第十章:父よ、母よ、妹よ
第十章:父よ、母よ、妹よ
「貴様……!!」
「シュルルルル……」
自身を睨み付ける戒斗の気配に気付き、スコーピオン・バンディットが舌舐めずりをするような気色の悪い唸り声を上げて振り向く。
白い壁や板張りの床、ソファやテーブル、テレビなんかの調度品……それら全てが真っ赤な返り血に濡れた風谷家の一階リビングルームの様相は、まさに地獄絵図と言うしかないほどに凄惨な殺戮現場と化していた。
血で真っ赤に塗れたソファには事切れた美雪の父親が横たわっていて、床には同じく既に息絶えた母親が倒れ伏している。どちらも鋭利な刃物……恐らくはスコーピオンの両手、サソリのハサミみたいなあの手で斬り裂かれたことで生命を奪われたのだろう。
そして――――スコーピオンの右手には、今まさに妹の風谷燐の姿があった。
彼女もまた、既に息絶えている。涙の涸れた眼を見開き、絶望に染まった顔で息絶えた彼女の横顔は……思わず目を逸らしたくなるほどのもので。そんな様相で事切れた燐の華奢な腹には、スコーピオンの左手が深々と突き刺さっていた。
…………突き刺さっているというよりも、貫通している。
死因は恐らく、左手のハサミで腹を貫かれたことによるショック死か。鋭利なハサミになっているスコーピオンの左手は燐の華奢な腹を容易く貫き、臓器や脊椎を引き裂いて……そのまま背中まで大きく突き抜けている。
それこそ、スコーピオンの手首辺りまでがずっぽりと燐の背中から突き出ているといった感じだ。おびただしい量の血に濡れたスコーピオンの左手、それが貫いた腹と背中からは……滝のように流れ出る血の他にも、引き裂かれた腸の一部までもが垂れ下がっている。
――――凄惨。
その光景は、まさに凄惨と呼ぶ他になく。それを目にした戒斗は、決して知らぬ仲でない三人の死に様を目の当たりにしてしまった戒斗は……目の前で舌舐めずりをするスコーピオン・バンディットに対し、ただただ猛烈なまでの怒りを覚えていた。
「チィッ……!!」
故に、今日の彼の引鉄は驚くほどに軽かった。
自身を睨み付けるスコーピオンに対し、戒斗は迷わずにP226を発砲する。
ズドン、ズドンと乾いた九ミリパラベラムの銃声が、風谷家の壁に激しく反響し。前後するスライドから熱い空薬莢が蹴り出される度に、銃口で火花が瞬く度に、NXハイパーチタニウム合金で作られた特殊徹甲弾がスコーピオンへと叩き付けられていく。
「シュッ……!?」
一発が命中する度に、その甲殻類めいた身体から火花を上げてスコーピオンが怯む。
流石にP.C.C.S謹製の対バンディット戦用・特殊徹甲弾だけあって、普通の銃弾と違いバンディットに対しても多少は効果があるようだ。
「シュルルルル…………」
しかしスコーピオンは数歩後ろにたたらを踏み、そして怯むだけで。戒斗の銃撃が然程効いた気配もなく、殆ど意に介さない様子だ。
「畜生……!!」
そうして撃ち続けていれば、やがて弾切れを起こし。後退したままスライドが停止し、P226がホールド・オープン状態を晒して戒斗に弾切れを告げれば……彼は舌打ちとともに銃を素早く右手に持ち替え、空いた左手を今度は後ろ腰に走らせた。
ジーンズの背にあるバックサイド・ホルスターから、今度はS&W・モデル360PDの小型リヴォルヴァー拳銃を抜く。すると戒斗は構えたそれを、撃鉄を起こさぬままにダブル・アクションで一気に五発を連射した。
――――三五七マグナムの銃声が、壁を激しく打ち付ける。
さっきまでの九ミリパラベラム弾とは比べものにならないほどの銃声、まさに雷鳴と喩えるべきな激しい銃声が、三五七マグナムの並々ならぬ威力を物語る。
「シュルルルル……!?」
実際、命中した五発はさっきよりも効いていた。
だが……それでも、やはりスコーピオンは怯むだけ。とてもじゃないが、手持ちの武器だけでは倒せそうにない。
「この野郎、いい気になりやがって……!!」
360PDも全弾撃ち尽くすと、戒斗は毒づきつつ一旦リビングルームから廊下に引っ込み。壁に隠れながら360PDを元のバックサイド・ホルスターに戻すと、右手に持っていた弾切れのP226を再び左手に持ち替える。
空弾倉を弾き飛ばし、ショルダーホルスターの弾倉ポーチから取り出した新しい弾倉を銃把の底から叩き込む。後退したままのスライドを右手で引き、ホールド・オープンを解除。新しい一発を装填すれば、戒斗は再びスコーピオン・バンディットの前に躍り出る。
「カイト、大丈夫っ!?」
「一体何が起こって……!?」
そうして戒斗がスコーピオンに対し絶え間のない射撃を繰り返していると、銃声を聞きつけたアンジェが家の中に飛び込んで来る。
すると彼女と一緒になって、美雪までもが近づいてくるから……振り返った戒斗は思わず「来るな!!」と美雪に叫んでいた。
だが――――――――。
「戒斗さん、どうなって――――――っ!?」
「馬鹿、見るんじゃあないッ!!」
声を荒げての制止も虚しく、アンジェと一緒に飛び込んで来た美雪は、リビングルームに広がる惨状を――――家族の惨殺死体を、風谷美雪は目の当たりにしてしまった。
「あ、あ、あ…………」
言葉を失う美雪が、立ち尽くしたまま打ち震える。
「っ!? そんな……なんて、なんて酷いことを…………っ!!」
その傍らで、アンジェもまたリビングルームの惨状を目の当たりにし。苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、静かに憤る。
「シュルルルル…………」
そんな二人を前にして、スコーピオンは嘲笑うかのような唸り声を上げ。そうすれば左腕を激しく振るい、今まで左手にぶら下げていた燐の遺体を力任せに放り捨てた。
びたん、と激しい音を立てて、憐の遺体がリビングルームの壁に叩き付けられる。
そうすれば、腹に大穴を開けた燐の遺体は……重力に従い、そのままずるずると床にずり落ちて。叩き付けられた壁に、まるで筆で描いたように大きな赤い血の跡を描きつつ……バタリと床に倒れた。
倒れた燐の遺体が、生気のない、力のない瞳で姉を見つめる。
「許さない……絶対に、許さない!!」
その乱雑な扱いがトリガーになったのか、遂にアンジェの堪忍袋の緒がブチ切れて。激昂したアンジェは戒斗を押し退けて前に躍り出ると、その場でバッと左手を胸の前に構えた。
激しい閃光とともに、彼女の左手に赤と白のミラージュ・ブレスが出現する。
「チェンジ・ミラージュ!!」
右手を前に突き出し、その後で手の甲を見せつけるみたくクルリと手首を回して握り拳を作り。そのまま両腕を大きく振るい、握り拳を作った両手を顔の右横で構える。
そうすれば、高鳴る唸り声が響き渡り、アンジェの身体が眩い閃光に包まれて――――次の瞬間にはもう、彼女の身体は赤と白の神姫装甲に包まれていた。
――――神姫ヴァーミリオン・ミラージュ。
基本形態をすっ飛ばし、いきなり威力特化のスカーレットフォームに変身したアンジェは、激情の赴くままに両手の拳を包み込む格闘兵装『スカーレット・フィスト』を構え。そのままダンッと地を蹴って一気に距離を付けると、勢いに任せてスコーピオンに殴りかかっていく。
「でやぁぁぁぁぁっ!!」
怒りに満ちた彼女の左拳を、しかしスコーピオンはひらりと身軽に身を捩ることで避けてみせる。
「シュルルルル…………」
するとスコーピオンは嘲笑うみたいに唸り、そのまま割れた窓から……侵入してきたリビングルームの窓から家の外に飛び出し、そのまま何処かへと逃げていく。
「逃がすかぁっ!!」
アンジェは普段の彼女では考えられないほどの怒りを込めた雄叫びを上げ、逃げたスコーピオンを追撃すべく自身も家の外へと飛び出していく。
「畜生……なんてこった!!」
そうして追撃に打って出たアンジェを見送りつつ、戒斗も焦った顔でスマートフォンを取り出し、P.C.C.Sの総司令官に……石神時三郎に電話を掛ける。
「司令、俺だ! バンディットと遭遇した! 今はアンジェが追撃してる……Vシステムの緊急出動を!!」
焦燥感に声を荒げ、ヴァルキュリア・システムの緊急出動を電話で要請する戒斗の横で……美雪は、がっくりと膝を折っていた。
「え、あ……なに、なにこれ…………」
「…………」
そんな彼女に、戒斗は掛ける言葉も見つからず。電話を切ったスマートフォンを懐に収めながら、ただ足元の彼女を見下ろすことしか出来ない。
「嫌、嫌、嫌……そんな、こんなのって。こんなの、嘘、嘘、嘘…………!!」
「美雪……」
「やだ、やだよ。ねえ、眼を開けてよ。お父さん、お母さん……」
「……畜生」
悔しさに歯を食い縛る戒斗の傍ら、美雪は立つこともままならず。よろよろと四つん這いで血まみれのリビングルームに入っていく。
そうすれば、美雪は事切れた妹の遺体を……風谷燐の遺体を。腹に大穴を開けて事切れた、腸を垂らしながら事切れた……妹の遺体を抱き抱える。
「起きてよ、起きてよ燐……お姉ちゃんだよ、お姉ちゃんだよ……?」
大粒の涙を流す美雪の翠色の瞳と、生気のない燐の瞳とが見つめ合う。
だが、燐が声を掛けてくれることはない。もう二度と、話しかけてくれることは……ない。
「ねえ、今日はいっぱい美味しいもの食べようって、昨日約束したよね……? だから、ほら、行こう? 一緒に、美味しいもの食べに」
揺すってみても、何をしても。風谷燐は、もう二度と動かない。美雪が抱えるのはもう風谷燐ではなく、彼女だったもの……嘗て妹だった、抜け殻に過ぎないのだから。
「ねぇ、燐……?」
何をしても、動くことはない。もう既に――――妹は、殺されてしまったのだから。
「ねえ、お願い。嫌だよ、そんな、こんなのって…………」
もう、誰も話しかけてはくれない。もう、誰も自分の名前を呼んでくれはしない。
優しかった父のしゃがれた声も、いつもは鬱陶しく感じていた母の小言も。自分のことを慕ってくれていた、妹の呼び声も……何も聞こえやしない。
だって、大好きだった皆は――――もう、この世に居ないのだから。
「あ、あ、あ……――嫌ぁぁぁぁぁ――――――ッ!!」
「……畜生」
妹の亡骸を抱き締め、泣き叫ぶ美雪を見つめながら……戒斗は何も声を掛けられないまま、ただ立ち尽くしていた。
何も出来なかった自分が、美雪に何もしてやれない自分が……今はただただ不甲斐なくて、そして悔しかった。
「そんな、そんなぁぁ……っ!!」
事切れた妹の亡骸を抱き締めて、大粒の涙を流して泣き喚き。絶望する風谷美雪。
そんな、深い悲しみと絶望に心を支配された彼女の右手の甲が、いつしか輝き始めていた。
目が眩むほどの、眩い閃光。それが美雪の右手の甲に輝き始め、徐々にその瞬きを強くしている。
「まさか……!?」
それに気が付き、目の当たりにした戒斗は激しく狼狽えた。
そうしている内にも、すぐにその閃光は収まり……そうすれば、美雪の右手には見慣れたガントレットが出現していた。
―――――――神姫の証、翠色と白の『タイフーン・チェンジャー』が。
「あああああああああああ――――――ッ!!」
閃光が収まり、右手の甲にタイフーン・チェンジャーが出現した瞬間。美雪は大粒の涙を流しながら、妹の亡骸を抱き締めたまま……大きく反り返り、絶望の叫び声を上げる。
その慟哭の雄叫びとともに――――彼女の身体が、凄まじい輝きに包まれる。
同時に、部屋の中に吹き荒れる疾風。猛烈な、眼も開けて入れないほどの激しい突風に戒斗は狼狽え、風に押されるがまま何歩も後ろにたたらを踏む。
「美雪……美雪ッ!!」
そんな中でも戒斗は必死に美雪の名を叫ぶが、しかしこんな強烈な風の中、声は簡単に掻き消されてしまう。
「やっと、収まったか……!?」
そうして、リビングルームに吹き荒れていた風が収まった頃。やっとこさ眼を開けた戒斗が再びリビングルームの中に入ってみると。
「美雪…………」
――――――疾風が収まった頃。風谷美雪の姿は、もう家の何処にも在りはしなかった。
(第十章『父よ、母よ、妹よ』了)