ああ、23世紀
22世紀内には一般化されているであろう科学技術について、考えてみた。
食肉プラント
培養液が還流する小型の水槽の中で、筋細胞を培養し、一枚肉を形成する。
水槽には微弱電流がながされ、肉の発達を促すとともに、肉質までコントロールされる。
かつては食肉のためだけに動物一匹を飼育していた。
不要な体の部分までついてくる上に、大量の餌と広大な土地を消費するそれまでの畜産農業は、極めて環境負荷が高く、効率が良いとは言えなかった。また、さまざまな薬品汚染があり、肉自体の安全性も高いとはいえなかった。
加えて、過激な動物愛護家から、人間の食のために動物の命を犠牲にしていると批判される手法でもあった。
しかし、この培養肉の技術により、環境負荷が少なく安価で良質で汚染のない肉が国内で自給できるようになった。
この技術はマグロ肉などにも応用されている。
また、宇宙ステーションでの食糧自給をも可能とした。
まさに人類の英知である。
しかし、食事というのが本来、他の生物の命を奪うという行為の上に成り立つことを知らない子供が増えてしまった。
文部省の調査で、子供達の30%が、本来、肉が動物の体の一部であることを知らない。
さらに、市場原理により安価な培養肉が自然由来肉を駆逐し、自然肉に自給を頼っていた技術力のない一部農業の荒廃が一部地域で急速に進行した。
それにより、先進国との格差がさらに増大した。
(日本が他国に先駆けてこの技術を実用化にこぎつけたのは、功罪あれど、結果論から言うと正解だったと思われる)
また、これまで安価だったモツ肉など、需要の少ない肉の部分は生産が滞り、高価な天然物が主流となってしまった。
そのため、21世紀には庶民の料理だったモツ鍋やホルモン焼きは、いまや高級料理となってしまっている。
合成人間
21世紀、クローン技術が確立されたが、それはあくまで天然細胞から抽出した核と染色体を利用するものであった。
しかし、遺伝子工学の発達、DNA合成技術の発達、ヒトゲノムの解析の進歩により、塩基配列を設計した人工DNAをPCR法で合成することが可能となった。
脂質二重層にそれを導入することで、自然由来生物の複製ではない、完全な人の手による人工生命体が作られる。
これを、複製であるクローンに対して、ホムンクルスと呼ぶ。
ホムンクルス技術の確立により、クローンの可否でもめていた科学倫理観は、さらに混迷を来すこととなる。
(日本が早期にこの技術で先行するのは、功罪あれど、結果論から言うと正解だったと思われる)
自律機械
ロボットなど、自律機械とそのプログラムの発達は、産業と戦場から、労働者と兵士を排除した。
いまや、空軍、海軍、陸軍、交通機関、すべてにおいて、人間が直接戦闘および労働従事に参加することは極めてまれである。
機械どうしの戦闘は、兵士の損耗が少ないわけだが、国力を奪い相手を屈服させるという戦争の定義をあいまいにした。
また、パイロットなどは大空から駆逐された。
人間の空を飛びたい、という欲求から発達した航空工学だが、その科学の発展が、人類から翼をもぎ取るという本末転倒の事態に陥っている。
肉体補修技術
事故により肉体の一部に障害が起きても、神経接続技術の発達により、生物工学で障害が起きた部分をパーツ交換のように補修できるようになった。いまや、生命は、中枢神経に蓄積された記憶と精神で定義されるものとなってしまった。
すなわち、肉体の大部分を欠損しても、中枢神経が無事ならば、再生の適応となるのである。
量子テレポートにおける生命の定義の論争。
量子テレポートの実用化は、とくに輸送に様々な変革をあたえた。しかし、量子テレポートは、その特性上、輸送されるオリジナルは完全に消滅し、そのコピーが別の空間で複製される、というものである。
これを生命に適用するならば、その生命体は一旦消去され、すなわち殺され、別の空間でコピーが再構築されるわけである。
その空間的、時間的に、連続性を途絶された生命は、完全なコピーといえど、オリジナルの生命と言ってよいのか、という議論が科学者、哲学者、宗教家の間で論争を呼んだ。
現在、量子テレポートで人間を輸送することは禁止されている。
以前にもまして、子供の科学離れが進行しています。
科学は、人間の未来を切り開く学問です。
科学の進歩には問題も多いけど、それを解決するのもまた、科学です。
これを読んだ少年少女の諸君、明るい未来を目指してレッツ☆ゴー!