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9:Dimidium facti qui coepit habet.

「毎度毎度毎度毎度毎度毎度毎度毎度っ!」


 半ば廃墟と化したその建物の上で、綺麗とも汚いとも言えない微妙な夜空を眺めていると、聞こえる声。大声でリフルを怒鳴りつけるは金髪のカーネフェル人の少年だ。年で言えば15,6……リフルより二つくらいは下だろう。それでも背丈は完全に追い抜かれている。


「毎度毎度毎度毎度っ……良い度胸だな殺人鬼!」


 そういう彼こそ毎度毎度、律儀なものだ。場所と時間を指定してやれば、必ず一人で訪れる。

 薄暗い中でもうっすら解る、左右で色素の違う瞳が此方を睨み付けていた。

 仮面越しとはいえ、ここまで真っ直ぐ見つめても……まったく邪眼に狂わないというのも珍しい。彼はフォースよりも年上だ。年齢なら十分邪眼にやられてもおかしくない年頃なのに。ある意味感心しながら、敵国同士の瞳を宿した彼の瞳に微笑する。


 夜の闇はそこそこ暗くはあったが、王都の夜は完全な闇というものでもない。

 しかし商人の国というだけあって、王都の表が賑やかなのはやはり昼間だ。逆に夜に騒がしくなるのは裏町……正確には西裏町。

 東裏町は商人側の人間が多くいるから、朝が早い。つまり夜寝るのも早い。完全なる無音、そして限りなくそれに近い闇。

 大通り付近はまだ活気があるがそこから先……機能しているのは関所くらいなものだ。

 そんな場所では自身の衣擦れ、息づかい……それが本来より大きなものとして耳へと触れる。


 ましてや彼のその声は、驚くほど大きく空へと響く。

 ここまで大きな声ならば、商人達も目覚めるか?いや……それはない。

 なぜなら今回彼を呼び出したのは、犯行現場付近ではない。


「何をそんなに怒っているんだ聖十字?そんな事だから仲間内からは憤怒(ライル)呼ばわりされるんだぞ?」

「ええいっ!喧しいっ!それ以前に何故お前がそんなことを知っているっ!」

「ああ、そうか。私が教会の敷地に入ったのが気に入らないとでも?」


 東には聖教会がある。

 聖十字兵の彼は、聖職者ではなく軍人だ。もちろん教会には聖職者もいるが、聖十字兵は布教ではなく治安維持のためにシャトランジアから派遣されたもの。少年もまた、その一人。

 教会内や教会傍だけでは数が足りない。それを補うために郊外にも教会領はある。今回彼を呼び出したのはその場所の一つ。共同墓地だ。


「大体なんだこの手紙はっ!」

「恋文だ」

「ふ、ふざけるなっ!」


 無論そんなわけがないだろうに、彼は全力否定の勢いで即答。根が真面目すぎるのか、柔軟な思考が出来ないのか。嘘を嘘とも見抜けない。

 検閲があるからまともな方法でコンタクトを取ることなど出来ない。筆跡変化の得意なトーラの配下に頼み、適当に考えた文章を書いて貰っただけ。

 多少の親愛なる悪意を込めて、多少嫌がらせ的な好意を綴ってはみたが。


「勿論冗談だ。本気にしたのか?」

「お前という奴は……俺をからかって楽しいのか?」

「何をそんな当然なことを」


 その言葉にカチンと来たらしい彼は、銃と呼ばれる筒状の教会兵器を此方へ向けた。

 漆黒のそれを向けられたことは一度や二度ではない。しかし撃たれたのは……一度だけだ。


「何だ、撃たないのか?」

「…………無意味だ。お前には麻酔弾も効かなかったしな」

「効かなくとも頭や心臓を狙えば捕獲は出来るぞ?」

「殺してどうする?俺をお前と一緒にするな」


 死を恐れぬ殺人鬼には、威嚇にもならないそれを……彼は舌打ちながらしまい込む。


「俺は殺人鬼ではなく、聖十字だ。俺にはお前を生かしたまま捕らえて真人間に更生させる義務がある」

「誰も頼んではいないが」

「き、貴様……」

「何、今回お前を呼んだのは犯行を教えるためではない。良かったな、今日は誰も私に殺されてはいないぞ?」


 無駄話が過ぎて、本題から外れている。軌道修正の必要性を感じたリフルはやや強引に話しを変えた。


「今日はお前と話しがしたくてな」

「俺はお断りだ」


 素っ気ない声で吐き捨てる少年に、リフルは苦笑。


「くくく……そうか」


 馬鹿だな、と思う。本当にそう思うのなら律儀に答えなければいいのに。そもそもあんな手紙無視すればいいのに。

 それでも彼はやって来る。もし自分がそれを見過ごすことで、助かる命が奪われるのなら、何時如何なる時でもそれに馳せ参じなければならない。

 そんな人間だから、殺人鬼Suit(スート)に……リフルに目を付けられた。お前もなかなか不運だなと思い付き、リフルは笑う。


「ラハイア、手紙はこれで最後だ」


 リフルの手に手紙はない。

 これで……とは、今日送ったものが最後だとそういう意味だ。


「私はもうお前に次の標的が誰かなんて教えないし、お前に保護も押しつけない。良かったな、これで私から解放されるぞ?」


 殺人鬼から呼び出されることもなくなる。無理矢理手柄を押しつけられずに済む。急な出世で生じた仲間との確執も減る、亀裂もやがては消える。

 喜ばしいことばかり。それなのに聖十字は笑わない。


 彼は、手柄も出世も望まない。仲間との確執も……ないには越したことはないが、それを犠牲に何かを救えるのなら、おそらくそれを犠牲に出来る人間だ。そんな人間だ。だからここで食い付く彼は、手柄以外の理由でそうしている。


「……貴様、何を企んでいる」

「私はお前は信頼しているが……私は教会を二度とは信じない。そう言うことだ」


 そう言いながら、教会の屋根から下の彼の方へ一枚の紙を落としてやった。

 アルタニアから持ってきた、一枚の手配書。ニクスという名で記された、フォースの指名手配書だ。

 それに気付かず瞳を瞬くラハイアに、ヒントを与えてやることにする。


「なぁ、ラハイア。お前はこの子に見覚えは?私に初めて会った日を覚えているか?」

「…………………これが、あの子なのか?」


 平凡なタロックの黒の髪、薄い黒の瞳。それに一言情報を付け加えるだけで、ラハイアの記憶がそれとリンクする。

 リフルがフォースに出会った日、彼を保護したのはラハイアだった。適当な演技で押しつけたのだ。自分の汚れた手では、あの子供は救えないと思ったから。それに、ろくでもない自分の側にいてはいけないと……


「シャトランジアに亡命したはずの人間が、どうしてこんなことになっているんだろうな」


 すっかり沈黙し、その意味を考えていたラハイアに……さらにヒントを与えるリフル。


「シャトランジアへの亡命者の数は、シャトランジアの人口にプラスされるはず。あんな小さな島国に、毎年増える亡命者は収まりきるのか。その数がどうも計算と合わないように思うのは、浅学の私の計算間違いなのだろうか?……聖十字、お前はどう思う?」


 ヒントというより、じりじりと彼の背中を崖へと追い詰めている心境だった。


「お前に賭けてみようと、思ってはいたのだが……どうやら時は待ってはくれないようだ」

「Suit……っ!」

「私もきっと夢を見ていたんだ。お前の語る理想を否定しながらも、何処か心地良かったのは確かだよ」


 彼に出会ってから、この一年半。すっかり感化されてしまったようにも思う。そのせいで見なくてもいい痛い目を見た。彼を怨んではいないが、自身の愚かさは何よりも憎らしい。


「だからこそ、残念だよ聖十字。賭は私の勝ちだ。世界は悪意に満ちている。所詮人間など、悪意の塊。善の才能を生まれ持たない人間は、何処まで行ってもいつまで経っても悪のまま。殺されるまで、それを終えることもない」


 馬鹿だな。言い返せ。いつものように私の言葉などはね除け、偽善者共も羞恥で逃げ出すようなその青臭くて恥ずかしい正義論を吐いてみろ。出来ないのか?

 未だ彼への期待は断ち切れない。じっと彼を見据え、否定の言葉を期待したが……少年には重荷だったようだ。

 でも、それでいい。去りゆく殺人鬼を追いかける気力もなくしたような彼。

 それでも彼ほどの男がこの程度のことで挫折するはずがない。持ち直し、考え、教会の真実を曝き、きっとそれを変えてくれるだろう。


 水面に石は投げ入れた。波紋は広がる。自分がするのは、そこの大掃除。


「何を……する気だ?」


 心をギリギリと締め付け、やっと言葉として絞り出したような、聖十字兵の言葉。

 それにリフルは振り向かず、最後の悪意を彼へと向ける。


「お前は私を何と呼んだか聖十字?殺人鬼が何をするかだと?決まっている。なぜ私がそう呼ばれるか、考えてみるがいい」


 最後の殺害予告。

 それを誰とは言わなかったのは、その対象が……あまりの多すぎたから。

 リフル自身、何人殺せばいいのか……わからなかったのだ。




 *


「…………」


 何をすれば良いんだろう。朝一番からフォースは悩みを抱えていた。

 詳しく言えば、寝る前からだ。

 だが、それを先延ばしにした結果がコレだった。今になれば、昨日のうちに解決策を練っていれば良かったように思うから仕方ない。


 リフルとは昨日の今日で、気まずさから会いに行けない。

 トーラは忙しいのか、探してみたけれど姿が見あたらない。

 元々彼女はここにはあまり長く留まらないのかも。あんな子供みたいな姿をしていても、王都に組織を構える身だし。

 蒼薔薇も今日は見かけない。そうなると顔見知りもいないこの場所は、アウェイ感が半端ない。

 部屋でじっとしているのも気が引けて、かといって向かう場所もなくフラフラしている内に辿り着いたのは、砦の上だ。上と言っても何階からだったか、適当な場所から外へと続いていた。そこから階段を登り、物見櫓的な高みに辿り着く。そこに着く前には洗濯物を干す場所とかなかなか日当たりの良いベランダ的存在もあった。

 その上から眺める景色は言うまでもなく、それにとても心地良い風が吹く。

 それはとても心安らぎ、いい現実逃避になった。何も考えずぼーっとしていらられる。

 それが何の解決にもならないということも忘れていた。


 それを思い出させたのは、耳障りな子供の声だ。


「あー!!……なぁんだ」


 大声を上げた後、その声は酷くがっかりしたような様子。

 それがどうやら自分を見つけた結果らしいと知れば、フォースも少々癇に障る。年下は弟分がいたからそこそこ面倒見は良い方だと思う。それでも面倒見が良いイコール気が長いということにはならない。


「おい、なぁんだって何だよ」

「だって紛らわしいんだよお前。お頭みたいな真っ黒な服着てて!」


 そこまで彼が言うのを見て、彼が昨日の子供だとようやく気付いた。水色の髪に灰色の……いや、僅かに光っているあれは……銀色の瞳だ。リフルの髪のような淡い月明かりのようなそれではなく、彼のは鋼鉄のような力強い銀色だ。トーラは金色の目をしているし、髪に銀が現れるのが珍しいと言うだけで、混血の瞳にそういう色が現れるのは良くあることなのかもしれない。

 まぁ、そんなことはさておいて。問題は彼の発言の方。


「お頭……?ああ、リフルさんか。あの人もよくここに来るのか?」


 それなら鉢合わせにならないように場所を変えようか。そう思いながら少年へ尋ねる。

 さっきまで落胆していた表情は、リフルの事を聞いた途端にぱぁと輝き出す。

 現金なガキだ。


「うん!いつもじゃないけどたまに来てる」


 自分しか知らないんだけど。そんな優越感から胸を張って語り出す彼。

 混血にはあまり邪眼は効かないという。それに自分よりかなり年下のこの子供なら、邪眼が効くということもないだろう。

 それならば、これは純粋な好意か。そこにかつての自分を僅かに重ねたフォースは彼へと尋ねてみた。


「お前、あの人のこと好きなんだな」


 尋ねると言うより確認だったが、彼はそれに頷いた。


「うん!リリーは俺がお頭の所行こうとするとすげー怒るけどな」

「リリー?ああ、一緒にいたお前の姉ちゃんか?」


「違う。あいつ姉ちゃんじゃない」

「え?」

「同じ屋敷に買われたんだ。色が似てるから近くに置かれてたから……腐れ縁だぜ」


 少年は覚え立ての言葉を恰好付けて使ってみました。そんな感じの語尾。

 問題はそこじゃない。色が似ているから?言っている意味が分からなかった。

 どうして似た色の子供を同じ場所に隔離したのか。市場ならまだしも、屋敷に買われた後の話らしいから、理由はそれと異なるはずだ。


 なんとなく気になって、それを聞いてみようと思ったが、少年はもう話題を変えていた。

 今更のような気もして、大人しくその話を聞くしかない。

 自分の恩人が他人の口からよく言われるのは、そんなに嫌じゃない。自分のことでもないのに自分のことのように誇らしい。

 少年は自分がリフルに助け出されたときの事を事細かに……それでもよくわけのわからない擬音語ばかりを用いて話すから、いまいち格好いいのか悪いのかよくわからない説明だった。


「それで俺がうわーってなってぎゃーと思ってもう駄目だと思ったら、ふわーってばーんって!どがーんばたーんぎゃー!みたいな!」


「でもなんであんなお面つけてるんだろ。勿体よな!……リリーはあの人を見たことないから悪く言うんだって言ったら、人を見た目で判断するなって怒鳴るんだぜ?綺麗だからって優しい人とは限らないし、いい人でもないかもしれないって」


「でもそんな悪い人なら俺たちのこと助けに来たり何かしてくれないよな。教会の奴らより、よっぽど優しいよ」

「あれ?お前教会に保護されたのか?」

「あいつらむかついたから逃げてきた。リリーがそれ追っかけて来て……」

「ああ、それでトーラに保護されたのか」


 ここはその場凌ぎの場所だとリフル達は考えていた。彼を説得し教会へ引き渡すまでここに置いておくつもりだったのかも知れない。そう思って少年を見ると……


 少年が逆さまになって此方を見ている。背が違うのに彼の銀色の瞳と視線が合うというのがまずおかしい。

 逆さまの彼は空中に床でもあるようにそこに立っている。浮いているのだが、そう言うよりそう言った方が正しいような気がした。

 驚いたようなフォースの反応に、してやったりと少年がケタケタ笑う。


「……っ!?お、お前数術使いなのか!?」

「すげーだろ!」


 にっと笑って彼が術を解き、くるりと回って着地する。


「ほんとはもっといろいろ出来るんだけど、あんまり大きなの危ないから使っちゃ駄目だって言われたから、これくらいしか見せてやれないけどな」


 鼻を擦りながら威張り腐った表情の少年。それを見てフォースは気付く。

 ああ、そうじゃなかった。運良くトーラの配下が見つけたんじゃない。彼の数術の発動を察知して駆けつけたのだ。

 その力の開花の可能性からか、独学の危険性からかここへ引き取られ、数術の使い方を教わっているのだろう。


「すげーけど。何で俺に見せてくれたんだ?」

「だってお前俺の部下だろ」

「……はい?」

「俺の方が早くお頭に助けられたから俺の方が先輩子分なんだ。後輩の面倒くらいみてやらねぇと」


 何故だろう。既視感、既視感。自分の弟分の、嫌なところにそっくりだ。

 しかし自分も年を取ったのか。呆れて溜息を吐くしかない。ムキになって否定するのも馬鹿らしい。どちらにしても何を言ってもこういうタイプのガキは調子にのるものなのだから。

 少年は調子に乗りながらも、先輩として迷い鳥の機能を教えてくれようとしたが……邪魔が入った。


「ウィル!」

「げ、リリー!」


 少女の声に、びくりと肩を鳴らした少年は、ばっと城壁から飛び上がり、礼の空中浮遊?で空中逆さま階段を降るよう、外へと緊急離脱した。


「こら!戻ってきなさい!」


 少女は同じ術を使えないのだろう。城壁の上で悔しそうにそう怒鳴る。

 それを見て少年はざまぁみろと言わんばかりに笑った後にたたたとどこかへ走り去る。


 残されたのは、気まずい空気と機嫌が最悪の少女と、それに巻き込まれたように傍にいるフォースだけ。

 別にここにいる義理はないと思いつくまで約十秒。

 処刑人時代に会得した忍び足でそそそと彼女から遠離ろうとしたときだった。

 物凄い殺気。少女が此方を睨み付けている。少女の瞳の色は髪の色同様、少年のそれに酷似していたが……冷たい鉄というより、今は火で焼いた高温を纏っているよう。完全にとばっちりというか八つ当たりだと思う。

 ……それ以前に仮にも闇の住人の気配の消し方を察知するとはこの少女、何者だ?

 人体を構成する数値の移り変わりに敏感な、そういうタイプの数術使いなのか?そう思えば納得も行く。数術を発動したあの少年、……ウィルと呼ばれていたか。彼がやってのけたことで、彼の居場所を掴んだのだろう。


「俺に何か?」


 睨み付けれているのもあまり気持ちの良いことではないので、遠回しに止めてくれという意味を込めてそう言った。言った瞬間音を聞く。

 一発叩かれたのだと気付いたのはその音が耳の奥まで届き、痛みとして感知した後。


「……な、何すんだよ!」

「最低っ!」

「はぁ!?」


 最低って言うのはなんだ。いきなりやってきて睨んできてそこから問答無用で叩くような女の子のことを言うんじゃないのか?


「お、おい!」


 言い返したいことは山程あったが、フォースの口から出たのはそれだけだった。

 それ以降は何も言えない。

 泣きそうな顔で笑われるのも苦手だが、実際泣かれるのはもっと苦手だ。しかも自分の周りにはこういうタイプはいなかった。

 だからどういう風に対処して良いのかわからない。


 リフルは割と涙もろい印象だが、怒りながらなくと言う場面は見たことがない。喜怒哀楽で言うなら、彼のそれは哀のイメージ。

 弟分なんかはそのどれになっても一定の感情数を超えれば、わーわーぎゃーぎゃーと泣き喚くタイプ。基本的に泣かせた方が悪いとかとりあえず年上が悪いとかそういう不文律が故郷にはあったため、弟分を泣かせた場合大抵自分が怒られた。母親ではなく、噂好きのおばさん連中とかに。何も知りもしない癖にそういう風に悪役決めたが女が嫌いだ。

 だからこの少女にも、驚きと戸惑いと一緒に僅かの怒りと嫌悪感を覚えた。でも……それだけでもなかった。


 目の前の少女は怒りと憎しみを込めて泣いている。普通に考えれば相手は小柄な女の子。仮に数術使いだとしても、これほどの至近距離ならば自分の方が有利だろう。油断さえしなければ術を紡ぐまでのタイムラグで斬り捨てることなどあまりに容易。それなのに、おかしい。

 自分より弱いはずのその少女を前にして、フォースは怖じ気づく。フォースの動きが止まったその隙に少女は階段を駆け下り遠離る。


 どうして自分がそんな目で見られなければならないのかわからなかった。理不尽だ。理解しがたい。それは得体の知れない何か。……それこそ、恐怖の一因だ。


「な、何なんだよ……あの女」



 せっかく見つけたこの場所も、さっきの理不尽な少女の制で一気に冷めた。これ以上ここにいる気もなれず、かといって急いで降ってまたあの少女に会うのは御免だ。

 フォースはぶつぶつ文句を言いながら、歩みを遅めて階段を降ることにした。


「しかし……一体何だったんだ?」


 自分が彼女に一体何をしたというのか?

 昨日。ちらっと見かけただけ。

 今日。彼女の弟モドキ(腐れ縁)と話しただけ。


(打たれる意味がわかんねぇ……)


「ああクソっ!死んだ婆ちゃんがやられたら三倍で返せって遺言で言ってたってのに!」


 考えれば考えるほど理不尽な気がしてくる。一発殴る……とまではいかないにしろ、何かしら言い返す義務と権利が生じていた。


 そんな苛々とした気分で廊下を歩いていると何かにぶつかる。前方不注意だったらしい。

 何かじゃなかった。誰かの背中だ。


「あ、蒼薔薇!」


 思わずそう口にすれば、煩わしそうに蒼薔薇がフォースを振り返る。彼は両手いっぱいに書類を抱えている。仕事中だったのかも知れない。

 ぶつかった時に彼が落とした何枚かを軽く謝りながら拾い、……その一枚に目を留める。


「あれ、これって……」


 記されている文字は読めなかったが、そこに描かれている人物は解る。さっき見た姉弟……もどきのあの二人。リリーとウィルだ。


「なぁ蒼薔薇、こいつら何なんだ?」

「何だって、何?」

「なんかよくわかんねーけど、こっちの女俺とかリフルさんのことすげー目の敵にしてるんだよ。ウィルの方はまだ可愛気あんのに」


 そこまで言った時。どんという音を聞く。


「……はい」

「え?」

「これ五階の資料室までよろしく」


 そう言われて、自分の両手に今の今まで蒼薔薇が手にしていたものが置かれていることに気付く。自覚した途端、そこに重力が芽生える。重い。何枚在るんだこれ。


「はぁ!?」


 仕事を押しつけられたことに憤りが一瞬芽生えたが、続く言葉に真意を悟った。


「こんな所でする話じゃない」


 場所を変えるなら教えてやらないこともない。そういうことか。

 それでも書類を押しつけるのは唯単に彼の趣味だろう。


「重っ!」

「貧弱は部下まで貧弱なのか?」

「リフルさんを馬鹿にするなよ!」

「あー……はいはい」


 呆れた口調で階段をさも快適に登る蒼薔薇を睨み付けながら、フォースもその後を追う。きっとこれも無意味じゃない。意味のないことなんてきっとないよ。そう。これは修行なんだ。五階まで行くだけできっと俺は強くなる。


 そんなあり得ない事を心の中で繰り返し、理不尽な思いをやり過ごす。

 たぶん無意味だ。十中八九無意味だと、脳が溜息ながらに語りかけては来ていたが。


 五階。フォースの部屋がある場所と同じ階。

 そこは殆どの部屋に人はいないようで、静かなものだ。そりゃあ見張りなんかは使い勝手の良い下の階に配置するのがベストだろう。

 そんな理由でかこの階は倉庫が圧倒的に多い。空き部屋を倉庫として使っていて、資料室もその一つ。部屋の造りはフォースの部屋とそんなに変わらないが、棚も机も本やファイルでぎっしりだ。


「……はぁ、……持って来たぞ!」


 息を切らしながらようやく追いつくと、蒼薔薇は涼しげな顔で椅子に座っている。この混血に僅かに殺意が湧いた。


「で、あいつら何なんだよ?俺なんか知らねぇけど一発出会い頭に叩かれた」

「お前が殴られたそうな顔してたんじゃないの?」

「してないっ!」

「じゃああいつがそう言う顔してたんじゃない?あいつは毒で殴れないからお前に、みたいな」

「なんだよそれ!」


 荷物運ばせておいてそんな話?

 此方の苛々がようやく伝わったのか、蒼薔薇が頬杖を突きながら話し出す。


「あいつら、最近助けたんだけど……数術使いに飼われてたみたいなんだよな。まぁ……成金貴族には違いないんだけど」


「純血の癖に、いるんだよ。数術使いたくて堪らない奴。自分は特別な人間なんだって思いたくて、そのために混血を憎む奴。それでも混血の力は数術に魅せられた者にとっては魅力的なものなんだろうね。」


「何でも良いから数術を使わせて、そこから逆に数式を考える。見える程度の才能はあったんだろうね、そいつ」


「術を紡げないなら計算式で数術使いを名乗ろうとする馬鹿がいる。そいつはそれだ。新しく画期的な式を生み出せば、名誉ある数術使いとして名を残せる。才能が無くても」


 流れるようなその言葉に、フォースは異議を唱える。今の発言はおかしな点が多々あった。


「生み出す、だって?そんなの嘘じゃん」

「ああ、唯のパクリだけどね。混血が紡いだ式の」


 それをさも自分が作りました。考えました。みたいな顔で踏ん反り返る数術使い。

 見えた数字を書きつづるだけ。その膨大な計算式を記すには、時間がいる。何度も同じ術を使わせなければ完成までは至らない。


 そこまで説明し終えた後、蒼薔薇が混血についての情報を明かす。


「混血が数術を覚えるのって、大体自衛本能なんだ。危機に追いやられなければ覚えないし使えない。だからあいつら、とくに女の方は……数術が悪いものだと思ってる。お前達を憎んでるのはそういうことだと思う」


「例えここで教えているのが負担の少ない安全な自衛式だとしても、あいつはそうは思わないんだろうな。数術代償、大分削られて来たんだから」


 少女の反応は人間不信。特に数術を使わせる人間に対してのもの。

 ウィルに数術を使わせたのがフォースだと、そう勘違いしたのだろう。


「でも、泣くほどのことか?」

「人によってはそうなるな」

「え……?だって数術の代償って……」


 トーラは確か、睡眠時間。

 みんなそうではないのかと、蒼薔薇に聞けば彼は首を横に振る。


「マスターは運が良かっただけだ。大抵は命に関わる数値減少が数術代償。なんの犠牲もなくあんな大きなことが出来るわけないだろ、常識的に考えて。脳への負担とか、そういうのも考えない奴に酷使されたんだ。代償がマシだった奴だって脳がいかれるか脳死になった」


「あいつらがいたところは、混血が色事にケース分けされてて、得意な分野とか系統とかの類似性をいろいろ調べられてたみたいなんだ」


 それですぐに芽が出なかった色が彼ら二人。幸か不幸か、それが彼らの命を他より長らえされた。

 好きな色から使い切った数術使いは、最後の二人に目をやって……そこに至まで多くの時間を費やしたことを知ったと言う。

 餌を与えるのは召使いの役目だったから彼は買った日しか二人を見ていない。その餌が毎日運ばれていたのか何日かおきだったのかも知らない。研究者が興味のない対象へ向ける愛情なんてそんなもの。

 その空白の時間に、彼らが数術に目覚めそこからまんまと逃げおおせるだけの力を手に入れたのは不幸中の幸いだった。

 そこに微かに残る数術の痕跡に、エセ者は逃した魚の大きさを知った。そして二人を捜させた。


「そしてその騒ぎを聞きつけ、リフルがそいつを暗殺しに行った。二人は捕らえられていて、あの男の方が先に実験台になろうとしていた」


(……あ!)


 蒼薔薇の言葉に、思い出すのは初めてリフルに会った日のこと。彼は、フォースと同じだったのだ。


「ウィルは、リフルさんに直接助けられたから……?」

「だから懐いてるんだろうな。お前と同じで」


 蒼薔薇はそれを肯定。ただ、と溜息ながらに言葉を続ける。


「だけどあの女にとっては、そうは見えない。見たのは数術使いの死体だけ。だからあいつも同じ人殺し。そしてここも数術を使わせる危ない組織だとでも思ってるんだろう?彼女、脳がやられてるんだよ。言っても聞かないからな。正直手を焼いてるよ。かといってこのままシャトランジアに引き渡して、妄想であることないこと言われても困るし」


「リフルさん……」


 どうして言ってくれなかったんだろう。昨日の門での一件のこと。

 ……重荷とは、そういう意味だったのか。

 何も言わないまま分かれだなんて無理な話だ。それでも教えてくれていたのなら、もっと違う言葉で自分は何かを言えたはず。

 そう、フォースが沈んでいると……蒼薔薇が言う。


「あいつに言葉は無意味だ。何を言ったって聞きやしない。そういう馬鹿なんだ」


 蒼薔薇の声。それがフォースの神経を逆撫でする。


「リフルさんを馬鹿にするな!」


 怒りとは大きな感情。何も喋りたくなかった?そんな考え一気に吹き消した。

 思わず彼の胸ぐらを掴み上げると、挑発的に蒼薔薇が笑う。けれどその言葉は、諦めというより……悲しみだった。


「無意味だよ。だからマスターは何も言わないんだ」


 トーラに使える彼もまた、トーラの鏡。

 目の色も髪の色も違うのに、二人はどこかがよく似ていた。

 彼らは言葉を信じない。だから言いたいことを、言いたい人にはそうだと伝えない。


「お前馬鹿?あいつは何言ったって聞かないんだ!変なところで頑固で!絶対に自分の考えを変えない大馬鹿さ!」


 だからトーラがするのは行動。リフルのために情報を集める。

 そして蒼薔薇は、そんなトーラのために行動しているのだ。リフルのためが、トーラのため。だからリフルに繋がるフォースを今、ここで叱咤している。

 彼の言葉は、虚しい唯の言葉ではない。行動だった。


「お前もぐだぐだ言ってる暇あったら動けよ。その方があいつにはずっと効く。言葉なんてその程度のモノなんだから」


 言葉は剣。傷付けることは容易でも、救うことは難しい。だから、あの人は凄いんだ。

 だから、自分は信じた。言葉があの人を救う鍵だと。

 でも、そうじゃない。


(俺には、才能が無いんだ)


 生まれ持つもの。運と同じだ。プラスにマイナスに、人に響かせる言葉。それを紡げる人間は、それだけで才能なんだ。

 でも自分はそんな才能に恵まれていない凡人だから。行動しなければならない。


(そうだよな、俺は俺なんだ)


 そんな当たり前のことを、今更思う。


(人間なんだ。リフルさんに言われたからじゃない。駄目だって言われてもそれを決めるのは、俺なんだ)


 生きることは選ぶこと。死の瞬間まで、選び続けることだ。


(分け合えない選択っていうのも、あるんだな)


 どう生きるかとか。そういうのはきっと、自分だけの責任なんだろう。


(リフルさんは、それがわかってたんだ)


 それを決めたら、他人がそれを曲げさせることは出来ない。させられない。

 だから周りも選ぶんだろう。そんな彼の傍で、そんな風に生きるのか。それは多分、彼にだって曲げさせられない。


「マスター……!?」


 突然蒼薔薇がそう言ったかと思うと、部屋と飛び出す。

 フォースには何も聞こえなかったが、思わず彼の後を追いかける。早い。その驚異的な身体能、後天性混血……蒼薔薇の背中に一瞬カルノッフェルが重なって。

 一度、足が止まった。その一瞬で二人の差は大きく開く。

 階段の所までやって来た時、もう彼の姿は見えなかった。


「ちょっと!これって……そんなっ!!鶸ちゃん、これ……本当なの!?」

「……残念ながら、信頼の出来る確かな情報です。例の商人の一件から調査を進めた先で見つかりました」


 そして聞こえた声。

 信じられない。或いは信じたくない。そんな驚愕を宿したトーラの声。上の階からだ。


「……トーラ?」


 何事だろう。ただ事ではないことは一目瞭然。

 フォースは階段を駆け上がり、会議室の前へと辿り着く。


「確かに理論上は、あり得ない事じゃない!混血が生まれて今が19年……冬を越せば20年目!それに満たなくても十分あり得ることだけど!そりゃあ……あり得ない事じゃない!だけどっ……そんな、禁忌ってレベルじゃないよ!こんなのっ!」

「教会と奴隷商、裏は取れた……か。出来ることなら、知りたくなかったが……目を背けてもいられない」


 お調子者でいつも何かを演じているようなトーラが、今回ばかりは完全なる素のままだった。彼女特有の余裕綽々と言った雰囲気が見事なまでに霧散している。

 リフルの声は普段通り淡々とはしていたが、彼女同様声には余裕がない。必死に怒りを抑え込もうとしているが、それが完璧ではなく外へ出てきているようだ。


「どうか、したんですか?」


 ずっと立ち聞きをしているなんて御免だ。フォースは会議室の扉を開く。鍵は掛かっていなかった。

 あの二人がここまで取り乱すくらいのことが起きている。除け者になんかなって堪るか。何も出来なくても、傍にいる。一緒に考えるとは自分が決めたことだったはず。


 部屋の中にはリフルとトーラ。それからトーラの配下の後天性混血二人。

 蒼薔薇とそれから……鶸鳥のような黄と緑の中間のような明るい髪に、赤い瞳の鶸紅葉。

 鶸紅葉とは、トーラがディジットの店に来たときに何度かその付き添いできたのを見かけた程度の顔見知り。蒼薔薇より寡黙で、話しをした記憶はない。

 フォースの記憶の限りで昨日は、鶸紅葉は見かけなかった。トーラの命令でおそらく仕事に行っていたのだろう。

 そして彼女がもたらした情報に、彼らはこんなに驚いている。混血達の瞳は恐怖と怒り、憎しみ……そして香る絶望。そんなものがまぜこぜになっていた。

 一斉に扉に向かうその八の瞳が、一瞬縋るように見えたのは気のせいではないはずだ。

 自分より明らかに強いはずの人達が、そんな顔をするなんて……そんなにやばい話しなんだろうか。


「フォースか……」


 フォースの登場により、いくらか頭が冷えたらしいリフルがフォースに簡単な質問を投げかける。

 他者に説明することで、納得できないその事象をもう一度自身に言い聞かせる意味だったのだろう。しかし最初の質問はあまりに常識過ぎるもの。


「…………タロック人とカーネフェル人が交わることで私達のような混血が生まれることは知っているな?」

「は、はい」

「その混血が、必ず男女の双子で生を受けることは知っているか?」

「そ、そうなんですか?……言われてみれば、確かに」


 リフルが片割れ殺しと呼ばれる希少種である意味も、ディジットの所にいたアルムとエルムが双子だったこと。その両方が頭の中にふっと浮かび、リフルの言葉を割とすんなり受け入れさせた。


「それならフォース、混血と純血の間に生まれるのは純血か?混血か?」

「え?」

「混血と混血の間には一体何が生まれるのだろうな?」


 リフルが続けた質問は、フォースにとってまるで未知。

 だって自分にはそんな知り合いがいない。第一……そんな者、見たことも聞いたこともない。

 それでもさっき、トーラは何と言っていた?

「二十年」、「あり得ない事じゃない」……確かにそう言っていた。この話しの流れからして……


「そ、それって……まさか」


 部屋にいる誰もがうんともすんとも言わなかったし。首を横にも縦にも振らなかった。

 けれどどこか痛々しいその沈黙が、その答えを告げていた。


「悪魔のような知的好奇心だよ、…………或いは力を求めて、か。どっちにしろ……僕らをどこまで弄ぶ気なんだ!あいつらはっ!!」


 その実験は蒼薔薇の逆鱗とトラウマに触れた。彼が一番憎悪で瞳を光らせている。

 トーラがそっと蒼薔薇に歩み寄り、姉か母のように優しく寄り添い彼の背を撫でながら……フォースに向かって言葉を紡ぐ。


「どうして教会が純血亡命者を奴隷として商人に差し出していたか。それがやっと解ったんだよ……」


 それを静かに補足するのは鶸紅葉。リフル以上に落ち着いた声ではあったが、赤い瞳は炎のような怒りを宿す。


「教会は、数術研究を追い求めた。混血は純血よりも恵まれた才能を持つ……次世代混血、或いは二乗混血とでも呼ぼうか」


 それだけで何となく意味を察してしまった自分が嫌だ。

 前者は混血と誰か。純血でも混血でも言い呼び名。後者はおそらく混血同士。


 アルタニアでは資金調達のための混血生産は行われていた。使用人がタロック男とカーネフェル女しかいないんだ。放っておいてもそれは生まれる。金が男と女を狂わせた。

 アルタニアの城で行われていたそれを、もっと酷くしたみたいなそれ。聞いているだけで気味が悪い。人の命を一体何だと思っているのだろう?


 愛だとか、恋だとか。自分はそんなのよく分からない。

 その単語に不意に思い出すのはエリザベス。あからさまな好意を寄せられて、戸惑ってはいたが、一度たりともドキドキしなかったと言えば絶対嘘だし、彼女の言動全てが嫌だったわけでもない。そういうものだとかはわからなかったけれど、人を殺してきた後の自分に明るく接してくれる彼女に、癒されていたのは確か。

 それをそこまでまで思いだし、まんまと利用された自分の馬鹿さ加減に呆れてしまう。

 人は演技でそういう振りとかも出来る生き物なんだろう。彼女だっていろんな男に手を出していた。

 だけどそう言う事って、恋とか愛とかそう言うものの延長線上にあるものなんじゃないか?だから結婚の口約束に騙されて、フォースを生んだ母親は村では随分悪く言われたものだった。


 そういう恋とか愛とは違うと思うけれど、アーヌルスのために頑張りたいとか、コルニクスにからかわれながらも心が落ち着く気がしたり、リフルの力になって彼を助けたいとか。そういう感情も、一応は好きだって事になるんだろう。

 そういうのって、ほんとは温かい気持ちのはずなのに、その言葉には温かみを感じない。

 髪の色が、目の色が違うから?数術の才能に恵まれてるから?

 それがどうした!それくらいのことで、どうしてそんなことが出来るんだ。

 自分と同じ髪の色。目の色をしているかもしれない純血が、そんなことを考えられるということに、胃からせり上がってくる嫌悪感と恐怖心から鳥肌が立つ。


「商人組合には混血嫌いの純血至上主義者も数多くいる。教会は混血狩りで捕らえられ、本来殺されるべき彼らを交換したんだよ。移民船を奴隷船として差し出して」


 混血は高価。それでも純血至上主義者はそれを認めない。認めれば、自分たちが底値の存在と認めることとなる。だから一銭も払いたくはない。

 それで踏み切ったのが人の命の物々交換。

 その割合を同じ、それ以下にはしないのは……彼らもいっぱしの商人故。本来ただ捨て殺すだけの混血一匹と船いっぱいの奴隷を手に入れられるのなら、儲けもんだ。そう思う奴もいたのだろう。その矛盾にも気付かずに。


 一言一言、呟く言葉が苦しげなトーラ。その理由は……彼女がリフルと混血大事のあまり、優先順位の下位として見過ごしていたことだ。


「そいつらが、やってることが問題なんだ。見抜けなかった僕の責任だ……あの子達には人質以上の価値なんて無いと思ってた。……最悪は、殺される事じゃなかったなんて」


(……人質?)


 そこまで言われなければ気付けなかった自分は本当に馬鹿だ。

 これは誰かの話じゃない。フォースも知っている……そんな誰かの話だった。

 この件に、ディジットの家族……アルムとエルムが関わっている。


 そんな馬鹿な。気付いてすぐに思った。二人は自分より年下だ。自分が今年で十五だから……二人は今年で十三になるばかり。そんな子供に、一体何をやらせようって言うんだ。

 よくわからない……わかりたくもない恐怖に取り憑かれ、フォースの手足は震え出す。

 その時耳に届いた言葉は、刃物の一閃。鮮やかに傷口を抉る痛みの言葉。


「最悪は、殺されることだ」


 リフルは、確信をもってそう言ったが、どうしてそんな事が言えるのか。何の根拠があって?気休めか?二人が今どんな場所にいるのかも知らないのに。

 同情より質が悪い、それはあまりに非情の言葉。


 幼い自分が憧れていたその人を、思わずフォースは睨み付けた。……そんな無神経なことをこの人は一体どんな顔で言ったのか。

 そう思ったのは目を見る前まで。ふっと一瞬彼は悲しそうに笑ったのを見て、ああとフォースは解ってしまう。


(この人は、知っているんだ)


 フォースにリフルが語った過去は、自らが毒殺されるまでの話しだけ。

 そこからどうしてセネトレアに辿り着いたのか、どうして奴隷になったのか。奴隷の頃何処にいて一体何をして……されていたのか。そういう一切を知らされていない。

 それは子供だった自分にはとても言えない話だったのかもしれず、彼自身話したくない過去の古傷だったのだろう。

 毒を与える際の躊躇いのなさ。暗殺のための変装、女装への抵抗のなさ。この人のある種の行動力は、今更という諦観なのだ。


 それを知ってフォースはすぐさま目をそらす。一瞬でも彼を睨んだ自分を憎んだ。知りもせずにだって?知らないのは自分の方だった。


「生きていれば、人はやり直せる。どんな絶望の底からでも……引き上げてくれる人間は必ず、いる」


 リフルをそこから引き上げたのは誰なんだろう。

 彼は絶望を知りながら、それでもしがみつく。自分のことはすぐに諦める癖に、誰かのことは絶対に諦めない。

 そんな強い意志が彼の言葉の内にある。


「その人と出会わせるためにも、二人を絶対助け出す」


 そんな言葉を聞かせられ……フォースは黙っていられない。


「リフルさん!俺も行くっ!」

「フォース、お前は」

「殺しに行くんじゃない!助けに行くんだ!」


「俺もリフルさんと同じだよ」


 フォースの処刑を知り、助けに行くとリフルが決めたように。

 見過ごせないのだ。知り合いが、急げば間に合うのかも知れないのに、自分だけじっとなんかしてられない。

 じっと彼を見つめれば、……負けだと言うようにリフルの方から目をそらす。

 逸らした先から彼を、トーラが見ていた。


「リーちゃん……」

「お前は駄目だ、トーラ。お前との繋がりが露見すれば大勢を危険に……」


 リフルがいつもの言葉を言いかけたその刹那。

 躊躇うリフルの頭を思い切り……それでも手加減した蒼薔薇が一発ぶん殴る。本気でやったら頭蓋骨陥没でリフルはおそらく死んでいる。


「馬鹿はお前だろ、瑠璃椿」


 彼が奴隷だった頃の昔の名前でリフルを呼ぶのは挑発だ。


「こんなの成功したらどうなるんだよ!?もっと酷いことになる!そうしたらもっと大勢死ぬんだ!そんな細かいことぐだぐだ言ってる場合じゃない!大体もしバレたらって?お前僕を舐めてるのか?」


 圧倒的な戦闘力を誇る後天性混血の彼は、噛み付くように吠え猛る。


「その時はその時だ!僕がマスターもTORAも守るだけ!後天性はな、お前みたいな貧弱じゃないんだよ!」


 蒼薔薇の言葉に同乗し、鶸紅葉も静かな決意をもって言い切った。


「……その時は私も本気で相手をする。商人共の目をかいくぐる必要もなくなり、思い切り排除しても構わなくなるだけ。姫様には指一本触れさせん」


「姫様は変わられた。……お前に会う前の姫様ならば、そのような危険な場所など絶対に行かなかったはず」

「鶸紅葉……それでもトーラは」

「そんな姫様が、ご自身よりも混血の未来を案じていらっしゃる。どうして私にそれが止められようか?」


 尚も危険を訴えるリフルに鶸紅葉が訴える。

 揺るぎなくまっすぐ向けられた赤色の瞳に、リフルは瞳の逃げ場所がないことを悟り、小さく溜息……そして苦笑。


「……そう、だったな」


 リフルはようやく観念したように、降参だと両手を挙げる。その様子に、会議室の空気が初めて和らいだ。


「蒼ちゃん……、鶸ちゃん……ありがとう」


 これまた珍しいことにトーラは涙ぐむ。


「行ってらっしゃいませ、姫様。呉々もお気を付けて」

「……マスターに何かあったら許さないからな」


 どこまでもトーラを案じる鶸紅葉と、釘を刺すことを忘れない蒼薔薇。

 蒼薔薇はつかつかとリフルに近づいて、びしっと人差し指をリフルへ突きつけ言い放つ。


「お前は頼りないし全然駄目だけど、邪眼と毒があるんだ。正々堂々となんて言わない。どんな手使ってでも全員で帰ってこいリフル!」

「……ありがとう、ハルシオン」


 そこでフォースは蒼薔薇たちの名前も偽名だったのかと初めて知った。それに触れたら純血が気安く呼ぶなと怒鳴られた。鶸紅葉に至っては教えてくれる素振りもない。

 リフルが彼女は鶸紅葉と呼んでいる辺りから、リフルもそれは知らないのかも。そんな風に感じた。


 空間移動の時の計算量。それの負担を減らすためにも、乗り込む人数は最小限が良い。

 帰りはもっと増えるのだから。

 けれど後天性二人を置いていくのは純粋な戦闘力的には痛手だ。

 実際の所、フォースを縛り付けてでも置いていき、彼か彼女を連れて行った方が余程頼りになるはずだ。それでもリフルはそれを指摘しない。自分の言葉と覚悟を信じてくれたから、そんな気がする。


 まぁ、理由はそれだけでもないのだろう。本拠地の戦力が手薄になるのは痛いし、ここに来たばかりのフォースにはそれが勤まらないことも確か。

 蒼薔薇たちが連れて行けと言わないのも、自分の役目をしっかり理解しているからだろう。


 それにリフルのことだ。連れて行く混血は少ないに越したことはない。それくらい考えていそう。フォースは純血だし、いざとなったらグライドの名を出せば、命までは危険にさらされることはない。そこまで考えての布石だろうか?


(それでも……俺にも出来ることがあるってことだよな)


 純血としての外見が役に立つのなら、きっと上手くしてみせる。

 大げさかも知れないが、自分が純血として生まれたのはこの時のためだったんじゃないか。そのくらい気負っていた。



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