第三章:郷愁は紅蓮の彼方に/02
迎えに来たセラと、彼女の車に乗り込んだ戒斗。二人が戦部家を出発してから少し後、アンジェは店に……戒斗の実家でもある純喫茶『ノワール・エンフォーサー』に訪れていた。
「カイトはもう出た頃かな?」
「さっき、セラさんが迎えに来ていましたよ」
時間も時間だけに客入りもそこまでない、空いた店の中。例によってカウンター席に着くアンジェと、その奥に立つ遥とがこんな風な話を交わしていた。
二人とも、今日は戒斗がセラに付き合って出掛ける用事があることを知っている。だからこその、二人のこんな調子の会話だった。
「ところでアンジェさん、今日はどうされたんですか?」
と、そんな言葉を交わしている最中、遥が何気ない調子でアンジェに問いかける。
するとアンジェは「少し、遥さんとお話ししたかっただけ」と笑顔で言葉を返した。
「僕も今日はこの後、ちょっと友達と出かける用事があるからさ。だから、その前に少しだけ遥さんとお話がしたかったんだ」
「そうでしたか。ならアンジェさんも、今日はいっぱい楽しんできてくださいね」
「えへへー、そのつもりだよっ」
自分のことのように嬉しそうな笑顔で言う遥と、それに微笑みながら返すアンジェ。
二人はその後も暫くの間、雑談を交わしていたのだが……あるとき、ふとアンジェは遥にこんな質問を投げ掛けていた。
「遥さんは……美雪ちゃんのこと、どう思う?」
「…………私の口からは、何も言えません」
アンジェの問いに、まず遥はそう言って口を濁したが。しかしその後で彼女はこうも言葉を続ける。
「ただ……やっぱり、悪いヒトだとは思えません。確かに美雪さんは変わってしまいましたが、けれども……根本的には、本質的には優しい女の子のままだと思います。美雪さんのあの眼を見たとき、私はそう感じました」
「……そう、だよね。美雪ちゃんは、やっぱり美雪ちゃんだもんね」
「ええ、そうだと思います」
コクリと頷くアンジェに、遥が柔らかな微笑みを向ける。
そんな遥の笑顔を見ていると、アンジェは先日のこと――――美雪を偶然見かけた時のことを思い出して。その時の話を、いつしか遥に話し始めていた。
「そういえばね、この間……美雪ちゃんを見かけたんだ」
「美雪さんを……?」
きょとんとする遥にアンジェは「うん」と頷いて肯定し、
「困ってたおばあちゃんを、助けてあげてたんだ。僕が声を掛けるよりずっと早く、美雪ちゃんはそのおばあちゃんを助けてた」
「……そうでしたか」
「だから……遥さんの言う通りかも知れないなって、そう思ったんだ。美雪ちゃんはきっと、遥さんの言う通り……本質的には優しいままなんだと思う。美雪ちゃんは、やっぱり美雪ちゃんなんだって」
薄い笑みを浮かべながら呟くアンジェに、遥もまた柔な微笑みを向けながら「……そうですね」とだけ、ほんの短い言葉だけを返していた。
そんなアンジェの顔を見つめながら、この辺りで美雪の話題はやめるべきかと遥は同時に思い。そうすれば、次にこんな話題を彼女は目の前のアンジェへと振っていた。今までの話題をバッサリと止めてしまうように、方向転換を図るかのように。
「ところでアンジェさん、今日は良かったんですか?」
「良かったって……何が?」
「だって、アンジェさんはその、戒斗さんのことを……」
何処か戸惑いがちな遥の問いかけに、アンジェは「大丈夫だよ」と薄い笑顔で頷き返す。
「カイトのことは僕が一番分かってるから。それに……カイトが選んだことなら、カイト自身が決めたことなら、僕は何も言わないよ」
真っ直ぐな眼差しで遥にそう言った後、アンジェは「それに」と、更に言葉を続けていく。
「それに……何よりも、カイトのこともセラのことも、僕はどっちも大好きだからね」
と、儚げなまでに柔な笑顔を見せながら、続けてアンジェはカウンターの向こう側に立つ遥に対してそう、続けて呟いていた。
「……お強いんですね、アンジェさんは本当に」
そうすれば、遥は呟くアンジェに小さく微笑みかけながらそう言う。
とすればアンジェは「そうかな?」と小さく首を傾げるから、遥は彼女に「そうですよ」と小さく頷き返した。
「遥さんだって、十分すぎるぐらいに強いよ」
頷き返す遥に、アンジェは言う。
すると、遥は謙遜気味に「そんなこと、ありません」と呟いた。
「私は……アンジェさんに思って頂けているほど、強い人間じゃありませんから」
「ううん、遥さんは強いよ。遥さんは、とっても強いヒトだから」
「そう……でしょうか?」
尚も謙遜するかのように首を傾げる遥に、アンジェは「うん、そうだよ」と囁いて、
「今もこうして、僕らの傍に居てくれていること。それが……何よりもの証拠だよ」
柔な笑顔とともに、遥に対してそんな言葉を投げ掛けていた。
「ふふっ……ありがとうございます、アンジェさん」
「お礼を言われるようなことじゃないよ。っと……そろそろ僕も出なきゃいけないかな。それじゃあ遥さん、僕も行くね?」
「はい、アンジェさんもお気を付けて。今日は楽しんできてくださいね」
「うんっ、行ってきまーすっ!」
そうして話している内に、何だかんだとアンジェも出発の時刻になっていたらしい。
アンジェは右手首に巻いた細い腕時計をチラリと見て、出発時間が近づいていることに気が付くと。隣席に置いていた小振りなハンドバッグを抱え、遥に手を振りながら店を後にしていく。
出掛けていくそんな彼女の背中を、遥はカウンターの奥から笑顔で見送っていた。