心霊スポットに行ったら美少女に取り憑かれた話
大幅修正をしたため、再投稿させていただきました。
一応、初投稿の作品になります。
見慣れない夜の景色を、車窓から呆然と眺めていた。
時刻はちょうど、深夜の二時を回ったところ。
向かっている先は……とあるトンネル。
「ね、ねえ青林君……やっぱり、今からでも引き返さない?サークル用の部室がなくても私達、三人しかいないんだし困らないでしょ?」
「何言ってんだ桜田!俺達、決めたじゃねえか!青春の一端を学校側の勝手な理由で奪わせないって!」
「で、でも!だからって『本当に出る』って噂の場所にまで行かなくても……」
と、そんなやり取りをする前の席二人が、同じ大学に通い同じサークルに所属している現在の同行メンバー。
運転をする男――青林和彦は、助手席に座る女――桜田唯に、必死に目的の趣旨を説明しているが、桜田は恐怖のせいか、あまり話を聞いていないようだった。
「高木はどう思うんだよ!」
「え、俺?」
そして、後部座席で窓枠に肘をつき、外の景色を眺めていたのが俺――高木真也である。
「いや~別に、行っても行かなくても……」
「ほら!高木もこう言ってるんだし、桜田もサークル存続のために意欲を持て!」
どうやら俺の言葉は青林の中で都合のいい解釈をされたらしい……。
それから、車内では桜田が「行きたくない」と言う度に青林が「行かないとサークルが」と言い合い、時折俺に話が振られる。なんて事が何度も繰り返された。
ちなみに現在向かってるトンネルは、ここ最近SNSでかなり話題となっている『マジで出る心霊スポット』である。
そして俺達が所属するサークルは『オカルト研究会(仮)』。
青林が立ち上げ、中学からの付き合いだった俺と桜田が半ば強制的にメンバーとなっているサークルだ。
普段は、大学側から奇跡的に与えてもらえた空き教室を部室として活動をしているが、その内情はただの雑談集団でオカルトらしいことなんて何一つとしてやってはいない。
何も実績を出さずに部室を使用する。そんな都合のいいことが、いつまでも続くことはなく……先日、ついに大学側から部室の明け渡しを宣告された。
その時に青林は「俺達の青春を奪うな!」などと、体のいい戯言を放ち大学側の怒りを買ったわけだ。
その結果、実績を出すための心霊スポットに向かう現状が生まれた。
ぶっちゃけたことを言うと、俺も桜田もサークル活動は無理やりだったし、これを機に無くなっても良いと思っていた。
昔から青林は飽き性で、何か新しいことを始めてもすぐに他の事へと目移りをするため、今回のサークルも長続きはしないだろうと俺も桜田も踏んでいた。
要するに、今心霊スポットに向かっていることさえも、無駄に終わる可能性が大いにあった。
……だが、そんなことを考えたところで、もう手遅れだった。
「よし、ここだな」
「えっ、つ、つつ、着いたの!?」
「……」
フロントガラスから見える前方の光景は、異様なものだった。
トンネルの入り口周辺は特に変わった様子はないが、トンネル内に明かりが一つも無いようで、車のヘッドライトで入り口から数メートルほどしか見えない状態。
「暗いな……」
「こんなこともあろうかと、ほい」
準備万端だった青林から投げるように渡されたのは、懐中電灯とビデオカメラだった。
「おい青林これは?」
ビデオカメラを見て、青林に説明を求める。
「え?カメラだけど」
……こいつ。
「そんなことわかって――」
「ああほら、高木ってあんまりこういう心霊系って信じないタイプだろ?こう、さ。リアリティを追求するにはノーリアクションじゃ困るわけよ。」
俺の話を遮って、身振り手振りで説明する青林に「あーはいはい」と適当な返しをする。
要するに映えないからカメラマンやれってことらしい。
「ね、ねえ。やっぱりやめようよ……」
俺と青林が車から降りても、桜田は一向に動こうとはしない。シートベルトもつけたままだ。
「ここまで来たんだし、諦めろ桜田」
「そうそう、高木の言う通り。ちゃちゃっと終わらせて帰るから!」
それからも動こうとしなかった桜田だが、帰る様子を一切見せない俺達に諦めがついたのか、車から降りて怯えた様子でトンネル前まで移動した。
「じゃ、行くか!」
「ああ。」
「うぅ……」
トンネルに入ってからは、俺の少し前を桜田と青林が並んで歩き、俺はビデオカメラで二人を撮影しながら歩いた。
「何か、暗いってだけで意外と普通だな」
そう呟きながら壁沿いを懐中電灯で照らして歩く青林の横では、相変わらず怯えた様子の桜田が「すみません、ごめんなさい」と、何故か謝罪を連呼していた。
トンネル内を歩いていると、改めてこの不気味さがわかる。
何せこのトンネルは、立ち入りが禁止されている。とかではなく普通に車やトラックが行き来する場所だからだ。
今は時間帯のこともあり、俺達しかいないものの心霊スポットだと知らない人がここを通ったら暗さに焦ることだろう。普通に危険だ。
そんなこんなで、何事もなく片道制覇。
トンネルを抜けたところで一旦カメラを止め、近くの自販機横のベンチに腰掛けた。
「いや~本当に何にも起きずに終わったな。」
「そうだな」
「……」
呑気に話す俺と青林を他所に、桜田は絶望したような安堵したような、不思議な表情をして俯いていた。
「大丈夫か、桜田?」
声をかけると小さく首を横に振った。……こりゃ重症だ。
「帰りは反対側の壁も見てくか~」
青林は未だに呑気な様子で、再度トンネルの方へと近づいて行った。
提案者ならもう少し同行する者に気を使ってほしいものだ。
しかし、このままじゃ桜田は動いてくれそうにないし、どうしたものか。
桜田に視線を向けながら考える……が、生憎と昔から他人を慰めたり相談に乗るのは得意じゃなかったため、思い付くのは子供だまし程度のことだけだった。
だが今はその子供だましでも、やっておくべきかもしれない。
この件がきっかけで疎遠になるのも何だか腑に落ちないし。
「桜田、スマホ見てて」
俺が小声で桜田に声をかけると、少しだけ顔を上げた桜田がポケットからスマホを取り出す。
俺も自分のスマホを取り出し、素早く文字を入力して『送信』のボタンを押すと、桜田のスマホからメッセージの受信を知らせる軽快な音が鳴った。
『これが終わったら、お互い好きな物を青林に奢ってもらおうぜ!』
たった一言のメッセージ。
それを見た桜田の表情は少し和らぎ、緊張や不安が多少は薄れたようだった。成功したようで俺も安堵する。
そして俺のスマホから、桜田同様の通知音が鳴る。
画面を見ると『OK!』という文字が付いた、可愛らしい熊のスタンプが桜田から送られてきていた。
「よし、じゃあ車まで戻りますか!」
「おう」
「お、おぉ!」
そうして、行きと同じように前に青林と桜田、後ろにカメラを持った俺という並びで再びトンネル内へと歩き始めた。
――そして、全てはここから始まった。
「ね、ねえ……青林君」
「ん、どうした桜田?」
相変わらず怯えた様子で歩いていた桜田が、自分の腕をさすりながら青林に声をかけた。
「な、なんだか、さっきよりも寒くない?」
言われてみれば、確かに肌寒い気がした。
風が吹いているわけでもないし、急に温度が変わったという感じもしない。
「そうか?別に普通だと思うぞ?」
……そう思わないやつもいるらしいが。
「うぅ……もう、早く帰ろ――」
桜田がそう言った時だった。
俺達の背後から「カランッ」と小石が転がるような音がした。
桜田は反射的に「ひっ!」と声をあげ振り返り、持っていた懐中電灯を俺へと向けた。
桜田からしたら俺が驚かしたように思えたのかもしれない。だから俺は、桜田と目が合うと首を横に振って否定を示した。
そしてまた、俺の背後から音がする。
「カランッ」「カラッ」「カラランッ」
音は次第に大きく、俺達に近づくようにトンネル全体に響き渡った。
「いや……いやああああああああああっ!」
耐えきれなくなった桜田は、懐中電灯を投げ捨てトンネルの出口へと走り出した。
青林は音は聞こえていたものの、これといった反応は見せていなかった。
だが、桜田が走り出した途端、何かを思いついたような表情を見せると、わざとらしく悲鳴を上げて出口の方へと走り出した。
「あ、おい!待てよ桜田!あおばっ、うぉっ!」
転んだ。
原因は解けた靴紐を踏んだことだった。
「くっそ、こんな時に!」
カメラマンである俺が置いて行かれては来た意味がない。と、慌てて懐中電灯で足元を照らして靴ひもを結んでいると、背後から不思議な風を感じた。
それは人がすれ違う時に生じる微細な風のようで、決して自然の風ではなかった。
反射的に振り返ると、懐中電灯の明かりで僅かにシルエットが見えた。
固唾を呑んで懐中電灯を握り、そのシルエットに光を向ける。
「……あなた、だぁれ」
そこには、少女がいた。
どこかの学校の制服を着て、目元まで髪がかかっている少女。
俺を見るなり、少女は嬉しそうに頬を引きつらせて笑った。
「……ぁっ」
俺は言葉にならない声を漏らし、全身に寒気と鳥肌が立つのを感じると、すぐに立ち上がってトンネルの出口へと全力で走り出した。
「何だあれ、何だあれ!意味がわからん。本当にそんなのが……いるわけない!」
自問自答を繰り返し、わき目もふらずに走った。
どうにか車まで戻ってくると、久々に走ったせいか息を整えるのに時間がかかった。
焦った様子で戻ってきた俺に、先に着いていた青林が寄ってくる。
「どうした高木、そんなに青ざめて。もしかして結構怖かったか?」
ニヤつきながら煽ってくる青林だが、正直今はそれどころではなかった。
できることなら、一刻も早くこの場から離れたい。
車の助手席を見ると、体育座りで震える桜田がきっちりシートベルトをして準備を完了させている。
俺は青林の肩を掴み、できるだけ真剣な表情をして声をかける。
「青林……帰ろう。今すぐに」
「お、おう。本当に大丈夫か?」
「ああ……行こう。」
青林は、不思議そうな顔をしたまま運転席に座り、俺も続くように後部座席のドアを開けた。
車に乗る直前に再度トンネルを見たが、そこには誰もいなかった。
「やっぱり、あれは幻……だったのか?」
それから、徐々に落ち着きを取り戻した俺は、あの少女は光が反射してたまたま人の形に見えただけで、声もトンネル内で物音が響き、そう聞こえただけだと自己完結させた。
そして、自宅に帰り部屋の明かりをつけて、着替えもせずソファに倒れ込んだ。
一人で暮らすこのアパートでは、俺が何かをしない限りはずっと静かだ。当たり前のこと……だが、今はその静けさに何故だかどうにも、落ち着かなかった。
****
目を覚ますと朝になっていた。
ソファに寝そべってから、いつの間にか眠りについていたらしい。
大きな欠伸をして起き上がり、顔でも洗おうと洗面所へ向かった。
「ふぁ~」
再び大きな欠伸をして、時計を確認した。
夜遅くまで外にいたせいで結局三時間ほどしか眠れず、体には倦怠感と眠気が混在している。
寝ぼけ眼なまま、洗面所の鏡の前へと移動し
「……は」
目を見開いた。
「あ、あははっ。まだ寝ぼけてんのかな~」
自分に言い聞かせるようにして、冷水を一気に顔へと当てた。
冷たいはずなのに、何も感じなかった。
顔を上げ、再び鏡を見る。
「…………」
自分の右肩後方。
頭一つ分くらいの身長差で並ぶ、見知らぬ少女。
いや、正確には……。
「…………ふぅ」
再度冷水を顔に浴びせ、タオルで水気を拭いた。
鏡には、ジーっとこちらを見つめる少女の姿が映っている。
見知らぬ少女だ。それに間違いはない。
しかし幻覚、幻聴であると自分の中で結論付けたはずの、あの光景が脳裏に蘇る。
どこかの学校の制服、目元まである前髪、どことなく不気味な雰囲気を漂わせる口元。
鏡に映る少女は、心霊スポットで見た少女そのものだった。
俺は意を決し、恐る恐る振り返る……すると、前髪の隙間から僅かに覗く少女の瞳とばっちり目が合った。
「……おはようございます」
「ああああああああああっ!」
とっさに叫び、床に倒れて洗面所の壁に後退った。
しかし……
「あ、あの、朝からそんなに大きな声を出すと、ご近所に迷惑ですよ?」
「……へっ?」
少女はそんな常識的なことを、さも当然のように言ってきた。
……とんだ肩透かしだ。
「あ、あの……どちら様で?」
「おっと、これは失礼。自己紹介がまだでしたね!」
少女はそう言うと、こちらに満面の笑みとブイサインを向けてくる。
少女の動きに合わせるように、背に下ろしている長い黒髪が左右に揺れていた。
「私、宮内青葉と申します!永遠の十七歳で、幽霊やってます!」
「……はい?」
「私、宮内――」
「いや大丈夫、聞こえてたよ。聞こえてたから最後の部分に引っ掛かったんだよ!」
「そうでしたか、これは失敬。」
な、何だこの子は?それに幽霊って……やっぱ聞き間違いか?
「え、えっと……宮内さん、でいいのかな?ここ俺の家だと思うんだけど」
「はい!ここはあなたの家ですね。きっと」
「……きっと?」
「いや~。私はあなたに、ついてきただけなので!」
「つ、ついてきた?」
「はい!」
「その、あれかな?尾行……的な?」
「いえいえ、霊的な。取り憑く方です。幽霊ですから!」
あ、うん。聞き間違いじゃなかったみたい。
「一先ず、ここでの話も何ですし、お互い座りながら話しませんか?」
「あ、はい。そうですね」
ここ俺の家だよな?何て思いながらも、未だ倒れたままだった俺に差し出してくれた手を掴もうとした……だが、それは失敗に終わった。
「えっ?」
「あ、すみません!」
何故なら掴もうとしたその手が、俺の手をすり抜けたから。
目に見えているのに、そこには何もないかのように、触れられない。
「私、実体ないんでした。えへへっ」
俺はこの時、『幽霊』や『霊的』という言葉の意味を実感したのだった。
****
リビングへと移動して、一応お茶と適当な菓子を用意する。
「あ、お構いなく~」
「いやいや、構うだろ……」
俺のぼやきを無視して、少女――宮内青葉は椅子に手をかけ、普通に座わった。人はすり抜けるのに、物は大丈夫なのだろうか?
――と、そこで思った。
こういう時、この子が見えない人からしたら勝手に椅子が動いているように見えるのだろうか。いわゆる『ポルターガイスト』的な……?
そんなことを考えていると、出した菓子を頬張り「何これ美味し……」と感慨深そうな顔をしていた。
……うん、もう考えるのやめよう。
「いぁ、ふぁひふぉろは」
「飲み込んでから喋ってくれ」
そう言うと、口に入っていた菓子を飲み込み、お茶を啜って一息ついて「改めましてと……」と話し始める。
本当に不思議な子だ、なんて思いながらも耳を傾ける。
「先ほどは失礼しました!実は私、幽霊になってから日が浅いもので、実体が無い事を忘れておりまして」
えへへ、と笑ってまた菓子を口に入れ始めた。
ここまでで正直、目の前で菓子を頬張るこの子が『幽霊』という超常的で、身近な御伽話的存在だということに、やはり実感がわかなかった。
「えっと、宮内さんは――」
「青葉で大丈夫ですよ!えっと……」
あ、そう言えばまだ名乗ってなかった。一応年齢も言っとくべきか?
「高木真也です。年齢は二十歳で、今は大学生……です。」
面と向かって自己紹介をする機会があまりないからか、妙に気恥ずかしくなり言葉が尻窄みになっていった。
「高木さん……高木真也さんですね……はい、記憶しました!」
「ど、どうも……」
「ちなみに!私には『さん』とか『様』とかの敬称は付けなくて結構です!高木さんの方が年上ですし、敬語も不要です!あ!せっかくなので、私は高木さんのこと『先輩』って呼ぶことにしますね!」
よ、良く喋るなぁ……。ってか敬称も敬語も不要って……一応初対面ですよね我々?
「えーと……じゃ、じゃあ青葉。その、俺には君が『幽霊』っていう存在である実感がわかないんだけど……。手がすり抜けたのは驚いたけどさ?」
「そうですか?うーん……そうだ!先輩、今って西暦で言うと何年になりますか?」
せ、先輩……。な、なんだろう、このこそばゆい感じ……じゃなくて!西暦だったよな。うん、会話に集中だ。
「あ、えっと西暦は」
俺が今の西暦を言うと、青葉は少し驚いたように目を見開いた後で、「三年前……か」と呟いていた。
「三年前?」
「ええ。私が……私の家族が死んでからです。多分ネットとかで年数と、あのトンネル、『事故死』とかのワードで検索すれば出てくるかと……」
そう説明する青葉は数秒前の明るい雰囲気とは打って変わり、どこか悲しげな表情をしていた。
俺は無理に詮索しようとはせず、スマホで言われた通りのワードを入力して検索をかけた。
すると、確かにそれらしい記事を見つけた。
三年前の冬、雪が降った日にあのトンネルでスリップ事故が起きた。
夜で暗かったこともあり、車はトンネル内で何度も横転し、乗っていた家族は全員即死した……と、記事には書かれていた。
「青葉……これって」
俺は確認もかねて、青葉にその記事を見せた。
青葉は恐る恐るといった様子で記事を見ると、何かを悔やむかのように唇を嚙みしめていた。
「ご、ごめん……大丈夫か?」
明らかに様子が変わり、酷なことをしたかな……と声をかけたが、青葉は「いえ……大丈夫です!」とぎこちない笑顔を向け、俺の確認に応え始めた。
「えっと、記事の中にある車に乗っていたのが私の家族です。父と母と弟、そして私です。」
「そ、そうか……ってあれ、さっき青葉は『幽霊になって日が浅い』って言ってなかったか?」
青葉が普通に会話をしようとしていたこともあり、俺も無理に深入りしようとせず話を続けた。
「私にもよくわからないのですが、先輩が言った西暦が正しいのであれば私が死んだのは三年前で間違いありません。……でも、あのトンネルで過ごすようになったのは、多分一か月くらい前からですね。」
一か月前……確かにSNSであのトンネルが話題になったのも同じ時期だ。
じゃあ本当に、青葉は幽霊……なのか?
数秒前の表情が嘘だったみたいに、目の前で菓子を貪って、茶を啜ってるこの子が……?
やっぱ、実感わかねえ……。
でもまぁ、また明るい様子に戻ってくれたみたいで何よりだ。ちょっと情緒に疑いを持つレベルだが。
「ちなみに青葉、俺に取り憑いたって言ってたけど、それは?」
「はい!取り憑いてますよ!」
ああ、本当なんだねやっぱり……。
「じゃあ何で、俺に取り憑いてるの?」
「それは……名前を呼ばれたからです。」
「名前?俺が?いつ、どこでだ?」
「先輩が昨日……いや今日の深夜?に、あのトンネルで!」
「青葉を?」
「私を!」
うん、さっぱりわからん。
「ちなみに、その“取り憑く”って俺に何か影響はあるのか?」
祟りだとか、肩が重く感じるだとか、日常生活に支障が出そうなのは正直ご免だ。
しかし、そんな俺の問いに対しての青葉の反応はやはり、ずっと変わらないもので。
「う~ん、基本的に害はないはずですが」
「……はず?」
「私、取り憑いたのは、その……先輩が、初めて……だったので」
そう言って青葉は、恥ずかしそうに頬を染める。
「おいやめろ。その“初めて“って変な意味じゃないだろうが。」
いや、もう既にこの状況が変なんだがな……。
「えへへ、先輩は面白い人ですねぇ~」
青葉は笑みを向ける傍ら、目元まで伸びた前髪を邪魔そうに触っていた。
「あ、ちょっと待っててくれ」
「はい……?」
俺は洗面所から黄色のヘアピンを一つ取ってきて、青葉の前に置いた。
「……これは?」
「ヘアピンだな」
「それはわかってますよ!」
青葉は机に置かれたヘアピンを取ろうとする……が、手が机ごとすり抜け失敗に終わる。
椅子や食べ物は問題ないのに……仕組みがわからん。
「あ、そうだった」
青葉はまた「忘れてた」と恥ずかしそうに頬を掻いて笑っていた。
「それ、あげるから前髪抑えとけばって言おうと思ったんだけど……無理そうか?」
そう青葉に尋ねると、「ちょっとやってみます!」と再びヘアピンに手を伸ばす。
すると、今度はヘアピンだけを掴むことができ、青葉はそのまま自分の前髪を横に流すようにしてヘアピンをつけた。
「……ど、どうですか?」
「にっ、にに、似合ってるんじゃないかっ?」
まさか感想を要求されるとは思ってもいなかったので、かなり動揺してしまった。
「えへへ、ありがとうございます!」
実際、青葉の黒髪に対して黄色のヘアピンはすごく目立っており、チャームポイントの様で可愛らしかった。
「ところで先輩」
「ん?」
「先輩は、私以外の幽霊に取り憑かれたことがあるんですか?」
「……無いですけど」
そんな貴重というか、怪奇な出来事そう何度も体験したくないわ!
できることなら、これっきりで勘弁してほしいよ。
「そうなんですね。それにしては何だか、落ち着いている……といいますか。冷静?ですよね!」
「そりゃあ、青葉に幽霊らしさ、みたいなのを感じないからな」
「な、なるほど……まあ私も、元は生きていた人間ですからね。ちょっとすり抜けたり見えないってだけで!」
それは十分生きている人間の領分を超えている気がするぞ……?
でも、まあ……
「確かに、人は“幽霊”って存在を少し誤解しているのかもしれないな。」
「誤解……ですか?」
首を傾げる青葉に、俺は憶測と持論だけの考えを話し始める。
「多分、ほとんどの人が『怖い者』、『驚かしてくる者』、『祓うべき者』って、偏見だけで“良くない者”と考えているのかもしれない。だが、実際には亡くなった人が何か思うことが」
「……?どうかしました?」
途中で言葉を止めた俺に、青葉は不思議そうな顔を向けてくる。
そんな青葉を見て、何故か引け目のようなものを感じてしまい、俺は目を逸らした。
「…………その、青葉は何か、やり残した事とか、後悔があって、この世に……ゆ、幽霊として居続けている、のか?」
本当ならば真っ先に思うべき疑問だったのだろう。
しかし、ずっと口に出しているように、俺は青葉が“幽霊”という非現実的な存在には思えなかった。
だからこの質問自体、自分が思っていることに対して矛盾している自覚はあった。
だが、本当に青葉が幽霊だったなら。
そして、誰かの手を借りないと成せない後悔があったなら。
たったそれだけの“可能性“の話でも、俺は確かめずにはいられなかった。
「後悔……ですか」
青葉は思いつめたような、どこか儚げな気な表情をして、言葉を反復する。
その姿を見て俺は、余計なお世話だったのかもしれないと、少し戸惑った。
しかし、青葉はしばらく俯いた後で、笑って顔を上げた。
「特に……無いですかね!」
「……え?」
「私、幽霊になってから誰にも認識されなくて『このままずっと一人なのかな』なんて事ばかり考えていて……この世に残っている理由だとか、やりたいことは、全然思いつかなくて!」
そう言ってまた青葉は笑う。
「青葉……」
俺には一体、何ができるのだろうか。
青葉の答えを聞いて、そんなことを思った。
もし、青葉の願うことが『生き返りたい』とか『誰かを殺したい』とかそういう類のものだったなら、俺は何もできないだろう。
やはり何も聞くべきではなかったのかもしれない……と、そんな後悔が俺の中を埋め尽くしていく。
しかし、そんな想いに耽っていると「あ!でも」と青葉の透き通るような声が聞こえた。
「私、色んな場所に行って、色んな景色を見たい……かもしれません!」
「かもって……」
「私って、いわゆる“地縛霊”というやつなので、あのトンネルから離れることができなかったんですよ。」
「そう、だったのか……」
「はい、それに生前は私……結構内気な性格で、あまり親しい仲の人が居なくて。両親も共働きだったので旅行とかも行ったことなくて。」
無理をして作られたような青葉の笑みを見て、俺はどうしてか青葉を放っておけないと、心の底から思ってしまった。
会って間もない、見ず知らずの少女に。
今の自分よりも早い年齢で亡くなってしまった目の前の少女の、どこか遠慮気味な笑顔に、俺は纏まっていない思考のまま言葉を発した。
「……じゃあ、青葉が行きたい場所に行こう」
「え……?」
「青葉が望む場所に、見たい景色を見に、一緒に行こう!俺に取り憑いていれば、どこにでも付いて来られるんだろ?なら、満足するまで取り憑いていればいいさ!」
青葉は地縛霊でありながら、今こうして俺の家にいる。
それはつまり、“俺に取り憑いていれば移動が可能”ということなんだろう。
だから、俺はそう青葉に提案した……が、いつまで経っても青葉からの返答がこない。
だんだん自分の発言が恥ずかしくなり、俺は青葉から目を逸らした。
すると「ぷふっ」という声と、続けざまに笑い声が響いた。
「な、なんだよ!俺だって青葉を想ってだな!」
「す、すみません、わかってます!」
腹を抱え、一頻り笑った青葉は「ふう」と息を整え、こちらに向き直る。
「先輩、よく変人って言われませんか?」
「……は?」
真面目な顔をしてそんなことを言ってくる青葉に、俺は間の抜けた返事をする。
「だって普通、見ず知らずの美少女に『取り憑きました!』って言われて、受け入れちゃったと思ったら、今度は話も聞いてくれて、仕舞いには願いを叶えてくれる。って、めちゃくちゃ都合良い人じゃないですか!悪い女の人に掴まりそうですよね!」
どうしよう、やっぱり何もしてあげたくないかも。
「でも」
「今度はなにを――」
「そんな、先輩のご厚意に……甘えたいと思います!」
青葉はまた、笑顔を向けてくる。
瞳に涙を滲ませながら。
そんな表情を向けられては、怒る気もつっこむ気さえも失せる。
だから俺は同じように笑顔で
「ああ、任せ……あああああああっ!」
と叫んだ。
青葉が驚きに肩を上げ、俺は焦りに頭を抱えた。
俺の視線は時計の針に向いている。
「え、え?どうしたんです先輩!?」
心配そうにこちらを見つめる青葉に、俺は引きつった表情を向ける。
「……今日、朝から講義あるの忘れてた。」
しかも、絶対に逃がせない科目。
再度時計を見たら、ちょうど家を出ようと思っていた時間になった。
「わ、悪い青葉!今から大学に行かなくちゃならなくて、その……えっと」
「行きます!と言うか、先輩が行くなら私も強制的に行かされます!ハッピーなセットです!」
「やかましいわ!って、言ってる場合じゃねぇぇ!」
青葉の、何かを期待するようなキラキラした目を無視して、俺は急いで大学に行く準備を始めた。
「青葉は玄関で待っててくれ!」
「了解しましたぁ!…………ありがと」
敬礼をして元気のいい返事をする青葉は、部屋を出る直前に何かを言った気がしたが、俺はうまく聞き取れず首を傾げた。
それから駅までの道を走っていたわけなんだが……想像通りというか、絵に描いたみたいと言うか……青葉は宙に浮きながら俺の後ろを付いてきた。
時間もなかったので、そのことは俺が驚くだけに留めて駅に向かった。
三駅分ほど電車に揺られ、どうにか講義に間に合う。
「ふぅ」
「私、大学始めて来ましたよ!わぁこんな感じなんだな~」
俺が椅子に座り一息ついてると、青葉は物珍しそうに室内を見回していた。
……浮いていることに変わりはなかったが。
すると突然、死角から肩を叩かれる。
「よっ高木」
青林だった。
と、ここであることに気が付く。
そういえば、青葉が取り憑いたのって『名前を呼ばれたから』って言ってたよな
青林と青葉…………あ。
「靴ひもで転んだ時か!」
「うぉ、何だよ急に」
「いやぁ、謎が解けたわ。ありがとう青林!」
「え?お、おう!……って、それより高木!お前トンネルでカメラ回すの忘れてただろ!」
「え?ちゃんと録画してたと思うんだけど……」
「最初の片道だけはな!ったく、わざわざ走ってまでリアクションとったってのに!」
「いや待て待て。帰りの時だって、俺はちゃんとカメラを――」
「あ、それ私が止めました!」
「……え?」
俺と青林が話していると、青葉が俺の机の前から顔を覗かせそう答える。
青林の視線は依然と俺に向いたまま。やはり青葉は俺にしか見えないのだろうか。
そう考えていると、それを察してか青葉が何度も頷いていた。
「どした、高木?」
「え?あ、いや何でもない。悪かったなカメラ。」
「全くだ!サークル存続のためだってのに桜田も高木も」
それから隣で青林はぶつぶつと文句を垂れていたが、俺は室内を動き回る青葉を視線で追っていた。
「やっぱ、誰にも見えてないんだな……」
「ん?なんか言ったか?」
「あ。な、何でもないぞ!」
俺が慌てて取り繕うと、青林は「高木、今日は変だな~」と特に気にする素振りもなく笑っていた。
それから、普段通り講義は進んでいた……のだが、その間も視界の端では青葉が他の人のノートを見たり、室内を動き回ったり、最終的には隠れて携帯ゲーム機で遊んでいる人の横で楽しそうにしていて、あまり集中できなかった。
そして、あっという間に一限目が終わり、俺は荷物を纏め始める。
「高木、今日のサークルどうするよ?」
「あー、すまん今日はパスで」
「え?あ、わ、わかった。」
俺達のサークル活動はいつもこんな感じで、大抵青林が「今日どうする」と声をかけてきて、適当に雑談を始める形となる。
普段であれば、特にやることもない俺は青林と共に部室に向かうが、今日はこれから行こうと思っている場所があった。
俺は大学を後にし、そのまま駅へと向かった。もちろん後ろには青葉がいる。
「先輩、どこに行くんです?」
「ん?まあ、お楽しみってことで。」
そう答えると、青葉は首を傾げて不思議そうな表情を見せる。
俺は尚も答えないまま駅に着き、青葉と共に電車に乗った。
そして、スマホのメモ用アプリを起動し、文字を入力する。
『青葉の声や姿は俺以外には見えないんだよな?』
そう入力した画面を青葉に見せる。といっても、俺の隣に座って最初から画面を覗いていたので、少し傾けただけだった。
青葉は肯定するように何度も頷く。
……あれ?
『それなら青葉は喋っていいんじゃないか?』
「あ、そっか!」
俺はそんな青葉の反応を可笑しく思い、笑ってしまう。
すると、青葉とは反対側の俺の隣に座る子供が不思議そうに俺を見ていたので、『一人で笑ってる変なやつ』と思われる前に咳払いをして笑いを堪えた。
『ちなみに、俺と青林が話してたカメラのことなんだけど、止めることってできるのか?』
「はい!あのトンネルで過ごしている時は、色んな物に触れることができたんですけど……カメラに関しては偶然というか、私もできるとは思っていなかったんですよね!」
『そっか。何だか曖昧なんだな』
「先輩の家でも話していた通り、私はまだ幽霊になって日が浅いので知っていることが少ないんです。あ、でも唯一わかることと言えば、私宛で物が渡されると、触ることができるみたいです!例えばこのヘアピンとか!」
『なるほどな、食べ物とかも同じなのか?』
「多分そうだと思います!」
『そこは確証ないのか』
「えへへっ」
そんなやり取りを繰り返しているうちに、少しずつだが青葉のことがわかってきた。
これまでも、あのトンネルに人は何人も来たが、誰一人として青葉の姿も声も認識しなかったらしい。
いつだったか、一組のカップルが来た日に男の方が『あおば』と言葉を発したが、青葉のことは見えていなかったらしい。
どうやら彼女が『あおば』という名前で、呼んだのは“青葉“ではないとのこと。
幽霊が見えるようになるには、その霊に向かって名を言わなければいけないのではないか、というのが青葉の推測だった。
まあ、俺の場合呼んだのは青葉じゃなく“青林“なんだけどな……。
ちなみに、『何故名前を呼ばれると取り憑くことができるのか』を聞いたところ……
「さあ、どうしてなんですかね?」
と、質問で返されたため深く考えるのをやめた。
『何だか幽霊も色々と大変そうだな。』
「そうですね、やっぱり興味本位とか冷やかしで来られると、ちょっとムカッとしますし……」
確かに、自分が見世物のような扱いをされるっていうのは気分の良いものではないよな。
青葉からすれば、俺だってその冷やかしに来た一人なわけだし。
……まあ、結果的に取り憑かれたんですけどね。
『そういえば俺達が行ったあの時、トンネル内で小石か何かが転がる音がしてて』
「あ!それ私ですね」
……ですよね。
「小石も、触れて驚かせたら面白そうだなぁと思って。そしたらできちゃいました!」
できちゃいました!じゃないんだよ!その『面白そう』で悲鳴を上げた人もいるだよ!
……でも、こんなに明るい様子の青葉も、亡くなってから成仏できずにこの世に留まり続けているってことだよな。
家では、『やりたい事は特にない』なんて言って、結局は色々なところに行くって話で纏まったが……願いも後悔も無いなら、まず“幽霊”という存在になっていないんじゃないか……?
なら、本当は…………
『青葉は色んな場所に行きたいって言ってたけど』
「はい、言いましたね!」
『本当にやりたいことって、ないのか?』
「……本当に、やりたいこと……ですか」
それっきり青葉からの返答がなかった。
俺が隣の青葉に視線を向けると、愁いを帯びた表情をして俯いていた。
それを見て、俺は急いでスマホに文字を打つ。
『ごめん!話したくなければいいんだ』
「い、いえ!決してそういうわけでは……」
しかし、青葉は話そうとはしない。
気が付くと、間もなくして目的の駅に到着するところだった。
『とりあえず、もう降りるからこのことはまた今度話そう』
「……はい、わかりました」
俺から切り出した事ではあるが、変な空気になってしまった……。
でも、言い淀んだ感じから察するに、きっと青葉には“何か“あるのだろう。
願いか、後悔か、それとも、俺では叶えられない“何か”なのか……。
それから電車を降りて、無言が続いたままで、しばらく歩いていると潮の匂いがして少し遠くの方では波の音が聞こえ始めた。
「先輩、今向かってるのって……?」
「ああ、海だよ。」
俺がそう応えると興味を惹かれたのか、青葉の方が俺を先導するように前へ進み始めた。
だが、砂浜へと続く石造りの階段の前で立ち止まり、振り返って俺を待っていた。
そして、俺と青葉は誰もいない砂浜へと降り、そのまま海へと近づいた。
「綺麗……」
青葉は目を大きく見開いてそう呟いていた。
同時に、海の方から少しべたつく風が吹くと青葉の長い黒髪を大きく靡かせる。俺はその姿を見て、ドキッと鼓動が跳ねるのがわかった。
海を見つめる青葉の横顔と、陽の光を反射して海が作り出す幻想的な雰囲気は、まるで映画やドラマのワンシーンを感じさせるものだった。
「海……来たことないか?」
緊張した面持ちで出た一言はそれだった。
「はい……実際に自分の目で見たのは初めてです。こんなに綺麗なんですね。写真や映像とは全然違います。」
「ま、まあ確かに初めて見た時の衝撃ってすごいよな」
青葉の視線は海へと釘付けになっていて、またしばらくの無言が続いた。
そんな青葉を見て、今は無理に詮索せず当初の目的だった『色々なところに行く』ってことだけを考えて、いずれ青葉の方から話してくれるのを待とうと、そう決めた。
だが、そんな俺の決意も無用に終わり、唐突に「私は」と青葉が話し出す。
「自分がどうして幽霊になってまで、この世に居るのか……正直わからないんです」
「わからない……?」
「はい。確かに、生きていた時は友達を作ってやってみたかった事や、家族と遠出をしたいだとか……やりたいことは色々あったはずなんです。」
「な、なら――」
「でも、今はそれらをやりたい、叶えたい、とは……思っていないんです。だって、私はもう死んでしまったから。友達も作れない、家族もいない……ずっと一人だった。生きていた時も死んでからも。だから今更、何を願っても意味なんてないじゃないですか……」
全てに対し、諦めてしまったような、『仕方のないこと』と許容しているような、そんな冷めた言葉だった。
「そんな……こと……」
――そんなことない
その言葉が最後まで出てこなかった。
青葉からすれば何を言われてももう、友達を作ることも、家族で出掛けることも叶わない。
電車内で俺に言えなかったのは、こういう空気になってしまう事に気を使っていたからなのかもしれない。
そんな青葉の気を考えず……俺は嫌な人間かもしれない。
でも、そんなやつに話してくれたってことは、青葉は溜め込んだ想いを吐き出したかったのかもしれない。
もしかしたら、言葉にすることで俺に助けを求めているのかもしれない。
無論、確証なんてないし、また“可能性“の話になる。
だが……
「えへへっ、すみません変なこと言って。忘れてください!」
可能性の話…………だが、このままでいられるか?動かずにいられるか?
多分、本人が言うように“本当に“叶うことはないのだろう。
でも、成仏できないくらい強い願いなのに……。
全部諦めて、周りに気を使って、自分は我慢して。
作り笑いを続けて、自分の想いはずっと隠して。
偽りの願いで、心までも殺して……。
――こんなの、不公平だ。
「なあ青葉、ちょっと付き合ってくれないか?」
だから、俺の体は自然と動いていた。
もう、理屈も何もかもどうだっていい。
青葉が、心の底から笑ってくれたなら……それでいい。
例え、それが青葉の願いじゃなくても、願いになるくらいの出来事にしてやる。
青葉は、十七歳の女の子だ……まだまだ甘えていいはずなんだ。
我慢なんて、似合わない。
「……構いませんけど。どこに行くんですか?」
「これもまた、お楽しみってことで。」
まずは、この微妙な空気からどうにかしないとな。
それから海を離れ、繁華街とまではいかないまでも、色々と店が並ぶ場所へとやってきて、とある店の前で足を止めた。
「着いたぞ」
「……わぁ。こういうお店懐かしい」
やってきたのは普通のファストフード店。
他にも多くの飲食店が並ぶ中で、ここを選んだのには理由があった。
「青葉も何か食べるか?」
「先輩、私霊体なので食事は不要ですよ?」
「遠慮するな。それに俺の家じゃ菓子食べてたんだし、飲み食いするのに問題はないんだろ?」
「それはまあ、そうですが……」
「最悪、香りで楽しめ!」
「そんなの絶対我慢できないので、ちゃんと食べますぅ!」
そう言って青葉は、受付カウンター前のメニュー表をまじまじと見つめて、唸り始めた。
「我慢できない、か……」
俺が一人で達成感に浸っていると、「これもいい」「いやこっちも捨てがたい」と難しい顔をして悩む青葉の姿が目に映った。
もういっそ全部買ってやろうかな。
と、血迷いそうだった俺に青葉はようやく「これにします!」と元気よくメニュー表の一部に指をさしたので、俺も手早く自分の分を選び注文した。
「な、なんだかすみません。お返しもできないのに」
注文した物を店内で待っていると、畏まった様子で青葉がそんなことを言ってきたので、俺は軽い溜息をつき恥ずかしさを誤魔化すように頬を掻いた。
「まあ、何だ……放課後に寄り道して行く、みたいな感じか。」
「えっ?」
「俺には、今時の女の子がどんな風に友達と過ごすのかはわからないけど、少しでもそれらしいことができれば……って思ってさ。別に幽霊になってもできただろ?友達とやりそうなこと。」
照れくさくなって、目を逸らして不愛想に言ってしまった。
ちらっと青葉の方へ視線を向けると、ぷるぷると震えて今にも泣きそうな顔をしていた。
「あ、青葉!?」
驚いて大きな声で名前を呼んでしまい、周りの客からの視線が集中した。
俺は周囲に謝罪の意を込めて軽く会釈し、小声で「どうした?」と青葉に声をかける。
「いや……まさか、こんなに早く……叶うとは、思わなくて……」
「ま、まあこれが青葉の願いの正解かはわからんがな……」
今はまだそうならなくても、いずれは青葉の願いにも勝るくらいの思い出を作ってあげないとな。
「いえ、正解に決まってます……」
と、俺の想いを知ってか知らずか、青葉は目の端に溜まった涙を拭いながら
「ありがとうございます、先輩!」
満面の笑みでそう言ってくれた。
「う、うん……喜んでもらえたなら、何より……です」
こんな時、青林だったらもっと気の利いた返事ができるんだろうな、と初めて少し青林を尊敬した。
それから、注文した物を食べて色々なことを話したり、色々な店を巡ったりして、その日は家に帰った。
家に着いて直ぐに青葉は、「明日はどこに行きましょうかね~」と早くも明日の予定について考えていた。
だがまあ、こんなにも笑顔になってくれるのなら、あれこれ考えた甲斐もあったといえるか。
そんなことを思い、俺は青葉との不可思議な日常を過ごし始めた。
****
それから俺達は、毎日色々な場所へと出掛けた。
地元で有名な観光スポット巡りに、新幹線での日帰り旅行。
年甲斐もなく動物園や遊園地で、子供みたいにはしゃいだりもした。
いつの間にか俺も青葉も、互いに気を使ったり緊張感を覚えるようなことはなくなり、きっと……友達でいることができた。
そして青葉と出会ってから早くも一カ月が経った、ある日の朝。
この日も、いつものように大学へ行った後に、どこに行くかを話していた。
「先輩、実は私……行きたい場所があって」
「ん?ああ、大丈夫だよ。場所は?」
「えっと……」
青葉は初めて会った時のようなぎこちない話し方で、施設や土地の名前ではなく、どこかの住所を言ってきた。
「わかった。多分そこまで遠くないはずだし直ぐ行けると思う」
俺は言われた住所をスマホの地図で検索しながら青葉に返事をする。
「ありがとうございます!」
そして青葉は、またいつものように無邪気に笑った。
だから俺も、青葉に遠慮などせずに聞いた。
「ちなみに、そこって何かあるのか?」
だが、その質問を聞いた青葉は目を逸らし、「い、いえ……大したものは」と呟くように答えた。
「……そっか」
追及する気もなかったので、そこで会話を終えて俺はいつも通り大学へ向かう準備を始める。
それから、大学が終わり俺は約束通り言われた住所へ青葉と共に向かった。
電車に乗り、バスに乗り、少し歩く。
大学から一時間程で到着したそこは、青葉の言った通り大したものはなかった。というか、普通の住宅地だった。
そして、とある一軒家の前で足が止まる。
「ここだな」
「……はい、ここです。間違い……ありません。」
見ると、やはり普通の一軒家で青葉は何故ここに来たがったのか、全くわからなかった。
ただ、この家は長年手入れや掃除をしていないのか、庭や玄関は苔やツタだらけになっていて、窓も全ての部屋のカーテンが閉めてあり、生活感を感じなかった。
「まだ、ちゃんと残ってたんだ。」
隣から、消えそうなほど掠れた声が聞こえ、俺は目を向けた。
「青葉?どうかしたのか?」
ジッと一か所を見つめたままの青葉に、俺はそう声をかける。
今の『ちゃんと残ってた』という言葉の意味も気になった。
しかし、青葉は聞こえていないのか、視線を一か所に向けたまま身動き一つ取らなかった。
俺もつられる様にその場所へ目を向けたが、あったのはカーテンで閉ざされた二階の一室の窓だった。
ピンクのような色のカーテンを見るに、恐らく女性の部屋なのだとわかる。
「先輩……私、ちょっと行ってきます」
「えっ?」
青葉はそのまま玄関の方へ向かうと、扉をすり抜け中へ入っていった。
「どうしたんだろ」
俺は中に入るわけにもいかなかったので、とりあえず塀に寄りかかり青葉を待つことにした。
携帯をいじって時間をつぶしていたが、何だか落ち着かなくなってまた家の方へと目を向ける。
「誰の家なんだ?」
何となくそんなことを思って、表札を探した。
すると、石の背景に黒文字で『宮内』と書いてある表札を見つけた。
「……まさか、ここって」
そのタイミングで、青葉が玄関からこちらへと戻ってきた。
「あ、青葉……この家って」
「……はい、私の住んでいた家です」
青葉の表情はいつもとは全く違う、今にも泣きだしてしまいそうなほど、悲しげなものだった。
俺はそんな青葉を見て、言い表せない寂寥感に胸を締め付けられた。
「先輩……どうして私、なんですかね」
「えっ……?」
青葉は、自分のスカートの裾を握って俯いていた。
心なしか微かに肩も震えていた。
「私……もっと生きていたかった」
「そ、それは……」
何と声を掛けたらいいのかわからなかった。
こういう時、俺はいつも気の利いた言葉一つ出てこない。
青葉はこんなにも悲しんで、苦しんで、辛そうなのに。
そう言えば、初めて会った時も青葉は同じ表情をしていた。
あれは確か、事故の記事を見たときだった。
「……そう、だよな。悔しかったよな。もっと色んな事、やりたかったよな」
何か言わなければと、そんな気持ちに駆られて出た言葉。
しかし、青葉は首を振って俺に目を向ける。
「……違うんです。」
「違う?」
「私……もっと生きて……生きて、先輩に会いたかった。」
青葉のその言葉を聞いて、俺はふと思った。
十七歳で亡くなったのが三年前。単純に考えると青葉は本来、二十歳ということになる。学生で表すなら大学二年か三年ということだ。
もしかしたら俺達は同級生で、もしかしたら同じ大学で、もしかしたら俺は出会えていたのかもしれない。幽霊ではなく、生きて触れることができる……青葉に。
その可能性が俺の中に生まれた瞬間、どうしてかさっき以上に胸が苦しくなった。
何かに締め付けられるような、圧迫されるような、そんな痛み、苦みが俺を襲う。
「先輩?」
ああ、どうして青葉なのだろうか。
どうして青葉は幽霊なのだろうか。
「……青葉」
気づいたら、俺の手は青葉の頬へと伸びていた。
しかし、触れることはできない。
その光景を前に、俺の中で何かの糸が切れる感覚がして、目から途端に涙が溢れ始めた。
「青葉……俺も君に、生きていてほしかった」
「せん……ぱい……」
「生きて、青葉と色んな場所へ行きたかった、色んな景色を見たかった……なのにどうして、どうして青葉なんだ……」
俺の口は、声は、無意識にそんな言葉を紡ぎ、涙腺からは、瞳からは、溢れる涙が止まらなかった。
それでも、心の中には一つだけ確かな言葉があった。
――まだ、青葉と一緒に居たい
「青葉……俺は――」
「先輩は、優しいですよね」
俺の言葉を遮り、青葉は一歩近づいて笑みを浮かべた。
どうして笑っていられるのか、何で俺よりも苦しいはずの青葉がそんな事を言ってくれるのか、俺には何も、何もわからなかった。
「……どこがだ……俺は何もできないだろ」
だから俺は俯きながら答えた。きっとこれ以上青葉の顔を見ていると自分を保てなくなる気がして。
いや、既に俺は自分が自分だと思えない。そう感じてしまうほど俺は無力だった。
しかし、青葉はいつもみたいに笑いながら俺の顔を覗き込む。
「そんなことないですよ。私のために沢山頑張ってくれて、私が諦めていた色んな事を先輩は叶えてくれたじゃないですか!」
きっと、友人や家族としたかった事を言っているのだろう。
だが、それだって結局俺は代わりに過ぎなかった。
青葉がやりたい、見たい、感じたいと思う、本当の家族にも、友人にも……なれないんだ。
「ごめん青葉……俺は君に何もしてあげられない……」
自分の中で、何かが音を立てて崩れている気がした。
何もかも終わってしまう気がした。青葉とのこれまでの日々が、これからの日々が遠いものに感じた。
「……ねえ、先輩。私、もっと生きたかった」
「……ああ」
わかってる。わかってるんだ青葉。
だけど俺には……何も……
「でも死んで、幽霊になったから……先輩に出会うことができたんだと思います。」
「……俺に、出会う?」
一体……何を言って……?
「本当はさっき言ったように、生きて先輩と会いたかったです。でも生きていたら、一生先輩と会うことはなかったかもしれないんですよ?」
「……そんな、こと」
俺が顔を上げると、青葉はニッと口角を上げ「やっとこっち見てくれた」と言って背中を向ける。
そして「覚えてますか」と話し始めた。
「先輩が連れて行ってくれた観光スポットで、雨が降っちゃって」
ああ……覚えてるさ。
「……雨があがった直後に出た夕日、綺麗だったな」
「そうそう、それです!私、本当に感動しちゃって!」
知ってるよ、俺に見せないように涙を拭ってたよな。
「それに、日帰りで旅行した先で食べたご飯!あれは美味しかったですよね!」
「……ああ、青葉の体のどこに、あれだけの量が入ったのかは疑問に感じたがな」
「えへへ。こう見えても私、結構食いしん坊なんですよ!」
「それは……知ってるよ」
「え~!」
初めて会ったあの日、俺の出した菓子を全部食ってたしな。
「あ!あとあと、動物園で見た」
「超寝てたサルな」
「です!」
仰向けになって、まるで酔っぱらったおじさんみたいで、二人して大笑いしたな……
「遊園地でも――」
「青葉」
覚えてるよ青葉。全部、昨日の事のように思い出せる……。
でもな、その全てが青葉にとって“本当の願い”じゃなかったんだよ。
最初は俺だって、色々見て、楽しめばきっと青葉の願いになる、って考えていた。
でも青葉が望むのは、本当の両親との思い出。本当の……同級生の友達とかと過ごす思い出なんだ。
それを、会って間もない男と過ごして同等にしようなんて、無理な話で
「私は!」
「……?」
突然、声を荒らげた青葉に驚き俺は思考を止めた。
青葉の肩は震えていて、地面に雫が落ちる。いくつも、いくつも。止まることなく。
「私は……私にとっては全部、全部が先輩との思い出です……掛け替えのない、大切な記憶なんです……」
「それは……俺だって……」
「死んでよかった、何て思いません。でも、死んでしまったからこそ、先輩との思い出が……宝物が作れたんですよ……そのどれもが、私が想像していた以上の大切な、特別な……もので……」
「……青葉、もう」
「だから、先輩が!私にこんなにも与えてくれた先輩が、『何もできない』なんて言わないでくださいっ!」
「もういいんだ!」
俺は声を張り上げ、感情をぶつけた。
「もうやめてくれ……青葉にとっては、俺は代用品でしかないんだ。本物にはなれないんだよ!俺が望んだって、青葉が望んだって、同じことだ。結局俺たちは、違うんだ……同じ人間じゃ、ないんだ……だから――」
「先輩」
そこで俺は我に返った。
自分は何てことを言っているのか。
これまでの青葉との楽しかった思い出を踏みにじる言葉を、青葉を傷つけることを……。
「先輩……私は、先輩とは違いますか?」
「えっ……」
でも、そんな俺の瞳に映った青葉は力強い顔つきで、手を広げていた。
涙で酷い顔になっているのに、こんなにも……
「私は、人間じゃ……ないですか?」
「…………」
青葉は、青葉は…………
『宮内青葉と申します!永遠の十七歳で、幽霊やってます!』
浮かんだのは、初めて会った時の青葉の言葉。
「先輩が私に、幽霊じゃなく一人の人間としての楽しみ方を教えてくれたんですよ」
ああ、そうだった。青葉は……
「あの日々は……先輩とだったから、楽しかったんですよ……だから、そんな寂しいこと言わないでくださいよ」
そうだ、そうだったんだ。俺が一番よくわかってるはずなのに……本当に、何を言ってるんだろうな……
「青葉は……」
もう、わかってる。今、本当は何を言ってあげるべきか……
「永遠の十七歳で」
「そ、そうです」
「幽霊だ」
「でも!」
ああ、青葉は変わらない。
「でも……“普通”の女の子だ。十七歳の、遊び盛りで食べ盛りな、女の子だ。」
「っ!」
『私も、元は生きていた人間ですからね』
元?そんなことない。
今だって、青葉はこんなにも生き生きとしてい…………えっ
「……おい、青葉?」
嘘だろ……どうして……
「何だか……今の先輩の言葉がこう、グッときまして……」
「何を……?」
「えへへ……私、思っていたんです……先輩と……せん、ぱいと……ずっと……一緒に、いられたら……先輩と、ずっと……こう、して……でも、私は、もう……」
青葉の体は、全身半透明になっていた。足元も、服も、白い肌も、涙で濡れた顔も。
全てが透けて、顔を出し始めた夕日が俺の視界に映る。
「……先輩、やっぱり私、生きていたかったです」
かける言葉が見つからない。
それどころか、青葉の言葉が、声が、俺の耳を通り抜け消えていく。
「生きて、先輩と出会いたかった……。生きて、生きて……先輩に触れたかった……」
「……だめだ」
「こんなにも優しい先輩と、一緒に……」
こんな形で、終わらせたくない。
「まだ、青葉は幽霊としてでも、この世界で“生きて”いくんだ!」
「……ありがとう、先輩。」
「だから、消えちゃだめだ!青葉が望むなら、俺はこれからだって一緒に、色んな場所に行く!だから、だから……行かないでくれ……青葉。」
もう、枯れたと思っていた涙がまた、溢れ出した。
俺の心は、これまでの行動を否定するかのように、願った。
消えないでくれ、行かないでくれ、と。何度も、何度も。
「じゃあ、先輩」
「……?」
「海、行きませんか?」
「…………海?」
「はい、海です!」
また、青葉は笑みを浮かべていた。
****
見慣れた外の景色を、ただ呆然と眺めていた。
隣では青葉が、窓に食いつくように夜の景色を見て「わあ」と声を上げていた。
だが俺は、そんな青葉の半透明になった腕を見て、後悔の念に駆られた。今までの行動は失敗だったのではないか、と。
青葉の願いを叶え、未練を無くしてあげることが俺の行動の全てだった。
そうすることで青葉は心置きなく、この世から……。
でも、実際に俺が感じているのは、達成感でも喜びでもなく、悲しみと後悔。
別れが辛いと、心の底から思ってしまっている。
……ああ本当に、どうして青葉なのだろうか。
「先輩!見てくださいよ!すごくキラキラしてますよ!」
青葉は無邪気に笑って、子供のように席の上で跳ねていた。
「ああ、綺麗だな。」
「ですよね!」
……いや、俺の行動はきっと間違っていなかった……はずだ。
こんなにも嬉しそうな青葉の笑顔を見ていると、不思議とそう思えてくる。
これで、良かったんだ……良かった、はずなんだ…………
「初めて先輩と出掛けた時も、こうして電車の中でお話ししてましたよね」
「……そう、だったな。」
「あ!でもあの頃は、まだ先輩が恥ずかしがってて、メモで会話をしてましたっけ!」
「……ああ」
「今もそうですけど、他の人からしたら先輩はずっと一人で喋ってるように見えるんですよね!いや~今までよく不審がられず――」
「俺も……見えなく、なるのかな。青葉のこと。」
「っ、それは……仕方のないことですから。」
「……そっか。」
――青葉は仕方のないこと、で終わらせていいのか?
その言葉が、口から出ることはなかった。
きっと、言ってしまったら今度こそ俺は自分が嫌になる気がして。
それっきり、俺と青葉は言葉を交わすことがなく、電車は目的の駅へと到着する。
俺達は改札を抜け、海の方へと歩き出した。
しばらく歩き続け、波の音が聞こえ始めた頃。
「……なんだか、懐かしいですね。」
青葉の唐突な呟きに、しばらく無言だった俺は一瞬反応が遅れる。
「そう、だな。ここに来たの、もう一カ月近く前になるか。」
「ええ、早いものですよね」
あの日は、青葉と初めて出会った日だ。
深夜にトンネルで出会って、その日の朝に家で色々話して、大学に行って、昼間にここを歩いて、それで……。
思い返す度、俺の中で小さな陰りが生まれた。
それはだんだん大きくなっていって、俺の心を蝕む。
電車の中で、今までの行いは正解だったと、自分で認めたばかりなのに。
どうして、こんなにも苦しいんだ……。
わがままなのはわかってる。だけど……青葉と一緒に、これからも……ずっと……
「……っ」
俺は唇を噛みしめて、感情を抑えた。
やっぱり、自分の思いを先行させちゃいけない。
青葉のために、この感情は捨てるべき……なんだ。
「先輩、どうかしました?」
俯く俺の横から青葉が顔を覗き込むように声をかけてくる。
俺は必死に涙を堪えて「何でもない。さあ行こ」と笑顔を見せ、歩き出した。
「…………先輩」
それからも青葉と言葉を交わしては、俺の中で陰りが生まれて独占欲に似た何かで俺を追い込む。「それでいいのか」「後悔はしないか」と語りかけてくるようだった。
「そろそろ見えてくる頃ですね」
青葉はそう言って俺より少し前へ行き、砂浜へ続く階段を降りて波打ち際で止まると「綺麗……」と海に釘付けになっていた。
俺も続くように近づき、青葉の横に立つ。
夜の海は、鏡のように月を反射していて、昼間の海とはまた違った幻想的な雰囲気があった。
「夜の海もいいものだな……」
俺は平気を装ってそんなことを口にした。
そして、ふと青葉の方を見る。
そこには、海の景色を反射している青葉の瞳から一筋の雫が流れ、その雫が次々と溢れるように流れては、青葉の頬を伝って砂浜へと落ちていた。
「青葉……?」
「何で……私、なんですか……私が何をしたっていうんですか」
青葉は俺へと振り向き、涙で顔をくしゃくしゃにしながら嘆くように言った。
青葉も……ずっと、ずっと、耐えていたのだろうか……
それなのに俺は、自分だけ好き放題言って……青葉に励まされて……
「先輩……私、消えたくないです」
「……うん。そう、だよな」
ダメだ……俺は、結局……
「私、本当はやりたいことたくさんあったんです。でもどうせ叶わないって思ってたのも本心で……だけど、先輩と過ごしているうちに、先輩と一緒に居られるならそれでいいって思えて……」
「……」
やめてくれ青葉……
「私、生きていた頃に一度だって、あんなに楽しいと思うことなかったんです。先輩は、私に楽しみ方を教えてくれて、見たことのない景色を見せてくれて……幽霊になった私に沢山、思い出をくれました……」
俺だって……青葉と……
「私、もっと先輩と一緒に居たいです……生きて……いたかったです」
「俺、だって……」
もう……無理だ……
「俺だって!青葉と一緒に居たいよ!なのに……なのにどうして青葉なんだ!どうして青葉が消えちゃうんだよ!」
ほとんど、叫びに近かった。
俺は膝をついて、恥ずかしいくらいに泣いて、顔をぐしゃぐしゃにしていた。
この状況を救ってほしいと懇願するように『運命』なんて言葉を、心の底から憎んだ。
理不尽に対する怒りを、青葉が消えてしまうことの恐怖をぶつけるために、真っ白な砂浜にがむしゃらに拳を叩きつけていた。
溜まりに溜まった青葉への想いが、あの陰りが俺の意志を無視して言葉を綴った。
「青葉、楽しいって言ってたじゃないか……初めて会った日も、その次の日もその次もその次もずっと!青葉笑ってたじゃないか……幽霊であることを忘れさせるくらい、普通の女の子だった。生きている人と何も変わらなかった!なのに、何で青葉は幽霊で、どうして消えちゃうんだよ」
「……先輩、私」
「青葉と一緒に居たいよ、また何度だって行きたい場所があるんだよ!青葉のやりたい事、まだまだ叶えてあげたいんだよ!だから、だから……どこにも、いかないでくれよ……青葉」
俺が顔を上げると、青葉は屈んでいた。
その体はさっきよりも透けていて、本当に今にも消えてしまいそうだった。
結局俺の願いは届かない……。そう思い知った。
「私、私ね……?もう、満足しちゃってた。これで終わってもいいって、何度も思ったの。」
「……あお、ば?」
「でもね、それと同じくらい……ううん、それ以上にいつも、この時間がずっと続けばいいなって、そう思ってた。……だけど、このお願いだけは叶わないってこともわかってた。」
「そ、そんなことない!青葉が望むなら、俺は――」
そんな俺の言葉に対し、青葉は「ううん、ダメなの」と言って首を振った。
「だって私は死んでいて、先輩は生きている。先輩には未来があるんだよ。本当は、この気持ちもお願いも、私の中で眠らせていつか来る別れの日を待とうって、そう思ってた」
「…………」
「でも先輩は優しくて……優しすぎて、私に数えきれないほどの笑顔をくれて……だから、抑えきれなく……なって。」
青葉の瞳から落ちる涙でさえ、既に色も形も不確かなものになっていて。
そんな涙を拭う青葉の姿は、本当に最後であることを俺に自覚させた。
「こんな事言った後ですけど……私ね、先輩には幸せになってもらいたいんです。先輩は、先輩のために生きてください!」
「……っ」
何も言えなかった。
言葉が出なかったわけじゃない。
むしろ、言いたいことが山ほどあるくらいだ。
だけど、ここで俺が何か言ってしまったら、青葉の気持ちを台無しにしてしまう。
……でも、でもさ。
それでも、一緒に居たいんだ。
ダメかな、青葉……
「ねえ先輩」
「……?」
「キス……してくれませんか……?」
青葉は頬を染めながらそんなことを言う。
俺は涙と鼻水とで、ぐちゃぐちゃな顔をしたまま、さらに間抜けな表情を向ける。
「き、きき、キス!?」
そして、動揺した。
何だか、今の会話も感情も、全てが嘘だったみたいに頭から飛んで行った。
「あっはは、先輩ってば初だなあ~」
「い、いやだって、いきなりそんなことって……それに俺、キスなんてしたことないし……」
俺はそう言って、涙を拭った。
ああ、やっぱり青葉は笑ってる方が似合うな……。
「じゃあ、私がファーストキスの相手になりますね!」
いたずらっぽく笑って、青葉は立ち上がった。
俺も続くように立って、良くわからない感情のまま鼻をすすってそっぽを向いた。
さっきはあんなに言いたいことがあったのに、どうしてか今は何一つ言葉が出てこない。
でも……不思議と、嫌な感じはしなかった。
「先輩……その、目……閉じててくれますか?恥ずかしいので……」
青葉は耳の先まで赤くなって、上目遣いでそう言ってくる。
だんだん俺も恥ずかしくなってきたが、「わ、わかった」と涙声で返事をして、言われた通り目を閉じた。
そして数秒後、俺の口元辺りにフワッと、弱々しい風が当たる感覚がした。
「――先輩ありがと、大好き」
「えっ」
俺が目を開くと、そこに青葉の姿はなかった。
「おい、青葉……?」
嘘だ……こんなの……
「青葉どこだ!」
名前を呼んでも何の返答もなく、ただ波打つ音が辺りに響くだけだった。
振り向いても何度名前を呼んでも、青葉はいなかった。
「……何で」
さっきまで目の前に居たのに。何で……何で、何で!
「青葉!」
それから俺は、海を後にして走り回った。
夜で暗い道も、静かな繁華街も。
青葉と歩いた道を、行った店を、走って隈なく探した。
何度転んでも、何度泣いても、走り続けた。
青葉の名を呼ぶのをやめることはなかった。
しかし、青葉はどこにもいなかった。
やがて海に戻ってきて、俺の足は止まった。
この場所で最後に聞いた青葉の言葉を思い出す。
ありがとうも、大好きも、俺は一度だって青葉に伝えていない。
それすら伝えられなかった。
……青葉はもう、どこにもいない。
「ああっ、ああああああああああああっ!」
俺はその場で泣き崩れた。
心が痛かった、辛かった、締め付けられて、苦しい。
俺は、こんなにも青葉のことが……好きだったんだ。
「うあああああああああああああっ!」
それから俺は、ずっと泣いていた。
声も涙も枯れるまで、ずっとずっと泣いていた。
「こんな終わり方って……ないだろ……」
『先輩』と呼んでくれる、あの声が聞きたかった。
『えへへ』と笑う、あの笑顔が見たかった。
……青葉に会いたかった。
「青葉……」
そう名前を口にすると「もしかして、高木君?」と自分を呼ぶ声がした。
俺は咄嗟に、声がした方へと振り返る。
「さくら……だ?」
そこには、ラフな格好をして片手にビニール袋を持った桜田がいた。
どうしてこんなところに、どうしてこんな時間に、どうしてこんなタイミングで。
俺は涙で濡らした顔のまま、こちらへ向かってくる桜田を目で追った。
「ど、どうしたの高木君……って、怪我してるじゃない!」
ああ、そういえば何回か転んだな。
でもそんなの、どうでもいい……。
「と、とりあえず、私の家近くだからあがっていって!手当しないと!」
「……もう、いいんだ。」
「え?」
「もう……放っておいてくれ」
「そんなわけにいかないよ!終電もないし、高木君ここから家遠いでしょ?」
「俺は……」
「いいから!行くよ!」
俺は半ば強制的に連れられ、桜田の家に来た。
扉を開けた桜田に玄関から手を引っ張られて風呂場へと移動する。
「絆創膏とか持って来るから、お湯で傷口流して!」
言われるがまま、俺はシャワーの蛇口をひねった。
適当に服を捲って、血で赤黒くなっていた傷口にお湯をかける。
傷口に当たるたびに、沁みて痛かった。
「……」
俺の心には喪失感だけが残った。
どれだけの時間が経っても、青葉のことが頭から離れない。
その存在を失ってから気づいた感情に、心底腹が立った。
どうして言えなかったのか、どうして何もできなかったのか、どうして今になって……。
「高木君、大丈夫そう?開けるよ?」
脱衣所の扉の向こうから桜田の声が聞こえる。
また泣き顔を見られるのか。
そんなことを思っていると、桜田が「はい」とタオルを渡してきた。
「ああ……ありがとう」
「う、うん……。」
どうして……桜田にはこんなにもあっさりと言えるのに。
青葉には、何も言ってあげられなかったんだ。
「高木君、何かあったの?最近サークルの方にも顔出さないから、青林君も心配してたよ?」
「あお……ばやし……」
ああ、そうだ。
まだ、行ってない。
青葉と出会った、あの場所に。
「ごめん、桜田。俺……行かないと」
「え?行くってどこに?」
俺は急いで家から出ようと、玄関に向かった。
外に出ようとしたところで、後ろから服を掴まれる。
「ダメだよ高木君!もう暗いし、そんな状態じゃ危ないよ!」
「離してくれ!俺はもう一度、青葉に会いたいだけなんだ!」
「青葉?そ、その子のために高木君は今、そんなに必死なの?」
「そうだよ!いいから離してくれ!俺は行かないと――」
「じゃあ、その子は!高木君がこうなることを望んでいたの?こんなにボロボロで、そんなに追い込まれるような状態になることを……その子は望んだの?」
青葉が、こうなることを望んでいたか?
青葉は……青葉が望んだことは……
頭の中で、青葉の言葉がフラッシュバックする。
『私ね、先輩には幸せになってもらいたいんです。先輩は、先輩のために生きてください!』
「青葉は……あお、ば、は……ああっ、あああああ」
俺は、玄関に座り込んでまた泣いた。
桜田はそんな俺を怒ることも責めることもせず、ただ優しく抱き寄せてくれた。
何も知らないはずなのに、見捨てようとはせず「大丈夫、よく頑張ったね」と子供をあやす様に、俺が落ち着くまでずっと声をかけ続けてくれた。
いつしか俺は、泣き疲れたのか眠ってしまっていた。
目が覚めた時、俺の体には薄いタオルケットがかけられていて、横を見ると桜田が眠っていた。
玄関で眠りこけた上に、桜田にかなりの迷惑をかけてしまった。
「ごめんな、桜田」
俺は小声でそう言って、自分にかけられていたタオルケットを桜田にかけた。
そのまま、音を立てないように玄関の扉を開け外へ出る。
丁度朝日が昇っていて、やけに眩しくて目を細める。
顔をしかめた時、散々泣いたせいなのか少し顔が痛かった。
それから、俺は歩いた。
朝日を浴びながら、見知らぬ道をただひたすらに進んだ。
すると、潮の匂いと波の音が聞こえ、俺の歩く速度は速くなっていった。
もしかしたら、もしかしたら……
砂浜へと続く階段の前で止まり、息を切らしながら辺りを見渡した。
「……そう、だよな」
そこに青葉の姿はなかった。
しかし、砂浜に何かが書いてあるのが見えた。
「ん?……あれは」
目を凝らした、そこには
『がんばれ!』
と、一言そう書いてあった。
「青葉……なのか?」
文字の方へと近づくと、陽に照らされて光る何かを見つける。
「これって……」
黄色のヘアピン。俺が青葉にあげたものだった。
俺はまた、涙で頬を濡らした。
そして近くで木の枝を拾い、文字を書いた。
届くかわからない。でも、伝えておきたい。
『ありがとう、大好きだよ』
俺はヘアピンをポケットに入れて、砂浜を後にした。
もう泣かない。そう心に誓って。
出会いは、心霊スポットに行ったら取り憑かれた、何て不可思議なものだが、それでも俺は一人の、十七歳の少女とのたった一カ月間の思い出を生涯忘れることはないだろう。
それほどまでに、俺はあの日々が……青葉が好きだった。
その出来事があった日から、俺の生活は変わった。いや、正しく言えば元に戻った、かな。
何てことない、普通の日常だ。
だが、変わったこともあった。
まずサークル。結局何の実績も出せなかった『オカルト研究会(仮)』は大学側に部室を明け渡すこととなり、その後は近くの喫茶店で活動という体の雑談をしていた。
それから、桜田との関係だ。
昔から知った仲だったものの、会った時以外で特に話さなかった桜田とは、大学で会わない日も頻繁にメールのやり取りをしていた。
きっかけは、あの日の出来事だ。
あの日砂浜から帰ったら、目を覚ましていた桜田が「どこに行ってたの高木君!?」と驚いたような心配したような顔をして出迎えてくれた。
その後、桜田に青葉とのことを話した。隠すことではないと思っていたが、信用されるかもわからなかった。
だから、少し怖かったが桜田は真剣に話を聞いてくれて、泣いてくれた。
そして改めて「よく頑張ったね」と、声をかけてくれた。
俺は、桜田に迷惑をかけたことと話を聞いてくれたことに謝罪と礼を言って、そのまま繁華街の花屋へ向かった。
少し小さめの花束を買い、青葉と出会ったあのトンネルへと向かった。
本当はお墓参りとかに行く方が良いのだろうけど、俺はあのトンネルを選んだ。あそこは、俺にとって全ての始まりの場所だったから。
まあもちろん、青葉はいなかったわけなんだが、何やらトンネル内で工事をしているようだった。
近くの警備員に話を聞いたら、「ここは元々夜になると暗くて危ない場所だったんだが、最近は人が良く来るようになったから、ようやく街灯を取り付けることになってね」と言っていた。
俺はそれが凄く嬉しく思えた。
良く人が来るようになったのはきっと、SNSで青葉が出るこのトンネルを知ってだろうから。つまり、この街灯の取り付けも今後の事故防止も青葉が作り出してくれた事だ。
俺はそれを桜田に直ぐに伝えた。すると俺と同じように桜田も嬉しそうにしていた。
ついでに、もう一つ変わったことがある。
別になんてことはないが、俺が自宅近所の居酒屋でアルバイトを始めたこと。
元々仕送り生活で割とギリギリな状態だった俺が、毎日青葉と出掛けていられたのはコツコツ貯めていた貯金を崩してたからだ。
そのためサークルでの活動がない日や、丸々休日の日は労働に勤しんでいる。
もちろん、辛い事も諦めたくなることも沢山あるが、その度に青葉の『がんばれ!』を思い出して、俺は投げ出さずにやっている。
いつか青葉に、『ありがとう』と『大好き』を直接伝えられる日が来るのを、心から願って。
END
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
この作品では、作者の僕自身が実際に『幽霊』という存在に対して思っている事、考えている事について書いている部分もあります。
もし、この作品を読んだことで何かしら心情に、良い変化があれば嬉しく思います。
よかったら評価や感想など、よろしくお願いします。