んでいるよ。“彼”が私を殺したその日に」


 彼?それは誰のこと?一瞬ウィル本人かと思ったが、どうもそんな感じはしない。

 このウィルだったもの。思い出す。彼が執着していた“彼”とは誰か。


「……久しいな、まだ生きていたかクリーク……クリーク=エルフェンバイン」


 その解答である彼の声。その綺麗な声から静かな怒り……殺気が感じられ、動けないはずの身体が震える。


「ははは!会いたかった、Suit!私を殺した殺人鬼!覚えていてくれて光栄だよ」

「忘れるものか。忘れられるものか……」


 声と共にどこからともなく姿を現した片割れ殺しの混血児。銀色の髪に紫色の瞳。彼の瞳は数術を紡いだときのウィルのように、光を宿している。明るい光ではなく……彼の怒りを表したようそれよりもっと暗くそれでいて誘われるようなその色で。

 人の命は重いもの。リフルの眼は言う。忘れるものかと。

 この人は覚えているのだ。自分が殺した人間の数。名前。顔。ありとあらゆる情報を。忘れることを自らに禁じているのだ。


「それはそれは。嬉しいね。私も君に会いたかった」

「自惚れるな」


 勘違い男の発言を、ばっさり切り捨てるリフル。

 トーラの姿はない。おそらく命じられてどこかに身を潜めているのだろう。


「駄目だリフルさん!逃げて!こいつ……邪眼にやられてる!だけど効かないっ!」


 身体は混血。だから効かない。

 だけど中身は純血。既に彼に魅了されている人間の精神。

 それが合わせられたもの。どう考えても安全なものじゃない。触れさせ殺すことは出来ないのに、歪な好意だけが継続している。


「二度も同じ手は食らわない」


 目を伏せるエリザベス。目を閉じることで邪眼から逃れる。目を閉じて戦っても自分の方が強いという絶対の確信。余裕からか彼女の口元が歪み出す。


「……それで?フォースを人質にし私に何をさせたいんだ?聞こうじゃないか」


 リフルがウィルだったもの……クリーク博士とやらに微笑する。

 全く聞いてくれない。どの方向からかはわからない。それでもここで一番危険なのは彼だ。身の危険に気付いていないだなんて言わせない。速く逃げてくれ。そう祈りながら声を荒げる。


「リフルさんっ!」

「お前は少しは自惚れろ!」


 荒れげた声はそれを上回る声量で塗り替えられた。

 大声を出された。こんな風なのは、初めてかもしれない。彼の真剣で、真っ直ぐな怒りがそこから伝わる。


「私がお前が邪魔で置いていったと本気でそう思うのか!?」

「リフル、さん……?」

「事情が変わっただけだ。お前の強さは私が認める。お前は私より強い。私はお前を頼りにしている…………だけど、お前が死んだら私は泣く。だから私を泣かせるな」


 もう既に泣いている。ボロボロと零れる涙は綺麗だけど、その表情に胸が痛んだ。

 自分に足りなかったものがようやく解った。彼を信じる心。たぶんそれだ。

 自分は信じなければならない。彼が自分を信じてくれているのと同等以上の強さを持って。


「……はいっ!」


 涙が伝染した。嬉しいんだか悲しいんだか情けないんだかわからないけれど、視界が揺らいだ。


「あははははは!これはこれは見事な茶番だ。年甲斐もなく私も妬けて来る程、いい茶番だ」


 けたけたと笑う少年。邪眼に魅せられた人間ならば、彼の涙を見れば近づき触れたくなるはずなのに、彼はそうしない。混血としてのウィルの肉体がそれを阻んでいる。死の誘惑からこの男を守っているのだ。


「貴方にさせたいことなど山ほどあってどれから始めようか迷うくらいだ。例の件を始める前にいくつかやってもらいたいことをやってもらわなくては。貴方ほどの素材が壊れてしまったらあまりに勿体ない」


 コツコツと現れ増えた足音。その正体に気付いた少年は歪な笑みを其方へ向ける。

 薄暗い地下通路に現れた影。全身に黒を纏った男。硝子ごしの瞳は無感動。冷たく此方を見下す漆黒の瞳。


「洛叉君、君も手伝ってくれるよね?」

「…………ほどほどにして下さいよ。エル博士。彼にはまだ用があるんですから」


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