第七章:残影は遠き記憶の彼方に/02
「ほれ」
所変わって、本部ビル地下区画の廊下の片隅にある休憩所のようなスペース。自販機が三台ほど並んでいるそこのベンチに戒斗が腰掛けていると、自販機の前に立っていたウェズがおもむろに缶珈琲を投げ渡してくれていた。
「……珈琲はあんまり趣味じゃないんだがな」
「そう言うなよ、俺の奢りだぜ?」
「悪かったよ。……ありがたく頂くぜ、ウェズ」
「おうよ」
戻ってきたウェズと二人横並びになってベンチに座りながら、戒斗はちびちびと、ウェズはグイッと豪快に缶珈琲を傾ける。
そうして二人で缶珈琲を傾けながら、暫くは無言のままだったが。しかしある時、戒斗は隣り合って座るウェズに……俯いたまま、ポツリポツリと呟き始めていた。
「…………あの時、俺が真と一緒に居てやれば……もしかしたら、最悪の事態は避けられたんじゃないかって。どうせ暇といえば暇だったんだ。週末なんて言わずに、先延ばしになんてせずに、あの時すぐにアイツと一緒に出掛けていたら……もしかしたら、こんなことにはならなかったんじゃないかって。そればっかりを、ずっとずっと考えてた」
ウェズはそんな戒斗の言葉を、隣で黙ったまま聞いていた。
相槌すら打たぬまま、ただ耳を傾けるだけ。ウェズはただ、戒斗の話を黙って聞いていた。
「あの時、俺が一緒に行ってやれば……真はいなくならかったかも知れない。あの時、先延ばしになんかしなければ……こんなことにはならなかったんだ。それを思うと、どうしても、な…………」
「…………気持ちは分かるぜ、俺にも痛いぐらいにな」
戒斗が語り終えた時、それまで黙って話を聞いてくれていたウェズがそう、遠い目をしながらポツリと呟く。
「俺はあの日、アフガンで同じ隊の仲間を大勢失っちまった。それ以外にも、俺は多くの戦友が死ぬところを見てきた。陽気な奴、斜に構えた奴、射撃の上手い奴、プロテイン中毒の筋肉バカ、トリガーハッピー野郎、寡黙な一匹狼。……本当に、色んな奴が居た。イイ奴ばっかりだった。でも……皆、死んじまったんだ」
それは、ウェズが元軍属だから言える言葉で。戒斗はポツリポツリと語る彼の横顔を、遠い目をして語るウェズの横顔を眺めながら、しかしどんな言葉を掛けて良いかも分からぬまま。ただ「ウェズ……」とだけ呟いていた。
「葬式で……死んだ仲間の棺桶にトライデントを打ち付ける度に、俺もお前と似たようなことを思ったさ。あの時こうしていれば、アイツにああしてやれば、アイツは死なずに済んだんじゃないか。アイツがあんな風になることは無かったんじゃないか……ってな」
「…………」
「でもな、それは結局のところ、結果論でしかないんだ。分かるか? コトが起こっちまった後でああすれば良かった、こうすれば良かった……なんて思ったところで仕方ないんだよ。結局それはIFの話でしかない。俺たちの生きる、このクソッタレな世界に……一度起こっちまった出来事に、IFなんてことはあり得ないんだ」
それこそ、天地がひっくり返ってもだ――――。
「だから、お前がそこまで気に病むことでもねえんじゃねえのか?」
「…………それは、そうかも知れないが」
「何よりも、状況を聞く限り……その嬢ちゃんが死んだと決まったワケじゃねえんだろ?」
「……ああ」
「ただの行方不明なら、生きてる可能性は十分にある。寧ろそっちの方が確率としてはデカいんだ。死んでねえのなら……取り返しはつくさ、幾らでもな」
「…………」
「だから、そう暗い顔ばっかしてんなよ。お前らしくねえぜ?」
ニッと笑って小さく肩を叩いてくるウェズに、戒斗は俯いたまま、僅かに笑みを浮かべながら「……かもな」と返す。
――――死んでないのなら、幾らでも取り返しはつく。
それは、ウェズだからこその言葉。海軍の特殊部隊員として幾多の死線を潜り抜け、その中で仲間の死を多く見てきた彼だからこそ言える……そんな彼だからこその重みがある言葉だった。
だからこそ、戒斗の胸に今の言葉が重くのし掛かる。
しかし――――同時に、少しだけ楽になってもいた。
ある程度聞き手に徹してくれたウェズに、胸中に抱えていたモノを洗いざらい話せたから、というのもあるのだろう。しかしそれ以上に、ウェズの掛けてくれた言葉に……死んでいないのなら取り返しがつくという言葉に、戒斗は少しだけ救われた気分だったのだ。
確かに翡翠真は生死不明だ。生きてるか死んでいるか、今はまだどちらかも分からない。箱の中に閉じ込められた猫のように、生きているのか死んでいるのか……どちらなのか、まだ確定はしていない。
翡翠真の生死は、未だ不確定の事象なのだ。故にウェズの言葉は単なる気休めになってしまうかも知れない。いいや……どちらにせよ、気休めだ。
だが、それでも戒斗は少しだけ楽になっていた。肩に重くのし掛かっていたものが、少しだけ軽くなったような……戒斗はそんな感覚を抱いていた。
それは、ウェズが元軍属だからこそで。自分よりもずっと多くの生と死を体験してきた彼の言葉だからこそ、ずっと多くの哀しみを背負ってきた彼の言葉だからこそ……戒斗は、そんな彼の言葉で少しだけ楽になっていた。
「だろ? だったらそう落ち込んでねえで、シャキッとした姿を愛しのハニーに見せてやんな」
「…………そうだな」
ニヤッとしたウェズにバンッと背中を立たれて、戒斗は立ち上がり。その場で小さく伸びなんかしてみせる。
そんな彼の横顔の色は、先程までの暗く重いものから……幾分かはマシなものになっていた。
「助かったぜ、ウェズ。話してたら色々と楽になったよ」
「礼には及ばねえさ、愚痴聞き相手ぐらいならいつでもなってやるよ」
「……流石はSTFヴァイパーの隊長さんってワケか。メンタルケアは手慣れたモンだな」
フッと小さく笑みを浮かべた戒斗の言葉に、ウェズもニヤリとしながら「そんなんじゃねえよ」と返す。
そうしながら、ウェズもウェズで座っていたベンチから立ち上がり。残りをグイッと一気に飲み干した空き缶をゴミ箱に放り投げる。
「……っと、そろそろ迎えに行く時間か」
ウェズがそうしている傍ら、戒斗は左手首に巻いた細身なステンレスの腕時計に視線を落としつつ、そんなことをひとりごちる。
なんだかんだとしている内に、いつの間にやらアンジェを学園まで迎えに行かなきゃならない頃合いになっていた。もうそろそろ本部ビルを出なければ、彼女を待ちぼうけさせてしまう。
「嬢ちゃんを迎えに行くのか?」
とすれば、きょとんとしたウェズに問われるから。戒斗は腕時計から視線を上げつつ「ああ」と頷き返す。
「そうか、んじゃあ急がねえとな。デートに遅れるなんてマズいだろ?」
「別にデートってワケじゃないんだが……ま、そうかもな」
「だろお?」
「じゃあウェズ、そういうことで俺は行くよ。色々と聞いてくれてありがとな、多少肩の力は抜けたよ」
「気にすんなよ。それより急げよ、愛しのハニーがお待ちかねだぜ?」
「ああ――――」
そうして戒斗がウェズと別れようとした矢先――――廊下に、いやP.C.C.S本部ビル全体に、突如として警報音が鳴り響く。
『緊急通達。バンディットサーチャーが複数の反応を検知。コード・レッド発令、Vシステム及びSTFヴァイパー・チームは緊急出動。繰り返す――――』
廊下のあちこちで回転する赤色灯と、けたたましく響き渡る警報音。それに続いて廊下中に木霊するのは、司令室の女性オペレータが明瞭な声で告げる緊急事態の通告。
そんな非日常の訪れがやかましいぐらいに響き渡る中、ウェズはやれやれと大袈裟に肩を竦めながら「プリンセスのお迎えは中止だな」と皮肉った言葉を口にする。
それに戒斗は「仕方ないさ」と同じく肩を竦めながらで返し、
「それに、どのみちアンジェとは現地で逢える。――――行こうぜウェズ、化け物退治の時間だ」
「オーライ、背中は任せな兄弟」
(第七章『残影は遠き記憶の彼方に』了)




